『データの足りないラブ・フォーチュン 前編』
朝。不機嫌の見本のように烈火のごとく怒ったままの千鳥かなめが教室に入ってくる。
彼女は殺気にも近い異様な気配を、これでもかこれでもかと周囲にまき散らし、ずんずんと教室内を歩いている。どのくらいの気配かというと、それまでざわついていた教室内が一瞬にして静けさに包まれたくらい。
その彼女のあまりの異様さ・怖さに親友の常盤恭子ですら、かなめのその様子を固まったまま見ていた。
「あ。え、え〜と。どしたの、カナちゃん」
自分の近くを通った彼女に引きつった笑顔で声をかけるが返事はない。その反応に、恭子の三つ編みのおさげ髪もしゅんと萎れているような気がする。
(……こりゃかなり怒ってるなぁ)
そう判断した彼女は、じっとかなめを見続けるしかなかった。
少し遅れて、顔のあちこちに青あざを作り、額に血をにじませた相良宗介が教室に入ってきた。
目の利く者が見れば、身体のこなしも微妙に悪くなっている事に気がついたかもしれない。
バシン!
静まりかえった教室内に鈍く乾いた音が響く。かなめが机の上に鞄を叩きつけるように荒々しく置いたからだ。
それから、鞄の中から出した教科書やらノートやらをこれまた乱暴に机の中に押し込んで、机の横に派手な音を立てて引っ掛け、椅子を押しつぶすような勢いでドカッと座り込んだ。
一方の宗介の方は青あざだらけの顔のまま鞄の中から教科書やノートを取り出して、机の中を確認してから入れると、腰のホルダーから銃を抜き、残弾数を確かめ、再びホルダーに戻した。
かなめの方は、美人だが口より先に手が出るツッコミ娘。宗介は、海外の紛争地帯で育った戦争ボケの帰国子女。
クラス内では「一応」デコボコカップルとして認知されている(らしい)二人のこの態度に、周囲のクラスメートは驚くやら唖然とするやら。遠巻きにして二人を見ていた。
(何だろ、やっぱり痴話ゲンカか?)
(昨日も何か殴られてたみたいだしな)
(また相良が何かバカやったんじゃねーの?)
(それにしても今日のはひどいね〜)
ひそひそひそひそ。周囲は無責任に想像を膨らませつつ小声で何やら話し合っていた。
一時間目が終わった休み時間。恭子はいつも以上にむっつりと黙っている彼にそっと訊ねる。
「ねね、相良くん。一体何があったの? カナちゃんずいぶん機嫌悪いみたいだけど……また何かしたの?」
「君に話すような事ではない」
痛々しい青あざだらけの顔のまま、いつも通りのむっつりとした顔で答える。
「そりゃそうかもしんないけどさ」
「それに、千鳥は俺の事を嫌っている。嫌いな人間がそばにいれば不機嫌にもなるだろう」
「そうかなぁ? そんな事ないと思うけどなぁ」
不思議そうに首をかしげる恭子に彼はきっぱりと言った。
「しかし、いつも『大っ嫌い』と言われているぞ」
その答えに、恭子のメガネがずるりと落ちそうになる。
「相良くん。それって……」
恭子が何か言おうとした時、かなめが教室に戻ってきた。彼女はまだ少々不機嫌らしく宗介の事を冷たい目で一瞥しただけだった。
彼女は慌てて「何でもない何でもない」と冷や汗交じりに言いながら彼から離れた。
(こりゃ今日はダメかな)
学校の帰りに、調布駅前に新装開店するファーストフード店にでも誘おうかと思っていたのだが、この様子では話しかけるタイミングがなかなかつかめない。日を改めた方がいいのかもしれない、と思い始めていた。
これ以後も、この日の二人は一言も会話する事はなかった。たまたま目があっても、かなめの方から視線をそらして完全に無視してしまう。
かなめの方から話しかける事などなく、宗介の方は「会話」自体を苦手としているので、自分から謝るのはおろか声をかける事すらできずにいた。
そんな険悪な雰囲気のまま、時間だけが過ぎていったその日の放課後。
結局、かなめと恭子の二人は新装開店したファーストフード店にやってきた。
登校してきた時に泉川駅前で貰った「新装開店キャンペーン・割引クーポン券」でフライドポテトとコーラを買う。
あまり広くない店内は、彼女達と同じ目的であろう学生達で溢れかえっている。トレイの敷紙の隅にも割引クーポン券がついており、思わずかなめは着服してしまった。
かなめは朝よりは機嫌が良くなっていた。あまり物事を引きずらないのも彼女の美点なのだ。
恭子はそれとなく朝の事を訊ねてみた。かなめはストローでコーラをすすりながら、
「芸能レポーターか、あんたは」
「まあまあ。登校中に相良くんが何かして、カナちゃんが怒ってるってのは前にもあったけどさ。今日のは特にすごかったし」
少々困った顔のまま、トレイに乗ったフライドポテトを口に放りこむ。
「相良くん。そんなにヒドイ事したの?」
その問いに、かなめはだんっとコーラを飲み干した紙コップを置き、
「……聞きたい?」
冷ややかに、かつ静かに彼女に訊ねた。そして、かなめの指が堅くゆっくりと動き、そのまま紙コップを握りつぶす。恭子はその冷たい迫力に負けたのか、
(……やめとこう。何か触れてはいけないものに触れちゃった感じがする)
引きつった笑顔を浮かべたままその場に凍りついた。


店を出た二人は調布駅へ向かって歩く。その途中にあるゲームセンターの入口をちらりと見た恭子がかなめの肩をつつく。
「そーだ。カナちゃんカナちゃん。ここに姓名判断の占い機があるんだよ」
そう言って、彼女の返事も聞かずに店内に入り、その機械に駆け寄る。
「え? あたし、用事あるんだけど。アイツが壊した鍵直してもらわないといけないし」
かなめは訳あって一人暮らしの為、こまごまとした事まで総て自分でやらないとならないのだ。
「まーまー。ちょっとだけだよ」
恭子は自分の財布から百円玉を出し、機械に入れ、画面の脇についている操作説明を見ている。その光景をやや冷ややかな目で見ていたかなめは、
「そんな機械に何が判るってのよ」
「え? 結構当たるんだよ、こういうの」
恭子は笑いながら、画面の指示に従って必要事項を入力していく。
「占い開始」のボタンを押して、しばらくするとカタカタいいながら結果を印刷したピンク色の細長い紙が出てきた。
「え〜と。『つまづきをジャンプのきっかけにできる強さを持っています。たとえ苦労をしてもその後成功し、すばらしい収穫を手にできるでしょう。ただし、恋や結婚にはややもめごとが何度かあって、孤独を感じる事も…』か。当たってるかな?」
「どれどれ……」
出てきた紙をかなめに見せ、意見を求める恭子。そこに書かれた内容は、かなめには当たっているかどうかはちょっと判らなかったが、恭子が意外とめげないタイプなのは確かだ。
「カナちゃんもやってみたら?」
かなめは気がすすまなかったが、恭子があまりにもせかすので、仕方なくといった感じでコインを入れる。
「え〜と。このボタンでかな入力。必要に応じて漢字に変換か……」
操作自体は結構簡単なものなので、すぐ要領も覚える。
「何を占いますか?」という項目も、恭子がやったのと同じ総画鑑定だ。
確認を済ませて「占い開始」のボタンを押す。しばらくするとカタカタいいながら結果を印刷した細長い紙が出てきた。
「カナちゃんはどうだった?」
出てきた紙を恭子がのぞきこむ。
『強運に恵まれ、大きな成功を手にする事ができるでしょう。特に人気と財運は強烈といっていいほど強く、何もない所から、驚くほどの大きな収穫を得る一生です』か。結構当たってるんじゃない?」
かなめはそうかな、と首をひねっている。だが、宗介がらみで「戦争関係の」ゴタゴタに巻き込まれても、何の力もない自分が何とかこうして生き残っているのだから、強運なのかもしれない。
恭子はかなめと入れ代わり、またコインを入れている。総画鑑定以外にも占いの項目があるので、他のやつも色々と試してみるつもりなのだろう。
嬉々としてキーを押している恭子に、かなめが訊ねる。
「今度は何やってるの?」
「恋愛相性運だよ。カナちゃんと相良くんの」
返ってきた答えにびくっとなり、慌てて止めに入るが、もう「占い開始」のボタンが押された後だった。
「ちょっとキョーコ、何考えてんのよ。あたしとソースケのれ、れ、恋愛運なんて」
「え? 結婚相性運の方が良かった?」
「もっと嫌よ!」
「まーまー。赤くなるのは結果を見てからにしなよ、カナちゃん」
「あ、赤くなんてなってないわよ」
そう言ってはいるが、かなめの顔はほんのりと赤くなっていた。自分の恋愛運である。相手が誰であれ、気にならないといえば嘘になる。
(しかし、どう出てくるんだろ。良いのかな。そりゃまあ……あんなバカ相手でも、悪いよりは良い方がいいけどさ。「理想のカップルです」なんて出てきたらどーしよ。やっぱ恥ずかしいな、そういうのは。あ。でも、もし悪かったら……ああ、違う違う。何考えてるんだあたしは)
ゆっくりと出てくる紙をじっと見ている恭子は気づかなかったが、かなめはその場に棒立ちになり百面相を繰り広げていた。
そんな事をしている間に、カタカタいいながら結果を印刷した細長い紙が出てきた。
わくわくしながら紙を手に取った恭子と、ちょっと不安気な目のかなめが揃って印刷された結果用紙を見つめる。
「……あれぇ? おっかしいなぁ」
紙を見るなり恭子は首をかしげた。そこにはこう書かれていた。
『42点。気の合う部分もありながら、ちょっとしたズレを感じる二人です。もう少しこうしてほしいのに……という思いが常にお互いに残るので、関係が自然消滅しやすく、恋が相手の浮気で終わったりする事もあるので、恋愛が成就する事は残念ながら少ないでしょう』
しばらくの間、二人とも無言のままだった。
やがて、かなめの方が意外にさっぱりとした感じで、
「ほらね。機械がこう言ってるんだから、あたしとソースケの相性は悪いのよ。当然じゃない」
さっき機械をまるっきり信用していないような発言をしておきながらこう言うと、
「これで機械的にも、あたしとソースケは相性が良くないって証明された訳よ」
かなめはそのまま機械から離れた。
「もう帰ろ、キョーコ」
「う、うん……」
恭子は今一つ納得のいかない顔で占い結果の紙を簡単にたたんでポケットにしまいこむと、急いでかなめの後を追った。


宗介は自宅に帰ると、着替えもせずにノートパソコンの電源を入れ、手慣れたキーボードタッチで定時連絡の「報告書」の作成を始めた。しかし、なぜか精神的に沈んでいて、思うように作業は進まない。
その時、自分のポケットの携帯がぴりりと鳴った。一旦作業を止め、電話に出る。
「はい。こちらサガラ」
『おうソースケ、俺だ』
電話の向こうからくだけた英語の挨拶が聞こえる。宗介は肩と頬を使って電話を挟み、そのまま「報告書」の作成に取りかかった。
「何だ。クルツか。確か、まだ勤務時間中だろう。私用連絡をしていいと思ってるのか?」
同じように英語で無愛想な返事を返すと、クルツと呼んだ電話の相手は呆れたように舌打ちすると、
『いいじゃねーかよ。今メシ食い終わった空き時間だぜ。その時間に自分の電話で親友に電話しちゃいけないなんて規則は<ミスリル>にあったかぁ?』
ゲラゲラと笑う声が電話から響いてくる。
電話の相手――クルツ・ウェーバー軍曹は、どの国にも属さない対テロ軍事組織<ミスリル>の軍曹である。宗介も、実は同じ組織の同じ班――特別対応班に属する軍曹。そう。戦争ボケの帰国子女とは仮の姿なのだ。
『ところで、一昨日頼んでおいたヤツ、何とかなったか?』
その問いで、宗介の表情が一気に曇る。額にはじんわりと脂汗がにじみ、言葉に詰まる。
『どーした?』
「……まだだ」
その答えに、クルツの表情が一瞬凍りついた。
『おいおい。らしくねーなぁ。どーしたんだよ』
規模はともかく、頼まれた事はきっちりとやっておくタイプの宗介にしては珍しいミスだ。
「……実は、カナメに頼んだのだ。彼女の方が『最近流行のラーメン屋』について詳しいだろうと判断した」
十四歳まで日本に住んでいたクルツは、何だかんだ言っても日本びいきの所がある。基地内で「納豆」と「日本酒」を注文する数少ないお得意さんだ。
久し振りに休暇がとれるという事なので、どうせなら日本でゆっくり……と考えて、情報収集を宗介に依頼したのだ。
しかし、幼い頃から海外の紛争地帯で育った宗介には、日本の知識・常識は殆どないと言っていい。その為、彼はかなめに頼んだのだ。
「調べてもらった物を今日受け取る筈だったのだが……受け取っていないのだ。また……彼女を怒らせてしまってな。とても話せる雰囲気ではなかった」
その答えに、クルツも電話の向こうで呆れている。
『進歩しないねぇ。しょっちゅうカナメを怒らせちまって。ワンパターン過ぎてツッコム気もねーよ。新しいパターンやろうって気はないのか!? ……で、今度は何やらかしたんだ?』
クルツの雰囲気は相変わらず軽い。そう聞いてきたのも単なる好奇心だろう。
『ま、クルツにーさんに話してみろよ。他人に話せばスッキリするって事もあらーな』
彼にそう言われ、しばらく間をおいた後、宗介はあまり上手とは言えない口調で語り始めた。

昨日の朝。宗介は登校前に質素な食事を終え、鏡を見て健康状態を確認し、学用品・装備品の点検を済ませた。
机の上にノートが一冊。表紙には「古文・千鳥かなめ」とそっけなく書かれている。ほとんど海外暮しの宗介は古文が苦手なので、彼女からノートを借りていたのだ。
(ふむ。いつでもいいと言っていたが、早い方がよかろう)
宗介はそのノートを鞄の中に入れ、時計を見た。もうすぐ彼女が家を出る頃だ。
彼は急いでマンションを出て、都道を挟んだ反対側にある彼女のマンションへ向かった。
彼女の部屋の前まで来て呼び鈴を押そうとした時、間違いなく部屋の中から小さい悲鳴が聞こえた。
(千鳥!? まさか、何かあったのか?)
彼は急いでドアのノブに手をかけ、わずかにひねる。鍵はかかっていない。
そのままノブをひねってドアを開け、素早く腰のホルダーから銃を引き抜きつつ靴のまま部屋の中になだれ込む。リビングに人の気配を感じ、一気にリビングに駆け込むと同時に油断なく銃を突きつけた。
彼がリビングで見た光景は、右手にテレビのリモコンを持ち、左手に食べかけのトーストを持ち、制服姿でテレビを見ていたかなめの姿だった。
「……ち、千鳥。さっきの悲鳴は何だ?」
一見平穏で何もない光景に疑問を感じた宗介は、銃を突きつけたまま部屋の中を注意深く見回しながらそう訊ねた。
一秒。二秒。三秒。
いきなり入ってきた宗介に驚いて動きが止まっていたかなめがようやくリアクションを起こした。
「いきなり何入ってきてんのよ!!」
部屋中を震わせる絶叫とともに、すかさず手にしていたリモコンを投げつけ、寸分の狂いもなく彼の顔面に見事命中した。
他にも手近にあった新聞やら、空になったドクター・ペッパーのペットボトルやら、使い終わったばかりでまだ熱いトースターやらが次々と飛んでくる。
宗介はそれらをどうにか避けながら彼女に呼びかける。
「ま、待て、千鳥。さっきの悲鳴は何だ? 敵はどこなんだ?」
「とっとと出てけ、戦争バカ!!」
かなめの助走をつけた手加減のないロケットキックが炸裂し、宗介は開きっぱなしのドアから一気に廊下に蹴り出された。
ちなみに後でわかった事だが、部屋の外から聞こえた小さな悲鳴というのは、テレビでやっていた「週末公開映画・先行情報コーナー」でやっていた、ホラー映画のワンシーンだった。

宗介の語りを聞いていたクルツは、電話の向こうで冷めきった笑顔を浮かべていた。
『お前なぁ。そりゃカナメが怒るに決まってんだろ?』
「……うむ。確かに、いきなり銃を突きつけられれば良い気分はしないだろう。彼女は民間人だ。しかし、危機回避の為には必要な措置だと思うのだが」
『そうじゃねーよ。しっかし、それでよく護衛が勤まるな』
宗介がかなめのそばにいるのは、彼女の護衛の為だ。その事はかなめも知っている。宗介が実は軍人だという事を知っているのも校内では彼女だけだ。
『それで怒らせたって訳かよ。バカみてぇ』
「いや。その件については、その日の彼女の夕食代を俺が立て替える事で、一応解決した」
つまり、夕食をおごらされた訳だ。
『でもよ。解決したのに、何で受け取らなかったんだよ』
「いや。その次の日。つまり今日受け取る筈だったのだが……」
『……また、やっちまったのか?』
彼にそう言われ、しばらく間をおいた後、宗介はやはり上手とは言えない口調で話を続けた。
今朝。どたばたがあったせいでノートを渡すのをすっかり忘れていた宗介は、いつも通りに質素な食事と健康状態の確認と学用品・装備品の点検を済ませて家を出て、昨日と同じように急いで彼女のマンションに向かう。
なぜ学校で渡さないかと言うと、以前教室内でノートを返した時に、かなめが嫌な顔をしていたのを覚えていたからだ。
(理由は良く判らないが、教室でのああいった行為はやってはいけないという事なのだろう)
本当は周りのクラスメートに冷やかされただけなのだが、どこかピントのずれた解釈をしたまま彼女の部屋にやってきた。
今度は注意深く周囲を観察する。
中から物音はしない。しかし、ドアの上についている電気のメーターと水道のメーターが激しく動いているのを確認した。間違いなく彼女は今自宅にいる。
昨日はここでいきなり部屋に踏み込んで彼女の機嫌を損ねてしまった。今日は慎重に行動しなければ。
どう慎重に行動しようかと思案していた時に、部屋の中からまた悲鳴が聞こえてきた。いや。悲鳴というよりは驚きの声と言った方が良い。
声も間違いなく彼女のものだ。彼はすぐさま腰のホルダーに手を伸ばすが、
(待て。昨日はこれで失敗をしたのだ。同じ失敗をくり返す事は許されない)
銃に手をかけたままその場でピタリと動かなくなる。
だが、そうしている間にも、彼の頭の中ではこの部屋の中で繰り広げられていそうな光景がまざまざと浮かんでいた。
無抵抗な就寝中を狙ってこっそり侵入した不審人物が、かなめをスタンガンで眠らせてそのまま連れて行こうとしている図。
無防備になる入浴中を狙ってベランダから押し入った不審人物が、かなめを薬で眠らせてそのまま運び去ろうとしている図。
こっそりと窓ガラスの鍵を開けて入ってきた不審人物が、抵抗するかなめを殴りつけて気絶させ、拉致しようとしている図。
(いや。それだけではない。普段の生活の中にも危険は潜んでいる)
台所で調理中に手を切ってしまい、傷が深く出血多量で動けなくなっているかなめ。
台所で調理中に手を火傷してしまい、その応急処置で困っているかなめ。
浴室で足を滑らせ、足を挫いて動くに動けなくなっているかなめ。
次から次へと程度はともかく「物騒な」光景が頭の中を通り過ぎていく。
時間にすればほんの数秒もない時間だったが、次の瞬間宗介の身体は動いていた。
ドアノブを軽くひねり、鍵がかかっている事に気づくと、すぐさま銃を抜いて発砲。パン、パンという音が廊下に響き、鍵をあっさり破壊する。別に「合法的に」鍵をこじ開ける事もできるが、緊急事態にそんな悠長な事をしている暇はない。
そのまま一気にドアを開け、銃を握りしめたまま一気に部屋の中になだれ込む。
(どこだ、千鳥!?)
リビングにはいない。キッチンにもいない。彼女の自室にも……いない。
(まさか、さらわれてしまったのか!?)
悲鳴(?)の後にすぐさま飛び込んで行かなかった事を激しく後悔する。ほんの一瞬のためらいが致命的な事態を引き起こす事など百も承知だというのに。
(くそっ! 何のための護衛だ!!)
情けなさと悔しさのあまり持っていた銃に額を血が出るほど何度も激しく打ちつける。
がたん。
いきなりした物音に反応し、そちらに銃を向ける。
「……やっば〜。また寝ちゃったよ。もうどーしよ、髪乾いてないし〜」
それからばたばたと音がしたかと思うと、そばのドアが開き、そこからバスタオル一枚のかなめが姿を現した。シャワーを浴びた直後だろう。乾ききってない長い黒髪が肩にまとわりついている。
「……!」
かなめは昨日と同じようなシチュエーションに一瞬硬直したかと思うと、今回はすかさず右手で殴りかかった。
「ナニしてんのあんたは――――っ!!」
かなめの拳が綺麗に彼の左目にヒット。その後はめちゃくちゃだが確実に彼の顔を続けざまに殴りつけている。
「お、落ち着け、千鳥。敵はどこなんだ!?」
「あ、あんたには学習能力ってもんがないの? ひょっとして、わざとやってない!?」
真っ赤になって怒鳴った後、がしっと彼の制服の胸ぐらを掴み上げがくがくと揺さぶる。
だが、そうやって暴れたせいか、かなめのバスタオルの合わせ目が緩んでぱらりと床に落ちた。
「……っ!!」
かなめの顔が更に赤くなる。彼女は慌ててバスタオルを片手で掴んでとりあえず身体を隠すと、
「だから嫌いなのよ、あんたわ! とっとと出てけ、このヘンタイ!!」
宗介は昨日と同じように開きっぱなしのドアから一気に廊下に投げ出された。
その後、顔を真っ赤にしたまま着替えを済ませて出てきた彼女に「顔が赤いが、熱があるようなら学校を休んだ方が……」と忠告をして再び殴られもした。

『う、うらやましいヤツ』
クルツはその光景を思い浮かべて心底悔しそうな声を出す。
「殴られるのがうらやましいのか?」
宗介のピントのズレまくった返事に、
『バーカ。あーあ。こんな男に護衛されてるなんて、カナメも可哀想になぁ。心底同情しちゃうよ、俺は』
クルツはため息交じりにしみじみと呟く。
『ま、ベッドの中までお供できるようになれとは言わねーからさ。いい加減何とかしろや』
「何だ、それは?」
クルツは宗介の疑問に答えず、電話の向こうで誰かと何かやり取りをしたあと、
『あ。俺……そろそろオフィスに戻るわ。んじゃな』
そう言うと、一方的に電話は切れた。
(何が言いたかったんだ、クルツは……)
彼の言う通り話してはみたが、精神的にはスッキリせず、何ら変わる事はなかった。
宗介は首をかしげたまま携帯電話を懐にしまうと、何事もなかったように報告書の続きを打ち始めた。出来上がるまでに、いつもの倍は時間がかかってしまったが。

<中編につづく>


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