『奇怪な来訪者 肆』
グリシーヌ対ブリギット。光武F対モリガンの決闘が始まった。
光武Fが盾を構えて突進し、体当たりで相手の体勢を崩そうとする。
モリガンはそれを間一髪でかわし、すれ違い様に盾を持つ左手に剣を叩きつける。
だが光武Fは素早く反応して盾を動かし、剣をしっかりと受け止め、不安定な体勢から力任せに押し返す。
普通ならそれで倒れるところだが、モリガンはうまく受け身をとって後ろに転がり、間髪入れずに立ち上がる。
そのままモリガンはジャンプして、上空から剣を振りかぶって斬りつける。それを光武Fは後ろに下がってかわす。
モリガンが着地し、両手持ちにした剣を再び高く振り上げた時だった。
「もらったっ!」
グリシーヌは隙だらけのモリガンに狙いを定め、光武Fの握る斧に霊力を注ぎ込む。

<大いなる荒波の力を我が手に!>

心の中で強く念じ、その思いをぶつけるようにモリガンめがけ斧を振るう。
斧から溢れた霊力の塊が「大波(グロース・ヴァーグ)」となって具現化し、一直線にモリガンめがけて襲いかかる。霊力を「武器」として使える巴里華撃団ならではの攻撃だ。
相手は大上段に剣を振り上げているだけ。霊力の攻撃は通常兵器で防御する事が非常に困難。グリシーヌは勝利を確信していた。
しかし、その霊力でできた大波が真っ二つに裂けたのだ。その衝撃が機体を通じてグリシーヌにまで襲いかかる。光武Fは受け身も取れずに転ばされ、そのショックで斧を手放してしまう。
「しまった!」
何とか手を伸ばし、そばに転がっていた斧を掴んで立ち上がる。
一方モリガンの方は、両手で持った剣を地面に叩きつけるように振り下ろしたままだ。霊力の大波を剣で斬ったとでもいうのだろうか。
だが蒸気機関の煙突から大量の煙を吐き出している。一気にフルパワーを出した証だ。おそらく間違いないだろう。
ところが、さらに攻め込むチャンスにもかかわらずモリガンは動かなかった。
《やっぱり凄いねぇ〜。今ので決めたと思ったのにぃ〜》
モリガンの外部スピーカーからブリギットの声がする。肩で息をしているような、荒い息遣いだ。
「それはこちらのセリフだ。かなりやるな」
興奮を隠そうともしない弾んだ声。同時に予想以上の攻撃力に、一層気を引き締めるグリシーヌ。
そして両者は互いの様子を見ようと、武器を構えたままピタリと動かなくなった。
「また無茶をして……」
口をあんぐりと開けたまま、ディアンケットが呆けている。
「確かに。一気に勝負を決めたいにしても、ちょっと無鉄砲だな」
技術は高いが「読み」が足りないと思えるブリギットの行動に、大神が素直に感想を述べる。
「いえ。それもあるんですが……」
ディアンケットが言いにくそうに言葉を濁す。
その時、モリガンが再び動き出した。無謀とも思える直線的な突進。
(何を考えている!?)
これにはグリシーヌの方が驚いていた。しかしすぐさま気を取り直し、わざとギリギリまで接近させる。
「恨むなよ!」
グリシーヌは迫りくるモリガンの肩口めがけ、素早く斧を振り下ろした。腕一本を切り落として、それで戦闘力を削ごうという考えだ。
だが、モリガンは至近距離で振り下ろされたその斧をも避けてみせた。命中を確信していたグリシーヌは一瞬焦る。
斧を振り下ろした事で、光武Fも体勢が僅かに崩れていた。その隙を的確に突くモリガンの攻撃。剣を叩きつけられた胴体が鋭い音と火花を散らす。
「ぐぅっ!!」
その衝撃はダメージと共にグリシーヌに届く。とっさに斧を後ろに振り回すが、すでにモリガンは反対側へ回りこんでおり、再び剣での一撃を加える。
休む間もなく反対側から衝撃が来る。そうかと思うと前から。後ろから。上から。下から。次々と。
グリシーヌの予測を超えた動きでモリガンはあちらこちらと動き回り、無防備な場所に剣の一撃が放たれる。
光武Fもブンブンと斧を振り回しているが、かすりもしない。いくらパワーがあっても相手に当たらねば無意味だ。
一撃一撃の威力はそう大きいものではない。モリガンに搭載されている蒸気併用霊子機関は、光武Fほど膨大なパワーを生み出す物ではないのだ。基本的なパワーからして差があり過ぎるのだ。
だが、こう立て続けに何度も攻撃をくらっては、光武Fが持ったとしても、それに乗っているグリシーヌの身が持たないだろう。
いくら攻撃しても当たらない、焦りやいらだちの気持ちが高まり、精神が乱れ、それが霊力の不安定さに繋がる。
連続してやってくる轟音がコクピットの中を反響し、彼女の耳の奥をかき乱して平衡感覚が薄らいでいく。
さらにコクピットを襲う衝撃によって、グリシーヌの身体がカクテル・シェーカーの中の氷のように容赦なく揺さぶられる。
こうなるともう操縦どころではない。自分の意識を保つので精一杯だ。
グリシーヌの光武Fは、斧による近接戦闘を目的とした機体だ。そのため重い盾を持ち、他の機体と比べても装甲自体が若干厚く作られている。つまり重いのだ。一直線に走るのならともかく、軽快なフットワークで動くのは難しい。
一方モリガンの方は光武Fと比べて小柄で軽量。その戦法もスピードを生かしたヒット&アウェイ。そのスピードを生み出しているのは、ブリギットの操縦テクニックとコンパクトに作られた蒸気併用霊子機関。
霊子機関はともかく、蒸気機関発祥の地とされるイギリス製の蒸気機関は伊達ではないという事か。
そんな様子を内心ハラハラしながら見ている大神。ちらりと隣のディアンケットを見ると、大神以上に不安げにブリギットの戦いぶりを見ていた。
(自分達の方が優勢なのに、何をそんなに焦っているんだ?)
ディアンケットの表情に、小さな違和感を覚える大神。しかし、目の前のグリシーヌのピンチにそんな違和感がすぐさま消し飛ぶ。
連続して攻撃を受け続けている光武Fの全身からいくつもの小さな火花が散っている。場所によっては装甲が剥がれかかっているものもある始末だ。
光武Fの身体がゆらゆらと前後に揺れだし、ついに片膝をついてしまったのだ。
モリガンが一旦離れ、剣を両手で持ち直す。だが光武Fは片膝をついたまま動かない。いや。動けないのだ。
モリガンはその様子を見て、両手持ちにした剣をすっと高く掲げた。モリガンの全身が、うっすらとオーラに覆われる。そのオーラは間違いなく霊力が作り出したものだった。
「! ブリギット! やめなさい!!」
ディアンケットが思わず叫ぶ。その表情は青ざめていて、何かに脅えているようでもある。
「霊力!? 彼女も霊力を持っているんですか!?」
大神が驚く中、ディアンケットが必死に彼女を制止しようと叫んでいるが、ブリギットはその制止を聞き入れず、剣に己の霊力を込めた。

<湖の乙女よぉ〜。我に英雄の剣を貸し与え給えぇっ!>

すると、手にしていた剣が急に巨大な物に変化した。いや。ブリギットの霊力が具現化したのだ。
一方の光武Fはようやく両脚で立ち上がっただけだ。機敏に動けるとはとても思えない。このままでは巨大な剣の餌食だ。
ブォォォーーッ!
けたたましい音を立てて煙突から煙を吹き出したモリガンは、巨大な剣を振り下ろした。霊力の剣がうなりを上げて光武Fに迫る。まるでギロチンの刃のように。
ドガァァァアアアンッ!!
一気に大量の蒸気を吹き出した光武Fが真っ二つに斬り裂かれ、勢い余って石畳まで綺麗に寸断されている。
イギリスに伝わる英雄・アーサー王が持っていたという「王者の聖剣(エクスカリバー)」を思わせる切れ味。
その時大神は理解した。昼間逃げる時に壁を切り裂いたのも、さっきのグリシーヌの霊力攻撃を切り裂いたのも、全部この攻撃だったのだ。
霊力の剣は瞬く間に消え失せ、モリガンは剣を振り下ろした格好のまま動かない。
光武Fの吐き出した煙が薄れていく中、大神は言葉もなくその場に呆然と立ち尽くしていた。
その時だ。真っ二つに斬られた筈の光武Fの姿が陽炎のように消えていく。
目の前の出来事が信じられずに、大神は思わず目をこすってしまう。何が起こったのか全く理解できない大神であったが、
〈……隊長。私はこっちだ〉
大神の持つ無線機から、グリシーヌの声が聞こえる。
慌てて周囲を見回すと、さっきまであった巨大な剣の切っ先あたりに光武Fの姿があった。よく見ると、光武Fの足元の石畳には表面をえぐったような溝と、そこから何かが焦げたような黒い煙がたなびいている。
光武Fの脚部背面に装備されている車輪、グランド・ホイールの跡だ。それをとっさに起動させて猛スピードで地面を滑って移動。それで剣をかわしたのだ。
あまりにも急激に移動したために残像が残り、斬られたのはその残像の方だったのだ。
しかし、斧を握る右腕は間に合わなかった。切断こそ免れたものの、装甲が綺麗に切り裂かれて盛大に火花が散っている。もし盾の方で受けていたら、光武Fは盾ごと真っ二つにされていただろう。
「危なかった。まさに間一髪だった……」
グリシーヌは剣を振り下ろした格好のモリガンを見る。霊力を持つとは聞いていたが、ここまで霊力を使った強力な攻撃ができるとは思ってもいなかった。
だがこちらは右腕がなくても左腕がある。まだ機体は動く。まだ自分は戦える。モリガンもぎこちない動きで立ち上がった。勝負再開だ。
もう無謀なかたき討ちを止めるという気持ちも、さんざん罵りあった小さな恨みもなかった。今は単に勝ち負けをハッキリとさせたい。それだけだった。
光武Fは盾をその場に置き、斧を左手に持ち直して改めて構える。モリガンはその音を聞きつけたように向き直り、剣を構えた。
再び突進しようとしたその時、グリシーヌは気がついた。モリガンの足取りが、明らかに今までと違っている事を。
《どこだぁ……どこにいるんだぁ……》
切り忘れた外部スピーカーから聞こえるのは、不安げな弱々しい声。モリガンの歩き方が周囲を確かめるように小刻みになる。光武Fはモリガンの真正面にいるというのに。
(どういう事だ?)
演技とも思えないモリガンの行動に、光武Fも動けずにいる。そこに、ディアンケットから無線が入った。
〈グリシーヌ殿。あなたの勝ちです。モリガンを――ブリギットを止めて下さい!〉
「どういう事だ!?」
間髪入れずに質問を返す。
〈彼女は……彼女は霊力がないと物が見えないんです!!〉
「何だと!?」
これにはグリシーヌはもちろん、隣で聞いていた大神も驚くしかなかった。


《どこだぁ……どこにいるぅ……どこにぃ……》
かなり疲弊した途切れ途切れの声がブリギットの口から漏れている。
《ブリギット。今のそなたでは私には勝てん。降伏してくれ》
〈もうやめなさい、ブリギット!!〉
斧を下ろしたグリシーヌは、外部スピーカーで静かに語りかけた。もちろんディアンケットも無線で止めに入る。
するとその音に反応して向きを変え、さっきよりは幾分マシな歩調で歩かせる。だがその視界は夜の闇よりも暗く、ひとかけらの光すら見えない。
《倒すんだぁ……お姉ちゃんを倒してぇ、みんなを助けに行くんだぁ……》
自らに言い聞かせるように虚ろな声で、何度も何度も呪文のように唱えるブリギット。
《ブリギット。もうやめよう。この戦い、どちらが勝っても得る物など何もない》
最初から判りきっていた事だった。グリシーヌが勝っても何の自慢にもならないし、ブリギットが勝ったところで、全滅した仲間が蘇る訳でもないのだから。
にもかかわらずその場の勢いで戦いを始めてしまい、今こうしてブリギットは霊力をかなり使い果たしてしまっている。それに比例して体力も尽きかけているに違いない。
どんなに技術を鍛えても、まだ身体の方は十歳にも満たない子供なのだ。霊力も体力もすでに限界を超えているのかもしれない。普通ならとっくに意識を失って倒れているだろう。
「みんなを助けに行く」。その一点だけが彼女の気持ちを支えているに違いなかった。
モリガンがいきなり何もないところで派手に転んでしまった。横倒しに石畳に叩きつけられ、けたたましい金属音が辺りに響く。
しかしグリシーヌには近寄って手を差し伸べる事も、ひと思いにとどめを刺す事もできなかった。
モリガンは転んだ拍子に剣を放り出してしまったが、腰に吊るしたままの鞘を外し、それを杖代わりにぎこちなくよろよろと立ち上がる。
さらに転んだ時に蒸気機関に異常が発生したらしく、煙突でない部分から煙や冷却水が次々と吹き出している。あれだけ派手に動いたのだ。応急処置しかしていなかった蒸気機関に限界がきたのだろう。
そうでなくとも二度も連続して霊力攻撃をした事が原因で、霊子機関部分はオーバーヒートしているのだ。もともと連続した霊力攻撃の使用に耐えられる構造ではなかったのだ。
両手首と両肩につけられた霊力伝達用のチューブも転んだショックで外れ、動力不足を意味するブザーがコクピット内に鳴り響く。チューブを繋ぎ直す事も頭にないブリギットは、それでもなお歩こうとする。
《絶対ぃ……助けにぃ、いく……んだ……》
息は切れ、声はかすれ、涙声が混じる。モリガンは何度も膝をつき、それでもよろよろと歩いてくる。執念すら感じるブリギットの様子に、グリシーヌは小さな戦慄を覚えた。
《もういい! もうやめろ、ブリギット! 死んでしまうぞ!!》
グリシーヌもディアンケットも何度も何度も叫ぶが、その言葉は彼女には届いてはいない。
ひとたび「こうだ」と決めたら後の事を考えず、その事だけに全力投球し、何が何でも貫こうとする。
あるのは「みんなを助けに行きたい」という、命を賭ける事すら厭わぬ強固な意志だけだ。もう「無鉄砲」だの「視野狭窄」といったレベルでは語れそうもない。
どんな事にでも簡単に命を賭けてしまう、その姿勢は愚かしく見える。
しかしそれは命令ではない。自ら考えて決めた事。己の本心のままの行動だ。
「貴族」という枠に縛られ、なかなか本心すらさらけ出せないグリシーヌにとって、己の本心のまま行動しそれを貫くというブリギットの生き方は、どこか羨ましくもあった。
もしモリガンが無傷であったなら。もしブリギットにもっと体力や霊力があったら。こんな結果にはならなかったかもしれない。
できる事ならきっちりと決着をつけたかった。相手の自滅で勝負が決するなど。こんな勝利はグリシーヌも望んではいない。
自分の言葉が届かないと悟ったグリシーヌは、コクピットの中で寂しそうに顔を伏せ瞳を潤ませる。そしてブリギットの言葉も声を殺した泣き声だけになった。
弱々しく軋みながら小刻みに歩を進めていたモリガンだったが、やがてその機体の動きがピタリと止まり、スローモーションのようにゆっくりと地面に倒れた。
直後辺りに響いたのは、号泣する悲鳴にも似た金属音のみだった。


かつて。ドイツの極秘研究機関で、霊力を用いた人型兵器の製造とそのパイロットの育成が行われていた。
ドイツはもちろんヨーロッパの各地から霊力を持った子供達が集められ、その中に幼いブリギットの姿もあった。
だがそのパイロットの育成とは名ばかりで、実際は態のいい人体実験――地獄と言った方が似つかわしかった。
その後、この研究機関はさる別の秘密組織の手によって壊滅に追い込まれ、解体された。
その人体実験の唯一の成功例として生き残った人物はレニ・ミルヒシュトラーセ。現在は帝都東京の「帝國華撃団」の一員である。
その彼女ですらバレエ・音楽・戦闘行為でしか自分を表現できなくなったのだから、その「人体実験」の非道さは筆舌に尽くし難いものだったのだろう。
そのたった一人の成功例を生み出すまでに、実に多くの人命が研究機関の犠牲となっていた。
ブリギットは、その影に消えていった「失敗例の」一人だった。
育成プログラムの厳しさに命を落とす者・精神を崩壊させる者が続出する中、彼女も過酷な訓練と過剰な薬物投与のために両目の視力が失われ、身体の成長が止まってしまったのだ。
そして訓練中に命を落とし、壊れた玩具のように河に捨てられてしまった。
だが、偶然だったのか奇跡が起きたのか。それとも実は仮死状態だったのか。彼女は息を吹き返して何とか岸に這い上がり、そこで意識を失った。
そんな彼女を助けたのが、その研究機関を壊滅・解体させた組織だったのだ。
彼女から研究機関の詳しい内容を聞き出した彼等は、かねてよりの手筈通りにその研究機関を壊滅させ、生きていたレニの身柄を確保した。
一方ブリギットはレニと再会する事なく故郷のイギリスへ帰され、その組織の病院で身体を癒す事となる。
その後その組織は都市の霊的防御をする組織の作成に着手する事となる。
もちろんブリギットもその隊員の候補に上がったが、彼等が求めるだけの霊力が備わっていない事で、その候補からは外されていた。
だが、目が見えないにも関わらず彼女の日常生活は健常者とさほど変わった様子は見られなかった。
彼女は目ではなく「霊力で」物を見ていたのがその理由だ。
コウモリが暗い洞窟の中で自分の身体から特殊な音波を出して飛ぶように、彼女は自分の身体から霊力の波を出して、周囲の状況を把握しているのだ。
霊力についてはまだ解明されていない点も多く、その使い方も人によって様々だ、くらいの事しか判っていない。
きっと、これは両目を失ってから無意識のうちに彼女自身が編み出したのだろう。
彼女が「得た」能力を埋もらせる事はないと考え、イギリスの王立特殊情報部の蒸気騎士部隊へ配属し、専用の人型蒸気を作った。
それがモリガンという訳である。
いろいろ実験を重ねた結果、彼女の「霊力の波」は透明な物は通過するが、不透明な物には遮断されてしまう事が判った。
だから機体の前面にスリットを入れ、そこから霊力の波が人型蒸気の周囲にも行き渡るようにしたのだ。
少ない霊力を使って物を見て、さらに簡素とはいえ霊子機関を持つ蒸気騎士を動かしている訳だから長時間の活動はできない。
活動自体が短時間に制限されていたが、霊力による攻撃が可能なため、参加した作戦は数多かった。
しかし元来の物であろう無鉄砲で後先考えず突っ走る性格のためか、戦果も高かったが周りの足を引っ張る事もまた多かったらしい。


そんな説明を、グラン・マから渡された書類とディアンケットの話で聞いた大神は、病院のベッドで眠っているブリギットを見下ろしていた。
あれから三日が経つ。グリシーヌとの戦いで、まさしく「精魂尽き果てて」しまったのだろう。眠りっぱなしではないのだが、一日のほとんどを横になって過ごしている。
ディアンケットはそんな彼女につきっきりで看病していた。
その間巴里華撃団メンバーはたびたび見舞いに訪れていた(こういう事を一番やらなそうなロベリアは、エリカに引きずられるようにやってきた)。
特にブリギットと年齢の近い、ベトナム生まれのコクリコとはすっかり仲よくなってしまった。
コクリコは自分が属しているサーカス団「シルク・ド・ユーロ」の事を色々話し、ブリギットはそれをかなり気に入ったようだ。
大神は少々遠慮がちに訊ねてみた。
「彼女は大丈夫なんですか?」
「はあ。皆さんのおかげで。それに、派手に暴れた後はいつもこうなので、心配はしてません」
「いつも、ですか」
という事は、毎回のようにこんな風に眠りについているのだろうか。少しは学習能力という物を身につけた方がいいのかもしれない、と大神は真剣に思っていた。
だが、自分がレニと過ごして彼女が変わっていったように、ブリギットだってこれからも変わっていくだろう。人間的にも精神的にも。そしてその側にはディアンケットがいるに違いない。同時に彼はかなり苦労しそうだが。
無線での過激なやりとりと決闘前の彼女の明るさ溢れる表情を思い出し、大神は静かに微笑んだ。


それからすっかり回復したブリギットは、ディアンケットを伴ってシャノワールに挨拶にやってきていた。巴里華撃団のメンバー全員が揃って出迎える。
「皆さん〜。お世話になりましたぁ〜。あたし達はぁ〜、イギリスに帰りますぅ〜」
明るい笑顔で元気よく挨拶するブリギット。その様子は、とても盲目とは思えないくらいだった。
「うむ。ブリギットも壮健でな。次こそ決着をつけよう」
グリシーヌも照れくさそうだが、差し出されたブリギットの手を握り返す。再会を誓う固い握手だ。
「また遊びに来てね、ブリギット」
「うん〜。有難うぅ〜、コクリコォ〜」
年の近い二人が固く握手をかわす。そのどことなく微笑ましい雰囲気の中、
「お姉さん〜。これぇ〜、あたしが作ったんですぅ〜。よかったら食べて下さいぃ〜」
そう言って手提げ袋から出したのは一ホールのパイだった。少々呆気に取られたグリシーヌがぽかんとした顔でそれを受け取る。
「へぇ。これ何のパイなの?」
見た目も美しく焼き上がり、おいしそうな匂いのパイを見たコクリコが訊ねる。その後ろでは見事な出来映えに感嘆の声が漏れている。
「はいぃ〜。あたしの故郷の料理でぇ〜、『仔ウサギのパイ』ですよぉ〜」
ウサギの肉は日本では馴染みがないが、ヨーロッパでは割とポピュラーである。仔ウサギのパイは、別に珍しくもない普通の家庭料理だ。
「こ、仔ウサギ……」
パイを持つグリシーヌの顔がぴくりと引きつった。
ウサギの肉を嫌っている訳ではないのだが、仔ウサギと聞いた途端、ふっくらとした毛に覆われた幼い仔ウサギの姿が鮮明に思い浮かんだ。
ぴくぴく動く耳が。くりくりとしたつぶらな瞳が。ひくひく動く鼻が。彼女の脳裏に蘇る。
(仔ウサギなのか。あんなに可愛らしい仔ウサギ……なのか)
グリシーヌは硬直した顔のまま、ブリギットの方を見る。彼女は「おいしいですよぉ〜」とにっこり微笑んでいる。
……グリシーヌにはその微笑みを壊す事はできなかった。
「ああ、わざわざ済まぬ。有難く戴こう」
震える棒読みの声で礼を告げる。
「よかったぁ〜。ウサギは好きだってぇ〜、聞いてたからぁ〜」
(「好き」の意味が違うのだが……仕方あるまい)
「愛でる」と「好物」は違う。内心でガックリと落ち込んだグリシーヌだが、それを口に出すのは止めておいた。
「それでぇ〜。もうひとつぅ〜、あるんですけどぉ〜」
ブリギットはそう言うが、なぜか出すのを渋っている。
「あたしはぁ〜、あんまり好きじゃないけどぉ〜。お姉さんは好きだってぇ〜、聞いたからぁ〜」
少し困った顔になるブリギット。まるで「嫌われちゃうかもしれない」と脅えているようにも見える。グリシーヌは相手が盲目と判っていてもできるだけ穏やかな優しい笑みを浮かべ、
「判った判った。それも有難く戴こう。一体何なのだ?」
それを聞いたブリギットはディアンケットに合図を送ると、彼は足元にあった木箱をグリシーヌの足元にドンと置いた。
「これですぅ〜」
ブリギットが勢いよく木の蓋を開ける。一同がその中を覗き込むと……。

「タコだああぁぁっ!!」

木箱の中では八本の脚を持つタコが、うにょうにょと蠢いていた。青ざめた顔で木箱から二メートルほど飛び退く一同。例外はタコを食べる習慣のある日本人の大神とベトナム育ちのコクリコだけだ。
同じヨーロッパでもギリシャやイタリアなどの地中海に面した地方では食べられるのだが、そうでないところでは「悪魔の魚」と呼ぶ地方もあるくらいだ。怖がるのも無理はない。
「お姉さんのご先祖様ってぇ〜、海賊だったんでしょぉ〜。だから大丈夫だってぇ〜、言ってましたぁ〜」
天使のような全く悪気のない笑顔。思わず抱き締めたくなるような可愛さに包まれている。だがグリシーヌは、
「……ブリギット」
メラメラと燃え上がる怒りを無理矢理理性でねじ伏せたような声でブリギットに訊ねた。
「『聞いた』と言っていたが……誰に聞いたのだ?」
「ロベリアって人ですぅ〜」
ブリギットの答えを聞いて、グリシーヌは殺気立った目でぐるりと周囲を見回す。
案の定。たった今までいた筈のロベリアの姿が消えている。いや。通りの少し先に逃げ出していく後ろ姿が見えた。
「ロ〜ベ〜リ〜ア〜。きっっさまぁぁああっ!!」
活火山のごとき怒りがこみ上げて完全にキレたグリシーヌは、ポール・アックスを振りかざしてロベリアを追いかけていった。
(貴様! 一体どういうつもりだ!!)
(お前のトコのメイド達が、市場でたくさんタコを注文してたからな。お前、好きなんじゃないのか?)
(何だ、その「からかってます」と言っているのも同然の顔は! メイド達から何を盗み聞きした!)
怒りに任せてぶんぶん振り回されるポール・アックスを、からかうようにひらりとかわしてみせるロベリア。
そんな光景を、一同は苦笑いしながら見守っていた。

そしてグリシーヌは――タコが大の苦手だという事を、大神はのちに知る事となる。

<奇怪な来訪者 終わり>


あとがき

「奇怪な来訪者」。お送り致しました。今回はグリシーヌを主人公。話の中心はブリギット嬢という、少々判りずらいとも言える構成に致しました。
今回ほど書きながら構成がグルグル変わった話はありませんでした。おかげで話のスジが二転三転。
ちなみに、話の連想の一番大元は「水戸黄門」だったりします(笑)。どこから違う方向へ行ってしまったのであろう。

ところで、今回の話の中心はブリギット嬢。一応ブリギット・レイクディストリクトというフルネームを考えていたんですが、使う所がなかった(苦笑)。
彼女のモデルはもちろんグリシーヌ。彼女の「真面目で強い正義感」「自分の考えを曲げない頑固さ」「本当はとっても優しい」といった面を抜き出し、幼くしたのがブリギットです。
ですから「似た者同士」で当たり前(笑)。
年齢の割に高い戦闘力という事で、一番説得力を持たせられそうだった「ヴァックストゥーム計画」をからめてみました。
設定ではレニだけが生き残ったという事なので、一旦「死亡」して廃棄されたけど実は……といういかにもあとづけな感じが。それに彼女には可哀想ですが「失敗例」だし。
彼女の出身をイギリスにしたのは、蒸気機関発祥の地の割に、蒸気機関溢れる「サクラ大戦ワールド」にイギリスってあんまり出てこないから。二次創作の入り込む余地があったからです。
そんな訳で彼女の名前の「ブリギット(ブリジット)」。それから「ディアンケット(ディアンケト)」「モリガン(モリーアン)」は、イギリスのケルト神話の神からとりました。レイクディストリクトはイギリスの地名だし。
もちろんブリギットの必殺攻撃(笑)の名前は「エクスカリバー」です。

今回のタイトルの元ネタは1971年のフランス映画「危険な来訪者」から。
夏休みを海辺の別荘で過ごしていたベルナー一家の元に突如二人組の男が乱入し、娘を人質に身代金を要求。父親は止むを得ず犯人の一人に付き添われパリの銀行へと向かう……。といった感じのサスペンスでございます。
もちろんこの話との関連性は……全くありません。あしからず。

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