『特攻野郎華撃団/愛と美の殴り込み大作戦 壱』
太正十六年。新春特別公演「海神別荘」を終えた大帝国劇場。
公演が一段落したとあって、劇場としての仕事は休みとなる。
そんな中、大神一郎は日課にしている木刀の素振りを終え、ひと休みしていた。
普段はこの劇場のモギリ係として。そして緊急時には霊力によって帝都を守る極秘部隊「帝国華撃団・花組」隊長として働く彼であったが、今は帝都を脅かす存在は確認されていない。
「あ、あの。大神さん。お手紙が届いてましたよ」
どこかおっかなびっくりで声をかけてきたのは、一人の陸軍女性士官だった。襟についた階級章は少尉だ。
艶やかな黒髪を首の後ろで短く切り揃えた彼女は、軍服に似つかわしくない可憐な表情を浮かべている。
「あ、ありがとうございます」
大神は葉書を受け取ると、書かれている文面を読んだ。
海軍兵学校時代の同期生で集まって、ちょっとした会合を開こうという案内だ。今でこそ極秘部隊の隊長をつとめているが、彼は元々海軍中尉なのだ。
字面を眺めているだけだった大神だが、一番下の「追記 落合真伍ノ所在ヲ知ル者ハ幹事伊藤マデ」の文面で表情をわずかに固くする。
兵学校を出てもう四年になる。同じ釜の飯を食った仲とはいえ、その後の転属先はバラバラだ。以後一度も会っていない者もいる。連絡が取れなくなった者がいてもおかしくはないだろう。
理屈ではそう割り切るが、それでも大神は一抹の寂しさを噛みしめていた。
(落合は、確か実家が品川だって言ってたな。今度探してみようか)
一応前向きな考えで寂しさを振り払う。
すると、葉書を届けてくれた女性士官が自分の方を見ているのに気がついた。その表情は、憧れの男性の前で嬉しさと緊張を隠せない、そんな風にも見える。
「え。まだ、何か?」
いきなり声をかけられて驚いたのか、
「あ、あの。その、実は……」
どこか照れくさそうに顔を伏せ、口ごもる。でもすぐ話そうとするがまた黙ってしまう。彼女はそんな事を二度三度くり返したのち、
「いっ、いえ。やっぱりいいんです、ごめんなさい!」
くるりと後ろを向いて走り去ろうとした。
「ひょっとして何か悩みごとかい?」
真面目な彼の言葉が彼女の心を鋭く突き刺し、足が止まってしまった。
大神はそれほど器用な性分ではない。特に女性相手となるとそれが顕著だ。
しかしこの大帝国劇場で、帝国華撃団・花組の隊員を兼任する八人の女優達と暮らしているのだ。まだまだ鈍いとはいえ、女性に対してそれなりの洞察力を身につけるというもの。
もっとも、彼の場合はそれでもどこかとんちんかんな対応をする事もしばしばであるが。
大神は、自分の言葉に思わず足を止めてしまった彼女に、できるだけ優しく話しかけた。
「俺でよければ力になるよ。いつもお世話になってるし」
(確かに大神さんならものすごく頼りになるけれど、やっぱりご迷惑になる事をお願いする訳にはいかないし……。でも人手はあった方がいいし……)
彼女の悩みは続く。大神とまともに顔を合わせる事もできず、顔を伏せたり視線を逸らしたり。
(でも、大神さんなら、きっと力になってくれる)
何の打算もなく他人のために動ける。それが大神のいいところだ。それは彼女も判っている。
「……判りました。お願いします」
一気に吹き出すように言って、深々と九十度のおじぎをした。
「……ああ」
大神は、彼女の内心の動揺や葛藤にほとんど気がつかず、気の抜けた返事をした。
彼女――いや。訂正をしなければならない。
そう。彼、丘菊之丞(おかきくのじょう)の頼みごとが、事件の始まりであった。


菊之丞は少女のような外見ではあるが、本来の身分はれっきとした帝国陸軍の少尉である。階級章は飾りやアクセサリーではない。
しかし、その少女のような趣味思考・言動から軍内部では爪弾き者扱いをされ、同じような趣味思考の二名と共に隔離されてしまったのだ。
だが、その三名はこの大帝国劇場支配人にして帝国陸軍中将・米田一基に拾われる形で大帝国劇場へとやってきた。
そして、劇場地下に居室を構えて自らを「薔薇組」と名乗り、今日に至る。
普段は三人一緒にいるのだが、今日はどうやら違うらしい。
大神がその事を問うと、菊之丞は「お二人にご迷惑はかけたくないんです」とキッパリ言った。
そのキッパリとした態度に感じるものがあったのだろう。男なのに少女のようにしか見えない彼をついつい避けてしまう大神も、その態度には真正面から答えなければならないと思った。
その生真面目さが彼のいいところであり、同時に野暮なところでもあるのだが。


三十分ほどのち、二人の姿は大帝国劇場そばの小さな喫茶店にあった。
菊之丞は士官服ではなく、その辺の女学生が着ているような地味な袴姿に着替えていた。軍服のままこんな喫茶店に入ろうものなら目立ってしょうがない。
だが少女のような顔立ちのため全く違和感がなく、大神と二人で並んだら恋人同士に見られても不思議はないだろう。
それが判っているのかいないのか。モギリ服の大神はどこか気まずそうな表情できょろきょろと周囲を見回している。
「ところで、俺に相談したい事って……」
向かいに座る大神の方から話を切り出され、言葉に詰まって顔を真っ赤にして伏せてしまう菊之丞。胸に手を当てて呼吸を調えて落ち着こうとしている。
そして落ち着いたのだろう。少し伏し目がちのまま、静かにぽつりと答えた。
「実は、お友達の事なんです」
そんな二人の座るテーブルに、学生服の上に外套を羽織った男がまっすぐやってきた。
「菊之丞。待たせて済まない」
開口一番短くそう言うと菊之丞は笑顔になり、自分の隣の席をすすめる。彼も黙ってそこに腰かける。
「え、え〜と。この人が、その『お友達』?」
今度は大神の方がおっかなびっくりに菊之丞に訊ねる。
「はい。菊之丞の幼馴染みで色部(しきべ)三郎と言います」
その色部と名乗った学生は、座ったまま軽く会釈をした。少し不健康な肌の堅物そうな青年である。
しかし、その頬には湿布が貼られており、目の周りが青く腫れている。腕も動かしずらそうで、結構なケガをしている事は誰が見ても一目瞭然だった。
「はじめまして。大帝国劇場で働いている、大神一郎といいます」
大神の方も折り目正しく会釈して返す。
「大神さん。実は……」
菊之丞が口を開いた時、色部の方が無言でそれを止めた。「自分で話す」と言わんばかりに。
菊之丞は黙って彼の言葉を待った。色部は少しうつむき加減のまま、ぽつりと語り出した。
「ぼくはご覧の通りの書生です。今は栽尾(さいお)様のお屋敷にお世話になっています」
書生というのは(主に)お金持ちの屋敷などで住み込みで働く学生の事だ。この太正の世なら別に珍しい事でもない。
だが、身分的には通常の給仕よりは格下に置かれていた。
その屋敷の一人娘と書生が恋仲となったが、身分違いで引き裂かれたという話はいくらでも転がっている。
大神は、おおかたそのたぐいの話だろうと思っていたら、少々違っていた。
「旦那様や奥様はもちろん、お……お嬢さんも、こんな自分に本当によくして下さって。自分で言うのもなんですが、果報者だと思います」
少し嬉しそうに顔をほころばせて話す色部。
大層可愛がられているであろう事は、学生服の上に着ている外套が割と上等なところからも判る。上等といっても一介の書生にしては、だが。
「ですが……。一昨日の事です。そのお嬢さんが、誘拐されてしまったんです」
辺りを警戒して声のボリュームを落とした色部の言葉に、大神の表情が凍りついた。
「ゆ、誘拐って。警察には届けたのかい!?」
思わず大声が出そうになった大神だが、話の内容が内容だ。同じように声をひそめて相手に訊ねる。
「もちろんです。ですが、相手が若衆会(じゃくしゅうかい)というヤクザだと判った途端手のひらを返したように『諦めろ』と言わんばかりの態度になって……」
若衆会の名が出て、大神の表情が唖然としたものになる。
新聞によれば、若衆会とはここ銀座から少々離れた品川にある、割と大きなヤクザの組だ。
ヤクザといっても元々は地域の荒くれ者・町の裏稼業を仕切る団体という面が大きかった。事実、江戸時代に品川に宿場が開かれた頃から代々若衆会が宿場の裏側を仕切ってきたそうだ。
義理と人情を大事とした仁侠道を貫き、善人ではないが決して「悪人」という訳ではなかった。だから警察も法に触れる真似をしない限りは手を出す事はなかった。
ところがそんな伝統を守ってきた若衆会だが、昨年代替わりをした途端、仁侠道などどこ吹く風。ただの悪の組織となってしまった。
最近では外国製の銃火器や最新型の人型蒸気まで仕入れているらしく、その装備は軍隊に匹敵するとかしないとか。
そういう事情で、警察すらうかつに手が出せない犯罪組織へと変貌してしまったらしい。
もちろん新聞に書かれた事総てが真実という訳でないが、いくら警察だとしても、そんな物騒な組織と正面から戦おうなどとは思うまい。
ならば軍ならどうか。相手が軍隊並の装備ならこちらも本物の軍隊を出せば決着はつくかもしれない。
いくら強い武器を持っていたとしても、使うのは本格的な戦闘の訓練を受けていない素人がほとんどだろう。
だが、街全体の治安が悪いために軍隊で鎮圧活動を行うならいざ知らず。どんなに強いとはいえ一介のヤクザ相手に軍が出たとあっては物笑いの種である。
軍というものは民間人が思っている以上に「体面」を気にするものなのだ。
「ぼくもお嬢さんを取り返そうとしましたが……この有り様です。とても勝ち目がありません」
その言葉で、彼の酷いケガの理由を理解した大神。だが、新聞に書かれている事が事実なら、むしろこの程度で済んでよしと解釈するべきか。
色部は見るからにケンカなどは弱そうだ。それゆえにここまでのケガを負ったと解釈する事もできる。
「それで……そのお嬢さんを取り戻したい、という訳かい?」
話を聞いていた大神も悲愴な表情は隠し切れない。
こんなケガまで負っても「お嬢さんを助けたい」というその気持ちは何とかしてやりたい。だからこそ、菊之丞は自分に相談を持ちかけたのだろうし。
だが、新聞などに仰々しく載ってしまうヤクザの本拠地に、果たして自分が乗り込んでいけるものだろうか。さらわれた女性を助け出せるだろうか。
自分の力量を過小評価しているつもりはないが、自分一人では――そしてこのメンツでは――出来はしないだろう。
ばりばりばりっ!
「なるほどねぇ。そういう事だったわ・け・ね☆」
いきなり背後から聞こえてきた音と声に、思わずびくっと硬直してしまう大神。
「琴音さん! 斧彦さん!」
菊之丞が目を見開いて驚きの声をあげる。
振り向いた大神の目に入ったのは、真っ赤な大輪の薔薇を刺繍した黄色いコートをまとう長身の男と、陸軍の軍服を着た筋骨隆々の巨漢の男だ。
巨漢の方がドスドスと足音を立ててテーブルを回りこみ、
「あたし達に隠れて大神さんと密会なんて。許さないわよ♪」
低いダミ声でしなを作りながら、化粧をしたいかつい顔を菊之丞にこすりつける。菊之丞は何度も「ごめんなさい」と平謝りをするのみだ。
巨漢の方――太田斧彦(おおたよきひこ)陸軍軍曹はぽかんとしたままの色部を見下ろすと、
「……まぁ。一郎ちゃんみたいに引き締まった凛々しさもいいけど、この子みたいに儚げな文学青年って感じの子もいいわねぇ。ふふ♪」
斧彦の視線がずいぶん熱を帯びている。このまま襲いかかりかねないくらいだ。
「斧彦。今日は菊之丞に話があるんでしょ。男あさりしない」
黄色いコートの裾を静かにひるがえし、大神達から見て右四五度くらいの姿勢でポーズを決めて止めに入ったのは、美しい事にとことんこだわるので有名な清流院琴音(せいりゅういんことね)陸軍大尉。
彼女……いや、彼は涼しげでインテリめいた雰囲気を漂わせ、メガネのブリッジをゆっくりと持ち上げた。
清流院琴音。太田斧彦。丘菊之丞。この三人が「薔薇組」の面々である。
「さて、菊之丞」
席についたままの彼に、琴音は少し高めの声で冷ややかに言った。
「事情はさっきからそこで聞いてたわ」
琴音が手にしていた羽根扇子で差したのは、喫茶店の壁だった。そこに人が隠れられるくらいの穴が開いている。という事は、今の今まで壁に潜んでいたのだろうか。
穴はいつ、どうやって開けたのだろうか。
だが、それを聞いてみたところで答えてくれないであろう雰囲気は、誰の目にも感じられた。
「どうして?」
琴音は菊之丞にたった一言だけそう訊ねた。
三国志の「桃園の誓い」のように生まれた時は違っても死ぬ時は一緒……とまではいかなくても、共に手を取り合い、時には仲よく時には助け合い時にはケンカといった感じであっても賢明に生きていこう。
たとえ世間の風潮には逆らえなくても、自分にだけは素直に正直に、あるがまま暮らしていきたい。
そういう様々な熱い想いで結ばれた「薔薇組」なのだ。菊之丞もそういった気持ちは痛いほど理解している。
「ですけど……ですけど、琴音さんや斧彦さんに、ご迷惑はかけられません」
琴音の発する無言の圧力。それに押し潰されそうになりながら、蚊の鳴くようなか細い声で菊之丞は答えた。
「若衆会って、凄いヤクザさんだそうじゃないですか。そんなところへ行くんです。いくら琴音さんや斧彦さんがお強くても、無事に済むかどうかは判りません。本当は、大神さんにお願いするのだって……申し訳ないくらいです」
深くうつむき、目に涙を溜め、泣き出すのを賢明に堪える菊之丞。そんな菊之丞の肩をそっと叩いたのは斧彦だった。
「そんな心配なんていらないわ。あたし達は仲間じゃないの」
「斧彦の言う通りよ、菊之丞。あなたがそうやって辛そうにしているのを見るのは、こっちだって辛いのよ。一人の悩みはみんなの悩み。一人の喜びはみんなの喜び。苦しみを分かち合い、喜びを分け与える。それが美しい友情というものではなくって?」
仰々しいポーズまでつけて力説する琴音。
「そ、そうだよ。俺だって、迷惑だとか、そんな風に思ってない。力になるよ」
琴音の勢いに釣られたのか、今まで口を開けなかった大神も、彼の意見に賛同する。
その言葉に顔を上げた菊之丞は、大神、琴音、斧彦の顔を代わる代わる見つめる。見つめるどの顔にも決意の強い意志が表れている。
「あ……有難うございます、皆さん」
ポケットからハンカチを取り出し、涙を拭きながら何度も礼を言う。
「よかったわね、さぶちゃん。みんな力を貸してくれるって」
菊之丞は、話の中心にもかかわらず今の今まで完全に放っておかれた形の色部三郎にそう告げる。
「こう見えても皆さんとってもお強いから。大丈夫」
「こう見えても、が余計よ」
漫才のツッコミのような絶妙のタイミングで言い放つ琴音。
「そうと決まれば急ぐべきね。『善は急げ』っていう事だし」
ポンと手を叩いた琴音だが、ぐるりと一同を見回して、
「……だけど、このメンバーじゃあ、ちょっと心もとないわねぇ」
あごに手を当ててう〜んと考え込んでいる。
すると、いきなり琴音が早足で店の外に出て行った。しばらくして琴音が店内に戻ると、かたわらに強引に引きずられる男の姿があった。
オールバックの髪に白いスーツ。どことなく明るく飄々とした雰囲気を漂わせた青年である。
「加山!?」
その青年を見た大神が思わず大声を上げてしまう。
琴音が連れてきたのは加山雄一という男であった。
大神とは海軍兵学校時代の同期で、親友でもある。現在は帝国華撃団の同僚だ。ただ、実動部隊花組の隊長である大神と違って、彼は裏方とも言うべき情報収集部隊・月組の隊長である。
「清流院。いきなり連れ込むっていうのは、ちょっと強引じゃないか?」
強く握られていた手首を、さも痛そうにさすりながらぶつぶつ文句をたれる加山。
「アラ。せっかく人助けという善行に協力させてあげようというのに、そんな態度はないでしょ」
琴音はすました顔で色部を指差すと、
「こちらの書生さんがお世話になっているお屋敷のお嬢さんを救出しに行くのよ」
くっつきそうなほど顔を近づけ、加山のあごを人差し指でつつつとなぜる琴音。
「もちろん手伝ってくれるわよね?」
「わ、わかったわかった」
それ以上近づくなとばかりに両手で壁を作り、冷や汗混じりに答える。
大神は加山がいれば……と、少々気持ちが楽になった。
何せ彼が隊長を勤める月組は情報収集部隊である。どこかに忍び込むといった活動はお手のものだ。
こうした人質救出という作戦の場合、どこに人質がいるのかを確認しておくのは最優先事項。
まかり間違って人質を傷つける訳にもいかないし、ピンチになった時に人質を楯にされないためにも侵攻ルートを考慮する必要があるからだ。
間違っても、どこか無気味な薔薇組に囲まれるのが自分一人じゃないという安堵感だけではない。
「それから、そこのあなた」
琴音はふいに色部を指差した。
「悪いんだけど、あなたは連れて行けないわ。残りなさい」
どこか茶化したような口調だが、目は真剣だ。
「な、なぜなんです。ぼくが……」
「……行ったら、大ケガどころじゃ済まないわよ」
琴音は色部の言葉を打ち消すようにぴしゃりと言い放つ。
「ただでさえそんなケガをしているんだから、連れて行ったら足手まといになるわ」
確かにそうだ。見た目からもケンカが弱そうな色部。さらにケガまで負っているのだ。戦力としては全くの役立たずである事は明白。せいぜいできて道案内くらいだ。
「で、でも、これは元々ぼくの問題です。それに、お嬢さんのために命を投げ出す覚悟は……」
「それよ。それそれ」
思わず文句を言って立ち上がりかけた色部を、琴音は思いきり蔑んだ目で見下ろす。それからいらだちを隠そうともしないで足をトントンとやりながら、
「あなたとそのお嬢さんがどういった関係かを問うほど野暮じゃないけれど、あなたが命を投げ出して彼女を助けたところで、喜ぶ人は誰もいない。違う?」
琴音は蔑んだ目のまま色部に訴える。
「男はよく『命を投げ出してでも助ける』なんて軽々しく言うけれど、ホントに投げ出しちゃったら、助けられた人が悲しいだけじゃない。そんなものはちっとも美しくないわ」
それから、立ち上がりかけた姿勢のまま固まっている色部の顔を覗き込むように背を曲げると、
「命を投げ出すのと、命がけで取り組むっていうのは全く違うのよ。そこのところをきちんと理解しなさい」
琴音の言葉に感じ入る部分があったのだろう。色部は黙って席につき直した。
「大丈夫よ三郎ちゃん。あとはあたし達に任せて。絶対に悪いようにはしないわ」
斧彦が色部に後ろから抱きついて、彼の耳元で囁く。
「はぁ」
もう色部はため息をつく事しかできない。
それにしても――色部は思う。
どこか自分に酔っているだけという気がする変な人。
筋骨隆々の巨漢なのに女性としか思えない仕草口調の軍人。
昔から「女みたい」だと言われてからかわれてきた幼馴染み。
真面目そうだが「俺に任せろ」という雰囲気が感じられない優男。
よく判らないうちに巻き込まれたというのがありありと判る青年。
こんな面々が、本当に助けてくれるのだろうか。助けになるのだろうか。
琴音、斧彦、菊之丞、大神、加山の五人を見て、色部がそう思ったのも無理はないだろう。
「大丈夫よ、さぶちゃん。大船に乗ったつもりでいてね」
少しでも元気づけようと、菊之丞が声をかける。
だが色部には、その大船が十数年前に沈んだという豪華客船「タイタニック号」に思えて仕方がなかった。

<弐につづく>


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