『赤道直下のワン・バイ・ワン 前編』
テロリストという物は、どこの国にもいるようだ。
こればっかりは年が変わろうが無くなる事はないらしい。
もともと「恐怖政治主義者」の事を言ったらしいが、要は「敵対する者に武力をもって威嚇・殲滅する者」である。
自分の思い通りにならなくて暴れる子供と、根は大差ないのだ。もっとも、こちらの方が周囲に与える被害は比べ物にならないが。
「正義」だ「秩序の回復」だと、どんな立派なお題目を掲げていても、結局の所自分達のやっている事は彼等と何も変わらない。
そんなジレンマを抱えつつ、テロリスト集団の制圧を命じられたのが三日前。
そして、赤道直下のシンガポール島に密かに潜入したのが二日前。
いろいろと情報を整理して下準備を終えたのが一日前。
今日は、乗り込んで行って直接制圧する。
それは判っている。
メリッサ・マオは無意識のうちに心の内で呟いていた。
二〇代半ばのアジア系の女性だ。ベリーショートの黒髪に吊り目気味の目が猫を思わせる。
その猫を思わせる彼女は、温暖多湿な気候にもかかわらずコートの下に防弾仕様の都市迷彩服を着込み、車の中にいた。
彼女はくわえていたたばこを狭い車内の灰皿に押しつけると、忌々しそうに「目の前の」目標を一瞥する。
目の前の目標――それは、シンガポール島西部の工業地帯にほど近い、MRTと呼ばれる電車の駅近くの小さなビルだった。
町のド真ん中と大差ないので、ミサイルを撃ち込む訳にもいかない。いくら器用さが売りの人型兵器――アーム・スレイブでも、こんなごみごみした町の中に持ってくる事はできない。
しかし、このテロリストは規模こそ小さいものの、武装の方はそこらの軍隊と比べてもひけを取らないほどらしい。
「観光で行くなら最高なんだけど」
彼女が命令を受けた時、思わず心の中で呟いてしまったのも無理からぬ事かもしれない。
「アジアの十字路」と呼ばれるほど、数多くの民族が完全に融合する事なく独自の生活・宗教・食文化を守り続ける独特の土地柄。
そういった様々な文化が交ざりあった、ここシンガポールを十二分に堪能し、ゆったりのんびりと心の洗濯。
極度の「退屈」を嫌というほど満喫できる、だらけた時間を持て余すのもいい。
それも、まだ見ぬ両想いの男と一緒なら言う事ナシかもしれない。
しかし――
『こちらウルズ6。ビルの周囲に人影はなしだ。突っ込むかい、姐さん?』
耳に入れたままのイヤホンから聞き慣れた声が。
ウルズ6ことクルツ・ウェーバー軍曹だ。マオのチームメイトで、金髪碧眼の狙撃の名手。悪気はないのだろうが、どうにも規律や品性に欠けるので、ある意味では「恋人には」したくない男だ。
『こちらウルズ7。こちらも配置についた。いつでも突入可能だ』
クルツとは別の男の声がイヤホンから響く。
ウルズ7こと相良宗介軍曹。彼もチームメイトだ。
まだ十代半ばの日本人にもかかわらず、紛争地帯で育ったが故に実力と実戦経験は並みのベテランをはるかに凌駕している。
生真面目だが社交性に欠け、常に無言の緊張感を漂わせた、ひいき目に見ても明るいタイプではない。クルツとは別な意味で「恋人には」したくない男だ。
『しかし、こんな昼間から突入をかけるのか? 夜を待った方が……』
宗介が珍しく作戦に異を唱える。無理もないだろう。こっそり突入するなら、夜の闇にまぎれて、というのが常套手段だ。
いくら「夜には人がいなくなる」といっても、こんな町の真ん中では人通りだって多い。
それに、情報通りなら五〇名近いメンバーのいる所に、突入するのがたったの三人。
どう考えても圧倒的に不利である。
「二人とも。ごたくはそれまで。『ウルズ』の肩書きが飾りじゃない所、見せてやろうじゃないの」
マオは無線で不敵にそう言うと、武器を隠した鞄を持って車を下りた。
とことこと無防備にビルに近づく。その時、マオは何となくだが思った。
(ホントに銀行強盗かギャングね、あたし達)
「それじゃ行くわよっ!」
イヤホンマイクに、小声だが力一杯の思いを込めて叫ぶと同時に、ウルズ2――メリッサ・マオ曹長も正面からビルに殴り込んだ。
多国籍構成の極秘対テロ組織<ミスリル>。
歴戦の猛者が揃う<ミスリル>作戦部のSRT――特別対応班の中でも、最高の戦闘員に与えられるコールサイン『ウルズ』を持つ三人は、真昼の小さなビルに一斉に突入を開始したのだった。


「よ〜し。順調順調。この様子なら、予定より早く目的地に到着できそうね」
制圧が終わり、島の南部を走るパシール・パンジャン・ロードを逃走する車の中で、マオは缶コーヒーをあおっていた。
軍隊並みの武装、と情報部は言っていたが、それにしては通常の銃器しか使ってこなかったし(町中という事もあるかもしれないが)、情報部の情報が間違いだらけだった事などよくある事だ。
別に情報部の手腕を信じていない訳ではないが、外部から調べる以上限界はある。
あのビルにいた全員は拘束し、地元警察に「匿名で」連絡を済ませている。どんな兵器であろうと、使う人間がいなくては意味がない。
「制圧は完了したが、まだ作戦が終了した訳ではない」
むっつりとした顔のまま、宗介が不粋にしか聞こえない意見を挟む。
「判ってるって、んな事は。気を抜くのと休むのは違うっての」
そう言いながらクルツの方は缶ビールをあおっている。
「クルツ。それはいくら何でもやり過ぎだ。それにアルコールは……」
「『脳細胞を破壊する』だろ? それ何万回言ってんだよ。第一、これノン・アルコール・ビールだぜ」
運転席でぼそりとツッコミを入れる宗介の言葉を遮り、クルツが後部座席から大声でツッコミかえす。
「それとも『家に帰るまでが遠足です』ってか?」
そう言うと一人でゲラゲラと笑い、クーラーボックスからバナナを取り出し、皮を剥いて頬張った所に、マオの鉄拳が振り下ろされる。
運転する宗介も「何を言ってもムダか」と言いたそうに後ろで始まった小宴会をちらりと見て、車を走らせ続ける。
すると、先程から後ろを走っていた車がスピードを上げてきた。
宗介は、その時背後から殺気を感じ、同じようにスピードを上げる。
「ソースケ、どうしたの?」
いきなりスピードを上げた事に違和感を感じたマオが宗介に訊ねる。
しかし、宗介が答えるより早く、後ろの車が発砲してきた!
三人はとっさに身体を伏せ、しまっていた銃を素早く握る。
「何だ? 強盗か?」
クルツはそう言いながら、伏せたまま鏡を使って背後を確認する。すると、助手席の窓を全開にして身体を半分出し、サブマシンガンを構えている男が見えた。
「強盗にしては手口が荒っぽいぜ、ったく」
それを確認した彼は鏡を引っ込め、得意のライフルを足下から引っぱり出す。
「あの男は、命令書にあった今回のテロリストのリーダーではないのか? 添付された写真と特徴が合致している」
アクセルを力一杯踏みつける宗介が、ちらちらとバックミラーを見ながら言った。
場違いなくらいに冷静な彼の台詞に、クルツはもう一度鏡をそっと出して確認する。
「あんな男だったっけ?」
首をひねるクルツを見つつ、マオもその鏡を覗き込む。
「……ちょっと。さっき突入した時、あいついた?」
「さぁ。俺、いちいち人の顔を見ながら撃ってないし。ソースケ、お前はどうだ?」
「少なくとも、俺が制圧した場所にはいなかった。マオかクルツが倒したものと思っていたが……」
マオは、その二人の答えを聞いて「あちゃ〜」と言いたそうに頭を抱えたくなった。
おそらく、三人が突入した時に外出していたのだろう。順調な時ほど単純なミスに気をつけなければならないのに。こんな事、とても報告できやしない。
そう言っている間も、後ろから派手にマシンガンを撃ってくる。
微妙に左右に車体を振って直撃は免れているものの、すでに後部のガラスは大破し、伏せたままのマオとクルツの背中にその破片が降り注いでいる。車の現状を想像したマオは、
「しかし、これじゃあ返すに返せないわね。どうする?」
「しょうがない。乗り捨てようぜ。どうせレンタカーなんだから」
クルツが気楽な感じで答える。
「乗り捨てるにしても、後ろの車を振り切らねばならん」
宗介にもだいぶ焦りが出たらしく、ハンドルを握る手にも力がこもる。
ここは観光地から離れた海岸沿いの道路だ。人影も車も決して多いとは言えない。それだけに身を隠せる場所など皆無である。というよりもこのまま行けば町を巻き込みかねない。
「しょうがないわね。『攻撃は最大の防御』。ここであいつを倒すわよ」
マオはそう言うが、手持ちの武器といえば残弾数の少ないサブマシンガンとライフル。それに各自の持つ自動小銃くらいだ。
閃光と轟音を発するスタン・グレネードもたった一つ残っているが、屋外で使う場合さほどの効果は期待できないし、閃光で目くらましをしたくても、一本道ではやるだけ無駄だ。
武装した車とやり合うには、いくら何でも貧弱な装備だ。これで制圧するには、いくら<ミスリル>最高の戦闘員でも少々酷かもしれない。
ふと、唐突にクルツが言った。
「姐さん。クーラーボックスに、まだ何か残ってる?」
「クルツ。こんな時に何のんきな事を言っている?」
宗介がしかめっ面で諌めるが、マオの方は、
「え? ノン・アルコール・ビールがあと二本に、よく判らない一〇〇パーセント果汁ジュースが三本かな。バナナも四本ばかり残ってる」
そこまで言って、マオもクルツの考えている事が判った。
「あんた。まさかバナナの皮踏ませてスピンでもさせる気?」
「あったり〜。さすが姐さん、察しがいい」
「あのねぇ。タイニー・トゥーンじゃないんだから」
あまりに子供じみたアイデアに呆れ顔のマオだが、現在の火器だけで渡り合うにはきつい事は判っている。
現在ある物を最大限に活用し、勝利を勝ち取る。戦闘の基本である。
「判ったわ。使うにしてもより効果的に、ね」
そう言うと、バックパックから付近の地図を取り出し、考えを巡らせる。その間にも後ろからマシンガンを撃つ音が響いてくるが、少し車間距離が開いた為にほとんど届いていない。
「……よし。次のカーブで仕掛ける。合図したら、このバナナとクーラーボックスの中身、全部後ろにぶちまけて」
クルツはもったいなさそうに中身を見つめた後、いつでも放り出せるように待機する。
マオの方はスタン・グレネードを持ち、これまたいつでも放れるようにタイミングを計る。
やがて、前方に大きな左カーブが見えた。右側は断崖絶壁。下は海である。
マオは足でリズムをとってタイミングを計っていたが、
「今よ!」
その合図でクルツがガラスの割れた窓からクーラーボックスの中身を乱暴に後ろにぶちまけた。バナナやまだ封を切っていないビールやジュースが後ろに飛んで行く。
時速一〇〇キロ以上で走行している車から放り出された物だ。車間距離があったとはいえ、あっという間に放り出された物が車に到着。
さすがにバナナや缶が飛んでくるとは思ってなかった向こうも一瞬慌てる。その一瞬が命取りになった。
地面を転々と転がったバナナやジュースがタイヤの下敷きになる。さらに、ボンネットやフロントガラスにごんごんとぶつかる物もある。
その時、マオは後ろの車のフロントガラスめがけてスタン・グレネードを破裂させたのだ。
彼等の車の後方で激しい閃光と轟音が荒れ狂う。
もちろん、これらがマオ達の行く手を遮る事はなかったが、投げつけられた車は違っていた。
わずかに不安定になった車体を立て直そうとしていた矢先に閃光と轟音が襲いかかったのだ。運転どころではない。
数秒後、車はガードレールに激突し、そのまま動かなくなる。
その様子を確認したクルツが拳を握ってガッツポーズを決める。
「よし、狙い通りだぜ」
「だが、また追っ手が来るかもしれん。今のうちに距離を稼いでおこう」
宗介はさらにアクセルを踏み、一刻も早くその場から離れようとする。
ふと外を見ると風が強くなってきているらしく、木が激しく揺れ出している。
「予報では何も言っていなかったが、天候が変わるかもしれん。急いだ方がいいな」
風でふらふらとしないように気を使いながらスピードを上げる。
だが、作戦が成功した割にマオはあまり浮かない顔だ。そんな彼女を見て、クルツが声をかける。
「どうしたんだよ、姐さん」
マオはクルツを見て、さらに宗介を見て、それからガラスや外装がボロボロの車を見ると、
「いや。どうしてこのメンツだと、スマートに作戦遂行ってならないのかしらね?」
がっくりとうなだれたマオは、静かにため息をつくのだった。


それから車を飛ばし、日が暮れる前にチャイナタウンに到着。車を乗り捨てた後、安ホテルの一室で<ミスリル>情報部の男と合流する。
ここで彼等の調達した小型船で沖へ行き、そこで船を乗り捨てて自分達の部隊の潜水艦へ乗り込んで作戦終了。
……となる筈だった。
「無理です。この風で港を出るのは自殺行為です、曹長」
一行を出迎えた<ミスリル>情報部の男は淡々と答えた。
「風が恐くて傭兵なんか勤まらないわよ。どうせ海上で乗り捨てるし、何とかするわよ」
マオは、自分より大柄だが細みのその男の胸をどんと叩く。が、その男は眉一つ動かさず、
「我々情報部は、あなた方作戦部の活動と危険が最小限となるように手配するのが仕事です」
まるで執事のように淡々としているが、迫力は実戦で命のやり取りをしているマオに負けていない。
「あなた方が身体を張って事態を収拾するように、我々も総てをかけて任務に従事しています」
「姐さん。しょうがねぇよ。明日になれば風も止むって言ってんだし、テッサだって判ってくれるって」
都市迷彩服から平服に着替えたクルツが、ヒートアップしているマオの肩をぽんぽんと叩いて止める。
確かに自然が相手ではどうにもならない。いくら<ミスリル>最高の戦闘員でも、自然が相手では戦いようもない。
「……飛行機も、無理なのか?」
同じく平服に着替えた宗介が、じんわりと脂汗をたらして情報部の男に聞いた。
「強風の為、総ての便が欠航というニュースがありました」
その答えを聞いて、むぅと言葉につまる。
色々と諸事情があって、一高校生として日本に住んでいる彼は、ここで皆と別れて東京に戻る事になっていたのだ。
「何だよ。またカナメちゃんか? いや〜、お熱いこって」
手でぱたぱたと扇ぎながら、クルツがにやにやしながら宗介の方を見ている。
「ああ。『百人一首』とやらを、明日の日曜に教えてもらう事になっていた。期末テスト以降は、ほとんど東京にいなかったからな」
宗介は、いつも通りのむっつり顔でぼそりと答える。
「大変ねぇ。副業持ちの兵隊は」
マオの方も心底彼の処遇には同情している。
「じゃあ、カナメちゃんに電話した方がいいんじゃねぇのか?」
宗介はしばし黙考したのち携帯電話を取り出した。それを見たクルツは、
「……お前。俺が言わなかったら連絡する気なかったろ?」
「帰ってから事情を説明しようとは思っていた。今はまだ任務中だ。何があるか判らん」
その返答を聞いたクルツは、宗介に「来い」と合図して、二人で部屋を出て行く。クルツはドアを後ろ手に閉めると小声で、
「あのなぁ。こういう時は、すぐさま電話してやるもんだよ。今回はこっちの仕事だってカナメちゃんに言ってるんだろ? 心配してるに決まってんじゃねーか。声くらい聞かせて、安心させてやれよ」
「そういうものなのか?」
ずっと戦争漬けの人生を送ってきた為に、戦闘行為以外での知識がまるでない宗介には、そういった微妙な人間関係に関する事はほとんど察知できない。
真面目にそう聞いてきた宗介の頬を、クルツは指で摘んでグイグイと引っ張る。
「心配してるに決まってんだろ? 普段からあれこれ面倒見てくれてんだから」
「確かに千鳥には色々と世話になっている。しかし……嫌いな人間の心配などするだろうか?」
「は?」
クルツの目が点になった。
もともと宗介が日本にいるのはカナメ――千鳥かなめの護衛が目的だ。
確かに、戦争のない日本で「戦場での」物差しでしか物事に対処できない為に、様々なトラブルを巻き起こしている事はクルツもよく聞いている。
何かしでかす度に、宗介はかなめに「力ずくで」止められ、諌められている事も。
そのつど言葉のあやで「うるさい」「黙れ」「やかましい」「最低」「大嫌い」などと言われているのだが、どうやらそれを真に受けているようだ。
「お前なぁ。人の言葉を額面通りに受け取るなよ。嫌いな人間の面倒見るわけねーだろ」
「俺は千鳥から金を受け取った事などないぞ?」
少々首をかしげつつ宗介が訊ねると、クルツは、
「何でそこで金が出てくるんだよ?」
「『額面通り』と言っただろう?」
そこで、クルツは何万回目かの「ダメだ、こいつは」というため息を一つつくと、
「とにかく、カナメちゃんに電話入れとけ。時差考えるの忘れんなよ」
そう言って部屋に戻って行った。
確か、シンガポールと日本の時差は約一時間。時計を見ると現地時間で一八〇〇時過ぎ。日本は一九〇〇時過ぎだ。この時間なら家に帰っているだろう。
宗介は部屋から離れると、歩きながらポケットに入れた携帯を取り出してかなめの家に電話をかけた。
一回。二回。三回目のコールでかなめが電話に出る。
『もしもし、千鳥ですけど』
「千鳥か。俺だ」
『何よ、ソースケ。今任務中じゃないの?』
どこか驚いたような声が携帯から聞こえてくる。宗介は人気のない階段の踊り場まで来ると声を潜めて、
「確かにそうなのだが、予定が変更になった。今こっちは風が強くてな。船も飛行機も欠航なのだ。これでは明日の午前中に帰る事は不可能だ」
『さっきラジオで言ってた』
しょうがないわね、と言いたそうな力の抜けた声がした後、
『あ。勘違いしないでよ。別に、あんたが心配だから情報をチェックしてたとか、そういうんじゃなくって。たまたま聞いてたFMの番組の途中で「成田空港発着便情報」とかいうのがやってて、それで言ってただけなんだから。……ホントよ?』
急にあたふたとした早口で一気にまくしたてる。その変わりようを不審に思った宗介は、
「どうかしたのか、千鳥?」
『うるさいっ! とにかく、あたしはあんたの心配なんかこれっぽっちもしてないんだったら。攻撃しようが大怪我しようがあの世に行こうがご自由に。どうせ殺したって死ぬようなタマじゃないでしょ』
「殺されれば死ぬと思うが……」
ぼそりと言った宗介の言葉に、かなめはさらに早口になる。
『黙んなさい、あんたは! たまたまだって言ったらたまたまなの! 確かに昨日口聞いてた人が大怪我したり死んだりするのは夢見が悪いけど。心配ったってその程度よ』
宗介は彼女のあたふたとした早口を唖然としたまま聞いていた。やがて彼女は咳払い一つすると、いつも通りの調子に戻り、
『……とにかく、遅れるのはしょうがないけど、ちゃんと来なさいよ』
「……無論だ」
何か腑に落ちないものが彼の胸中を渦巻いていたが、とりあえず了承する。
『あ。そうだ。ついでに何かお土産買ってきて。遅れるんだから、そのくらいしてくれてもいいと思うけど?』
「千鳥。俺は観光でここに来ている訳では……」
『やかましいっ! 日本にはね「立ってる者は親でも使え」っていうことわざがあるの! 事情はどうあれ、遅れる時には手土産の一つも持ってくるもんでしょ!?』
再び雷のような彼女の怒鳴り声が携帯から響いてくる。宗介はわずかに顔をしかめると、
「了解した。君が喜びそうな物を、マオやクルツにも相談してみよう」
自分より二人の方が彼女が喜びそうな物を知っているだろうと判断しての事だ。しかし、携帯から聞こえてきたのは明らかに不機嫌そうな声だった。
『そのくらい自分で考えなさいよ。他人任せだと、そのうち脳ミソ錆びるわよ?』
「しかし、俺では君が喜びそうな物がよく判らん。買ってきて欲しい物があればそれを買ってくるが……」
その時、ジーンズに薄手の長袖シャツ姿の少女が階段を駆け下りてきた。宗介より少し年上くらいだろうか。手には果物ナイフを目立たぬように持ち、話し終えた携帯をしまいながら必死の形相でこちらに走ってくる。
その少女が近づいた時、「武器所持者の接近」という条件反射的にその手首を取り、その手を持ったまま流れるような動作で彼女の背後に回り、そのまま腕をひねろうとした時、彼の動きがぴたりと止まってしまった。
(しまった! 目立たぬよう民間人を装えと言われていたのだった!)
ホテルに入る時、マオからそう言われていた事を思い出す。こういう事が自然にできる民間人などいる訳がない。
宗介は、少女の背中で腕をひねり上げた状態のまま、脂汗を流して凝固していた。いきなり動きが止まった事に驚く少女は、
「あ、あなた何者なの?」
不思議な事に、その少女は「日本語で」宗介に質問する。宗介の方は一所懸命「こういう時普通の民間人ならどうするか……」と真剣に考えていた。そして、やがて出た言葉は、
「……殺される。助けてくれ」
その言葉を聞いて、腕を後ろで極められかけた少女は、本気で目を点にしていた。

<中編につづく>


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