『命賭けのMXC 後編』
「進路 →」という案内に従って宗介が次の「アトラクション」に移動する。
進路という割に、これら「アトラクション」の材料が入っていたとおぼしきダンボール箱やビニール袋が転がっていたりする様子を見ると、無性に「自分は今何をしているのだろう」と空しさすら覚える。
それに、嫌な予感や胸騒ぎ、虫の知らせといったものとは異なる、微妙な「違和感」を感じてもいた。「胡散臭さ」と言い換えてもいいだろう。
だが、そんな様子をおくびにも出さず、宗介は扉のない部屋の入口に到着していた。
例によって、部屋の入口に貼ってある手紙を読む。

ペイント弾を避けつつ部屋の向こうへ行けばクリア。制限時間は部屋に足を踏み入れてから一分以内。
塗料がついたら即失格。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
ただしあらゆる武器の使用は禁止!

真ん中の行がマジックで塗りつぶされているのと、一行目と三行目の筆跡が違う事が気になるものの、ここはどうやらペイント弾からいかに身を守るかが重要のようだ。
中をそっと覗き込むと、そこはガランとした小部屋だった。だいたい学校の教室と同じくらいの大きさか。
床には身を隠せそうな大きさの木箱がいくつか置いてある。対人地雷などのトラップを仕掛けてある形跡は全くない。
部屋の反対側にある出口までは一直線である。木箱がそのコースを遮る事はないが、実際には隠れるように移動しなければダメだろう。
問題は壁や天井だ。小さな穴からこちらに向けて銃口を突きつけている様子が、まるで見えているかのように自分に伝わって来る。のんびり走り抜けさせてはくれまい。
背中の荷物とサブマシンガン。合計約一〇キロほどの重さだが、「素早く」動くのには邪魔になるかもしれない。
だが荷物を置いて部屋の向こうに行った場合、荷物を回収ができなくなる恐れがある。いくら銃撃戦をするつもりがないといっても、こちらに武器がなくなった途端にその約束を反古にする可能性は充分にある。
そもそも、こんな「ゲーム」をいつまでやらせる気なのだろう。これは時間稼ぎで、自分をここへ足止めして相手は悠々と安全な場所へ逃亡を謀っている可能性もある。
そんな考えがちらと頭をよぎったが、同時にマオから何も連絡がない事も気になっていた。
宗介は携帯通信機の周波数を、マオと取り決めた物に合わせた。盗聴の危険がない訳ではなかったが、仕方ない。
「ウルズ2。そっちの様子はどうなっている」
コールサインの方でマオを呼ぶと、数秒間が空いて、彼女の声が聞こえてきた。
『こちらウルズ2。今工場の屋根の上。何人かには丁重にお休み戴いたわ』
それらしい物音は聞こえなかったが、そこは腕利き揃いのSRT。こっそり忍び寄って気絶させるなど雑作もない。
『とりあえず、工場の屋根に空いた一〇センチくらいの小さい穴の向こうに、アズラッドとカナメを肉眼で確認。あいつは中二階っぽい感じのところをウロウロしてるわ。距離は……ここから三〇メートルってトコ。気づいてる様子はなさそうね』
ここから逃亡はしていない事が判って、安堵する宗介。
「どうにかなりそうか?」
『アズラッドとカナメの距離が近すぎる。いくら何でもMARK23一丁で狙撃はキツイわ』
いくら威力がある四五口径拳銃とはいえ、それ一つで三〇メートル先の人間を「狙撃」するのは容易ではない。もちろん、普段はこれ以上の距離から的に命中させる訓練を積んではいる。
それに加え、足場は悪く狙う敵は小さい穴の遥か向こう。そんな悪条件をクリアできるのは作り物の世界だけだ。
もちろん当てられない事はないだろうが、リスクが高いと言っていい。マオの名誉のために言っておくが、これは射撃の実力とは別の問題だ。
MARK23は命中精度の高い銃だが、拳銃(ハンドガン)という名称は伊達ではない。手だけをどんなに伸ばしても遠くには届かないのだ。
『屋根の部分が骨組みごとイカレてるトコが多いから、ここからこれ以上近づくのは難しいわね。できたとしても、屋根の上って四階くらいの高さだから、そこから中二階にロープ抜きで飛び下りてカナメを確保するのもちょっと……』
マオのその言葉で、工場のどの辺にかなめ達がいるのか、宗介には見当がついた。
この建物の隅には昇り階段があり、その階段は広い踊り場のようなスペースに通じている。そこは中二階に見えなくはないだろう。その辺りは確か屋根が壊れているのだ。何の道具もなく近づくのはいくら何でも無理だろう。
『気絶させた連中もライフルは持ってなかったし、こっちも持ってきてないし……』
「判った。ともかく千鳥の存在が確認できただけでもいい」
その発言に、マオは小さく口笛を吹くと、
『はいはい、ごちそうさま』
そう言って無線は切れた。微妙にからかうような響きに感じた事に首をかしげる宗介。
ともかく、今はこの状況を切り抜ける方が先だと、その方法を思案していた。


そんなやりとりをしているとはつゆ知らず。アズラッドは隠しカメラの映像を覗き込み、
「……まだ入って来ないようだな」
部屋の中にはいくつか隠しカメラを仕掛けてあるが、部屋の外には仕掛けていない。単純に数が足りなかったからだ。
「やっぱり武器の使用を禁止は、いくら彼でも難しすぎたかな。変えなきゃよかったか」
彼が無線でそう直すよう連絡していた事だけは、かなめにも聞き取れた。英語だったが。
「何か、すっごい楽しそうですね」
落ち着きのない動物のようにウロウロしているアズラッドに、冷静に突っ込むように訊ねるかなめ。すると彼はそれを待っていたと言わんばかりに仰々しく両手を振り上げ、
「勝負事というのは緊迫感があるほど燃えるもの。どちらが勝ってどちらが負けるか判らない。それこそが勝負の醍醐味だよ。その醍醐味をたっぷり味わえているんだ。楽しくない筈がないよ」
その光景は、ベタなマッド・サイエンティストが自分に酔っている様を容易に想像させた。だがすぐさま無関心な表情になると、
「冗談だから本気にするな。勝負事で一番楽しい事は楽して勝つ事だ」
ここまでくると、怖いのを通り越してもう呆れるしかない。
かなめも幸か不幸かこれまで何度か「囚われの身」になった事がある。そのどれとも異なる雰囲気。うまく表現できないが、そういった物を感じていた。
もうつき合い切れんという気持ちと、宗介の重荷になりたくないという気持ちもあって、ここから逃げる事も考えた。
武器は当然持ってない。目の前の男を気絶させられる技術や腕力ももちろんない。しかし、足につけられた鎖つき鉄球をどうにかしないと逃げ切る事はできない事は判っている。
だがこれは、自分が懸命になってようやく少しだけ持ち上げられる重さなのだ。殴って壊れそうな物でもないし、投げつけて武器にできるものでもない。
それさえなければ、トイレのそばにある非常口からいつでも逃げ出してやるのに。
仕方なく、それでも策を練りながらこうしてチャンスが来るのを待っているのである。
ところが。あまりに来ない事にしびれを切らしたのか、アズラッドは無線機のスイッチを入れ、
「そろそろ来てくれないと困るんだけどねぇ。それともギブアップするかい?」
そのあからさまに挑発めいた言葉に、宗介は別に怒った風もない声で、
『武器の使用が禁止という事は、武器でなければ使って構わない、という事だな?』
わざわざこう切り出して来るという事は、何かやって来るな。そう思ったアズラッドは少し考える。
先程のように目くらましをした隙に抜けるつもりだろう。先の展開が読めないからといって、さっきやったのは失敗だったな。今度はそんな手は通用しない。いやさせない。幸い銃口の大半は入口周辺に向いている。入った途端塗料まみれにしてやればいい。そう言ってある。
アズラッドは「これ以上コケにされてたまるか」という思いでキッパリと宣言した。
「スタン・グレネードや閃光弾やスタンガン。それに催涙ガスのたぐいは全部武器だから使用禁止だ。銃器や弾薬、爆弾類は論外だぞ」
ところが。宗介は「そうか」と言いたそうに納得した声で、
『では、これから五秒後にスタートする』
その声とともに無線は切れた。彼の声が聞こえていたかなめは、思わずノート・パソコンにがぶり寄る。
ペイント弾と言ってもいろいろある。中でも実銃から発射可能なタイプのものは当たればかなり痛い筈だ。
武器が使えないという事は逃げ回るしかない。そんな状態で一体何をする気なのだろう。
その答えが今――出てきた。
ガラガラガラガラガラッ!!
どこかで聞いた事のある音と共に、何かが部屋に飛び込んできた。それは――
ダンボールを貼り合わせて作ったハリボテが乗った台車だった。しかもなかなかのスピードで部屋を駆け抜けている。
隠れていた撃ち手も一瞬ポカンとしてしまったのか、一斉掃射が始まったのは「それ」が部屋の中程に来た時だった。
だがほとんどの銃口は入口に向いていたのでたいして被弾する事なく、ハリボテは部屋の中を突き進み、出口に消えて行った。
『部屋を抜けたぞ。指定通り武器は全く使っていない』
これまた宗介の得意そうな声。これにはさすがのアズラッドも怒気を含んだ声で、
「おい。撃たねえから部屋に入れ。そして俺に説明しろ!」
しばし考えるような間が開いてから、その「ハリボテ」はのろのろと部屋に入ってきた。しかもバックで器用に。
撃たれて穴だらけのハリボテをどかして、台車に膝をついて伏せていた宗介はすっと立ち上がる。
彼はAS操縦服の上から、東京都指定の半透明のゴミ袋をガムテープで繋げて作ったコートのような物を着ており、それも脱ぎ捨てる。
不思議な事に、そのコート(?)には塗料はほとんどついていなかった。
『武器ではないダンボールとゴミ袋、それに台車を使った』
何かすっげー屁理屈。かなめは無言のまま、カメラ目線でそう言い切った宗介を睨む。
ペイント弾は目標に当たると弾頭が破裂し、そこに含まれた塗料が飛び散る仕組みだ。それゆえ貫通力は普通の銃弾に比べれば劣る。
だが強力な銃で撃った場合、ダンボール程度の材質なら弾頭が破裂する前に突き抜けてしまうのだ。
しかし。操縦服の防弾・対衝撃機能を考えると、ダンボール箱を貫通できても、ペイント弾が破裂するための衝撃を吸収してしまった可能性が高い。
つまり。いくら撃たれても、ペイント弾が破裂しなければ塗料はつかない。という事は「塗料がついたら即失格」というルール自体全く意味がないのだ。
『裏にこういった材料がごろごろ転がっていたぞ。使われたくないのなら、少しは片づける事だな』
説明は済んだと言いたそうに、宗介は台車に置いたディパックとUZIを担いで部屋から出て行った。
それにしても。よくもまぁここまで制作者の意図に反したクリアの仕方が続くものである。でも、意図は無視しても指定したルールは守っているから始末に負えない。
常日頃「ああ言えばこう言うんだから」と彼の言動に呆れているかなめではあるが、それが他人の身に降り掛かっているのを見るのは痛快であり、同時にかわいそうにも感じた。まさに「同病相憐れむ」である。


そして。宗介はついに目指す昇り階段を発見した。ここを昇れば大きな踊り場にも見える中二階に着く。
そこにかなめとアズラッドがいる事は、既にマオからの情報で確認済だ。急襲を考慮してUZIを構えつつ錆びた階段を駆け上がる。
「よくぞ生き残った、我が精鋭達よ!」
宗介が階段を昇り切った時、朗々と宣言する声が響いた。微妙にタイミングが早かったが。
その声は間違いなくPRTのアブド・アル・アズラッド。メリハリのある顔に浅黒い肌を持つアラビア人にしては珍しく鬚を生やしていないので、年より幾分若く見えるだろう。
彼はロングコートの下に<ミスリル>で使われるボディ・アーマーを着込んでいた。
そして彼のそばに、足に鎖つきの鉄球をつけたかなめが座らされている。
「……うん。やっぱりここで言うべきセリフだったな」
駆け上がってきた宗介を無視し、何やら独り言のようにうなづいているアズラッド。宗介は油断なくUZIの銃口を彼に向け、
「千鳥を返してもらおう」
「そ、そーよ! おじさんさっき言ってたでしょ? ソースケが全部クリアしたら返すって」
宗介の勢いにつられるようにかなめも訴える。
するとアズラッドはうんうんと小さくうなづいていたが、
「それはできない。まだ全部クリアしていないからな」
彼はそう言いながら、立てた親指で自分を指差し、
「まだ自分が残ってる。俺を倒せばオールクリアだ……」
セリフの途中で宗介は躊躇なく発砲した。その弾はアズラッドの足元で派手に火花を上げる。
アズラッドはあたふたとぎこちなく踊るように後ろへ下がってそれらをかわしながら、
「人の話は最後まで聞け! 俺を殺したら、彼女に仕掛けた爆弾を作動させるぞ!!」
その発言には、宗介はもちろんかなめが一番驚いていた。当たり前である。自分に爆弾が仕掛けられていると言われて驚かない人間がどのくらいいるだろう。
宗介の表情が険しい物になり、アズラッドを睨みつける。彼はそんな表情にも怯えひとつ見せず、
「そりゃそうだろう。ここで簡単に彼女を返したら、盛り上がるものも盛り上がらなくなる。こういうヒロインを助け出す話のクライマックスは、主人公と悪の首領の一騎討ちと、昔から相場は決まってるんだ」
そりゃ映画とかだとそうだよねー。そう言いたそうなかなめである。
「ホントはもっと怒りに狂った姿で来てほしかったんだけどね。ずいぶんと冷静じゃないか」
だが宗介は再びアズラッドの足元に発砲すると、
「それがどうした。そんな事は関係ない。貴様が選ぶ選択肢は、千鳥を返すか否かの二つだけだ」
今までアズラッドの足元に向けていた銃口を、ピタリと彼の頭部に向ける宗介。見た目はともかく内心はかなり怒っているようだ。さすがにそれには慌てたようで、
「ホント人の話を聞かないな」
わざわざポケットの中から、何かの小さなスイッチを取り出して宗介に見せつける。それが起爆スイッチだというのは宗介にも判った。アズラッドはスイッチに親指をちょんと乗せ、
「この場で爆破して、バッド・エンドを迎えるかい?」
飄々とこういう事を言うのはいつもの事だが、それでも微妙に何かが違う。
自分が総てを知っているかのような、何かに自信を持っていると言うか。奥の手を隠しているような、そんな余裕があるように見えるのだ。
余裕を持つほどの実力差がない事は、アズラッド自身が一番知っているだろうに。
「ちょ、ちょっとソースケ! アンタあたしを助けに来たんなら、ちゃんと助けなさいよ!」
一方のかなめが文句を言うのも当然である。彼の気まぐれで爆破されたのではたまらない。こんな廃工場で自分の一六年の生涯を終えるなど御免である。
そんなかなめの胸中を知ってか知らずか、宗介はかなめに向かって、
「千鳥。前にも言ったと思うが、テロリストに譲歩しないのは国際常識だ。ここで奴に主導権を渡す訳にはいかない。君も生徒会の副会長なら、理解して欲しい」
「したくねーわよ、そんなの!」
と、彼女が言い返した時だった。
ぼぁんっ!
とても重く響く音が工場内に響いた。アズラッドが音のした方向を見ると、作り上げた「アトラクション」の一部が火の手を上げて吹き飛んでいた。
ぼぁんっ! ぼぁんっ!
工場内のあちこちから地響き起こす衝撃と同じような爆発音が聞こえてくる。隠れていたらしいアズラッドの仲間――いずれも目だし帽に野戦服の男達が悲鳴を上げて消火活動を始めている。
「何をしたっ!?」
そう訊ねるアズラッドだったが、宗介が隠し持っていたリモコンでプラスチック爆弾を遠隔操作で爆破させている事は判っていた。いつの間にこんなあちこちに仕掛けていたのだろうか。
「確か映画の撮影をすると言っていたようだからな。多少爆発させても警察も消防も来る事はあるまい。だが、この爆発で、お前の仲間が死なねばいいがな」
何だ、その理屈は。表情が固まるアズラッドの顔に、ありありとそう書いてあった。
「こいつは……」
かなめの目が点になっている。
ちょっとでもヒーローらしい期待をした自分がバカだった。もちろん宗介にそんな思考がない事は、これまでの経験で承知してはいる。
しかし。ひょっとして。もしかしたら。万が一にも。そんな淡い期待を抱いてしまう乙女心。それらを木っ端微塵にぶち壊してくれたのだ。宗介本人が。かなめはガックリと首を倒してうなだれる。
「まだまだ爆弾は仕掛けてあるぞ。仲間の命が惜しいのなら、千鳥を今すぐ開放しろ」
ぼぁんっ!
また一つ、どこかが爆発を起こした。男達の悲鳴が聞こえ、その様子も見えている。
このまま呆れて言葉が出なくなりそうなかなめだったが、どうにか言葉を振り絞った。
「ソースケ! アンタがテロリストみたいなやり口してどうすんの!」
しかし宗介は銃口をアズラッドに合わせたまま、もう一度スイッチを押した。
ぼぁんっ!
今度はかなり近場が爆破されたらしく、今まで以上の轟音と衝撃が三人を襲う。火の粉や破片が来ないのが不思議なくらいだった。その轟音に負けじと宗介が叫ぶ。
「俺は正義のヒーローでも世界を救う勇者でもない。殺しが取り柄のただの傭兵だ。目的達成の手段を選ぶつもりはない」
ぼぁんっ! ぼぁんっ! ぼぁんっ!
今度は景気良く火の手が上がった。男達の悲鳴も一層大きくなる。
今では立場がすっかり逆転してしまっていた。スイッチ一つでかなめを殺せる立場のアズラッドが、スイッチを押せずにいるのだ。
「もう一度聞こう、アズラッド。千鳥を返すか否か。どちらを選ぶ?」
彼はふらふらと後ずさり、踊り場の手すりに背中を預けると、
「決まっているだろう。こうする!」
見せつけるように高々と掲げた起爆スイッチ。そのスイッチが押される――
ばんっ! ばんっ! ばんっ!
……事はなかった。彼の手から起爆スイッチが転がり落ちたのである。低く鈍い銃声の直後に。
かなめには一瞬何が起きたのか判らなかった。だがすぐに理解した。
マオである。非常口から突入したマオがアズラッドを狙い撃ったのだ。さっきと違い、この距離と状況で外すほど射撃の腕は鈍くない。
そして、銃口を合わせたままの宗介も発砲していた。銃口から薄く煙がたなびいている。
二人の弾丸は、アズラッドの着ていたボディーアーマーの胸部を直撃していた。いかなボディーアーマーとはいえ、この距離で弾丸を跳ね返せる強度は持ち合わせていなかった。
「冗談だよ。本気にするな……」
そう呟くアズラッドの身体がグラリと傾き、そのまま落下する。思わず覗き込もうとしたかなめの視界を、駆け寄った宗介が無理矢理抱きしめるように塞いでしまった。
彼女に極力死体を見せたくない。彼なりの思いやりである。
だが。アズラッドが落ちた先には、何もなかったのである。
そして。アブド・アル・アズラッドが遺体となって見つかったのは、それから四八時間も後の事だった。


『次のニュースです。昨日発見された遺体は、イエメン国籍のアブド・アル・アズラッドさん(41)と判明しました。アズラッドさんは元イエメン海軍の軍人でありましたが、軍より指名手配をされており……』
夕方のテレビから、そんなニュースが流れていた。
「元軍人の謎の死」「なぜ日本で」「指名手配は軍内部の陰謀だった?」などなど。ここ数日のワイドショーを賑わせている。
宗介はニュースを聞き流しながら、アズラッドからの最後の手紙を読んでいた。かなめが着せられていたフライトジャケットのポケットに入っていたものだ。

サガラ軍曹へ。
任務中に後遺症の遺る怪我をしてしまったので、引退しようと思う。
だが俺は色々あってイエメン海軍から未だ指名手配されている身。引退しても行くところなどどこにもない。
逃げ回る生活の果てに<ミスリル>に入った人間だ。仕方ない。
なので、こんな手段をとる事にした。チドリカナメをさらえば、君は怒りのままに向かってきて、間違いなく自分を殺してくれる。
そして日本で自分が死ねば、すぐ本国に報が届いて、指名手配は消える事だろう。
その時は、生まれ変わって一から人生をやり直すとするよ。
茶番劇につき合ってくれて感謝する。マオ曹長や他の仲間にも感謝しておいてほしい。

追伸。愛用のノート・パソコンは進呈する。大事に使ってくれ。名前はアル・アジフ。アルと呼んでやってくれ。

アブド・アル・アズラッド

事の顛末を報告した時、テッサは謝罪と共に真相を教えてくれた。
アズラッドが提出した、自分の命を賭けた「本番さながらの訓練」の企画案を。
いくら訓練とはいえ、そんなバカげた企画をテッサは即刻却下した。しかし後遺症の遺る怪我をしてしまった彼は<ミスリル>からの除隊を求めていた。
そこで知恵をしぼった挙げ句、間を取る形の案として、今回の「茶番劇」を提案したのだそうだ。
基地に常駐しなくなった宗介にも訓練は必要である。そのためにいちいち基地まで来るのは効率も悪い。ならば向こうに訓練をする「舞台」を作ってしまおうという提案。それも本番に近いテンションで行なうため、訓練と断わらずに。
結局は「最後の願いを聞いてあげよう」という心境でテッサも許可を出したが、それでも仕方なく。極めて消極的に渋々と、である。
おそらく、その事情をマオも知っていた。だがそれでも最後は彼を撃った。喜んで撃った訳がないのは、その後の荒れようで理解している。
雰囲気でどことなく奇妙さを感じてはいたが、総て計算づくの出来事だったとは。
つまり、アズラッドの【自殺】を手伝わされたという事だ。それも部隊を巻き込んで。極めて大がかりに。
良くも悪くもよく判らない奴と言われ続けていた「普通じゃない」彼には、ある意味で相応しい人生の幕引きかもしれないが。
それにしても。宗介はふと思う。
手配を解くために自分が死ぬのでは意味があるまい。除隊して偽造戸籍で別人に成り済ます事だってできたろうに。除隊しなくとも、彼の器用さなら整備兵にだってなれたろうに。
人の死などとうの昔に割り切った事だが、だからといって安易に自分から「死」という道に向かうのは。
他人の死を見慣れ過ぎた宗介にも割り切れないものが胸中に膨らんでいく。
自分の任務は、仕事は、割り切れなくやるせない気持ちにさせる結末ばかりだ。物語と違って、悪が滅んでめでたしめでたしなどという結末など滅多にある事じゃない。
同時に、割り切っていた筈の自分にこんな考え方ができる事にも驚いていた。

     ●

<ミスリル>西太平洋戦隊御中
一度死んだ身になって頑張ったおかげで、念願の店を出せました。今度の休暇の時にでも、是非いらして下さい。

(中略)

追伸。その時には「あの時は死ぬかと思った」と、たくさん恨み言を言わせてもらうので、そのつもりで

「冗談だから、本気にするなよ?」
真夏の太陽の下、文面の最後を懐かしそうな目で確認すると、その鬚のないアラビア人はハガキをかたんとポストに入れた。

<命賭けのMXC 終わり>


あとがき

果たして、命懸けだったのは一体どっちだったのでしょうか。
という訳で一応長編(つーか<ミスリル>としての宗介の話)です。ノリはすっかり軽い短編になってますけど。
「妥協無用のホステージ」の類似品みたいな話になっちゃいましたけど。この前例があるためか、かなめがさらわれて……という話は二次創作でも思ったほどないのよね。原作を超える二次創作はまず無いし。
あちらは素人集団がマジにさらった話だったので、こちらはプロフェッショナルがおもしろ半分に行動したノリにしたという訳です。
しかし。そんな状況でも軍曹さんは軍曹さんでした。どれもこれもまともにクリアしてません(笑)。
まー最後の手紙の主が本当に「あの人」なのかは、皆様のご想像にお任せ致します。

今回のゲストキャラの「アブド・アル・アズラッド」さん。アブドゥル・アルハザードという実在しない名前を「近い発音のアラビア名」にするとこうなります。
で、そのアブドゥル・アルハザードさんですが、これは「クトゥルー神話」関連の話に登場するイエメン出身のアラビア人です。「野獣の咆哮の書(キタブ・アル・アジフ)」の著者であり(ギリシャ語翻訳版タイトル「ネクロノミコン」ならご存知の方も多いかと)、「狂えるアラビア人」とも呼ばれた人物であります。
信じ難い言動が多かった人物という事なので、普通じゃないだろうと思える言動のキャラにしてみました。
なお、思いつかなかったから使っただけで、この話をクトゥルーモチーフにしている訳じゃあございません。念のため。

最後に今回のタイトル「MXC」。もしかしたら勘づいた方もいらっしゃるかもしれませんが、アメリカで放送された日本のテレビ番組の吹き替え版“Most eXtreme elimination Challenge”という番組の省略形です。
ちなみに日本でのタイトルは“風雲たけし城”。シリアスな話になる訳がありません(笑)。

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