『整備班長ジャンがしたこと 後編』
パリの市街地は、大きく二十の区に分けられている。それがルーヴル美術館の辺りを中心に、時計周りに渦を巻くように広がって並んでいるので「エスカルゴ」と形容される。
シャノワールがあるモンマルトルは市内北側にある18区。オーステルリッツ駅があるのは東側にある13区。距離にしてだいたい五〜六キロメートルしか離れていない。
この駅はフランス南西部へ向かうターミナル駅。どんな理由があっても、駅機能を麻痺させる訳にはいかない。
どうにかオーステルリッツ駅に到着した華撃団。幸い警察による住民の避難は九割方済んでいるので人通りは少ない。市民を巻き込んでしまう事も少ないだろう。
指令部からの情報によれば、駅周辺にいるポーンは十体ほどとの事。もっとも、増援がないという保証はないが、手早く片付けるに越した事はない。
便宜上「蒸気獣」と呼んではいるが獣以上の賢さを持つ無人の人型蒸気なのだから。
唯一シャノワールでのモギリ服に愛刀一つでやってきた大神は、手持ちの小型無線機で皆に言った。
「いいかみんな。前回同様指揮をしている怪人らしき蒸気獣が見えない。でも、隠れている可能性だってある。充分警戒してポーンを倒していくんだ」
『了解した!』
真っ先にそう返答したグリシーヌが真正面のポーンに突進していく。彼女は雄叫び上げて斧を高々と振り上げると、突進の勢いを利用してポーンの顔面に斧の刃を叩きつける。
一瞬遅れてポーンの頭部が割れて地面に落ち、数秒後に爆発を起こす。だがその爆炎にまぎれて遠方から発砲してきた別のポーンの弾で被弾し、グリシーヌの機体がひっくり返された。
「了解してないよ……」
倒れた轟音に掻き消された大神の言葉が彼女に聞こえなかったのが幸いだろう。
だが彼が彼女達を叱咤する余裕はなかった。グリシーヌに発砲したポーン達が、今度はそれ以外のメンバーに発砲してきたからだ。
無線機から響く彼女達の悲鳴を落涙の思いで聞きつつ、生身の大神は真っ先にその場から逃げ出した。人型蒸気同士の戦闘に、生身の人間が巻き込まれたらいくら何でも命がない。
とりあえず頑丈そうな建物の影に隠れると、
「大丈夫か、みんな!」
『はい、どうにか』
『へ、平気だよこのくらい』
無線機から花火とコクリコの気丈な声が聞こえてくる。残りの三人はどうしたのだろうと、建物の影からそっと覗き込むと、
まず、エリカの機体がグリシーヌと同じようにひっくり返っていた。おまけに自分の武器である機関砲が上に乗っている。人間であれば「重くて動けないよ〜」といった風情だ。
だが、ロベリアの機体がどこを探しても見当たらない。まさかとは思うが、形勢不利と見て逃げ出したのか……と思いきや、通りの向こうでポーン達が上空に跳ね飛ばされているのが見えた。
それはロベリアの仕業だった。地面の影に潜むように密かに移動し、ポーン達の足元から飛び出して鋭い鉤爪を振るったのだ。彼女の泥棒としての静粛性がこのような形で発動したのだ。
ロベリアの霊力が生み出した鋭い爪と化した炎に、ポーン達は鋭く斬り裂かれ焼き尽くされる。まさしく「炎の爪」と形容すべき攻撃だ。
『これで貸し一つだな、突撃バカ貴族』
『すぐに倍にして返してやる、騙し討ちのコソ泥が』
ロベリアとグリシーヌの険悪な物言いだが、さすがに実戦中にケンカを始めるほど非常識ではない。すぐさま掃討に向かった。
立ち直ったコクリコは一つ向こうの通りにポーン達が向かったのを確認すると、その場で大きくしゃがみ込んで、一気に高々とジャンプ。光武Fの倍以上ある建物の屋根に一気に飛び上がった。
そしてその屋根を蹴ってさらにジャンプ。あっという間にポーン達を先回りする形で通りに見事な着地を決めた。
別にコクリコの光武Fにだけこの跳躍力があるのではない。身軽で軽業の得意なコクリコの「特性」を光武Fが増幅しているに過ぎないのだ。
コクリコはどこからか巨大なハンマーを取り出し、全身を使って勢いよく振り回し、そのままポーンを何度も殴りつける。いくらポーンでも、こんなもので何度も叩かれたのではたまらない。装甲のあちこちがボコボコになり、そのまま倒れた。
『よぉし、次!』
疲れを見せぬコクリコの元気な声とともに、彼女の光武Fはまた大ジャンプを見せる。その光武Fを狙い撃とうとした銃を持つポーン一体に、今度はエリカの機関砲が襲った。
本来こうした重火器は後方支援に向いているが、シャノワール整備班と相談した上で、敵機の破壊より弾幕を張って足止めを主とするものに調整をし直してある。
そのため威力そのものは落ちてしまっているが、それでも一分間に数百発の弾丸を浴びせられては、さしものポーンも無傷では済まない。
そこにすかさず花火のボウガンの矢も襲いかかる。花火の霊力が込められた鋭い矢の連続発射は、まるで針の穴に糸を通すような正確さで命中。一発も外す事なくポーンの全身に突き刺さり、爆発する。
(何とか倒せているけど……あの攻撃を一体だけにやるのは非効率過ぎるな)
彼女達の戦いぶりは、自分から見ればどこか危なっかしく見える。それでも彼女達なりに戦えている事が判ると、大神はさっき小さく聞こえた人の声がする方に走った。
この辺りはすでに避難が完了していると聞いていたのだが、逃げ遅れた人が残っているのかもしれない。
昨日ジャンが言っていた事が脳裏をよぎる。あんな事は二度と御免だと思いながら通りを駆ける。
角を曲がろうとした時、人影が見えた大神は思わず歩みを急停止させる。向こうも大神に気づいたらしく慌てて立ち止まった。
「ジャン班長!?」
何と。はち合わせたのは姪の元へ行った筈のジャンであった。その手に小さな小さな赤ん坊を抱えている。
ふと後ろを見ると、担架に乗せられた何者かと、白衣を着た医者に肩を貸してもらってどうにか歩く、自分と同年代の青年が見えた。
「何やってるんですか、避難してなかったんですか!?」
「しょうがねぇだろ。セシルのヤツが初めてのお産が終わってホッとし過ぎちまったらしくてよ。ぐったりして意識が飛びかけてた時に避難警報が鳴りやがったんだ。そんな時に迂闊に運べるかよ」
首で担架を指したジャンがかなり焦った調子で説明する。
見れば担架に乗せられているのは女性。おそらく彼女がジャンの姪セシル・パランテだろう。という事は、肩を借りて歩いているのが姪の婿のセザール・パランテで、ジャンが抱えているのが産まれたばかりの赤ん坊に違いない。
初めての出産は何時間にも及ぶ事があると聞く。男性である大神には出産の辛さや苦しみは想像もできないが、昔は産み終えた途端精魂尽き果てたように亡くなる女性がいたという話も、産み終えたばかりの女性を見れば納得もできる。
「ともかくここは危険です。皆さんは早く避難を!」
大神が通りの先を指差した時、そこに音高く足を踏みならしてやって来たのはポーンだった。長剣を持った灰色の機体。華撃団ではグリーズと呼んでいるタイプだ。
大神は咄嗟にジャン達を背にかばうと、腰に吊るした愛刀に手をかけた。
その時、一瞬上空からの光が途絶え薄暗くなった。不思議に思って見上げると、グリーズの上に巨大な布が降ってきたのだ。それはすっぽりとグリーズの全身を包み込む。
そこに間髪入れずに降ってきたのは、何とコクリコの光武Fだった。彼女の機体はそのまま押し潰すようにグリーズの上に着地しようとする。
ところが。着地を決めたのは地面に落ちた布の上だった。押し潰される筈のグリーズの姿がいつの間にか消えていたのである。
そう。マジックの要領でグリーズを消してしまったのだ。サーカスで鍛えた腕前は大神も知っていたが、それを光武に乗ってこうも鮮やかに実現してみせるとは。
『皆さん、早く避難して下さい!』
コクリコは外部スピーカーで皆にそう訴えて布を回収すると、再び戦場に向かって駆け出していく。それを見届けた大神はようやく安堵できた。
ところが。ジャンは途端に険しい顔になると、
「早く避難させて、行かなきゃならねぇな」
小さく呟くと、率先して通りを駆け出した。大神も彼らを護衛するような形で後について走り出した。


「大丈夫か、みんな!」
目の前のポーンを倒したグリシーヌが、息を弾ませて皆に訊ねる。
バラバラに返ってくる返事を聞き流しつつ、敵の存在をレーダーで探している。すると、少し離れたところにまだポーンがいる事に気づいた。
離れているが、一番近いのは自分だ。そこへ向かって移動しようとした矢先、突如右腕がガクンと垂れ下がってしまった。操作してみるが動いている感触がない。
「ど、どうしたというのだ、一体!?」
懸命にレバーを動かすが右腕はぴくりともしない。それに、錯覚かもしれないが自分の右腕も筋肉が引きつったように重く、動かしづらくなっている。
「う、動け、動いてくれ!」
グリシーヌのそんな叫びも空しく、右腕はピクリとも動かない。
だが、ポーンが残っている以上、それでも行かない訳にはいかなかった。彼女は盾を背中に固定し、斧を左手に持ち替えて通りを急いだ。


ロベリアも右手の鈎爪で目の前のポーンを容赦なく切り裂いて破壊していた。
『ほらほら、どんどんかかってきな』
鈎爪をちらつかせ、外部スピーカーまで使って挑発する彼女。だが内心はそんな余裕など全くなかった。
最初に数体のポーンを斬った時から比べて、明らかに攻撃力が落ちている。
おまけに空調が効いている筈の操縦席内部にもかかわらず、さっきから汗が止まらない。真昼の砂漠にでも放り出されたかのように全身が熱くなっていた。
自分の身体なら痛みで調子の良し悪しが判るが、自分の身体ではない光武ではそうもいかない。
アクシデントが発生すれば操縦席内部のディスプレイに表示されるのだが、それもない。
(ブッ壊れでもしたのか? ったくポンコツが)
それでもロベリアは構わず右手を力任せに叩きつけるようにして目の前のポーンに攻撃を加えていった。


花火も離れたポーンにボウガンの矢を連射する。
だが最初とは違っていた。ポーンに命中はしているが、どの矢も狙った位置からは微妙なズレが生じてしまっている。
(照準がわずかに狂ってる……?)
ボウガンを持つ左腕に受けた攻撃のせいだろうか。だが左腕に攻撃を受けた事は何度もある。いつもはその程度で狂う事はないのだが。
花火は建物を背にして、手動で照準を調整する。だが照準がずれている様子は全くない。
視界の端に、新しいポーンが出現したのが見えた。この距離では花火のボウガンも届かない。
花火は両手でボウガンを構えるように、しっかりと固定する。こちらを仕留めようと歩み寄るポーンにしっかりと狙いを定める。
射程に入ると同時に、花火はボウガンの引き金を連続で引いた。
ところが。最初の矢は深く突き刺さったものの、以後の矢はポーンの装甲を突き破る事なく跳ね返ってしまったのだ。
それにさっきから感じていた事だが、ほんのわずかではあるが、矢に霊力が入らなくなってきている気がするのだ。それこそ鬆(す)が入ったような妙な感じがする。
霊力を込めた攻撃こそが、蒸気獣たるポーンには一番効果的なのだ。通常の物理攻撃のみではほとんどダメージを与えられない。だからこそ霊力を持った人間が巴里華撃団には必要なのだ。
『花火さん、離れて下さいっ!』
通信機からエリカの声が聞こえると同時に、目の前のポーンが横殴りに吹き飛ばされる。注意が花火に向いている隙に、エリカの光武Fが機関砲を連射したのだ。
流れ弾を浴びないように花火が数歩後ろに下がる。それを確認したエリカはさらに発砲を続け、
『ぶっ飛べーーっ!』
エリカ自身の霊力を弾丸のようにして機関砲から射出。それは十字架の形をとってポーンに命中。それを吹き飛ばす。しかしその時、
『きゃあああっ!!』
何と。エリカの機関砲が爆発を起こしたのだ。規模こそ小さいものだったが、エリカが驚いて機関砲を投げ捨てるには充分だった。
破壊し切れていなかったポーンがジリジリとエリカに迫る。ポーンの背中を花火が狙い撃つが、至近にもかかわらず矢は突き刺さらない。矢に霊力が込められないのだ。
(一体どうして!?)
驚く花火をよそに、ポーンは容赦なくエリカに襲いかかった。


通信機越しにエリカの悲鳴を聞いたコクリコは、目の前のポーンをどうにか倒すと、レーダーを頼りにエリカの救援に向かう事に決めた。
本当なら隊長である大神に指示を仰ぎたいところだったが、目の前の仲間の危機なのだ。聞いている時間も惜しく感じられた。
通りを走っていくのすらももどかしく、コクリコは持ち前のジャンプ力を生かして建物を飛び越えていく。
しかし、建物の屋根を蹴った時点で、コクリコの両脚に激痛が走った。まるで二本の脚が寸断されたかのような、鋭く引き裂かれるような痛み。
その痛みのせいで空中でバランスを崩し、おまけに着地のタイミングを誤って激しく地面に叩きつけられるコクリコの光武F。衝撃に耐えられるように作られた操縦席だが、それでも彼女の全身に走った痛みは並大抵ではなかった。
まるで、本当に自分の身体が高所から叩きつけられたかのような。しかしそれ以上に痛みが走っているのは自分の両脚の方だ。
だがそれでも、コクリコの光武Fは両腕で這うように、少しでもエリカ達の元に向かおうとしている。
「急がなきゃ……。エリカや花火が危ないんだ……。動いてよぉ……」
ふらつく頭に喝を入れ、痛む身体をひきづるように操縦するものの、光武の両脚だけはびくとも動いてはくれない。


イヤホンから聞こえる、華撃団隊員の悲痛な声。だが自分には何もできない。生身でポーンと戦えるほどには、大神は強くない。一太刀浴びせられれば御の字だろう。
自分の機体がないというだけでこれほどの無力感。それだけで完膚なきまでに敗北したような重苦しい心境にかられてしまう。
それでも大神は今の自分にできる事――ジャン達を避難させるべく、崩れた建物等を迂回しながら誘導していく。
「……もう我慢できねぇ!」
悲痛な大神の表情を見ていた、いらつきの頂点に達したジャンの怒りに満ちた言葉。その怒号で赤ん坊が泣き出さなかったのが不思議なほどだ。
彼はセザールに赤ん坊を突き出すと、
「悪いが俺は行かなきゃならねぇ。この子はお前さんが運ぶんだ」
だが彼は足に痛々しく包帯とギプスを巻いている。松葉杖をつけば一人ででも歩けない事はないが、迅速な避難など望むべくもない。それに加えて赤ん坊を抱えてしまっては……。
無言ではあったがそんな弱々しい目を彼に、ジャンが一喝。
「自分の子供を親のてめぇが守ってやらねぇでどうすんだ、バカ野郎!!」
いつもだったらこれに彼のゲンコツが加わっていただろう。それを控えたのはセザールがケガをしているからか、姪セシルの前だからか。
「お前さんがケガをしてるのは承知の上だ。それでも、自分がどうなったって自分の女房と子供を守ってやるのが、お前さんのやるべき事なんじゃないのか? そんな覚悟も持たねぇで人の親になるつもりかっ!」
その一喝は落雷のように彼の心に衝撃を与えた。自分がケガをした事で、弱気になっていた事に気づいたからだ。
セザールはジャンから我が子を受け取ると、
「……おじさん。済みませんでした。そうですよね。俺がしっかりしなきゃいけないんですよね。目が覚めました」
その目はさっきまでの弱々しいものではない。守らねばならない者を見つけた、大人の――親の目だ。
「いいって事よ。こういう事は、いつだって大人の役目だ」
それからジャンは酒を呑む真似をすると、
「終わったら一杯付き合え。出産祝いだ、おごってやる」
「え。でも俺、酒はあんまり……」
「心配するな。こっちの兄さんにホットウイスキーを作ってもらうさ。いいだろ?」
ふいに話を振られた大神は言葉に詰まって呻いてしまう。その様子をジャンは大笑いした後真剣な表情になり、
「済まないが、こいつらを頼む。あんたよりも、今は俺があいつらの所へ行かなきゃならない」
彼の真意は判らなかったが、そう語るジャンの目に迷いはなかった。もちろん大神は反対したかったが、何を言っても聞かない、頑固に自分を貫く職人魂を、彼は確かに見てしまった。
その職人魂に、フランス人も日本人もない。大神は首を縦に振ると自分の通信機を彼に渡し、見送った。


戦っている音を頼りに、ジャンは通りを走る。見ると、グリシーヌの青い光武Fがポーンに打ち込まれている光景に出くわした。
彼女の光武Fは右腕がダラリと垂れ下がっており、左手に持った斧だけで、ポーンの剣戟を裁いている状態だった。
裁き切れなかった攻撃でできた傷は全身を覆い、まさしく見るも無惨という形容のごとき姿になってしまっている。
「グリシーヌの嬢ちゃん。そのまましばらく持ち堪えてろ!」
ジャンは通信機に向かって怒鳴ると、破壊活動で叩き折られていた街灯の柱を渾身の力で持ち上げ、肩に担いだ。
その状態でポーンの背後から騎兵のごとく突進し出したのだから、さすがのグリシーヌも驚いたようで、
『何をする! 危険だ、離れていろ!!』
そんなグリシーヌの恫喝に構わず、ジャンはそのままの勢いで折られた街灯の先を、ポーンの膝の裏に思いっきり叩きつけた。
ふいを突かれたその攻撃に、さすがにポーンの体制が崩れた。ジャンは足元を抜けるように転がってそこから逃げる。
振り返ると、光武Fは左手の斧でポーンの肩を叩き斬っていた。それがとどめになり、ポーンは動かなくなる。
それを見届けたかのように、グリシーヌが光武から下りてきた。眉間に皺を寄せた険しい顔で。
「なぜ班長がここにいる。姪御殿はどうしたのだ!」
「それはこっちのセリフだ! 情けねぇ動きしやがって。整備はどうしたってんだ!!」
年の功か迫力の差か。その一喝でさすがのグリシーヌも言葉を飲む。ジャンは鼻息も荒く彼女の機体に駆け寄ると、
「……やっぱり間違いねぇ。ちっとも馴らしてねぇじゃねぇか。こんなんで力任せに動かしたらすぐにイカレるに決まってらぁ」
右腕をちょっと見ただけでジャンはそう言い切った。
光武に使われるパーツ類は、独自性があるとはいえきちんとした規格にのっとって作られている。だが、のっとっているとはいえ、どの部品も寸分違わずそっくり同じ寸法である訳ではない。
だから、正しい部品同士を組み合わせているのに、ほんの些細なズレが生じる事がある。
それに組み上げたばかりの機械というものは、どうしてもその動きに硬さが出てしまう。
そういったズレと硬さが微妙な「ぎこちなさ」を生み出してしまう。複雑な構造の機械になるほど、その微妙なぎこちなさが命取りになるのだ。
だからこそ、その微細な誤差や機械の使われ方を考えて部品を組み上げなければならないのだ。それにはやはり長年の職人の経験と勘がものを言ってくる。
「それに実戦経験を積んだ分、嬢ちゃん達の霊力も高くなってる。その分機体が耐えられなくなってきてるのかもしれねぇ。でなきゃこんな短時間におかしくなる訳ねぇからな」
グリシーヌにも判るように説明をしながらジャンは微細なズレを読んで組み直すという応急処置を猛スピードで進めていく。
「そもそも嬢ちゃん達の光武Fの使い方は力任せ過ぎるんだ。これじゃすぐに部品に負荷がかかって、人間で言う筋肉痛になる。負荷がかかった部分を無理に動かせば壊れやすくなるし、そんな部位に強い霊力を通わせたりすると、霊力の通りも悪くなる。霊力の通りが悪くなると、それが自分の身体にはね返ってくる。不調の一番の原因はそれだ」
(こんなにも繊細な知識と技術が必要なのだな、この機体には)
素人にでも整備の手伝いくらいできるだろう。その考えがいかに傲慢に満ちていたのか。それを痛烈に思い知らされたグリシーヌ。
「けど、ああして欲しいこうして欲しいっていうリクエストは大歓迎だ。遠慮なく言ってくれよ」
ジャンは愛用のスパナで光武の装甲を叩くとグリシーヌを振り返り、
「応急処置は済んだぜ。短い時間騙し騙し使うなら問題はないだろうが、無理はするなよ」
「……あ、ああ。感謝する」
芸術とも思える手際の良さに見とれていたグリシーヌは惚けたように礼を言うと、慌てて光武に乗りこみ起動させる。
何と。あれほどびくともしなかった右腕が上がったではないか。もちろんスムースとは程遠い動きだが、短時間の整備にしては驚きの動きだ。グリシーヌは、その感触を確かめるように腕や手をゆっくりと動かす。
あんなに攻撃を受けたにもかかわらず、その動きにダメージは殆ど見られない。いつの間にか自分の右腕の痛みも消えていた。
「じゃあ俺は、他の連中の所に向かう。敵は頼んだぜ!」
『当然だ。この整備、決して無駄にせぬと誓おう』
ジャンとグリシーヌは、互いに反対の方向へ勢い良く駆け出した。


どうにか避難場所まで逃げられた大神達。だが、避難場所に敵がやって来ないという保証はどこにもない。
まるで人の声を聞きつけたかのように、銃を持ったポーンがゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
発砲して来ないのは余裕からか。無人である筈のポーンなのに、勝利を確信した優越感すら感じる。
大神は腰に差した刀を抜き、正眼に構える。
「どこでもいい、皆さんは早く逃げて下さい!」
そう叫ぶ姿は明らかに無謀。相手は本物の怪物である。風車を怪物と勘違いしたドン・キホーテとは訳が違うのだ。
もちろんこれが無謀な行為である事は、当の大神自身が一番判っている。いくら何でも刀一本で蒸気獣と渡り合える筈はない。
だが逃げる事は許されない。自分が逃げれば、守るべきパリの人々が危険にさらされる。何より、ついさっきこの世に産まれ出たばかりの幼い赤ん坊を、傷つけさせる訳にはいかない。
巴里華撃団の隊長として。一人の軍人として。それ以上に一個の人間として、ここで敵に背は向けられない。
目の前の敵を倒さねばならない使命。背中に貸した守らねばならない生命。その二つが、挫けそうになる大神の心と霊力を奮い立たせた。
もうポーンは自分の眼前にまで迫っている。後ろから「逃げろ!」という切迫した声も聞こえる。
それでも大神は一歩も引かず、裂帛の気合いを持った雄叫びをあげ、単身ポーンに斬りかかった。
自身の霊力がこもった銀色に輝く刃を袈裟がけに振り下ろす。ポーンの右脚が丸太のように寸断された。さすがに脚を失ってはバランスが保てず、反撃する間もなく派手にひっくり返る。
後ろにいた市民達から驚きの声が沸き起こった。まさかあれほどの怪物を一太刀で倒す人間がいるとは、誰しも思っていなかったのだろう。
だが、その代償はあまりに大きかった。大神は切っ先を石畳に突き立てるようにして膝をつき、苦しそうに肩で息をしている。大ダメージを与える事はできたものの、斬るために精神と霊力を集中し過ぎて、激しく消耗してしまったのだ。
大神の霊力は一般人と比べれば桁外れに高い。だが、霊力を武器として敵と戦う者として見ればあまりにも低いのだ。
一方のポーンも片脚を失っただけで機能を停止するほどやわなものではない。身を起こして素手で殴りかかろうとしている。
いくら素手とはいっても、蒸気獣の拳で殴られれば無傷で済む筈がない。良くて骨折や内蔵破裂。悪ければもちろん命はない。
それが判っているが、身体が動いてくれない。消耗がそれほど激しいのだ。倒れないのが奇跡なほどに。
大神はそれでも己の身体に鞭打って、刀を正眼に構えようとする。その刃先は震え、なかなか持ち上がらない。
彼が覚えているのはそこまでだった。視界が真っ暗になり、意識がすうっと遠のいていく……。

<完結編につづく>


文頭へ 戻る 進む メニューへ
inserted by FC2 system