『恋する仔猫のミックス・アップ 前編』
テレサ・テスタロッサは長期休暇を終え、前以上に身を引き締めて執務室へ向かう準備をしていた。
「戦い」という「修羅」の道をほんの一時でも忘れる事のできた「普通」の「年相応」の日々。
部隊のみんなには隠している(何人かは勘づいているかもしれないが)自分の本当の気持ちを伝える事はできなかったけれど、楽しかった日本での――片思いとはいえ、好きな人との生活の――思い出を心の中で何度も反芻していた。
そのせいか、その可愛らしい顔には幸せそうな笑みが浮かんでいる。それは間違いなく恋する少女の顔だった。
しかし、執務中はけじめをつけなければ。
そう思いなおして鏡の前で顔を引き締め、部屋を出ようとした時、ふと忘れ物を思い出した。
休暇中の荷物はまだ解いていないのでスーツケースを開けて中を探す。自分の今着ている制服のポケットもあちこち探るが……
「……ない。もしかして、落としたの? それとも忘れて来たの?」
朝早くから、彼女の目の前が一気に暗くなった。


メリッサ・マオは、明日からの休暇をどうしようか、と考えていた。
特別対応班という、肩書きは凄いが、やっている事は「労働基準法の意味を教えてやれ」と言いたくなるくらい命がけの過酷な激務。
もちろん、休暇の申請をしてもそれが通るとは限らないし、たとえ通ったとしても、休暇直前で急に任務が入り肝心の休暇がふいになる、なんて事は日常茶飯事だ。
当然、その過酷な激務に見合うだけの給料は貰っているし、自分から進んでこの仕事をしている以上やりがいという物も充分感じている。
充分感じているからこその「休暇」なのだ。
どんなに良い給料を貰っていても、休む間もなく働かされれば不平不満も出る。だからといって休みばかりの仕事場に未来などない。
適度な仕事。それ相応の給料。ほどよい休息。それが理想であるが、世の中そう上手くはいかない。
自分の今している仕事は決してそうとは言えないが、これは押しつけられた物ではない。自分自身で選んだ仕事だ。ケチをつける事は出来やしない。
そんな事をするヤツは意志薄弱の大馬鹿野郎だ。
そんなヤツにこそ、未来などない。
だんだん考えがズレてきた事を感じ、気を引き締めてパソコンのモニターを見つめる。
何か面白い情報はないか、とネットサーフィンをしてみたが、特に気になる情報はなかった。
彼女は自販機の置かれた一画へ行き、そこでコーヒーを買う。
今日の自分の分のデスクワークは殆ど片づいているが、まだ勤務時間内だし、夕食の時間には少々早い。さすがにこの時間からビールを飲むのはためらわれた。
そう。ビールは勤務時間が終わってから飲むのが良いのだ。
一日の仕事の重圧から解放された、心地よく疲れた身体に良く冷えたビールを流し込む。これこそ、ささやかな贅沢というものだ。
そんな事を考えつつ自販機に背を預けコーヒーを飲む。ノンシュガーのほろ苦いコーヒーが彼女の頭を幾分シャキっとさせた。
ふと思い出したようにポケットに入れっぱなしの手帳型の携帯端末を取り出し、電源を入れる。
「メールが1件」
そんな無機質な文字が液晶画面に映っていた。
彼女は端末を操作して、そのメッセージを表示させる。
《メリッサ・マオ様へ
 相談したい事があります。仕事の後、わたしの部屋へ来て下さい。
                          テレサ・テスタロッサ》
実に簡潔な文章が表示され、少々考え込む。
彼女とは数時間前に直接話をしている。ほんの数分だったし、二人きりという訳でもなかったが。
だが、どこか違う。何かが違う。いつもの彼女じゃない。上手くは話せないが、良くできた間違い探しの絵を見ているかのような微妙な違和感が今日の彼女にはあった。
そこで話さずにこんなメールを送って来たという事は、その事かもしれない。きっとプライベートな相談事だろう。
テレサ・テスタロッサはマオの属するこの部隊<トゥアハー・デ・ダナン>の最高責任者と言ってもいい「大佐」。かたやマオは「曹長」だ。年齢は十歳近く離れているもののプライベートでも仲が良い。互いに色々な事を話し合ったりする事もある。
いくら仲が良くても、階級差のある二人が、人前でおおっぴらに親しげに会話をするのは謹むべき事だ。もっとも、自分のさる同僚は知ってか知らずかおおっぴらに親しげに彼女と会話しているが、それは別だ。
(何か、おみやげでも買ってくるべきかしら)
どこへ行くかも決めていないのに、そうした考えだけは頭の隅にあった。
だが、「プライベート(?)な彼女の相談事」というのも少々気になる。
(行ってみようか)
そう思いながら缶コーヒーを一気に飲み干すと缶をゴミ箱へ放り込み、残りの仕事を片づけに自分のオフィスへ戻った。
勤務時間が終わると野戦服のまま、マオは缶ビール五、六本と好みのタバコ、それに軽いおつまみを持ってテレサ・テスタロッサ――テッサの部屋へ向かう。
テッサの部屋は、基地の将校用居住区画の中でも上等の2LDK。でも、部屋の主人のあまりの激務の為、その殆どは大して使いこまれた形跡がない。
マオは彼女から渡されている合鍵を使って部屋へ入る。たまにこうしてお邪魔しているので物おじした様子はない。ここへ来る途中、数人の将校とすれ違ったが、別に気にとめる者もいなかった。
以前「大佐に不健康な習慣を教えないように」と釘を刺された事はあったが、自分としてはそんなつもりは毛頭ない。
彼女の方から「欲しい」と言った事など只の一度もないし、自分が勧めた事もない。別に「未成年者の飲酒・喫煙がうんぬん」というお説教じみた事を言うつもりなどもっとない。
タバコの臭いが部屋につく、と言われそうなので、今日は日本で買った部屋用の消臭スプレーをいくつか持ってきている。これで換気扇を回せば、文句はないだろう。
マオは慣れた手つきで部屋の明かりをつけ、テレビのスイッチを入れる。何だか良くわからないドキュメンタリー番組のナレーションを背に、缶ビールを一本除いて冷蔵庫の中にしまい込む。
冷蔵庫の中にはミネラルウォーターとミルクくらいしか入っていない。そのミルクは半分以上残ったまま随分前に賞味期限が切れている。中にある事をすっかり忘れられているらしい。これだけでも、彼女の激務がどのくらいかわかるというものだ。
(ホントに十六歳なのかしらね、あの子)
マオは淋しげに笑い、再びリビングに戻り、缶ビールを開ける。プシッと小気味よい音がして少しだけ泡がこぼれる。それを惜しそうに口先で吸うと、ソファに腰掛けて一口飲んだ。
独特の苦味が口一杯に広がり、喉を通って胃の中に吸い込まれていく様子が手に取るように伝わってくる。この瞬間「生きてて良かった」と、まるでどこかのオヤジのような感想がもれる。
「酒の味を知らない者は人生の半分を損している」という誰が言ったのかわからない名言じみた言葉も、この瞬間なら信じてもいい気になる。
それからマオはソファに寝そべってテレビを見ながらビールをあおり、おつまみを口に放り込む。上品ぶるのは嫌いだが、自分の部屋でもないのにあけっぴろげにくつろぐのもどうかと思う。でも、彼女が帰ってくるまでまだ間がある。それに、彼女も自分のこういう面は心得ている。
持って来た缶ビールを飲み干し、おつまみも食べ尽くし、タバコの吸い殻のいくつかが空き缶の中に押し込まれた頃、部屋の本当の主人――テッサが帰って来た。
「あ。来てくれたんですね。よかった」
激務に疲れた顔の中にもホッとした表情が伺える。それから少しだけ顔をしかめると、
「また、タバコですか?」
「大丈夫。換気扇回してるし、今日は消臭スプレーも持ってきてるから」
そう言って、タバコをくわえたままスプレーを軽く振ってみせる。そして、吸いかけのタバコを落ちないように空き缶の縁に置くと、
「早速だけど、相談したい事って何なの?」
と単刀直入に切り出した。その言葉で、彼女は意を決したかのようにうなづくと、マオの正面に立ち、
「メリッサにお願いというのは、この間の休暇絡みの事なんです」
「ああ。あれね」
八月末の事件でダメージを受けた彼女の指揮する潜水艦の修復作業の折、自分がいなくても隊は稼動するという事態になった為、たまっていた休暇を消化する意味で、日本へ行って「普通の十六歳としての学生生活」をしていた事だ(何人かの部下には猛反対されたが)。
もっとも、その時はマオも日本へ行っている。休暇と大差なかったが、名目上は仕事。彼女の護衛だ。
だが、実際に「護衛(?)」が必要だったのは、テッサが転がり込んだ先――マオの同僚でもある相良宗介軍曹の方だろう。
彼は今は高校生として、東京で暮らす千鳥かなめという少女の護衛の任についている。
元々生真面目で責任感の強すぎる彼の事だ。きっと「大佐殿に一辺の失礼もあってはならない。そして、己の任務も疎かにしてはいけない」とでも考えたのだろう。端から見ていてもわかるくらいガチガチに緊張し、殺意にも近い警戒心をまき散らして、しょっちゅう不必要な「自爆」をくり返した。
テッサを救助しようとプールに飛び込んで自分が溺れかけたり、ガチガチに緊張した事による精神的疲労で倒れたり……。他にも色々と醜態はあったが、彼の名誉の為にそれは伏せておくべきだろう。
マオはもう少し器用に立ちまわれないのか、とも思ったが、その真面目で一所懸命で、でもどこか不器用な所がテッサには「放っておけない人」と映るらしい。
「あの時、何かあったの? カナメと大ケンカしちゃったとか、ソースケに嫌われたとか」
「違います! そうじゃありません!!」
「ソースケに嫌われた」の部分に反応してつい声を荒げてしまう。テッサははっと我に帰り、恥ずかしそうにうつむく。
「確かに、サガラさんは、関係ない訳じゃ、ないんですけど……」
うつむいたまま端切れ悪く答える彼女に、
「じゃ、何なの? スパッと言っちゃいなさいよ」
缶の縁に置きっぱなしのタバコを取り、くわえたまま言った。
「スパッと……ですか」
「そ、スパッと。その為に呼んだんでしょ?」
テッサはしばらく思い悩むようにうつむき、何やら考え込んでいる。
マオはその仕種を見て「まさか、何かとんでもない事だったのかしら!?」と思ったが、意を決して発せられたテッサの言葉に、くわえていたタバコを落としそうになった。
「実は、サガラさんの写真を日本に忘れてきてしまったんですっ!!」
「写真?」
驚くというより呆れた顔でマオはテッサに尋ねた。呼び出した理由が「写真を忘れた」では、たいがいこういう反応を返すだろう。
しかし、テッサはそんなマオを全く無視したまま、
「はい。サガラさんの写真です。実は、こっそり隠し撮りしてもらったんです、彼を」
はぁ、とため息をついてテッサの説明を聞くマオ。
とにかく「彼のスナップが欲しい」と思い、「他言無用」と念を押してクラスメートに頼んで、撮ってもらった物らしい。
が、その時の彼女の態度はどう見ても「彼の事が好き」と全身で表現していたし(本人には告白していないみたいだが)、「特別な男性」と言い切ったそうだし、他言無用と念を押したところで大して意味はなさそうなのが。
でも、いつ撮ってもあの仏頂面のままだろうな、という言葉をマオはどうにか引っ込めた。彼とは長くつきあっていると思うが、愛想笑い一つ浮かべた所すら見た事がない。
第一、遠くからライフルで狙われても、それを察知できる常人離れした感覚を持つ彼を隠し撮りなんてよくできたと思ったが、その時の彼の状態は、ガチガチに緊張してどう見ても「普通」ではなかった。少しはそんな隙もあったのだろう。
そして、その写真をその時使っていたパスケースに入れて持ち歩いていたのだが、どうやらそれを忘れて来たらしい。
まあ、しっかりしているようでどこか抜けてる所があるテッサらしい、と内心思ったマオは、
「そんなの心配する事ないじゃない。ソースケに言って、送ってもらうとかさ」
「ダ、ダメです。そんな事できません! そんな事したらサガラさんがどう思うか……」
別に何とも思わないだろう。と冷めた考えをするマオ。
肝心の彼は戦場育ちの常識知らず。どうも「恋愛」という「事態」そのものが良くわかってないんじゃないか、としばしば思ったものだ。
「あのサガラさんの事です。『何故大佐殿が自分の写真を持っているのだ? 一体これにどんな秘密が隠されているというのだ?』とか思うに決まってます。そしてその後絶対にカナメさんに相談しに行ってしまいます。彼とカナメさんの仲が以前に比べて良くなってしまっているのは、今や動かしようのない事実ですし、それは認めなければなりません。カナメさんがあの写真を見たら、絶対に何だかんだと理由をつけて着服してしまうに違いありません!」
かなり切羽詰まった調子で一気に吐き出すように言ったテッサは、そこで一息ついた。軽く開いた両手の指が小刻みに揺れ、目がうつろになり焦点が合わなくなってくる。その時マオは後に「テッサの背後に妖しげなオーラを見た気がした」と言っている。
「そして、その写真を使ってわたしを脅迫するんです。『部隊のみんなにこの事をバラされたくなかったら……』とか言って。そしてわたしは彼女のなすがままとなって、さんざんからかわれて、いいようにおもちゃにされた挙げ句、やがて後戻りできない破滅の人生を歩まざるを得ない事態にまで追い込まれて、やがて、人間社会のヒエラルキーの底辺で這いつくばって一生を終えるんです。そうに決まってます」
話しているうちにエキサイトしてきたのか、はたまた壊れたのか、だんだん考えがとんでもない方向ヘ行こうとまでしている。
恋は盲目というか、視野狭窄というか。とにかく考え方が極端になっている。
端から見ている分には面白いのだが、そんな原理が執務にまで影響が及ぼすとさすがに困るし、何となく出かねない威圧感があった。
マオは話を聞いてるうちに半分近く灰になったタバコを空き缶の縁にとんとん、とやって灰を落とし、ひきつった笑顔でなだめに入る。
「テッサ、考え過ぎよ。あのソースケにそういう知恵はないわよ。カナメだってそんな事は……」
「本当に『しない』と言い切れますか。ほんの些細な事がとんでもない大事件に発展するケースを、メリッサも知っているでしょう!?」
確かに言っている事は正しいと思うが、これだけは絶対にそうはならないだろう。
しかし、いつもの彼女らしくなく、そう冷静に考える事ができなくなっている。熱くなっている相手にお説教じみた事を言うとかえって逆効果だし、相手が熱くなった時はこちらは冷静を保つのは二人きりの会話を円滑にするテクニックの一つだ。
だからといって、このまま放っておく事もできない。第一、話はちっとも進んでいないのだ。
「それで、その写真をどうすればいいの?」
「あ。そうでした。わたしとした事が。つい、熱くなってしまって……」
テッサは目を閉じて大きく深呼吸をし、話を続けた。
「その写真を取り戻したいんです。確か、メリッサは明日から休暇でしょう? その休暇を利用して日本へ行って、サガラさんに気づかれないように写真を回収してきてほしいんです。もちろんタダでとは言いません。わずかですが、報酬も用意します」
なるほど。事情はわかった。普段の任務に比べても随分と簡単な仕事だ。
おまけに明日は平日である。彼が学校から帰ってくる前にちょっと行ってくれば済む事だ。彼の部屋の合鍵は持っているし、何の問題もない。
「わかったわ。他ならぬテッサの頼みだものね」
「ありがとう、メリッサ」
テッサにようやくいつも通りの笑顔が戻る。
マオは部屋にある時計を見て、しばし考えた挙げ句、自分の携帯を取り出し、どこかへ電話をかけた。
「……あ。もしもし。ソースケ、起きてた? あたしだけど」
その声を聞いたテッサは「ビクッ」となって慌ててマオを止めに入る。が、マオは何気ない動作で立ち上がりながらひらりと彼女をかわすと、話を続ける。
「実は明日休暇が取れてさ。そっちに行こうと思うんだけど」
『そうか。それがどうかしたのか?』
「ああ。別にそうじゃなくって。この日って学校でしょ? あたしが着くのはお昼過ぎだろうから、あんたのトコ、入ってても良いでしょ?」
『別に構わ……いや。それは待ってくれ。今はまずい』
「まずい? 何が?」
『いや。それは言う訳にはいかない。済まないが……』
「何よ、それ?」
『済まないが、機密事項だ。とにかく、来訪は歓迎するが、決して中へは入らないでくれ』
その直後、ブツッと電話が切れた。
マオは舌打ちして電源を切ると、転んでソファに顔面から突っ込んだままのテッサを見下ろして、
「大丈夫?」
「……あんまり、自信ありません」
ソファに顔を埋めたままの彼女の泣きそうな声が聞こえた。


「と、とにかく、作戦を立てましょう」
テッサは恋する少女から作戦司令官の顔になり、マオの前に仁王立ちになる。
「メリッサの先程の電話から判断しますと、サガラさんは自分の部屋に何かを隠していると思われます。『構わない』と言いかけて慌てて否定している所を見ると、その可能性が高いでしょう」
「何を隠してるの?」
マオの問いに、テッサは自信に満ちあふれた真顔のまま、
「それはわかりません。しかし、何かとんでもない物であろう事は予測できます」
いわゆる「普通」の男の子なら「部屋を異常に散らかしている」だの「エッチな本が出しっ放し」等の理由も考えつくだろうが、「あの」相良宗介がそういう行動をとっている可能性は皆無に近い。
「ソースケがそうまでして隠そうとする物ねぇ……」
マオは頭の中で色々考えてみる。
その一 爆弾等の危険物……マンションの他の住人を巻き込む危険物を、部屋の中に隠しておくとは思えない(彼が所持している銃器類はこの際無視)。
その二 細菌兵器の類……見つけた時点ですぐさまミスリルの方に連絡がくる筈だ。それに、そんな兵器が日本にあるとも思えない。
他に、何があるだろう?
「きっと……わたしたちには言えない事なんでしょうね」
「まあ、そうでしょうね」
テッサの意見を復唱し、すっかり短くなったタバコを灰皿代わりの空き缶に押し込むと、
「という事は……」
再び考えようとした時に、テッサがとんでもない事を言い出した。
「これは……女性問題に違いありません」
「は?」
今度こそ、間違いなくマオの目が点になった。一体どこをどう考えてそういう結論に辿り着いたのやら。
「そう言うと思ってました。順を追って説明しましょう」
テッサは得意気に人さし指を掲げ、
「少なくともあのルックスです。他の女性が放っておくとはとても思えません」
(中身で大半の女は去ると思うけど)
「もしかしたら、サガラさんは、意外と女性好きなのかもしれません。普段の無愛想な顔と態度は、それを隠す為の巧妙に計算されたカモフラージュなんです。『自分は別に女性など興味はない』と周囲に思わせて警戒心を解かせ、安全な人物と思わせたところで……その……いろいろ……する訳です」
そう力説しながら、彼女の頬が少し赤く染まる。
「そしてその後、銃なりナイフなりを突きつけて脅迫・もしくは殺害し、完璧な口封じをしている可能性が高いですね。従って、被害者からの証言を得る事はおそらく無理でしょう。部屋にはそうした痕跡が残っているに違いありません」
(その部屋に、ついこの間まで住んでいたのは誰よ)
ここまで来ると、呆れるのを通り越して、何を言って良いのかさえわからなくなる。そもそも根拠はない、理論的でない、思考がワープし、支離滅裂で端的な意見。
彼女は彼の事となると――いや、加えて「大佐」という地位から解放されると、何故こうも周りが見えなくなるのだろう。
なまじ先を「読む」力がある事で、無駄に己の妄想に取りつかれ、自分で自分を苦しめ、追い込んでいる。
思慮深いが自分の考えは決して曲げない。思い込みが激しい。時として、それは頑固となる。
頑固な事はそれだけ意志が強い事の証明だが、何事にも良い面と悪い面がある。間違いなく、その頑固な面が悪い方向へと働いていた。
「マオ曹長!」
「はっ、大佐」
テッサがいきなり命令口調で言う。プライベートでは「メリッサ」なのに。その為か、マオも反射的にソファから立ち上がって直立不動の体勢で応対してしまう。
「この作戦は、当然極秘のうちに行う必要があります。そして、もし万が一、わたしの考えが正しければ、彼の所業を諌め、罰を与え、正さねばなりません。その為、この作戦にはわたしも同行します」
いきなりとんでもない事を言い出した。ぎゅっと握りこぶしを作って力強く宣言する。
「部下の悪しき行動を罰し、正すのは、責任者であるわたし自らが行わねばなりません。それが責任者の勤めです」
(いや。彼は、あたしの部下でもあるんだけど)
「異存はありませんね、マオ曹長」
(いや。異存がありまくりなんだけど)
こうなったテッサを止められるのは、少なくとも自分ではない。それに、ここまで思考が固まってしまうと何を言ったところで時間の無駄だ。
妖しい新興宗教にのめり込んだ信者が、家族や周囲の意見を聞かなくなるのと同じだ。
それどころか、いかなる手段をもってしても(さすがに部隊を動かす事はしないだろうが)これを実行する可能性がある。
それならば、とりあえず賛同しておき、自分の管理下において、監視していた方がまだ気が楽なのは確かだ。しかし……。
「あの、お言葉ですが、大佐は明日は執務がおありなのでは……?」
「その事なら心配には及びません。明日は、わたしは風邪をひく『予定』です」
(……サボる気か。たかだか写真一枚の為に)
今度は、マオの目の前が一気に暗くなった。

<中編につづく>


文頭へ 進む メニューへ
inserted by FC2 system