『間違えられた話 弐』
コクリコは仕方なく経緯を話して聞かせる事にした。
と言っても、話せる事などほとんどなかった。おまけに話の途中で「それは盗み聞きだろう。以後気をつけろ」とグリシーヌが不機嫌そうになる。
そして、問題の大神と加山の話の下り。
コクリコが聞きとれた「日本語」の言葉を花火が書き写し、さらに状況に適すると思われる漢字を当てはめる。
そこからさらにその文章をフランス語に訳すという、実に回りくどく面倒な作業が続いた。

 友達(加山)「<KASHIHARA>」
 大神「初めてだった」
 友達(加山)「<KASHIHARA>が事故に。もう長くない」
 大神「彼女に会えない。これも天命だ」

その結果、こんな感じになった。聞き取れた部分だけなので、どうしても単語の羅列になってしまう。これで総てを理解しろというのは日本人にだって無理な話だ。
何が何だかさっぱり判らない中、皆の注目を集めたのは花火がヘボン式ローマ字で書いた単語。
そう。「KASHIHARA」である。
その単語を見た途端、この場の全員がうなり声を上げてしまったのだ。
「カズ……イアラ? カシ……アラ? 何だ、こいつは……」
まるで暗号文でも見たような目でロベリアは呟く。
ロベリアは巴里に定住していた訳ではない。あちこちの国を彷徨うように生きてきた。
だがフランス語以外でまともに使えるのは、流暢とは言えないイタリア語くらい。表向きはロマのダンサーといえど、ロマ達が使うロマ語(ロマニー語)などほとんど判らない。
フランス語でもイタリア語でも「H」は書いても発音しない。さらに「K」は外来の言葉で少し使う程度で、基本的には使わない。
だから、何と読めばいいのか一瞬考え込んでしまったのである。そんな彼女はコクリコに向かって、
「おい。こうした会話ってのはしっかり全部聞いておけ」
まるで講釈を垂れる教師のような雰囲気で、
「情報ってのはありったけ仕入れておくべきだ。どこでどう役に立つか判らないしな。その代わり、その情報を使う時は慎重になれ。下手に使うと安く見られるだけじゃなくて自分の身も危なくなる」
裏社会の人間らしい説得力ある言葉だが、
「ロベリア。コクリコに何という事を吹き込んでいる」
もちろんグリシーヌが「止めろ」と言わんばかりに睨みつけた。が、ロベリアは涼しい顔だ。
しかし喧嘩している場合ではないと、彼女も<KASHIHARA>を見て考える。
「日本語だから、フランス語や英語とは違うと思うのだが……」
グリシーヌはフランス語以外にも英語ならかろうじて判るが、言い難そうにうなる。普段は使わない文字だし、あまりしない発音だから仕方ない。
彼女は花火と会ったばかりの頃、花火(HANABI)となかなか上手く言えずかなり手間取ったものだ。
エリカも書かれた文章を覗きこむが、フランス語しか知らないエリカでは発音すら容易ではないし、そのコクリコとて音はどうにか判っても意味までは判らない。
「ところで花火。この文から察すると、この……これは、人の名前のように思えるが?」
グリシーヌは<KASHIHARA>と書かれた部分を指でこつこつと叩く。
「ええ。多分人の名前だと。でも、どういう漢字かまでは……」
さすがに花火も確信しているようで、軽くうなづいた。
「この名と『カノジョ』が同一人物だという事は判る。だが……」
「何を困ってるんですか、グリシーヌさん?」
後ろから紙を覗きこんだエリカが、脳天気丸出しの様子で訊ねる。
「お前に判るのか、この文章が?」
少し驚いた様子のグリシーヌに、エリカは大きく胸を張って、
「つまりですね。判りやすく解説すると、この女の人が事故に遭ってもう会えないって事です」
「んな事はこのチビでも判ってるんだよ!」
判りやすいどころか、書いてある内容をそのまま言っただけのエリカにロベリアが怒鳴りつける。
チビと呼ばれたコクリコは少しムッとしていたが、それ以上の追求はせずに、皆に訊ねた。
「でもさ。この『初めて』って、どういう事なんだろ?」
「わざわざそういう言い方をしているという事は、よほど印象に残っているのだろう」
コクリコの言葉にグリシーヌも頭をひねっている。だがすぐにコクリコは「やっぱり」と前置きしつつ、
「『初恋』の人、なのかな?」
恋を内に秘める日本人ゆえか、恋愛の事に関してはほとんど語らない大神。
だがそれでも一人の青年なのだ。巴里に来る前に日本に好きな人がいたとしても何の不思議もない。
ところが「初恋」という単語に、エリカが信じられないくらい素早い反応を示した。
「初恋の人って、短く言えば大神さんが生まれて初めて恋をした女性の事ですよね!?」
「全然短くないぞ、エリカ」
立て続けのエリカのズレた対応に、グリシーヌも渋い顔でそう注意する。それから幾分穏やかな顔を花火に向けると、
「花火はどう思う? この『ハジメテ』という部分を? 初恋の人でいいと思うか?」
花火は固く口を閉じて真剣に考えている様子だった。その邪魔をすまいとグリシーヌもそれ以後口を開かずに見守っている。やがて花火は、
「その可能性はあると思いますけど……」
言い難そうに少し言葉を濁した後、
「それならば、最初から『初恋の人』と言うのではないかと」
言葉を濁した理由はともかく、その言葉は筋が通っている。
「……けど初恋はないだろうね」
ロベリアは小さく笑いながら、コクリコの意見を否定する。
「ちょっとふざけてからかっただけで、真っ赤になってしどろもどろになっちまう男だよ? 見てる分には面白かったけど、ああまで取り乱すほどお子様とは思わなかったね……」
取り乱した様を思い出したのだろう。壁にもたれかかったまま、実に楽しそうにくつくつ笑っている。
「……そんなヤツが愛だの恋だのできるかねぇ」
「貴様。隊長をふざけてからかうなど、不真面目にも程があるぞ!」
案の定。ロベリアの態度にグリシーヌは鼻息を荒くして食ってかかった。
「隊長は、貴様のような半端者や、そこいらの軟派者とは違う! 誠実で実直なサムライだ!」
グリシーヌはロベリアの襟首を掴み上げ、彼女がもたれかかる壁に押しつける。しかし、
「惚れた男の過去が、そこまで気になるってか?」
グリシーヌだけに聞こえる小声で呟くロベリア。するとグリシーヌはあっという間に耳まで真っ赤になり、掴み上げる手の力もストンと緩む。
何か言い返したいが言葉にならない。口はパクパク動くが、自分が喋っているのかいないのかも判らなくなるほど、グリシーヌの頭は真っ白になっていた。
「どうしたんですか、グリシーヌさん。顔が真っ赤ですよ? どこか具合でも悪いんですか?」
その様子をめざとく見つけたエリカが、ひょいとばかりに割り込んで彼女の顔を覗きこむ。それから自分の額を彼女の額にコツンと当てると、
「う〜ん。特に熱はないみたいですね」
「う、うるさい。私は充分健康だ。少し黙っていてくれ」
引き剥がすようにエリカの身体を力一杯押し返すグリシーヌ。しかしそのおかげで幾分落ち着いた事は、彼女自身気づいていない。
しかし落ち着いた事で、花火が何か言いたそうにしているのに気がついた。
「ど、どうした花火。何か思い当たる事でもあるのか?」
「日本の大和撫子」がどういうものかグリシーヌには判らないが、花火は自分から何か発言するという事をしない。一言でいえば常に受け身なのだ。誰に対しても。
無論聞かれた事には素直に答えるが、発言するべき時には自分から発言してほしいと思う。特に、こういった意見を求められる場では。
花火は、グリシーヌにはその言葉を待ってましたと思えるタイミング――彼女自身はそう思っていないだろうが――で話し始めた。
「私も本で読んだ限りですが、昔の日本には『恋愛』というものはほとんどなかったそうです」
「どういう事、花火?」
判りづらい言い回しにコクリコが素直に訊ねた。
「当時の日本は、今のように『出会い→恋愛→結婚』という事がなかったのです。より正確に言うなら、完全に無視された、でしょうか」
花火は本の内容を思い出すと、さらに続けた。
「結婚は個人ではなく家同士の問題。両家や周囲が『この子達を結婚させよう』という事だけで当人の結婚が決まりました。お互いが一度も出会わぬまま結婚式を迎える事もあったそうです」
花火の口から出た異国の話に一同は絶句するが、グリシーヌだけは、
「だがそれは、我々貴族の間でもある事だ。日本が特別だったという事はあるまい」
自分にはまだそういった関係の男性はいないが、他の貴族達の噂話などからそういった事がある事くらいはもちろん知っている。
「だが、人を好きになる事なく結婚する事が多かったとは。昔の話とはいえ酷いものだな」
「そうだね。昔の日本の人はかわいそうだね」
コクリコも悲しそうな顔でグリシーヌに同意する。
「……で。それと今までの話とどう関係があるんだ?」
ロベリアはつまらなそうに花火に話の続きをうながす。ただでさえ脱線続きの会話を終わらせたいとばかりに。
花火は彼女の不機嫌そうな声に腹を立てた様子もなく、話を続けた。
「今から五十年ほど前に鎖国が解かれた日本は、ヨーロッパやアメリカから色々な技術や文化を精力的に輸入しています。その過程で西欧の恋愛観も入っていると思いますが、長く続いてきた文化や土壌が、五十年の間にいきなり変わって西欧化したとは思えません」
「それについては意義はない。物はともかく人の考え方がそんなにあっさり変わるとは思えないしね」
冷静なロベリアらしく、花火の言葉をしっかりと受け止める。それから少し考えて、
「って事は、愛とか恋とかいうものに、隊長は慣れてないって事か?」
慣れてないなら戸惑うのは当たり前である。むしろあの時のオロオロした態度が可愛いものにも思えてくる。
「そっか。それならなおの事『初恋の人』は印象に残るよね」
そう呟くコクリコの言葉は、とても年下とは思えないくらいずしんと重く響いた。
「ま、そうと決まった訳じゃないけどな」
沈んだ雰囲気がロベリアのその一言であっさりと破れた。
「隊長達の会話の全部を聞いてた訳でも、ましてや判った訳でもないんだろう? その前後が判らないととんでもない事になりかねないって」
それからロベリアはコクリコの頭をポンポンと叩くと、
「肝心なトコは聞き漏らしてるんじゃないか、きっと」
これにはさすがのコクリコもムッとして食ってかかる。
「その前の部分はともかく、そこは間違いなく『初めてだったんだ』だもん」
ロベリアとコクリコの言い合いにグリシーヌが慌てて止めに入った。
「待て二人とも。その……何とかいう者が事故に遭い、隊長が『もう会えない。天命だ』と言っているのは確かなのだろう?」
そう。今まで<KASHIHARA>が誰かとか『ハジメテ』は何なのかを言い合っていたが、一番大事なのはそこである。それが判って二人とも黙して考える。
だが、こればっかりは考えても判る訳がない。
ふとコクリコが何かを思いついたようにハッとなる。
「けどさ。イチローにしてはおかしいと思わない? イチローだったらこんな簡単に諦めたり割り切ったりしないと思うんだけど」
コクリコの言葉に一同大きくうなづく。小さいながらも苦労しているだけあって、人間の心情の観察力・理解力は群を抜いている。
「……確かにな。普段ならこれでもかってくらいお節介しまくるくせに」
ロベリアもコクリコに同意する。もっともその言い方は呆れているものだが。
「そのお節介で救われた所もあるがな」
グリシーヌも静かに言葉を加える。それに花火も同意した。
事実グリシーヌは、彼と出会った事で家柄や伝統のためだけに生きる自分を変える事ができた。
花火も、夫となるべき人を失ったが、その事を胸にしまって生き続けるだけの強さを得られた。
彼女達の隊長である大神一郎は、どんな困難も挫けず諦めずに立ち向かい、これを乗り越えようとする。
それが自分の困難であろうが他人の困難であろうが変わらない。そんな人間である。
少々堅物なのが珠に瑕だが、それはそれだけ真面目であるという証拠。不粋ではあっても嫌われる要素にはならない。
「……隊長にしては諦めが良すぎる。妙といえば妙だな」
いつもの彼だったら、その「彼女」を心配して今すぐ日本にとんぼ返りしていそうだ。皆はそう考えていた。
「はいはいはい。わたし判りますよ?」
今まで黙っていたエリカが元気よく発言する。しかも手まで高く上げて。
しかしこれまでの「前科」があるので、あえて皆わざとらしく無視を決め込んだ。だが花火だけは、
「エリカさん、判るのですか?」
律儀にきちんとエリカの意見を聞こうとしている。
花火が声をかけてしまった以上、エリカは頼まれなくても喋る気だろう。グリシーヌはエリカの方をじろりと睨むと、
「また下らぬ事を言ったら、ただではおかぬからな」
かなりムッとした顔で念を押すように声をかける。
「大丈夫です。今回は自信がタップリです」
右手をギュッと握って仁王立ちするエリカ。その姿だけならば確かに法衣姿とあいまって説得力を感じる。
「『ハジメテ』。そして『カノジョ』。さらに『テンメー』。そして大神さんが辛く悲しそうにしていたという事実から導き出される結論は、これしかありません!」
エリカは皆の注目を集めるかのように一呼吸間を置くと、
「その『カノジョ』とは、大神さんの初めてのお子さんです!」
もちろん、残る四人は綺麗にコケていた。
「我が子を愛おしく思わない親はいません。まして遠い異国で離れ離れになっているならなおさらです」
すっかり自分の世界に入り込んでしまっているエリカ。彼女の言葉は、皆が呆れる中さらに続いた。
「さっき思いついたから言おうとしたんですけど、グリシーヌさんが『少し黙ってろ』なんて言ったから、ちゃんと少し黙ってたんですよ?」
その話題はとっくに終わっており、次の話題に話が移っているにもかかわらず、この発言。
グリシーヌに向けられたエリカの他愛ない笑顔は、小さい子が「偉いでしょ?」と得意げになっている時と同じ種類のものだった。
「……エリカ。今までの話を全く聞いていなかったのか?」
「はい。忘れないように一所懸命暗唱してましたから」
呆れて物も言えぬ程の怒りを抑え込んでいるグリシーヌの様子に、全く気づいた様子がないエリカの天真爛漫な声。
何とも形容しがたい程の気まずい雰囲気の中、ロベリアがついに切れた。
「あーーーっ! いい加減にしろ!」
言うが早いか一直線に楽屋の出入口に向かうロベリア。
「……こんな所でグダグダやってたアタシがバカだったよ」
ブツブツ言いながら出ていく様子に、落胆した雰囲気はない。だが、次の言葉に皆がさっき以上に慌てる結果となる。
「直接本人から聞き出しゃ済む事だ」
一気に歩を早めて楽屋を出ようとしたロベリアだが、そこにコクリコが立ちはだかった。両手を大きく広げて「通せんぼ」して、
「ロベリア、そんな事しちゃダメだよ!」
「うるさいチビ! このアタシにここまでの事をしてくれた『落とし前』をつけるんだよ」
別に大神がロベリアが何かをしたという事はない。典型的な他虐的思考である。
「今はそっとしてあげようよ。イチローがかわいそうだよ」
「うるさい。そんなの知った事か!」
コクリコを強引に横へ押しやり、ズカズカと楽屋から出ていくロベリア。
「あっ、ロベリアさん待ってくださ〜〜〜い」
ポカンとしていたが、エリカがパタパタとその後を追って楽屋を出ようとする。
「ま、待て、二人とも!」
楽屋口から怒鳴るグリシーヌの言葉を二人が聞く訳もない。特にロベリアには。
コクリコも慌ててエリカに飛びつくと、
「エリカも止めてってば!」
「そうはいきません」
エリカは凛々しい顔のまま、コクリコを見つめると、
「大神さんは今、日本に残してきたお子さんの事で悩んでいます。悩める人々を助け、導き、これを救うのは、聖職者たるこのわたしの使命です!」
(いや、違うから。それ!)
残された三人は精一杯心の中でエリカに突っ込む。
「悩みというものは、自分一人で抱えてしまうから大変なのです。他人に話す事で楽になる事が多いのです。だから教会に『懺悔室』があるんですよ」
そうした人々の悩みや苦しみの告白を聞き、慰め、アドバイスをする。神父やシスターの重要な「職務」であるから、彼女の言い分だけはもっともである。
「きっと大神さんは日本の方ですから、懺悔室の存在をご存じではないのかもしれません。となればわたしの方から出向いて、何が何でも徹底的に懺悔してもらうんです!」
懺悔「してもらう」というのは何か違う気がする。それに、人はそれを「行為の押し売り」という。
しかし。トラブルメーカーたるシスターであるエリカの事。こうなるとトコトンまで突っ走ってしまい「止まる」という事を知らない。
エリカはしがみつくコクリコを振り切って勢い良く楽屋を飛び出し――角を曲り切れずに壁に激突。
あいにくアメリカのコメディ・アニメのように壁をぶち抜いて走って行く事はなく、そのまま白目を向いて倒れてしまった。
コクリコは気絶してしまったエリカの介抱をしつつ、
「ど、どうしよう、二人とも……」
気絶したエリカを放ってはおけないが、それ以上にロベリアを放置できない。コクリコは半泣きでグリシーヌと花火に助けを求める。
「……やむを得まい。ロベリアを追おう。きっと隊長の自宅へ向かったに違いない」
そう決断したグリシーヌが、立ったまま何か考え込んでいる花火を見た。
「花火。コクリコと共にエリカの介抱をたの……」
グリシーヌの言葉が中断する。それは、花火の尋常でない雰囲気を感じ取ったからだ。
一言で言うなら「燃えている」。大和魂、もとい「大和撫子魂」というべきものがあるのなら、まさしくそれに火がついてしまったように。
花火は楽屋の中にある自分のロッカーに取って返す。そしてそこから細長い棒状の物を取り出した。
それは弓であった。それも和弓。
大和撫子たれと育てられてきた花火だが、書道・華道・弓道は本場日本の達人もかくやという腕前。普段の巴里華撃団としての戦いでも、その鋭く正確な弓の腕前は仲間の危機を幾度も救っている。
「私は『殿方に尽くせ』と教えられ、育ちました」
彼女は大急ぎで緩めていた弦を張り始めた。軽く弾いて張り具合や弓の調子を確かめつつ、
「『尽くす』というのは漠然としていますが、私は他人のために精一杯の事をする事だと思っています」
それから再びロッカーに手を突っ込む。今度取り出したのは矢が入った矢筒である。
「フィリップを亡くして心を閉ざした私を助けて下さった大神さん。その大神さんに何かしてあげたい。そんな大神さんを守り、支えになり、これを助ける。これこそ『尽くす』事ではないでしょうか」
やがて矢筒を背中に背負い、弦を引く右手に鹿革の弓懸(ゆがけ:手を保護する手袋)をはめ、凛と立ち上がった。黒い喪服の上からだから奇妙ではあるが。
「グリシーヌ。大神さんを助けに行きます。援護を」
その引き締まった表情からは、何か重大な決意をしたかのように、覚悟を決めた強さと迫力がにじみ出ている。
「あ、ああ。判った」
さすがのグリシーヌも、今は完全にその迫力に飲まれ、気の抜けた返答しかできなかった。
大和撫子を目指す北大路花火という人間は、感情を露にせずにいつも微笑みを浮かべ、他人を立て、言われた事をまっすぐ受け入れて従うだけの女性ではない。
大和撫子らしいと思えば、それこそ頑固と例えられるくらいにそれを貫こうとするのだ。そう「思った」自覚など全く無くても。
コクリコの制止を無視してバタバタと走り去る二人。彼女はそんな二人を見てこう思った。
(ボク達をまとめてるイチローの苦労が、嫌というほど判った気がする)

<参につづく>


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