『栗府亭別人特別高座・「反対ぐるま」』
(寄席のお囃子の音)
え〜、ちょっとした蘊蓄からおつき合いを願います。
明冶時代を代表する乗り物と申しますと、色々あるのでございますが、何と言っても「人力車」をあげない訳にはいきません。
江戸時代は「駕篭」といって、一人のお客さんを乗せて、二人の男が前と後ろからえっちらおっちらとかついで走りました。
それから明冶になって人力車という物が登場しました。中には二人乗りというものもあったのですが。だいたいは一人乗り。まぁ、今のタクシーです。
江戸時代の輦台(れんだい:川を渡る時、人を乗せて運んだ台)と西洋の馬車からヒントを得て人力車が発明されたのが明冶二年(一八六九)年。
こいつは便利だというのでたちまち流行して、四年には東京府下で四万台にも急増しました。
何せ「人」という字と「車」という字を合わせて「俥」なんて字を作った程でしたから、その浸透ぶり・急増ぶりも想像ができようというもの。
八年には新橋駅の前だけで二七〇台からの俥があり、これでも足りないというのでまた七〇台ばかり増やす事にしました。
ところが「俺が先だ」「割り込むな」といった感じで、車夫同士が大げんかをしてかなりのけが人が出たなんて話が、当時の新聞に出ております。
明冶十三年になりますと、一人乗りが十万五千台、二人乗りが五万一千台、合わせて十五万六千台以上が、あちこちを走り回ったと申しますから、もう街の中は人力車の洪水です。
そんな車夫の服装はというと、紺の股引きにわらじばき、上は半纏を着て帯でキュッと結んでいる。頭はまんじゅう傘というのをかぶって、首には豆絞りか何かの手拭を結んでおります。
みんな威勢が良くて早そうに見える。どこにもおりますから、お客が声をかけるとすぐ乗っけてくれたものでございます。
しかし、そんな状態もつい最近まで。東京府が東京都と変わったように、交通事情だって変わってくる。
路面電車――正式には帝都蒸気鉄道というんですが、そういう物も走り回るようになりました。
ですが、電車は遠距離の大量輸送。人力車は個人の短距離の移動。と役割分担めいた物もありましたので、そう騒ぎにはなりませんでした。
それに、電車は線路のある所しか走れませんし、行き先も通るルートも決められておりますから、まだ小回りの利く人力車の需要も高かったんです。
そんな人力車の運命も、蒸気自動車の出現によってガラリと変わっていきます。
おまけに太正一一年に日本蒸気自動車協会なんて物が設立。
その初代総裁に就任致しました神崎重工社長・神崎重樹氏が就任の記者会見で、こんな事を申しました。
『あと五年でこの帝都から人力車を消してごらんにいれましょう!』
こんな事を言われちゃあ、いくら車夫達だって黙っちゃいない。おまけに帝都の大通りなんかでは自家用車ではないにせよ蒸気自動車の姿が増えていく。それにつれて人力車の数はどんどん減ってくる。
でも、それでも自動車なんて物は庶民にとっては高嶺の花。しばらくは何とか人力車もやっていけたんでございますな。


ここに、一人の青年が登場致します。
姓は大神、名は一郎。帝都銀座の大帝國劇場でモギリ係を勤めます、なかなかの男前でございます。
実際は、この帝都を守る「帝國華撃団・花組」の隊長だったりするのですが、それは公然の秘密、というやつでして。
彼は、ちょっとした訳がありまして、これから大至急上野駅へ行かねばならなくなりました。
最初は劇団員にして自称発明家の李 紅蘭謹製の蒸気バイクにまたがって颯爽と上野へ向かっていたのですが、何せ慣れないバイク操作。危うく神田川へ落ちそうになった所を間一髪、そのバイクから飛び下りて入水だけは免れた所でございます。
「困ったなぁ。こんな事じゃ蒸気鉄道の方が良かったかなぁ。でも、この時間は混んでるだろうし……」
そんな事を考えて走っておりますと、少し先に人力車が見える。ちょうど休憩しているらしく俥を止めて立っています。
「ちょうどいい。あれに乗せてもらおう。おーいっ、車屋さん」
彼は、その車夫に声をかけました。
「へっ、お安くまいりますよ。どちらまで?」
そう言われるのを待っていたのか、その車夫はおうむ返しに聞いてきます。
その車夫も他のみんなとそう変わらない格好をしていますが、背中に背負った白いギターが一風変わっていました。
車夫は、彼の顔を見るなり、背中のギターをくるりと前に持ってきて、
「大神じゃないか〜。ひさしぶりだなぁ〜。かつて兵学校で机を並べた仲間との再会だ」
そう言ってギターをボロロンと鳴らしましたのは、大神とそう変わらない背丈の青年であります。
「……え、え〜と」
「何だ。親友の顔も忘れるなんて。俺は悲しいぞ、大神〜」
その青年――加山雄一は再びギターを鳴らします。「悲しい」と言っている割にその顔には笑顔が浮かんでいます。
「いや。そうじゃない。お前が出てくるとは思ってなくて。別に忘れてた訳じゃないよ」
忘れていた訳ではなく、呆れていたようですね。しかし、自分の用事を思い出し、
「お前が車夫なら話は早い。上野駅まで、いくらだ?」
「いくらいただけます?」
間髪入れずに帰ってきた答えに、大神は再び唖然。
「乗せるのはそっちだろう?」
「乗るのは大神だろう?」
と、こんな調子です。真剣なのかからかっているのか、今一つわかりかねる態度であります。
でも、これでは話が進みません。仕方なく大神は、
「これじゃまるで掛け合いじゃないか。料金はいくらなんだよ」
「じゃあ、五円」
「おいおい。じゃあってのは何だよ。それに、単位間違えてないか? いくら何でも円と銭が違う」
当時の五円といえば大金という額ではないですが、十銭もあれば路面電車に乗れたこのご時世では、いくら何でも法外です。
「じゃあ、いくらならいいんだ?」
そう言われて彼はポケットの中の財布を開いて中身を見ますが、あまり持ち合わせがありません。
「……五銭で」
「いくら大神の頼みでも、それは聞けないな。せめて二十銭」
「……もう少し何とかしてくれよ。せめて十五銭」
時間がないものの、少しでも料金を浮かそうと、彼なりに必死です。
「しょうがない。お前の頼みを断るのも、男がすたる」
こんな感じではなくとも、交渉の仕方ではいくらでもまけてしまうのが当時の車夫さん。
ちょっと調子が良いな、と思いつつも大神は俥に乗ります。
「どっこいしょと……。おい、この俥、ずいぶん汚いな」
あちこち見回してみると、確かにかなり汚れています。
「ああ。さっき泥がはねてな。でも、座る所は大丈夫だぞ」
「それに……何だか生臭くないか?」
「今朝がた、足を挫いた魚屋のオヤジを運んだからかな。築地での仕入れの帰りって言ってたし」
さらりと帰ってきたその答えに、大神も呆れ顔です。
「おいおい。ひどい俥に乗っちゃったな。……ところで、膝にかける毛布は?」
「その方が風通しが良くていいぞ。風を感じて走るのは気持ち良いじゃないか」
「風通しが良すぎて、風邪を引いたらどうするんだ?」
「ああ。なんだったら、この風邪薬をやろうか? 二、三割まけておくぞ」
「しょうがないなぁ。鼻つまんで乗っていよう」
そう言いながら呆れ顔で鼻をつまみます。しかし、そんな大神に加山は真面目に、
「大神。俥の上で鼻をつまんでるヒマなんかないぞ。腰を浮かして、両肘でしっかりと身体を支えていてくれ」
「腰がくたびれるじゃないか」
「その代わり、足は楽だぞ」
こうなると、大神に彼を言い負かす事はできません。元々口が達者ではありませんから。
「ああ言えばこう言うなぁ。ところで、道はわかってるんだろうな」
何だか、急に不安になった大神は、念を押す意味で訊ねます。
「大丈夫大丈夫。ここは神田。行く先は上野。北へ北へとまっすぐ行けばいいんだから」
「そうだ」
「じゃあ、参りますよ。よっこらしょっと」
加山は俥の梶棒を上げると、ぶらりぶらりと歩き出しました。
「おい、加山。どうして梶棒をそんなに上げるんだ?」
真正面を向くと前方ではなく斜め上が見える状態の大神が言いました。返ってきた答えは、
「こうしないと、ちょうちんをひきずる」
何という答えでしょうか。その答えに笑顔が引きつるばかりです。
「ちょうちんって、車屋のちょうちんなんて、普通は小さいもんだろ?」
確かに、普通は小さいものです。
「本当は小さいんだが、俺のは大きくて長いんだ。目立って良いだろ?」
確かに、こんな長いちょうちんなら人目は引きます。俥を引くのには邪魔でしょうけど。
「何しろ『一般市民になりすましての情報収集』という、帝國華撃団・月組の任務で始めたものだからな。ちょうちんが間に合わなかったんだ。ちょうちんなしでは警察がうるさいから、しょうがなくて近所のお稲荷さんの奉納ぢょうちんを借りてきたんだよ。その証拠に、ほら。『正一位稲荷大明神』と書いてあるだろう?」
なるほど。いきなり車夫の格好をしている理由はそれのせいですか。しかし、大神は、
「客とちょうちんと、どっちが大事なんだよ」
「ちょうちんに決まってるだろ。客はいちいちうるさいが、ちょうちんは何も言わないから。でも、親友のお前は別だ」
「親友」と言われて少々照れるが、
「それにしても、乗ってるこっちはそっくり返って危ないよ」
「そっくり返ってる方が、偉そうに見えるだろう」
そう言いながら爽やかに笑います。が、大神の方は急いでいるので真剣です。
「おい。どうでもいいが、もう少し早く走れないのか? 今、子供に追い抜かれたぞ」
「……実は、今、走るのを医者に止められているんだ。駆け出すとひねった足に良くないって……」
「足が悪くて、何で車屋に変装なんだよ」
「俺は隊長だけど現場監督でもあるしな。俺が率先して働かないと部下に示しがつかないし、給料だって入らない。何なら俺の分、お前が働いてくれるか?」
つくづく大神を呆れさせる答えしか返さない男です。本気なのかからかっているのか、やっぱり良くわかりません。
「冗談じゃない。大変な俥に乗っちゃったな……。もういいから降ろしてくれ。自分で走った方がよっぽど早いや」
それを聞いた加山は残念そうに梶棒を下ろします。
「よっこらしょっと……」
「はい。代金の十銭」
俥から下りた大神は、財布の中の十銭硬貨をポン、と彼の手に握らせます。
「おいおい大神。十五銭じゃなかったのか?」
「まだようやく万世橋を渡ったところないじゃないか。この距離なら十銭でも高いぞ」
「じゃあ、途中で降りないで、上野まで乗っていけよ。安くしておくから」
意外と商魂逞しいようです。車屋をやっているのか情報収集をやっているのかわかりません。
「そっちは情報収集の任務があるだろう? それに、こんな調子じゃ向こうまで行くには、随分時間がかかる」
「そうだな。明日の晩までなら、絶対に保証するが」
「俺は急いでるんだよ」
それを聞いた加山はため息をつくと、
「じゃあ、しょうがない。ここで十銭にしておこう。ありがとうございました。また乗りにきてくれよ〜」
(誰が乗るもんか)
大神は、次の俥を探し始めました。


そこから少し行きますと、路肩に俥を止めて、その下で何かやっている車屋さんを見かけました。
「車屋さん。乗せてもらえるかい?」
「ちょいと待ってくれ。あたいは車屋じゃないよ」
俥の下から出てきたのは車屋ではなく、大神もよく知っている帝國歌劇団のメンバー・桐島カンナでありました。
歌劇団では男役をつとめます、大柄でおおらかな女性であります。
「カンナじゃないか。どうしたんだい、いきなり」
大神は、自分よりもはるかに背の高い彼女を見上げて訊ねます。
「ああ。この俥の持ち主がさ、急に具合が悪くなっちまって。それで今そこの病院に連れてったところなんだ」
カンナの指差す先を見ると、そこは確かに小さな病院があります。やがて、車夫の格好をした中年男性がそこから出てまいりました。
「あ。カンナさん。有難うございました」
深々と頭を下げる男に照れ笑いを浮かべて、
「ああ。気にすんなよ。それより、身体の方は大丈夫かい?」
「おかげさまで。この商売も大変でしてね。身体が資本なのにこんな事になっちゃあ、うちのかかぁに笑われっちまうよ」
確かに、何とか元気になったらしい。車夫独特の威勢の良さが感じられます。それからカンナは大神の方に向き直り、
「で、たいちょ……じゃない。大神さんはどうしてこんなところに?」
いつもの調子で「隊長」と言いそうになったカンナは慌てて言い直します。何せ「帝國華撃団」は秘密部隊ですから。
「ああ。そうだった。これから急いで上野駅に行かなきゃならなかったんだ」
「上野か……」
そう呟いたカンナの目の前に、この俥があります。そうなると考える事は一つです。
「そうだ。おじさん。悪ぃけどこの俥、ちょっと貸しちゃもらえないかな。すぐ返すから」
車夫さんはもちろん良い顔をしません。自分の商売道具を貸してくれ、と言われてはそう良い顔もできないのが職人というものです。
「……でも、仕方ない。恩人の頼みだ。それに、病み上がりに無理してまた倒れたら、今度こそかかぁに笑われる」
そう言って頭をポリポリとかきながら、
「いいだろ。カンナさんは力持ちだから大丈夫だろうし。でも、壊さないでくれよ」
その答えを聞いて、カンナは小さな子供のような満面の笑みを浮かべて彼の両手を握りぶんぶんと振っています。
「有難う、おじさん。ささ。早く乗ってくれ」
そう言うが早いか、梶棒を握ったカンナは一目散に走り出しました。
「あっ、カンナ! まだ俺乗ってないよ。……うわーっ、もう見えなくなっちゃった」
あっという間に遠くへ走っていったその様子に、車夫のおじさんもビックリしています。
それから少し経って、猛スピードでカンナが戻ってきました。
「何だ、乗ってなかったのか。どうりで軽いと思った」
ハハハと笑いながら今度は大神が乗るのをきちんと確認しています。
「上野だったよな」
「ああ。万世橋を渡ったところだから、かまわず北へ行けば着く筈だ」
遠くを指差す大神を見て大きくうなづいたカンナは、
「了解! あたいのは早いから、乗ったら腰を下ろして、足を思いっきり突っ張っていてくれよ。そらっ。あらあらあらよっ」
いきなり大神の身体が後ろに反り、背中が背もたれに張りつきます。凄い早さです。
「なるほど早いな。うーん。これは凄い。首だけ後ろへ持っていかれそうだ」
その言葉に、すっかり車夫になりきったカンナは威勢よく返事を返します。
「俥に乗ってる間は、あんまり口をきかない方がようござんすよ。舌かんで死んだって知らないよっ」
「おいおい、物も言えないのかい。うわーっ、自動車を二台追いこした」
当時の車はそれほど早く走れるものでもないのですが、追いこした自動車がどんどん後ろへ行くのを見て、大神も驚きます。
「自動車なんてお茶の子さいさいだよっ。さっきは蒸気鉄道と競争して勝ったぜ」
その答えが仮にハッタリだったとしても、このスピードを見れば誰でも信じてしまいます。
「おーい。今度はえらくガタガタするな」
これではスピードではなく、このガタガタで舌をかみそうです。
「この辺のガタガタは砂利の道だからしょうがないよ。舌かまないでくれよ、隊長」
スピードに驚くあまり、ちょっと見なれない所にいる事に気がつきました。
「おい、カンナ。あまり見なれない所に出たぞ。ちょっと止めてくれ」
「……止めようったって、これだけスピードが出るとなかなか止まらなくって」
この状態でいきなりは止まりません。下手に足を突っ張ってブレーキをかけたら、大神の身体だけが前の方へ飛んでいってしまいます。
「じゃあ、どうやって止まるんだ?」
カンナは走りながら首をひねると、
「前に何か高い物があれば止まるんじゃないかな」
「そんな無責任な……」
大神は呆れるしかありません。が、目の前に土手が見えてきました。
「おいおい。このままじゃ土手にぶつかるよ!!」
「なにぃっ!?」
カンナはいきなり足でブレーキをかけます。そのせいで大神の身体が前へ飛び、カンナにぶつかり、二人はそのままゴロゴロと転がっていきます。
二人は土手にぶつかると、痛みを堪えて何とか立ち上がり、今度は勢いがついて止まらない俥を受け止めました。
見事と言うしかない一連の動作。さすが、良い意味で人間離れした二人だけの事はあります。
「ふう。助かった。それにしても、どこだい、ここは?」
薄暗くなった辺りをきょろきょろと見回します。上野でない事だけはわかりますが。
「あ。あそこに『熊野の渡し』って書いてあるよ。って事は隅田川だな、この先は」
そう言って豪快に笑います。
「待ってくれ。俺は上野駅へ行きたいんだぞ」
さすがの大神も食ってかかります。カンナも自分が悪い事はわかっていますから。
「悪い悪い。万世橋から北へ北へって言うから、つい」
カンナはそう言って、大きな身体をしょぼんとさせています。ですが、大神も悪気があった訳ではない彼女を責める程怒っている訳ではありません。
「カンナが早すぎるんだよ。あー驚いた。こんなに早い俥は初めてだよ」
「どうだい。自動車にだってあんなスピードはそうそう出せないぜ」
「……ところで、こんな所で降ろされても困るから、上野の駅まで戻ってくれるかい?」
それを聞いてカンナも胸をバン、と叩き、
「いいぜ、隊長。でも、さすがのあたいもちょっと小腹が減ってきた」
「おいおい。しっかりしてくれよ」
「でも、隊長の命令とあらば、この桐島カンナ。メシなんぞ食わなくったって、たとえ火の中水の中……」
歌舞伎役者のように大見得を切ろうとしている所に、大神が短くツッコミを入れます。
「口上は良いから、早いとこ頼むよ」
「わかったよ。ちゃんと乗ったかい? さぁ、しっかり掴まっていてくれよっ」
そう言うと、再びカンナが走る、走る、走る。今度は他の人力車を十五台抜いて、自転車を一〇台抜いて、自動車を五台抜いて、ひたすら南へ南へと……。
「おいおい。あそこに駅が見えるけど?」
「そっか。ちょいと一服ついでに止めてみるか」
今度は慎重に足でブレーキをかけて止まります。辺りをきょろきょろと見回すと、看板がありました。
「えーと、大森の停車場って書いてあるぜ」
それを聞いて、大神は再びため息交じりで言います。
「大森? 俺が行きたいのは上野だってば」
「わかったわかった。これから戻るから、もう少し辛抱しててくれよ」
今度は前より「少々」スピードを緩めて北へと向かいます。それでも今度は他の人力車を十台抜いて、自転車を五台抜いて、自動車を三台抜いて、ひたすら北へと向かいます。
すると、今度こそ上野駅の駅舎が目の前に見えます。
「隊長っ! 今度は正真正銘の上野駅へ着いたぜ」
カンナが元気に答えます。大神の方は乗っていただけにも関わらず、肉体的にも精神的にももうヘロヘロです。
「あー、まさしく上野だ。いやぁ、ありがとう。ご苦労さま。ところで、暗くて良くわからないが、今何時だい?」
カンナはきょろきょろと辺りを見回し、駅舎についた時計を見つけると、
「えーと、午後の十一時過ぎだ……」
それを聞いて愕然とし、更に疲れがドーッと出てきてしまう。
「おいおい。じゃあ、もう終列車は間に合わないじゃないか。どうしよう……」
こんな事なら、最初からカンナの俥で目的地まで走ってもらった方が良かったかもしれません。が、後の祭り。
ガックリと肩を落とす大神に、カンナはその肩を叩いて、こう言いました。
「大丈夫だよ。その代わり、明日の始発には充分間に合うんだからさ」

<栗府亭別人特別高座・「反対ぐるま」 おわり>


あとがき

落語風にしてみましたが、たまにはこんな話はどうでしょう? 
この話はきちんと実在する話で、明治時代に作られたものです。それに「サクラ」風のアレンジを加えましてできたのが、この「反対ぐるま」という訳です。
そりゃ確かに「目黒のさんま」とか「まんじゅう怖い」のように有名な落語ではありませんけど。
これは、小学生の時に読んだ落語の本(もちろん中身は小学生高学年にわかるように多少アレンジされてるヤツですが)の話を見ながら書いたものです。本のタイトルをド忘れしてたんですが、図書館全部を歩き回ってようやく見つけて来ました(^^ゞ 。

この「反対ぐるま」。またの題を「冒険車」とも言い、上方(大阪)の「いらち車」という落語を東京風にアレンジした物らしいです。五代目三升屋小勝さんという人が大正の頃まで演じていたという記録があります。二代目三遊亭円歌さんの得意とした「ボロタク」は、昭和に入ってこの話をタクシーに変えたものです。
でも、この頃の落語は色々な話があってホントに面白いんですよ。さすがに寄席に聞きには行けませんが(木戸銭が高くて(^^ゞ )。でも、CDで聞くと落語家さんの身ぶり手ぶりが見えなくて今一つ面白味に欠ける。
でも考えてみると、私の原点って、落語なのかもしれないなぁ(^o^)。やってて楽だった事!


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