『命賭けのMXC 前編』

南太平洋に浮かぶ、地図にも載っていない小さな無人島・メリダ島。そこには、どの国家にも属さない、対テロ戦争を行なう極秘のハイテク傭兵部隊<ミスリル>西太平洋戦隊の基地が隠されている。
その戦隊に属する一人の傭兵が日本を訪れていた。
名前はメリッサ・マオ。二十代半ばの中国系アメリカ人女性だ。それも、部隊の中でも一騎当千のエリートが揃う特別対応班(SRT)所属。
ちなみに階級は曹長。ただし、少尉になる諸手続きをしている真っ最中であり、今年の年末には階級が上がっている事だろう。
彼女自身は細身でしなやかな、若干小柄な体つき。とても傭兵には見えないだろう。今着ている物も軍服や野戦服などではなく、ごく普通のパンツスーツだ。
そもそも日本の町中で野戦服は目立ち過ぎるし、休暇中まで着ていたい物ではない。
そう。彼女は久しぶりに取れた休暇を利用して、南太平洋の隠れ基地から日本くんだりまでやって来たのである。
休暇先を日本にした理由はいくつかある。
任務で知り合った少女の顔を見たかったから。そして、その少女のそばに自分のチームメイトがいるから。
いや。理由などどうでもいい。まずやるべき事は……。
彼女は今、東京郊外の私鉄沿線にある、都立高校の前に立っていた。
「東京都立陣代高等学校」。白い壁に貼られたプレートにはそう書いてある。
日本語は問題なく話せても、まだまだ漢字の読み書きは得意ではない。それでもこの学校の名前だけはハッキリと記憶していた。
米軍仕様のごつい腕時計をちらりと見る。日本時間の午後三時半。そろそろ放課後になろうかという時間帯だ。
しかし。見知った顔がいるとはいえ自分は部外者。門は開いているものの、勝手に入っていい法はない。
しょうがなくスーツの内ポケットから携帯電話を取り出す。指の感触だけで短縮ダイヤルを呼び出し、電話をかける。数度のコールで相手が出た。
『はい、こちらサガラ』
「ああ、ソースケ。あたしだけど」
電話の相手はチームメイトの相良宗介。この陣代高校の生徒である。
まだ一七歳だが、これでも幼い頃から苛烈な戦場を生き抜いて来た歴戦の傭兵だ。その代わり、戦場以外の場所には未だ適応できず、この学校で様々な騒動を巻き起こしていると聞いている。
『マオか。今どこにいる?』
「あんたの学校の前。もう授業は終わってる時間でしょ? 何か用事あるの?」
『いやない。これからそっちへ向かう』
「ああ、それから……」
マオが何か告げようとした時電話は切れてしまった。彼女は「気の早いヤツだ」と思いつつも電話を切る。
電話が切れてからきっかり二分後。宗介は校門にやって来た。いつも通りの口を引き結んだ厳しい表情で。
「マオ。頼んでいたものだが……」
開口一番マオに訊ねる宗介だが、彼女は両手をぱちんと合わせて、
「ごめん、ソースケ。初期対応班(PRT)の方で至急必要になって、あんたに回す分が足りなくなっちゃったのよ」
「ごめんなさい」と素直に謝罪するマオ。すると宗介は微かに視線を落とすと、
「そうか。そろそろ弾薬の残りが心もとなくなって来たのでな。至急補充をしておきたかったのだが」
だいぶ残念そうにため息をついている。そんな横顔を怪訝そうにして見ているマオは、
「もう少し節約しなさいよ。ここは日本なんだから。それに弾だってタダじゃないし」
「それは判っている」
「それに。それが原因でカナメがいっつも怒ってるんでしょ?」
「カナメ」の名が出て宗介が小さくうなって黙ってしまった。
<ミスリル>の傭兵である宗介がこうして学校に通っているのは、元々この学校に通う女生徒・千鳥かなめの護衛のためだった。
もっとも。その護衛命令自体は既に解かれているのだが、宗介自身の意志で「彼女を守る」と誓いを立て、学生と傭兵の二重生活が今でも続いている。
彼の秘密を校内で唯一知るかなめは、護衛の恩義か元々の面倒見のよさか、事あるごとに彼を叱り、諌め、時には力づくで止めに入っている。また彼の苦手な古文や日本史を教えてあげたり、食事を振る舞ってもくれる。
その様子は仲のいい姉弟か飼い主とペットか。あいにくと恋人同士というロマンチックなムードとはかなり遠い。マオ自身はまんざらでもないだろうと踏んでいるのだが。
「そういえばカナメは? ひょっとして学校に用事で残ってるの?」
今さらながら、彼女がいない事に気づくマオ。
「千鳥に用事があったのか?」
「ま、一応。たいしたモンじゃないけど」
「それは残念だったな。彼女は昨日から風邪で学校を欠席している」
宗介の言葉にマオは意外そうな顔になる。見るからに健康美人というイメージのかなめが風邪で学校を休むとは。
「昨日も今日も護衛と看病を志願したが、何故か力一杯断わられてしまった。最悪のコンディションでは万一の時にひとたまりもないと説得したのだが……」
かなめは訳あって今一人暮らしだ。病気となればいろいろ不自由しそうなものだが、だからと言って仲がいいとはいえ同年代の男子に見守られて休めるとも思えない。
それに宗介は<ミスリル>の任務の度に学校をサボる結果になっている。単位や出席日数とて足りない。それを気づかってもいるのだ。
(そりゃそうでしょうよ)
マオは声に出す事なく、チームメイトの不粋極まりない言動に呆れつつ、
「病気かぁ。それは残念。せっかく美味しいお酒のおつまみでも教えてもらおうかと思ってたんだけど」
期待が外れてつまらなそうにガックリと肩を落とすマオ。すると宗介は真剣な顔で、
「マオ。何度も言うがアルコールは脳細胞を破壊する。この稼業を長く続けたかったら……」
「止めろってんでしょ? 何度も言わないでよ、そんなヤボ」
「いい加減にしろ」と言いたそうに、露骨に嫌そうな顔で手をひらひらと振るマオ。真剣なのは結構だが、この不粋すぎる面は彼の欠点の一つだろう。
「けど風邪ねぇ。じゃあお見舞いの一つでも持って行こうかな。この辺にスーパーか何かある?」
どことなく投げやりな感じで、マオが訊ねた。


マオは宗介とともにかなめの家に向かう事にした。
ちなみにマオの手には、学校近所のスーパーのレジ袋が。ちなみに買ったのは黄桃の缶詰である。基地にいる別のチームメイトに電話したところ「風邪のお見舞いには桃の缶詰。これ日本の常識」と力説されたからである。
本当かどうかはマオ自身には全く判らない。だが日本人とはいえ日本での生活経験に乏しい宗介に聞いたところで無駄だろう。
だが果物なら食べて風邪が酷くなるという事はあるまい。そういう訳でかなめの住むマンションの部屋にやって来たのである。
しかし。いくら呼び鈴を押しても、彼女が出てくる気配がない。眠ってしまったのだろうか。だが宗介がドアにピッタリと耳を当てると、
「……人の気配がない」
宗介の顔がみるみるうちに青ざめ、脂汗がびっしりと浮かんできた。守る筈のかなめの姿が部屋にない。これほどの大失態は他にあるまい。だがマオは彼をなだめるように、
「落ち着きなさい。体調が良くなって、近所のコンビニに買い物に行った可能性だってあるでしょ。あと医者とか」
それから共用通路の塀に手をついて身を乗り出し、周囲を眺める。だがそれで判るなら苦労はない。
一方の宗介はドアの周囲を丹念に、注意深く観察している。何をしているのか訊ねると、
「千鳥には内緒で、色々とトラップを仕掛けてある。だがどれも作動した形跡がない。襲撃者が強行突入をした様子もないな。おそらく外出中で間違いはないだろう」
「んなの見りゃ判るわよ」
一人暮らしの女の子の家に何をやってるんだか。マオは彼の不粋極まりない言動に再び呆れた。
「心配だったら、電話くらいしてみなさいよ」
マオの意見に「もっともだ」と思い直した宗介は、自分の携帯電話で彼女の自宅の方に電話をかけてみる。
呼び出し音は自分の電話とドアの向こうから微かに聞こえてきた。しかし、誰かが出る様子は全くない。次に宗介はかなめのPHSの方にかけてみた。
ところが。電話から聞こえてきたのは、『電波の届かないところにおられるか、電源が入っていないため、かかりません』というお決まりのメッセージ。
おまけに、こういった事態を想定してかなめに持たせている発信器の反応は彼女の部屋から。これでは寝ているのか部屋にいないのかの判断ができない。宗介は小さく舌打ちする。
いくら何でも勝手に入って待っている訳にもいくまい。マオは「少し様子を見よう」と提案し、二人は向かいに立つマンションの、宗介の部屋に向かう事にした。
元々はかなめの護衛のために<ミスリル>が手配したセーフ・ハウスなのだが、今では宗介の部屋という扱いになっている。
薄暗い共用通路を行く。すると、部屋のドアにわずかな異変がある事に、宗介が気づいた。
ドアには白い洋封筒がセロテープで張り付けられており、宛名は英語で「相良宗介へ」とある。
「何これ? あんた宛だけど」
マオは、そのタイプライターで打たれたとおぼしき宛名を指差して訊ねる。
その封筒は何か厚みのある物でも入っているのだろう。手紙にしてはずいぶんと膨らんでいた。
「……判らん」
宗介はじっと封筒を観察すると、荒っぽく封筒をドアから引き剥がす。糊付けされていない封を乱暴に開くと、中には赤い布と手紙が入っていた。
「リボン……?」
それは確かにリボンだった。しかも赤。
そのリボンを見た途端、宗介の顔色が変わった。彼は封筒の中に入っていた手紙を素早く広げる。

女は預かっている。返して欲しくば今夜〇時にこの場所に来い。

アブドゥル・アルハザード

ずいぶんと素っ気ない文章の下に、どこかの地図をコピーした物が張り付けられていた。地図の中央に赤いマジックで星マークが書かれてある。ずいぶんとアナクロな手紙であるが、手法などどうでもいい。
このリボンはかなめの物だ。間違いない。相手は不明だが、あからさまな挑発である。
彼女がこの手紙の主に拉致された。自分がいない間に。こんないとも簡単に。
リボンを握りしめる宗介の手に力がこもる。
「千鳥。だからあれほど……!」
感情を押し殺した宗介の声が、ドアにがつんと叩きつけた拳の音にかき消される。その音の激しさは通路に派手に反響して消えた。
その音の激しさが。叩きつけた拳の微かな震えが。リボンが握り潰さんばかりの拳が。彼の心境を表情以上に雄弁に物語っていた。
「ちょ、ちょっとソースケ!?」
音の大きさに、マオは思わず周囲を見回してしまう。幸い文句を言ってくるような人間はなかったが、今の宗介の表情はベテラン傭兵のマオですら身をすくめそうなほど、怖さと殺気を感じるものだった。
彼はしばらく拳をドアに叩きつけたままにしていたが、素早く鍵を開けて部屋に飛び込んで行く。
「ソースケ、落ち着きなさいって」
宗介の荒れ狂う胸中を察したマオは、慌てて彼を止めに入る。だが彼は、
「俺は落ち着いている」
言葉とは裏腹に怒鳴るように言い返し、部屋に隠すようにしまってある武器類を次々に取り出していく。
拳銃各種。サブマシンガン各種。手榴弾。プラスチック爆弾。対人地雷。サバイバル・ナイフ。グルカ・ナイフ。スタンガン。防弾チョッキ。エトセトラエトセトラ。
犯人からの地図に示された場所は、自分もたまに銃の試射に使っている、人など滅多に寄りつかない廃工場。敷地そのものは結構広い。
どうせ山ほどトラップや人員を配置してはいるだろうが、全く地の利がない訳ではない。勝手は判る。
宗介はたとえ工場を粉砕してでも、手持ちの弾薬総てを犯人(達)に叩き込んででもかなめを助け出すつもりだ。
しかし敵の規模が読めない。こういう時ありったけの武器を用意しておいて損はない。
だが持ちきれないほど、身動きが取れないほどの武器弾薬を持って行くのは愚の骨頂だ。本音を言えば強力な物を厳選して持って行きたいが、肝心の残弾が心もとない。
だが汎用性が高い弾丸の一つ「九ミリパラベラム弾」が割と残っていた。これが使える銃を持って行く事に決め、取り出した銃器からその弾丸が使えるサブマシンガン・UZIを引っぱり出す。
スピードローターを使ってUZIとその予備弾倉に弾丸を詰め込んでいく。普段から持ち歩いているグロック19にもこの弾丸は流用できるので、そちらにも詰め込んでいく。
(ふぅん。案外落ち着いてるわね)
彼の行動に納得したマオも、彼の作業を手伝う事にした。いくら休暇中でも、彼一人に任せておくつもりはない。マオとてかなめには恩義もある。
しかし、宗介の怒りに任せた表情のまま、黙々と弾丸を詰める様子を見て苦笑する。きっと本人も自身の胸中がそうさせていると気づいていないだろう。マオは彼の作業を手伝いながら、
「ひょっとして<アマルガム>とかいう連中?」
現段階でかなめを誘拐しようとしている組織の名が彼女の口から出る。しかし宗介はそれを否定した。
「いや。奴らにしてはやり方が稚拙すぎる。まずあり得まい」
言いながら、ジェリコ941FとCz75という拳銃の弾倉から弾を全部出し、グロック19の予備弾倉に詰め替えている。これらの拳銃も同じ種類の弾丸を使っているからできる芸当だ。
マオもそれに倣ってイングラムM10とH&K MP5というサブマシンガンの弾倉の弾を詰め替えている。これならだいぶ残弾数を稼ぐ事ができそうだ。
「じゃあ単純に、あんたの事を恨んでるヤツの仕業かしらね」
「そうだな。俺を恨んでいる連中は多いからな。ソ連KGBの暗殺者、麻薬カルテルの傭兵という線もある」
かなり物騒な事を、まるで他人事のように話す宗介。それを聞いたマオは手紙の文面を思い出し、
「差出人がアラビアっぽい名前だから、イスラムの原理主義のまわし者とか?」
「その可能性も捨て切れんな。だが、あからさまな偽名などどうにでも書ける」
堂々と本名を書くバカもいないか。マオはうなづきながら作業を続けている。
結局のところ現地へ赴かねば何も判るまい。だがその前に、やっておかねばならない事があった。
「ソースケ。こっちはやっておくから、早くテッサに連絡して」
テッサとは宗介達の基地と戦隊の総責任者であるテレサ・テスタロッサ大佐の愛称である。マオはプライベートでも彼女と親しいのだ。
だが、マオのその言葉に、宗介の表情が一瞬凍りついた。
確かにマオの言う事は理解できる。良いにしろ悪いにしろ、何かあったらすぐ上に連絡をする。こうした組織では当たり前の事だ。
たとえそれが己に課せられた任務ではなくなったと言えども、この事態を報告しない訳にはいかない。
宗介は押入にある衛星通信機にのろのろ歩いて行き、パーソナル・コードを入力して起動させ、遥か南のメリダ島の基地に連絡を取る。
幸いと言おうかあいにくと言おうか、現在大佐は基地の自室で執務中であった。すぐに執務室に繋がる。
『どうしました、サガラ軍曹』
通信機から聞こえる可愛らしい少女の声。テッサは宗介と同い年なのである。
本人は偉ぶった様子は全くなく、宗介と同い年という事もあって「仕事中」以外は素のままで接してくるケースがほとんどだ。その度に女性に免疫の少ない宗介は内心あたふたとしてしまいがちになるのだが。
隠してもしょうがない。叱責を覚悟し、震える声でおそるおそるだが、単刀直入に報告する宗介。
「大佐殿。実は、千鳥が何者かに拉致されました」
通信機の向こうで、彼女が息を飲むのが判る。何を言おうか何と言おうか迷っている。そんな感じにも受け取れる。
即座に叱責が飛んで来ないのは、かなめの護衛が既に<ミスリル>の任務ではないからだろう。
「犯人とおぼしき人物が手紙を残しています。自分はこれからそこへ向かい、千鳥を奪還するつもりです」
『そうですか……』
ショックから立ち直ったかのように、彼女はようやくそう一言返してくる。
宗介からの定期連絡で、かなめの事情は理解している。この場は間が悪かったと気持ちを切り替えでもしないとこの稼業は勤まらない。
かなめを心配する気持ちは充分にあるが、宗介を責めてかなめが帰ってくる訳でもない。責めるのは後でもいい。
『しかし、手紙を残している、とは?』
テッサの問いに、マオが通信に割り込んで答える。
「『女は預かっている。返して欲しくば今夜〇時にこの場所に来い。アブドゥル・アルハザード』。手紙には地図のコピーもついてるわ」
ガチガチに緊張している宗介と違い、マオの方は幾分口調が砕けている。テッサが特に驚いていない事を考えると、マオが日本に行く事は聞いているだろうから、ここにいる事を予想していたのかもしれない。
『実に芸のない、単純な手紙ですね』
冗談のようにも聞こえるが、口調はいたって真面目なものだ。しかし、その物言いはどこか歯切れが悪い。
「十中八九偽名だろうけど、何でアラビア人なのかが気になるわね」
マオの呟きに、宗介が「おそらく違う」と割り込んでくる。
「確証はないが、これを書いたのはアラビア人ではない。欧米人だろう」
『そうですね。アブドゥル・アルハザードというのは、アラビア語としてはあり得ない名前ですから』
テッサはそう前置きすると、まるで教師のような口調で説明を始めた。
『アブドゥルというのは、アラビア語で神のしもべを意味する「アブド」と、英語でtheに当たる定冠詞「アル」がくっついたものなんです。そしてアルハザードの「アル」も同じ定冠詞。つまり、アブド・アル・アル・ハザードと、同じ定冠詞が続く事は文法上絶対にあり得ません』
テッサの出身はアメリカだが、国連の公用語の一つであるアラビア語は押さえているようだ。もっともアラビア文字そのものは全く読めない。ラテン文字転写(アルファベットに変換した文章)が理解できる程度だ。
一方の宗介はアフガニスタンのゲリラとして戦っていた事がある。現地で使っていたペルシア語にはアラビア語語源の単語も多い。
それにアフガニスタンの宗教であるイスラム教の教典・コーランは基本的にアラビア語で書かれているので、読み書き会話はできなくとも「これは多分アラビア語だろう」と言える程度には知っているのだ。
ここまで丁寧に解説されては、マオとしてはうなづくしかない。彼女は手紙の文面を見ながら、
「そういえばPRTに同じような名前のヤツがいたっけ。確か……」
「アブド・アル・アズラッドだな」
宗介の表情が一瞬苦々しいものになる。
SRTとPRTで所属部署は違うが、何度か情報交換や任務をこなした事もある。階級は曹長。マオと同じだ。
傭兵としての戦闘力は部隊でも平凡の部類(それでも一般的に見れば高い方である)に入るが、コンピュータ類の知識と操作にかけては部隊中でも五本の指に入る実力を持っている。
もっとも特徴的なのが、平凡な戦闘力を補ってあまりある器用な手先。料理から機械工作まで幅広くこなす人物だ。
『まぁ無駄話はこのくらいにしておきましょう』
話題と気持ちを切り替えるようなテッサの言葉。すると通信機の向こうから、小さく電子音が聞こえた。テッサの元にメールでも来たのだろう。ピッピッという短い電子音も微かだがしている。
『ともかく、今夜ここへ来いという挑発に、わざわざ乗る事もないでしょう。指定時間を待つ義理もありません。二人は一刻も早くカナメさんの救出を……』
テッサの言葉が一瞬そこで途切れる。
『……ま、待って下さい。やはり〇〇〇〇時に着くよう、現場に向かって下さい!』
慌てたような切羽詰まった声。何事かと宗介が訊ねると、
『その「アブドゥル・アルハザード」さんからのメールです。遅くても早くてもダメ。ちゃんと時間通りに来ないと女の命はない。そうあります』
「ど、どういう事よ、それ!? だいたい何であんたのメールアドレスに!?」
マオが驚いて訊ね返したのは無理もないだろう。かなめをさらった人物が、テッサのメール・アドレスに直接メールを送ってくるなど、どういった理屈だろう。
『……メールの差出人が、そのアブド・アル・アズラッド曹長だからです』
どこかむすっとした声で、テッサがぶしつけにそう告げた。


夜も更けた十一時過ぎ。襲撃準備を整えた宗介とマオは現場に向かって車を走らせていた。この車も<ミスリル>側で用意しておいた軽ワゴンである。
ハンドルを握るマオは、傍らの宗介に向かって不満をぶちまけていた。
「それにしても、アズラッドもナニ考えてんのよ。命の恩人をかっさらうなんて」
誘拐犯へと認識を変えたかつての同僚がこの場にいるかのように悪態をついている。
この夏。彼らの部隊の超ハイテク潜水艦が敵組織にジャックされるという未曾有の事態が起きた。色々事情があって乗り込んでいたかなめのおかげで潜水艦は沈没の危機を免れ、敵も退けている。
宗介やマオはもちろん、アズラッドもPRTの一員として乗っていたのだ。だから彼はかなめを知っていて当然だ。
「よく非人道的な冗談やふざけた提案をしていた奴だ。常識的な考えは通用すまい」
宗介の脳裏に、愛用のノート・パソコン片手のアズラッドの姿が思い浮かぶ。
一応アラビア半島のイエメン共和国出身なのだが、外見はともかく性格は全くアラビア人らしくなく、イスラム教徒らしいが戒律をまともに守っている様子がない。
基本的なノリは軽いしジョークも大好きな、「楽しく生きる」がモットーの人間だが、場の緊張感を削いだり人の神経を逆なでするのが得意中の得意。
おまけにノッてきた時の彼の不謹慎極まる言動は、いささか常軌を逸している。人質救出の任務なのに「人質ごと犯人を吹き飛ばそう」と堂々と提案するのだから。
そういった言動を咎められる度に、彼はすました口調で「冗談だ。本気にするな」と静かに言い返してくるのが定番だ。
かと思えば、与えられた任務は嫌味なくらい真面目にキッチリとこなす。もちろん冗談や提案した「ふざけた非人道的な方法」は全くとらない。意地が悪いが技能は高い。そんな人間だ。
それらのギャップも相まって、優秀なのか異常なのか「よく判らない奴」という評価をされる。
そんな訳で、欧米出身の隊員達が彼につけたあだ名が「狂えるアラビア人」。とても名誉あるあだ名ではないが、本人はそれを訂正するつもりはないらしい。
テッサの方から入った追加情報によれば、彼は一週間ほど前に<ミスリル>の除隊願を出したそうである。
<ミスリル>が極秘の傭兵部隊とはいっても、一旦入ったら死ぬまで出られないという事はない。
部隊の機密を漏らさないよう色々と面倒な手続きや契約、違約金の支払いなどが大変なだけである。
ところが彼は色々ととんでもない条件を突きつけてきたというのだ。さすがにその内容までは教えてくれなかったものの、テッサは彼の除隊願を却下したという。
ところがそれから彼は無断欠勤続き。怪我をしていたと聞いているし、完治していないのだろうと、テッサも彼の事を気に止めておく余裕がなくなっていたところへ、今日の彼からの誘拐告知のメール。しかもわざわざ本名をさらしたまま。
かなめを人質にとり、人質の命が惜しくばこちらの要求を飲め、とでも言うつもりだろう。
自分の要望を通すために暴力的な手段をとる。普段の彼らの敵・テロリストの典型的な行動理念である。
「アズラッドが何を考えていようが、やる事は千鳥を救出する事だけだ」
宗介はグロック19のスライド部分を動かして初弾を装填し、まだ見えぬ廃工場を睨みつけた。

<中編につづく>


文頭へ 進む メニューへ
inserted by FC2 system