『空白を埋める者 中編』


月組の奮闘もあり、正月早々に現れた降魔の群れは、それ以来帝都を脅かさなくなっていた。
月組の総力を上げた必死の諜報活動が功を奏した形である。
「……そう、報告御苦労様」
人気のなくなった帝劇二階の私室で月組隊員からの報告を受けたあやめは、そう言って労をねぎらった。
月組隊員も敬礼でそれに応えると、音もなく姿を消す。
一人になった部屋で、あやめは小さくため息をついた。
「ふぅ……やはり、加山君を帝都に張り付かせるのは効果があるわね」
月組隊長の加山雄一は、大神と同期であり、海軍士官学校を優秀な成績で卒業したエリートである。
こと戦闘に関しては大神に譲るものの、他の部門では大神を凌駕する力を見せていた。
しかし、こと素行に関しては非常によろしくない。
テスト問題のカンニング、門限破りの手口、訓練の早期リタイアなど、奔放さでは大神の比ではない。
「米田司令の眼が正しかったと言うことかしら」
花組再訓練が決定した直後に、米田は各組の精鋭を集めさせた。
特に月組は、その全戦力を帝都に張り付かせたと言っても過言ではない。
その作戦は功を奏し、降魔の出現を事前に防ぐことに成功している。
もちろん、多少の犠牲を払いながら。
「このまま、間に合ってくれればいいのだけど」
あやめの手には、紅蘭から提出された新しい霊子結晶のデータの書かれた書類がある。
大神たち隊員の再訓練の終了にも増して、紅蘭の新兵器の完成は重要だ。
だが、今のところ、結果は芳しくない。
あやめが書類を読み終えて米田へと提出しようとした時、久々に帝撃のブザーが鳴った。
あやめの表情が厳しいものへと変わり、地下へと駆け出していく。


「米田司令」
「加山の奴に文句は言えねぇやな」
地下司令室に入ってきたあやめに、米田は開口一番、そう言った。
その言葉には答えずに、あやめは蒸気演算室へと入り、あわただしく情報をかき集め始める。
それに由里が加わり、椿が翔鯨丸の調整を始める。
最後に地下司令室に入ってきた二人は、帝撃の制服とは違った服装をしていた。
「鳥組三條、参りました」
「遅くなりました」
米田は二人の声に立ち上がると、司令室の大画面に帝都全域の地図を映させた。
あやめが演算室を由里に任せ、詳しい状況を説明する。
その間に、椿が何とか翔鯨丸の調整を終えていた。
「……以上よ。降魔は全部で三体。やってもらえるわね」
「やるしかないでしょう。加山の位置は?」
「加山君は帝都の反対側で作戦中です。サポートは翔鯨丸のみで行います」
いつも以上に硬いあやめの声に、かすみはちらりと三條の横顔を盗み見た。
かすみの予想に反して、三條は余裕のある表情で大画面を見つめていた。
「近くの神社仏閣は?」
「あるけれど、もう力のない神社が一つだけよ」
「そこの氏神を調べておいて下さい。力が反発しあっては、予想だにしない結果がおきます」
「……承知したわ」
あやめがそう言って、演算室の方へ戻っていく。
米田はちらりとその背中に視線をやると、すぐに二人の方へ向き直った。
「三條。かすみは帝都風組に必要な人間だ。お前の考えているほど、軽い人間じゃねぇ。いいな?」
「もちろん。ですが、帝都市民全員とかすみの命なら、僕は帝都市民の命をとりますが」
「……行け」
「はい」
二人揃って敬礼を済ませると、かすみはすぐに椿の許へ駆け寄った。
椿が親指を立てて応えると、身を翻し、三條の後を追うようにして司令室を駆け出していく。
その後姿は、米田の脳裏に残る帝國陸軍対降魔部隊にいた当時のあやめの姿に似ていた。



翔鯨丸から飛び降りた二人は、着地すると同時にパラシュートを取り外した。
見事な一連の動きは、二人が慣れている証拠だ。
おそらく、花組で唯一の戦場経験を持つマリアでさえも、これほど見事な近距離での着地は決められないであろう。
「降魔、三体確認」
『近隣住民の避難は完了しているわ』
「了解。月組隊員の一人を確認。降魔と交戦中」
『月組からの報告では、三人が作戦実行中です。残り二人の確認は不要』
「了解。これより、戦闘に入る」
ヘッドセットを付けたまま、三條が法具を構えた。
独鈷と呼ばれる法具である。
「かすみ、三体同時に縛れるか?」
「今のままでは無理です。降魔同士の間が狭すぎて、その間で封が崩れます」
「どの降魔を狙えばいい?」
「とにかく、私はここで霊波を制御し始めます。制御できる形になれば、降魔の動きが止まる筈です」
かすみの返事に、三條は眉をしかめた。
「僕まで縛らないでくれよ」
「大丈夫。貴方の霊波はよく知っています」
「それじゃ、任せる!」
その場にかすみを残し、三條が降魔に向かって突進を始める。
一番手前にいた降魔が三條の霊波動に気付き、鋭い爪を振り上げる。
人間で言えば肘に当たる部分へ、三條の独鈷が飛んだ。
「キィッ」
甲高い声を上げ、降魔の爪が独鈷を弾く。
地面に突き刺さった独鈷は砕け散って、細い針金となった残骸が、新たに降魔を襲う。
「混流対魔術(こんりゅうついまじゅつ)・毬」
針金の突き刺さった降魔から、緑色の体液が飛び散る。
飛沫すべてをかわし、三條は降魔の側面を取った。
「混流対魔術・裁」
降魔に突き刺さった針金が三條の放った霊力に反応し、振動と回転を始める。
しかし、別の降魔の攻撃に、三條の霊力はすぐに放射を止めさせられた。
「ギッ」
連続して襲いくる爪をかわし、三條が後方へ逃げる。
「混流対魔術・陥」
降魔が三條を追って一歩を踏み出した途端、降魔の足元の地面が崩れ落ちた。
降魔の足が地面に挟まるが、すぐに隣の地面を掘り起こして降魔の足が出現する。
三條は更に攻撃を加えようと独鈷を構えるが、降魔の飛ばした酸混じりの体液がそれを阻止した。
「厳しいね……」
酸をかわし、完全に体勢を立て直した二体の降魔と相対する。
残りの一体は月組隊員が奮闘しているのか、三條の方へ向かってくる様子はなかった。
「かすみ、この二体だけなら縛れるか?」
ヘッドセットを通したかすみの声が、それに答える。
『土地の霊力が極端に弱いんです。ですから、降魔の霊力を制御する渦を作るには、何か霊力を足さないといけません』
「道理で“陥”がすぐに外れたわけだ」
『大規模な“陥”で土砂を跳ね上げられますか?』
「この状況では無理だな。小規模な“陥”で少しずつ崩していくしかない」
『……何か、手を考えます』
三條が跳んだ。
降魔の体制が崩れたところに独鈷を投げるが、今度は爪で破壊される。
「同じ手は食わないか」
三條の着地直後を狙った爪が、ぎりぎりまで引き付けられる。
爪の先端が三條の身体をかすめる瞬間、三條は体をかわしながら、その爪へ紙を巻きつけた。
わずか一重の紙に包まれた降魔の爪が、音もなく締め付けられる。
「混流対魔術・極」
降魔の爪が音を立てて割れ、三條はその断面に視線を飛ばす。
無数の刺が、割れた爪の痕に出来ていた。
「どっちにしても、一撃か。ちまちました技じゃ、こちらが疲れるだけだな」
三條は再び独鈷を放ち、降魔の出足を止めると、ヘッドセットで上空へ話しかけた。
「高村君、弓矢を地面へ下ろしてくれ。場所は任せる」
『了解しました。先に着弾ポイントへ、ペイント弾を発射します』
「了解した」
翔鯨丸から放たれた砲弾が、地面を揺らす。
思わず身構えた降魔の隙を突いて、三條はペイント弾の落ちた場所へと急いだ。
『危険です! 離れて下さい!』
「いいから、僕目掛けて撃ってくれ」
『副司令……』
『三條君の言う通りに』
ヘッドセットの向こうから、翔鯨丸内での会話が聞こえてくる。
三條はそのやりとりに苦笑すると、上空に向かって腕を突き出した。
「花咲き乱れし時 鳥運びて 汝の言葉に 月を隠すものよ……我が想いを汲み、我に従え……混流対物術・包」
翔鯨丸から撃たれた弓矢の入った箱が、三條の腕の前で動きを止める。
三條の横を、巨大な風が流れて行く。
風の通り過ぎた後に、三條は箱の中から弓矢を取り出した。
「さてさて、貫けるかな」
そう呟くと、向かってくる降魔に矢をつがえる。
風の切り裂く音がして、三條の細い眼が厳しさを増した。
「混流対魔術・神仙矢裁」
降魔に向けて放たれた矢は、降魔の腕に突き刺さったものの、降魔の動きは止まらなかった。
三條は既に矢を放った場所から離れていたが、再び矢をつがえようとはしていない。
「降魔ってのが、これほどのものとはなぁ」
三條の呟きに、翔鯨丸にいるあやめから通信が入る。
『降魔は霊力が核をもって物質化したものではないの。彼らには筋肉が存在するわ』
「……それを先に言ってくれませんと」
『何をするつもりか、わからなかったの。ごめんなさいね』
謝られても意味がないという言葉を飲み込んで、三條はかすみのそばへと戻った。
かすみの額には、汗がにじんでいる。
手で印を結びながら、必死に霊力の流れを制御しようとしているところだった。
「こちらの技が効かない」
「……降魔三体の霊力の渦は、この場所では縛れません」
それでも必死で印を動かし、かすみが制御を試みている。
矢が突き刺さったまま動いている降魔が近付いてくるのを見て、三條はかすみの手をつかんだ。
無言でかすみが三條を睨むと、三條はその手に弓矢を渡した。
「使えるな?」
「威力は貴方よりも低いですが」
「時間を稼げればいい」
「時間を稼ぐ?」
「あぁ。僕が土を掘り返しながら霊力を地面に加えていく。時間がかかるが、何とかなるだろう」
三條の言葉に、かすみがハッとした表情を浮かべる。
降魔の酸混じりの体液が飛ばされて、二人は同じ方向へと跳んだ。
「何か策が浮かんだのか?」
「えぇ。あやめさん、霊子水晶に霊力を込めてばら撒いて下さい」
『霊子水晶は花やしきまで行かないと手に入らないわ』
「その時間は稼ぎます。できれば、霊力を込めてばら撒いて欲しいのですが」
『えぇ、善処しましょう』
その間にも迫り来る降魔の爪をかわしながら、かすみが指示を続ける。
「由里、この土地の霊波パターンはチェックした?」
『終わってます』
「誰が一番合いそう?」
『多分、マリアさんです』
「マリアさんなら居場所が判明してるわね。霊子水晶と早く引き合わせて、霊力を込めてもらって」
『わかりました。下田に連絡……』
由里が通信に専念し、椿が砲弾を発射する。
降魔の動きが止まり、砲弾が降魔によってガードされる。
「もう砲弾は通用しないな」
「わかりませんよ。例のあれ、やってみます?」
そう言って笑ったかすみが、三條に背中を向け、降魔の方へと左手を伸ばした。
かすみの動きに合わせ、三條がかすみと背中を合わせて降魔の方へ右手を突き出す。
「それじゃ、いくぞ」
「はい」
二人の周囲に風が吹いた。
かすみの長めの髪が、風に揺れている。
三條の細い眼が開かれ、三條の伸ばした右手に、かすみの左手が絡み付く。
「……心の駅から心の駅へ」
「二人をつなぐ特別路線」
一つ一つの言葉が霊力に換算されていく。
翔鯨丸の霊子レーダーに、巨大な光点が新たに灯り始めた。
『嘘……これって』
『どうしたの?』
『合体攻撃の時の霊力パターンですよ!』
ヘッドセットを通して、翔鯨丸にいる由里の驚きが聞こえてくる。
そして、三條の瞳が大きく開かれ、かすみの髪が後方へなびく。
二人の声が完全に重なった。
「たった二人の乗客乗せて、恋の列車、発車オーライ!」
強力な霊弾が、降魔を直撃する。
エネルギー過多の為か、光を放ち万人に見えるまでに発色している霊弾は、降魔一体を直撃した。
砲弾を防御した直後に霊弾を浴びた降魔は消滅こそしなかったものの、体液を垂れ流し始めていた。
「混流対魔術・神仙矢裁!」
三條の使っていた術を放ち、かすみが翔鯨丸へ砲撃を要請する。
「椿、今なら降魔に防御壁はないわ。対地機関銃、砲撃開始!」
『了解!』
椿の声と同時に、機関銃の銃撃が降魔を襲う。
本来ならばビクともしない筈の降魔が、叫び声を上げながら肉片と化した。
その戦果に酔うことなく、かすみが次々と矢を放つ。
三條の独鈷が隙を埋め、かすみの矢が放たれるのを待つ。
「あまり霊力を使い過ぎるなよ」
「大丈夫。一体消えた分、縛る力は少なくて済むわ」
先程までは一人で二体の降魔の相手をしていた三條が、かすみと組むことによって攻勢に転じた。
それと同時に、あやめが月組の撤退を決める。
再び二体の相手をすることになった二人は、月組との戦闘によって傷付いている降魔に狙いを定めた。
「混流対魔術・極」
三條の手から放たれた紙が、降魔の爪を折る。
かすみの放った矢が刺さり、椿の放った砲弾が降魔の動きを止める。
帝國華撃団お得意の波状攻撃が、完全に降魔の足を止めていた。
とは言っても、やはり決定打には欠けている。
降魔の体液が飛ばされると、それを避けるために連携にほころびが生じ、数刻置いて態勢を立て直す。
十分もすれば、降魔側の対策が追いつき、再び二人は苦境に立たされていた。
「……しかし、学習能力が高い生命体だな、降魔と言うのは」
「だから、光武が必要なんですよ」
そう答えたかすみの手には、矢を失った弓だけが握られていた。
三條の方も、これまでの戦闘で独鈷を使い果たしている。
「さてさて、やばくなってきたな」
「本当。どうします?」
「相討ち出来るなら特攻だけど、保証ないしな」
そう言うと、三條は左へ走り始めた。
一瞬送れて、かすみは右へ。
降魔が一体ずつ追いかけてきたのを確かめて、二人はささやかな反撃を開始した。



「……マシか」
空薬莢を蹴飛ばして、マリアは大きく息を吐いた。
レバーを引いて、先程まで狙っていた人型の標的を引き寄せる。
弾痕は一、二発だけ急所を外しているものの、その他は見事に急所を射抜いていた。
「感覚が戻ってないわ……これでは、死ぬわね」
花組の中で、マリアは人一倍他人に厳しく、また己に厳しい人間だった。
大神との出会い、花組メンバーとの生活は、マリアにとってぬるま湯でしかなかった。
それでも緊張は保っているつもりだった分、この失敗には堪えていた。
「やはり、甘くなってしまっていたのね。もう少し、自戒しないと」
最後に拳銃を分解し、細部まで丁寧に清掃を済ませ、新しく銃弾を補給する。
空撃ちで拳銃の動作確認を済ませ、マリアは空薬莢を一箇所にまとめた。
その全てを無造作に袋の中に詰め込むと、マリアは射撃訓練室を出た。
何と無しに詰所の本部へ顔を出そうとしたところを、出迎えに来ていた風組の隊員に腕を捕まれる。
「タチバナ隊員!」
「何かあったのですか?」
「帝都に、降魔が出現しました。藤枝副司令より、タチバナ隊員の出撃要請が出ております」
風組隊員の報告に、マリアは懐の拳銃に手を当てた。
「場所は?」
「近くの轟雷号の駅まで、こちらの車でお送りします。そちらで、新たな指示を受けるようにとのことです」
「わかりました。私は今からでも」
「では、お願いします」
風組隊員がそのまま運転手となり、最新型の車でマリアを運ぶ。
轟雷号の駅までは約三分。マリアはその間に車に同乗したもう一人の風組隊員から事情の説明を受けていた。
「……では、今は、誰が戦っているのですか?」
「こちらには、知らされておりません。ただ、とにかく時間がないとのこと」
「光武の修理が間に合っていたとして、勝算はないようにも思えるわね」
マリアの言葉に、運転していた風組隊員が後部座席に座っているマリアを振り返った。
「着きました。轟雷号も既に到着しているようです」
「そう。ありがとう」
「御武運を」
風組隊員の敬礼に軽く頷いて、マリアは黒いコートを翻して轟雷号の方へ走り出した。
それほどの長い期間ではなかったのだが、久しぶりに見る轟雷号の姿に、マリアは眉をしかめた。
「負け戦でも、撤退はないと言うことね」
正月早々の敗戦は、マリアにしても大きな後遺症となっていた。
訓練は自分の気持ちを鎮めるため。そして、失っていた自信を回復させるため。
マリア自身、新たな技術の向上が訓練によってあるわけではないことを知っていた。
既に幾多の戦場を駆けぬけた彼女にとって、新たな技術とは戦術面や精神面におけるものでしかない。
訓練も、技術の向上というよりは、技術を錆びさせないための訓練に主眼が置かれている。
「花組、マリア・タチバナです」
「お待ちしておりました。時間がありません。お早く」
轟雷号に乗っていた隊員の言葉に、マリアが自分の光武を搭載している筈のコンテナへ向かう。
しかし、マリアの予想に反して、隊員は運転席を指していた。
「タチバナ隊員、運転席へ」
「は? 光武で出撃するのではないのですか?」
そう尋ねたマリアに、隊員はとにかくと言って運転席へマリアを乗せた。
轟雷号が再び調整を終えて、静かに転進する。
「タチバナ隊員には、この霊子水晶に霊力を吹き込んでもらうように指示が出ています」
そう言って、隊員がダンボール一杯に入れられた、小さな霊子結晶を示す。
マリアは戸惑いながらも、その中の一つを手に持つと、隊員の方を見た。
「霊力を吹き込むと言っても、どうするのですか?」
「さぁ……とにかく、素の状態の霊力じゃないですかね。別に兵器として使うとは聞いてませんから」
「どうするつもりなのかしら」
戸惑いながらも一つ一つに霊力を込めていくマリアを乗せて、轟雷号は目的地へと疾走していた。

<後編に続く>


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