『暗殺! 12時32分 伍』
ルネ司祭が深々と頭を垂れる。同時に周囲のローブ姿の人間達も深く頭を垂れる。サジータも何となくつられて頭を下げた。
途端に周囲の気配が一変した。何か張りつめていたようなものがすうっと消えていく感覚。緊張感が溶けて開放感溢れる空気。そういったものが辺りを包んでいくのが判る。
バロム・サンディーらしい気配はもう感じない。儀式が終わったのだろう。周囲を取り囲んでいた人々はそれぞれに鈴や太鼓を床に置いて弾んだ息を整えている。
それを確認したかのように、サジータは車椅子の背もたれに身を預けた。
「儀式は終わりました。かなり急ぎましたが、お身体の方は如何ですか」
「は、はい。さっきまでと比べればだいぶ楽に……」
司祭への返答中、サジータの心臓が急に大きく脈打った。一瞬大きく膨らんだ心臓が全身を内側から押し潰すのではないかと錯覚する程に。
(何だ、今のは!?)
思わず心臓を押さえて自問してみるが判る訳もなし。これが儀式の影響なのかもしれないと思った程度だ。
「あなたの身体は約一時間、バロム・サンディーの加護を受け常人離れした身体能力を発揮できる事でしょう。ゲデッの事はどうかよろしくお願い致します」
彼女に向かって深々と日本人のように頭を下げる司祭。そんな習慣はないものの、真剣に頼んでいる事くらいは判る。そして、その気持ちとこの儀式に応えなければならない事も。
「判りました。有難うございます。ゲデッは私が必ず倒してみせます」
サジータは車椅子からようやく立ち上がる。
霊力回復の儀式と言っていたが、それだけではなかったようだ。
身体にたまった疲れや澱みのような物までいっぺんに吹き飛んでいるかのように調子がいい。それでいて周囲を流れる霊力はもちろんの事、身体の中を流れる血液や神経の電流の流れの一つ一つすら感じ取れるほど、五感の総てが研ぎに研ぎ澄まされていた。
その心臓も激しく脈打っているが、さっきほどではない。まるで「大暴れさせてくれ」とねだっているかのよう。
もちろんサジータもその「おねだり」を止めるつもりはない。マクンバを受けた借りを今日返してやる。そんな気迫が心身にみなぎっていた。
身体にみなぎる無限の力。まさしくそんなフレーズが今の彼女にはピッタリだった。
サジータは自分の腕時計を見る。十二時二十四分。ゲデッ出現予想時間まであと十分もない。
だが不思議と焦りはなかった。なぜか充分大丈夫だとすら思ってしまった。
「では、行きます」
彼女は何となく気合いを入れるために、後ろでまとめている髪を解いた。それはまるで解き放たれた力のようにふわりと舞い上がり、ゆっくりと下りる。それが合図だったかのように、サジータは部屋を飛び出した。
……まるでカートゥーンのように壁をぶち破って。


サジータは驚きのあまり声を上げる事すら忘れていた。
それもその筈。今彼女が走っているのはマンハッタン島南部に広がるニューヨーク湾。それも「海の上」だ。
日本のニンジャの秘術に「右足が沈む前に左足を出し、左足が沈む前に右足を出す」というのがあるらしいが、まさに彼女がやっているのがそれだった。
しかもスピードの方が尋常ではない。愛用のバイクに乗っている時に受ける風より遥かにきつい。それ以上のスピードが出ているのだ。生身の身体で。ただ普通に走っているだけなのに。
元々高い霊力を持った人間は(訓練次第で)普通以上の身体能力を発揮できるとはラチェットの弁だが、それに聖霊の加護が加わっているのだ。加護により常人離れした身体能力とは言っていたがこれほどとは思わなかった。まるでマンガに出てくる超人である。
「な、なんてメチャクチャな!?」
おまけに今走っている方角は、彼女が行きたい方角とは正反対。足を突っ張ってブレーキをかけると、そのまま正反対の方へ向かって駆け出した。これっぽっちも海に沈む事なく。
そんな状態でも彼女は冷静にこの状況を分析していた。このスピードで街の中を走る訳にはいかない、と。もしそんな事をしたらサジータ『が』車を跳ねてしまうのは間違いない。
海から陸地へ上がった瞬間、彼女は思い切り地面を蹴った。当然その身体は舞い上がる。街灯より高く、塀よりも高く、そして――ビルよりもさらに高く!
まるで鳥にでもなったよう。そびえ立つ紐育の摩天楼が遥か眼下に広がっている。
上からの紐育の街並みに一瞬見愡れてしまうサジータ。だが事態はそんな悠長ではない。
急がないと。自分が持つ情報を伝えないとゲデッが人を殺めてしまう。自分は一介の弁護士に過ぎないが、これ以上人に死なれるのは勘弁ならなかった。
ちょうど落下点にあった給水塔を蹴り、さらに遠くへ飛ぶ。加速がついていた事もあり、遥か遠くのビルの屋上に着地。直後そこを蹴って飛ぶ。そうしてビルからビルを飛石のように飛び跳ねてリトルリップ・シアターへ急いだ。
時折下から「何だあれは!?」と騒ぐ声がかすかに聞こえるが、そんなのに構っている余裕は残念ながらない。見たければ勝手に見ればいい。どうせこの高さだ。バレはしない。
そうしているうちにリトルリップ・シアターの特徴的な建物が見えてきた。雑居ビルを出てからまだ五分と経っていない。
車でも十五分以上かかる距離をたったの五分。それも走って。「常人離れした身体能力」様様である。
これなら毎日、少なくとも紐育華撃団として戦う時は毎回飲みたい。サジータは真剣にそう思った。
最後の一蹴り、と言わんばかりにビルの屋根を蹴ってより高々と飛ぶ。そして二六一メートルもあるシアターのビルの屋上に軽やかに着地を決めた。その時点で時計を見る。十二時二十九分。
周囲にゲデッらしい存在は確認できない。ギリギリで間に合ったようだ。
リトルリップ・シアターのオーナーであるマイケル・サニーサイドの部屋はこの屋上庭園の中にあるのだ。彼の趣味である純日本式の庭園を「壊さないように」そろそろと歩を進め、支配人室のドアをノックする。
数秒も経たぬうちにドアが開き、出迎えたラチェットが目を丸くして驚いている。ヴードゥーの儀式を受けてこうなっている事が判っていないのだから無理もない。今の彼女には人間離れした霊力を抱え込んでいるとしか見えないのだから。
「訳は後で話す。あのメガネはどこにいる?」
あのメガネとは随分な言い方であるが、インチキスーツと呼び捨てた事もあるので、この程度なら本人が聞いてもなんとも思わないだろう。
「ああ、ここにいるよ」
ラチェットの後ろに当の本人が立っている。しかもメガネを微妙に手で上下に揺らしながら。人をおちょくっているとしか思えないこの態度に、さすがのサジータも「放っておくべきだったか」と真剣に考えた。
「だいたいの経緯はみんなから聞いている。この名刺のおかげでそんな事件が起きていたなんてねぇ」
スーツのポケットから取り出してみせたのは件の名刺。彼女は慌てて怒鳴りつける。
「捨てろ今すぐ! 死にたくなけりゃあな!」
サニーサイドはわざとらしく首をかしげる仕草をすると、
「そう言われてもねぇ。こういう名刺のやりとりというのは社交上の立派なマナーもあるんだ。ぞんざいに扱うなんてマナー違反な真似、ちょっとできないなぁ」
飄々とした答えが返ってくるとは思っていたが、本当に返ってくるとかえって面喰らうものだ。
「それに君達ならその死神みたいなヤツを必ず倒してくれると、信じているからね」
それはサニーサイドの本心に間違いはないのだが、普段から飄々とした人間に言われても、説得力がない。もう何を言っても無駄だし時間がない。サジータは彼を押し退けるようにして部屋に入る。
部屋の中ではリカと新次郎が周囲をきょろきょろと見回していた。一応警戒はしているようである。二人はサジータを見ると駆け寄ってきた。
「サジータさん、間に合って良かった!」
ほっと胸をなで下ろす新次郎は日本刀を持っている。聞けばこの部屋に飾ってあったものらしい。さすがに新次郎の自宅に寄る時間はなかったようだ。
「頼むよ大河くん。それは何でも『ビゼンオサフネ』とかいう有名な刀らしいからね。もし壊したら君の一生分の給料でも弁償できないよ」
え〜、と露骨に文句を言いたそうな新次郎は鞘から半分ほど抜いてみる。さすがに見ただけでそうだと判るほどの鑑定眼は持っていないが、それでも一流の名刀である事くらいは判った。
「サジータ、だいじょーぶなのか?」
「ああ。心配かけたな、リカ」
さっきと全く違う気力に満ち溢れた笑顔に、リカも何度もうなづいて納得している。
「さ。おいでなすったよ……」
サジータが何もない空間を睨みつける。溢れんばかりの霊力が、まだ遠くにいるゲデッの存在に気づいたのだ。
「いいか! 方法は何でもいい。あいつに三回攻撃を当てればいい。一人一回は攻撃を当てろ。それでカタがつく。そう聞いてる」
「判りました!」
「おまかせてくれたまえ!」
新次郎とリカの声が重なる。
「それから二人はあたしの後ろに。ラチェットは一応そいつを頼む」
「はいはい」
ラチェットも余計なやりとりをするつもりはないらしい。さすがのサニーサイドも茶々を入れてくる事はなかった。
「……なにかいる!」
リカが自分のガンベルトから金の銃と銀の銃を取り出して銃口を向ける。サジータももうこの場に来ている事を察している。
だがまだ姿を現していない。まだ教えられた言葉を唱えるのは早いだろう。
それからきっかり三秒後、ゲデッは唐突に姿を見せた。初めて会った時と全く同じ、黒い山高帽と燕尾服を纏った青白い骸骨の姿で。気味の悪い殺気や圧迫感を感じるオーラもそのままだ。
そこでサジータがありったけの声で怒鳴るように、教えられた言葉を唱えた。
「永遠の交差点よりギニアへ向かえ!!」
何と。その言葉だけでゲデッはビクリと身を震わせた。大声に驚いたのとは明らかに違う反応だ。
初めてゲデッの姿を見るリカと新次郎は一瞬身が竦んでしまったが、ラチェットから話だけは聞いていたのですぐさま行動に移った。
まずリカが両手の銃を撃つ。一発目と二発目は目から這い出した蛇にくわえられたが、三発目がゲデッの胸に命中した。
すると、昨日のラチェットの時とは違い、明らかにゲデッは悶え苦しんでいた。胸を押さえてその場にガクリとくず折れる。
どうやら火に弱いゲデッが火の加護を受けている霊力を持つリカの銃弾で大きなダメージを受けたのは間違いない。
それからゲデッにより近い新次郎が、刀を抜かずにゲデッに駆け寄る。サジータは慌てて、
「新次郎! とどめはあたしにやらせろ!」
「判ってます!」
マクンバにやられた借りを自分の手で返したい。その気持ちは新次郎も理解していた。
「はああああっ!!」
新次郎は刀を抜くと同時にゲデッに刃を叩きつけた。裂帛の居合いである。その刀に自身の霊力を込めたのか、刃が白銀色の輝きを放っている。
ゲデッの胴体に同じ色の線がクッキリと浮かび上がった。斬られた事が意外なのか、その身をガタガタと震わせている。
間違いなく二人の攻撃が効いている。サジータは心の中でルネ司祭にありったけの感謝の言葉を述べていた。
あとは自分の借りと霊力とバロム・サンディーの加護の総てを、この化物に叩きつけてやる番だ。
「覚悟しな死神野郎!」
サジータが拳を振り上げたその時、
“判った。ギニアへ帰るとしよう”
そんな声が彼女の耳に飛び込んできた。聞き覚えがあるようなないようなその声。明らかにこの場の人間が発したものではない。という事は――
ゲデッが頭の山高帽を脱ぎ、胸元に当てて深々とおじぎをすると、その姿が足元からすうっと消えていき、気配と共に完全に姿を消した。
その様子はステージを去る魔術師のようであった。
「……終わった、の?」
ぽかんとゲデッが消える様子を見ていたラチェットが、たっぷり三十秒は経ってから、ぽつりと呟いた。効かないと判っていてもとりあえず構えていたナイフをようやく下ろす。
「いなくなったぞ、あいつ」
「良かった。無事倒せたんですね」
リカと新次郎がサジータの元にやってくる。ラチェットも「ご苦労様」と言いたげに彼女の肩をポンと叩いた。
「………………待てよオイ」
まるで腹の底から絞り出したかのようなサジータの声。それには明らかに不満や恨みが込められていた。
「司祭は『三回以上触れてあの言葉を言えばいい』って言ってたんだぞ? 順番はどうでもいいって言ったんだぞ? 何で二回で消えるんだよぉぉぉ!!!」
自分でとどめを刺せなかった悔しさが、一気に手近の新次郎にぶつけられた。彼は胸ぐらを掴み上がられ、激しくガクガク揺さぶられている。
だがそんな事を言われても、新次郎に答えられる訳がない。そんな事すら今の彼女の頭にはない。
あれだけ仰々しい儀式をしてもらい、時間制限付とはいえ莫大な霊力と身体能力を得て、彼女がやったのはただのメッセンジャー。文字通り言葉を伝えただけである。
そんな肩すかしの空回りで事件が終わってしまうなど、許されるのだろうか。
否。今のサジータの心境はその一言で総て表現できる。
「……訴えてやるぅぅぅぅぅっ!!!」
だから彼女の魂からの叫びが部屋に轟いた。


それから数日後。リトルリップ・シアター。
その入口でリカにバッタリ会ったルネ司祭は、彼女の背に合わせてしゃがみ込むと、
「どうやらゲデッを無事に帰せたようですね。有難うございました」
「リカ一発当てただけだぞ。とどめを刺したのはしんじろーだ」
まるで自分が為したかのように胸を張るリカ。無論彼女の放った銃弾もそれに一役買っているのだ。胸を張るに値する行為である。
「アレ、なんだったんだ? サジータすっごく怒ってた」
自分の何倍も年上の人間に対してあまりに礼儀がない言い方だが、リカはまだまだ子供でしかない。司祭はそんな事を気にもせずに、
「怒っていた?」
「リカとしんじろーの攻撃だけで、アレ消えちゃった」
そう前置きすると、まるでその時の再現のような説明が始まった。
リカの当時の状況の説明――ほとんど身ぶり手ぶりと擬音しかないので、判りやすいようなサッパリ判らないようなものだったが、司祭は我慢強く聞いていた。
私が倒すと息巻いて飛び出して行ったにもかかわらず、自分が攻撃する前に消えてしまった。それでとても怒っている。そう結論づけた。
それには司祭も疑問を感じずにはいられなかった。
ゲデッを帰すには三度以上触れる必要がある筈。それに例外はない。だが現実には二回しか触れていないのに姿を消してしまったという。
あり得る可能性を考えるなら、二人が触れる前に誰かがゲデッに触れている事だ。
「……もしや。あれも『触れる』回数に入っていたのでは?」
彼の脳裏に浮かんだのは、サジータが運ばれた病室での出来事。
彼女は間違いなくゲデッに殴りかかっている。霊力が伴わない攻撃だったので、結果としてはすり抜けてしまって何のダメージも与えていなかったが、すり抜けたという事は触れているという事。あれでも良かったのだろう。
順番も間隔も霊力の有無も関係ない。ただ三度以上触れ言葉を唱えるだけでいい。
四十年以上ヴードゥーの司祭をやっているが、それは彼も知らなかった新しい発見である。
彼は一人で納得したようにうんうんとうなづくと、ふと気づいたようにリカに訊ねた。
「ワインバーグ弁護士は、今日は来ていないのかな」
「サジータか? 今日は休みだぞ。昨日も休みだった」
劇団員のプライベートをこうも簡単にバラしていいものかどうか。そんな事を考えていないのか、はたまた子供なのか。
即答してきたリカに、さすがの司祭も苦笑いを浮かべた。


その頃。ワインバーグ法律事務所では。
事務所の主であるサジータ・ワインバーグは、警察から分けてもらった今回の事件の資料の写しを眺めていた。
今回の犯人はヴードゥーの司祭ジャマックス・プレヴァル。
彼が経営しているヴードゥーのお守りや人形を売っている店の売上が落ち続けていた。
そんな状況をパトロンであるヘンリー・ハーリマンは嘆いていたらしく「このままでは出資を止めなければならない」と周囲の人間に漏らしていたという。
売上が落ちているとはいえ、出資を止められたい筈がない。動機はおそらくそれだろう。
脅すだけで済ませるつもりだったのか。本当に殺すつもりだったのか。司祭が死んだ今となっては誰にも判らない。
そういった理由で儀式を行うのはもちろんヴードゥーのルール違反。それを罰するためにルネ司祭が動いていたという事だ。
事件のきっかけなどそんなものだ。サジータはやるせないため息を一つつくと、キッチンに向かって、
「新次郎。メシ」
「ハ、ハイ、ただいま〜」
間髪入れない裏返った返答で、新次郎はサジータの部屋に来た。
両手で大事そうに持っているトレイには、丼のような器に入ったチトリンズ(豚のモツ煮込み)の山盛りが。それとパンとコーヒーが乗っている。
近所に住むサジータの顔見知りに聞いて、新次郎が作ったものである。
彼も男だけに料理はあまり得意ではないものの、それでも「鍋やフライパンを使うのが苦手」と称するサジータよりは遥かにマシな腕前である。
そのサジータはベッドから上半身を起こしたままで読んでいた書類をわきに置くと、それをトレイごと受け取ってそのままももの上に置いて片手でパンを頬張り出す。
行儀が悪い。だらしがないと言われそうだが仕方ない。これが今の彼女の精一杯なのだ。
数日前のヴードゥーの儀式で超人的な身体能力を(時間制限付きだが)得たサジータではあるが、当然その代償も大きかった。人間には過ぎた力だったのだろう。
儀式を終えてからキッカリ一時間経つと全身の筋肉が急激にこわばり出し、激しい痛みと共に指先一本表情一つ動かす事ができなくなってしまったのだ。簡単に言えば極度の筋肉痛である。
丸二日ほど完全介護の病院に入院させられ、今朝ようやく自宅に戻ってきたのだ。それでもまだまだ動きは鈍く、百才を越えた老人のようなカクカクとした動きしかできていない。
だが、これが彼女の大活躍で敵を撃破した代償ならば良かった。単に車で十五分の距離を五分足らずで――しかも生身で――駆けつけてメッセージを伝えただけでは、不相応な代償と言わざるを得ない。
そういう訳で、あの液体を戦う時は毎回飲みたいというその考えはすぐさま撤回した。
だから好物たるソウル・フードを食べていても不機嫌さ全開の表情なのである。その表情のまま、
「ああ。あと部屋の掃除と片づけも」
「ええっ。何でそこまで……」
言いかけた新次郎は、サジータの殺気溢れる目で睨まれると、即「やらせて戴きます」と小声で承諾してしまった。
自分がとどめを刺すと言ったのに、結果として新次郎がとどめを刺した形になった事を、未だに根に持っているのである。
確かに手柄を他人に持って行かれるのは良い気分はしないだろう。だが人の生き死にがかかった戦いだったのである。そんな悠長に段取りを守る余裕などありはしない。
だが今のサジータにそんな正論や理屈が判ろう筈もない。そのため今日の新次郎は彼女の家政「夫」である。
これ以上怒りの矛先が向いてはかなわない。新次郎は少しでも彼女の機嫌を取ろうと、
「あ、でも。サジータさんの事……新聞でも取り上げてましたよ、ほら」
そう言って彼が広げて見せたのは新聞の一面である。
“天空を駆ける謎の人物。その正体は!?”
と堂々たる見出しと荒い写真が掲載されている。
その写真は広告飛行船からたまたま撮影されたものらしく、少しピントが合っていない。風になびく長い黒髪と黒い背広姿の人物という事しか判らないものだ。
しかし新次郎にはそれがサジータだという事が一目瞭然だった。おそらく紐育華撃団の人間は全員彼女だと判るだろう。
確かにその写真はまさしく人々が憧れるヒーロー像そのものであるが、実際やった事はただの伝言係。むしろこう大げさに取り上げられるとあまりのギャップによる申し訳なさで胸が一杯になる。
彼女はより一層不機嫌さ全開の顔で、こう呟いた。
「だから嬉しくないんだよ、こんなの」

<暗殺! 12時32分 終わり>


あとがき

「暗殺! 12時32分」いかがだったでしょうか。一応サジータさんのお話をイメージしたのですが。
その割に報われてませんね。まぁ主役だからやる事なす事イイ方向にばかり行くとは限りますまい。主役ってのは「そのお話の中心人物」であるべき、と思ってますから。幸せにならなきゃならない決まりはない。
「1」の頃からサクラ大戦を知っている方なら多分判るであろう「ヴードゥー」。南北戦争の下りはサクラ大戦の公式設定です。はい。せっかく舞台がアメリカ大陸なんだから、この設定を使わないテはない。
一応は調べてから書いてますけど、ヴードゥー関連の用語は微妙に変えました。儀式のやり方も想像です。
けど、ブードゥーってのはホントにあんな感じの宗教です。呪いとかゾンビとかのイメージが先行し過ぎて怖いイメージがあるだけです。一説にはアメリカがわざとそういう演出で「ヴードゥーは怖いもの」というイメージを植えつけたとか何とか。
余談ですが、劇中では呪殺魔法である「マクンバ」は、元々はヴードゥーと同じく宗教の名前です。アフリカ発祥の土着の宗教が違う進化を遂げ、一つはヴードゥーにもう一つがマクンバになったといえば判るでしょうか。やってる事は似てますがね。

今回のタイトルは1963年公開の「暗殺! 5時12分」というアメリカの映画をもじらせて戴きました。かのマハトマ・ガンジー暗殺までの半日を描いたサスペンス映画です。
言うまでもない事ですが、この話との関連性は一切ございません。あしからず。

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