『何のお荷物』
ここは、帝都銀座にある大帝国劇場。その支配人室。
「済まねぇが、お前達に大至急やってもらいてぇ事がある」
わざと感情を押し殺したような淡々とした喋り方。
帝国陸軍中将にして大帝国劇場の支配人・米田一基は、窓の外を見ていた視線を室内に移す。
そこには三人の女性が背筋を伸ばして立っていた。この劇場で働く三人の女性達だ。
「米田支配人。その『やってもらいたい事』というのは、花組の皆さんじゃなくていいのですか?」
一番年上の藤井かすみが控えめにそう訊ねる。
この劇場の「真の顔」とも云うべき、霊的な力でこの都市を守る秘密部隊「帝国華撃団」。その実動部隊「花組」の事である。そのトップである総司令官も米田が勤めている。
米田はその疑問を待っていたかのように、
「今回ばかりはあいつらじゃダメなんだ。どう文句を言われようが……な」
意味ありげに言葉を濁す米田。
「判りました。それで、何をすればいいんですか?」
本当に判っているのかいないのか。部屋の緊迫した雰囲気を打ち消すかのように明るく切り出したのは榊原由里である。
「でも、本当にあたし達でやるんですか?」
少々不安な表情を浮かべるのは、最年少の高村椿である。
「ああそうだ」
アッサリと言われた事で、逆に不安が増したのだろう。普段は見せない沈んだ顔を見せる椿。
「お前達だって帝国華撃団の一員。それも風組の一員だ。ちょうどいい任務だろう」
表向きは劇場事務員のかすみと由里。売店の売り子の椿であるが、その正体は物資や部隊の輸送・補給を任務とする「風組」の隊員である。
という事は、米田が頼むのは何かを運ぶ任務なのだろうか。一言も言葉を聞き漏らすまいと、三人の身が自然と引き締まる。
「やる事は単純だ。山口海軍大臣の所へ行って、ある物を預かって来てもらいたい」
山口和豊海軍大臣。陸軍と仲のよくない海軍の人間だが、柔軟な考えの持ち主だ。それにこの帝国歌劇団の舞台のファンでもあり、何かと便宜を図ってくれる人物なのである。
「今日は自宅にいらっしゃる筈だし、話は通してある。地図と住所はここにある。なるべく急いでほしい」
米田の手には一枚の紙片がある。それを頼りに行って来いという訳だ。
「あの。一体何を預かって来ればよろしいのですか?」
代表してかすみが訊ねる。しかしその問いに米田はむすっと口を引き結んだまま、
「その質問には答えられない。どんな物かを聞いてもいかん。無論、途中で開封する事も厳禁とする」
その厳しい口調は、叩き上げで中将まで昇った歴戦の軍人を思わせる。軍属ではない三人も、その厳しさにゾクッと寒気が走った。
「ただ、他から見れば他愛ないが、自分にしてみれば重要な物。そういう物は誰しもあるだろう。そういう物だと思ってほしい」
その真剣な様子に、三人は息を飲んだ。表向き仲の悪い陸軍と海軍のトップクラスの物資のやりとり。きっと自分達には計りしれない「何か」があるのだろうと推測した。
「それから、花組の連中には知られないように行って来てほしい。厄介な事になるのが目に見えてるんでな。特に由里。お前さんだ」
耳が早くうわさ話が大好きな由里にきつく釘を差す米田。そのうわさ話好きが災いし、もう少しで機密情報の漏洩をする所だった過去を思い出しての事だ。
由里は名指しで釘を差された事にチクリと胸が傷んだが、特に言い返したりはしなかった。
「で、誰が行くんだ?」
米田の一言で、三人の動きがピタリと止まる。そのまま彼女達は身を寄せ合って、
(かすみさんが行ったらどうです? こういう任務は私や椿よりかすみさんの方が……)
(そう言えば山口海軍大臣さんって、帝劇のファンよね? それなら一番顔を知っていそうな椿が行く方が……)
(とんでもない事言わないで下さいよぉ! あたしみたいな子供が行ったって……)
ヒソヒソヒソヒソ。コソコソコソコソ。小声での不毛なやりとりが続く。
かすかに漏れてくる、押しつけ合うだけで何の進展もなさそうな会話に嫌気が差した米田は、
「だったら三人まとめて行って来やがれ、このスットコドッコイ!!」
デスクに叩きつけた拳が部屋を震わす轟音を立てる。その音に驚いて縮み上がった三人は、ほうほうの体で逃げ出すように部屋を飛び出した。


そんな訳で。地味な私服に着替えた三人は、地図を頼りに山口海軍大臣の自宅へ向かった。
途中道に迷ったりもしたが無事到着し、帝劇ファンの大臣は三人娘の来訪を心から喜んでもくれた。
品物を受け取った三人は、すぐさま帰路についた。だがこうした任務の場合、行きよりも帰りの方が困難なのが世の常である。
受け取った品物は、厚手の紙で厳重に包まれた物だった。透かして見ようとしても何も見る事はできない。大きさは縦二十センチ横十五センチ厚さが一センチほど。
「……何かの本でしょうか?」と椿。
「確かに。書類にしては小さいし」と由里。
「二人とも。米田指令の言葉を忘れたの?」とかすみが二人をたしなめる。
「中身の詮索は厳禁。中を見るのはもちろん論外」
椿はかすみの一言でおとなしくなったが、由里の方は黙っていない。
「でも、あんな言い方されたら余計に気になるじゃないですか」
「そうだけど。これを早く届けるのが、今の私達がやるべき事よ」
「どうしたんだい、三人揃って?」
不意に後ろから声をかけられる三人。聞き覚えのある男の声に、彼女達はびくんとなって立ち止まる。
振り向くと、そこにいたのはやっぱり大神一郎だった。その後ろには真宮寺さくらとマリア・タチバナの姿もある。
大神は帝国華撃団・花組の隊長で、さくらとマリアはその隊員。表向きは劇場のモギリに花形女優だが、米田が「花組の連中には知られないように行って来てほしい」と言った張本人達である。
一体どう切り出したものかと内心焦る三人娘。すると大神の方が、
「また支配人にお酒の買い出しでも頼まれたのかい?」
内容は全く違うが、米田の頼まれ事というのは合っている。普段はとんと鈍いのに、こういう時は妙に鋭い。
「本当にお酒も程々にして戴きたいですよね」
と、さくらも相槌を打つ。それを聞いてわずかに黙考したマリアが、
「隊長。それならば彼女達を手伝ってあげて下さい」
日露混血で男役のスターであるマリアの優しい言葉に、椿が思わずぽおっとなる。帝劇職員ゆえになかなか表に出せない隠れファンの悲しいサガだ。
「椿。その持っている物は?」
マリアは椿が持っている「預かり物」を発見し、笑顔を浮かべて訊ねてくる。三人娘はさっき以上にびくんと身を震わせた。どんな事をしてもバレる訳にはいかないのだ。
しかし隠れファンの悲しいサガ再び。椿はさっき以上に顔を赤らめ、うっとりした表情を浮かべて口を開く。
「はい、実はよ……」
すかさずかすみと由里は椿の口を押さえ、脇目も振らずに猛ダッシュ。それこそ大神達が声をかける暇も与えずに。
だいたい百メートルは離れたであろう頃路地に入り込み、今だうっとりとした目の椿の頬をぴしゃんと叩く由里。それから辺りをはばかった小声で、
「しっかりしなさい! もう少しで機密を漏洩する所だったわよ」
椿も由里には言われたくないであろうが、椿はきょとんとしたまま、
「……えっ、そうだったんですか!?」
だが彼女は、まるで催眠術でもかけられたかのようにその瞬間の事は覚えていなかった。マリアの笑顔、もとい、隠れファンのサガ恐るべし。
「とにかく。世の中何が起こるか判らないわ。慎重にいきましょう」
そんな二人のやりとりにかすみがなだめに入る。その言葉に決意も新たにひょこっと路地から顔を出した。
「由里。何してはるん?」
奇妙なイントネーションの関西弁で呼び止められた彼女は、再び身を固くする。
「紅蘭……」
そこに立っていたのは、花組のメンバーである李紅蘭。生まれは中国だが、初めて日本に来たのが神戸だったからか、変な関西弁で喋る。
「そんな所でコソコソと、一体どうしたでーすか?」
更に聞こえてきた、奇妙なイントネーションの日本語が。
紅蘭の隣には、これまた花組のメンバーであるソレッタ・織姫の姿も。イタリア出身だが日本語の方は時折言葉の用法を間違える事を除けば完璧に(?)こなせる。
「こーんないい天気の日にコソコソ物陰に隠れるなんて、ニッポン人は変でーすね?」
三人娘を怪しむかのように、じろ〜と見ている織姫。その視線に意味もなく困惑した由里は、どことなく視線を逸らしながら、
「お、お二人こそどうしたんです? 珍しい組合せで」
織姫はしどろもどろの由里に全く関心を払わずに、
「実は、今朝パパの所に遊びに行った時、蒸気湯沸かし器の調子がおかしかったでーす」
織姫はイタリア出身でも父親は日本人だ。そして彼は帝都の下町暮らしなのである。
「で、うちが呼ばれて。ちょちょいのちょいと直してきましたわ。あ、先に言うておきますけど、爆発はせえへんかったで」
続けて紅蘭が説明する。彼女は機械工学にかけては天才的な腕を持ち、日々機械いじりをしてはとんでもない発明をしでかす。もっとも、大概の物はすぐ爆発してしまうのだが。
「な、なるほど……」
三人が苦笑いのまま相槌を打つ。二人は一刻も早くこの場を離れたい気持ちで一杯だった。
「それより三人揃って外出の方が、珍しいんちゃいます?」
すかさず紅蘭が適確な指摘をする。それからめざとく椿が持つ「預かり物」に目をやると、
「ん? 何かいな、それ?」
紅蘭の手が伸びかけた時、由里がその手をガシッと捕まえる。それから無理矢理作った笑顔で、
「ああ、別に紅蘭が気にするような物じゃないわよ。ああ、今日もいい天気ね。こんな時にはパーッとどこかへ行きたくなるわよね?」
今にも雨が降り出しそうな雲が空を覆い出した中、由里は紅蘭の手を引っぱって、
「さ。どうきのよしみでどこかへいきましょ。おりひめさんもごいっしょにどうですか?」
完全な棒読みで織姫の手も引っぱると、喚く二人を引きずって離れて行く。
「今よ椿。由里の気持ちを無駄にしてはダメよ」
「は、はい」
かすみは本を抱える椿と共にその場を風のように走り去る事にした。


それからまた百メートル程離れると、二人揃って立ち止まり、さらに肩で息をしながら、
「まさか、こんなに連続で花組の皆さんにお会いするなんて……」
「今日は厄日じゃないわよね?」
かすみは息を調えつつ、椿が持つ「預かり物」をじっと見つめる。
見かけから察するにいかにも書物っぽい。無論確証はないのだが、海軍大臣から陸軍中将に渡る書物(仮)である。
ひょっとしたら、帝国華撃団に必要な、とても重要な書物なのではないだろうか。だからわざわざ風組の隊員である自分達に、輸送任務を依頼したのでは。
いやいやそんな筈はない。輸送は確かに風組の任務ではあるが、重要な書物をこんな軽々しく「預かって来てくれ」などと頼むだろうか。
第一「花組に知られないように」というのも奇妙な話だ。華撃団に必要な物ならそんな念の入った注意をするとも思えない。
仮にそうだとしても、自分達が本物を運んでいるとは限らない。本物は密かに運ばれ、自分達は囮の可能性もある。
だが「そんな筈はない」と裏をかいてこっちが本物なのでは……? でも、自分達は特別何の訓練も受けていない一般人同然の身だ。考えれば考える程訳が判らない。
「ヨッ、お二人さん!」
いきなり後ろから元気よく肩を叩かれ、思わずその場で飛び上がって驚く二人。
「……カ、カ、カンナさん!?」
後ろにいたのは沖縄出身の桐島カンナ。琉球空手の使い手で、気さくで大らかな人物である。無論彼女も花組の一人だ。
「それにすみれさんまで!?」
驚くかすみの視線の先には、同じく花組メンバーの神崎すみれが立っていた。神崎財閥の一人娘にして花組のスタァ。典型的なお嬢様気質で、花組の一員となった時にはよく周囲と衝突していた。特にカンナと。
「それにしてもカンナさん。呼び止めるならもう少し優しくなさったらどうです? 二人とも口から心臓が飛び出そうな程驚いてましてよ?」
「悪い悪い。ついイタズラ心ってヤツがな」
許してくれとばかりに豪快に笑うカンナ。そういう態度を取られると不思議と許してしまう物がある。
「その侘びって訳じゃないんだけど、これからあたい達は知ってる洋食屋に行くんだけど、二人ともどうだ?」
何でもカンナが懇意にしている洋食屋が、新メニューの試食をしてほしいと頼んできたのだそうだ。
「ところが大飯食らいのカンナさんでは『うめえうめえ』だけでろくな品評もできませんでしょう? そのためわたくしも同行する事に」
「すみれ。お前だって嬉しそうだったじゃねぇか」
しぶしぶという雰囲気丸出しのすみれの言葉にカンナが茶々を入れる。それにすみれの言葉が詰まったという事はどうやら図星だったのだろう。
「だ、誰も嬉しくないとは申しておりませんわ。トップスタァたるもの、常に流行の最先端に触れ、先取りをするべき。誰も食べた事がないメニューに心惹かれる事の、何が悪いんですの?」
ほほほほ、と笑いながら言い返すものの、目が明らかに笑っていない。
「ホンットに素直じゃねぇな。演技は舞台の上だけにしとけよ、このひねくれ女!」
そんなカンナの言葉にカチンと来ないすみれではない。すぐさま、
「カンナさんこそ、試食とタダ飯を混同なさってるんじゃありませんこと?」
「て、てめぇなぁ……」
「ふ、二人とも。こんな往来の真ん中で……」
見かねて止めに入ろうとするかすみだが、こんなやりとりが周囲の目を集めない訳がない。しかも帝劇スタァのすみれとカンナである。
「何だ何だ、すみれさんとカンナさんが何かやってるぞ?」
「おっ、またケンカか? 元気だねぇ」
「イヨッ、待ってましたご両人!」
止めるどころか周囲がはやし立てて、二人の口喧嘩はますますヒートアップしていく。
「つ、椿。あなただけでも、急いでそれを届けて……」
いくら二人のケンカがいつもの事とはいえ、こんな所を雑誌などの記事にされる訳にもいかない。人だかりを何とか散らそうと必死のかすみが椿に声をかける。
だが「なるべく急いでほしい」と言われている以上、ここで時間をかける訳にはいかない。急ぐなら二手に分かれるのが得策だ。
「判りました。行きます!」
小柄な椿は集まってきた人垣をどうにかくぐり抜け、荷物を抱えて一目散に大帝国劇場へ走り去った。


とうとう一人ぼっちになってしまった椿。心細いがここで投げ出す訳にはいかない。
散っていった(笑)二人のためにもこの任務、何としてでも成功させなければならない。
彼女は本を大事そうに胸に抱え、平静を装いつつ一歩一歩劇場へ向かう。
ついに、劇場前の交差点に到着した。あとは信号が青になったら一気に駆け抜けて支配人室へ行けば、それで任務は完了だ。
だが。最後の最後で強力な壁が立ちはだかった事に椿は気がついた。
大帝国劇場の来賓用玄関では、花組のメンバーであるレニとアイリスが二人仲良く掃除をしていたのである。
レニはドイツ出身で、花組に入る前はいろいろあったらしく、感情表現に乏しい中性的な女の子だ。
一方のアイリスは花組最年少で、生まれはフランス。女優というよりは子役と言った方がいい。だが持って生まれた超能力が問題なのである。
ずいぶん昔、読心術で心を読まれてどうのこうのともめた事を思い出したのだ。更にレニに至っては独特の冷静な観察力で、こちらの隠し事を読んでこないとも限らない。
二人とも自分からそういう事はやらない性格ではあるが、椿は思わず劇場向かいに立つ三越の中に隠れて考え込む。
一体どうしたらいいのだろう。このまま何気なく行ったら、間違いなく声をかけられる。
その時平静を装えるだろうか。
あいにくだが、そこまでの自信は――ハッキリ言って無い。皆無である。
自分は女優ではないし、売店生活で鍛えられた営業スマイルとて、二人の力の前では無いも同然であろう。
迂闊に取り繕えば絶対ボロが出る。レニはそれを見逃さないだろうし、アイリスは絶対に不審がって質問攻めにするだろう。
その時、口八丁手八丁で切り抜けられるだろうか。
あいにくだが、そこまでの実力は――ハッキリ言って無い。このままでは米田の「花組に知られないように」という命令が守れなくなる。
だが、一体どうすれば。帝劇はもう目と鼻の先なのに。
頭の中がパニックになるのと同時に、孤独故の心細さ、不安感が後から後から沸いて出てくる。
汗ばんできた手を何度も何度も服で拭いつつ、
(ど、どうしよう〜〜)
思わず泣き言が漏れそうになるが、かすみも由里もこの場にはいない。頼る者はいないのだ。自分で切り抜けるしか方法がない。
椿はこっそりと玄関で掃除をしている二人を観察する。頼むから早く中に入ってほしいと祈りながら。せめてそこから二十メートルは離れた、お客様用の入口へ行ってくれればと願いながら。
そして。運命の風が吹いた。
箒で集めようとした紙屑らしきものが、風に乗って道路を転がっていく。アイリスは箒を持って賢明に追いかける。ちり取りを持ったレニはアイリスを追いかける。
二人の行った方向が、まさしく椿が望んでいたお客様用の入口の方だった。
(今しかないっ!)
「預かり物」を抱え込んだ腕に力がこもる。キッと真面目な表情になると、左右の安全を確認して一気に交差点を駆け抜ける椿。
その真剣さに道行く人の何人かが「何だろう、あれ?」と首をかしげたが、それで済んだ。
そしてついにアイリスとレニに気づかれる事なく、椿は来賓用玄関から劇場の中に入る事ができた。
中に入ってしまえば、支配人室までは目前。足早に廊下を駆け、支配人室の前に立つ。
(やったぁーーっ)
一つの事を成し遂げた充実感・達成感が椿の全身を包んでいた。この場にいない二人もきっと喜んでくれるに違いない。
「椿」
いきなり声をかけられてビックリした椿は、思わず「預かり物」を落としてしまう。
「か、かえでさん、驚かさないで下さい!」
声をかけてきたのは、劇場副支配人にして帝国華撃団副司令の藤枝かえで。彼女は一言謝ると、済まなそうに椿が落とした物を拾い上げた。
「支配人から何か頼まれてたの?」
それを手渡しながら訊ねてくる。椿はどう言えばいいものか答えに窮していると、
「椿、帰ってきたのか?」
支配人室から米田の声がする。椿は心底ホッとして、
「ハ、ハイ。失礼します!」
妙に上ずった声で返答してドアを開けると、ものすごい勢いで中に入って素早く閉めてしまった。


その日の夜。米田は自宅で包みを解いていた。
三人娘の多大な(?)犠牲を払って彼の元に届けられた物。
「うむ、間違いない」
それは一冊の本だった。表紙には上手なのか下手なのか判らない手書きの文字で、
「浪曲が上手くなる本/東中軒雲国斎・著」
とある。
以前花組のみんなの前で、かじった浪曲を披露した事があるのだが、結果は散々であった。評する言葉こそ柔らかい物だったが、褒めていない事くらいは判る。
だが自分で買いに行くのはあまりにも格好がつかない。そこで長年悩んだ挙げ句に手を回した結果が今日の出来事の発端であった。
「今に見てろよ、あいつらめ……」
まるで長年の仇敵を相手にするような不敵な笑みを浮かべると、米田はページをめくった。


そして。米田の浪曲の腕前が上がったかどうかは……定かではない。

<何のお荷物 終わり>


あとがき

この話は抜刀質店さんのリクエスト『風組ネタでお願いします』に応えて書かれた物であります。
まぁ三人娘は風組メンバーですから、リクエストには合っている……と思いたい!
そういえば「三人娘」が出る話はあっても三人娘が主人公の話はありませんでした。渡りに船であります。

ネタ的には結構ありがちな「初めてのお使い」ノリ。行く先々で知り合いに会ってはしどろもどろに切り抜ける。それをやってみた訳です。
こういうのはアレコレいじって手を加えるより、パターンと言われようがストレートにやった方が絶対面白いです。運んだ物が「しょーもない」物だという事も含めて。

今回は1955年公開の邦画「愛のお荷物」のタイトルをもじらせて戴きました。
戦後のベビーブームでどんどん増える人口。その人口を抑制する法案を通そうとする厚生大臣。しかし彼の元に次々と身内(?)の「おめでた」話が舞い込んで……。という風刺の効いたコメディ作品です。
言う間でもない事とは思いますが言わせて下さい。この映画とこのSSの関連性は全くありません。

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