『走れ走れ!蒸気バイク 中編』
それから二人は、石段を上がったところにある本殿の脇にある社務所に案内された。神主を務める初老の男がお茶を煎れてくれる。
差し出された湯飲み茶碗を手に持つとかなり熱かった。冷たい飲み物じゃないのかとアイリスが問うと、
「熱い茶を飲んだ方が、あとですっと汗がひく」
という神主の言葉に、お茶を飲まずに持ってきたお弁当を頬張るアイリス。
紅蘭も少し冷ますために、お茶を飲まずにおにぎりを食べている。それから周囲を見回すと、
「静かで、ええトコですね」
声をかけられた神主は一瞬嬉しそうな顔をしたが、
「時代の流れ、なんでしょうな。この辺りにも住宅地や工場が次々できて、昔ながらの畑や田んぼが無くなってしまっている。それに伴う土地売買の問題でもめたり、小さな社を『邪魔だから』といって移転したりと、小さないざこざは絶えん」
新しい物が入ってきた場合、古くからある物と衝突する。よくある話である。彼はさらに続けた。
「お嬢さん達には判りづらい話だろうが、古来より日本では八百万(やおよろず)の神々と人間は共存してきた。人間は姿の見えぬ神々の住まう社を作って奉り、神々はそんな人間達にわずかばかりの力を貸し……」
神主は寂しそうに言葉を切ると、
「……なぜだかな。そんな関係が薄くなってきているような気がしてな」
紅蘭もアイリスも食事の手を休め、訥々とした彼の話に聞き入っていた。
優しいが飾らない言葉。しかしその言葉に含まれたある種の寂しさは、日本人ではない二人の心にも響いた。
うまく言葉にできないが、確かに奇妙な感覚はあるのだ。二人がもつ「霊力」が感じ取っている「何か」。害があるのかないのかは判らないが、どこかから漂う「違和感」とでも言えばいいのか。
そんな感覚を覚えつつも、二人は腹ごしらえを続けた。
食べ終わった頃、ようやく少しはぬるくなったお茶をちびちびと飲んでいる紅蘭。
しかしアイリスは冷ます時間が待ち切れないらしく、さっさと下に下りてしまった。きっと滝か池の方に涼みに行っているのだろう。
紅蘭は少し我慢してお茶を飲み干すと、神主に断わって自分は蒸気バイクの元に戻った。
アイリスは小さな池の中にある社の前にいた。神主の話では、そこに弁天様が奉られているとの事だ。
弁天様。元々はサラスヴァティーというインドの河の神で、日本では「弁財天」として七福神に組み込まれた有名な神だ。今では芸事の神となっているのでお参りでもしているのだろう。
数人の子供に取り囲まれつつも、調子の悪くなったバイクを見る紅蘭。だが、いくら見てもおかしい部分はなく、少しいじっては首をかしげるばかりだった。
念のためエンジンを再度起動させると、ぶるん、と小気味よい音を立てて答えた。
「ありゃ? いつの間に直ったんや?」
さっきまではあんなに調子の悪い音しか出なかったにもかかわらず、いきなり直ったのではいくら紅蘭でも驚く。
しかし、人間独特の「自分に都合のいい事はすぐさま受け入れる」理論で修理を終わりにする。
すると、急に池の方が騒がしくなった。紅蘭は首だけ動かしてそちらを見ると、大慌てで子供がこちらに駆けてくるのが見えた。子供は紅蘭の姿を確認すると叫んだ。
「紅蘭! アイリスちゃんが池に落ちちゃった!」
「なんやてぇっ!?」
紅蘭は持ったままの工具を放り出して、急いで彼女の元に向かった。
「アイリス、大丈夫か!?」
幸い池はそれほど深くはなかった。身長が一メートルちょっとのアイリスの腰くらいの深さだ。
それでも底が苔でぬるぬるしているので自力で這い上がるのは難しく、周囲の大人が手を貸して、ようやく池から上がる事ができた。
見れば、アイリスは全身ずぶ濡れ。塗れた髪や服からぽたぽたと雫が落ちている。
「足を滑らせて、落っこちちゃった」
アイリスは済まなそうに謝りながら、袖口を少し絞る。足を滑らせてと聞いて足でも挫いてないかと思ったが、それはなさそうだった。
しかし、いくら真夏の暑い日中とはいえ、全身ずぶ濡れのままという訳にもいくまい。神主と一緒に下りてきた巫女装束の女性が、
「そのままじゃ風邪をひきますよ。乾くまで何かに着替えた方がいいですね」
といってアイリスを手招きする。それからかなりきつい調子で紅蘭を指差し、
「それからあなたも」
「へ? うちもでっか?」
いきなり指を差された紅蘭が、きょとんとして自分を指差す。少々汗ばんでいるのは認めるが、そこまできつく言われねばならない程ではないと自分では思っている。
「女性が素足を出すなんて、そんなはしたない格好をするものではありません」
彼女は有無を言わせぬ、ぴしゃりとした厳しい言い方をする。
出がけにかえでに言われた事が思い出された。二度も言われるとさすがにばつが悪くなり、
「……このカッコ、そんなにまずいんかなぁ」
紅蘭は苦笑いすると、丈の短いキュロット・パンツを見ながらぽつりと呟いた。


巫女装束の女性から浴衣を借り、神社の敷地内にある彼女の自宅の一室で着替える二人。二人ともあやめの柄が描かれたお揃いの浴衣だ。
どうも彼女の物らしく、紅蘭にはちょうどいいがアイリスにはかなりぶかぶかだった。子供用の浴衣がなかったのだと言う。
「ごめんなさいね、こんなのしかなくて」
サイズの違いに四苦八苦するアイリスに、申し訳なく声をかける。さっきまで着ていたアイリスのセーラー服は物干竿にかけられ、風に揺れていた。
セーラー服は元々水兵の服。たとえ濡れてもすぐ乾くようになっている。さらに夏の強い日差しの下なので、乾くのにそれほど時間もかからないだろう。
「ありがとう、お姉ちゃん」
それでもアイリスは笑顔で礼を言うと、彼女も穏やかな顔を見せる。
「あやめの花かぁ。この花を見とると、あやめはんを思い出すわぁ」
この花と同じ名を持つ藤枝あやめ。かえでの姉でもある彼女に見い出され、紅蘭もアイリスもこの日本にやってきたのだ。二人にしてみればいわば大恩人である。
「あやめお姉ちゃんはいい人だったから、きっと天国でアイリス達を見守ってくれてるよね」
太正十三年の「秘密結社・黒之巣会」との最終決戦の時。命を落としたあやめの内に封じられていた大天使ミカエルが姿を現わして助けてくれたのだ。
その後ミカエルはあやめの魂を連れて天に帰ったのを彼女達は目撃している。
「……せやな。ナントカっちゅう天使様と一緒やったもんなぁ」
しかし、その天使の名前までは覚えていない紅蘭だった。アイリスも覚えていなかったらしく、急に話題を変える。
「ところで紅蘭。バイクは直ったの?」
そう聞かれた紅蘭は三時近くを差す自分の時計を見つつ、
「直ったと言えば直ったんやけどな。どっこもおかしいところはあらへんのや。けど、アイリスの服があないなってもうたし、水門へ行くのはまた今度にしようかと思うんやけど」
「……そうだね。ごめんね、紅蘭」
しゅんとして肩を落とすアイリスの背を、紅蘭はポンポンと叩くと、
「何言うてんのや、アイリス。ウチの方かて蒸気バイクがあないなって、ココで足止めやもん。これでおあいこや」
「……そっか。おあいこだね」
二人でしばらく見つめあい、それからクスクスと笑い出した。
それから乾くまでの時間、バイクでこの辺りを回ってみる事にした。
普段チャイナドレスを着ている関係上、馬のように跨がなくてもいい設計になっているので、浴衣でも問題はない。
キュロット・パンツへの着替えの方は頑として認めてくれなかったので、二人は浴衣のままバイクに乗り込んだ。
元来た坂を駆け上がり、適当にバイクを走らせる。すると、遠くの方で誰かが手を挙げて何か言っているのが聞こえた。近づくと、カーキ色の軍服から陸軍の兵卒だと判った。
「そこの蒸気バイク、止まれ!」
その指示に従って、紅蘭もバイクを止め、ゴーグルだけを外した。すると彼は「いかにも」な軍人らしく、
「ここから先は立入禁止だ!」
こちらが女という事もあるのだろう。必要以上に居丈高な態度で怒鳴りつける。
「そう言われましてもなぁ。ここって街道……」
「うるさい! 民間人は立入禁止だ、帰れ!」
まさしく「問答無用」の勢い。どんな事情があるにせよ「はい、そうですか」と納得できるものではない。
「何をしているんだ」
そこへ別の兵卒が現れる。
「今日は陸軍大臣閣下の視察があるんだ。騒ぎを起こすな」
「しかし、民間人を造兵廠に近づけさせる訳にも……」
二人の兵卒は小声で言い合っている。微かに漏れ聞こえる会話に、
「何かあるのかな?」
「どこぞのお大臣が来るみたいやな。おまけにこの近所に造兵廠があるようやで」
アイリスと紅蘭の二人もぼそぼそと話している。
造兵廠というのは、陸海軍の兵器製造工場の事だ。こうした軍隊の施設は秘密を漏らさぬよう閉鎖的で、かつ徹底した警備体制なのは当たり前だ。
このままいても面倒になるだけだと察した紅蘭はゴーグルをかけ直すと、
「ほな、うちらはこれで退散します。お勤めご苦労様です〜」
「じゃあね〜」
二人はくるりとUターンしてその場を去る。
その時、黒塗りの蒸気自動車とすれ違った。いかにも高級そうな印象の外観から、先ほど話していた「お大臣」が来たのだろうと、二人は思った。


「お待ちしておりました、閣下」
紅蘭達を追い返したのとは別の軍人――将校が、「閣下」と呼んだ人物を出迎えにやってきた。車のガラス窓が開き、中から低い男の声がした。
「今のは……」
「ああ。民間人です。ご心配なく。すぐ追い返しましたから」
お追従笑いを浮かべる将校がそう告げる。その「閣下」はしばし黙考していたが、
「どんな目撃者でも、生かしておく訳にはいかん。殺せ」
「閣下」の発言内容に、さしもの将校も我が耳を疑う。
「で、ですが、施設に侵入された訳でもありません。第一、女子供にそこまでしなくても……」
「男は『女子供』というだけでどうしても甘くなる者が多い。そこをついて、西欧のスパイは女性ばかりと聞くぞ」
「閣下」は淡々としているが、不思議と異様な迫力がある。将校は震える声でその命令を復唱した。
その将校は「閣下」を乗せた車が去って行くのを見送ってから、二人の兵卒に、
「……ちょうどいい。先日完成した『試験型』を使って殺せ。失敗は許さんぞ」
低い声で脅すように命じた。


そのあと紅蘭とアイリスは近所の飛鳥山(あすかやま)へ向かった。
飛鳥山は八代将軍吉宗の命により、享保の改革の一環で行楽地として整備された。春には桜の名所として花見客が多数訪れる。
特に江戸時代は花見の席での「酒宴」や「仮装」は禁止されていたのだが、ここだけは容認されていた。そのため江戸っ子達はこぞって様々な趣向を凝らし、花見を楽しんだと伝えられている。
今では「飛鳥山公園」としてさらに開かれた人々の憩いの場となっている。そんな開放的な桜の名所といっても、今は夏だ。それでも行楽地ゆえに人出は多い。
紅蘭は一旦蒸気バイクを止め、そんな山を見上げていた。
「聞いた話やけど、昔の偉い人がここにたっくさんの桜の木を植えて、こないな公園にしたそうや」
「すごいね」
ここから見える葉だけの桜の木。きっと春には洪水と例えるのに相応しい、淡く美しい姿を見せてくれるのだろう。二人はそんな春の光景を懐かしく思い出すと、
「紅蘭。またみんなでお花見したいね」
「せやな。嬉しい事や楽しい事は、何回やってもおもろいもんな」
紅蘭は、ふと自分達の置かれている現状を思い出した。
現在帝國華撃団は「黒鬼会」と名乗る秘密結社とたびたび交戦している。
その正体は一切が謎に包まれており、時折「脇侍」と呼ばれる無人人型蒸気や黒鬼会構成員の操る魔操機兵が現れて破壊活動を行うのだ。
元々アイリスは戦争が嫌いである。紅蘭も機械は好きでも、やはり戦争は嫌いだ。それでも帝都を守る帝國華撃団で、日夜そのために命がけで戦っている。
だが時折「帝都を守る」という目標が薄らいで「自分達は何のために戦っているのだろうか」と自問する時がある。
先ほどの神社といいこの飛鳥山といい、ここには普通の、なんて事のない人々の平凡な生活がある。
そんな人々の平凡な生活を守る事が、ひいては「帝都を守る」事に繋がっているのかもしれない。
こうした光景を見ていると、そんな気がしてならない。いや。きっとそうだ。紅蘭とアイリスの二人は同じ気持ちで飛鳥山を見上げていた。
ところが、天気の方が目まぐるしく変わっていく。あっという間に厚い雲に覆われてしまった。そんな時、アイリスの顔が微かに青ざめた。
「……来る。何か来るよ」
寒さに耐えるように自分の身体を抱き締め、公園の方を見つめるアイリス。紅蘭も「ただならぬ」気配を微かに感じていた。
そこに、小さく悲鳴が聞こえてきた。同時にアイリスが目を見開いて、
「来た!」
鋭く叫ぶアイリスの腕にはびっしりと鳥肌が立ち、ガタガタと震えている。紅蘭も薄気味悪さを感じつつも、
「きっと公園で何かあったんや。……行くで!」
「う……うん」
本音を言うのなら、今すぐにでもこの場から逃げ出したい。他の華撃団の仲間と違い、二人には「生身で戦う」事ができないからだ。
しかし、痩せても枯れても「帝國華撃団」の一員である。人々の暮らしを、幸せを守るのが使命である。紅蘭はゴーグルをかけ直すと、蒸気バイクを勢い良く走らせた。
本来公園内にこうした乗り物を乗り入れる事は禁止なのだが、非常事態だと思ってお構いなしだ。
少し走らせると、血相を変えた人々がこちらに走ってくるのが見えた。完全にパニックに陥って、逃げまどっているのがありありと判る。
「な、何してんだ。早く逃げないと死んじまうぞ!」
向こうから走ってきた誰かが、二人にそう怒鳴って走り去る。
「紅蘭……」
アイリスが不安そうに呟く。アイリスはさっきから感じる「ただならぬ気配」が一層濃く強くなってきている事に不安を隠せないのだ。
逃げまどう人々と逆走する形で騒ぎの元凶を確かめに向かう。そこから少しバイクを走らせると、木々の隙間からその「元凶」の姿が見えた。
間違いない。二人には見慣れた「脇侍」だ。しかしその外観は初めて見る、不格好なくらい猫背な人型をしていた。
全長二メートルを超える鉄の怪物。その姿は鎧をまとったかかしといった風情だが、滑稽さや勇ましさは全くない。むしろあるのは恐怖を呼び起こす禍々しさだけだ。
「ひっ……!」
その脇侍を見たアイリスが短い悲鳴を上げる。その脇侍の前方五メートル程前に、転んだ子供がいたからだ。脇侍はおもちゃを見つけた子供のように、ずしんずしんとゆっくり歩み寄ってくる。
紅蘭はとっさにバイクを加速させる。その間にも脇侍は子供に向かって迫る。子供はただただ恐怖に震えるだけで逃げる事ができないでいる。
間一髪のタイミングでバイクを滑らせるようにして止め、脇侍と子供の間に割って入る。
「アイリス!」
「うん!」
アイリスは持ち前の霊力を一気に解放した。その霊力はまるで見えないハンマーのように脇侍の胴を殴りつける。
思ってもみない攻撃を受けた脇侍の身体がグラリと傾いた。アイリスはそれを見て、さらに追い討ちをかけて霊力の塊を叩きつけた。
すると、グラグラしていた脇侍がゆっくりと仰向けに倒れ――
ドズズゥゥン!!
重苦しい音を立てて大地に寝そべった。
「大丈夫か、少年!」
呆気にとられる子供に、紅蘭が話しかける。
「立てるか? はよ逃げぇや!」
その声で我に返ったのだろう。子供は急いで立ち上がると、一目散に駆け出していく。
「紅蘭。やっぱりアイリスじゃダメだよぉ」
倒れていた脇侍が、何事もなかったかのように身を起こそうとしている。紅蘭の目から見ても、受けているダメージは微々たるものだろう。
「しゃあない。一旦ここから離れて、キネマトロンで帝劇に連絡せんと!」
バイクをUターンさせて一旦離れようとするが、そこに脇侍の手が振り下ろされる。
「あわわわわっ!」
「いやぁぁぁっ!」
ギリギリで急発進させてどうにか脇侍の直撃は免れたものの、バイクに激しい衝撃が走る。幸いひっくり返らなかったが、振り落とされないようにしがみつくのが精一杯だった。
「紅蘭! キネマトロンが!」
脇侍の攻撃は、バイクの後ろをかすめただけだった。しかし、その後ろにキネマトロンをくくりつけてあったのだ。肝心のキネマトロンは内部の機械が露出してしまっており、完全に壊れてしまっている。
「あかん! これでは連絡も取れんがな!」
不幸中の幸いか、バイクそのものは無事なようだ。アクセルを全開にし、どこからか響くギュルギュルという耳障りな音とともにこちらも一目散に走り去る。
だが脇侍はその場から動かない。いや、力一杯しゃがんでいる。だが次の瞬間、その脇侍は一気に跳躍した。
十数メートルは離れていたにもかかわらず、バイクを軽々と飛び越して二人の目の前に立ちはだかった。
「なんやてぇっ!?」
ぶつからないように、急ブレーキをかけて止まる。
紅蘭が驚くのも無理はない。これまでの度重なる戦闘で、脇侍にここまでの跳躍性能はないと把握していたからだ。
だが、紅蘭の疑問はすぐに解決した。
着地の衝撃で、脚や肩の装甲が剥がれ落ちたからだ。人間でいえば本体に当たる部分。それは――
「降魔!?」
間違いなかった。忘れようとしても忘れられない独特の皮膚がそこから見えている。
古来より人に仇なす者として伝えられる魔物。それが降魔である。方法は判らないが、その降魔が脇侍の鎧を着込んでいたのだ。
ただの脇侍ではないと思っていたが、まさか降魔とは思っておらず、二人ともその場で棒立ちになる程の衝撃を受けていた。
降魔は一吠えすると、身体を震わせてまとっていた鎧を弾き飛ばす。
きっと鎧が動きの邪魔になっていたのだろう。拘束から解き放たれた歓喜の叫びのようにも聞こえる。
「……あかん。ともかくここは逃げの一手や!」
紅蘭が再び脇侍――降魔に背を向けてバイクを走らせる。
「何とかしてよ、紅蘭!」
「それはこっちのセリフや!」
今度は、降魔は背に畳んでいた羽をゆっくりと広げる。それから再び吠えると、その翼で低空飛行をし、蒸気バイクをまっすぐ追いかけてきたのだ。
「紅蘭! やっぱり追いかけてくるよぉ!!」
「武器はない。連絡もできん。かといってうちら自身じゃ戦いにもならん。ホンマ、どないしたらええんや!」
この場にいたのが他の華撃団隊員ならきっと何とかした事だろう。だが二人は逃げる事しかできない。
蒸気バイクは耳障りな音をまき散らしてさらにスピードを上げ、公園内を疾走する。
ところが、スピードが思うように上がらない。音もそうだが後部タイヤから伝わってくる振動が妙だ。きっとさっきの一撃で異常をきたしてしまったのだろう。
そのせいだけでなく、逃走劇があっけなく終わる。何と、道が行き止まりだったのだ。
「しまった!」
紅蘭が急ブレーキをかけて車体を滑らせる。どうにかギリギリで止まった紅蘭達だったが、迫る降魔は目の前。両脇の茂みに入るくらいしか逃げ道がない。
「アイリス、逃げるで!」
「うん!」
今は逃げる事しかできない。だが、何もできなくなった訳ではない。どうせなら、足が動く限り息が続く限り力の限り逃げてやる。
だが降魔はそんな余裕を与えなかった。二人を喰らおうと大きく口を開けて迫ってくる。
「いやぁぁぁぁぁぁっ!」
アイリスのかん高い悲鳴が響く。何の対抗手段も持たない紅蘭ではあったが、それでもアイリスをかばおうと抱き締める。
その時だ。
バシンという鋭い音が辺りに響いた。
驚いて音のした方向を見ると、降魔がピタリと止まっていた。こちらに来ようとしているが、見えない壁に遮られるかのようにその場でもがいている。
「ふう。間一髪だったな」
唐突に聞き覚えのない男の子の声が聞こえた。だが二人の目の前には、うっすらと黄金色に輝く毛並みを持つ狐が一匹いるだけだ。
「大丈夫か、二人とも」
狐が二人の方を振り返り、確かにそう言った。
「き、き、狐が喋った!?」
二人が抱き合ったまま驚く中、その狐は憮然とした(?)表情を浮かべ、
「ただの狐と思うなよ。こう見えてもオレ様は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)様にお仕えする狐だ。それも関東稲荷総社として名高い、王子稲荷神社の狐だぞ」
少しばかり得意になってそう名乗った。

<後編につづく>


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