『突然のファイア・ザ・レッド(下) 中編』

一月一六日 一七〇五時(日本標準時)
タイコンデロガ級イージス巡洋艦<キングゲイザー> 甲板上

「こちらウルズ2。艦への侵入に成功。これより情報収集に入ります」
『了解。作戦を第二段階に移行します』
<デ・ダナン>との短いやり取りのあと、マオとクルツは立ち上がりかけ、再び荷物の影に隠れた。
向こうから誰かがやってきたのだ。服から察するに、どうやら整備員のようだ。
少々慌てた様子でこちらに駆けてくる彼を見て、
(とりあえず、あいつを捕まえて尋問するよ)
(了解)
マオの提案にいたずら小僧のような笑みで答えるクルツ。でもそれもすぐに獲物を狙う鷹のような鋭い目になり、タイミングをはかる。
クルツはその整備員の死角から一気に飛び出して、素早く口を塞ぐ。必至で抵抗しようとするその男をどうにか組み伏せ、ずるずると隠れている物陰まで引きずる。
「動かないで」
マオは無表情でぬっと出したサバイバル・ナイフをその男の首筋に素早く突きつける。
「大声もなし。こっちの質問に素直に答える。OK?」
彼女は感情を押し殺した声で淡々と話す。無表情なだけにかえって怖さが増している。男は仕方なく首を何度も縦に振った。
「この艦は、一体どうなってるの?」
マオの質問が終わったあと、クルツが彼の口から手を離した。
「こっちが知りたいくらいだ。艦が制御を受けつけないんだからよ」
「制御を受けつけない? どういう風に?」
「こっちでいくらコントロールしても艦が反応しないんだよ。まるで、操られてるみたいに」
「操られてる……」
こっちが知りたいくらい、という返答から考えると、この人物は大した事は把握してないだろう。それに、根掘り葉掘り尋問している余裕もない。
そう判断すると、マオはクルツに目で合図する。クルツは用意していたクロロホルムをしみ込ませた布を密閉された袋から取り出して、男の口と鼻にかぶせる。
しばらく呻いてもがいていた男も、やがてぐったりとして眠りについた。
「ごめんね。せめて痛くない方法でおねんねしてもらうよ」
そう言いながら、男の着ている服を脱がし、自分が着る。この艦の整備員になりすませば、もし誰かと遭遇しても、少しはごまかせるだろう。
「あ〜あ。どうせならもっと美人の服脱がしたかったけどなぁ」
情けない下着姿の男を見下ろして、ぽつりと悲しげに呟くクルツを見たマオが、
「サイテーね、あんたって」
「冗談だって。脱がすんなら、もっとロマンチックなところで、口説き落としてからじゃなきゃな。それも、相手の意識がある時に」
クルツがどこか自分に酔ったようにうんうんと一人で納得する。マオはそれを無視し、
「艦が制御を受けつけない、か。こんな整備員っぽいのがうろうろできるって事は、艦のコンピュータに何かあったと見るべきかな」
電子戦の専門知識のあるマオがそう結論づける。が、それを判断するのは彼女ではなくテッサだ。
マオは再び無線で<デ・ダナン>に連絡を入れた。


<トゥアハー・デ・ダナン>

「判りました。そのまま情報収集を続行して下さい。できれば、原因の究明も」
マオからの報告を受けたテッサがそう指示を出す。かなり無理を言っているのは自分でも判るが、仕方ない。
艦のハッキングは、いくらやってもダメである。向こうのコンピュータ・システムの半端ではない堅牢さに、さしものテッサもさじを投げた。
AI<ダーナ>の破れないシステムが向こうにあると結論づけるしかなかった。
やはり米軍以外の「何か」が艦を乗っ取っているのだろうと、うすうす考えていたものの、マオからの報告を聞いてそれは確信に変わった。
さすがに「何が」乗っ取ったのかまでは判らなかったが。
「艦長。やはり何者かに乗っ取られているのですか?」
「ええ。やはり犯人は艦ではなく、コンピュータそのものを乗っ取って、自分の思い通りに動かしているようです」
マデューカスに言われ、テッサが結論づけた意見を述べる。
そうなると、どうするべきか。
単純にコンピュータが乗っ取られているのなら、ますますミサイルなどを撃ち込む訳にはいかない。
しかし、最低でも艦の動きを止めなければならない。これ以上日本に近づけさせる訳にはいかないからだ。ハッキングができないのならば、力づくで止めるしかない。
ハッキングしている人物を取り押さえれば確実なのだが、艦の中にいるという保証はどこにもない。
「コンピュータでの侵入が不可能であれば、物理的にその艦の動きを止めるのが確実でしょう。やって下さい」
『了解』
マオは短く答えると、通信を切った。


<キングゲイザー>

「……だってさ、クルツ」
「まったく、テッサちゃんも人使いが荒いなぁ。ソースケのやつがテッサちゃん振るから、こっちにまでとばっちりが」
物陰に隠れたままのクルツが通信の内容を聞いてぼやく。
「人手がないんだから、ぼやいてんじゃないよ」
マオが言葉でがつんと言うと、そこに、
「貴様、そこで何をしている!?」
いきなり男の声がして二人は身を固くする。素早くマオが身を伏せ、一応整備員の服を着ているクルツもくるりと後ろを向く。
「そこで何をしている。この忙しい時に!」
「す、すいません。急に気持ち悪くなっちゃって……」
クルツは、声をかけてきた男に背を向けたまま具合が悪そうにそう言うと、
「まったく、何をしているんだ、貴様は……」
その男は呆れ顔を浮かべて、介抱しようとクルツに近づいた。その時、男の首筋に急激に鋭い痛みが走り、男はあっさりと意識を失った。
どさりという物音に驚いてクルツが振り向くと、そこにはスタンガンを持ったマオが。足元には今声をかけてきた男が倒れている。
「さて。そいつの服奪って、中に乗り込むよ」
彼女は倒れた男の野戦服をてきぱきと脱がして、タンクトップの上から羽織った。やはり少々だぶだぶだが、サイズの違いは仕方ない。その光景を見たクルツは、
「姐さん。気絶した男の服を脱がすのはサイテーじゃないのか?」
「……非常事態でしょ、細かい事気にしない」
マオが淡々と短くキッパリ言い切ると、クルツは唖然として肩をすくめた。
「それより、この男を隠しておくの、手伝いなさいよ。重いんだから」
クルツはため息混じりに、彼女に手を貸して、男二人を物陰に隠した。


一月一六日 一七三〇時(日本標準時)
<キングゲイザー> 船内

一応米兵になりすましたマオとクルツは艦内に潜入。
それから三〇分ほどかけて、艦内を一通り見て回るふりをして情報を集めようとする。
適当な船室。食堂。管制室……。艦橋はさすがに無理だったが、どこもかしこも人が走り回って慌てふためいているのが判った。
何人かの兵とすれ違ったものの、みな艦が勝手に動いている事への焦燥感と、どうにかしたいのにどうにもできないパニック感からか、二人を気にする者もいない。
副長らしい小柄な黒人男性に怪しまれたものの、マオが「襟の先が……」と有無を言わさず直して、さらにクルツが口からでまかせのおべんちゃらを並べる事で難を逃れた。
やがて、そんな二人がやってきたのは艦後部にある格納庫だった。ここから見えるだけでも数十人の整備員が忙しそうに働いている。
イージス巡洋艦の主な役割は、艦隊を敵ミサイル及び航空機から守る事。そのためのレーダーやミサイルは多数積むが、陸戦兵器を積む事は殆どない。
実際、決して広いとは言えない格納庫の中には小型のヘリコプターくらいしかない。だが――
「姐さん。まさか、あれ使うのか?」
格納庫に来た理由が判ったクルツは、唖然とした目でマオを見つめる。
「しかないでしょ」
マオが不敵ににやにやとしながら目の前にある「兵器」に駆けていく。
二人の視線の先には、ダウンジャケットを着込んだようなずんぐりとした胴体に、がっしりとした力強さを連想させる太い手足を持つ「巨人」が両膝をついた姿勢で立っていた。
巨人――人型兵器アーム・スレイブで、中でも一番のベストセラー機の呼び声も高いM6<ブッシュネル>と呼ばれている機体だ。それが二機。
二人が<ミスリル>で使っているAS・M9<ガーンズバック>より一世代ほど前の機体だが、世界の十年先を行くハイテク傭兵部隊である<ミスリル>と比べるのは酷だ。普通の軍隊であれば、<ブッシュネル>でも充分現役の最新鋭機である。
実は、今回のミサイルを積み込む際にASを使ったので、それが縁で載せていたのだ。
本来なら艦内の電子配線やエンジンをいじって「極力無傷に」止めたいところだが、一刻を争う事態。
それに、停止作業を「操っている人物」に悟られたくない。荒っぽくなる事には目をつぶってもらうしかない。
マオとクルツのいる特別対応班所属の隊員は、万能選手を集めた精鋭でもある。
歩兵として優秀なだけでなく、いずれも何らかのスペシャリストで、トップクラスの技能が求められるのだ。
実戦部隊である性質上、このASの操縦技能に長けた者が多い。マオとクルツの二人も例外ではなかった。
二人は他の整備員の目を盗んで開きっぱなしのコクピットに素早く乗り込む。
ハッチを閉じて電源を投入。正面にあるモノクロのスクリーンが点灯し、文字が次々浮かんでは並んでいく。
そのスクリーンを見ながら、手際のいい早さで各種設定を済ませていく。
他の整備員が気づいた時にはもう遅く、二機のASは、固定するためのワイヤーを引きちぎりながら立ち上がろうとしていたところだった。
対人兵器ではASに傷をつける事すらできないし、対AS用の装備など、この艦にはない。そうなると整備員達にできるのは、一刻も早く逃げる事だけだ。
マオは整備員達が慌てて逃げていくのを見届けると、
「クルツ。あんたが行ってきな、あたしはここで見張りをしてるから」
『俺が行くのか!?』
「文句を言わない! 急いで!」
無線でそう言うと、クルツの乗った<ブッシュネル>は、腕に取りつけられたワイヤーのフックを引っぱりだし、それをマオ機に預ける。
それから壁面に取りつけられた手動開閉レバーを指の先で器用に回す。すると金属の軋む音がしてゆっくりとハッチが開いていった。
後部甲板に出ると、既に外は暗かった。下にはすっかり暗くなった流れる海しか見えない。もしワイヤーが切れたり、マオが手を放したりしたら一巻の終わりだ。
『放さないでくれよ、姐さん』
「判ってるって」
その返事にクルツ機は親指を立てて挨拶を送ると、そのまま海に飛び下りた。凄まじい水しぶきでマオ機もずぶ濡れになる。
海に入ったクルツは、機体を巧みに操作して艦最後部に取りつく。
ただでさえ暗いところにきて、スクリューの作り出す流れと大量の泡で視界も悪いし、片手が使えないのでバランスも取りにくい。何度も無関係な方向に流されそうになってしまう。
「クルツ、まだ? 人が集まってきてるんだけど」
無線でマオが悪態をつく。モノクロのスクリーンには艦長らしい人物と、整備員達がこちらを見て大騒ぎをしている。無駄と判りながら、普通の拳銃で攻撃を加えるものもいる。
だが、こちらは彼等を傷つける訳にもいかないので、何の抵抗もできない。ワイヤーの先端を持って、その場に立っているだけだ。
『もう少し待ってな、これで……どうだ!』
ようやくバランスが取れたクルツは、標準装備の単分子カッターを抜いて、一気にスクリューめがけ叩きつけた。
がこんという澄んだ音がしてスクリューの一つが外れ、後方に流されていく。
一度コツを掴めばあとは楽だ。同じ要領で残るスクリュー総てを破壊する事に成功した。


マオ達がASを奪ったのとほぼ同じ頃。
船室にこもったままのウォルターは、少々イライラしだしてきた。
さっきからドアを破ろうと背後の扉がバタバタとうるさいからだ。鍵をかけ、かつベッドで押さえつけているので、鉄の扉を爆破するか、チェーンソーのようなもので斬るしか、中に入る方法はない。
これだけでも充分時間を稼ぐくらいの事はできる。
あれから北に進んで、射程距離もだいぶ短くなった。ミサイルを撃つためのデータ類のほとんどは、すべて修正を加えた上で入力済である。
そんな時、急に部屋の外が騒がしくなった。何かあったらしい。
ウォルターはそろそろと壁に近づいて耳を済ますと、大きな声が聞こえてきた。
(副長。侵入者です。侵入者がASを奪って、我が艦の後方部に!)
(何だと!? その侵入者とやらは何なんだ!?)
(わ、判りません)
(侵入者は絶対に逃がすんじゃないぞ! ASごと蜂の巣にしてやれ。木っ端微塵だ!)
(しかし、艦内でASに発砲する訳にも……)
自分とは無関係だと判り、再びパソコンの前に戻る。
その時、艦がぐらぐらと揺れた。その揺れはもちろんウォルターがこもっている船室も響いた。
「……何だ?」
ウォルターは急に速度が上がらなくなった事に不審を抱き、パソコンの画面とにらめっこして調べてみる。
しかし、ハッチが手動で開かれたくらいで、配線等に被害はない。ここから調べる事ができないのは外装くらいである。
どこかが壊れたか、誰かが壊したか。それはここからでは判らない。
「やってくれる……」
きっと後者だろうと見当をつけた。勝手に動かされるくらいなら……と思っての事だろう。侵入者というのが気になるが、大きな問題ではない。
船のコンパスを見てみる。大丈夫だ。位置的にだいたい計算した地点に来ている。
ここから発射しようと決め、データ入力の仕上げに取りかかった。


一月一六日 一八三〇時(日本標準時)
<トゥアハー・デ・ダナン>

『こちらウルズ2。6が目標のスクリューの破壊に成功。これでこの艦は動けません』
マオからの報告を聞いたテッサは一瞬だけ呆然としてしまった。
動きを止める必要がある事は言ったが、まさかこんな荒っぽい方法をとるとは。彼女は頭の中で巡洋艦の乗組員達に何度も謝罪する。
一通り謝罪を済ませたテッサは、
「それで、コンピュータの異常の原因は判りましたか?」
『申し訳ありません。そちらは判っていません』
良く考えてみれば時間から察して、スクリュー破壊以上の事をしているとも思えなかったが。
『ちょっと待って、動きがあったみたい』
「動き? どういう事ですか?」
いきなり何かを見つけたようなマオの反応に、テッサもシートから身を乗り出す。
『どうやらこの艦に、ミサイルの開発者が乗ってるみたい。彼が何かしたのかも』
実は艦をうろうろとしている間に、マオはこっそりと盗聴器をつけていたのだ。それこそあちこちに。
そのうちの一つがいい情報を拾い上げたようである。


<キングゲイザー>

ウォルターは、背後から聞こえてくる音に顔をしかめながらも、キーを叩き続けている。
かん高い音がして、金属が切り裂かれる音がうるさく響く。まるで目の前で道路工事をやられているようだ。ドアではなく、壁を破ろうという考えらしい。
金属の壁をプラスティック爆弾だけで破壊するのは困難だし、壊し過ぎる危険もある。
チェーンソーなどで「切り込み」を入れ、しかるのちに壁を爆破という手順ならば、ほぼ目的通りに壁に穴を開ける事ができる。
データの入力はまだ完全には終わっていない。もう少しだ。もう少しで入力が終わるのだ。それまで邪魔を入れさせる訳にはいかない。
キーボードを叩く音が、部屋を破る音にかき消されていく。やがて、
ドドォン!
何かが爆発する音。そのあと、壁が倒れる音がする。同時に、
「何なんだ、一体。説明してもらおうか!」
先ほどの轟音に負けない怒鳴り声。副長のビーン大尉が激昂して真っ先に乗り込んでくる。状況が状況であれば、銃を突きつけているだろうが。
「どういうつもりだ!? そっちのわがままにつき合っているのをいい事につけあがりおって!」
怒りのあまり声が震えている。さらに彼は、
「我が艦は現在原因不明のコンピュータ・トラブルを抱えているというのに、こちらの呼びかけにも応じないというのはどういうつもりだ! いくら何でもそんな態度は許さんぞ!!」
怒髪天をつく勢いでウォルターに詰め寄り、こめかみにぴくぴくと血管を浮き上がらせて怒鳴り散らす。
しかし、怒鳴られているウォルターは、キーをカタカタと叩きながら横目で彼をちらっと見ただけ。そんな態度をとられては、ますます大尉を怒らせるだけだ。
「貴様……!」
我慢できずに威嚇の意味で銃を抜こうと腰に手をやる。しかし、威嚇と判っていても、周囲の兵が止めに入る。
「もう遅いよ」
ウォルターは無表情な顔でビーン大尉を見る。それから人差し指をENTERキーの上にそっと置き、
「ミサイル発射の準備は整った。これで全部終わる。火の海にしないノン・リーサル型を使うだけ、マシだと思ってくれ」
それを聞いた大尉はようやく察する事ができた。今までこの艦を操っていたのは彼だと。だからこの艦に乗り込んだのだと。
「これで、あのホテルは木っ端みじんだ。僕の思い出のハチジョー島に、あんなものを建てやがって……!」
無情にもENTERキーは押されてしまった。
巡航ミサイルは発射。ウォルターしか知らない目標めがけて一直線に飛んでいく。
「貴様、ミサイルを止めろ!」
しかし、そんな事ができない事は、今ウォルターの襟首を掴み上げているビーン大尉自身も判っていた。
「大尉。このパソコンで、艦の総てのコントロールを行っていたようです」
パソコンを見ていた部下が信じられないという驚愕の表情を浮かべている。
それはそうだろう。今までさんざん艦が振り回されていた上に、こんなパソコン一台ですべての繰艦作業ができるなど誰が信じるか。
「電源を止めろ! さもなくばコードを引っこ抜け!!」
大尉は荒々しく怒鳴って、壁に叩きつけるようにウォルターを放すと、自分もそのパソコンに近づいた。
「ん? 何だ、これは?」
画面を見ると、画面には大きくデジタルの数字が表示され、見る見るうちに減っていく。何かのカウント・ダウンのようでもあった。
その数字がゼロになった時、総ての表示が一瞬にして消えた。
「……!」
大尉達が驚く中、真っ暗になった画面に味気ない書体のメッセージが浮かび上がった。
《ハードディスク、およびDVDの初期化は終了しました》
「何だと!? これはどういう事だ!?」
大尉よりも他の船員よりも、ウォルター自身が一番驚いていた。
一旦電源を切り、再び入れる。数秒後に画面に表示された文字は、
NO DATA
メッセージは真実だった。パソコンの中身もDVDの中身も空っぽ。
実はDVDを作動させて一定時間が経つと、パソコンとDVDの中身を初期化して消滅させるようプログラミングがされていたのだが、それはウォルターには知らされていなかった事実である。
敵の手の内で踊らされただけでなく、あっさりと騙されてしまったのだ。
悔しさと情けなさで、ウォルターは拳をキーボードに叩きつけていた。
……もうミサイルを止める手段は、ない。


<トゥアハー・デ・ダナン>

マオが『ビーン大尉の襟の裏』に仕掛けた盗聴器が拾い上げた音声を聞いていたテッサは、驚くのを通り越して呆れ果てていた。
巡洋艦を乗っ取ってまでミサイルを撃った理由がそれとは。
確かにホテルが建てられて、思い出の地が無くなってしまったその事態には軽い同情を覚える。あんな稚拙な犯行声明も間違いなく彼の仕業だろう。
それにしても――である。その知識を別な方向に注げなかったのだろうか。
いや。できなかったのだろう。人間は、いったん思い込むとそれ以外の考え方ができなくなるから。
カリーニンが言っていた「技術者としては優秀だが、性格は子供がそのまま大きくなった様な感じだ」という話。
まさしくその通りだ。思い通りにならない子供が癇癪を起こしたのと同じである。
直後、ソナー員とマオ達から、ノン・リーサル型とおぼしき巡航ミサイルが発射されたとの連絡が入った。
いくら何でも、ここから巡航ミサイルを迎撃するなど不可能だ。
艦内にはもちろん音速を超えて飛べるジェット戦闘機もある。だが、今から浮上して、飛行甲板を開き……などとやっている時間などある訳がない。
それに、いくらこの艦の並外れた超電導推進システムをフル活用して追いかけたとしても、時速にして一二〇キロなど亜音速の巡航ミサイルの前ではカメの歩みだ。
第一、巡洋艦内にいるマオとクルツも「回収」しなければならないので、いくら何でも彼等を置いて追いかけるなどできない。
(サガラさん。あとは頼みます!)
万一を考えて打った手が、残念な事に役に立つ事になってしまった事を悲しみながら。

<後編につづく>


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