『求めるフォー・フェイス・カード 4』
一行が目指したのは、もちろんシーザーの勤め先である「亞歴山大投遞有限公司」だ。和平飯店からも近いし、宗介達の次の目的地でもあったからだ。
一キロほどしか離れていないのだが、峰と名乗っていた女性は気を失っているし、ルヴァはやはり無理がたたっており、意識はあるが一人で歩ける状態ではない。
どうにか建物を回って、手近のコンビニで食料を調達してから外灘(バンド)沿いの大通りに出ると、どうにかタクシーを拾う。
妙に眠そうな運転手は露骨に嫌そうな顔で乗車拒否をしたが、シーザーがその辺りを上手く説明してどうにか四人で乗り込んだ。
かなり混んでいたものの、一キロならあっという間だ。少し多めに料金を払ったシーザー達はまだ明かりの灯る社内に入る。
ルヴァに肩を貸すシーザー。峰をおぶっている宗介。そんな二人を見た社員が不思議そうな顔で何やら言ってくるが、もちろん宗介に判る訳もない。
シーザーが懇切丁寧に事情を説明し、社の応接室――名前ほど立派なものではないが――に運び込んだ。
宗介は峰を下ろすとソファにそっと寝かせた。幸い外傷はないし、脳挫傷などを起こしている様子もない。すぐ目を覚ますだろう。
一方ルヴァはコンビニで買ってきたパンやらお弁当を、ジュース片手に片っ端から胃に流し込んでいた。
「まさかセガールが上海にいるとは思わなかった。確か東京で学生をしてると聞いていたが」
空腹が満たされてようやく落ち着いたのか、ルヴァがのんびりと話しかけてくる。顔色は少し悪かったが、口はまだまだ元気そうである。
「こちらにも色々事情がある。話しても面白いものではない」
宗介は少し暗い顔になったものの、そう答え、さらに続けた。
「それよりも、ルヴァの事情の方が気になるな」
「あの店はかなりヤベェんだぜ。知らなかったのかい、フランス人さんよ」
一応タクシーの中で名乗ってはいるが、あえて突き放したようにきつい口調でシーザーは問うた。
「そう言うな、中国人。やはり旅先では、女とのロマンスが一つ二つ欲しいものだろう?」
それにはルヴァも苦笑いを浮かべるが、同じようにやり返す。
「それに、可哀想なんだ、キユウは」
ルヴァはそこで言葉を切ると、眠ったままの彼女を見つめた。
キユウ――峰 姫夕(みね きゆう)というのが彼女のフルネームだ。
「普通じゃない」と判ってて入ったカラオケ店で姫夕を見たルヴァは文字通り一目惚れしてしまったのである。本来の目的そっちのけで口説いたそうだ。
話を聞いてみると、彼女は何と日本人。日本好きのせいもあって口説くテンションに拍車がかかる。彼女の方も最初は胡散臭がっていたが、遠い異国で日本を知る人に会ったためか、次第に彼の話に乗ってきた。
「……そこに、男が話しかけてきた。『その子は今日が初めての娘だけど、買うんなら安くしとくよ』。思わずそいつを半殺しにして、彼女を連れて店飛び出したよ。こんな娘をこんな奴らの餌食にされてたまるか、ってな」
一目惚れした弱味と言おうか。独占欲と言ってもいい「絶対渡さない」という意志が感じられる。
先ほどからシーザーが姫夕のチャイナドレスの胸元や裾をやたらと気にしているが、その度に殺気を込めた目で睨み返していた。
「そりゃ向こうも必死になるわなぁ……」
シーザーが唖然として呟いた。構成員の一人を半殺しにされた上に女を奪われたとあっては、血眼になって追ってくるに決まっている。今日妙にヤクザ者達が町をうろついていた理由はそれだったのだ。
そんな訳で、迫り来る追手を蹴散らしての逃走劇が始まった。そしてその道すがら、彼女の事情を色々聞いたのである。
気ままな一人旅の途中で宿泊した良良大賓館(リャンリャンダービングァン)という安ホテルに強盗が入り、現金やパスポートを含めた荷物を総て盗まれてしまったそうだ。
パスポートがないという事は身分証明ができないという事。こうなる海外では身動きが取れなくなるし、第一日本へ帰る事ができない。
かといって海外でパスポートを再発行してもらうには様々な書類を日本から送ってもらわないとならない上に、お役所仕事なので時間もかかる。
こういう時はまず警察へ行くべきだし、ここ上海には日本大使館の領事部もある。それに防犯対策がなってないとホテル側も責任を取る必要がある。
しかし中国語がサッパリ判らないところに付け込まれ、金がないなら働いて返せとばかりに、このカラオケ店で「働く」羽目になった矢先にルヴァと出会ったのだ。
ルヴァは自分が泊まっている和平飯店へ逃げ込もうとしたのだが、思いのほか手下の追跡は厳しく、上海からの脱出はもちろん、公安局(警察署)や領事部にも行けなかった。
そうしてあちこち逃げ回るうちに追い詰められ、彼女に先に和平飯店へ行って待っているよう言ったそうだ。
その後ルヴァは抵抗空しく刺され、宗介に発見されたという訳である。
そこまで聞いていたシーザーは、
「あからさまにヤラセだよ。良良大賓館もそのカラオケ店も、彼女を追いかけてたあの組織が経営してんだ。大勢の中国人で取り囲んじまえば、ほとんどの日本人は抵抗できやしねぇし。よくある詐欺の手口だよ」
呆れたようなため息まじりのような、空しそうな表情を浮かべている。
「おまけにあいつら、裏じゃ反日活動の煽動もやってっからな。日本人女性を無理矢理風俗で働かせるぐれぇの事はやるかもしれねぇなぁ」
一時期ジャーナリストまがいの事をしていた頃の知識を披露するシーザー。そう言いつつも、眠ったままの姫夕を――チャイナドレスの胸元や裾を見ないように――見た。
詐欺の被害に遭った事は不幸だし同情もする。ホテルまでグルになっていたのだから、星の巡り合わせが悪かったとしか言いようがない。
それに、素人の女一人が屈強なヤクザの元から逃げ出し、見知らぬ町の中警察へ飛び込むなどなかなかできる芸当でもない。
おまけに盗まれた荷物を取り返す事は不可能だろう。総て売り飛ばしたに決まっている。
宗介の方も黙って姫夕を見ていた。
顔の造型や雰囲気などは全く違うのに、どうしても「彼女」の姿がだぶってしまう。助け出したい。一刻も早く。そのために自分がしなければならない事。それは――
「シーザー。この件はとりあえず終わりだ。ルヴァがいれば彼女はもう大丈夫だろう」
「そうそう。セガールの言う通り。ケガしてたってキユウ一人を護るくらいは……」
得意そうにガッツポーズをしようとしたルヴァを、シーザーが軽くこづき、
「その前に、抜け出してきた病院に謝って来い。それに、そのケガが治らねぇうちは無理すんな。せっかく助けたってのによ。死ぬつもりか、バカ野郎」
露骨に不満そうな顔でため息をつき、ルヴァの携帯電話を放って返す。
「それはともかくとして、だ」
それを受け取ったルヴァはソファに身を預けると、急に真面目な顔をして宗介の方を向いた。
「セガール。何でお前が上海にいる? 観光旅行とも思えないし、ここに傭兵の仕事があるとも思えない」
どこか意地の悪そうな笑顔で彼を見ている。
「厄介事なら力を貸すぜ。助けられた借りも返しておきたいし。借りっ放しのままお前に死なれる訳にもいかない」
口調こそ軽いがその言葉に嘘はない。そういう奴なのだという事は宗介も理解している。
もちろん彼を<アマルガム>に関した事には巻き込めない。そうなると話せるのは「情報屋を探している」事だけだ。
しばし悩んでいた宗介だが、宗介とシーザーの二人では埒が開かない事は既にハッキリしている。それに宗介一人だけでやれと言われている覚えはない。
「シーザー。あのカードをルヴァに見せてやってくれ。頼む」
シーザーは一瞬驚いていたが、仕方ないと言いたそうにカードを取り出して、ルヴァに手渡した。
ルヴァはカードの裏表をじろじろ見つつ、うんうん唸っている。
「上海人の『J』という情報屋を探していてな。それが手がかりらしいのだ」
宗介は考え込んでいるルヴァにそう言うが、彼は無言のままだ。
「…………ダメだ。これだけじゃ何ともならん。もっとヒントはないのか?」
シーザーがそれに答えようとした時、姫夕がわずかに身じろいだ。三人の男の視線が一気に彼女に注がれる。理由は別々だろうが。
『…………ルヴァ?』
自分を覗き込むルヴァをぼんやりと見ている姫夕。彼は心底ホッとした顔で、
『キユウ。やっと助けたよ。時間がかかって済まなかった』
『ここは?』
彼女の問いに、ルヴァは宗介とシーザーを指差すと、
『ほら。俺を助けてくれた傭兵仲間のセガールに、その友人のシーザー。ここはシーザーの勤め先だ』
そんな日本語でのやりとりをまんじりともせず見つめる宗介とシーザー。姫夕は照れくさそうに微笑むと、
『有難うございました。ホントもう一時はどうなるかと思いました』
言葉は日本語だが、お礼を言っている事くらいはシーザーにも判った。むしろシーザーの方が彼女以上に照れくさそうにしている。
ふと姫夕は、ルヴァが持っているカードに目をやると、
『これ何?』
『ああ。セガールが今情報屋を探しているそうだ。その手がかりの暗号らしい』
彼女は興味本位からルヴァの手からそのカードを抜き取ると、同じように表と裏を観察し出す。ルヴァは書かれている文章の一つ一つを日本語に訳して説明していた。
その行動を宗介は止めなかった。もちろん彼女を巻き込むのは反対だが、今は少しでも手がかりが欲しい。謎というのは何がきっかけで解けるか判らないものだ。
「判んのかい、お嬢さんよ」
シーザーは考え込んでいる姫夕の手元を覗き込むようにしている。ふと顔を上げた姫夕は、間近で見たシーザーの右目が妙な事に気づいた。
『どうしたんですか、この人の右目?』
『以前目をやられたそうでな。今は義眼だそうだ』
淡々と宗介が日本語で説明する。
『ふぅん。じゃあシーザーさん片目なんだ……』
ポツリと自分で言った言葉。だがその時、彼女の表情が一瞬真剣になった。
『ん? シーザー? 片目?』
何かを思いついたようなぽかんとした顔。それから上を向いたり目を伏せたりして何かを思い出そうとしている。同時にカードを指差して、英語の文章の訳をもう一度ルヴァに聞き直し、さらに深く考え込む。
『判ったーーっ!』
興奮したその声に皆が驚く中、彼女はいきなり立ち上がった。
『トランプよ、トランプ。これ、トランプなんだ!』
と、宗介にトランプを突き出して嬉しそうにはしゃいでいる。
『……トランプなのは判っているが?』
宗介は彼女の元気の良さに呆気に取られ、惚けたまま答えると、
『違うって。これ、絵札の事を言ってるのよ!』
そう言いながら、三枚のカードのうちの二枚――絵柄が赤と青のカードをテープルに並べ出す。
彼女の説明はこうだ。市販されている一般的なトランプの絵札には、それぞれモデルとなった人物がいる。
そのうちの一枚が、ダイヤのキングのモデルとなったジュリアス・シーザー。
常に真横を向いて描かれるので、目が一つしか描かれていない。片目のキングという訳だ。「シーザー」と「片目」というキーワードからそんな記憶が呼び起こされたのだろう。
一旦そうした記憶が蘇ると、後は早かった。
絵札には、他にもそうした「片目の人物」が二人いる。
一枚はスペードのジャック。横を向いた彼の後ろには、剣や槍を意味するスペードのマークがある。
もう一枚はハートのジャック。横を向いた彼の目の前には、杯を意味するハートのマークがある。
“剣を背にした唯一の男”。“聖杯を見つめる唯一の男”。確かに条件にはピッタリと符合する。
『ともかく、トランプがらみなのは間違いないわ。おまけにこの会社の「亞歴山大(ヤーリーシャンター)」って、アレキサンダー大王の事だってルヴァが言ってたし。彼はクラブのキングのモデルなのよ』
姫夕は得意そうに仁王立ちになると、握りこぶしを作って力説する。
『きっと次のカードは「お金を見つめる唯一の男は」みたいな文章に違いないわ。ダイヤってお金の事だし、片目の人物はもう彼しか残ってないもの』
妙に自信タップリに彼女は宣言した。
『すごいよキユウ。君は天才だ!』
その整然とした推理にルヴァも驚きを隠せず、思わず抱きついてしまう。姫夕の方は誉められて嬉しく抱きつかれて困惑と複雑な表情を見せている。
宗介も驚いていたが、彼の方は幾分冷静だった。
『筋は通っているが、それが正解と決まった訳ではない』
宗介は姫夕に淡々と返答すると、彼女の答えを英訳してシーザーに伝える。それから幾分トーンダウンした声で、シーザーに訊ねた。
「次のカードなり情報なりをくれる人物は誰だ?」
シーザーは真剣なまなざしの宗介にため息を一つつくが、何も答えない。
「いる筈はないと思うがな。貴様が情報屋の『J』本人なのだから」
宗介の突然の言葉にルヴァも驚く。そもそも宗介とシーザーはその情報屋を求めて町を探していたのではあるまいか。
シーザーはポケットからタバコを取り出し、火をつける。それから煙を静かに吐き出すと、抑えた声で、
「いつ気がついた?」
「割と最初からだな。情報集めが専門でないシーザーが、どうやってそんな情報屋の情報を掴んだのか。それが気になっていた」
険しい表情のシーザーに、宗介は淡々と答えていく。
「確信しだしたのは刃物屋に行った辺りからだ。こういう事をやらせる場合、たいがい見張っている人物が一人二人はいるものだ。その気配が全くなかったからな」
そうして町をわざとうろつかせ、その間に背後関係などを調べたりするものだ。自分に接触してくる者が総て自分の情報を欲しがっているとは限らないからだ。
「最も怪しまれずに敵か否かを判断するには、共に行動するのが一番早い。危険もあるから全員に対してはやらないだろうがな」
宗介の物言いを黙って聞いていたシーザーは、まだ長いタバコを灰皿で揉み消すと、
「……ったく、妙におとなしいと思ってたら、結構な観察眼と判断力だな、この野郎。負けたよ」
両手を挙げて「降参」の仕草を見せる。
「確かにお前さんの言う通り。情報屋の『J』ってなぁ俺の事だ」
彼の本名は将 倶箕(チアン チュイチー)。それをピンイン(中国語発音をアルファベット表記したもの)で書くと「jiang ju ji」となり、総ての字が「J」で始まる。それで「J」とつけたそうだ。
それらの言葉にルヴァはぽかんとし、英語の判らない姫夕は首をかしげている。
シーザーはベストのポケットからカードを取り出し、テーブルの上に置いた。
それもやはり一方が白いトランプだった。絵柄もこれまた今までと同じで、色だけが抹茶色だ。
書かれている文字は、英文で一言。
“金貨を見つめる唯一の男は”
まさに姫夕が言った言葉とピッタリ一致している。
「……もうバレバレだけど一応聞くか。二枚目から四枚目のカードの暗号に、共通してる物は何だ?」
もちろん宗介がその答えを間違える筈はなかった。


「なかなか出来のいい暗号だと思ったんだがな」
どことなく気落ちしたように見えるシーザー。確かに自分よりずっと年下の女性にあっさり解かれてしまったのだから無理もないかもしれないが。
ルヴァが和訳したその言葉を聞いた姫夕は、ちょっと照れくさそうにうつむくと、
『日本のテレビ番組でやってたのよ。トランプの絵札にはそれぞれモデルがいて、中でも三枚だけ真横を向いてるカードがあるって』
この頃流行っている雑学知識関連の番組である。照れたのは自分が調べた知識ではなくテレビ番組の受け売りだったからだろうか。
『だが、そのおかげで俺は助かった。礼を言う』
『こっちだって助けてもらったんですから。おあいこですよ』
そう言って姫夕はにっこりと笑う。その笑顔に宗介は幾分落ち着かないそぶりを見せた。
この先「彼女」を無事助けだせた時、「彼女」はそんな笑顔を自分に向けてくれるのだろうか。
思い出の中の「彼女」が宗介に向かって微笑んでいる。
その笑顔を。そして、そんな笑顔を浮かべて生きていける所に帰してやりたい。そのために――
宗介の気持ちは堅く固まっていた。
「シーザー。情報はくれるのか、それとも断わるのか」
「ま、いいだろ。暗号は解いたんだしな」
宗介が自力で解いた訳ではないからだろうか、それとも年下の女性にあっさり解かれたのが相当ショックだったのか。どことなく投げやりな雰囲気のシーザー。
彼がわざわざこんな「暗号」という手続きにしているのは、相手が真剣かどうかを見るためだ。
こんな「下らない」事にも真剣につき合って自分を突き止めてくる人であれば、よほど自分を頼りにする真剣な「お客」なのだろう、と。
宗介は文句一つ言わず黙々とつき合い――途中無駄に考え込む事はあったが――さらには自分よりも他人を助ける事を優先させた。
自分が困っている時に他人に優しくできる人物。甘いと言えばそれまでだが、シーザーはそういう人間が嫌いではない。むしろそうあってほしいとすら思っている。
「シーザー。くれるなら早く……」
「判ってるって。けどもう少し待ってくれ」
はやる宗介に「待った」をかけるシーザー。その表情は申し訳なさそうである。
「詳しく調べる時間くらい欲しいってモンだ。それに、中国は社会主義国家だぜ。インターネットにだって検閲がかかってんだ。迂闊に海外のサイトを覗きには行けねぇよ」
それは宗介も日本のニュースで見た事がある。
国内で内外の各ウェブ・サイトを見る分には何の問題もないし、国外から中国のウェブ・サイトを見るのも同様だ。
だが、他国では問題がなくても中国では問題ありと判断されるケースは往々にして発生する。
特に中国の体制批判やアダルト・コンテンツに関しては、過剰とも思える素早い「検閲による削除」や「閲覧不可」という処分が待っている。国内のサーバーの情報を総て国が握っているからだ。
そうなった場合、そのサイトを見たパソコンではインターネットに繋がらないようにしてしまう事もあるそうだし、程度によってはサイトの管理人やパソコンのユーザーが逮捕されてしまう。
もちろん機械なのだから抜け道はいくらでもあるのだが、日本のようにのんびりとネットサーフィンという訳にもいかない。
もちろんインターネットだけが情報源ではないのだが、いくら情報屋でも始めから何から何まで知っている訳ではないのだ。確かに情報を集める時間は必要だろう。

     ●

それから数日後。宗介の姿は上海の中心部から遠く離れた虹橋(ホンチアオ)空港にあった。ここから飛行機で中国の南部へ飛び、陸路で国境を越えるつもりなのだ。
ルヴァと姫夕は、先ほど上海の日本大使館領事部で別れた。パスポートを再発行するための必要書類の入手に手間取りそうだが、無事に日本に返せそうだとルヴァは言っていた。
それに姫夕は法律で禁止されている風俗業で、騙されて働かされた事を証明する生き証人だ。たとえそれが何時間かでも、やらされた事は事実。
裁判などになれば帰国は遅れてしまうかもしれないが、そうなったら領事部側でしっかり保護をする筈だし、いくら中国には弱腰の日本政府も動くだろう。
何より姫夕にはルヴァが付いている。女性には今一つ信用されないが、真剣に一途になれる彼が一緒なら悪いようにはなるまい。
それに、シーザー――Jがジャーナリストの真似事をしていた時の資料を残しているそうだし、その組織が大打撃を受ける事は間違いない。
「立つ鳥跡を濁さず」のことわざは、こういう事を言うのだろうな。
そう思いにふける宗介の手には『J』が調べたナムサクに関する資料があった。
そのどれもが、宗介が聞いた情報を肯定する物ばかりだった。
追加の情報といえば、闘技場の一チームに宗介が昔知り合ったリックという傭兵が選手として登録されているのが判った事だ。彼に会いに来たといえば自然に振る舞えるだろう。
結果として情報は正しく、上海に立ち寄ったのは無駄足だったとも思えるが、現地に着いてから無駄足だったと判るより遥かにマシである。
『J』が言っていた通り、目標に向かって一直線に行くのが最短距離とは限らない。少なくとも、この町に自分が来た事で救われた人物がいたのだ。今はそれで良しとしよう。
それに、自分の旅がこれで終わる訳ではない。むしろこれからが始まりなのだ。
五億平方キロあまりの地球の面積から、たった一人の人間を探し出す旅へ。
しかも迎え撃つのはこんな町のチンピラではなく、息をするように自然に人を殺せる者達。それが自分の、本来の相手なのだ。
「彼女」を取り返すまで終わらない。終わらせたくない。自分はそのための「兵器」になるのだ。
「彼女」を平穏な日常に帰すその日まで。

<求めるフォー・フェイス・カード 終わり>


あとがき

前作から半年ぶりのフルメタSS。しかも「長編」サイドの話。
長編の「カッコイイ」軍曹を期待していた方には申し訳ありませんが、今回はあんまり「主役」って感じの話じゃありません。静かでおとなしい軍曹さんです。暴走もしてないし(笑)。
原作があんなになってしまいましたから、今まで以上に話が思いつかないというか作りづらかったというか。
けど「燃えるワン・マン・フォース」でいきなり1ヶ月経ってますからね。そこから「その一月の間にあった事」にしよう、と思いついてからはいつも通りのスピードでしたが。

今回の話には原作というか原典があったりします。ずいぶん昔に作った、テーブルトークRPGの自作シナリオ。暗号は丸々そのまま使いまして、本当に単純に情報屋さん探しの話でした。
けどそれをそのままフルメタに持ってきてもねぇ。宗介は雑学知識には疎そうだから、このテの暗号解読は無理そうだし。けど解けなきゃ話にならないし。
それに「片目のカード」は知ってる人は知ってる、結構知名度の高い「トリビア」なので、脇から来た人にひょっこり解かれる方が面白かろうと。
それに「女性を助ける」という宗介の目的と合致する別の事件を絡ませて、宗介のかなめ救出の意識を高めるのと同時に、その人にひょっこり解いてもらう事にしたという訳です。

今回のタイトル「フェイス・カード」とはトランプの絵札の事です。今回のゲストキャラと「黒桃幺(ヘイタオヤオ)」はその絵札やトランプがらみのネーミングになってます。
同時に申し上げるべきは舞台となった上海の事。設定上ああなってますが、あそこまで物騒じゃありません。本来はもっと気楽に楽しい観光ができます。
けど海外では日本人が金持ちと思われて狙われやすいのは事実ですし、中国国家の傾向は親日とはとても思えません。
治安のいい地域でも自分の身は自分で守る。それが海外旅行の基本です。

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