『黒い死神と白い軍人 中編』
フランス軍との演習・第二回目。
前回と同じパリ郊外の草原に、霊子甲冑に乗った大神、新次郎、紅蘭の三名が立っていた。今回の作戦では意思疎通をスムースにするため、紅蘭作の翻訳機を華撃団の全員が身につけている。
大神はモニター越しに周囲を見渡してみた。ところどころ草が剥げたような場所があるのは、前回の戦闘の影響だろう。派手に倒れていた機体もあったから無理もない。
そして距離にして百メートルほど先には、彼らが映像で見たフランス軍が採用予定の人型蒸気・アスピレイが三体立っている。
「機体性能は確かにこちらに分があるだろうが、決して油断するんじゃないぞ」
大神は自身の戒めと共に新次郎と紅蘭に無線で話しかける。紅蘭はすぐに返事をよこしたが、
「新次郎、どうした?」
『あ、済みません一郎叔父』
無言だった新次郎はすぐさま謝罪すると弾ませた声で、
『一郎叔父とこうして戦えるのが、すっごく嬉しくて』
新次郎にとっての大神はただの叔父ではない。幼い頃からの憧れであり、自身の目標ともしている人物である。そんな彼とこうして同じ戦場(演習ではあるが)に立てるのは、並々ならぬ喜びであろう。
それを聞いた大神は快活に笑うと、
「そうか。じゃあ紐育で鍛えた実力、見せてもらうとしようか」
『はい。サムライの意地、見せてやります!』
『お二人さん。ちょっとええですか?』
二人の会話に紅蘭が割って入ってくる。彼女の声と共に、周辺の計器類をいじっている音が微かに聞こえていた。
紅蘭の機体には、周辺の霊力などを測定する機材が積まれているのだ。周辺を調べているのだろう。
巴里華撃団が不可解な壊滅をしたこの場所自体に、何か怪しい物が仕込まれているのではないか。先日の会議の後、紅蘭はそう漏らしていた。
『今のとこ、この草原に怪しい仕掛けとか伏兵の存在はないみたいですわ。あちらさんの機体にも、特に妙な物があるようには見えまへん』
紅蘭に言われ、自身も慌てて周囲を見回してみた。
データを計測するための軍のテントと巴里華撃団の仮指令室のテントが遠くに見える。それよりさらに遠くには、ここから一番近い村が見えた。教会の尖塔がちらりと見える程度ではあるが。
「それにしても。俺達はともかくとして。よく許したなぁ、新次郎の参戦を」
大神はサニーサイドの事を言っているのだ。大層な実業家だと聞いていたから、割に合わない事や機密漏洩のような「損」に繋がる事を毛嫌いすると思っていたからだ。
今回のこの一件には、帝国華撃団はもちろん紐育華撃団が肩入れをする必要は、本来ならばない。もちろん大神は一時期とはいえ巴里華撃団として活動をしていたから、多少なりとも思い入れはある。何とかしたいと思っている。
『大神指令殿。日本にはこんな言葉があるんだろう。「損して得とれ」って』
いきなり無線にサニーサイドが乱入してくる。翻訳機のおかげで、日本語がすんなりと伝わってしまったのだ。彼らの会話は仮の指令室にも聞こえているのを忘れていたのだ。
『確かに華撃団の霊子甲冑の機能や性能をあちらに知られてしまう危険はあるけど、ボク達だって、フランス軍の最新鋭予定機の機能や性能を知る事ができるんだ。お互い様だよ』
大神は「なるほど」と素直に感心した。
『それにこちらの手の内を極力見せず、あちらの手の内はさらけ出させる。そんな理想を実現させればいいだけの事じゃないか。それができるのは、長年霊子甲冑での実戦をくぐり抜けてきた君しかいないと、ボクは思っているのだけれどね』
少々おだての入った物言いではあるが、確かに彼の言う通りだ。大神は気を引き締め直そうと、自分の両頬をバチンと叩く。
『一郎叔父、紅蘭さん。何でしょう、あれ?』
いきなりの新次郎の言葉に、大神も紅蘭も彼の機体が指し示す方向を見やった。
フランス軍のテントの脇に、これまた時代めいた黒塗りの馬車が止まったからだ。自動車が普及し出しているとはいえ、まだまだ馬車がなくなっている訳ではない。使う人がいても不思議ではないが……。
その馬車から出てきたのは、小柄で細身の若い男二人。いずれも地味なスーツ姿だ。
それから仰々しく出て来た人物に、大神達は興味を覚える。
その人物は随分と背が高くひょろりとした――いや、まるで骸骨のように痩せた、髪の薄い中年男性だったのだ。スーツの上から薄汚れた白衣を着込み、さも自分が「重要人物である」と言わんばかりに胸を張っているのが見える。
『何や。随分と薄っ気味悪いオッサンですな』
中年男性の厳めしい表情を見た紅蘭が素直な感想を漏らす。
『こんなところに何の用なんでしょう?』
パッと見た感じ軍人とは思えない。どう見ても頭脳労働系の人物だ。医者か、はたまた技術者か――
「俺の想像だけど、もしかしたらあの人型蒸気を作った人じゃないのか?」
『ムッシュの想像通りだよ。あの男がアンクー・モルトその人さ』
グラン・マの言葉に一同納得する。あの容貌では性格がまずくなくても「死神」のあだ名はつくだろう。
自分の設計した機体の演習なのだ。設計した本人が来ても何の不思議もない。
しかし。遠くて音は聞こえないが、そのアンクーらしき男と軍服の人間がテントの前で押し問答をしている様子が見えた。
まるでアポイントメントなしでいきなりやって来たようにも見え、その光景に大神は声に出さずに苦笑する。
すったもんだの末、その白衣の男達がテントに入る。その直後、両軍共通の回線に無線が入った。
『では五分後の合図で模擬戦闘を開始する。双方準備を』
その声に、大神は各部の最終点検を済ませていく。この土壇場で障害が見つかっても直しようがないが、染みついたクセ、戦闘開始の儀式のようなものである。
それに大神にとっては、こうして自らが光武に乗って戦うのは久しぶりの事なのだ。彼が総司令官になってからは、帝都を脅かす敵の存在はほとんど確認されていないので、華撃団の出動自体が少なくなったせいもある。
鍛練を欠かしているつもりはないが、久しぶりの実戦。腕が落ちていなければいいが。そんな一抹の不安を抱くのも、無理からぬ事である。
やがて戦闘開始のサイレンが鳴り響き、互いの人型兵器は一斉に敵めがけて突進を開始した。


新次郎の白いフジヤマスターが草原を駆ける。それに少しも遅れる事なく、大神の白い光武二式も駆ける。
フジヤマスターは全高約4メートル。重量約4トン。出力は7800hp(馬力)の大出力。
一方の光武二式は全高約2.7メートル。重量約800キロ。出力に至っては1000hpもない。
フジヤマスターの方があらゆるスペックが上なのだ。にもかかわらず、二つの白い機体はピタリと横一直線に並んでいた。
大神の光武二式にはごく短時間機体を飛翔させるだけの推力を持った緊急ブースターが搭載されているが、それを使っている様子もない。重量の差だけでは片づかない事だ。
(スゴイや、さすが一郎叔父)
全く手を抜いて走っていない新次郎が、その様子に心から感嘆の声を上げる。
乗り手の能力をストレートに反映させて増幅させるのが光武二式の特徴だが、それは新次郎の乗るスターに負けないだけ大神本人の能力が引き出されている事の証であった。
『新次郎。あまり気負い過ぎるな。普段の通りにやればいいんだ』
「は、はい!」
大神の一言だが、新次郎の気持ちは今以上に昂る。自分は本当にこの人と共に戦っているのだ、と。
眼前を見ると、フランス軍のアスピレイもこちらに向かって駆けてくる。左腕の機関砲の射程に入っていない以上、ある程度距離を詰めねば戦いにならない。
だが向こうはあと二十メートルばかりとなった時に、全機体の右腕が怪しく動いた。何か攻撃をしかけてくるのかと、新次郎は両手に持つ模擬戦闘用の刀を眼前で交差させた。
その右腕が行ったのは何かを投げつけて来た事。だが警戒していたために楽々と横に飛んでかわすフジヤマスター。ドスンという鈍い音が微かに聞こえる。
そこで無線から紅蘭の叫び声が。
『気ぃつけて! 敵が投げて来てるのは鉄の玉や!』
紅蘭が叫んだのはもちろん理由がある。それはこの霊子甲冑の素材にあった。
大神や紅蘭が乗る光武二式は、シルスウス合金という特別な素材で作られている。外部からの霊力を弾き、乗り手の霊力を伝達する能力が高いものだ。だからこそ霊的防護部隊のための人型蒸気に使われているのだ。
しかしその反面、純粋な物理ダメージには極端にもろい。パイロットが乗っている間は霊力が媒介となってシルスウス合金の強度も高まるものの、それでも一般的な鋼鉄や複合装甲の方が遥かに硬い。
一方の新次郎が乗るスターはファーレンハイト合金という別の素材で作られている。
シルスウス合金と比べて軽く、物理的ダメージにも強くなっている。その代わりシルスウス合金と比べ外部からの霊力遮断や霊力伝達能力の方はだいぶ落ちている。
だがそれでも、物理的ダメージに対する強度はシルスウス合金よりはマシという程度であり、鋼鉄を超えるほどに極端に強くなった訳ではない。
つまり投擲された鉄の玉のように、霊力が介在しない攻撃に霊子甲冑は弱い。傍目に見ればバカバカしいかもしれないが、これ以上霊子甲冑に効果的な攻撃はないのだ。
『さっき話に出てたアンクーっちゅう技術者、随分と霊子甲冑を調べてはるようやな』
紅蘭のつぶやきが無線から漏れ聞こえる。雨あられと飛んでくる鉄の玉を避けながら、新次郎は考えた。
玉切れになるまで避け続けるのも一つの手だが、こうまで多く飛ばしてくると、周囲に転がる鉄の玉に足をとられて転ぶ方が先のような気もする。
ならば被弾覚悟で討って出て一体でも仕留めておく。それこそ肉を切らせて骨を断つ覚悟で。その思いを込めて刀を握り直した時、
『新次郎。俺は気負い過ぎるなと言った筈だぞ』
無線から聞こえる大神の声。まるでこちらの心を読んだかのようなタイミングに新次郎の心は激しく揺れた。
「け、けど。このままじゃ……」
『迂闊に飛び込めば、霊力攻撃がやってくる。威力は大した事ないとはいえ、立て続けに喰らったら確実に隙ができるぞ。そこに至近距離から鉄球をぶつけられたら、おそらくスターの装甲でも持たん』
大神のその冷静な分析に、新次郎は言葉に詰まる。隊長たるもの、常に戦場では冷静に状況判断をしなければならないのに、それができていなかった。
大神と共に戦える事に喜んで、有頂天になるところだった。新次郎は改めて気を引き締め直す。
『それにお前一人で戦っている訳じゃないんだ。俺だって紅蘭だっている。それを忘れるな』
『せや。猪突猛進だけが戦法やない。それに、猪突猛進するにも下準備があるやろ?』
大神と紅蘭の落ちついた声。鉄球が降り注ぐ中微塵の焦りもないその態度。まだまだ自分は未熟だと痛感する新次郎。
紅蘭機の肩・両腕・両脚に装備された迫撃砲から、ありったけの弾が一斉に発射された。
しかしそれは明らかに角度がつき過ぎている。敵機の後ろに着弾する角度。大外れもいいところだ。そのため敵機は全く警戒していない。
その目測通り弾は鉄球を投げ続けるアスピレイを悠々と通り過ぎていった。だが、
ずどどどどん!
アスピレイの背後でとんでもない爆発が起こる。その爆発に向かってさらに発射された誘導弾が飛び込んでいき、爆発はさらに大きくなる。
何と。その規模が拡大した爆風にあおられ、アスピレイ達がつんのめって派手に転んでしまったのだ。
先日見た設計図から、霊力攻撃のための装備のせいで上半身に重心が偏っている事を見抜いていたのだ。
『今や!』
紅蘭の号令一過、新次郎は大神と共にスターを走らせる。ああまで派手に転んでしまうと、立ち上がるまでは完全に無防備。隙だらけになる。いくら演習とはいえ、その隙を逃すつもりは二人には毛頭ない。
立ち上がりかけたアスピレイに向かって、新次郎は刀を降り下ろす。人間でいう顔面に二振りの刀を叩きつけられ、その機体は「破壊」される。大神も同じようにして一体を「破壊」していた。
ようやく立ち上がった最後の一機は、どうしたらいいんだと焦っているのが丸判りであった。ただでさえ機体性能に差があるのに、三対一では奇跡でも起きない限り勝ち目はないと判っているからだ。
だが「ただではやられん」とばかりに左腕を突き出し、新次郎のスターに向かって霊力で作った弾を発砲していく。
しかし連射ができないために少々間が開いてしまう。それも立派な隙だ。そのアスピレイめがけて間合いを詰めようとした時だった。
いきなり身体がぶれる。いや違う。身体の中が震えている。激しく揺れ動いている。全身の筋肉が震え。一本一本の骨が軋み。総ての体液が沸騰し。あらゆる細胞がねじ曲がる。何も見えない。何も聞こえない。何も判らない。
そのおぞましさたるや並大抵ではない。まるで身体を内側からバラバラに分解されるような不快感。嫌悪感。それが全身を包んでいるのだ。「痛い」などという生易しいものではない。
自分でも気づかぬうちに新次郎は悲鳴を上げていた。それこそ声帯が破れてちぎれそうなほどに。
自分の事で手一杯だったため気づかなかったが、無線からは大神と紅蘭の悲鳴も聞こえている。特に紅蘭のものが酷かった。まるで断末魔の叫びのようである。
ところがその不快感がピタリと止んでしまった。時間にすればそれこそ数秒間ほどであろうか。だが自分には数時間にも数日間にも感じられる、恐怖感すら伴った不快感である。
もしかしたら、これが巴里華撃団を壊滅させた「何か」なのでは。新次郎でなくともそう考えるだろう。
だがこの隙を敵が見逃す訳がない。機体の大きいスターや刀で武装した大神機に構わず、接近戦の武器を持たない紅蘭機に敵機が肉薄していた。
新次郎も機体を動かそうとするが、まだ手足はもちろん頭の中まで痺れてまともに動いてくれない。このままでは紅蘭の機体は無防備のまま攻撃を受けてしまう。助けなければ。だがその腕も足も機体も全く動かない。
『待てぇっ!!』
裂帛の気合いがこもった大神の雄叫びが無線からもれる。朦朧とする意識のまま映像を見ると、アスピレイの前に大神機が立ちはだかっていた。それこそ紅蘭機を身体をはってかばうかのように。
しかしその動きは明らかにダメージを負っているかのようにふらふらとしたものであり、大神も今の自分と同じような境遇であろう事が容易に想像できる。
それにもかかわらず部下を守るために気力のみでも動いてみせる。誰一人として死者を出してたまるか。その執念にも似た気迫に、敵機はもちろん味方の自分も「これが戦場での一郎叔父か」と震え上がっている。
『たあああっ!!』
大神機の刀が真一文字に力任せに振り切られると、模擬戦闘用の刃を潰した刀にもかかわらず、アスピレイの機体は一直線に斬り裂かれた。


紅蘭の目がそっと開く。その瞳に映っていたのは、ぼんやりとした誰かの顔だった。メガネが外されているためだ。
その誰かが自分の顔にそっとメガネをかけた。そこでようやくその「誰か」が新次郎と判った。
だがその顔は血の気が引ききったように真っ青で、今にも倒れてしまうのではないかと思えるほど酷いものだった。
「ここは一体……」
そう言ったつもりだったが、その声は自分でも驚くほどか細いものだった。
「気がついてよかったです、紅蘭さん」
新次郎の顔に、一気に血の気と元気が宿る。
「本当によかった。もう目が覚めないんじゃないかと思っていたんですよ?」
彼はこっそりと涙を拭いながら声をかけてくる。紅蘭がそれに答えて起きようとするが、身体が動かない。
紅蘭は未だふらふらする頭を整理するかのように、ゆっくりと目を閉じた。
確かいきなり全身がガクガクと震え、揺さぶられ、痛みを通り越した痛みが全身を襲ったのだ。時間にすればほんの数秒間だったろうが、彼女自身にはもっと長く感じられた。それから何があったのかは判らないが、こうして生きているのだ。死んではいないらしい。
ほっと安堵したのも束の間、気を失う寸前の事を思い出すと、
「……せや。ウチ、みんなに言わなならん事が」
自分の物ではなくなったかのようにぎこちない動きで無理矢理起き上がった紅蘭。するとそこで初めて、ここが巴里華撃団の格納庫の床だという事。まだ光武に乗る時の戦闘服のままだと判った。
巴里華撃団の隊員が医療ポッドを占領しているので、彼女を寝かせる場所を確保できなかったのだ。いくら自分が機械いじりが好きだからとて、この扱いはあんまりである。
急に動いたからか、胃の底から猛烈な吐き気がこみ上げてくる。だがそれをも堪えた紅蘭はかなり慌てた調子で、
「ウチ、どのくらい気を失ってました?」
「まだ半日も経っていません。演習があった日の夜。もう夜の十一時過ぎになります」
新次郎はそう答えつつも「まだ寝ていなきゃダメですよ」と強い口調で寝かせようとする。
そして彼はどこからか持ってきた吸い飲みを差し出した。自分を心配しているのがよく判った紅蘭は素直に身体の力を抜き、差し出された吸い飲みに口をつけた。
水を飲む事で気が休まったのだろう。さっきよりはよほど落ち着いた様子で、
「新次郎はんこそ大丈夫ですか?」
「ええ。まだ頭の中がぼんやりと痺れた感じがありますが、大丈夫です」
素直なのか元気とアピールしたいのか、今一つ判らない新次郎の言葉。
「それに、このくらいでへばっていたら、一郎叔父に笑われます。でっかい男にもなれません」
その新次郎の照れくさそうな笑顔は、彼女を心配させまいと思っての事だという事がよく伝わってきた。
「大神はん達は?」
「そうでした」と新次郎は前置きすると、彼女の問いに答える。
「皆さんは今作戦指令室にいます。紅蘭さんの光武で集めたデータの分析をしている筈です。そろそろデータがまとまる頃じゃないでしょうか」
飛行機でいうフライト・レコーダーに相当するものはどの機体にも搭載されているが、紅蘭の物はそれに加えて周辺環境に関するデータも記録されているのだ。
紅蘭は「そうか」と一息つくと、鋭い真剣な眼差しで新次郎を見つめると、
「……ウチをそこに連れて行って欲しい言うたら、怒りますか?」


その頃作戦指令室には、グラン・マ、サニーサイド、大神、ジャン。秘書のメルとシーの姿があった。
「これが、あの人型蒸気のデータ、ですか……」
スクリーンに映し出される無数の数字の羅列。大神にはこれだけでは何が何やらさっぱりである。
しかし、ジャンもメカニックにかけては掛け値なしのプロフェッショナル。皆に判りやすい言葉を選んで説明していく。
「つまり、あのアスピレイが行っている霊的攻撃は、ものすごく危険で効率が悪いって事だ」
などといきなり結論から話されても判らないのだが、それでもジャンは数字を指し示しながら、
「華撃団の連中が行う霊的攻撃の場合、その源の霊力は操縦者自身から出ている。まぁ周囲の霊力を吸収する例も何例かあるがな」
それでもやはりよく判らないが、とりあえず他の人間は彼の発言を遮る事なく黙って聞き手に回る。
「華撃団が霊的攻撃を行った時はその霊力は周囲に溶け込み、やがて自然に帰る。そして自然に宿るエネルギーを吸収して使った人間の霊力を回復する。そういうサイクルになってるんだ」
霊力に関しては素人同然のジャンではあるが、華撃団と関わるうちにそうした知識が自然と身についているのだ。
「だが。このアスピレイが行ってるものにはそのサイクルがない。霊力をありったけ吸収してはブッ放すだけだ。自然に帰らない」
「そうすると、どうなるんだい?」
そこで初めてサニーサイドが口を挟む。ジャンはもったいつけたかのように一瞬だけ黙ると、
「大地のエネルギーが少なくなるな。それは土地の滋養分などにも直結しているから痩せた土、もしくは枯れた土になる事は間違いない」
「それに、一か所だけで少なくなるって事は、他とのバランスが悪くなるって事でもある。それが良い状態の訳がない」
じっと黙って考えていた大神も真剣な顔で発言する。ジャンもより一層真剣な顔つきになり、
「この数値が示しているのは、アスピレイのエネルギー吸収の効率なんだが、この通り非常に悪い」
スクリーンの一画を指示棒で往復させる。だが「悪い」と言われても一同にはよく判らない。
「アスピレイの霊力攻撃の威力は華撃団の連中の四割くらいだったんだが、もし華撃団と同等の威力を持つ霊力攻撃をやろうとしたら吸収に時間がかかる上、たった一回で半径数メートルの土は百年は使い物にならなくなる事請け合いだ」
「……じゃあもしこの町にアスピレイの大軍があったとして、一斉に霊力攻撃をしたとしたら」
「このパリじゃあらゆる植物が育たなくなるだろうな」
グラン・マの仮定にジャンが冷酷な結論を述べる。
そこで作戦指令室のドアが開いた。入って来たのは新次郎の肩を借りて立つ紅蘭だった。
『紅蘭、もう大丈夫なのか!?』
『はい。ご心配をおかけしました』
驚いて日本語になる大神に、周囲の手前もあって礼儀正しく頭を下げる紅蘭。それからスクリーンをちらりと見ると、
『アスピレイの分析と説明、どのくらい済んでますか?』
言ってから、自分が今翻訳機のヘッドフォンをしていない事に気づく。大神はジャンに頼まれて持って来ていた翻訳機を彼女に渡した。
「相変らず大したモンだな、嬢ちゃん。多分そいつのおかげで命拾いしたんだろうな」
「どういう事ですか、ジャン班長?」
おうむ返しに訊ねる大神。だが代わりに答えたのはグラン・マだった。
「紅蘭が気を失う直前に『鐘の音が』って言ってたと報告があってね。引っかかるものがあったんだよ」
グラン・マは持っていた本をしおりの部分で開き、会議用のテーブルに置いた。当然覗き込む一同。
しかし書かれているのはフランス語なので、紅蘭や新次郎には全く読めない。大神やサニーサイドはところどころ判る程度だ。
La cloche de chasse aux sorcieres。
グラン・マの指が指し示したのはそんな単語だった。隣にある挿し絵には、教会の鐘が描かれている。
「中世のヨーロッパで魔女狩りっていうものがあった事くらいは、日本人でも知ってるだろうね?」
大神や新次郎の目を見てグラン・マが訊ねる。さすがに軍人になるために高い教育を受けた二人。詳細は知らなくとも魔女狩りの名前くらいは知っていた。
「魔女と云われた人間の半分は無実の人間で、もう半分はただの霊力の持ち主だったと言われている。その霊力がこの鐘の音に共鳴するらしい」
魔女狩りが広く行われていた中世。その魔女=霊力の持ち主を特定するために作られたと言われている、言うなればまさにその名の通りの「魔女狩りの鐘」である。
文献曰く、霊力があればあるほどこの鐘の音に強く共鳴し、霊力者の精神を激しく揺さぶって意識を失わせてしまうという。過去霊力が強すぎて精神を崩壊させた者、果ては死亡した者までいたらしい。
霊力という物の存在が知られるようになった事もあり、現在では総て破壊されて残っていない筈なのだが。
「もしこの鐘がまだ破壊されずに残っていたとするならば、今回の事は全部説明がついちまう」
確かに高い霊力を持つ華撃団のメンバーがそんな鐘の音を聞いたとしたら、狂ったような悲鳴を上げて意識を失ったとしても何の不思議もない。
だが近くにはそんな鐘などなかった筈だ。強いて挙げればチラリと遠くに見えた教会の尖塔くらいだ。
距離にすれば約二キロ弱といったところだろう。だが遮る物が何もないのだから、草原まで音が届く可能性はある。
新次郎の手を借りて座った紅蘭が、再び勢いよく立ち上がった。ところがその拍子にくらりと倒れかけ、慌てて新次郎と大神に支えられる。
「これは仮説ですけど、もしその村の教会にその鐘があったとしたら、風向きによっては充分届くんやないですか?」
紅蘭の発言でグラン・マはピンと来たらしい。
「なぁ、グラン・マはん。巴里華撃団の演習の時と、ウチらの演習の時の気象状況。記録してありますか?」
グラン・マはシーに急いで記録を持ってくるよう命じる。
「確かに、霊力を持つ人間だけに影響を及ぼすって言うんなら、メルくんだけ具合が悪いのも説明がつくな」
大神も妙に納得する。華撃団の隊員になれるレベルではないが、メルにも霊力がある事を大神は知っているからだ。
「言われてみれば、小さく鐘の音のようなものが聞こえた気がします」
あまり自信がなさそうだが、メルはハッキリとそう答える。
そして届いた気象状況を分析したところ、紅蘭の仮説を確実に裏付けるものだった。彼らが悲鳴を上げたその時、その村から演習場に向けて強い風が吹いていたのだ。しかも大神達の時には急に風向きが変わっている。
大神も新次郎も紅蘭も、華撃団の中ではそれほど高い霊力の持ち主ではない。おまけに風向きが変わった事で音が届きにくくなり、音を聞いていた時間が短かくなった事が幸いしたのだ。
加えて翻訳機のヘッドフォンをしていた事で音が遮断され、効き目が弱まった事も証明されたのだ。
そこで外部から通信が入った。それに出たグラン・マがしばらく話し込んだ後、通信を切ってこう言った。
「招待状が届いたよ。もう一戦やってくれとさ。十日後に」

<後編につづく>


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