『将校達のプッシュ・オン・アローン(下) 後編』
軍隊に属する人間が自分の意志でその地位を捨てるという決断。それが正しい事なのかはボーダにも、いや、この場の誰にも判らない。
しかし。腐った組織の中で悶々と悩み続ける事と比べると、どうだろう。ボーダは素直にそう考えた。
立ち上がったラジニーシ「元」大尉はそのままボーダに向かって、
「提督閣下。シャシ少将は、おそらく大統領官邸にいると思われます。そこへ行くルートですが、いつもなら車で二〇分とかからず行けるのですが、現在はおそらく市民が一杯で通るに通れないでしょう」
先程のテッサの言葉を裏付ける現地軍からの情報。だがそれでも、ここにいるだけでは事態はちっとも好転しない。
先程の脅迫VTRで「タイムリミット」とされた、夜の一二時までもう時間がないのだ。立ち止まる余裕などある訳がない。行動あるのみである。
ラジニーシはうつむき加減となり、少々考え事をしているようにも見える顔のまま、
「実はこの都市の地下には、かつての独裁者が使っていた専用道路が走っているのです」
「専用道路、だと?」
それにはさすがのボーダも目を見開いた。
普段は影武者を乗せた車が地上を走り、その間本人は地下の専用道路を使って目的地に向かう。そうだったと聞いたと、ラジニーシは話した。
もちろんそんな道路だ。実際にあったとするならばその存在を知っているのはごくわずかの筈。しかし噂というレベルでも国に広まる事は止められなかったのだろう。
「私も詳細は聞かされていませんが、その道路を使えば国の主要な建物総てに行き来ができるようです。このホテルも先の独裁者が客と会う時に使っていたという話があります。出入口がどこかにある筈です」
「なるほどな。その道路を使えば誰にも邪魔されずに大統領官邸まで一直線、という訳か」
彼の話を聞いて、それが一番早そうだと納得しかける。
だが、そこへはどうやって行くのか。そこがすっぽりと抜け落ちている。でもそれを責めるのはさすがに酷だ。そのくらい徹底された「極秘通路」なのだろうから。
そこでボーダがふと思い出した事がある。このホテルで大統領と会う前。エレベーターで隠されたフロアに下りる時、第一秘書が何をしていたのかを。
ボーダは「少し待っていてくれ」と言ってその場を少し離れる。それから自分の携帯電話でテッサに連絡を取った。
一コールで電話に出た彼女に事情を話し、そこからこのホテルのエレベーター・システムに侵入できないか訊ねたのだ。
電話の向こうでキーを叩く音が三〇秒ほど続く。無言の間が一〇秒ほど続く。
『おじさま。エレベーターの管理会社経由で侵入できました。このホテルには本来ない筈の地下五階がありました。そこにその秘密の通路がある可能性が高いですね。今からエレベーターを下ろします』
何ともあっさりとした結果。<ダーナ>の侵入・解析能力に驚くと共に、このコンピュータが味方で本当に良かったと胸をなで下ろす。
彼女に礼を言って電話を切ったボーダ。そのエレベーターに向かおうとすると、
「提督閣下。自分をお供させて戴けませんか」
先程から直立不動を保っていたラジニーシが大声で訊ねる。これにはボーダも彼らを捕まえた市民も驚いた。
「ま、まあ確かに道案内はいた方が有難いのだが……」
ボーダは困った笑顔で周囲の市民を見やる。階級章を捨てたとはいえ、自分達と敵対している人間を簡単に解放していいものかどうか。市民達の不安そうな気持ちが伝わってくる。
ところが。そんな彼らをよそに、今まで無気力にも見えた諦めムードの兵士達が次々と立ち上がりだしたのだ。
「私も大尉に続きます」
「自分にも何か手伝わせて下さい」
強い意志の光、とまでは決して言えないが、明らかに何かをやる気になった者の目。立ち上がった彼らには間違いなくそれがあった。
だが、それを止めたのはラジニーシ本人だった。
理由はどうあれ命令に反する行為をするのだ。厳罰は免れない。こんなに大勢の人間が罰せられては後の軍隊運営に差し障りが出る。君達は若い。この先もこの国のために尽くしてほしい。
そう言って皆を押し止めたのだ。その言葉だけで渋々と皆はその場に座り直す。階級章は捨ててしまったが、この様子ならきっといい将校になれる。ボーダはそう思った。
彼は拘束された両手をすっと市民の方に差し出すと、
「この後に及んで君達をどうこうしようとは考えていない。提督閣下を手伝うため、このロープを切ってほしい」
差し出された市民はどうしたものかと目が泳いでいたが、ボーダの「頼む」の一言に覚悟を決め、奪っていたナイフでそのロープを切った。
そして自由になったラジニーシとボーダの二人は、ちょうどやって来たエレベーターに飛び乗り、地下を目指すのだった。


乗り込んだエレベーターの扉が閉まる。そのまま緩やかに下っていくエレベーター。
このホテルには地下一階に駐車場があり、階数表示も当然そこまでしかない。
本来は動く前にパスワードを入力するのだろうが、テッサが回線から侵入して手を回しているので、エレベーターは明らかに地下一階以上下に動き続けている。
やがてエレベーターの動きが止まった。
一応エレベーターの両脇に身を潜めるようにして扉が開くのを見守っていた二人だが、何の気配もない事を察してからようやくエレベーターを出た。
そこは車が一〇台くらい停められるほどの広さを持つ空間があった。そこに一台の黒塗りの高級車が止まっている。
「多分前の独裁者を乗せていた車でしょう」
ラジニーシがそっと車に近づき、周囲を見回しながらそう答える。後から着いてきたボーダも、
「ひょっとして、これも防弾仕様になっているのかね?」
「はい。かの独裁者と影武者を乗せる車は総て防弾仕様になっていました」
そう言いつつ車の中を観察する。キーが刺さったままである。ドアのハンドルを触ってみると、ロックがかかっていなかった。ちょっとためらいつつもドアを開けてみる。すんなりと開いた。
それから各種メーターを確認する。ガソリンは充分に入っている。だが一年ほどこの車は動かしていない筈だ。
試しにエンジンを始動させてみる。すると一発でエンジンは重い音を立てて動きだした。
「大丈夫です。行けます。お乗り下さい」
ラジニーシが運転席、ボーダが後部座席に乗る。扉が閉まったのを確認すると、ラジニーシは車を走らせた。
トンネルのようなオレンジ色のライトが続く通路をひた走る車。しばらくは無言だったが、ボーダがふと口を開いた。
「確か先の独裁者は、あのホテルからヘリコプターで逃げようとしたと聞いた。なぜ逃げたり立て籠ったりする時に、この秘密の通路を使わなかったんだろうか」
「それは簡単ですよ」
ラジニーシがポツリと、しかしどこか悲しそうに話を続けた。
「それを知っていた、当時大佐だった私の父が市民側に味方して、市民達に地下からの出口を固めさせたんです。それで空から逃げるしかなくなったんですよ」
なるほど。年の割に軍人然とした態度が板についていたのは、親も軍人だったからか。おまけに昨年の暴動の時に市民側に味方していた人とは。
「でもシャシ少将がそれを恨みましてね。『軍の機密を暴露した』として父を不名誉除隊にしたんですよ。今、父は郊外の安アパートで一人で暮らしています」
先ほど「少将と話がしたい」と言った時の暗い返答は、その恨みもあっての事か。そのシャシ少将とやらは他人から恨まれるのがお得意らしい。
「そろそろ一二時になりますね。一応テレビをつけて頂けますか」
ハンドルを握るラジニーシが、後ろに座るボーダの前にある薄い液晶パネルを指差す。ボーダはカーナビだと思っていたのだがテレビだったとは。言われてみれば後部座席にカーナビは変だ。
「しかし、こんな地下深くで電波が入るのかね」
「入る筈です。そうでなければこの車にテレビを載せないと思います」
確かにそうだ。納得したボーダはすぐスイッチを入れた。ホテルの型遅れテレビとは違い、ほんの一秒ほどで鮮明な画像がパッと表れた。きっとトンネルのどこかにアンテナを通してあるのだろう。映像もそれほど乱れていない。
そこには大統領官邸内に設置されたバルコニーが映し出されていた。ふんぞり返っているという形容がピッタリなシャシ少将の姿が見える。その隣には二人の兵士に拘束されているラタン・タルール大統領の姿も。
確か国民に向けて放送する時はバルコニーからの映像が流れていた筈だと、ボーダも思い出す。
きっとここから大統領に敗北宣言でも言わせるつもりなのだろう。夫人救出の報はさすがにまだここまでは届いていないだろうから、少将は実に堂々としている。
あまりイイ趣味とは言えない。ボーダは声に出さずにそう思った。
「ところで、あとどのくらいで着きそうかね」
「もうそろそろの筈です。方向は合っていますから」
そう言いながら大きな曲がり角を曲がると、出発地点のような駐車スペースに着いた。さっきと違うのは、明らかに地上へ向かうような上りのスロープがあった事だ。
ラジニーシは構わずそのスロープに車を走らせた。
するとどうだろう。真っ暗だった坂のはるか向こうから地響きのような音がするではないか。
それも近づいてきて理由が判った。地上出口のシャッターが開いたのだ。夜の闇がその向こうに広がっているのが見える。
車は勢いつけて出口を走り抜けた。そこは煌々と灯りが灯る官邸の庭園。しかも入口のすぐ側だ。
そして、車の右側にはライフルやサブマシンガンを持った兵士がずらりと並んでいる。さらにその後ろにはテレビカメラを抱えたマスメディアの集団も。
『撃て!』
どこからか聞こえて来たその声の直後、いきなり現れた車に驚く兵士達がこの車に向けて一斉に手持ちの銃を撃ってきた。それこそ「弾丸の雨」という表記そのままに。
事実車の右側から何百何千という弾丸が降り注いでいる。いくら何でももう持つまい。さすがにボーダも覚悟を決めた。
だがそれらが彼らを傷つける事は一切なかった。
そう。この車は防弾仕様。それも先の独裁者が乗っていた車。間違いなく最高品質の改造防弾車な筈だ。
「……ふうぅ。いくら防弾車でも、弾の中に飛び込んでいくのは胆が冷えるものだな」
「こればかりはかの独裁者に感謝ですね」
ラジニーシはそう言うと、官邸入口の手前に車を横滑りさせるようにして停めた。
相変わらず兵士達は弾を打ち続けている。これでは出るに出られないし、そもそも破壊力のある重機関銃などを持ってこられてはさすがの改造防弾車でも持たないだろう。
少し冷静さを取り戻したボーダが目の前の液晶パネルを見ると、自分達が乗った車がしっかりとテレビに映し出されていた。
中継をするアナウンサーらしい声が「一体あの車は何なのでしょうか」と、プロレスの実況中継さながらの高いテンションで叫んでいる。
『撃ち方やめぃ!』
どこからか聞こえていた拡声器の声。同時にあれほど激しかった弾雨がピタリと止む。
『どこの誰かは知らないが、早く出てきたまえ。そのくらいの時間はくれてやる』
自信たっぷりな嫌みたらしい声。優位に立っている者独特の、やや芝居がかった強気な声。間違いなく昨日会ったシャシ少将の声だ。
車の窓から外を見ると、地上からライトアップされたバルコニーに、得意げな表情でこちらを見下すシャシ少将が見えた。
ボーダは共に出ようとするラジニーシを制止すると、警戒しつつ、かつ堂々と胸を張って車を下りた。銃をこちらに突きつけたままの兵士達は「誰だ一体?」と言いたそうに彼を観察している。
自分達が突入する前は、ここにも何人かの報道陣がいたらしい。メモ帳やペン、ICレコーダーやマイクが散らばっている。よっぽど慌てて避難したらしい。
そこに転がっていたマイクを手に取る。芝生の上に転がっていたため、奇跡的にマイクは凹んでいるだけだ。何となく揃えた指でマイクヘッドをポンポンと叩いて、電気が通っている事を確認する。
「あーあー。イッツ・ファイン・トゥデイ。ハロー。私は元アメリカ合衆国軍の将校でジェローム・ボーダという」
その自己紹介に、周囲の兵はもちろんテレビ局の人間も驚いていた。そんな人物がなぜこんなところに。そう叫んで。
おまけに元とはいえ「将校」である。銃を突きつけていた兵士の何人かが反射的に銃口を下ろしかけていた。
「こんなクーデターまがいの事をしでかしてくれたシャシ少将殿に、どうしても言いたい事があって、こうしてやって来た。聞いてもらえないかな」
こんな状況にもかかわらず、ボーダの口調はどこか朗らかささえ感じる落ち着き振りであった。確かにこんな状況で怒鳴りつけるような事をしたら、聞いてもらえるものももらえなくなるが。
無言のシャシ少将の態度を肯定と判断したボーダは、
「先程テレビで放送されたVTR、見せてもらった。軍縮が嫌な事は理解するが、君は大きな勘違いをしている」
ボーダの方も少々テレビを意識した口調で、少将に向かってキッパリとそう宣言した。周囲が一瞬ざわつくのを確認すると、さらに話を続ける。
「君はVTRの中で『軍縮』と言っていたが、大統領は『軍の見直し』としか発言していない。軍縮と見直しは決してイコールではない。いくら気に入らないからといって、クーデターを起こすような事ではないぞ」
周囲のざわつきが一層大きくなる。
「そもそも、大統領が掲げている『文化国家』だが、これは文化の発展・向上を指導理念とする国家という事。軍事力をなくすという意味でもないぞ」
本当ならこういう事を言いたくはなかったのがボーダの本音である。
シャシ少将のようなタイプの人間は、真っ向から自分の考えを否定・訂正される事を極端に嫌う。公衆の面前でならなおさらだ。プライドだけは高いので自分がバカにされたと思うからだ。
そんな人間だけにどんな凶行に走るか判ったものではない。だがそれでも、誰かが言わねばならない事だ。
「あ、あの、ミスタ・ボーダ。今の話は本当なのでありますか?」
いつの間にか国営放送局のロゴ入りマイクを差し出すクルーらしい人物がおそるおそる近づいて、おっかなびっくりでそう声をかけてきた。ボーダはわざわざクルーの方を振り向くと、
「ああ本当だ。詳細は話せないが、ちょっとしたコネがあってね。過去の大統領の各メディアので発言をチェックしてもらった。確かに大統領は『軍の見直し』としか言っていなかったよ」
それから周囲を見回すようにして「ため」を作ると、彼の話はさらに続いた。
「この国の軍組織図は独裁政権の時のままだった。頂点とそれ以外という実に単純明解なものだ。各部隊の役割分担さえ明確に定まっている様子がないし、部隊によって装備の格差がものすごい。これでは効果的な軍の運用は無理だろうな」
独裁だったがゆえに、頂点が部隊に直接あれをやれ、これをやれと命じればそれで済んだ。
頂点が気に入った部隊には最新装備が惜しみなく与えられ、様々な栄えある華やかな任務を命じられたが、そうでない部隊には弾薬すらろくに回さなかった上に汚れ役ばかりを押しつけていた。
独裁政権ならそれでも機能したのかもしれないが、これからはもっと考えて整理整頓し、きちんと部隊の役割を決め、それによって人員や装備を配分していく必要があるだろう。その整理整頓も軍縮とは全く異なる。
「本来こうした場で言うべきではないが、あえて言わせて頂く。大統領はその見直し案を他国の専門家に依頼、もしくは意見交換をするつもりだったようだ。僭越ながら専門家ではないが私も考えてみた。参考になればいいのだがね」
そう言うと彼はポケットからメモ用紙の束を取り出すと、それらをひらひらと振って見せる。それはさっきまでパソコン画面とにらめっこしながら書いていた、新しい軍組織図のアイデアだった。
「君が大統領夫人を誘拐してまでこんなクーデターまがいの事を起こしたのは、全くの無意味だったんだよ」
その時、塀の外――官邸の外からものすごい歓声が聞こえて来た。それはもう怒号というべきものであった。
そしてとうとう頑丈な筈の官邸の門が押し曲げられるように開き、民衆が次々となだれ込んできた。その勢いはまさしく鉄砲水かダムの放水か。押し潰される人間がいないか心配になるほどであった。
彼らは口々に「助かったんだ!」「生まれたぞ!」と叫んでいる。
事情を知っているボーダは、大統領夫人が助かった事、そして出産がうまくいった事が市民にも伝わったようだと見当がついたが、それ以外の人間には何が助かって何が生まれたのかが判らなかった。
「おいみんな! 誘拐されていた大統領夫人が救出され、市内の病院で女の子を出産したって、ウチの局に電話があったぞ!」
先程ボーダに話しかけて来た国営放送局のクルーが携帯電話片手に、周りの人間に叫ぶように力を込めて話している。
どうやら夫人が運び込まれた病院から、夫人自身が出産の疲労を堪えて国営放送に電話を入れたらしい。それが一気に国中に広まり、現場のクルー達の元にも伝わったようだ。
建物の外から来る市民の数は増々増えていく。マスメディアも振って沸いた知らせと市民が押し寄せる現場に右往左往している。庭園に展開していた兵士は人波に圧倒されて機能しなくなっていた。
「シャシ少将。そして銃を持った兵士諸君。君達はまだこのクーデターまがいの事を続けるつもりかね」
ボーダはまっすぐバルコニーのシャシ少将を睨みつけた。ここからでは手も足も出ないが、ヤケを起こして大統領を殺害するかもしれないと目を光らせるためだ。
だがその心配は杞憂だったようだ。
たった今まで大統領を拘束していた兵士が大統領を解放し、今度はシャシ少将に銃を向けたのだから。
「お前達何をしている」。「私を誰だと思っている」。「さっさとしないと厳罰だぞ」。さっきまでの威勢はどこへやら。震えた声で後ずさる、完全に腰が引けた少将の様子がボーダの所からでもよく見えた。
それでも逃げようとする少将を一人の兵士が後ろから羽交い締めにした。拘束から解放された大統領は少将の胸元に手をやり、何かをむしり取る。おそらく階級章だろう。アメリカでは軍法会議で軍を除隊させられる時に同じ事をやられるのだ。
つまりこの瞬間。彼は少将ではなくなったのだ。裁判にかける事なく。
それを見た兵士達は迷う事なく銃を投げ捨てた。永きに渡る苦悩、階級を傘に押しつけられる恐怖感から解放された、清々しい笑みを浮かべている。
事実を突きつければ士気くらいは下がるだろうとは踏んでいたが、ここまでの効果は完全にボーダの予想外である。
その様子を見るだけでも、軍の頂点に立っていた少将が、いかに部下から慕われていなかったか。権力を傘に言う事を聞かせる事しかしていなかったかがよく判るというものだ。
大統領が少将からもぎ取った階級章を高々と掲げる。その様子をテレビカメラが赤裸裸に映し出し、官邸内外の市民達が一斉に大歓声を上げている。
一国の命運を揺るがしかねないクーデターは、こうして一応の終結をみた。


国は民主化に向けて動き始めていたのに、軍部だけが独裁政権時の「栄光」を捨てられなかったという、あり得てはいけないギャップがあった。
そのため元々士気という意味では、軍内部は崩壊寸前だったらしい。頂点は自分の保身しか考えていないし、上層部は頂点からのおこぼれに預かる事しか考えてない。そんな高官達に下士官や兵達が黙って従う訳がない。やる気も失せる。崩壊は時間の問題と言えた。
結果としてボーダ達が起こした行動は、そうした崩壊を早める結果となったようだ。きっかけは頂点の勘違いによる暴走ではあったが。
そんなボーダもアメリカ大使館を経由して軍からお小言を受けていた。「退役した人間であるし、不名誉な行動ではないが、さすがにやり過ぎです」と。
そして<ミスリル>本部からも痛烈な批判が届いていた。こちらの方は要約すると「目立ってどうする」というものだった。
それについてはボーダも覚悟していたし、若干の減俸と共にそれを粛々と受け入れていた。
大統領はすぐさま他国の軍専門家を呼んで軍部の再編に乗り出すと、あの場で宣言していた。それが形になるのはさすがにもっと先の未来の話だ。
そんな事件で町が揺れに揺れた翌日。大統領の講演が予定通り開かれる事となった。
一通り講演が終わったその席上で、大統領は立ち上がってくれた市民達に感謝の意を述べ、今後軍部が暴走しないよう組織から刷新していく事を改めて約束。
内政も問題は山積みのままだが、一つでも多く片付けるよう尽力する事を誓った。昨日生まれた我が子が大きくなるまでには、明るく変わったこの国を見せてやりたいと。そのために国民も協力をしてほしいと。
そして。その講演の最後に、なんとボーダが呼ばれたのである。
本当は彼に協力したカリーニンやテッサも呼びたかったそうなのだが、ボーダがそれを断わった。
カリーニンは亡命ロシア人という立場である。公的な場に出す事がいい事とも思えない。
そしてテッサは「異常な天才」たる知識を狙う輩を警戒しての事。ボーダ自身が一人で目立ちたかった訳ではない。
二人は固く握手をし、大統領は事件解決に尽力してくれた事を心から感謝し、こっそりと<ミスリル>への協力を惜しまない事も約束してくれた。
シャシ少将のその後の処遇に関しては、とりあえず今は刑務所に投獄。過去の罪状などをじっくり調べる予定だという。
大統領夫人を誘拐したSP達も夫人の情報から割り出された。既に国外に逃亡されていたが、国の方も国際手配の手続きを取るそうで、何としてでも捕らえる方針のようだ。
半ば勢いで階級章を自ら外したシュリ・ラジニーシ元大尉は、大統領に説得されて恥ずかしながらの軍復帰。
階級を一つ上げ少佐として新体制の軍部作りの手伝いをするそうだ。そんな息子の晴れ姿を、シャシの手で入院「させられていた」彼の父親はいたく喜んでくれたという。
そんな光景を見たラジシャヒも目を細めて「よかったよかった」と満足げな様子だった。自分の行動に満足ができればそれでいいという傭兵らしい解釈で、買ったばかりの酒を勝利の美酒とばかりにあおり、さっぱりとカリーニンと別れた。
その辺りが軍人と傭兵の差である。戦いが済めばそこにいる意味も理由もないのだ。
そんな風に事後処理が進む中、ようやく合流を果たしたボーダ、テッサ、カリーニンの三人は、<ミスリル>が用意した輸送機で飛行場を飛び立っていた。そこにメリダ島への食料などの物資を満載して。
「……意外に何とかなるものだな」
機内という事でミネラルウォーターのペットボトルをちびちび飲んでいるボーダが、心底ホッとしたため息をつく。
いくら内部がボロボロの軍が相手だったとはいえ、口だけで決着がつくなど。奇跡というより悪魔の悪戯だ。そんな事は二度とないと理解している。
もしもう一度やってくれと言われたら、体裁を気にせず真っ先に逃げ出すと決めていた。
「わたしもびっくりしました。まさかおじさまがテレビに映るなんて」
テッサが小さく笑って彼の方を見る。
「部屋を出る時は『私にも少しくらいカッコつけさせてくれ』なんて言ってたのに。なかなかどうして、カッコよかったですよ?」
「同感です。本当の意味で上に立った人間でなければ、あそこまでうまくは行かなかったでしょう」
テッサに続いてカリーニンも感嘆の感想を述べる。淡々とした態度のカリーニンにしては酷く珍しい。
そんな二人の言葉に、ボーダは「もう勘弁してくれ」と言いたそうに両手を振ると、
「冗談じゃない。いつ撃たれるかとブルッていたよ。危うくチビるところだったさ」
と、照れ隠しに苦笑いしておどけてみせる。彼は窓の外を見て真面目な顔を作ると、
「時間はかかったが、とりあえず誓いを果たしたまでさ」
「誓い?」
首をかしげるテッサに、ボーダは窓の外を見たまま、
「大統領から話は聞いただろう? 昔彼が海軍基地の側で働いていた時、兵達が口々に『言ってくれればすぐにでもお前の国に乗り込んでやるぜ』と言っていた事を」
テッサは昨日の話を思い出し、軽く首を倒す。窓に写っていた彼女の顔を見たボーダは、
「実は、私もその言葉を言った一人でね。カールから聞かされてもいたし。アメリカ人ではないが、そういった人の力になるのも世界の警察を自負する、合衆国軍人の務めではないか。甘っちょろいが、そう考えていた時期もあったんだ」
恥ずかしそうに頭をかくボーダを、テッサは目を丸くして驚いていた。
「もっとも。大統領からその話を聞くまでは、すっかり忘れていたのだがね」
振り向いてウィンクするボーダのお茶目さに、テッサは苦笑する。
「忘れていたとはいえ、軽い社交辞令とはいえ、交わした誓いには違いない。そういった物を守らなきゃならんのが、我々の年代の……いや、男の機微ってヤツかな。年若く女のテレサには判らんだろうが」
それを聞いたテッサは「やっぱり軍隊というのは男の世界なのだろう」と思った。
いくら止むに止まれぬ事情があるとはいえ、自分のような女――それもこんな小娘が割って入っていい世界ではないのだ。
だから今のボーダの言葉が「性差別」という言葉で切り捨てるものではない事は、ちゃんと理解している。だがそれでも、
「わたしは本当は……お邪魔なんでしょうね。<ミスリル>という軍組織には」
「いえ。大佐殿は。テレサ・テスタロッサという女性は、我が部隊には不可欠な存在です。皆もそう答える筈です」
話を黙って聞いていたカリーニンが真面目くさった顔でテッサにそう答える。その真剣な顔には冗談もおべっかの気持ちも全くない。
それが判ってしまったからこそ、テッサは照れくさく恥ずかしそうに、真っ赤になってうつむいてしまった。それを見たボーダも、
「そうだな。私としては本部に戻って来てほしいが、そこまで必要とされる人間を無理に連れていくのは、それこそ士気に関わるか。男ってヤツは、いくつになっても女のために全力以上の力を出すものだからな」
軽口のようなボーダの言葉。おまけに目線でカリーニンにも同意を求める。
「否定はしません。……私もそうでした」
いつもの仏頂面ではあったが、言葉に込められた乾いたユーモアらしいものが漂っていた。
だが「私もそうでした」という言葉が出るとは思っていなかったボーダとテッサは、一瞬ポカンと目を見開いた。
しかしその直後、苦笑ともとれる忍び笑いが漏れた。そんな笑いの中、ボーダは一人窓の外に向かって小さく敬礼を送る。
(頑張ってくれよ、青年)
ボーダの視線の先には、昔店で働いていた頃の大統領の姿がありありと懐かしそうに写っていた。

<将校達のプッシュ・オン・アローン 終わり>


ホントのあとがき

お疲れ様でした。もう第一声はこの言葉しかないでしょう。タイ記録とはいえサイト最長の話になってしまいました。
今回舞台とした国は特にモデルはないんですが――ゲスト・キャラクターの名前はインドとかバングラデシュとか、そっちの人から拝借してますけど――<デ・ダナン>戦隊の活動範囲から南アジア某国、という事に。
まぁ国内設定自体はありがちだとは思ってます。古い政権から民主化を勝ち取った国なんて世界中にゴロゴロありますし。

今回はカリーニンさんとボーダ提督に頑張って頂きました。前作の「中年と青年のファーロウ」でマデューカスさん主人公の話がウケ良かったので、調子に乗りました。
特にカリーニンさんは訳ありで敵に回るかつての師ってシチュエーションは燃えるものがありますが……原作小説ではあんな最期でしたからねぇ。提督はビルを吹っ飛ばされてから最後の最後まで未登場でしたし。
そんなお二人に捧げたいと思います。

さてタイトルの「プッシュ・オン・アローン」ですが、これは一人で事を推し進める事。日本語でカッコよく言うなら「孤軍奮闘」でしょうか。「孤軍」の割に一人じゃありませんけどそこはそれ。組織戦ではありませんからね。組織の力は使いましたが。
他にも同じ意味の言葉はたくさんあるんですが、そう難しい単語じゃないものとなるとこのくらいしかなかったんで、必然的にコレ。ちょうど英単語三文字だったし。

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