『突然のファイア・ザ・レッド(下) 前編』

一月一六日 一四四〇時(日本標準時)
八丈島 乙千代ガ浜

宗介は意固地になって立ち去ろうとするかなめをどうにかなだめ、少しの間待ってもらう事にした。
それから持ってきていた無線機のスイッチを入れ、衛星通信機に転送。少しの間を置いて、衛星回線で三〇〇〇キロ南の<ミスリル>西太平洋基地・メリダ島に繋がった。
『はい』
「<デ・ダナン>のウルズ7だ。SGTサガラ。B−3128」
『確認しました』
「大至急<デ・ダナン>に接続してほしい。緊急事態だ」
『了解。五秒下さい』
ぼそぼそとした英語のやり取りのあとちょうど五秒後。衛星通信はどこかの海底にいる<トゥアハー・デ・ダナン>へと転送される。
『サガラさん、どうしました?』
無線機からテッサの声が響く。宗介は無意識のうちに背筋を伸ばすと、
「はっ、大佐殿。実は……」
宗介は、今自分がかなめと共に八丈島にいる事。それから、遥か遠くに見慣れぬ巡航ミサイルらしきものが落下した事を伝えた。
『そうですか。まずは一安心といったところですね』
テッサは本心から安堵の息をもらす。それから素早く頭を巡らせると、
『本来ならば、今すぐあなたにこちらに来てほしいところですが、現在そのミサイルを発射したと思われる巡洋艦を追尾しているために迎えが出せません。現段階ではそこで待機という事にします』
「待機、ですか?」
思わず宗介が聞き返してしまった。
『こちらで作戦をまとめ、必要があればそちらに連絡をします。……不服ですか?』
「い、いえ、決して」
宗介は「上官の命令」という事で反射的に同意する。だが、テッサはそれを「かなめと離れなくないからだ」と解釈してしまった。
判っているとはいえ、やはり割り切るにはもう少し時間がかかりそうだ。
『以上です。では、交信を終了します』
テッサは急に刺々しい声で通信を切ってしまった。
「……どうしたの?」
無線機で、しかも早口の英語。さらに聞き慣れない軍事用語だらけの会話ゆえに内容が判らないかなめが訊ねる。
「とりあえず、待機命令が出た。しかし、それを承諾した途端、大佐殿が急に不機嫌になってしまった」
「……あ、そ」
宗介とテッサの事情を聞いていないかなめは、あえて淡白な態度を決め込む事にした。


<トゥアハー・デ・ダナン>

通信を終えて、<デ・ダナン>ブリッジの自分のシートに背を預けるテッサ。
宗介とかなめの事が思い浮かぶが、それをすぐに心の奥底に押し込める。今はそれどころではない。
先ほど作戦本部からも「そういう事であれば」という一応の許可は出た。
テッサはこれからどうするかを、三つ編みの髪を口元に押し当てて深く考え込んでいる。
潜水艦の中にいるのでは、あまりにも情報不足だ。どうしても相手の情報がいる。それも、艦内部の情報が。
先ほどから相手艦のコンピュータをハッキングしようとしているが、ダメだ。
ここでハッキングをして艦のコンピュータをコントロールできれば、何も苦労はない。それで総てが終わる。
この<デ・ダナン>のコンピュータ・システムは、単なる軍艦を遥かに超えたレベルである。アメリカ軍の通信システムすら手玉にとれるほどの性能を持っているのだ。
にもかかわらず、何度侵入を試みても、一度も成功していない。
という事は、この巡洋艦には<デ・ダナン>以上の「何か」があるという事になる。だが、それが何かを探る時間はないだろう。
いくら勝手にミサイルを発射した巡洋艦といえども、問答無用で攻撃、もしくは沈める訳にはいかない。
カーチェイス・アクションのように、<デ・ダナン>をぶつけて止めるなども論外だ。
しかし艦を海面に浮上させて、ヘリなどで隊員を送る事も避けたい。
イージス艦は、従来の船舶を凌駕する各種レーダーを装備している。浮上した途端迎撃される可能性があるし、常軌を逸したハイテク潜水艦であるこの艦は各国の注目の的。必要以上に姿をさらす事はできない。
ハイジャックされたのか。それともクーデターのようなものが起こったのか。あるいは単なるコンピュータ機器の誤作動か。はたまた別の誰かによるハッキングなのか。
こうなると他の手も考えねばならない。艦を浮上させず、相手艦内部の情報を得る。それもできるだけ早く。そんな無茶な事が、はたして……。
その時、発令所の入口が開き、一緒に艦に乗り込んでいたカリーニン少佐が入ってきた。
「大佐殿。食料盗難の件なのですが、お時間よろしいでしょうか?」
入ってくるなり、彼はそう言った。
艦内放送を発したので、臨戦体制に入った事は彼も知っている筈だ。どこか彼らしくない態度に、テッサは疑問を感じずにはいられなかった。
「少佐。今がどういう時か判っているだろう?」
マデューカスが少しだけ声を荒げる。それは、相手艦のハッキングがうまくいっていない事に対する苛立ちも含んでいたかもしれない。
カリーニンはその状況を聞いて数秒ほど考えてから、
「大佐殿。申し訳ありませんが、第一状況説明室まで、ご足労願えますか」
「第一状況説明室、ですか?」
テッサは思わずきょとんとした顔で訊ねる。
「その件も含めて、思いついた事があります」
カリーニンは、静かだが力強く言った。


一月一六日 一四五〇時(日本標準時)
<トゥアハー・デ・ダナン> 第一状況説明室

テッサがカリーニンに連れられて第一状況説明室へ来た時、そこにいた人物を見て思わずぽかんとしてしまった。
タンクトップ姿に首にタオルをかけて、仏頂面で立っているウルズ2ことメリッサ・マオ少尉は判る。
特別対応班所属の彼女が艦に乗るのは基本的に実戦の時だけだが、今回はアーム・スレイブと電子戦の専門知識を生かして、遅れている整備のアシスタントをするために乗っているからだ。
ぽかんとしたのは、もう一人の人物を見てだ。
「よっ、テッサちゃん。元気だったかい?」
へらへらとしまりなくにやけた顔を浮かべているのは、ウルズ6ことクルツ・ウェーバー軍曹。宗介のチームメイトである。
外見は金髪碧眼の色男なのだが、規律を遵守する事の少ない、どこか品位に欠けるお調子者と見られている。
と同時に、この<ミスリル>でも最高の戦闘員が属する特別対応班所属の軍曹であり、特に狙撃にかけては神業的な腕を持っている。
そんな彼も、今は何故か上半身ずぶ濡れで、さらに手錠で両腕両足を拘束されてパイプ椅子に座らされていた。
「あの、カリーニンさん。どうしてここにウェーバーさんが?」
テッサの記憶が確かなら、クルツは一週間前にマデューカス中佐にメリダ島基地格納庫の清掃という罰当番を命じられていた筈である。それを問いただすと、
「いや、聞いてよテッサちゃん。俺だって真面目に格納庫の掃除してたんだぜ」
遥か上の階級である彼女に対しても、クルツは軽い態度をとっている。しかし、彼はそのまま続けた。
「でもさ、あんな広いとこ一人でやってたら疲れるだろ? それでつい出来心で荷物にもたれかかってうとうと〜ってしてたらさ。気がついたら<デ・ダナン>の中だったって訳」
説明を聞いたテッサは、空しくなってため息をついた。どうせサボって荷物の中に紛れ込んでいたに違いない。
「……ひょっとして、食料を盗んだのはウェーバーさんですか!?」
話の流れとカリーニンのさっきの言葉からそう察したテッサ。事実だったようで、さすがのクルツもばつの悪い顔になる。
「確かに悪かったとは思ってるよ。でも勘弁してよ、お願いだから」
と言って謝るクルツ。
彼の行動は罰しなければならないものだが、一週間もの間、全く気づかれずに艦内に潜伏していたその技量は驚くべきものである。
その様子を見たカリーニンは、
「艦内放送でもあった通り、現在米軍の巡洋艦が、トマホークと思われる巡航ミサイルを日本方面に向けて発射したという情報が入っている」
何の前置きもなくいきなり状況の説明を始めた。
「無論、そのミサイルが日本を直撃しないとも限らないし、第二撃がないという保証もない。その巡洋艦内部がどうなっているのか判らない以上、こちらからうかつに攻撃する訳にはいかない。そのための情報収集を、君達にやってもらう」
いきなりの任務に、さすがのクルツも唖然となる。隣で聞いていたマオも同じだ。
「作戦の決行が遅れれば、遅れた分だけ状況は悪くなるだろう。予行演習や事前の情報が一切ない作戦ではあるが、特別対応班所属である君達ならば、不可能な芸当ではないと思っている。特にウェーバー軍曹は、こうして一週間もの間艦内に潜伏していたのだから、お手のものだろう」
皮肉混じりにそう言われて、さすがのクルツも返答に困る。
「ところでカリーニンさん。どうしてウェーバーさんは見つかったんですか?」
「とある女性隊員の入浴をのぞいたそうです。未遂に終わったようですが」
カリーニンは少し迷った末にそう言うと、マオが咳払いをしてクルツをじろ〜っと睨みつけているだけだった。
(……なるほど)
笑ってはいけないのだが、テッサはくすりと笑ってしまった。
それからカリーニンは、自分の考えた作戦を説明し始める。
マオとクルツは潜水服を着て巡洋艦に接近し、のちに潜入。現在の艦の状況を見極めて報告。それをもって今後の対策を立て、場合によってはその場で何らかの手を打つ。
その間テッサ達は巡洋艦のコンピュータに、再度侵入を試みる。
テッサも彼の作戦に二、三の変更点をつけ加えた上で、一時間後に作戦を決行する事に決まった。
ただでさえ冗長性の低い行動を迫られるのに、今回は特に顕著である。
しかし、だからといって泣き言を言っている暇はない。
どんなものであれ、日本がミサイル攻撃で被害をこうむれば、ただでさえ悪いアメリカへの感情が一気に悪くなる事は火を見るより明らか。
いくらアメリカといえども申し開きはできないし、こうした事には弱腰の日本とて何の応対もしない訳にはいかないだろう。
戦争に発展する事はないかもしれないが、間違いなく日米関係は悪化して、世界規模で経済その他に大打撃を与える事は間違いない。
一同は、急いで持ち場に散った。


一月一六日 一五三〇時(日本標準時)
八丈島 ホテルブルーオーシャン

テッサから作戦詳細を伝える通信があってから三〇分後。島の南部に緊急の津波警報が発令された。テッサの流したニセの情報である。
かなめは、この津波警報に従って避難していた。幸い、宿泊するホテルはその避難地域に入っていたのだ。
もちろん作戦の子細を聞かされている彼女は、この警報が嘘である事は知っている。
だが、自分があの場にいても、何の役にも立たない。こうした際の作戦を考える知識もない。
存在しない技術(ブラックテクノロジー)を持つ者と云われる『ウィスパード』でも、万能ではない。
一般的な科学等の知識量は莫大に増えるものの、存在しない技術の知識の方は、自分の望み通りに自由自在に使える訳ではないのだ。
だったら、せめて自分は彼の邪魔にならないところへ行こう。
彼女は宗介の荷物を持って、一足先に宿泊券を使えるホテルに行く事にしたのだ。
ホテルブルーオーシャン。
背の低い建物に、南の島らしい熱帯性の植物生い茂る庭。
先日改装を終えたばかりの美しい外装・内装に、かなめも思わずぽかんとしてしまう。しかし、そこに似つかわしくない警察官の数々。何があったというのだろうか?
そんな風にぽかんとしていると、横からいきなり声をかけられた。
「すみません。ただいま荷物の検査をしているので、こちらへ」
声をかけてきたのは、制服に身を包んだ女性警察官だった。かなめはいぶかしく思ったものの、彼女の指示通り案内された場所へ向かう。
聞けば「何らかの」犯行声明が出たので、万一に備え警戒しているのだという。
かなめは嫌な予感がした。そんな犯行声明の出たホテルになど泊まりたくない、と。
しかし、今さら宿泊先を変えるといっても、島中が避難でどうのこうのといっている時だ。ここを出たら野宿になる可能性が高い。仕方なく妥協する。
女性警察官はてきぱきとかなめの鞄の中身を調べ、
「はい。じゃあそっちの大きなリュックも」
続いて宗介の荷物を指差す。
「えっ!?」
かなめの表情が引きつった。
あの常識知らずで戦争バカの宗介の荷物である。飛行機に乗る時に、彼は「一〇キロ以下に抑えてあるし、何も怪しい物など持っていない」と胸を張って言っていたが、「戦争バカ」の基準だ。充分怪しい。
もし中から銃だの爆弾だのが出てきたら、それこそこっちが犯人扱いされてしまう。
だが、この場で逃げれば余計に怪しまれるだけだ。かなめはその場で棒立ちになったまま、頭の中で思いつく限り宗介を罵倒する。
その間女性警察官の方は、「随分と大きいのね」「彼氏の荷物?」「カワイイ彼女ほったらかして何してるのかしらね」と、いくぶん柔らかい口調で話しかけながら中身を調べていく。
時間にすれば五分もなかっただろうが、顔は青ざめ、心臓は口から飛び出しそうなくらいバクバクいっているかなめにとっては、その数十倍にも感じられただろう。
だが、実際リュックサックの中から出てきたのは着替えや釣り道具。キャンプでも使えそうな小型の調理道具や保存の利く食料。さらには寝袋まであった。
(……何考えてんだろ、あいつ)
一泊二日の旅行で、しかもホテルに泊まると言ってあるのにこの荷物。彼に聞いたところで「何が起こるか判らん。万全の準備は当然だ」と答えそうだが。
「彼氏の趣味なの、これ?」
「えっ、ええ、はあ、まあ」
いきなり訊ねられ、かなめの声が裏返る。その様子を見て警察官はクスクス笑うと、
「どうせならホテルじゃなくて、島の東側にある底土のキャンプ場に行けばよかったのに」
彼女が言うにはそこにキャンプ場があるそうで、全面芝生敷のキャンプ場に炊事場、シャワー、トイレもついているそうだ。事前の予約はいるものの使用料は無料。
さらに「今の時期だとちょっと寒いけど、恋人同士なら関係ないでしょ」と意味ありげに見つめてくる。
実際恋人同士というのは向こうの大いなる勘違いなのだが、説明するのも一苦労であるし、どうせここだけの縁だ。かなめはその視線をかわそうと、苦笑いして曖昧にうなづいておく事にした。
どうなっているのかは知らないが、物騒なものが出てこなくてホントによかったと、心底安堵するかなめ。
女性警察官はご丁寧にもきちんとそのリュックの中身を元通りに入れ直すと、
「はい。じゃあ旅行楽しんで下さいね」
まるで客室乗務員のように微笑むと、かなめを解放してくれた。
それからフロントまで行って、チェック・インを済ませる。その際「連れはあとから来ますから」と朗らかに言っておいたが、来るかどうかは神のみぞ知る、だ。
案内された部屋は別に何という事のない、ごくありきたりのツインの部屋。窓からは海が一望できる。
部屋にぽつんと一人残されて、かなめは急にみじめな気分になってきた。
宗介の言った事など信用するんじゃなかったと、どんよりと気持ちが沈み込む。旅行の予定が台なしになった事を一人でぐちぐち言い続けていた。
少し前に見た再放送の昔のドラマで、仕事一筋の恋人に向かって「あたしと仕事とどっちが大事なの!?」と言っていたヒロインの気持ちが、痛いほどよく判る。
どんな時でも、非常時には<ミスリル>の傭兵にならねばならない宗介。「君を楽しませる」などと言っていたが、結局これだ。
でも理屈では判っている。彼でなければできない事だと。しかし「仕方ない」で済ませられない気持ちばかりはどうにもならない。
彼のせいじゃないと判っているくせに、彼の事を責めずにはいられない。
(ヤな女……)
かなめは一気に自己嫌悪に陥って、大きくため息をついた。


一月一六日 一六〇〇時(日本標準時)
<トゥアハー・デ・ダナン>

マオは無言で、服の上からウェット・スーツを着込み、アクアラング他の装備もテキパキと身につけていく。
「なぁ、姐さん。まだ怒ってるのか?」
すぐそばで同じようにウェット・スーツを服の上から着ているクルツが、困った顔で彼女に話しかける。
マオは足につけようとしていた足ひれを無造作に掴むと、彼の後頭部を一回殴る。
「風呂をのぞかれて、怒らない女はいないよ」
「そうぴりぴりすんなって。女性の裸を見てみたいっていう、健康な男の子の心境。察してほしいなぁ」
「あいにくあたしは女だから、そんな心境判らないね」
クルツの軽口をさらりと流す。
確かにのぞかれた事に関しては怒り心頭のマオであるが、こうしたセクハラまがいの発言については目をつぶっている。
のぞきはともかく、彼の本気なのか冗談なのか判らないセリフにつき合っていると時間がいくらあっても足りない。
「許してほしけりゃ、この任務死ぬ気でやりな。行くよ!」
「へいへい」
装備を整えた二人の精鋭が部屋を出て行った。
二人はすぐさま気密室に入る。狭苦しい円筒形の内部が海水で満たされていく。
「全く。シャワー浴びたばっかりだってのに。また浴びなきゃならないじゃない」
まだ足首ほどしか貯まっていない水を見て、マオがぼやく。
「そん時は俺が隅々まで洗ってやろうか?」
にやりと笑ってウィンクするクルツの頭をごつんと叩いた。
「お断りだね」
そう言うとマウスピースをくわえて待機する。クルツも同様だ。
やがて気密室内が海水で満たされ、しばしの間が空く。こうして外部と同じ水圧に慣れてから出ないと身体がもたないし、第一潜水病の恐れもある。
やがてハッチが開き、暗い外界が目の前に広がった。
(行くよ)
マオはクルツに手でそう合図して外へ出る。外には機械でできた海亀が待機していた。
タートルと呼ばれるこれは、いわば「泳ぐ潜望鏡」である。有線式の小型無人艇で通信機器や様々なセンサーを積んでいる。
いつもはこれで外部の様子を探るのだが、さすがにこれでは相手艦内の様子は判らない。
海中へ潜る時ならともかく、海上へ出る時に使う事はまずない。だが今回は、タートルに潜入のための機材も積んであるのだ。
二人は海亀に掴まってするすると海上に上っていく。無論潜水病にならないギリギリの速度で。
やがて海上に出ると、辺りは日が傾き始めていた。夕暮れが近いのだろう。
目標とする艦は随分と遠くに見える。しかし、こちらに近づいてくる事は判っていた。
マオとクルツはタートルに積まれた折り畳んであるゴム・ボートに空気を入れ、展開させる。
さらにそれに乗り、小型のエンジンを取りつける。小型と言っても時速三、四〇キロくらいは出せる代物だ。
このゴム・ボートで艦ギリギリまで近づいてから、先が電磁石になっているワイヤーを艦に固定させ、ロック・クライミングの要領で甲板まで登って艦内部に侵入という手筈だ。
そのどれ一つとってもウルトラCの技量を要求されるだろう。
もし仮にこの状態で見つかったとしても、乗ってた船が遭難しました、とでも言えば、少なくとも艦内に入る事はできる。こうした海難事故の被害者を助けるのは、各国の「船乗り」の決まりでもある。
その場合は、入念なボディ・チェックと監視付きになって、任務どころではないだろうが。
しかし、肉眼で充分目視できる距離にもかかわらず、見つかったような気配は一切ない。イージス艦のレーダーの精度は半端ではないだけに不自然である。
ゴム・ボートと二人のウェット・スーツは保護色になっているが、レーダーに引っかからないとは思えない。
「やっぱ、中で何かあったんだろうな」
「コンピュータ類の誤作動か、あるいは……」
「しかし、乗っ取られてるってのはどうかねぇ。相手は米軍だぜ」
クルツとマオはようやくモーターボートのエンジンをかけた。
このモーターボートは最大時速四〇キロほど。それに比べて巡洋艦の方は三五ノットだから、時速に直すと約六〇キロだ。
平行して進めない以上、侵入の手筈をすれ違い様に行う必要があるのだ。さすがの二人も不安を隠せない。
マオはボートを慎重に操作して、艦ギリギリに寄せる。クルツの方は艦が蹴立てている海水をもろに浴びながら、銃のような形をしたワイヤー射出装置を構えて、撃つ。
ぼしゅっと小さい音と共に先端部が飛び、かなり上の方に電磁石が固定された。軽く引っ張って確実に固定している事を確かめる。
それから二人は波飛沫を浴びながら甲板目指して登っていく。途中濡れたワイヤーで滑りそうになるが、そこは特別対応班の二人。落っこちるようなへまはしない。
頂上まで登ったクルツは、甲板の縁からそっと顔を出す。周囲はかなりドタバタしているようだ。よく聞き取れない悲鳴とも怒号ともつかない声が聞こえてくる。
クルツは甲板に降り立ち、登ってきたマオに手を貸して登らせる。それから素早く荷物の影に隠れて辺りをうかがいながらウェット・スーツを脱いだ。
二人はどうにか、巡洋艦<キングゲイザー>への侵入に成功した。

<中編につづく>


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