『想いの噛まないビジーボディー 前編』
「カナメ、いる?」
昼休みが始まった直後。
そう言って2−4の教室に入ってきたのは稲葉瑞樹だった。おかっぱセミロングの髪で気の強そうな女の子だ。手には購買で買ったらしいパンと紙パックのジュースがある。
彼女はずんずんと「カナメ」と呼んだ女の子の所へ歩いて行く。その「カナメ」はクラスメートの女の子とお弁当をつつきながらおしゃべりしていた所だった。
「カナメ」は顔にいくつか絆創膏を貼り、少し痛々しい。その「カナメ」――千鳥かなめは瑞樹の姿を認めると、
「どうしたの、ミズキ? 何か用? 教科書でも貸してほしいの?」
「違うわよ。そんな事言うなら他あたろっかな、もう」
少しばかり不機嫌さをあらわにする瑞樹に、かなめと話していた常盤恭子が割って入る。
「まあまあ二人とも落ち着いて。それで、何の用なの、ミズキちゃん?」
すると、瑞樹は辺りをはばかるように二人に近づき、そっと小声で話しかける。
「実はね。いい物手に入れたのよ」
「いい物って?」
かなめがそう訊ねると、瑞樹はもったいぶった感じで一枚のハガキを取り出し、二人に見せた。
「『スイムウェア・コレクション』?」
二人は声を揃えてしまうが、瑞樹が慌てて「静かに」と言わんばかりに顔をしかめる。
「そんな大きな声出さないでよ。他に知られたらどうすんのよ!」
小さな声で二人を叱ると、手近の椅子を引き寄せて座り、パンを食べながら話を続けた。
そのスイムウェア・コレクション――平たく言えば新作水着の展示・発表・即売会は、服飾関係の業者、もしくはデパート等のお得意様のみが招待されるという物だった。
水着に限らず、服飾関係の業者、もしくはデパート等のお得意様のみが招待される即売会というのは、比較的よく開催されている。
たいがいは大きなホールを借り切ってやる事が多いのだが、規模の小さな物はデパートの催場で行われる事もある。
そして、そうした所は間違いなく値段が安い。たいがいはマージンのつかない卸値だからだ。
安いからと言って品質が悪い訳ではない。最新・最高とまではいかないが、良質の物が安く手に入るのだ。魅力的ではある。
そして、この招待券は一枚で三人まで入れるというので、二人に声をかけたという事だった。
「明日行かない? あんた達だから特別にこういういい物話すんだからね」
明日の土曜日は学校はないし、何の問題もない。
「あんた達だから」と得意げに瑞樹が胸を張って言うが、実は瑞樹は他人に対して高圧的な言動が多いためか友達は少ない。
本当は根はいいヤツなのだが、それを判ってもらえるまでに時間がかかるタイプなのだ。
「水着かぁ……。もうすぐ夏だしね」
「でも、海とかプールに行くアテもないしなぁ」
そういう誘いは嬉しいが、恭子とかなめは何となく消極的だ。
「あのね。行くアテは作るもんよ。それに、カナメには一緒に行く相手がいるじゃん。この幸せモノ」
「相手って……。何でそこでソースケが出てくんのよ」
瑞樹のからかうような口調に、かなめも少し怒りを露にする。が、瑞樹の方は、
「あんたってホンットにこういうネタにすぐ引っかかるわね。誰もあいつだなんて言ってないのに」
瑞樹にそう言われてハッとなり、顔が真っ赤になるかなめ。
「いや。それは、その、えと。別に、ちがくて、その……」
そんなかなめを見て、瑞樹と恭子はクスクス笑っている。
「はいはい。ごちそーさま。じゃあ、カナメはオッケーって事でいいわね」
「あたしも行こっかな。せめて見るだけでも」
恭子が少し考えた末にそう言うと、瑞樹がポケットからもう一枚何かのチケットらしき物を出した。
「それに、同じデパートの屋上で、女性限定のケーキバイキングやってるのよ。一人二千円で九〇分食べ放題! しかも、この割引チケットがあれば千五百円で九〇分!」
「え、食べ放題!?」
「食べ放題」の単語にかなめの食指がぴくりと動く。
「そ。しかも、あの『セジュール・ハンプトン』のケーキが千五百円で食べ放題よ。これは行くっきゃないわ」
かなめも恭子もその名前には聞き覚えがあった。
何でも、フランスから呼び寄せた腕のいいシェフが作る、本格的な欧風ケーキの数々で名が知られているケーキ屋だ。もちろん、店舗には日本人に馴染みのケーキも数多い。甘いのにカロリーは控えめなのが売りらしく、何度かテレビで紹介された事がある。
味はもちろん絶品で、これを食べたら他の店のケーキが食べられないというくらいの美味しさらしい。
もっとも、値段も張るので、かなめも恭子も実際に食べた事はない。
そんな高級ケーキがたった千五百円で食べ放題。本当に、最近の食べ放題は侮れない。
「うん、行く行く。水着はともかく、ケーキ食べ放題は捨てがたいわ!」
夏が近づけばダイエットだなんだで食事制限する事も多い物だが、さすがに高級ケーキの前には臨時休業を決め込むようだ。
遠い将来の理想体型より、目先の高級ケーキ食べ放題。ダイエットに励む女子高生と言っても、結局そんな物である。
「何をこそこそと話している?」
唐突に無遠慮な声で話しかけてきた男子生徒が、一人。手の甲には湿布。額に絆創膏と、こちらも痛々しい姿である。
幼い頃から戦場で育った戦争ボケの帰国子女・相良宗介である。先程出てきた「ソースケ」とは無論彼の事だ。
あらゆる行動様式が日本における「常識」とはかけ離れた物のために、不必要に騒ぎを大きくしてしまい、いつもかなめに怒鳴られている。
その実体は、多国籍構成の極秘対テロ組織<ミスリル>に身を置く軍曹。その実体を知っているのはかなめだけだ。
そんな彼の姿を確認するまでもなく舌打ちをしたかなめが、
「ソースケ。あんたには関係ないから。あっち行ってて」
にベもなくさらりと突き放すかなめだったが、彼は引き下がらない。
「そうはいかない。もし万一、君達が革命を起こし、この学校を粛正する算段をしているのならば、安全保障問題担当・生徒会長補佐官としてその行動を諌める必要がある。それが俺の役目だ」
そのあまりにも場違いでかっ飛んだ思考の前に、三人はぽかんと口を開けて放心している。その放心から一番早く回復したかなめが彼の胸板をゴンと叩くと、
「あたしらは北摂(ほくせつ)高校の生徒か!?」
怒りの形相のかなめの顔を見て、たっぷり十秒は考えてから不審そうに宗介が訊ねる。
「……革命ではないのか?」
かなめは何も言わずにハリセンではたき倒した。
教室の床に潰れるように倒れた宗介は、唐突にむくりと起き上がり、
「千鳥。いい加減に教えてはくれないか? その武器は一体どこに……」
「隠しているのだ」という宗介の言葉を無視して、今度はハリセンを片手でくるりと九〇度回転させ、ギザギザの部分でもう一度叩く。はっきり言ってこれは痛い。
「うるっさい! あんたには関係ないって言ってるでしょ!? あたしらは革命も粛正もクーデターも起こす気はないわよ。ただ三人で出かける相談をしてただけだってば」
「……本当なのか?」
宗介は、かなめの後ろにいる恭子と瑞樹に訊ねるが、二人とも首を縦に振る。
それから再び何か考えた後、
「どこへ行くのだ? 必要ならば、俺が……」
「ついてこなくて結構よ」
「護衛するが」という所をぴしゃりと押さえ込むかなめ。
「ま、ついてこられても困るのよね」
瑞樹はそう言って招待券と割引券の一画を指差すと、そこには、
※男性の入場は固くお断り致します
と赤いゴシック体で書かれている。こういった催し物にはこうした注意書きがあるケースが多い。
「男子禁制、という訳か。怪しいな。そうやって女性だけを集めて、何か企んでいるのではないのか? 阿片漬けにしてこっそりと海外へ売り飛ばすという事も……」
「ベタな時代劇かっ!?」
かなめのハリセンが三たび炸裂する。
「海外には大がかりな誘拐組織もある。その目的は売春の強制から臓器密売まで様々らしいが……」
このあまりに世間とずれた思考に、三人は呆れ果ててため息をつく。
「しっかし、こいつはドコからこういうバカな知識持ってくるのよ」
「ま、まぁ……一応、カナちゃんの事心配してるんじゃない。相良くんなりに」
瑞樹と恭子も乾いた笑いを浮かべている。
「だから、そんな事ある訳ないでしょ? いい加減日本に慣れなさいよ、ソースケ」
かなめが彼の頭を、手に持ったままのハリセンで軽くポンポンと叩く。
「だが……それだけが驚異ではないぞ、千鳥」
宗介は一呼吸間を置くと、再び口を開いた。
「最近新聞でも大きく取り上げられているだろう。刃物を持った男が町で騒ぎを起こすケースを。君達がその騒ぎに巻き込まれないという保証はどこにもない。常に危機感を持ち、細心の注意を払って行動するべきだ」
「はいはいはい。ご高説どーも」
そんな宗介の言葉を話半分で聞き流すかなめ。いちいち聞いていたら時間がいくらあっても足りないからだ。
「とにかく、絶対についてこないでね。絶対だからね」
人差し指をビシッと立て、宗介にきっちり言ったかなめだったが、
「しかし、それでは『イッシュクイッパンノオンギ』という物が……」
「はぁ?」
いきなり出てきた古風な言葉に、かなめの口が再びぽかんと開く。
「それって『一宿一飯の恩義』でしょ? 時代劇とかに出てくる?」
恭子の説明に瑞樹が色めき立つ。
「『一宿』って事は、あんた達、まさか……!」
驚き四、好奇心六くらいの視線でかなめと宗介を見比べる。
「違う違う! あんた達が考えるような事なんて何にもないわよ!」
「どーだか」
真っ赤にして怒鳴るかなめを無視してぼそっと呟いた瑞樹は、宗介に向かって、
「でもさ。まさかとは思うけど。あんた、言葉の意味判って言ってるんでしょうね?」
「無論だ。友人に聞いた事がある」
至極真面目な調子で宗介が言った。
「その友人が言うには『一晩泊めてもらい、食事を振る舞ってもらう』事だそうだ。日本では、これを最大の恩義とするとも言っていた」
確かに、辞書的な意味はこれで正しい。
「しかし、その恩義をまだ返していない。君達が出かけると言うのなら、俺の持てる総ての武器・技術を使って皆の安全を確保しよう。それで、少しでも恩を返す事ができるのなら……」
宗介の長々とした説明も、三人はまるで聞いていなかった。
「でもさ。一人暮らし同士で、寂しいから夕食を一緒にってのは判らなくもないけどさぁ。こんな男と一夜を共にするってのは……。ま、好みはあるだろうけど」
「それで? 相良くんとの一夜はどうだったの、カナちゃん?」
二人が目を輝かせて訊ねる。周囲のクラスメートも何人かは耳をそばだてている。
「ど、どうもこうもないわよ。……そりゃ、ごはんは一緒に食べたけど、ホントにそれだけだってば」
「おおっ。一緒にディナーですか。これはポイント高いですね〜。いかがでしょうか、解説のミズキさん」
「男って、結構お惣菜系の手料理に弱いですからね〜。果たして千鳥かなめさんは彼をモノにできるでしょうか」
恭子と瑞樹の二人が芸能レポーターだかスポーツ中継の実況解説顔負けの迫力と勢いでかなめに迫る。その勢いにかなめも少し退いてしまう。
「でもさ。一宿って事は、カナちゃんの家に相良くんが泊まった訳でしょ? 何でそうなったの?」
恭子のもっともな疑問に、昨日の事を思い出したかなめの表情が凍りつき、しどろもどろになってしまう。


昨日。生徒会の用事で遅くなってしまった帰りの電車の中で、かなめのお尻を明らかに「故意に」触った男を、宗介が見事に撃退したのだ。
基本的にチカンは現行犯でなければ捕まえる事はできない。その現場を押さえれば、いかな犯人と言えども申し開きはできない。
しかし、スマートに取り押さえた訳ではなかった。
まず、混雑する車内をものともせずに男の腕を掴み上げて、手首をぐきっと変な音がするくらい捻り上げる。
そして、男の手首を捻ったまま背中に回し、人混みを押し退けるようにして車内の床に力任せにねじ伏せる(この時かなめが押し流された人波に潰され、転びそうになった事はつけ加えておく)。
痛みで悲鳴をあげる男の背中に「何気なく」取り出した違法改造のスタンガンを押しつけ、冷静にトリガーを引いて気絶させたのだ。
そのまま次の駅で駅員に引き渡したが、気絶し、捻り過ぎて手首がおかしくなったチカンを見て「やりすぎですよ」と逆に怒られたくらいだ。
それからいろいろと調書等の手続きの後に解放されたかなめは宗介に向かって、
「あさおべんとつくるときつくったおかずがあまってるから、あんたのとこにもってってあげるわよ。ほっといたらあんたへんなほしにくとかしかたべないし。う、うはははは」
とぎこちなく言うのが精一杯であった。
素直にお礼を言えればいいのだが、ことこういう事に限っては言いたい事はきちんと言うタイプの彼女らしくもない。
その日の昼休み。「かなめの隣の生徒の携帯の警報風サイレン(着メロ)を、爆弾の電子機器作動音と聞き違えるという信じられない事をやってのけ、問題の携帯を窓から投げ捨てた」とか、「帰りの駅のホームでかなめに声をかけてきた見知らぬナンパ男にコンバット・ナイフを突きつけて『どこの組織の者だ?』と殺伐とした雰囲気で訊ねた」という事がなければ、もう少しくらいは素直になれたかもしれないが。
しかし、そんな明らかにぎこちない彼女を見ても、宗介には「何かおかしい」とは判っても、なぜこうなったのかが全く判らなかった。
(ふむ。好意に甘え過ぎるのはよくないが、彼女の好意を無にする事もあるまい)
そう思ってその申し出を受け、二人で夕食と相成った訳である。
宗介は一人暮らしだし、かなめの方も母は死去。仕事の関係で父親と妹は共にニューヨーク郊外へ行っているので一人暮らしも同然だ。
普通ならば恋人同士のようないい雰囲気になりそうなものだが、そうなりそうもないのがこの二人。
最初はかなめが道具と余ったおかずなどを持ち込んで、宗介の家で料理を作っていたのだが……。
「千鳥。俺も何か手伝おう」
そう言って立ち上がった宗介。
「え? いいわよ。それに、あんた料理できるの?」
「全くできない訳ではない。第一、ジャングルの中では携帯食料がなくなれば、食べられる植物や野生動物を捕まえて食べるしかないからな。その程度ならば問題ない」
そう言って使い慣れたグルカ・ナイフを取り出した。その三〇センチ近い刃を見て口を引きつらせるかなめだったが、
「判った判った。じゃあ、そこのボールに小麦粉あけてて」
「了解した」
宗介はかなめの隣に立って、言われた通りに小麦粉をボールにあけ始める。
かなめの方は、持ってきたおかずだけでは何だと思い、白身魚のフライ――といっても冷凍食品ではない――を油で揚げていた。
その時、油がはねてその飛沫がかなめの手に当たる。思わず顔をしかめて手を振った時、隣で小麦粉をあけていた宗介の手をはたいてしまった。
いかな宗介といえど、意識しない動きには対応できなかった。小麦粉の袋をどさっと落としてしまう。
小麦粉は袋から流れ出て、更には床にまで落ちて、粉は宙を舞っている。
それを見て、宗介がはっとなる。
粉と火と油。おまけにこのところの高い湿度と火のそばの高温。粉塵爆破の条件が見事に揃う。
それを察知した宗介はかなめを安全と思える場所に突き飛ばし、自分は要因の一つである火を消そうとガスコンロを止めようと手を伸ばした時、小さな爆発が起こってしまった。
油が飛び散り、爆発の勢いでキッチンがメチャクチャになる。油の飛び散り方が少なかったのが不幸中の幸い。
かなめの方は突き飛ばされた時に床に額をすったくらいで済んだが、宗介の方は手の甲や顔に少し火傷を負ってしまった。
宗介はそれにも怯まずに完全に火を止め、鍋をコンロから下ろし、ガスの元栓まで閉め、汗だくのまま安全を確認している。
爆発だけで火災が起きていないのが奇跡的だった。調べると、爆風でキッチンの隣の部屋も少し散らかってしまっている。
どうやら爆風は一方向だけだったらしい。粉塵爆破は威力はあるがムラがあり過ぎる。兵器としては大した役には立たないが、それが幸いしたようだ。
「……危なかった。後少し遅れていたら、二度目の爆発が起きていたかもしれん。間一髪だ」
荒い息のまま火傷した自分の手の甲を見つめている。その後蛇口をひねり火傷した部分を流れる水で冷やしている。迅速かつ適切な応急処置である。
「ソースケ、大丈夫!?」
「火傷としては軽度だ。すぐに治る」
「『すぐに治る』じゃないでしょ!」
水道の水で冷やしている手を見て、かなめが言った。
「あんたねぇ。いつも言ってるでしょ? 自分の事を機械みたいに扱わないの! あんたは悩みもすれば怪我だってする人間なんだから」
そんなかなめの顔を見た宗介が、
「千鳥。君も火傷をしている。額だから氷水を浸したタオルですぐに冷やすんだ」
そう言って冷蔵庫を指差した宗介。かなめの場合は床ですっただけなのだが、その真剣な表情に圧され、その意見を無にもできずに冷蔵庫の中から氷を取り出し、言われた通りにした。
しばらく経ってから、ぽつりとかなめが言った。
「……ごめんね、ソースケ」
「……いや。君が悪いわけではない」
「ううん、悪いのはあたしよ。あの時、あんたの手をはたいたりしなかったら……」
「気にしていない。君が無事なら……それでいい」
「ほら、やっぱり」
弱々しかったかなめの声に、少し怒りがこもる。
「何がだ、千鳥」
「あんたの態度よ。『君が無事ならそれでいい』って、いかにも自己犠牲的でカッコよく聞こえるかもしれないけどね。それでホントに死んだらどうすんのよ。あんたは一人じゃないのよ。学校のみんなだって、<ミスリル>の人達だって悲しむんだから」
「俺が死んだら『損害・一』で終わる。俺の代わりに、君の護衛を務める者だっていくらでも……」
気がつくと、かなめは宗介の胸ぐらをつかみ上げていた。怒っているのか泣いているのか判らない複雑な表情で。
「だから、そういうのをやめろって言ってんのよ、あたしは! 命は大事って言うでしょ!? そんな事も判ってない人に守られたって、ちっとも嬉しかないのよ!」
いきなりのかなめの行動に、宗介は目を白黒させている。やがて、言葉を絞り出すように言った。
「だが、それが現実だ」
だが、かなめは宗介のその言葉に一気にイライラをつのらせ、頭にカッと血が上った。
「確かにあんたの代わりになる人はいるかもしれないけどね。あたしには『相良宗介』の代わりになる人なんて絶対いないんだからね! 判ってんの!?」
かなめはそこまで言ってしまってから我に返ってパッと手を放す。心臓が急にドキドキしてきた。
勢い任せに言ってしまった事だが、よく考えてみれば、結構恥ずかしい事を言ってしまったのではないか……と。
(俺の代わりはいるが、俺の代わりはいない……? どういう事だ?)
しかし、当の宗介は相変わらず目を白黒させて考えている。
(こりゃ、こっちの気持ちなんて判ってないな、絶対)
こういうヤツだと判っていても、こんな時くらいは気持ちを察してほしいものだ。かなめはため息交じりにそう考えると、
「と、とにかく。こんなんじゃ料理も何もあったもんじゃないわ。あたしの家に行きましょ。約束通りごはんくらい食べさせてあげるから。あと、部屋もめちゃくちゃなんでしょ? リビングのソファーだったら使っていいから、そこで寝て行きなさいよ。ただし、あたしの部屋に入ってきたら、命はないと思いなさい。いいわね!?」
頬を赤らめたかなめが視線をそらしたまま一気にまくしたてる。宗介はぽかんとしてそれを聞いていたが、返答はなかった。
「ソースケ、判ったの!?」
その迫力に気押されて、宗介は無言のままぶんぶんと何度も首を倒した。


「……カナメ。なに一人でひたってんのよ!」
鋭い瑞樹の声で、ハッと我に返る。
「人の話無視して、勝手にラブラブな妄想にひたらないでよ」
「ベ、別にひたってなんかないわよ」
ひたってはいなかったが、思い出していたのは確かである。
「顔赤いけど?」
瑞樹に言われ、反射的に頬に両手を当ててしまう。しかし、そんなかなめを見て意地の悪い笑みを浮かべると、
「ウソだけど」
勝ち誇ったような瑞樹の一言にかなめの動作がピタリと止まる。パターンとしては典型的な誘導尋問と同じだ。
「そーかそーか。ついにカナメが最後の一線を超えたのかぁ……」
「よかったね、カナちゃん。ついに相良くんと結ばれたんだね」
瑞樹と恭子の二人は意味もなく目頭を押さえて涙を拭く真似までしている。かなめは真っ赤になりながら、
「だ〜か〜ら〜。ホントにそんなんじゃないって言ってんでしょ!? ソースケも何か言ってよ」
と、宗介に話を振るが、
「何を話せばいいのだ、千鳥?」
「だから、昨日あたし達は何もなかったって事」
宗介は少し考えてから言った。
「確かに、驚異となる物は何もなかった。しかし……」
『しかし、何?』
意味ありげに言葉を濁した宗介に、瑞樹と恭子が詰め寄る。いきなり詰め寄られて一瞬怯んだ宗介だったが、淡々と話を続ける。
「しかし、防犯面には注文をつけざるを得ない。いくら暑いからといっても、部屋の窓を開けたまま眠るのはよくない。侵入者をこちらから招くようなものだ。それに、就寝時は最も無防備になる。万一侵入者があった時には格好の的だ。ベッドの上には丸めた布団などでダミーを作り、ベッドの下やクローゼットの中に隠れる事を奨めよう。クローゼットの下に、少々狭いが千鳥一人くらいなら横になれるスペースはある筈だが」
的がずれているどころの話ではない。まるで話が噛み合っていない。第一、誰もそんな事を言えとは言っていない。
「ちょっと待って。何であんたがあたしの部屋の中知ってんのよ」
口の端を引きつらせ、かろうじて怒りを抑えたかなめは、宗介に訊ねてみる。すると、
「窓を開ける音は聞こえたが、閉める音が聞こえなかった。朝、千鳥が部屋から出てきた時に窓はしっかりと開いていた所からもそれは判る。それに、自分のいる場所とその周辺をきちんと把握しておくのは最重要事項だ。調べていない訳がないだろう」
何でもない事のようにさらりと言ってのけた宗介の顔面に、かなめの至近距離からのストレートが炸裂した。彼は机をいくつか巻き込んで後方に吹き飛ぶ。
「乙女の部屋を勝手に調べるんじゃないっ!!」
腕を振り切ったポーズのまま肩を激しく上下させながら怒鳴る、ものすごい形相のかなめと、力なくくずおれる宗介とを交互に見た恭子と瑞樹は「聞くだけ無駄か……」と揃ってため息をついた。

<中編につづく>


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