『突然のファイア・ザ・レッド(下) 後編』

一月一六日 一九二〇時(日本標準時)
八丈島 乙千代ガ浜

日も完全に落ちた八丈島。その南西の海岸に、宗介はいた。それも、さっき<ミスリル>から届いたAS<アーバレスト>に乗って。
実は、マオとクルツが巡洋艦に乗り込んでから<トゥアハー・デ・ダナン>は一旦そこから離れ、機体を積めるよう改造した弾道ミサイルで<アーバレスト>をここまで飛ばしたのである。
<ミスリル>は非公開の組織だ。この現場が見られないようにと、八丈島にニセの津波警報を発令し、人間を島の南側から退避させたのだ。
その甲斐もあって<アーバレスト>の周辺五キロ四方に人の気配はないと、この機体のAI<アル>は言っている。
それでも万一を考えて、完全に透明化できる電磁迷彩システムを作動させているが。
他の機体のAIと違い、このアルには「人格」と呼んでも差し支えないものがある。ついさっきまでうるさいくらいに話しかけてきていたが、宗介の「黙ってろ」の言葉に従って、以後は一言も喋っていない。
《軍曹殿。<トゥアハー・デ・ダナン>より通信です》
「繋げ」
唐突な通信に嫌な予感を感じつつもAIにそう命じる。
『TDDHQよりウルズ7へ。新型のトマホーク型巡航ミサイルが、そちらに向かって発射されました』
スピーカーからテッサの声が響く。同時に、嫌な予感が適中した事にうなり声を上げそうになる。
『作戦は、先ほど説明した通りです。細かい方法等は、現場の判断に任せます。予測される巡航ミサイルの進路データを現在送信中。巡航ミサイル到着予定時刻は日本時間で二〇一八時です』
夜の八時一八分だ。
『巡洋艦に潜入したウルズ2と6を回収次第、我々もそちらへ向かいます。……では、総てをあなたに託します。幸運を』
それで、通信は切れた。
《ミサイル到着予定時刻まで、あと五八分》
アルが勝手にカウント・ダウンを始める。
これまでにも、何度も「待ち伏せ」の任務を行ってきた。生身でもASでも。しかし、今回はこれまでのものとは勝手が違う。
何しろ巡航ミサイルなのだ。目標の大きさは全長六・三メートル。直径五二センチ。
人間の感覚で言うなら、細い抱き枕が飛んでくるような感じだ。それも音速で。もっとも、その「抱き枕」は破壊力抜群の金属製だが。
この機体<アーバレスト>には『ラムダ・ドライバ』という「特殊な機材」が搭載されている。
詳細は判らない。判っているのは「不可能な事ができる」事くらいだ。
一切の物理攻撃を弾き返す事もできる。あらゆる装甲を一撃のもとに粉砕する事もできる。盾にされたASの向こうにいる敵機だけを破壊する事もできる。重さを消して物に乗った事もある。
その「不可能な事ができる」機材で、飛んできたミサイルを迎撃しろというのだ。対巡航ミサイルの兵器が八丈島にある訳がないからだ。
ロケット・ランチャーを防いだり、魚雷を破壊した事ならあるが、さすがに巡航ミサイルは初めてだ。
そのため、今回はあまり使った事のない七六ミリ狙撃砲を持っている。AS用の火器の中でも強力なものだ。
マシンガンのように連射する事はできないが、ASとは独立したセンサーと弾道計算コンピュータを備えているので、命中精度も高い。今は大きなシートをかぶせて隠してある。
この狙撃砲の威力だけでは亜音速のミサイルを止める事ができるかは判らないが、そこにラムダ・ドライバの力が加われば、それも不可能ではないだろうと判断しての事だ。
宗介は透明化されたASの中で、まだ何も見えない南の海をじっと見つめていた。
《軍曹殿。<トゥアハー・デ・ダナン>よりのデータ、受信完了。スクリーンに表示します》
正面のスクリーンに、送られてきたデータが表示される。
それによるとミサイルの予想飛行線上には、自分が立っている乙千代ガ浜という地域から、ひょうたん型の島中央部西側の窪んだ部分――今回泊まる予定のホテルがある地――をかすめる形で見事に重なっている。
(千鳥……!)
しかし、今から「そこは危ないから避難しろ」とも言えない。あくまで予想でしかないし、何より彼女に不必要な心配をさせたくはなかった。
《軍曹殿。一つ意見があります》
「……何だ」
うっとうしいとは思ったが、とりあえず聞いてみる。
《チドリ・カナメさんに連絡をしなくていいのですか?》
唐突に言ったアルの言葉に、宗介があっけにとられる。
《彼女に心配をかけるのはいけません。こちらから「心配ない」と言ってあげる事で、彼女の不安も和らぐ事でしょう。女性には、このような小さな心配りを忘れてはいけません》
「なぜ貴様がそんな事を気にする」
《軍曹殿は、彼女を守るために日本に留まる道を選んだと聞いています。そうした精神面でのケアも、立派に「彼女を守る」行動だと判断します》
誰が言ったのかは判らないが、余計な事を吹き込んだやつがいたものだ。「吹き込んだやつ」の見当はつくが。
《よろしければ、私が各国で放送されている恋愛ドラマの中から、傷ついた女性のハートを癒すセリフを……》
「ふざけるな、黙れ」
間髪入れず、底冷えのする声で短く言う。アルの声は淡々としているだけに余計に彼を苛立たせる。
《それは、その必要がないという事でしょうか? お言葉ですが、軍曹殿は話術に長けているとは思えません》
「同じ事を言わせるな」
それきり、アルは沈黙した。
(千鳥……)
宗介は、まだ何も見えない海をずっと見続けていた。


一月一六日 一九三〇時(日本標準時)
八丈島 ホテルブルーオーシャン

いつの間にか日も落ちて、外は真っ暗だ。空には月が出ている。部屋の明かりはつけていないので、室内が月明かりに煌々と照らされている。
かなめはあれからどこにも出かけていなかった。
床に座り込んだままネガティブな考えがループして、自分がどうにかなってしまいそうな、嫌な気分で一杯だった。
ふと窓から夜の海を眺める。月明かりに照らされている海というものは、不思議と自分の心情そのままに見えた。
まるで、総てを飲み込んで沈めてしまいそうな、暗く冷たいきらめきを放っている。
「ソースケ。大丈夫かな」
どうにかこうにか持ってきた、重い彼の荷物をちらりと見て、かなめが呟く。
その時、唐突にかなめは理解した。
何だ。やっぱり自分は彼の事が心配なんだ。元気づけるかのように、意識せずにぽろっと出た言葉を何度も反芻する。
学校その他で銃を振り回したり、こうして自分をほっぽり出して戦いに行ったりするところは嫌だが、別に彼そのものが嫌いという訳じゃない。
いつも何かと騒ぎを起こして自分を困らせている彼だが、こうした「戦い」になれば一転して優秀な兵士となる。
<ミスリル>最強の兵士という訳ではないが、仲間が――そして何より自分が――頼れるだけの実力は間違いなくあると思う。
しかし、暗い色の海を見ていると、不安ばかりが心の中からどんどん浮かび上がってくる。
あれからどうなったのだろう。テッサの方は、うまくいったのだろうか。それともミサイルが発射されてしまい、宗介が対処しなければならないのだろうか。
「だ、大丈夫よ。あいつの事だから、ぱぱーっと片づけて、もうすぐ、ひょっこり、来る……わよ……」
宗介だって並の兵士じゃない。それに「最強のAS」を自負する<アーバレスト>に乗っているんだ。きっと、いや、絶対大丈夫。
強がって自分を元気づけようとするが、沸き上がる不安の量の方が大きく、とてもそれらを拭えそうにない。
(そうだ……)
かなめはベッドに放ったままのPHSを取り、迷わず慣れた番号をコールする。
もしかしたら忙しいのかもしれない。大変なのは判る。でも、一人では不安だった。とにかく誰かと話したかった。
いや。誰かとではなく彼と――かもしれないが。とにかく、一人じゃないと思い込みたかった。
しかし、聞こえてきた話し中の音を聞いて、
「……あいつ、こんな時に誰と話してんのよ!」
そのままPHSをベッドに叩きつけ、自分もベッドの上に倒れ込んだ。
喉や心臓が押し潰されそうな暗い不安感がどんよりとある。不安なのは確かだが、何が不安なのか判らない、漠然として沈んだ気持ちを持て余す自分。
じっとしていると落ち着かない。だからといって何かをする気分にもなれない。自分の気持ちなのに、自分の思い通りに制御できないもどかしさがつのる。
そうして一〇分ばかりじっとしていたが、ベッドに叩きつけたPHSを手探りで探して掴むと、そのままリダイヤル・ボタンを押してもう一度かける。
確かに自分は何もできない。せいぜい「頑張ってね」と言ってやる事くらいだ。無力なのは嫌だった。力になりたかった。
そう。どんな形でも彼の役に立ちたかった。自分は「守られるだけ」のお姫様ではないのだから。
寝転がったままのかなめの耳に聞こえてきたのは、
ツー、ツー、ツー、ツー。
今度も話し中の音だけだった。


一月一六日 二〇一五時(日本標準時)
八丈島 乙千代ガ浜

《軍曹殿。あと三分で巡航ミサイルが到達します》
淡々とした調子でアルが告げる。
宗介の方も、すでに透明化する電磁迷彩を切り、膝まで海に入ってミサイルの真正面に陣取り、七六ミリ狙撃砲をすぐにでも発射できる体制で構えている。
以前この狙撃砲を使ったクルツは、四キロも離れたところから、針のような細さにしか見えないビルの支柱を連続で四発以上、一息で命中させている。
だが、それは狙撃にかけては神業的な射撃テクニックの持ち主の彼であってこそ。そこまでの狙撃テクニックを持たない宗介は、ミサイルがもっと近づいてから撃つしかない。
ピタリと構えた銃口が、ほんのわずかに揺れ動く。操作スティックを握る手が、じんわりと汗ばんでいた。それを服にこすって拭き取る。
《軍曹殿》
「判っている」
正面スクリーンには鉛色の巡航ミサイルが拡大表示されている。ミサイルの現在位置は、今立っているところから約五〇キロ南、三〇メートルの上空を飛行中だ。
以前に比べて格段に確率は上がったものの、まだラムダ・ドライバを一〇〇パーセントの確率で作動させられる訳ではない。仮に作動できたとしても、当たらなければ意味がない。
集中して、できると信じて、確実に的に当てねばならないのだ。
トマホーク型ミサイルにはいくつかのタイプがあり、そのままの速度と高度で目標を撃破するタイプと、目標の手前で急上昇し、殆ど垂直に近い角度で急降下して目標を撃破するタイプがある。
三〇メートルという事は、ビルの高さにして七階か八階くらいの高さだ。この八丈島にはそれだけの高さの建物は少ない。おそらく後者だろう。だから、ミサイルが急上昇する前に落とす必要がある。
ミサイルの移動速度と自分の狙撃能力を考えると、チャンスは多くない。外したらそれで終わりだ。
どんな弾丸でも、一直線に飛んでいくものではない。重力・気流・空気抵抗などの影響で必ず逸れてしまう。長距離を狙い撃つならなおさらだ。
しかも、目標は高速で動いている。そのため、実際には何もない空間に標的を仮想して撃つ事になる。
その間にも、ASとは独立している狙撃砲のセンサーとコンピュータが、適確な狙撃角度・タイミングを割り出している。それらデータをアルが受け取って指示を出す。
《銃身をあと二・五度左。〇・四度上へ》
まるで、こちらの方が機械にでもなったような錯覚を感じるが、指示通りに機体を動かす。
自分とミサイルの位置関係から、斜め下から上へ弾を撃ち上げる形になってしまう。目標と水平、もしくは上からの方がいいのだが、山にでも登らないとその位置関係にはできないし、それだと離れた位置からミサイルを横から撃つ格好になってしまう。一度外せばそれで終わりだ。
(そろそろか)
宗介は、目の前の目標に全神経を集中させる。
(ここだ!)
《今!》
宗介とアルのタイミングが一致する。
ギリギリまでミサイルを引きつけた宗介は引き金を引いた。七六ミリ狙撃砲の銃口から、虹色の尾を曳いて飛び出した弾丸が一直線に空中を駆け抜ける。
しかし、弾丸は無情にも命中しなかった。ミサイルのわずか下をかすめた程度だった。
すぐさま第二撃を放つ。今度は角度が悪く当たりもしない。距離はないが、それでも三たび構えて発砲しようとしたその時――
巡航ミサイルの尾翼の一つがいきなり弾け飛んだ。ミサイルが小刻みに震え、安定感を失っていく。
ラムダ・ドライバが産み出した斥力場をまとった弾丸が尾翼をかすめ、破壊していたのだ。
こうした巡航ミサイルを正確に飛ばすには、正確なデータ入力ももちろんだが、ミサイルそのものも大事だ。尾翼を失ってバランスを崩したミサイルが、正確に飛べる訳がない。
もう一発撃つかどうか考えあぐねている一瞬の間に、予測していない事態になってしまった。
本来なら急上昇する(であろう)筈のミサイルがバランスを失い、高度を下げてまっすぐ自分の方に飛んできたのだ。先端部ががくがくと震えて安定しないままの、小刻みな蛇行飛行。これでは照準を定める事ができない。
しかも、距離が距離だ。もう一度構え直して発砲する時間はない。一秒間に三〇〇メートルは近づくのだから。
やがてミサイルは海面に「不時着」し、その衝撃で両翼が叩き折れる。胴体部分は海面をデタラメに跳ね回りながら、まっすぐ<アーバレスト>に迫ってくる。
コクピット内にミサイルの接近警報が鳴り響く。至近距離にまで接近したミサイルの鉛色が、拡大表示をするまでもなくスクリーンを埋め尽くす。
宗介は迷わず狙撃砲を投げ捨てると、右手に力を込め、強く握りしめた。右手から、いや<アーバレスト>の全身から虹色をした陽炎のようなオーラが一気に沸き立った。
「くたばれええぇっ!!」
知らず知らずのうちに発した叫び声と共に、虹色の拳を眼前に迫ったミサイルに叩きつけた!
海が激しく波打ち、周囲の大気もビリビリと震える。金属がひしゃげるようなかん高い音と何かが唸るような鈍い音とが混ざりあう耳障りなノイズが、<アーバレスト>と宗介の全身を打ちのめす。
加速による衝撃が加わった一〇トン近いミサイルの重量が、全長八・五メートルの人型兵器の繰り出した小さな右拳と拮抗した瞬間だった。


ホテルブルーオーシャン

突然聞こえてきた大爆発の音。かなめはびくりと身を震わせると、窓を開けてベランダに出る。
左の方を見ると、そちらで何かが爆発したらしい。黒い煙と爆炎が夜の闇にくっきりと浮かび上がっている。
(ソースケ!)
かなめはいても立ってもいられずにPHSを握りしめたまま走り出した。そのままのスピードで階段をかけ下りてロビーを抜けて表に出る。
港のずっと先、山の裾野の向こうから黒い煙と何かが燃え盛る炎とがここからでも見えた。
ホテルやその周囲からも、あとからあとから人が湧き出て、遠くの炎と煙を見物している。かなめはしばしの間呆然とそれを見ていた。
しかし、ふと我に返ると、指が自然に彼の携帯にダイヤルしていた。耳にあて、息を整える。
繋がるまでのわずかな時間の間に、押し潰されそうな不安感が増大し、うろたえて落ち着かなくなる。
何してるのよ。お願いだから早く出てよ。そしていつもみたいに、愛想のない声で「問題ない」って言ってよ。
しかし、かなめの耳に聞こえたのは、またも話し中の音だけだった。
「……あいつ。携帯の通話ボタン切り忘れてんじゃないでしょうね?」
肩透かしを食らったように、拍子抜けしてぽかんとしてしまう。話し中の音が聞こえるという事は、彼は生きている証拠だ。しかし、かなめは彼が無事である安堵感よりも、怒りの方が先に立っていた。親指で電話を切る。
部屋に戻って以後も、それが気になってなかなか寝つけない。何度か彼の携帯にかけてみるが、全く繋がらない。ずっと話し中である。
「……もう知るか! あんなブァカ!!」
かなめは腹立ちまぎれに彼のリュックサックを蹴り飛ばすと、PHSの電源をオフにした。


一月一七日 一〇四一時(日本標準時)
八丈島 ホテルブルーオーシャン

朝のニュースで、この事件は「米軍巡洋艦のコンピュータ誤作動によるミサイル誤射」という発表があった。八丈島での爆発はそれが原因だと。
その原因となったウォルター博士に関する事は一切公表されず、軍内部でその処置が決められるらしい。さすがに「ハッキングされました」という発表は避けたようだ。
米軍は記者会見の中で、日本への謝罪より搭載コンピュータがおかしくなった事をことさらに強調していた。
結局、搭載コンピュータを作成した会社を相手どって補償を求めて裁判を起こす事に決定したようだが、それも形だけ。軍と企業の上層部で「打ち合わせ」をしたシナリオ通りに事が運ぶだけだ。
ミサイルは発射されたものの、どこかに被害を出した訳ではない。日本政府は「被害がなかったのは不幸中の幸い」とどこかピントのずれた、当たり障りのないコメントをしただけにとどまった。
そのため、強気に出られない日本外交と、罪悪感の感じられない米軍を責める世論が少々騒ぐだろうが、時が立てば静まるだろう。
一方、一〇〇〇キロの距離を強行軍でやってきた<トゥアハー・デ・ダナン>は、やっとの事で<アーバレスト>をどうにか回収して、今度こそメリダ島基地へと帰っていった。
<アーバレスト>回収の際、八丈島とその周辺には調査のための自衛隊の飛行機、この騒ぎを聞きつけた野次馬が数多くいたが、それらから目を逸らしたり隠れたりするので、大幅に時間をロスしてしまったのだ。
透明化できる電磁迷彩システムにも弱点はある。特有のオゾン臭が出る事と、多量の水分だ。特に多量の水分――雨にさらされたり水の中にいると無数の青白い火花を散らせて、ネオンサインのようになってしまうのだ。
テッサも丸一日以上不眠不休で操艦した上に、さらにこれらの回避の指揮にあたっていたが、さすがに総てが済んだ今は周囲に押し切られて交替し、自室で眠りについている。
そうして総てが終わり、宗介がホテルに到着した時には、すでに朝の一〇時を大幅に過ぎていた。
さすがにかなめの泊まっている部屋など判らない。一応ホテルに入る直前に彼女に電話をかけたが、電源を切っているらしく繋がらない。その様子から、かなり怒っていると宗介は推測した。
どうしたものかとホテルに入ってロビーを見回すと、すでにかなめが下りてきていた。
足元に二人分の荷物を置き、ロビーの隅に立っていたのだ。よく見れば目が少し腫れぼったい。殆ど寝ていないのだろう。
「千鳥。遅くなって済まなかった」
開口一番宗介が謝罪するが、かなめは無言のままだった。
「……やはり、怒っているのか?」
おそるおそる宗介が訊ねる。
「怒ってる」
ぼそっと冷たく言い放つかなめ。
「そりゃ、ソースケが悪い訳じゃないのは判ってるし、無事に帰って来たのは嬉しいけどさ。こっちは荷物調べられたりして大変だったんだからね」
しかも、彼と視線を合わせないようにそっぽを向いたままだ。
「飛行機での移動だからな。国内線とはいえ警戒は厳重だろう。今回は荷物の中に入れず、自分で持っていた」
その辺りを律儀にきちんと説明する宗介。しかしかなめはそんな説明を無視して、
「あれこれ悩んだり、わくわくしたりして、いろんな事やって遊ぼうって思ってたのに。どうしてくれるのよ。何にもできないじゃない、これじゃ。来た意味がないっての」
二人が乗る飛行機は、島を一二時には出発してしまう。搭乗手続き等の時間を考えると、残された時間ははっきり言って少ない。
確かにこれでは、わざわざ来た意味がない。それでも罪悪感の塊になった宗介は素直に謝罪する。
「そうだな。君を楽しませる筈がこんな事になってしまった。本当に申し訳ない」
「おまけに電話は繋がらないし。そっちから連絡の一つもないしさ。これでも……心配してたんだよ」
ぼそぼそとした蚊の鳴くようなか細い声で非難は続く。しかし、怒りのあまりPHSの電源をオフにしてしまった事は黙している。
「千鳥。その事なのだが……」
宗介は様子をうかがうように彼女を見つめると、
「昨夜、君は常盤のところにでも、電話をかけていたのか?」
「え? 別に、キョーコのとこに電話なんてかけてないけど?」
いきなり何を言うんだ、と心底思うかなめ。それを聞いた宗介は少し驚いて、
「昨夜から今朝にかけて、何度か君のPHSに電話をしたのだが、話し中で繋がらなかったのでな」
実際かなめに電話をかけるよう提案をしたのはAIのアルだが、それについては伏せておく。
彼のその言葉を聞いたかなめは、口を半開きにして固まってしまった。
「……それ、ホント?」
「肯定だ。嘘を言ってどうなるものでもない」
かなめが宗介にかけた電話は話し中。そして、宗介がかなめにかけた電話も話し中。という事は――
(……ひょっとして、お互い同時にかけてたの!?)
確かに同時にかければ繋がらないし、話し中で当たり前だ。
少しの間惚けてぽかんとし、少しだけ安堵し、それから――
そのまま気絶するくらいの脱力感が全身を支配し、彼女はその場にへなへなとくずおれた。
「ち、千鳥っ!?」
宗介は急にペタンと床に座り込んでしまったかなめを立たせようとするが、乾いた笑いを浮かべていたかなめが惚けた顔のままぷっと吹き出した。
「あははは。何だ。そーだったの。そーだったんだ」
ホテルのロビーという事もあって声は抑えているが、遠慮なく膝をバシバシ叩いて笑い、涙まで浮かべている。
今までの、どこか刺々しさが垣間見えた態度から、一転してこれである。
(ど、どうしたというのだ彼女は!? まさか寝不足が原因で気が狂ってしまったのか!?)
衛生兵――いや、この場合はきちんとした専門医の方がいい。ここから一番近い……いや、そもそも何科に連れて行けばいい? 精神科か? それとも心療内科か? はたまた……。
冷静に考えれば、一晩の寝不足でここまで狂う事はまずないのだが、宗介はどうしていいのか判らずに、脂汗をびっしりとかいておろおろとその場に棒立ちになっている。
「ああ、ごめんごめん。大丈夫だから」
かなめは宗介の手に掴まって立ち上がり、浮かんできた涙を指で拭っている。彼は焦燥をあらわにした顔のまま、
「本当に大丈夫なのか? 病院に行って、診察を受けるべきではないのか?」
言動の基準はともかく、彼は自分の事を本気で心配してくれている。それだけでかなめは、心が何か暖かいもので満ちていく感じがした。
「ないない。行こ、ソースケ」
自分の鞄を持って、優しく声をかける。怒りから狂気(?)。そして急に優しい雰囲気に変わったかなめを見て、宗介が目を白黒させていると、
「何してんの。時間がもったいないから、早く行こ」
「……怒っていたのではないのか?」
再びおそるおそる訊ねる宗介。
「ああ、もういいの。判ったから」
かなめは「何が判ったのだろう」と首をかしげる宗介の腕を引いて、
「時間ないけど、行けるだけ行ってみよ。この辺結構面白そうなところ多いんだから」
それから少し間を置くと、
「大事なのは、ソースケも楽しむ事しか考えない事。もう<ミスリル>の仕事は終わったんだし、そのくらいしてくれたっていいんじゃない?」
すっかり上機嫌になったかなめは、お姉さんぶって得意げに宗介を見つめた。


結局島には一時間といられず、バカンスらしいバカンスにならなかった一泊二日の旅行ではあったものの、かなめはその一時間足らずの間、これ以上ないくらい楽しそうな笑顔で過ごしていた。
朴念仁の宗介ですら胸の高鳴りを隠せないくらいの、素敵な笑顔を浮かべて。

<突然のファイア・ザ・レッド 終わり>


ホントのあとがき

お疲れ様でした。もう第一声はこの言葉しかないでしょう。
このサイト最長の話になってしまいましたから。次からはもう少し短い話にしたいと思います。
けどこの話。短くする気なら、やってやれない事もないんですよね。いきなり八丈島に来た所から始めて、最初からミサイルの処理を宗介にやらせれば。
しかし、テッサ他がいきなり「じゃ、あなたに任せるから、あとよろしく」という態度は取らないでしょう。自分達も自分達なりに行動を起こす筈です。
それを考えると「いきなり八丈島」はできなかった訳で。

「踊るベリー・メリー・クリスマス」にて宗介・かなめ・テッサの三角関係は決着がついてしまいました。その辺の人物関係は「その延長線上だとこんなモンだろ」という想像の元に書いてます。
さすがに原作で答えが出てしまっている以上、三人のドタバタラブコメを書いても虚しいだけですし、「俺の中ではこうなんだ!」という「オレ設定」ってのもねぇ(;¬¬)。時間軸を以前にしたとしても「どうせテッサは振られるし」という感じになってしまうので、「先が見えている話」となって面白くありません。
それを考えると、二次創作の幅が狭まってしまったかもしれません。実際書こうと思って没ったネタ、いくつかありますし(泣)。

お読み戴ければお判りかと思いますが、このSSは「揺れるイントゥ・ザ・ブルー」の裏返しなんです。最初はそんなつもりはなかったんですが、書いていくウチに「あ(汗)」と気づいた次第で。
だったらそうしてやろうと最初に戻って細部変更。時間がかかる訳です。
それゆえにタイトルも「ファイア・ザ・レッド」となっているのです。もっとも、今回の「レッド」は「赤」の意味ではございませんが。
『ファイア・ザ・レッド(fire the lead)』。「鉛を発射」という、そのまんまの意味です。

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