『戦争のおこしかた 弐』
一同は美術館の隅にある喫茶室に通された。特に仏蘭西語がほとんど判らないマリアと紅蘭は、単に皆のあとに着いて来たという方が正しいが。
「どうやら叩き出されはしないようやけど……」
判らない言葉が飛び交う中、どうにも落ち着かぬ様子でちょこんと着席した紅蘭が、ぽつりと小声で漏らす。
「せめて英語なら問題はないのだけど」
マリアも周囲を警戒しつつ観察を続ける。グリシーヌやアンヴァイエの雰囲気から、自分達の来訪に怒りを感じていない事は読み取れたのだが。
「何かトラブルが起きたらしい。その解決に隊長やボク達の協力を得たいと言っている」
生まれは独逸だが、仏蘭西語の判るレニが、二人に小声で状況を説明する。
「はぁ? うちらいつから便利屋になったんや?」
「紅蘭。まずは話を聞いてからよ」
そんな二人のやりとりが終わると、グリシーヌが重く口を開いた。
「これから話す事は、どうか他言無用を厳守してほしい」
マリアや紅蘭に判りやすいよう、彼女は日本語で話し出した。その真剣な切り出し方に、その場の誰もが首を無言で前に倒した。
「……実は、展示予定の絵画が一枚、消えてしまったのだ」
グリシーヌが単刀直入に語り出したその内容は、大神達の想像を遥かに超えるものだった。
「それも、今回の美術展の目玉と言ってもいい『モザ・リナの微笑み』がな」
モザ・リナの微笑み。名前だけなら美術にうとい大神ですら知っている、名作中の名作絵画だ。
しかし。名作だけに過去切り裂かれるいたずらや盗難事件が後を立たないのでも有名だ。
そのたびに防犯設備を考えて対抗してきたのだ。その「防犯」に公開の停止を含めようかと論じられた事も一度や二度ではない。
特に一九一一年に起こった盗難事件では、背後に詐欺師の存在があり、その詐欺師が贋作を本物と偽って富豪達に高く売りつけていた事実も発覚したほどだ。
「貴公らが知っているかどうかは判らぬが、この絵を国外に持ち出す事には、かなり揉めてな。私やアンヴァイエ殿、シャトーブリアン伯が何度も交渉して、ようやく叶ったのだ」
それだけに、この絵が無くなってしまったと聞いた時の衝撃は大きい。
「一昨日到着してすぐ展示の準備が始まってな。モザ・リナはすぐ飾られた。そして昨夜までは間違いなくあった。それは警備員も使節団である我々も、この目で確認している」
「それが、今朝になったら無くなってた。そういう事かいな?」
紅蘭の言葉に無言で力なくうなづくグリシーヌ。
目の前に敵がいるのであれば、得意の戦斧で叩き斬ればいい。しかし、敵が存在しているのは判っても、どこに存在しているのかが判らなければ、戦斧など何の役にも立たないのだ。
「けど、それだけの名画なら、防犯体制はちゃんとしていた筈だろう?」
「ちゃんとしていた。手を抜いた覚えなどない。なのに無くなっているから問題なのだ!」
力一杯拳をテーブルに叩きつけ、グリシーヌが訴える。その迫力に問うた大神はもちろん、他のメンバーも気押されている。
「で、どんな警備体制やったん? ……あ、話せる程度でええから」
気を取り直して、という雰囲気で紅蘭がグリシーヌに訊ねる。もちろん全部を話してくれるとは思っていないが、判るのと判らないのとでは、対策の立てやすさも変わってくる。
グリシーヌもさすがにそれは話そうかどうか迷った。アンヴァイエと小声でやり取りした後、意を決して話し始めた。
「まず絵の前に常駐している警備員が二人。館内を巡回する警備員は二十人。館外にも総ての出入口に二人つけ、館外を巡回する警備員も二十人はいた筈だ」
こうした警備の知識がないので、この人数が多いのか少ないのかは判らないが、しっかり警戒していたであろう事は、大神達にも想像がついた。
「……なのに全員が夜間美術館に誰かが出入りした形跡がないと証言している。犯人は一体どこから入ってどこに消えたのか」
グリシーヌは「訳が判らぬ」と天を仰いでいる。
「その警備員って、全員仏蘭西から連れて来ていたの?」
「いや。モザ・リナの前は仏蘭西の人間だが、そうでない部分は日本の人間を雇っている」
それでもグリシーヌはマリアの問いにキッパリと答える。
「嫌な考えになるけど……厳選した人間が買収されている、もしくは入れ替わっている可能性も否定できないわね。モザ・リナの微笑みを盗むためなら、そのくらいの事は平気でやりかねない。そして、そうするだけの価値はあるわ」
「それはあり得ん。全警備員の氏名と顔写真、それから指紋までチェックしているのだ。途中で入れ替わっていればすぐ判る」
警備だけでなく、警備員に対する防犯体勢もしっかりしている。その用意周到さには感心するしかない。
「その場にカメラが設置してあればよかったんやけど……」
警備体制を聞いて考え込んでいた紅蘭が困った顔で頭をかいている。
写真を撮るカメラならともかく、映像を撮るカメラは、今(太正)の技術ではまだまだ大型機械だし、高価だ。
それでも映像を撮影するだけなら何とかなるかもしれないが、それを記録しておくとなると、どんなに頑張っても二、三時間に一度はフィルムを交換しなければならないだろう。その交換もあっという間に済む訳ではない。
「紅蘭。ハツメイで何とかならない?」
機械いじりを趣味として、日々「ハツメイ」に勤しんでいる紅蘭に、アイリスがそっと頼み込んだ。
「そうやなぁ。映像を撮る部分はどうにか小型化できても……肝心のフィルムを巻いておく部分の小型化が難しいんや。長時間の映像を撮るなら、どうしてもそこにぎょーさんフィルムを巻かなあかんし」
しかしそれだとフィルムが途中で切れるなどのトラブルも発生しやすくなる。第一(当時の)フィルムは案外脆い上に、非常に燃えやすかった。こうした場所に設置するには、少々心もとない機材だ。
だから、こうした警備にカメラを設置するようになるのはまだまだ先の事となる。閑話休題。
「それにしても。それだけの警備体制にもかかわらず、誰にも見つからずに盗み出したという事は、かなりの凄腕の仕業と見るべきね」
さすがのマリアも「お手上げ」と言わんばかりに嘆いた表情である。
「でも、それだけの事ができる凄腕の泥棒なら、むしろ数は限られるんじゃないか?」
大神の案に、一同が難しい顔で唸る。「凄腕の泥棒」と言われても、すぐに思いつく訳はなし。
強いて言えば一人だけいるが、その人物はこうしたやり方は決してしない筈だし、そもそもその人物は今日本にいる筈もない。
「ロベリア、教えてくれるかな?」
アイリスがポツリと「その人物」の名を呟く。ロベリア・カルリーニはグリシーヌと同じ巴里華撃団の隊員だ。そして同時に「巴里始まって以来の大悪党」とうたわれる犯罪者である。
任務はきっちりこなしているものの、そんな人物がなぜ華撃団に、と今でも言われているし、現にグリシーヌとは未だに水と油のような関係である。
「おそらく、無理だろうな。我らが困っているのを鼻で笑ってバカにするに決まっている」
グリシーヌが怒りをこらえた無表情顔で呟く。そして同時に「ありそうだ」と大神とマリアは肩を落とす。
「意外と『自分で盗みたかったのに』って悔しがるんやないですか?」
紅蘭が大げさに笑って言った。だが冗談と判っていても、それに笑う事はできなかった。むしろ「それもありそうだ」と大神とマリア、それにグリシーヌまでが肩を落とす。それを聞いたマリアも、
「確かにモザ・リナの絵画が来る事は新聞広告などで告知されているから、絵の存在そのものは外部の人間も知る事はできるわね。でも誰にも気づかれずに盗み出すなら、かなり綿密に内部の事を調べる必要がある。けど、そんなに短い時間で調べられるものかしら?」
彼女の発言には、その場の全員が考え込んでしまった。
そこで大神は、レニがこれまで一度も発言していない事に気がついた。ずっと口を結んだまま何かを考え込んでいるように見えないくもない。
「何か思いついた事があるのかい、レニ? あるなら言ってくれ」
言われたレニは、あまり強い確信を持ったようには見えないものの、ある程度の自信をもって口を開いた。
「やはり内部犯を疑った方がいい」
「なっ……」
いきなりレニの口から飛び出した言葉に、グリシーヌは言い返す事も忘れて絶句していた。
「説明してくれるかい、レニ?」
いち早く我に返った大神がレニに訊ねる。レニはそれにうながされ、口を開いた。それも仏蘭西語で。
『絵が最後に確認されているのは昨日。そして、無くなったのに気づいたのは今朝。そうなると、実際に絵を目にしたり触れる機会のあった人物はかなり限られる事になる』
まるで探偵小説のクライマックスを思わせるような、レニの淡々とした推理は続く。
『使節団。警備員。そして絵を飾る作業をした者。絵をどうにかできた人間はこれらに限定される』
そしてマリア達のために、同じ内容を日本語でもう一度話す。大神は何かに気づいたようにハッとなると、レニに詰め寄った。
「それじゃ内部に泥棒とつるんでる奴がいるって事かい?」
「それは断言できない」
大神の意見を間髪入れずに否定したレニは、また考え事をするように少しの間黙り込んだ。
「……どの人間も『美術館に誰かが出入りした形跡がない』と答えているという部分がひっかかる」
確かにそういう報告を受けたと、グリシーヌは言っていたが。
「それが真実であれば、侵入者でない人物の犯行。あらかじめ美術館の中にいた人間の犯行の可能性が高くなる。これは犯人にとっては疑いがかかる確率が高くなる。危険だ」
皆揃ってその言葉にうんうんとうなづく。
「もし『誰かが出入りした形跡がない』という証言が偽証だった場合は、泥棒と結託しているか内部の者そのものが犯人という事になる。どちらにせよ、真っ先に疑うべきは内部の人間という事になる」
「まあ、普通に考えたらそうなるわな」
レニの意見を紅蘭はアッサリと肯定した。しかし紅蘭は、
「あと無理矢理考えるとすれば、昼の間どっかに隠れてて、夜になったらひょっこり出てきて、朝になったらまた隠れたとか……」
出入りした形跡がないのであれば、そういう考え方もありかもしれない。
「しかし今朝美術館内をくまなく調べたが、隠れられそうな場所など全くなかったぞ。無論、隠れていた人間もいなかったがな」
グリシーヌが、紅蘭の荒唐無稽な想像に咳払いして止めに入る。だが紅蘭も本気でそう思っている訳ではないが、素直に「済みません」と引き下がった。
『しかし内部の人間と言ってもだな……』
もちろんアンヴァイエもその可能性を考えた。だが迂闊にそんな行動をとって調べ出せば、誰しもが疑心暗鬼に陥ってしまうだろう。
この美術展を成功させるには、スタッフ一同が協力して当たらねばならない。そんな状態で皆が協力しあえるとは到底思えない。
それが判っているだけに身内を疑うような真似はしたくなかった。だが犯人、それ以上に絵画は何としてでも見つけなければならない。
無くなった原因はまだ判らないが、これはもはやグリシーヌ達の不手際だけで済む問題ではない。事件が起こったのは日本国内なのだから、もはや大神達にとっても他人事ではない。
もしこのまま事件が発覚した場合、この美術展を企画・協賛した企業や個人が、国内外から非難を浴びる事は間違いない。何せ仏蘭西国内にも、モザ・リナの他国への持ち出しを反対した人間は数多いというのだから当然だ。
その責められる人物にグリシーヌやアンヴァイエはもちろん、アイリスの父までいるのだ。放っておける訳がない。
そして仏蘭西政府やルーブル美術館関係者はものすごい勢いで日本政府を糾弾してくるだろう。
そうなれば間違いなく現在良好を保っている日仏間の感情が一気に悪化する。悪化で済めばまだいいが、下手をしたら国家間の戦争に発展しかねないインパクトが、その絵画には間違いなくある。
だから何としてでも絵画を見つけなければならない。事件が発覚する前に。誰にも知られないように。
「はぁ……こりゃ便利屋どころの話やあらへんな」
口調とは裏腹に、真剣な表情で悩む紅蘭。事の重大さをしっかり認識したからだ。
「ですが……我々はこうした捜査は素人ですよ?」
マリアがグリシーヌとアンヴァイエに向かって言う。グリシーヌは手早く仏蘭西語訳してアンヴァイエに伝えると、彼は口を開いた。
『今必要なのは有能な人物ではない。信頼できる人物だ。だからわたしは東洋人である彼を信頼できる人物と見込んで信用した』
この日本を東の果ての小さな島国。文明文化の中心地=西欧から遠く離れた僻地の人間として格下に見ている西欧人にしては、かなり柔軟な発想の持ち主だ。巴里の空気を実際に肌で感じていた大神にはよく判る。
露骨な差別を向けられる事は少なかったが、言動の端々にそれらが覗いていたからだ。幸いにして彼の周囲には差別意識を向けてくる人間の方が少数派だったが。
その時、大神の視界の端に一瞬だけ白い人影が見えた。だが他のメンバーはそれに気づいていないらしい。
「あの、すいません。お手洗いはどちらになりますか?」
少々照れくさそうに笑いながら大神が訊ねた。グリシーヌは「相変わらず場の空気が読めん男だな」と顔をしかめたが、きちんと指を差して教えてくれた。
大神は軽く頭を下げて謝罪すると、一目散に駆け出して行った。
この美術館のトイレは、海外の人間が来る事を想定して、総て西欧風の造りになっている。大神は個室の方に入ると、後ろ手で扉を閉め、鍵をかけた。
「何か用か、加山?」
何となく天井を睨みつけながら、大神が小声で言った。するとどこからともなく、
(相変わらず事件に巻き込まれているな、大神)
どこか人を小馬鹿にしたような低い声が小さく返ってくる。
声の主は加山雄一という。大神とは海軍兵学校時代からの親友である。今では帝國華撃団の情報収集部隊・月組の隊長職を勤めている。
彼なら誰にも気づかれずにこうした建物に潜り込むなど雑作もあるまい。
(今回のこの絵画盗難騒ぎだが……明らかに内部犯。それも警備員の仕業だ)
加山の情報に驚きつつも、大神は彼の言葉に耳を傾ける。
(グリシーヌさんが「夜間美術館に誰かが出入りした形跡がない」と言っていたが、それは本当だ。昨夜は美術館の中とその周辺に警備員以外の人間はいなかったしな。うちの隊員もそれを確認している)
基本的に霊的防衛が任務の帝國華撃団だが、その引き金になる事件はどこで起きるか判らない。彼らの情報網はそれこそ帝都中をくまなく覆っていると言っても過言ではないのだ。
(それに霊力や妖力を持った者が、その力で入った様子もない。それも確認済だ)
極めて高い霊力や妖力を持った者なら、瞬間移動のような真似も不可能ではない。現にアイリスは短い距離なら瞬間移動ができるし、物体を動かす事も可能だ。
「じゃあ万一、外部の誰かと警備員がすり代わってた、なんて事は?」
一応グリシーヌは「全警備員の氏名と顔写真、指紋をチェックしている」と言っていたが、念のために訊ねてみる。
(上手い着眼点だが、それはない。すり代えられたらしい人間が発見された様子もない)
自信を持って言った発言だけに、即座に否定された事が何となく悔しい大神。
「やっぱりレニが言った通り内部の人間の犯行という事になるのか?」
(そうなるだろうな。絵画にかけられた保険金目当てのニセ盗難事件という線もなさそうだし)
モザ・リナの微笑みには、それこそ一財産が築けるほどの莫大な保険金がかかっている。それこそこの絵一枚で保険会社がいくつも潰れかねないほどに。
(だってそうだろう? もしそうならすぐさま盗難されたと大々的に広めている。隠したりはしない)
確かに彼の言う通りだ。保険金目当てなら真っ先に情報を公開している筈だ。
「美術館から絵が消えている。これは事実だ。そして昨夜建物に人の出入りが全くなかった。という事は、犯人も絵もこの美術館の中って事か?」
(可能性はあるな。さすがにどこにあるかまでは、俺達でも調べるのは限度がある)
いくら情報収集能力に長けた月組でも、限界というものはある。大神もそこを責めるほど狭い了見の持ち主ではない。
「有難う、加山。警備員の仕業と決まっただけでもずいぶん気は楽だ。いつも済まないな」
(構わないさ。こっちの仕入れた情報がお前達の役に立つ事が、俺達の何よりの報酬だ)
小さく笑ったその声とともに、微かにあった彼の気配がかき消える。相変わらず大したものだと感心しながら、大神はトイレを後にした。
用を足していたと思ってもらうため、ちゃんと手を洗ってから。


大神がトイレから出ると、そこに待っていたのはアンヴァイエとマリアと紅蘭の三人だった。
「……あれ? グリシーヌ達はどうしたんだい?」
「モザ・リナの絵が飾ってあるところを調べると言って、先に行きました。レニとアイリスも」
マリアが淡々と返答する。おそらくレニの発案だろう。彼女の冷静な分析力は大いに頼りにできる。任せておいて心配はないだろう。
人数が多いのだから、全員が同じ事をするよりは、作業を分担する方が効率がいい。
「じゃあ俺達は別の事をした方がいいか」
独り言のようにそう言うと、大神はアンヴァイエに向かって、
『ところでアンヴァイエさん。警備員は全員調べたんですか?』
『ああ。館内担当の者は、全員調べた筈だ』
アンヴァイエは即座に返答する。
『では、館内はグリシーヌ達に任せて、我々は館外の警備員達を調べようと思うのですが』
『作業を分担する訳か。よかろう』
大神の考えを即座に察し、即承諾するアンヴァイエ。何事もパッパッと決めてしまうその雰囲気は、何故か江戸っ子を彷佛とさせた。彼は生粋の仏蘭西人だが。
アンヴァイエを先頭に歩き始めた一行。彼の歩みにふと疑問を感じた大神は飄々と歩く彼の隣に立ち、仏蘭西語の小声で話しかけた。
『アンヴァイエさん。どうしてそんなに落ち着いているんですか? 仏蘭西の宝とも云うべき絵が無くなったのに?』
大神のその言葉に彼は「そんな事か」と言いたそうに立派な口ひげを撫でる。
『部下の前で感情をあらわにしちゃいかんのだよ。特にオロオロうろたえるなど論外だ。上に立つ者はそうあらねばならん』
歩調は飄々としたままだが、口調はどこか悔しそうに震え、また固い声だった。
『年若い君ではまだ無理かもしれんが、心の内には止めておけ。これは会社でも軍隊でも同じ事だ。欧州戦争で嫌というほどそれを教えられたよ』
言われてみれば、事あるごとにオロオロうろたえる団体のトップなど、部下の誰が信頼するだろうか。着いてくるだろうか。
それを考えると、自分のように考えがすぐ顔に出てしまうような情けない指揮官に、花組のみんなはよく着いてきてくれたものだ。
そんな彼女達が有難く、また自分が情けなくなる気持ちを感じつつ、大神はアンヴァイエの後に続いた。
一方モザ・リナの絵画へ直接向かったグリシーヌ、レニ、アイリスの三人。
絵の周囲約一メートルほどのところにポールが半円状に立てられ、立入禁止を示すロープが張られている。
案内してきたグリシーヌは、絵に背を向け直立不動の警備員に一礼すると、今や額縁だけとなったモザ・リナの絵を指し示した。
「ご覧の通りだ。今朝気がつくとこうなっていた。無論額縁も調べたが、何もなかった」
レニとアイリスは無言で絵が無くなった額縁を見上げている。
「異変に最初に気づいたのは誰?」
レニは絵から目を離さずに、グリシーヌに訊ねた。
「常駐していた警備員が最初だが」
警備員の話では、明け方に交替の時間になり、何気なく絵を見た時に気づいたと言う。
しかし。背を向けていたとはいえ絵に張りつくも同然だった警備員達の目をどう盗んだのかが謎である。
「警備員以外では?」
「そうなると……確かアンヴァイエ殿だ。警備員の悲鳴を聞いて真っ先に駆けつけたそうだ。……まさか彼を疑っているのか!?」
確かに第一発見者が一番怪しいというのが通説だ。
「どういう人物?」
レニは絵から視線をそらし、グリシーヌを見つめてハッキリと訊ねた。激昂しかけた事を自覚したグリシーヌは、気恥ずかしそうに口をつぐんだ後、
「あ、ああ。我が国の武器製造業最大手・ピストレット株式会社のオーナーだ」
彼女の口から飛び出した単語に、レニとアイリスは驚きを隠せなかった。先程マリアの口から出た会社と同じ名前。ごく一部の人間とはいえ、軍物資の横流しに係わっていた会社。
「彼は日本の……ウキヨエといったか。その絵の蒐集家としても有名でな。仲間内では『使節団として来日したのは現地でウキヨエを買い占めるためだ』と言われているくらいだ」
「その会社って、ヨコナガシをしてたっていう?」
グリシーヌの説明を遮るようにアイリスの口から飛び出した単語に、グリシーヌは目を丸くすると、
「もう日本にまで伝わってしまっているのか。だが安心しろ。会社はともかく、アンヴァイエ殿個人が無関係な事は既に証明されている」
安心しろ、と言わんばかりのグリシーヌの態度に、レニもそれ以上の追求はしなかった。
それからレニは、絵に添えられた解説文をじっと眺めている。

モザ・リナの微笑み。油彩。縦七十七センチ横五十三センチ。ポプラ材。

「ポプラ材。板に描かれている分、持ち運べば間違いなく目立つ」
確かに木の板を丸めて運ぶ事などできない。無論折ったり切り分けたりするなど論外だ。
いくら夜で暗いからといっても、そんな板を持って歩いていたら、必ず誰かの目に止まる事だろう。
その時。レニの冷静な観察眼が奇妙な点をとらえた。ポールとロープを素早く飛び越えて絵に近づき、絵に貼り付くようにして一点をじっと観察している。
一方警備員は慌ててレニを捕まえようとするが、彼女は咄嗟に警備員を投げ飛ばしてしまう。
「何をしている!?」
グリシーヌの怒声はレニに向けられたのか警備員に向けられたのか判らないが、レニは微動だにしない。
「……糊の跡がある」
一点を見つめたまま、レニはいつもの口調で呟いた。

<参につづく>


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