『赤道直下のワン・バイ・ワン 中編』
その少女は目を点にしていたものの、すぐに我に返ると、
「は、離してくれる? このままだと……」
「む。申し訳ない」
宗介はパッとその手を離す。しかし、そこへ肩から血を流す男が下りてきて、彼女を見るなりサイレンサー付きの銃をこちらに向けて歩を早める。
「ちょっとあんた! こんな所で銃を撃ったらどうなるか判ってんの?」
「ここでお前を逃がす方が、俺達にとっては問題なんだよ!」
そう言うと、至近距離から本当に引き金をひいた。
宗介はとっさに少女を押し潰すように床に伏せ、それから地を這うように一気に階段を五、六段駆け上がって男に詰め寄り、下から痛烈なアッパーを顎に食らわせる。
人間は顎に強い衝撃が加わると、一瞬だが平衡感覚が保てなくなる。その隙に鳩尾に鋭く肘を叩き込む。
男はグラリと体勢を崩し、そのまま階段を転がり落ちていく。踊り場まで到達した時に、とどめとばかりに鳩尾にかかとを叩きつけると、男は完全に沈黙した。
総ては一瞬の出来事だった。少女は呆気に取られた様子で一連の動作を見ている。
「……凄い」
少女の感嘆の呟きを聞いた宗介は、かかとを叩きつけた姿勢のまま再び脂汗を流して硬直した。
(しまった! これでは自分から「民間人ではない」と暴露したようなものではないか!)
だが、彼に後悔する時間はなかった。繋がったままの携帯から、かなめの怒鳴り声が聞こえてきたのだ。
『……ソースケ! 聞こえてるの!? 何かあったの?』
「ちょっとしたごたごただ。君には関係ない」
泡食った様子でそう言い返した宗介だったが、
『関係ないってどういう事よ!? それにごたごたって。さっき女の人の声がしなかった? マオさんなの?』
「マオではない。それに、ここはホテルだ。女がいたって何の不思議も……」
『ホテル!?』
かなめの驚いた大声が宗介の耳を貫く。その大声に思わず耳から携帯を離してしまう。その携帯から、耳に当てなくても十分聞こえる大音量で、
『ソースケ……あんた任務って言っときながら、こんな時間から女とラブホにしけこんでる訳!? それとも、それが任務だって言う気!?』
「ごたごた」「女」「ホテル」というキーワードからの連想だろうが、一気に頭に血がのぼった彼女には、宗介が「間違っても」そういう行動を取れない朴念仁という事が頭から抜け落ちていた。
「何の事だ? 俺にはさっぱり……」
『最っ低! ちょっとでも心配してたあたしがバカだったわ』
「待ってくれ、千鳥! 君は何を怒っている!?」
『大っ嫌い! もう帰ってくるな、バカソースケ!!』
ぶつん、と鈍い音がして通話が切れる。宗介は携帯を耳に当てたまま――さらに男を足蹴にしたまま――呆然と立ち尽くしていた。
その時、階段の上の方からどたどたと重い足音が聞こえてきた。「あの野郎、よくも!」といったマレー語の怒鳴り声がする。それを聞いた少女は彼の腕を無理矢理引っ張って階段を駆け下り、そのままホテルを出た。
そこにタイミングよく滑り込んできたライトバンがあった。助手席が開いて、
「お嬢さん! 早く!」
中にいた野戦服姿の細みの男がシングリッシュ(シンガポール訛りの英語)で急かした。宗介を見た途端いぶかし気な顔を見せるが、
「ごめんなさい。巻き込んじゃったの。彼も乗せて!」
彼女の方もシングリッシュでそう言い返して彼の手を引いて後部座席に乗り込む。それを確認した運転手は猛スピードで車を走らせた。
宗介の頭では、さっきのかなめの「大っ嫌い!」がエコーのように何度も響いている。
それが、後頭部から肩の辺りにかけてずしーんと重苦しい何かに満たされるような、不快な感覚をもたらした。
何とも嫌な雰囲気の時にやってくる独特の感覚だ。
なぜ、彼女に拒絶されると、こんな感覚に襲われるのだろうか?
しかし、そこで現状を思い出し、ふと我に返る。
いくら平常心とは言えない状態だったとしても、見ず知らずの人間の誘導のままに車に乗ってしまうとは。
これが自分にとって周囲への警戒を無くすほどの衝撃であったのだろうか?
車内を見れば、運転するのは固太りの軍服の男。助手席に野戦服を着た細みの男。自分と少女の隣にスーツ姿の青年が乗っている。
現状を確認してから彼は気を取り直し、運転手に向かって、
「待て。お前達は俺をどこへ連れて行くつもりだ?」
間の抜けた質問だと思うが、宗介の英語での質問に、彼の隣に座る少女の方が少し呆気に取られて訛った英語で答える。
「あなた、日本人じゃないの?」
「日本人だ。でも、英語は判る」
彼女は少し驚いた様子で宗介を見ている。何せ諸外国の人間には「日本人は英語が話せない」という事が通説になっているような所があるからだ。
「……ごめんなさい。無関係なあなたを巻き込んでしまって。謝ります。ごめんなさい」
急にしおらしく済まなそうな顔で頭を下げる彼女。
「それに、何か恋人と喧嘩しちゃったみたいだし」
「…………」
「ともかく、あのままあそこにいたら、今度はあなたの命が……と言いたい所だけど、あの身のこなしはとても素人とは思えなかったし。何かカラテとか武術をやってるんですか?」
宗介は無言のまま答えなかった。
「お嬢さん。お怪我はありませんでしたか?」
運転している固太りの軍人がぼそりと短く問う。彼女はふん、と鼻を鳴らして、
「これでもお父さんから護身術を叩き込まれてるもの。ちょっとおとなしくしてたら向こうも油断してたみたいで、あっさり切り抜けられたわ。これで明日日本に戻れそう」
と携帯電話を取り出して得意げに語る。電話をかけっぱなしにして逆探知させていたようだ。
「それは何よりです。しかし、あまり我々の心労を増やして頂きたくはありません。ただでさえ近頃は物騒なのですから」
ここシンガポールは比較的治安のいい国だ。それでも犯罪行為がないという訳ではもちろんない。気を緩めればスリや置き引きなどもいくらでも寄ってくる。
車は台風のような風の中、微妙にふらつきながらどこかに向かっている。そんな折、後部座席にいた男が静かに口を開いた。
「とりあえず、彼に自分達の身分くらいは明かすべきだと思う。巻き込んでしまったお詫びもあるでしょう?」
どこか優雅な印象のある独特の声が車内に静かに響いた。宗介の方を見つめ、軽く会釈する。
「では、まずは僕から。僕はドラン・エル。さる兵器製造会社勤務の人間です」
波打つような銀色の髪に薄いグレーのスーツ。不思議と貴公子然とした雰囲気を感じる青年だった。宗介だけはそれ以外にも何か不穏な気配を感じていた。
「あたしはサラ・ポーリアン。お父さんはシンガポール海軍大佐だけど、こう見えてもあたしは親日家のつもり。日本の大学に留学もしてるし。そこにいる人と運転している人はお父さんの部下の軍人さん」
宗介は何となく自分の上官の「大佐」を思い浮かべていた。
サラが説明している間、ドランと名乗った男が静かに宗介を見つめていた。まるで値踏みするような視線で見つめられ、
「ドラン、とか言ったな。俺に何か用か?」
警戒心をむき出しにしたその表情を見た彼は肩をすくめて、
「不快な気分にさせてしまったのなら謝罪します。ただ、僕の憧れの人のボーイフレンドによく似ているもので」
そう言うと正面を向いて座り直す。
「とりあえず、彼をどこか安全な場所まで送りましょう。その後……」
「伏せろ!」
宗介はそう短く叫ぶと、サラとドランの頭を押さえて伏せさせる。直後、後部のガラスに数発の弾痕が刻まれ、車体が小刻みに揺れる。
防弾ガラスゆえに割れはしなかったが、ガラスは惨たらしい事になっている。
それにしても夕暮れとはいえ町中での発砲とは。向こうはかなりなりふり構わない性分のようだ。
「どうやら、先程の男達が追ってきたらしい。逃げるのか、応戦するのか?」
無数の亀裂が走ってろくに見えないガラスの向こうを見つめ、宗介が二人の軍人に訊ねた。
「ここまでしつこく追ってくるという事は、彼女の身柄が目的なのか?」
「ええ。あたしを誘拐して、身代金でもとるつもりでしょう。お約束ね」
サラが、まるで他人事のように宗介に説明している。野戦服の男が、
「そのため、我々が極秘に救出する事になりました。あいつらはここシンガポールに拠点を置くテロリストです」
テロリストというよりヤクザだなと思いはしたが、なるほどと宗介も納得する。これなら、先程のやり取りも理解できる。
しかし、そんな車になぜドランが乗っているのだろう。
宗介がそう思った事を見透かすように彼が口を開いた。
「僕がここにいるのは、シンガポール軍と利害が一致しているからです。僕の会社が売り込もうとしているアーム・スレイブが、テロリストである彼等に強奪されたからですよ」
どこの業界でも新参者は辛い。そこで実物を持って売り込みにきた所を強奪されたそうだ。
「極端に言えば、僕達は人殺しの機械を売っている訳ですが、それでもテロリストに奪われたとあってはブラック・ユーモアにもならないでしょう。お恥ずかしい話です」
と寂し気に呟くドラン。
「さすがに市街の中では単発的な銃撃戦が限界でしょうけど、その外に出たらどんな襲撃があるか……」
しかし、このまま町の中を逃げ回る訳にもいかない。極秘である以上援護も頼めない。
おまけに<ミスリル>は極秘部隊である。自分の正体を明かす訳にもいかない。
さすがの彼もどうしたものかと思案していた。


その頃、マオは部隊の方に帰還の遅れと制圧任務の報告を行っていた。
「……はい、大佐。天候が回復次第、そちらへ帰還します」
『判りました。悪天候では仕方ありませんね。今日はゆっくりと休養をとって下さい。明日から、また忙しく働いてもらわないとなりませんから』
通信機から優しげな少女の声が聞こえる。マオ達の部隊の最高指揮官のテレサ・テスタロッサ大佐だ。
まだ宗介と同じ年代の少女だが、その地位に相応しい能力がある事は部隊の皆が知っている事だ。
マオはプライベートでも彼女と親しいが、任務中は分別をわきまえている。
それから二言三言言葉をかわした後、通信を切った。
「どうよ、姐さん?」
近所の店で食べ物を調達してきたクルツが訊ねる。
「報告は済ませたわ。とりあえず、天候が回復するまでは動きようがないわね。雨がない分まだマシか」
そう言って窓の外を見る。もうそろそろ日が暮れる頃だが、風はまだまだ弱くなる兆しを見せず、台風を思わせる強風が吹き荒れている。
「そうだよなぁ。こんな嵐じゃなかったら、どっか行ってパーッと酒でも飲んで……」
「そう言えばソースケは? 電話にしては随分とかかってるわね」
クルツは買ったばかりの缶ビールを袋から取り出して、それでマオを指差す。
「恋のテレホンを邪魔するのも野暮ってもんだろ?」
その時、情報部の男も戻ってきた。だが、その表情は冴えない。
「何かあったの?」
マオの気楽な問いに、情報部の男は暗い顔のまま、
「先程あなたの報告であった『追いかけていた車』ですが、間違いなく目標のテロリストのメンバーでした。死亡した者はいないようですが、先程救急車で全員病院に運ばれたそうです」
それから走り書きしたメモを見ながら、
「それから、先程『ウルズ7が地元民らしい少女と、このホテルを出て車で移動した』と報告がありましたが、何か命じているのですか?」
その言葉に、リラックスしきったマオとクルツの表情が変わる。
「な、何よ、それ!?」
「あの野郎。ちゃっかり女をナンパしやがったのか!?」
クルツはすかさずマオに裏拳で小突かれる。その二人の反応を見た彼は、
「では、作戦行動外の行動という事ですか?」
マオは手早く荷物をまとめながら、
「どうせ尾行してるんでしょ? 今すぐ車を準備できる?」
「雑作もありませんが」
「じゃあ急いでお願い。こっちも追いかけるわよ」
缶ビールを飲もうとしているクルツの背中を軽く蹴飛ばし、バタバタとホテルを後にした。
情報部が用意した小型車に三人が乗り込む。風はますますひどくなり、小さな車が風に押されて酔っ払い運転のようにふらふらとする。
「あ〜あ。所詮俺達に休息なんて無縁なんだな〜。ビールも飲み損ねるしよぉ」
クルツがぶつくさ言いながらステアリングを操り、強風の中を進んでいく。情報部の男は後部座席で携帯電話や携帯式のGPS搭載型デジタル・マップで情報をやりとりしている。
「ウルズ7を乗せた車はイースト・コースト・パークの方へ向かっています。この風ですから観光客などはほとんどいないでしょう。『多少なら』騒いでもどうにかなると思います」
クルツは道を聞きながら急いでそこへ向かう。ここからそれほど離れていないからだ。
だが、ここシンガポール市街は交通規制や一方通行が多く、場所によっては有料道路でもないのに追加料金や税金を取られる。
その為、少し先へ行くのにとんでもない足止めを食ったり、遠回りをするなどしょっちゅうだ。
「あの野郎、何考えてやがんだ? しかも女連れだと!? ふざけやがって……」
信号で止まったクルツのぼやきが次第に大声になってくる。
「まぁ、理不尽に事件に巻き込まれただけなんじゃないの?」
助手席に座るマオは何となく窓から薄暗くなった景色を眺めている。その時、クルツが少し考えるそぶりを見せ、
「姐さん。まさかとは思うんだけどさ。確かホテルに入る時『目立たぬよう民間人を装え』って言ってたよな?」
「言ったわよ?」
それから数秒後、二人は顔を見合わせた。
そう。相良宗介という人間はとても生真面目だが、戦闘以外では不器用な部類に入るのだ。おまけに不器用なのに、言われた事は嫌味なくらい律儀にきっちりと果たそうとする。
しかし戦闘行為ならまだしも、それ以外の事は「壮大なる」勘違いをしてしまう時がある。
時にはからかうネタになるその性格が、悪い方向に働いているとすれば……。
信号が青になった瞬間、クルツはアクセルを思いきり踏みつけた。


宗介達の乗るライトバンはシンガポール南東の海岸沿いに広がるイースト・コースト・パークを平走していた。
シンガポールの一大ビーチ&パークであるここも、この強風では人影もほとんどない。
後ろを見れば車がぴったりくっついてくる。さすがに向こうも日が落ちれば派手に撃ってくる事はない。
「このままでは追いつかれるな。せめてお嬢さん達をどうにかできれば……」
運転する方が小声で呟く。宗介もこのまま逃げ続ける訳にはいかない事は承知している。
ここで身分を明かしてしまおうかとも考えた。しかし「民間人を装え」というマオの言った事も判る。
「どうしたの、ソウスケくん?」
隣のサラが心配そうに訊ねる。向こうからすれば「無関係な民間人が逃走劇に巻き込まれているのだ」と見られているのだから無理もない。
宗介は無言のまま周囲を警戒していた。町中でも発砲を辞さないような荒っぽい連中が、次にどんな事をしでかすか……。
海の方を見た宗介は、自分の目を疑った。
そこから見えたのは、海の中から巨大な人影が姿を現した所だったからだ。
間違いない。人型兵器――アーム・スレイブだ。それも、今まで見た事のない型だ。
全体的なシルエットは頭部のないゴリラといった感じだ。カラーリングは濃紺。センサーとおぼしきものが胸の辺りに見える。
太めの手足が鈍重そうな印象を与えているが、アーム・スレイブ自体時速一〇〇キロで平地を走るなど雑作もなく行う。あっという間に追いつかれる事は火を見るより明らかだ。
市街にASを持ってくるとは何という無茶苦茶さだ。宗介は顔をしかめてASを見つめている。
車内の他の面々もそれに気づき、顔が青ざめている。そんな様子が見えているのか、追っていた車はすっと姿を消した。
「あれは僕の会社で製造された機体ですよ。名前は<ディスペル>です」
ドランが説明を加える。乗っているのはあのテロリストのメンバーに違いない。
「あの機体は『素人や練度の低い操縦者でも扱える』事を目指した機体です。しかし、機体性能が低い訳ではありません」
まるで自慢するように語るドランに、サラが突っかかる。
「あのねぇ! あなたの会社が作った物なんでしょう!? どうにかならないの!?」
「残念だがどうにもならない。僕はASには乗れないから。それに、ASに対抗するにはASが一番なのは確かだよ。少なくとも、この車では太刀打ちできないだろうね」
まるで他人事のように語るドラン。しかし言っている事は事実だ。対AS用の火器すら積んでいない車など向こうにとっては障害物にもならない。
ディスペルはみるみるうちにこちらとの距離をつめ、あっさりとその手が車を捕まえる。
「きゃあああっ!」
前に進もうとする車が後ろからASの手に掴まれて進めない。タイヤが空回りするかん高い耳障りな音が響く。
ASは勝ち誇ったように車をしっかり押さえつけようと微妙に力を込める。外装がびしびしといって凹み始めた。
(……もう限界だ!)
宗介は天井と背もたれの間に身体を滑り込ませて荷台に転がり込む。それから後部のドアに手をかけ、
「俺があいつをどうにかする。その間に君達は逃げろ」
窓から海の方をちらりと見ると、同じ型のASがもう二機海岸に姿を現した所だった。これ以上来られては対抗どころの話ではない。
「ドランとやら。あのASのコクピット・ハッチ強制開放レバーはどこにある?」
「人間でいう右の鎖骨の辺りにあるよ。……乗るのかい?」
素人がASに乗り込む。そんな前代未聞な事態にもかかわらず、涼しい顔でドランは言った。もちろん他のメンバーは目を丸くして驚いている。
「何考えてんのよ! いくら素人向けに作られた機体だからって、ホントに素人が乗れる訳ないでしょ!?」
サラの意見ももっともである。しかし宗介は、
「問題はない。俺は素人ではない」
それから後部のドアを勢いよく開け、車外に飛び出すと同時に答えた。
「専門家(スペシャリスト)だ」


ディスペルのパイロットは、慎重に手足を動かしていた。
何しろ「素人や連度の低い操縦者でも扱える」と言ってはいたものの、彼は基礎的な事しか学んでいない。迂闊に力を込めれば車ごと「目的の」人物を握りつぶしかねない。
そうなれば組織の目的は果たせない。その上ボスに「粛正」として殺されるのは間違いない。
しかし、そのボスを始めとしたほとんどのメンバーが警察に捕まっている事を、サラの誘拐の為ずっと別行動をとっていた彼等のチームは全く知らなかったのだが。
そうして慎重になっている時、ライトバンの後部ドアが開いてそこから誰かが飛び出すのが見えた。
その人物は素早く機体に取りついてするすると上ってくるのだが、死角になっているのでコクピットからでは確認ができない。
人で言えばひざをついて両手で車を押さえている格好だ。そこから動くには時間がかかる。
車を離して振り落とすか。それとも……。
そうして悩んでいる間に、とうとう選択肢がゼロになった。
いきなり画面や電子機器のランプが消え、全関節がロックされる。圧縮空気のもれる音がする。
それから上の方から外気が入り込んでくる。そこを見た時に、額に冷たい感触が。
目だけでそちらを見ると、十代の少年が鋭い目つきで銃口を自分の額に突きつけていた。
「出ろ」
寒々とした殺気のこもった声でそう言われ、パイロットは慌てて降りようとするが、その少年に襟首を掴まれてコクピットから引きずり出された上に外に投げ出された。
それから少年――宗介はその狭いコクピットに滑り込み、ハッチを閉じた。
ジェネレーター再起動。バイラテラル角調整。マスターモードの調整。必要な設定を素早くこなしていく。
アーム・スレイブは「乗る」というより「着る」という感じの人型兵器だ。パイロットの行った「わずかな」動作を「増幅」する事によって動かす仕組みだ。
人によって癖や好みがあるので、いちいち設定しないとならないのだ。
ドランを除く車内のメンバーははらはらして後ろを見ていたが、
『エンジンを止めてくれ。手を離す』
ASから外部スピーカーで宗介の声が聞こえた時、車内の中ではドランを除く全員が目を丸くしたままだった。
「な、何者なのだ、あの少年は……」
「信じられん。我が軍にもあそこまで素早く操作できるものなど……」
「ソウスケくん凄い……」
ドラン一人だけが当然だなという雰囲気でなりゆきを見守っている。
『危険だ。離れていてくれ』
宗介の方から少しばかり離れると、腰のパイロン――兵装取付具にあったASサイズのサブマシンガンを片手で構える。
弾を確認する。大丈夫だ。入っている。
海から上がってきた二機のディスペルは、仲間が振り落とされた場面を目撃している筈だ。腰には同じようにサブマシンガンを装備している。にもかかわらず撃ってこない。
ただ、こちらを遠巻きに見つめているだけだった。
宗介は「先手必勝」とばかりに、相手めがけて発砲した。
サブマシンガンの弾丸が一直線に飛び、寸分の狂いもなく二機共に命中。そのまま引き金を引き続けて各部に弾丸を命中させる。
一機につき数十発ずつ弾丸を叩き込み、一旦射撃を止める。
手ごたえはあった。行動不能かどうかはともかく、ある程度のダメージは与えている筈だ。
しかし、彼の目論見はもろくも崩れる事になる。
撃ちこんだ筈の弾丸は、次々と塵と化して煙のようにたなびいている。
敵ディスペルは二機ともほとんど無傷だったのだ。

<後編につづく>


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