『三分半のVERGE』
「……今朝、懐かしい夢を見たの」
クレアが同僚に語ったのは、奇しくもクルツが同じ言葉を言ったのとちょうど同時だった。
「昔、今回と同じターゲットを狙った時に、それを阻止した凄腕スナイパーの夢よ」
「不吉な話だな。これから任務だというのに」
同僚はモニター越しに顔をしかめて見せた。
「まあ心配することはないだろう。失敗への不安がその男の形をとって夢に現れただけだ」
「そう……なのかしら」
「私にも覚えがある。まだ駆け出しの頃は、戦闘の前後には決まって射殺される悪夢を見たものだ」
「いや、そういうものではなくて」
「違うのか? なら、その男を射殺する夢か。これは縁起がいいな」
「そうね……」
クレアは沈黙した。自分と同僚の会話がまったく噛み合わない事に気付いたからだった。
そう、かつて敵対し、狙撃を阻止した怨敵クルツ・ウェーバーを夢に見るならば、その内容は決まっている。殺すか、殺されるか。憎み合うというのはそういうことだ。
だが、今朝の夢では彼女にもクルツにも憎しみはなかった。あるのは穏やかな好意。クルツの正体を知る前に、彼が見せていた陽気な青年の姿。
(不思議ね……これまで一度も夢に見ることなんてなかったのに)
今では、クルツの陽気さは冷徹さを隠すために作った偽りの姿だと知っている。だが――
『ここで踏みとどまってくれたらよかったのに』
あの言葉は偽りではないはずだ。その言葉を聞いた時、彼の心の深みにあるなにかにわずかに触れたような気がした。
だが、そのことを同僚に話しても詮無いことだ。あらぬ疑いをかけられる可能性もあった。
だから、クレアは通信を切り、ただじっと孤独に待ち続けた。狙撃に最適なタイミングの到来を。
そして、その時が来たら、クルツがまた邪魔をしに来るような気がした。何故だかは分からないが……それはつまり、再会できるということだ。それが喜ばしいことだとは思えないけれども。
クレアは一つの機械となったかのように、目の前の光景を眺め続けた。……そのまま十時間は待っただろうか。


「そろそろね」
クレアはASの狙撃プログラムを起動させた。
地に伏せてAS用ライフルを構えるM6<ブッシュネル>のメインセンサーが輝き、操縦席のクレアの前に遥か遠くの映像が映し出された。
そこはテロリストのキャンプだった。いや、かつてはそうだったが、今は見る影もなく炎に包まれている。
最近増強された政府の対テロ部隊の初仕事として壊滅させられたのである。拘束されたテロリストたちは一箇所に集められていた。
対テロ部隊の構成は、改良型M6が五機。米軍の改良型M6<ダーク・ブッシュネル>とほとんど同系の機体だ。
テロリスト側の<サベージ>数機とやりあったせいで多少の損傷はあるが、一機の脱落もなくキャンプの掃討を終えていた。
そして、離れた場所から戦闘の様子を観測していた指揮装甲車がAS部隊に近寄ってきた。
(……よし)
クレアは僅かに笑みを見せた。このタイミングを待っていたのだ――AS部隊と指揮装甲車が接近し、同じポイントから狙えるようになる瞬間を。
クレアと同僚が待機しているのは、彼らから少し離れた山岳だ。狙撃するには都合がよく、偽装しているので気付かれた様子もない。
その指揮装甲車には内務総監が乗っている。彼が今回のクレアのターゲットだ。正確に言えば、ターゲットの一つ。
テロ対策を声高に唱える内務総監は、ようやく増強できた部隊の実戦をその目で見るためにこんな前線まで出張ってきたのである。
クレアはゆっくりと装甲車に照準を合わせて、ふと思い直した。たとえ重厚な鎧を纏っていようと、動きの鈍い装甲車を仕留める事は後でも容易いだろう。
むしろ、もう一つのターゲット――政府のAS部隊を不意打ちで一機でも多く仕留める方が効率がいい。
彼女は僚機に手振りでその意思を伝えた。狙撃の角度を変えて、改良型M6を捉える。
ふとその時、クレアは再び奇妙な既視感を覚えた。またクルツが邪魔をしに来るような気がした。
今朝彼を夢に見たからかもしれない。あるいは、クルツに阻止されたときのターゲットがまさに政治家だった頃の現内務総監だったからかもしれなかった。
(気にするほどのことじゃない……)
目を閉じて深呼吸し、クレアは狙撃に神経を集中させた。同僚の準備が整ったのを見計らい、タイミングを合わせてクレアは発砲した。
遥か遠くのM6が鉄槌で殴られたかのように吹き飛んだ。その中枢は正確に貫かれている。クレアの狙撃が成功したのだ。
さらに一機のM6が右腕を撃ち抜かれていた。これは同僚の狙撃だ。精度が甘いが、この距離では仕方がないと言えるだろう。彼とクレアとでは技量にかなりの開きがあった。
クレアはもともと生身での狙撃が専門だったが、ASでの狙撃も十分に一流と呼べるほどの腕を持っている。血の滲むような訓練の結果だが、それだけの腕を持つに至ったのはクルツの狙撃をする姿を見たからだと彼女は思う。
あの時夢うつつに見たクルツの姿、クレアが美しいと感じた狙撃銃と一体化した姿勢は、彼女の目標……と言うか、狙撃主として理想的な模範を示されたようなものだったのだ。
あれ以来、クレアはあの時のクルツを自分で再現することを第一に考えて訓練を行ってきた。その結果、彼女の実力は信じがたいレベルまで高められたのだ。
そんなことを考えている合間にも、彼女の瞳と両腕は素早く二機目に照準し、発砲している。戸惑って周囲を見回していたそのM6もまた一撃で行動不能になった。
その頃になってようやく狙撃されている事に気付いたM6たちが慌てて回避行動に出る。遮蔽物を探すが、テロリストのキャンプは既に焼き払われていて、目につく遮蔽物はなくなっていた。
出鱈目に動き回り、狙撃を不可能にさせるM6。その動きのタイミングを見計らって、クレアは三射目を放った。
ちょうどバックステップしたところで、胸部を射抜かれてそのまま崩れるM6。残った二機があきらかに恐慌に陥った。
クレアの狙い通りだ。狙撃されるというのはとてつもない恐怖である。もはや戦闘と言うよりも一方的な虐殺だからだ。さらに、回避軌道を見切って撃ち抜く凄腕に狙われているとなれば、恐怖は格段に跳ね上がる。
その時、クレアの目の隅に予想外の光景が映った。
指揮装甲車の上方に巨大なヘリコプターが一瞬で現れると、そこから三機のASが飛び降りたのだ。
見たこともないASだった。<ブッシュネル>などと比べて明らかに細いが、むしろ洗練されたフォルムは刃物のように危険に見えた。
(まさか、第三世代型のASだとでも言うの?)
瞳が驚愕に見開かれるが、彼女の体は半ば自動的にその一機に照準をつけていたのだった。


今回の宗介たちの任務は、増強後間もない政府の対テロ組織の支援だった。もっとも直接的な援軍ではなく、部隊の展開や作戦行動などを観察し、助言する。
彼らが戦闘に参加するのは、あくまで万一の時だけだ。
これは内務総監と<ミスリル>との間の交渉で決まったことだった。内務総監にしてみれば、自分の部隊の情報が<ミスリル>に把握されるという大きなデメリットがあるものの、いざという時には逆に<ミスリル>の最新鋭ASの戦闘が間近で見れるというメリットもある。
<ミスリル>にとって<ブッシュネル>のデータなど今さら把握するまでもないことを思えば、これは内務総監にとっては有利な取引だった。
出撃は万一と決めてECSで透明化したヘリに待機していた宗介たちだったが、AS部隊が狙撃で次々とやられていくことは十分に緊急事態だった。
素早く簡易的な作戦を決めて、ヘリから降下するまでに費やした時間は僅かに数十秒。たったそれだけの間に、AS部隊は五機中三機まで行動不能にさせられていた。
狙撃手の存在を知っているので、ヘリはまたすぐに透明化した。宗介達も決して止まらず複雑に動き続けた。
『退却しろ!』
残った二機のM6に警告した時、宗介は不意に悪寒を覚えた。全身の毛が逆立つような危機感。
この程度の回避機動では到底避けきれない。そう直感した刹那には彼の全身が動いている。
<アーバレスト>が横に跳び、さらに後ろに何度も跳ねた。その軌跡をかすめて、超音速の銃弾が飛び去る。
宗介の額を冷汗が流れた。彼の動きにここまで追随できるスナイパーなどそうはいない。
かつてレバノンで彼を戦慄させた凄腕スナイパーに匹敵する腕前だった。狙撃の癖から察するに同一人物ではないだろうが、どこか似通っている。
さらに二発目、三発目が来た。今度はマオとクルツも狙われている。三人はランダムな動きでかろうじて弾丸をかわした。
狙撃手は二人いる様だった。その内の一人はたいしたこともないが、もう一人が厄介だった。狙いの精密さ、連射の早さ、そして追従の正確さ――いずれをとってもかなりの腕だ。いつまでもかわしきれるものではない。
本来ならば、宗介達がヘリから飛び降りたのは愚の骨頂と言わざるを得ないだろう。狙撃手は透明化したヘリに気付いていなかったのだから、狙撃ポイントまで密やかに接近し、急襲するのが正しい戦術だ。
だが、そんな悠長なことをしていたら、M6部隊どころか指揮装甲車まで全滅していたことだろう。それでは意味がない。
かといって狙撃手の前に身をさらすだけでは何の手も打てないが、彼らにはわずかながら勝算があった。
狙撃をかわし続けていた宗介たちだが、不意に狙撃手の殺気が別に向かったように思えた。これは根拠のないただの勘である。
だが、当たらない狙撃に苛立った狙撃手がまず何を狙うかは、既に予測をつけてあった。
その次の瞬間、指揮装甲車へ向けて二発の銃弾が同時に放たれた。まずは内務総監から消そうという判断だろう。
「やはり、そう来るか!」
宗介は叫び、一足飛びで指揮装甲車の前に立った。両腕をかざす。
「頼むぞ!」
<アーバレスト>の前に不可視の力場が形成され、そこに突っ込んだ二発の超音速の弾丸はいずれも壁に当たったかのように跳ね返っていた。
同時にマオのM9が地面にサブマシンガンを撃ち込んで、粉塵で彼らの姿を隠す。
そして――狙撃銃を構えたクルツのM9は、既に予測をつけていた狙撃手の位置へ向かってその一撃を放っていたのであった。
これが彼らの作戦だった。宗介が銃弾を防ぎ、その隙にクルツが狙い撃つ。マオはサポートだ。
そしてクルツの放った弾丸は、遥かな距離を飛翔し――遠く離れた高台に吸い込まれて、そこに巨大な爆発が起きた。
銃弾は、敵狙撃手の持つ銃の銃口に入り込み、内部から爆裂させたのである。無論、それを保持していたASは一撃で戦闘不能だろう。
「やったか!」
「お見事」
宗介とマオが感嘆する。クルツは続けて狙撃銃を旋回させた。
狙撃手はもう一人いる。そしてそちらこそ、真に凄腕の狙撃手だった。腕のいい方を後回しにした理由は、ただ単にそこが極めて狙いにくい場所だったからだ。場所取りの時点でも実力の片鱗が示されている。
クルツが早いか、その狙撃手が早いか。勝負はそれで決まる。
ふと、クルツは敵の殺気に『迷い』が生まれたのを感じた。それは同僚が倒されたからかもしれないし、別の理由かもしれない。
しかし、その『迷い』は極限状況で致命的な遅れを生んだ。クルツの方が、ぎりぎりで早く狙撃体勢を完了させていた。
「行けっ」
クルツの放った正確無比の弾丸は謎の狙撃手のASに命中し、爆発炎上させたのだった。


それから一分間だけ警戒を続けて、宗介は軽く息をついた。敵の気配は無い。
「……終わったか」
「そうだな」
クルツが同意するが、どこか落ち着きのない動作でセンサーを動かしている。
「どうした?」
「わりぃ、ちょっと気になることがある」
クルツのM9は、ちょうど狙撃手のいた地点へ向けて移動を始めた。
「ちょっと、クルツ?」
「あの狙撃手……最後に『迷い』が生まれた。あれは、俺に気付いたからかもしれない」
マオの言葉も、ほとんど耳に入っていない様子である。
最後に狙撃手の見せたそぶりが、クルツにはどうしても無視できないくらい気になるのだった。
まるで、クルツの狙撃をする姿を見て、それが『クルツだとわかった』かのようなそぶりだった。
そして、クルツ自身まさかと思うのだが、狙撃手は今朝夢に見た人物なのではないかという思いがどうしても消えないのだ。彼女と初めて会った町は、ここから五十キロと離れていない。
「知り合い、なのか?」
「わかんねえ。結局、俺はあいつの狙撃の腕を知らないからな……だが、気になるんだ」
「……わかった。後の処理はこちらに任せろ」
「恩にきるぜ」
どこか急く様な足どりで、クルツは離れて行った。
マオがわずかに足を踏み出すが……結局、そこで踏みとどまって彼を見送ったのだった。


道なりに進んでいて、まず目に付いたのはクルツが最初に撃破したASだった。腕の悪い方の狙撃手だ。
彼にとって、こちらは特に気になることは無い。パイロットが脱出している可能性も無いし、無視してもう一機に向かった。
そこで気付いた。クルツが気になっている相手は、この狙撃手よりも離れた地点から、より正確に撃ってきたのだ。
(あいつがそんな凄腕だとは思えないけどな……)
その地点へ向かって移動しながら、クルツは漠然と相手のことを考えていた。
だが、気になる狙撃手のASが視界に入った時、クルツの全身は一気に緊張した。
狙撃銃を手にしたM6は完全に破壊されており、もはや起動する可能性はない。だが、パイロットが脱出している痕跡があったのだ。
クルツは用心深く周囲を警戒した。命からがら脱出した生身のパイロットがASに有効な攻撃ができるとは思えないが。
その時、クルツの視界の隅に鮮やかな色彩が映った。破壊されたM6のそばに、何か布切れのようなものが落ちている。
一目見て、クルツの頭が真っ白になった。我知らずM9から降りて、その布きれに駆け寄っていた。無意識にライフルを掴んでいるが、気にも留めない。
粉塵で汚れているが……それは確かにハンカチだった。そして、クルツの知る限りそのハンカチには刺繍が入っているはずだった。
裏側をめくってみると……刺繍はあった。記された名前までも、彼の想像とまったく同じだった。
「クレア……」
がさり。背後の草を踏む音が、彼をかろうじて自失から覚めさせた。
咄嗟に振り返り、ライフルを向ける。そこにいたのは、紛れもないクレアだった。
クレアは地面を蹴って、クルツに突進してきた。その右手にはナイフが握られている。
ライフルにかけたクルツの指が痙攣した。反射的にトリガーを絞りそうになり、しかし無意識に押しとどめたのだ。
今なら射殺できる。逆に、懐に入られてはライフルは使えない。葛藤がクルツの動きを停めてしまった。
そして、その一瞬でクルツの懐にクレアは飛び込んでいた。足でライフルを蹴り上げる。
クルツの指がついに引き金を引いた。だが、その時には既に銃口は真上を向いている。弾丸は無意味に飛び去った。
そしてその瞬間には、素早くクルツの足を払ったクレアが彼を組み敷いていたのだった。
「……やるな」
息がかかるほどの近くに、クレアの顔がある。その青ざめて息を切らせる顔を見て、クルツが苦笑と共に言った。
彼女にとって、これは一か八かの賭けだったのだろう。そして、彼女は賭けに勝っていた。
クルツは両手でライフルを持っているが、銃の腹を彼女は全身で押さえ込んでいる。クルツとクレアの体でライフルを挟んだ形だ。これでは撃ってもどちらにも当たらない。
そして、クレアは握りしめたナイフをクルツの首筋にあてていた。力任せに振りほどこうとすれば、迷いなくナイフが喉笛を切り裂く。
もはや、チェックメイトだ。
だが、クルツは陽気な笑みを見せた。
「髪がくすぐったいな。伸ばしたのか?」
「ふざけないで。今、自分がどういう状態だか分かってるの?」
「お前こそ。狙撃は失敗したんだぜ?」
「あなたを殺して、あなたのASを奪う。そうすれば残りの敵は簡単に殲滅できるわ。噂の第三世代型ASを手土産にできるし……」
クレアの言葉は冷酷なものだったが、瞳に憂いのようなものが残っていた。
「……今、キスしたら怒るか?」
唐突にクルツは顔を持ち上げた。クレアの顔まで二十センチと離れていない。彼女の顔が真っ赤になって、思わずナイフを振りぬこうとしてしまった。
「そ、そんなことしたら殺すわよ」
「おお、怖」
クルツは肩をすくめて、わずかに表情を真剣なものに改めた。
「……足を洗えって言ったはずだけどな」
「そんなことできるわけないじゃない。私も結構、恨みを買っているのよ?」
クレアはテロリストに雇われて狙撃主として罪を重ねてきた。今さら、表の世界では生きられない。
「なら俺の組織に来るか?」
「……お断りよ」
その言葉に含まれたわずかな躊躇いに、クルツはある種の期待を感じた。
傍から見ればなんとも飄々とした風を装っているが、彼の内心では激しい緊張が渦巻いていた。
(タイムリミットが近づいている……)
何か、何かないか。クレアの心を捉える、何かの要素が。
ぎりぎりのところで、クルツは思いついた。
「ハンカチ。まだ持ってたんだ」
「え?」
「あのハンカチ、俺との思い出だから大事にしていたんだろ?」
「違うわ」
クレアの即答は、クルツの表情を凍らせた。
「あれは物心ついた頃からなぜか持っているの。私にクレアと名付けてそのハンカチを持たせたのか、それとも元の持ち主の名前がクレアだったのかは知らないけど」
「なるほど。母親の手がかり、ってわけだ」
万策尽きて、クルツは乾いた笑いを浮かべた。
「他に何か、言いたいことはある?」
「いや。……そろそろタイムリミットだ」
「何を言って……」
「クレア。もう俺にはこれしか言うことは無い。ここで踏みとどまってくれ。……今度こそ」
限りなく真剣なクルツの瞳が、クレアの瞳を射抜いた。彼女は動揺し、そして押し殺した。
「命乞いなんて……見苦しいわよ」
クレアはナイフを振り上げた。
「残念だよ……」
クルツが目を閉じる。
「タイムオーバーだ」
クレアの背筋を衝撃が貫いたのは、その瞬間だった。
「ぁ……」
空気の抜けるような声が漏れた。まさに振り下ろさんとしたナイフを取り落とし、口から鮮血を零れさせた。
(撃たれた……?)
クレアは半ば本能的にそれを悟っていた。
クレアの身体を貫通した弾丸は、クルツの持つライフルをも砕いて彼の操縦服にわずかにめりこんでいる。弾丸はクレアの真上から背中に突き刺さり、腹へと抜けたのだ。
「伏……兵……?」
「いや、違う。お前を撃ったのは、俺だ……」
自分の罪を噛み締めるように、クルツは言った。頑丈な操縦服のおかげで彼にはまったく怪我は無い。身体を撃ち抜かれて脱力したクレアを、苦もなく抱き起こした。
クレアはあまり痛みは感じなかった。ただ、自分の血が流出していることを朦朧とした頭で自覚した。
「撃ったって……いつ……」
クルツの持っている武器はライフルのみ。しかし、あの体勢では撃つことはできなかったはずだ。
そもそも、彼が撃ったのはたった一度きり、クレアに銃を跳ね上げられて空しく真上に放った弾丸のみ……。
(真上……!?)
たった一つ、可能性に思い至ってクレアは驚きに顔を強ばらせた。
(まさか。まさか……)
「まさか、真上に撃った銃弾が垂直に落下して自分の背中に命中したのか」
クレアの内心を、クルツは代弁した。
「そうだよ。そのとおりだ。それが『タイムリミット』だ……」
ボールを真上に投げれば手元に落ちる。それと同じ理屈で、真上に撃った弾丸は発射地点へ落ちてくる。
だが、その正確な位置を予測することなどまず不可能だ。ただ単に真上に撃てば真っ直ぐ落ちてくるのではない。
空気抵抗。風。そして地球の自転や磁場。それらが複雑に影響しあって、その結果を計算するのはコンピューターでも不可能だ。
だが、クルツはその狙撃を成功させていた。まさしく彼の狙い通り、クレアの背中に弾丸が命中したのだから……。
信じられない、というか既に人間業ではない。奇跡と呼ばれる領域の出来事だった。
「今度こそ踏みとどまって欲しかった。『タイムリミット』が来る前に」
ライフル弾を真上に撃って、地面に落ちるまでの時間は二百秒強……およそ三分半。
あの時、クレアに発砲する思い切りが出きなかったクルツは、自分に三分半だけ時間を与えた。
その間にクレアを説得できたら、弾丸を避ければいい。だが、クレアを説得できずタイムオーバーとなったら……弾丸が彼女の背中に吸い込まれる。
普段の彼にしてみれば優柔不断と言えるが、それが彼の葛藤を浮き彫りにしていた。
そもそも、この狙撃は彼にしても成功する自信などまったくなかったのだ。むしろ、外れることへの期待すらあった。それが成功してしまったのは、幸運なのか不運なのか。
だが、クレアはもう思考する力さえ失ってきていた。
「最期に、言い残したいことはないか……」
先ほどクレアが言ったセリフを、今度はクルツが口にした。
「くるつ……」
「何だ?」
クレアの目の焦点がぼやけてきていた。それでも、彼女は言葉を紡いだ。まるで最後の力を振り絞るように。
「こんな形でも……もう一度会えて……嬉しかった……」
「俺もだ。姐さんの言うとおり、ろくでもない再会になったけどな……」
クルツは優しくクレアの髪を撫でた。
「私が……悪いの。あなたは……手を差し伸べてくれたのに……」
「俺だって、もっといいやり方はいくらでもあったはずだ……」
「ごめん……なさい……」
「謝るのはこっちだ。……ついでに、もう一つ告白する。初めて会った時、ハンカチを落としたって声をかけたけど、実はあれ、お前のポケットからすったんだ。声をかける口実が欲しくてな」
クレアがぽかんと口を開けた。
「大事なものだとは気付かなかったんだ。本当にすまない」
「いいわ……」
クレアはにこりと笑った。
「許して……あげる……」
その言葉を最後に、彼女の意識は暗黒に呑まれた。クレアの全身が力を失い、クルツの体にもたれかかった。
「クレア……」
彼女を胸に抱き、クルツはゆっくりと立ち上がった。首をめぐらせて、空中の一点を見据える。
クルツの視線の先にある林ががさがさと鳴り、そこから一機のM9が現れた。ASの足どりからもどこかばつの悪そうな感情が伝わってくる。
マオだ。クルツを心配して来たのだろうが、いつから見ていたのだろうか。
クルツは顔をそむけて表情を隠した。情けない顔を見られたくなかった。


それから数日後、クルツの姿はメリダ島の基地にあった。
「敵狙撃手二名の死亡を確認し、ここに任務を終了する。以上、報告終了っと」
クルツは退屈な事務仕事を終えて、ペンを軽く放り投げた。ペンはどこかへ飛んで行ったが、その行方はあまり気にしない。
床に落ちる限り、心配せずともいつのまにか机の上にペンが戻ってくる。ブラック・テクノロジーの仕業ではなく、単に几帳面な宗介が拾っているだけだが。
クルツの様子は、少なくとも表面的には以前のとおりに戻っていた。むしろ、その横顔を見て複雑な表情を浮かべているのはマオだ。
「ソースケがいつも文句を言ってるわよ。いつかクルツの右手をペンのグリップに瞬間接着剤で固定してやる、とか何とか」
「ははは、あいつもようやく冗談を言えるようになってきたか」
マオの見立てでは、結構本気だったようにも見えたが。
ともあれ、クルツの陽気な笑顔を見ていると不意にマオは苛立ってきた。
「ところで……本当に、それでいいの?」
あえて触れずにいたことを口にする。何を意味するのか、察せられないクルツではなかった。
「本当も何も……クレアは死んだんだぜ。美女でも死人は俺の守備範囲外だ。すぐに忘れちまうさ」
「そうね。クレアは死んだんだものね……じゃあ、『生まれ変わり』はどうするの?」
「誰のことだよ?」
それでもとぼけるクルツの顔を掴むと、マオは無理矢理視線を合わせた。
「とぼけるな。手術で一命を取り留めた、表向きは死んだことになっているあの子、よ……」
「裏でも死んだことになってる筈だぜ」
クルツはふっと目をそらせた。
狙撃手クレアは死んだ……と、いうことになっている。
背中から銃弾を貫通されながらも、緊急手術に成功して奇跡的に一命を取り留めた少女の存在は、クルツとマオと宗介の手で完全に秘匿されたからだ。
クルツの個人的なつてで情報屋を雇い、既に新たな戸籍も手に入れていた。
「あいつはもう、裏の世界では生きられない……だから、表の世界で生きるしかない。それは辛い人生になるだろうが、俺みたいな人間が彼女を支えるわけにはいかないんだ」
「それでいいの……?」
マオは、もう一度問い掛けた。
「あいつはいい女だ。表の世界の人間で、あいつを支えることのできる人間がきっと見つかる。そんな時に俺が近くにいれば、いつまでもあいつは自分の新しい人生を歩めない。何度も言うが、クレアは死んだんだ」
「あんたのことは前世の記憶、って訳ね……」
それはマオの意図する以上に皮肉げに聞こえた。
クレアは手術が成功したおかげで、命を取り留めた。リハビリすれば、日常生活はまず問題ないだろう。
ただ、大量に失血したせいか、クレアの記憶は完全に失われていた。他の脳障害は一切無いにもかかわらず。
クルツのことも忘れられていた。まさしく前世の記憶のように、彼女から綺麗に消え去ってしまったのだ。
意識を取り戻したクレアに、『あなた、誰?』と言われた時は、さすがのクルツも石になった。
結局、彼は思い出のハンカチをクレアに渡すと逃げるように病室を去ったのだった。
「それにしても、クレアって子はよほど運が強いのね……」
これは医者も驚いたことなのだが、背中から貫通した弾丸は彼女の内臓を一切傷つけずに貫通していた。
弾道があと一ミリでもずれていたら、クレアは助からなかっただろう。
そこまで考えて、不意にマオは顔を強ばらせた。
「あんた、まさか……そこまで『狙った』の……?」
「まさか。ありゃあ本物の奇跡さ」
クルツは飄々としていた。しかし、クレアが死なないように狙い撃ったというのも十分にありうるように思えた。
「それよりも、あいつは最後の最後でとうとう俺の望みを聞いてくれた。それが理由なんだと思うぜ」
「望みって?」
マオが訊くと、クルツはにやりと笑った。
「あいつは『踏みとどまった』のさ。最後の最後、生と死の瀬戸際でな」
それは、とても嬉しそうな顔だったので、マオはこれ以上追及するのをやめた。

<三分半のVERGE 終わり>


あとがき

NBT:というわけで、『三分半のVERGE』でした。これは『偽りのアペリチーフ』の完全な続編です。
かなめ:あとがきまで読んでる時点で、それは気付いている筈だけどね。
NBT:ツッコミ拒否。ええと、今回も主役はクルツであるため、ヒロインも違う構成になっています。
かなめ:それについてはちょっと不満もあるけど。そもそも、どうしてクルツを主役に書こうと思ったの?
NBT:始めにあったのは、クライマックスでクルツの放つ『ミラクル狙撃』のイメージだ。実はあれの元ネタは、忍者の手裏剣だったりする。岩の後ろに隠れた敵を、岩の上を放物線で越えた手裏剣で貫くというシーンから、これをクルツのライフルでできないかと考えたんだ。そしてこんな奇跡を起こすのは、明らかに主役の役目だ。そこで、クルツを主役にすることが決定したんだ。
かなめ:そのせいで、あたしやテッサは登場なし。宗介も見せ場がたった一度きりになったわけね……。
NBT:恨まないでくれよ。命は惜しいから……。ええと、それでは。またお会いしましょう。
かなめ:あ。逃げた……。

NBTさん。投稿、有難うございましたm(_ _)m。『偽りのアペリチーフ』後編ですね。
「ふと見た夢は何かを暗示している」ものですが、それがお互いが見ていたという因縁。ドラマとはこういうのを言うのであります。
スナイパー同士の対決というのはいくつか前例がありますが、お互い遠くから撃ち合うってのじゃ迫力に欠けますし、接近戦専門外の二人が近接戦闘しても……ねぇ。
今回の見せ場は、やっぱり「神業」を飄々とやってのけたクルツでしょう。さらに「奇跡」まで起きてくれましたし。いつもこうだとカッコイイのだが。
けど、カッコイイばかりじゃつまらないか。

ちなみに今回のタイトル「verge」には『縁』『間際』『限界』といった意味があります。
――管理人より。


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