『怪盗ロベリアの優雅な休暇(バカンス) 前編』
「ああ、疲れた……」
大神は大きく伸びをした。
なんとなく肩を揉みながら、
「グリシーヌとロベリアも、もうちょっと仲良くしてくれたらいいのに……」
と、既に見えなくなった一階客席の方角を振り返った。
『巴里華撃団』の隊長である大神にとって、隊員のグリシーヌとロベリアは頭痛の種だ。
誇り高きバイキングの血を引くグリシーヌと、孤高の大悪党ロベリア。
二人はしょっちゅうケンカをしているし、たった今も大神は二人の諍いを仲裁してきたのだった。顔ににじみ出ている疲労は、主に精神的なものだ。
開店前のシャノワールを歩きながら、表情から疲れを除こうと精神統一をしていると――
「イチロー!」
元気のいい声が、背後から追ってきた。大神は大急ぎで表情を引き締める。
「大変だよ!」
「どうしたんだい」
駆けて来た少女に振り返るときには、もうその顔に疲労の色は微塵もなかった。隊長というのは、こんなにも大変な仕事なのだ。
「客席で、ロベリアとグリシーヌが、ケンカを……!」
「ああ、それなら大丈夫だ」
少女、コクリコに大神は笑顔を見せた。
「さっき話を聞いて、一応二人とも落ち着いたみたいだったから」
「え?」
と、コクリコがきょとんとする。
「ボク、ケンカを見てからすぐに走ってきたんだよ……?」
「…………」
大神は、長い間硬直した。表情が『まさか』の形に凍りつく。
慌てて、彼は来た道を駆け戻っていったのだった。


「ロベリアッ! グリシーヌッ!」
大神は一階客席に到着した瞬間に、状況を一目で理解した。
開店前で客がいない客席の、テーブルの一つについたロベリアとグリシーヌが睨み合っているのだ。
めまいのようなものを感じながら、意味もなく名前を叫んだ。
「あんだよ、隊長。大きい声出すんじゃねえよ」
と、やたらと伝法な口調でロベリアが呟いた。かなり機嫌が悪い。
「そこだけはロベリアに同意だ。たとえ客がいないとはいえ、ここは客席。『公共の場』で騒ぐことは『秩序を愛する』者はつつしまねばならぬな。なあロベリア?」
グリシーヌが、やたらと言葉の端々を強調した。
無論、ロベリアが『公共』だの『秩序』だのといった言葉を極端に嫌がることを考えに入れているのだ。
「あのな。アタシはただ、アタシにとって迷惑だからむかついてるんだよ」
「気に食わぬものは排除して当然、か。ならばロベリア、私の視界からどいてくれぬか?」
「ふん、その目のでっかい『フシアナ』にうまいことあたしを入れといてくれよ。そうすれば見なくてすむだろうが」
「誰の目が節穴だと……!」
「さあて、誰のことかは本人が一番よくわかってるんじゃないか?」
ぎらぎらとした瞳で睨み合うロベリアとグリシーヌ。視線の切り結ぶ地点に、バチバチと瞬く火花が見えるのは目の錯覚だろうか。
と、そこでようやく大神が我に帰った。
「二人とも、ついさっき落ち着いたはずじゃなかったのか?」
「さっきはさっき、今は今だ」
まあ、それはそうかもしれないが。
大神はケンカの原因を聞こうとして、やめた。
どうせ原因なんてもう関係なくなっているだろうし、そもそもケンカをしていることすら否定してくるかもしれない。
「とにかく、二人とももうちょっと仲良くできないのか?」
「私は誇りを貫いているだけだ。安易な妥協は、貴族のすることではない」
グリシーヌは即座に言い放った。目先の人間関係に気を使って己の生き様を曲げる――そういったことを、彼女は非常に嫌う。
だが、ロベリアの反応は意外にも異なっていた。
「そうだな……」
どこか考え込むかのように、含みのある答えを返すではないか。
大神は喜色を浮かべかけて、ロベリアの瞳に含まれた妖しい輝きにギョッとする。
(な、何を企んでいるんだ……?)
戦々恐々といった面持ちでロベリアを見つめると、彼女は心の底から呆れた表情になった。
「何も企んでないから、ビクつくなよ」
大神の心を見透かしたように、ロベリアは話を続ける。
「ただ、アタシを納得させたいんなら、アタシの流儀に合わせてもらいたいだけさ」
「ロベリアの流儀?」
グリシーヌが眉をひそめる。
「どんな犯罪行為だ?」
その言葉に、大神は思わず頷きそうになった。
「フン」
ロベリアは取り合わず、服のポケットから取り出したものをテーブルの上に置く。
「アタシの流儀は、これだ」
さっとロベリアの手がテーブルの上を滑るや、するすると扇状にカードが広がった。
「トランプ?」
美しく広げられたトランプを見て、大神が意表を突かれた顔になる。
「賭け事か」
グリシーヌが嫌悪もあらわに吐き捨てた。
「そういうことさ」
ロベリアがさっと手を振ると、吸い込まれるようにカードがまとまり、テーブルの上に重ねられた。
その手際の鮮やかさに、大神は目を吸われる。
「さて、どうする? 勝負するかい?」
はっと大神は我に帰った。
目の前では、ロベリアが不敵に笑っている。
(……イカサマするつもりだな!?)
その言葉が、大神の脳裏に電光のように閃いた。
なんたって、ロベリアなのだ。巴里一番の大悪党なのだ。
イカサマを企んでいるに決まっている。
大神が迷っている間にも、ロベリアは言葉を続ける。
「もしあんたが勝ったら、しばらくグリシーヌに合わせてやってもいいよ。アタシは大人だからね」
「その言い草は何だ!」
グリシーヌが怒声を上げた。
「貴様は賭け事ごときで己の生き様を変えるような者なのか!?」
「勝負に負けたら、約束はきちんと守る。それがアタシの流儀ってだけさ」
それはそれで、筋が通っていると大神は思う。
賭けを行うならば、約束したペナルティは遵守するのが最低限のルールだ。
それができない者は、そもそも賭けをする資格はない。
だが、大神は冷静に考え続けた。まだ、一番大事なことを聞いていない。
「それで、ロベリア。俺は何を賭けたらいいんだ?」
ロベリアが何の下心もなしにこんな提案をするとは思えない。
とんでもない要求をしてくるに決まっているのだ。
案の定、ロベリアはにやりと笑い、要求を口にした。
「一日だけ『隊長』を譲るってのはどうだい?」
「なんだって!?」
「次の戦闘で、アタシが『隊長』になって指揮を取るってことさ」
その提案に、大神は呆然となった。
そして、表情をけわしくする。
「駄目だ。その賭けには応じられない」
「おいおい。アタシとグリシーヌがケンカを止めるかもしれないのにか? 要はあんたが勝ちゃあいいんだよ。それで全部うまくいくんだ」
ロベリアがたくみに大神の欲求を刺激してくる。意志の弱い者なら、そのまま賭けに突入しそうなくらいだ。
だが、大神の返答はにべもなかった。
「隊長の職は、俺のものではない。あくまでグラン・マからお預かりしているものだ。俺の私有していないものを、賭けることはできない」
大神のような若者にとって、『公私混同』とはもっとも恥ずべき行いだ。
隊長職をこともあろうに賭けの対象にするなど、冗談ではない。
「っかぁー」
ロベリアが呆れ帰った。
「あんたの頭の固さには脱帽するよ……」
「なんと言われようと、これだけは駄目だ」
「はいはい」
と、ロベリアがため息をついたその時、グリシーヌがおもむろに口を開いた。
「いや、いいだろう」
「いいっ!?」
大神はギョッとしてグリシーヌを見つめる。対して、ロベリアは面白そうに瞳を輝かせた。
「へえ、あんたが賭け事とはね」
「ロベリア。どうせ貴様のことだから、仲間の攻撃で敵機を弱らせ、自分は止めだけ刺して効率的に戦果を上げようとでも思っているのだろう。報酬目当てでな……」
「そいつはご明察ってところだな」
にやにやと余裕の笑みを浮かべるロベリア。大神はまだ動揺が抜けきらない。
「お、おいグリシーヌ。さっきも言ったが、隊長職を賭けるわけには……」
「わかっている。賭けをするのは貴殿ではなく、この私だ」
グリシーヌがロベリアを睨みつけた。
「もしも貴様が勝てば、次の戦闘では私だけ貴様の指示に従ってやろう」
「そいつはいい。せいぜいアタシの盾になってくれよ」
「貴様こそ、賭けに負けたらしっかり改心するのだぞ」
グリシーヌとロベリアが睨みあった。確かに、グリシーヌとロベリアの個人的な約束ならば大神が口を挟むことではない。
「おい、二人とも!」
なんだか話がまとまりかけているのを察して、大神は叫んだ。
だが、グリシーヌの鋭い眼光を真っ向から受けて、思わずたじろいでしまう。
「……負けるなよ」
「俺がやるのか!?」
てっきりグリシーヌとロベリアの一騎打ちだと思っていた大神は突っ込んだ。
だが、もはや勝負は避けることができないようだった。
「じゃあ、始めるか」
「待て。そのカード、調べさせてもらおう」
「そう来なくちゃ張り合いがないぜ」
グリシーヌがきつく睨む。ロベリアは嬉しそうに笑う。
(張り合いがないって……やっぱりイカサマをする気なのか?)
大神が心の中で突っ込んだ。
「好きなだけ調べな」
ぽん、とテーブルに置かれたカードを、グリシーヌと大神はじっくりと調べた。


よくあるトランプ手品(イカサマ)を、大神は思い浮かべた。
もっともポピュラーなものは、カードの裏側に小さなマークがついているというものだ。
マークそのものが裏の絵柄を示している場合が多いが、例えば『ジャック・クイーン・キング・ジョーカーのみ、裏の絵柄が微妙に濃い』などのバリエーションもある。
色の濃淡は慣れた者にしかわからない微妙な差であるからバレにくいし、これを把握するだけでどんなゲームも圧倒的に有利になる。
しかし二人がじっくりとカードの裏を調べても、どのカードもまったく同じで、マークや濃淡の差は見られなかった。

次に、『特定のカードだけ、サイズが違う』という方法もある。
ジョーカーだけカードの下部を少し大きく作っておけば、シャッフルの時に指に引っ掛けるだけで自由自在に位置を操ることができる。
無論、その違いとはごくわずかだ。普通トランプなんて雑然と重ねられているものだから、多少サイズが違ったって誰も気づくことはない。
高等技術として、『すべてのカードを微妙な台形にしておく』という手段もある。上底と下底にわずかな違いがあるので、あらかじめあべこべに差し込んでいたカードは少しだけ指に引っかかるのだ。
大神とグリシーヌは丁寧にカードを重ね、トントンとテーブルに打って辺を揃えた。
見たところ、サイズの違うカードはない。いくつかあべこべに差し込んでみても、浮き上がるような感触はなかった。

最後に、大神はカードの表を調べてみた。
考えにくいことだが、図柄がシール状になっており、はがすとジョーカーが現れる――なんてこともありうるからだ。
また、いくつかカードを抜いておくことで、自分に有利な状態を作ることもできる。
しかし、ロベリアのカードはハートのA(エース)からスペードのK(キング)まできちんと52枚揃っていた。ジョーカーが1枚、最後にある。
表面を指でこすってみたが、細工の痕跡はない。


「……このカードには何もないようだ」
「そうとしか考えられないな」
大神とグリシーヌは、そう結論付けた。
「やれやれ、待たせといてそれか?」
面白そうに大神たちの調査を見ていたロベリアが、呆れた声をかけた。
成り行きで勝負をすることになってしまった大神は、ロベリアの正面に着席してカードを渡した。
「それで勝負は何にするんだ?」
「もちろん、ポーカーさ」
ポーカー。トランプゲームの中では有名なものなので、大神も知っていた。
「チェンジの回数は……一回でどうだ?」
「ああ、構わない」
大神が頷くと、グリシーヌが口を挟んだ。
「裏があるかもしれないから、変更してもらいたい」
「わあったよ。じゃあ、チェンジは無しでやろうか」
ロベリアの話によると、チェンジ無しというルールのほうが運任せの要素が高いという。
ギャンブルの技量では素人の大神は、そちらのほうが勝機があるだろう。
「わかった」
そう告げると、ロベリアの瞳がきらりと輝いた。
うっ、と大神は言葉に詰まる。
(ひょっとして、はじめからチェンジ無しでやるつもりだったんじゃないか?)
グリシーヌが文句をつけることを予測して、最初はわざと違う条件を提示していたとしたら。
考えてみれば、チェンジ無しのほうがずいぶんとイカサマがやりやすそうだ。
(いや、考え出せばきりがないからな)
大神は集中してロベリアに向き直った。
「じゃあ、勝負の前に『賭け』といこうか。アタシは、『グリシーヌと仲良くする』という約束を賭ける」
「私、グリシーヌ・ブルーメールは、この名と誇りのもとに『私を指揮する権利』を賭ける!」
まるっきり決闘の口調だ。もっとも、勝負するのは大神なのだが。
そして、ロベリアがカードをシャッフルする。大神も一回シャッフルし、グリシーヌもシャッフルした。
そして、テーブルに置かれたトランプに、ロベリアは手を伸ばした。
それは、あまりにさりげなく、裏があるとは思えないとても自然な動きだ。
ロベリアの視線は、完全に大神とグリシーヌのほうを見ている。その視線につられて、二人もまたロベリアの目のあたりに視線を当てていた。
だから、誰も気づかなかった。というより、思いもしなかった。
まさか――さして広げているわけでもない手のひらに、ロベリアが十枚ものトランプを隠し持っているなどとは。
(甘ちゃんめ……)
ロベリアは内心でだけ笑みを浮かべた。
あれほどイカサマに気をつけていた二人が、初歩的な心理誘導にあっさり引っかかっているではないか。
この程度の注意力でイカサマを見抜こうとしているなんて、甘すぎて片腹痛い。
もっとも、二人が気づかないのは甘いのでも鈍いのでもなく、ロベリアの技術が高いからだ。
右手に一切の視線を向けずに、ごく自然体で動く。言葉にするのは簡単だが、これができないイカサマ師など腐るほどいる。
カードを隠し持つのはパームという初歩的な技術だが、十枚ものカードを隠し持ってまったく見せないのも恐るべき技術だ。
そして、ロベリアはトランプを掴むふりをして、十枚のカードを一番上に置いた。
大神とグリシーヌは、まったく気づかない。
ロベリアはトランプを持ち上げて、グリシーヌに手渡した。
「あんたが配ってくれ。一番上はディーラー、つまりはアタシに。それ以降は交互に五枚までだ」
「わかった」
そのルールはグリシーヌも知っていたので、これには文句をつけなかった。何も気づかないまま、カードはその通りに配置された。
ロベリアの前に五枚。大神の前に五枚。どちらも、ロベリアの仕込んだカードだ。
ロベリアは、もちろん自分の前のカードを知っている。ハートとスペード、クラブの8でスリーカード。そしてダイヤの2とハートの3だ。
大神のカードは、無論彼はまだ知らないが、ハートの2・クラブの2・スペードの10・ダイヤの10・ハートのKでツーペア。
不自然に見えない程度にばらけてはいるが、当然スリーカードのほうが勝つ。
チェンジは無しなので、あとはカードをめくりさえすればロベリアの勝利だ。
ふとグリシーヌを見ると、厳しい顔をしている。
イカサマを見逃すまいとしているのだろうが、既にすべては終わっているのだ。
「さて、ショウ・ダウンと……げっ?」
勝ち誇ったロベリアが、カードをオープンしようとした時、視界の端に映った光景にギョッとした。

<後編に続く>


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