『純朴なファースト・エイド』
「あ〜〜、肩こった……」
自分のクラスにやってくる早々、おおそよ女子高生らしからぬセリフを吐き、千鳥かなめはだらしなく自分の机に突っ伏していた。
そのテンションは、今朝から空を覆う雨雲に正比例するようにどんよりとしたものだった。
「カナちゃんが朝弱いのはいつもの事だけど、今日はちょっと酷くない?」
そんな彼女を見下ろして、親友の常盤恭子が心配そうに訊ねる。かなめはだるそうに頭だけ上げて恭子を見上げると、
「いやぁ。昨日部屋の掃除してたんだけどさ。途中からだんだんノッてきちゃって」
訳あって他の家族と離れて一人暮らしをしているかなめ。こまごまとした事まで自分でやらねばならない環境だというのは恭子も知っている。彼女は相づちを打つと、無言で話の続きをうながした。
「普段やらないタンスとか冷蔵庫の裏まで掃除機かけたし、シンクも念入りに磨いちゃってさぁ」
一日中一人で部屋の大掃除をしたのでは、いくら若いとはいえ疲れて当たり前だ。
「おまけに部屋の模様替えまでしちゃったモンだから、もう肩は痛いし腕も痛いし腰も痛いし。痛い身体引きずって、近所のドラッグストアに無臭タイプの湿布買いに行ったわよ」
「はぁ。そりゃお疲れ様」
その「疲れているが仕事をやり終えた」という、どことなく満足げなかなめを見て、恭子は苦笑いで返す。しかし、
「でもさ。そういう力仕事になったら、相良くん呼べばよかったのに」
「……!」
相良くん――相良宗介はかなめの家から歩いて一分の距離に住んでいるクラスメイトの男子だ。
つい最近まで海外の戦場や紛争地帯を転々としていた、戦争ボケの帰国子女。いつも銃器を振り回し爆薬を仕掛けるなど、毎日のようにクラス委員のかなめの手に余る「暴走」を繰り返している。
だが細身とはいえ、そうした荒事に慣れた体躯なので、力仕事にはもってこいでもある。物騒ではあるが基本的に「イイ人」なので、かなめが頼めば引き受けてくれただろう。
のほほんとした恭子の意見に、かなめの表情が痛いほど凍りついていた。その反応を見て、
「……ひょっとして、思いつかなかったとか?」
「いや、まぁ……模様替えっていっても、そう大した事はやってなくてさ。タンスの引き出し入れ替えただけなんだけどさ」
かなめは周囲をきょろきょろ見回すように視線を走らせると、小声で、
「下着の入った棚もあったんだもん」
「あ、なるほど」
かなめの一言で恭子も一応納得した。いくら近所に住んでいるとはいえ、それなら頼まなかったのも納得がいく。
宗介がそういった事を気にしない性分というのは判っている。それでも恋人でもない男子に、タンスに入った下着を見られたくはないだろう。
「保健室に湿布あるかな? 何か効いてないような気がしちゃって」
どっこいしょ、と普段のかなめらしからぬ鈍い動作で立ち上がる。そしてよろよろと教室を出ようとした時、その相良宗介と鉢合わせした。
制服の上からレインコートを羽織っている。かなめの記憶に間違いがないなら、確かアメリカの海兵隊で使われているモデルだ。それが濡れた形跡があるのだから、まだ外は雨なのだろう。
「む。千鳥か、どうした。……変に元気がないように見えるが」
上から下まで無遠慮に観察している彼につっこむ元気もなく、かなめは一言だけ、
「保健室に行くの。西野センセに頼んで……」
「保健の西野先生なら、今日は欠席だ」
「うそっ!?」
宗介の淡々とした言葉にかなめが過敏反応する。無論先生がいなくとも保健室は開いているが、それでも保健の先生がいてくれる方が助かる事に変わりはない。
「風邪を引いた、とだけ聞いたが。詳しい事は判らん」
「この時期に?」
しかし季節の変わり目というのは体調を崩しやすいもの。ふとかなめの脳に「医者の不養生」ということわざが思い浮かんだ。
「けどそれじゃあ、どこに何があるのか探すのも大変そうね」
やれやれとばかりにうなだれるかなめ。宗介は恭子に訊ねた。
「千鳥に何があった?」
「ああ。昨日大掃除して肩とかこっちゃったんだって」
アッサリと事情を話した恭子に、かなめがツッコミの空手チョップをお見舞いする。彼女は叩かれた頭(ほとんど痛くはないが)を押さえてかなめをじろりと睨む。
「いいじゃん、ホントの事なんだから」
「んな事わざわざ言わなくていいって」
二人のやりとりの間にしばし考え込む宗介。もっともかなめに言わせれば「考えているように見えて実は何にも考えていない」表情だが。
「肩こりか……確かあった筈だな」
宗介はかなめの腕を掴んで彼女の席まで引っぱって行って座らせると自分の席に直行。コートを脱いで机に置くと、鞄の中から一冊のメモ帳を取り出して戻ってきた。
「何、そのメモ帳?」
宗介はパラパラめくるメモ帳から目を離さずに、
「昔の同り……知人から貰ったものだ。人体のツボの事が色々書いてある。確か肩こりに効くツボが書かれたページがあった筈だ」
目的のページを見つけたのだろう。パラパラとめくる手が止まった。
「俺はこうしたツボに関しては素人だが、人体の骨格や筋肉の知識ならあるつもりだ。問題ない」
だが彼の「問題ない」で問題が起きなかった方が珍しい。だが端で聞いていた恭子は素直に感嘆の声を上げる。
「へ〜、すごいね、それ」
一方かなめは対照的に疑いの眼差しで、
「ツボねぇ。一応テレビとかで見るけど、ホントに効くの?」
「判らん。あいにくこういった治療を必要と感じた事はないのでな」
かなめも何度かやってみた事はあるのだが、今一つ「効いている」という実感を味わった事がないので、ちょっと信憑性に欠けて見えてしまう。
だが症状が出なければ効き目はないし、押さえるポイントがずれていても効き目はない。それがこうしたツボというものだ。
宗介はかなめの後ろに回ると、メモ帳を机に置き、少し癖をつけて見開きの状態を固定した。
「肩甲骨中央部のくぼみ、か」
宗介はかなめの背中を上着の上から少し撫でて肩甲骨の中央部を探る。かなめはいきなり背中を撫でられて少し驚いてしまう。
同じツボでも人によって位置は微妙に違う。だからプロでも目測ではなく実際に触ってみないと正確なツボの位置は判らない。それゆえ宗介のやり方は正しいのだが、知らずに触られた方はたまらないだろう。
服の上から微かなくぼみを感じた宗介は、そこを親指でぐいと押す。その直後、かなめは肩全体にビビッと一瞬電気が走ったようになり、身体がビクンと震えてしまう。
「ちょ、ちょっとソースケ!?」
だが彼は驚く彼女を無視してメモ帳の文章を黙読している。
「首の根元と肩の中間部にあるくぼみ、だな」
彼はかなめの肩を指でなぞり、それらしいくぼみを指先に感じると、力を入れて押し込む。
「あだっ、ちょっと、痛いってば、ソースケ!」
彼女の訴えも空しく、彼の「治療」は続く。
「首のつけ根、髪の生え際の辺り」
宗介は彼女の長い髪を持ち上げるようにかき上げ、もう一方の親指と人差し指でそのあたりをグイグイと押していく。
「ちょっと、髪の毛挟まってる。痛いっての!」
さすがに我慢の限界を越え、かなめの振り回した手が彼に当たる。
「静かにしていろ、千鳥」
宗介は静かにそう言うと、振り回す彼女の腕を掴んで無理矢理下ろし、今度は正面に回る。その体勢で彼女の両肘を掴み、軽く親指を動かして関節のそばをグイグイと押す。
「ちょっと。肩よりは痛くないけど、この体勢は辛いって」
宗介はその体勢のまま、彼女の豊かな胸をじっと見る。
「なっ、ナニ見てんのよ、この……」
抗議しようとするかなめだが、宗介はメモ帳をちらりと見ると、肘から手を離した。
今度は両方の親指を彼女の胸の頂点に触れる寸前のところに持っていき、そのまま上にスライドさせて鎖骨の下に親指を押し込んだ。
「ぎゃっ! ちょっとホントに止めてってば、マジ痛いって!」
「我慢してくれ。第一それほど力一杯押している訳ではない」
宗介はその場にしゃがむとかなめの腹に指を当てた。そのまま中指でみぞおちの辺りから下に撫でてへその位置を探ると、その中間あたりを親指で押した。
「いい加減にしろっての!」
とうとう我慢しきれず、かなめの鉄拳が宗介の顔面に炸裂した。さすがの彼も後ろへよろけ、マッサージが中断する。
「……なかなか痛いぞ、千鳥」
「やかましいっ! さっきから痛いって言ってんだからすぐに止めなさいよ。余計痛くなるでしょ!?」
その言葉と勢いに、さしもの宗介も少しだけ考えこむ。
「そうなのか?」
「そうなの!」
彼の言葉を間髪入れずに肯定するが、かなめ自身詳しい訳ではない。ただの勢いである。
「だがまだ途中だ。早く座ってくれ」
「そうだよカナちゃん。せっかく相良くんがマッサージしてくれるんだからさ。ここは素直にしてもらいなよ」
半ば無責任に彼を焚きつける恭子。それを見ていたクラスメイトも、
「やってもらえばいいのに」
「そうそう。うらやましいよねー」
「ちょっと年寄り臭いけどな」
最後の言葉には、脱いだ上履きを投げつけて対抗するかなめ。
周囲はすっかり悪ノリしてはやし立てている。だがかなめは憮然とした顔で宗介に向き直ると、
「第一、こういうツボってゆっくりじっくり押すモンなの。そんな次から次に押したってすぐ効く訳じゃないんだから」
ずいぶん前に見たテレビの健康番組の言葉をそのまま語る。
「それに、いくらマッサージとはいえ人の身体を容赦なくベタベタ触るわあちこち撫でまくるわ、気分良い訳ないでしょ? 特にさっきのなんて、一歩間違ったらセクハラどころじゃないわよ?」
そう言って自分の鎖骨の下と胸の頂点を交互にトントンと指差す。
「気戸(きこ)というツボらしい。『乳頭線上で鎖骨の下』と書いてあったので、正確に押さえるためにそうしたまでだが」
「なんか響きがやらしいわね、それ」
無骨で朴訥すぎる彼にセクハラめいた意図はないだろうが、そうと判っていてもかなめの胸中は穏やかにはなれない。
「ともかく、靴を脱いだのはちょうどいい。足のツボを押す」
言うが早いか宗介はその場にしゃがむと彼女の足を取る。反射的にドスンと椅子に座らせれる格好になるかなめ。
いきなり目の前にしゃがまれたかなめはとっさにスカートの裾を押さえつけつつ、
「ちょっとあんた、まだやる気なの!? それにこの体勢じゃ……」
普通にしていたのではスカートの中が見えかねない。実際はそうそう見えやしないのだがそんな理屈は通用しない。
戸惑うかなめに構わず、宗介は靴下をするりと脱がして彼女に無造作に手渡すと、彼はかなめの足の親指の辺りを指で触っている。その指が指の根元を横から押した瞬間、
「っっっだあああああああっ!!」
宗介の身体はのけぞって宙に浮いていた。原因はかなめがあまりの痛さに振り上げた足が、彼の顎を力一杯蹴り上げたからだ。
まるでアッパーを喰らったボクサーのように宙を舞い、背中から落ちる。そしてその様子をクラスの誰も止める事ができず呆然と見ていた。
一方のかなめは肩を怒らせてゼーゼーと荒い息を吐きながら、
「あ、あんた! あたしの指もぎ取る気!?」
強烈に掴まれたところの痛みをこらえつつ、それをやった張本人に怒鳴りつけた。
「かなり痛いぞ」
顎に蹴られた痕を残しつつ、彼はすくっと立ち上がる。
「やかましいっ! さっきから痛いって言ってんだから、少しは加減ってモンをしなさい!」
「だが千鳥。さっきも言ったがそれほどの力は入れていない」
怒りに任せたかなめの鉄拳が、無言のまま再び宗介に振り下ろされた。


それから数時間後の体育の授業。外の雨はまだ降り続いているため、男女共に体育館での授業となった。
女子はバスケットボール。男子はグラウンドでサッカーの予定だったが急遽バレーボールに変更となっていた。
元々活動的でスポーツ万能なかなめは、実にウキウキとした様子で準備運動をしている。
「今日こそ貴様らに引導を渡してくれるわ。うはははは」
などと時代劇の悪役のようなセリフを吐きつつ、手首や足首をほぐしていた。それを遠目に見ている男子達は、
「相変わらず変にテンション高いよなー、千鳥は」
「授業なのにかなりマジになるからなー」
「体育のために学校来てるようなモンだからなー」
「けど今どき『引導』はないよなー」
と、若干冷めた視線を投げかけている。宗介だけは「元気があるのは何よりだ」と穏やかであった。
急遽バレーボールになったためか、男子のテンションはおしなべて低めだ。皆の動きも緩やかで、体育館にそれほどレシーブ、スパイクやボールの音が響き渡る事はない。時折体育教師が「女子の方ばっかり見てるんじゃない」と軽く注意する程度だ。
一方の女子はチーム分けをして総当たり戦をやっている最中らしく、本当の試合のように白熱した展開になっていた。ドリブルのボールの音、皆が一斉に走る足音、審判の吹く笛の音、選手同士で飛び交う声がうるさいくらいに聞こえてくる。
そんな中かなめはラインの側に座り、自分の出番を待っていた。
「……あ〜まだ痛い。あのバカ、どんだけ力入れたんだか。死ぬかと思った」
揉まれた親指を靴の上から撫でつつぶつぶつ言っている。隣にいた恭子は、
「そういうツボって、普通の人は押されてる感触しかないけど、具合の悪い人はすっごく痛いって言ってたよ?」
ツボを押されて痛いという事は、病状がある証拠なのである。だがそうと判っていても痛みが消える訳ではない。
「今夜あたり念入りにやってもらったら? 相良くんに」
「やめてよ。さっきだってベタベタ触られて最悪だったんだから。普通のプロのマッサージ屋さんの方がマシだって」
と、かなめは恭子に言い返したが、すぐにガックリとうなだれると、
「つーかさ。もはや女子高生を連想させる会話じゃないんだけど、これ」
気持ちは判るため、恭子も「そーだね」と苦笑いしている。
「けどカナちゃん。さっき肩とか腰とか痛いって言ってたけど、大丈夫?」
「ああ平気平気。そのくらいでめげてられないって」
心配する恭子に「任せとけ」と言わんばかりに強気の表情を見せるかなめ。しかし、そうして熱心に話し込んでいたのがまずかった。
「かなめ危ないっ!」
誰かの叫び声に顔を上げる。するとそこに、ボールをラインから飛び出させまいと飛び込んでくる人影が見えた。
いくらかなめがスポーツ万能と言っても、こうしたとっさの時に素早く動けるほどではない。
しかしとっさに床を蹴り、そこを滑るようにその場から動こうとできたのはさすがと言うべきだろう。だが今回はそれが仇となった。
その選手がバレーボールのようにボールを叩いてコート内に戻せたのはいいのだが、勢い余って飛び出し過ぎていたため、彼女が着地したところが、蹴った時に伸ばした瞬間のかなめの足首だったのである。
その選手が転げたところで笛が鳴りゲームは中断となる。
「大丈夫、二人とも!?」
女子の体育教師が慌てて飛んでくる。飛び込んできた選手は大した事はなくすぐに立ち上がったが、足首を踏まれたかなめの方はただでは済まなかった。
人間は着地の時には身体を支えるために、どうしてもそこに体重をかけざるを得なくなる。人間一人分の体重が足首にかかれば、下手をすれば骨が折れかねない。
「大丈夫か、千鳥!」
人をかき分け、宗介が飛んできた。うずくまったままのかなめの側にしゃがむが、当然先生に注意される。
「相良くん。あなたは自分の授業に戻りなさい」
「お言葉ですが先生。今日は保健の西野先生が風邪で欠席しています。この場合、応急処置のできる人間がすぐに何らかの処置をするべきです」
痛がって足を押さえるかなめの手をどけさせ、慎重に彼女の靴と靴下を素早く、そして痛がらないように脱がし、彼女の足――特に足首を調べていく。
「……それに、これは捻挫の可能性が高いです。重度ではないと思いますが、すぐに治療もしくは応急処置をしなければ、完治にかなりの日数がかかるでしょう」
そう告げると、宗介は自分の鉢巻きを解いた。それからかなめに「少し痛いが我慢してくれ」と断わって、それを包帯代わりに足首にややきつめに巻いていく。
その手際は教師の目から見てもプロとしか思えないほど手慣れたものだった。
テキパキと自分の怪我の応急処置をしていく宗介に、かなめは気押されたかのようにぽかんとして彼の治療を受け入れていた。
それは彼の表情が真剣だったから。彼女を助けようという気持ちで一杯だったから。
思い返せばさっきのマッサージの時もそうだった。彼はいつでも一所懸命なのである。空回りする事が多いが、そのひたむきさには一片の偽りもない。
「本当は患部を氷で冷やせればいいのだが、ないものは仕方あるまい。後はとにかく安静にしておけ。それから、なるべく心臓より高い位置に足を上げておく方がいい。横になるのが一番だろう」
患部を安静にし靱帯や組織の破壊拡大を最小限にする。患部を冷やして痛みと炎症を抑える。患部を適度に圧迫して腫れを抑える。患部を心臓より上にして血の巡りをよくする。捻挫の応急処置の基本中の基本である。
「うわー、すごいね相良くん」
ちゃっかり難を逃れていた恭子はかなめを心配そうに見ていたが、宗介の応急処置の手際に目を丸くして驚いている。
「いつもははた迷惑だけど、こういう時は役に立つわね」
「知ってても実際にはなかなかできないよ、こういうの」
「愛の力だね」
最後の一言にだけは憮然とした顔で返すかなめ。それを見ていた教師も、ここまで手際よくやられては出る幕はない。周囲の賞讃の声に宗介も、
「武力以外で皆の役に立てるのも、まんざら悪くはないな」
と得意げである。普段戦場での判断基準や知識でのみ行動している宗介だが、彼がそこで身につけたのは銃や爆弾の扱い方だけではないのだ。
かなめは宗介が巻いた鉢巻きにそっと手をやっていた。それはほんのりと暖かい。何の変哲もない鉢巻きではあるが、彼のかなめを助けたいという暖かい気持ちがこもっているように感じられたのは贔屓めだろうか。
「あー、うん……ありがと」
こうまで親身に手当をされ、嬉しいやら照れくさいやら。それでも素直に礼を言うかなめ。
「じゃあさ。保健室に運んであげなよ、相良くん」
恭子の意見に周囲の女子が「そうだねー」と同意した。純粋に賛成というよりは、かなりからかい半分の雰囲気であったが。
そんな雰囲気をちゃんと把握しているかなめはともかく、そういった雰囲気には鈍い宗介は体育教師に、
「彼女を保健室へ連れて行ってよろしいでしょうか?」
と、律儀に聞いていたりする。
保健室は体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下を通ってすぐの位置にあるのでかなり近い。そのためか「すぐに戻ってきなさい」と渋々ながら許可が下りた。
宗介はかなめをひょいと両腕で抱きかかえ――同時に周囲から冷やかし半分のどよめきが起こると、すぐに彼女を肩に担ぎ上げた。
次の瞬間かなり落胆したため息がギャラリーから一斉に漏れる。もちろんそんな事に全く気づいていない宗介は、かなめを担いだままトコトコと体育館を去って行く。
「ちょっと下ろしてってば。あたしは米袋か!」
「足は動かすな。治りが遅くなるぞ」
宗介はかなめにそう言うと、暴れたため落ちそうになった彼女の身体を担ぎ直し、体育館を出て行った。
「……やっぱり空気読めないねー、相良くん」
ぼそりと呟いた恭子の言葉に、皆がうなづいていた。


肩に担がれるというかなり恥ずかしい状態のかなめだが、さすがに力で宗介にかなう訳もなし。それに保健室はすぐそこの上今は授業中。見られる心配は皆無に近い。
(ちょっとイイかなーなんて思うとすぐこれだもんなぁ)
さっきの真剣な応急処置との落差に、どことなく落ち込んだ気分のかなめである。
「これじゃおぶってくれる方がマシだったっての」
「それでは両手が塞がる。襲われた時に対処ができん」
日本の日常の学園生活で襲われる事などそうそうないという事に、早く気づいてほしいものである。
そう思っている間に保健室に着いてしまった。鍵は開いていたらしくすっとドアを開けると、まっすぐベッドへ向かい、かなめをそっと下ろして寝かせた。
それから毛布を何度も畳んだものを、かなめの怪我した足の下にそっと敷く。
「ソースケ。キョーコに荷物持ってきてって頼んどいて」
「了解した。この時間が終わるまではそうしていろ。学校が終わってから専門医に診てもらうのがいいだろう」
言い方がぶしつけではあるが、そこには明らかにかなめに対するいたわりの気持ちがあった。だからだろう。素直に感謝の言葉が口からこぼれた。
「……ありがとね、ソースケ」
ベッドの端についていた宗介の手を、軽くポンと叩いた瞬間だった。彼はいきなりビクンを身を震わせて、その場に凍りついたように棒立ちになってしまったのである。
「ちょ、ちょっと。何よその反応」
ややトゲのある小声で注意する。そっちはベタベタ触ってきたくせに。そう思っていると少し間が開いて、宗介は口を震わせた。
「驚いたのはこっちだ」
いつもと明らかに違う声の調子に、かなめは怪訝そうに首をかしげる。
「だが自分でも、どうして驚いたのか判らん。柔らかくて壊れてしまいそうな指で。落ち着かんのは確かなのだが……」
宗介はそう言ったきり、難しい顔をして押し黙ってしまった。だがかなめには判った。
(メチャクチャ照れてんじゃん、こいつ!?)
さっきまでの頼れる雰囲気とのギャップに、かなめのいたずら心がむくむくと沸き出した。棒立ちになっている隙に、彼の手をぎゅっと握りしめる。
「ち、千鳥っ!?」
宗介はさっき以上に身を硬くして声を裏返らせる。その反応と声がおかしく、身を起こして彼の手や腕に、これでもかとベタベタ触りまくるかなめ。
マッサージの時も応急処置の時も、あんなに無遠慮に人の身体に触れてきたくせに、そうでない時だとこんなにも「純情」なのだ。そもそも彼に「純情」という形容詞がつけられるとは、かなめも思っていなかった。
「あははは、楽し〜」
「や、やめてくれ、千鳥。頼むから安静にしていろ」
宗介はガチガチに緊張した表情でほとんど動けぬまま、半ばされるがままになっていた。

<純朴なファースト・エイド 終わり>


あとがき

この話はメールフォームでよくツッコミを下さるHNよーこさんへの進呈物として書かれたものであります。
「つづくオン・マイ・オウン」以降、長編の影響から二次創作活動が一気に少なくなりまして。見かけるものといえば『らぶらぶなそーかなストーリー』ばかりになってしまいました。
それが悪いとは言いませんが、やっぱりそれ「ばっかり」というのは食傷気味になるものでして。
それだけネタがない(作れない)って事でもあるかもしれませんが、逆に当サイトは「そういう」話をほとんど書いてません。それなら逆によかろうと、進呈物として書いたという訳であります。
ま、進呈したのが10月ですから、季節的に微妙にズレているのはご愛嬌。
ひねりのないらぶらぶなそーかなストーリーにくどくどとした解説は要らないでしょう。クスリと笑って頂ければそれで充分でございます。

あ、「ファースト・エイド」とは『応急手当』という意味です。

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