『九月十三夜の劇場 後編』
無人の事務局から、こつ然と煙のように姿を消してしまった一升瓶。
この場の全員が脳みそをフル回転させていた。
何か見落としている点はないか。皆の思考はその一点に集中していた。
そんな時だった。
「ん?」
ふいに加山が顔を上げた。
「今、何か物音がしなかったか?」
「物音?」
大神が聞き返すと、加山が聞こえた音を思い出しながら、
「ああ。何か『ガシャ』とか……。副司令は聞こえました?」
「さあ。他のみんなは?」
かえでが他の面々に聞くが、全員首を振る。
「気のせいじゃないのか、加山」
「そうだといいんだが……」
何かに納得していない様子で、再び考えに没頭する加山。
「それはともかく、一升瓶がなくなった事だけは確かです」
気持ちを切り替えるように加山が言った。
「こうした状況の調べ物の基本は、以前との違いを見つける事です。どんな些細な事でも」
加山はかすみと椿の方を向き、
「二人とも。この事務局内で、出る前と比べて、何か変わった事はありませんか? どんな小さな事でも結構です」
しかし、いくら事務局が仕事場といえども、そんな細かいところまで逐一記憶している訳ではない。二人とも困った顔で黙り込んでしまう。
「加山君。いくら何でも、二人にそこまでの記憶力を求めないで。彼女達はあなた達とは違うんだから」
かえでにたしなめられるが、加山も少々無茶を言っている事は自覚している。
情報収集や潜入任務を担当する月組の名にかけて、何かを見つける。加山は普段の任務以上に使命感に燃えていた。
「あの……支配人。お酒は一体どうされるんですか? これがもし盗難なら、届け出るなり、代わりの物を持ってきてもらうなり……」
おずおずと大神が米田に進言する。しかし彼は渋い顔のまま、
「酒瓶一つで警察の厄介になるってのはなぁ」
そうしたいがそうできない。そんな矛盾を含んだ困り顔で答える。
「酒瓶一つだろうと、立派な盗難です。届け出た方がよろしいのでは?」
大神はいたって真面目な顔でそう言うが、
「大神よぉ。俺もそうしてぇのはやまやまだが、まだ盗難と決まった訳じゃねえし……」
「ですけど……」
「そんな事したら、明日の朝刊にでかでかと載っちまうだろ。そいつは、いくら何でもみっともねえぜ」
今やこの大帝國劇場は、帝都でも有名な名所の一つだ。そこで、酒瓶一つで上を下への大騒ぎという事態を漏らしたくない、という米田の考えも判らないでもない。
「では、酒屋さんに連絡をして、代わりのお酒を持ってきてもらいますか?」
今度はかすみが米田に進言するが、
「だが、向こうさんのご好意で薦めてくれた物を『なくしました』ってのは、ちと体裁が悪すぎらぁ」
何か言いたそうな大神をなだめるような目で見ると、さらに続けた。
「この人間社会ってのは、そうしたもんで成り立っているんだ。大神の言う通り、悪事を罰するのは大事だが、それが総てじゃねえ」
そのたわいない言葉に重みを感じるのは、数々の修羅場をくぐり抜けた歴戦の軍人の言葉だからだろうか。
「もう少し探してみるとしよう。かすみと椿は、もう少し事務局の中を探してみてくれ。大神と加山とかえで君は劇場の中を手分けしてあたってくれ」
米田がテキパキと指示を出す。
「くれぐれも、おおごとにならねえようにな」
「了解しました」
一同の声が綺麗に揃った。が、その直後大神が、
「ところで、支配人は何を?」
「俺か? 俺は……支配人室にいなきゃならねえ。いわば司令基地よ。基地があちこち動く訳にゃいかねえだろ」
その答えになるほどと納得しかける。だが、そこでかえでが、
「それにかこつけて、支配人室で一杯……というのはダメですよ」
と釘を刺す。それを聞いて、かすみと椿もひややかな目で米田を睨んだ。
「……判った」
さすがの米田も、承諾するしか選択肢がなかった。


三十分後。劇場内を探していた三人が事務局に戻ってくる。
食堂に詰めているスタッフや、舞台の方でセットの手直しをしていた職人達にも聞いてみたが、そういった物は見ていないそうで、さらに「酒があるんならこっちが欲しいくらいだ」と言われたほどだ。
事務局の方は、覚え書き(メモ帳)の束から、一枚だけ破り取られているのが見つかっただけだ。
これにはかすみも椿も破った覚えがないと言う。
その覚え書きの束を加山が手に取り、じっと見つめている。
「何か判るの、加山君?」
かえでが小声で尋ねる。加山は何も書かれていない覚え書きのページをじっと見ているだけだ。
「いえ。この上で物を書いた跡があれば、何かの手がかりになると思ったのですが……」
加山は首を振って覚え書きを机に置いた。
「どうでえ。何か判ったか?」
米田が事務局に入ってくる。しかし、全員の沈黙から答えを察したようで、さすがの彼も落胆の色を隠せない。
「困ったもんだな、こいつは」
頭をかいて舌打ちする米田に、
「仕方ないですね。酒屋さんに事情を話して、新しいお酒を持ってきてもらいましょう」
どことなく疲れた顔でため息をつくかえで。
「でも、一升瓶だけがなくなっていたって事は、犯人の目的は一升瓶って事でしょうか?」
「そう考えざるを得んだろうな」
腕組みして考えている大神の呟きを米田が肯定する。
物事から、あり得ない物を総て取り去った後に残った物は、どんなに不可思議な物であっても、それが真実である。
「一升瓶を持って行ったって事は、お酒泥棒ですよね? やっぱり事件ですよ、これ」
椿が不可解だと言いたそうな顔で大神に尋ねる。
彼女の気持ちも判る。いつも事務局に酒瓶が置いてあるのであれば、そっと忍び込んでそれを盗んで行くという事もあり得るだろう。
だが、今回事務局に酒瓶があったのは、あくまでも突発的な事態。偶然である。
「ですが、どんなにいい日本酒でも、そこまでして持って行く程の価値があるものでしょうか?」
大神が米田に尋ねてみる。しかし米田は首をかしげただけだ。
「それに、お酒が欲しさに忍び込んだのなら、始めから食堂か厨房の方へ行くんじゃないでしょうか?」
椿がそう言うと、大神は、今まで思っていた事を語り出した。
「もし万一、事務局に泥棒が入ったとしても、どこも荒らさずに一升瓶だけ持って行ったというのは、やっぱり不自然だと思うんです」
「だが大神。帝劇に盗みに入ったはいいが、めぼしい物はない。それで一升瓶を持って行ったという推理もあるぞ」
大神の意見に加山が口を挟む。それを聞いた彼もう〜んとうなって黙ってしまう。
「でも、さっき支配人がおっしゃったように、昼間から人のいる建物に泥棒って入りますかね?」
椿の言葉に、大神と加山もうなってしまう。
「普段事務局にない一升瓶だけを持って行ったという事は……そこにそれがある事を知っていた人物が犯人」
その考えを受けて、かえでが推理小説の名探偵にでもなったように、皆に言い聞かせるように話す。
「しかも、ほんの短時間で目撃者もいない事から考えると、迷わず持って行っていると考えていいでしょうね。とにかく、内部の事情に詳しい人物の可能性が大」
皆かえでの推理をうなづきながら聞いている。
「事務局に日本酒がある事に気づき、潜伏。二人が出た隙に事務局へ侵入。そして一升瓶を持って脱出、という事ですか?」
加山の話にかえではうなづいてみせた。
「確かに一升瓶だけ持って行ったというのは奇妙ですけど、もう、そうとしか考えられないと思います」
かえでの視線が米田に向く。結論を出してほしいと言いたそうな目だ。彼も少しばかりうなって考え込んでいたが、
「酒泥棒って線かぁ。もしくは……」
米田が何か閃いたようにかすみと椿を見ると、
「俺に酒を飲ませまいとして、てめえ達が一芝居打ってんじゃねえだろうな!?」
米田が二人をビシッと指差した。
「そんな。あたし達、そんな事してませんよ、支配人」
椿が困り果てた様子で意見する。
「そうですよ、支配人」
かすみも椿の意見に同調する。
「飲ませまいとするのなら、始めからお酒を受け取らずに、酒屋さんを追い返しますよ」
すました顔で、さらりと怖い事を言ってのけたかすみを見て、米田の表情が少しこわばった。
そのすました顔に何か感じるものがあったらしく、米田も黙ってしまった。
「あれ? 皆さん、何してるんですか?」
いきなり聞こえてきた女性の声に、一同が振り向いた。
「由里!?」
そこにいたのは、この大帝國劇場の受付担当の榊原由里だった。かすみと椿、そしてこの由里の三人を称して「帝劇三人娘」と呼ぶ隠れたファンも多い。
「今日、確かみんなでお月見するんですよね。そこのお団子屋さんでこれ、買ってきたんですけど」
「それどころじゃないんです、由里さん。大事件なんです」
お団子屋の包みを見せる由里に、椿がおろおろと慌てた感じで説明を始める。
「今日ここに届く筈だった支配人のお酒が、こつ然と消えちゃったんですぅ〜」
すると由里は「落ち着いて」と言いたそうに手を出して彼女を制すると、
「大丈夫。全部判ってるから。ほら、入って」
由里は首だけ廊下に出して誰かを呼んだ。
「ほら、早く。みんな待ってるのよ」
その急かした口調に負けておずおずと入ってきたのは、さっきの酒屋のご用聞きだった。
手には一升瓶を抱えて、自分を見つめる無言の迫力に完全に飲まれている。
「あ、あの……」
一同がずらりと揃っている迫力に負けたのだろう。それ以上は口をぱくぱくとさせるのみで言葉にならなかった。
「あ、あたしが説明するわね」
見かねた由里が割って入る。
「さっき、この人が事務局にお酒、届けにきたわよね?」
「ええ。そうですけど……」
かすみと椿は顔を見合わせてうなづきあっている。
「その時にこの人。お酒の銘柄間違えたんだって」
その一言に、一同の顔から緊張感が消える。
「配達中にそれに気がついて、急いで引き返して、事務局からお酒を持ち出したって訳なのよ」
「それで、そこの覚え書きを、一枚破り取って、伝言を書いて、机の上に、置いたんですけど……」
恥ずかしそうに由里の後ろで小さくなるご用聞き。
「え? でも、俺達がさっき探した時には、そんな紙見なかったぞ?」
予想外の答えに大神がすっとんきょうな声をあげる。他の者も、声は出さないもののそうだそうだとうなづきあう。
「ん?」
その中で、加山だけが足元を見た。そのまましゃがんで、事務机の引き出しの下の隙間に手をそっと入れる。
「君。ひょっとして、これの事かい?」
加山がご用聞きに見せたのは、確かに大帝國劇場の刻印の入った覚え書きの一枚。
「注文のお酒を間違えて持ってきました。取り替えてきますので、しばらくお待ち下さい」と一筆書かれたものだった。
「おそらく、風で飛んでしまって、机の下に潜り込んでしまったのでしょう。気がつかない訳です」
そう言いながら加山が指差す先の窓は細く開いており、微かな風が事務局に入ってくる。その風で飛んで、事務机の下に潜り込んでしまったのだろう。
確かに探していたのは一升瓶。こうした机の下は意外な盲点になっていたのかもしれない。
「でも、酒屋からここまで十分もかからないでしょう? どうしてこんなに時間がかかったんですか?」
かすみがご用聞きに尋ねる。彼はさらに恥ずかしそうに顔をうつむかせると、
「実は、お酒を持ってきた時に、事務局では大騒ぎになってて、入りずらかったんですよ。どうしようかと迷っているところに、後ろから、由里さんに声をかけられまして……」
「それでびっくりして、お酒の瓶を落として割っちゃったのよ」
ごめんなさいと言いたそうな苦笑いを浮かべる由里。それを聞いた加山は、
「なるほど。さっき聞いた『何かが割れる音』は、それだったのか」
と一人納得する。
「それで、あたしも一緒にお店について行って、事情を話して、こうして戻ってきたんです」
そう締めくくると、持っていた小さい鞄の中から、二枚の紙切れを出した。
「これ、お酒とお団子の領収書です。お団子はともかく、お酒の方は『弁償』って事で、経費で落ちません?」
しかし、どちらの領収書にもしっかりと「大帝國劇場様」と書かれており、それを受け取った大神はため息をつく事となる。
その説明を黙って聞いていた米田は、椿をちらりと見ると小さく笑った。
「こいつは、とんだ大事件だぜ。なぁ、椿」
椿は真っ赤になってうつむいてしまった。
「全くですね」
かえでも吹き出し、それにつられて一同が笑い出した。
今の今まで「どこに消えた?」「犯人は誰だ?」と名探偵気取っていたのに、真相がこんなバカバカしい事だったとは。
「まぁ、こうして真相が判ったんだ。よかったじゃねえか」
ひとしきり笑ったあと、米田がご用聞きの肩をポンポンと叩く。
「できる事なら、とっとと持ってきて欲しかったけどな」
困った顔で注意する米田だが、その顔には笑顔が浮かんでいる。別に本心から怒っている訳ではない。
「これで、心置きなくお月見ができますね」
かえでもその笑顔を見て、満足そうに微笑んだ。
「よし! 今日はとことん飲むぞ。大神、加山。二人ともつき合え!」
「お、俺もですか?」
いきなり声をかけられた加山が、びっくりして自分を指差している。
「あたぼうよ。細かい事言うな」
それからご用聞きの方を向くと、
「ご用聞きの兄ちゃん。もう仕事は上がりなんだろ? せっかくだし、色々面倒かけちまった詫びだ。飲んでけ。俺が許す!」
米田は、一升瓶を抱えたままの彼の背中を押して中庭の方へ向かう。
ご用聞きは「ちょっと待って下さい」「親父さんに叱られます」と半分泣きそうになっているが、米田の方はお構いなしだ。
「支配人。まだ外は明るいですよ」
かすみの言う通り、ようやく日が暮れ始めた頃だ。月が出るのはもう少し先である。
「なぁに、細かい事は気にすんな。月が出るまでは、月見そばで我慢するさ。出前とっといてくれ」
かすみ達の方を振り向いた米田が、大笑いしながら言う。
「結局『花より団子』なんでしょうか?」
椿があきれ顔で米田を見つめている。
椿だけではない。他の面々も呆れつつも笑顔で彼の事を見つめている。しかし由里は大神に向かって、
「ところで、この領収書。経費で落ちません?」
「俺に聞かないでくれ。かすみ君か椿ちゃんにでも……」
とほほと嘆く大神は、それをかすみに手渡した。
「……酒屋に、『ご用聞きの人をお借りします』と連絡した方がいいんじゃないでしょうか?」
「そうね、加山君。済まないけど、すぐ酒屋まで行って……」
「大神、加山。何やってんだ。とっとときやがれ、このスットコドッコイ!」
かえでの言葉を遮って、すっかり上機嫌の米田の怒鳴り声が響いた。その声を聞いた彼女は、
「連絡は私がしておくわ。早く支配人のところへ行きなさい」
そう言って、大神と加山の二人の背中をポンと叩いた。
「かすみさん。これ、経費で落ちませんか?」
中庭へ向かう二人の後ろでは、何とかお金を浮かそうと必死になる由里の姿があった。


米田が酒を飲む時。それは、帝國華撃団としての職務がない時だ。
ひとたび帝都に事件が発生して、帝國華撃団総司令官として指揮をとる時は別だ。
酒はピタリと止めて「軍神」の二つ名に相応しい威厳と風格の人物へと様変わりする。
彼が酒を飲んでいるという事は、それだけ帝都が平和な証拠でもあるのだ。
「世の中が平和だから、酒も美味いんだよ。平和な帝都に乾杯、ってなモンよ」
今日も彼は帝都の平和を願って、酒を飲んでいるのかもしれない。

<九月十三夜の劇場 終わり>


あとがき

今回のタイトルの元ネタは『八月十五夜の茶屋』という1957年公開のアメリカ映画です。
あらすじは、米軍占領後の沖縄に、アメリカから民主主義を教えるため、一人の男が派遣されてきます。
民主主義によって物資が豊かになる、と喜んだ沖縄の人々は、彼を生き神様に祭り上げ……というコミカルなお話しです。無論この映画とこの話の因果関係は全くありません。
ホントはタイトル通りに「十五夜」に合わせたかったんですが、間に合いませんでした(泣)。
それで仕方なく一ヶ月遅れの十三夜に合わせた訳です。

今回は、以前書いた「少尉さんは暇がない」を練り直しました。
あの話の元々の狙いは『花組の八人よりもそれ以外の方々がメイン』。
前回はどうしても大神一人ではキツクなって、さくら君を出しました。
でも今回は完全に花組のメンバーは出てきません。花組以外の帝劇メンバー勢ぞろいと相成りました。
特に米田中将は出したかった。スーパー歌謡ショウ「新編・八犬伝」でついに歌謡ショウ初登場しましたし。
これまでは「出張中で不在」とか「電話なので声のみ」ばかりだったので、もう期待して待ってました。
それに触発されて「これは米田中将を出すしか!」と一念発起したのが今回の発端です。結果としては……随分とあっさり味なお話になってしまった気がしますが。
彼と酒は切っても切れない関係ですから、それをからませて……と、結構話のスジはすぐ決まったんですがね。
……伏線処理に手間取りました。思いっきり。


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