『空白を埋める者 前編』


「米田長官、お話があります」
つい先程まで地下の作戦司令室を花組名義で借りていた青年は、昨日とは別人のような顔付きになっていた。
正月早々に出現した新たなる敵・降魔に打ちのめされ、霊子甲冑・光武を失った時の怯えの色はない。
不安を持ちながらも新たなる道に進みだした人間特有の、不思議に輝く瞳を持っていた。
「おぅ、降魔対策は浮かんだか?」
デフォルトと化している一升瓶を抱え、米田が眼鏡の奥の瞳を光らせる。
新兵ならば一瞬で竦みあがるほどの眼光を受けても、青年は怯まなかった。
海軍式の幅の狭い敬礼を交えてから、明瞭な声で決意を述べる。
「唯一の戦力となる霊子甲冑を失った今、組織的な対策は無理と考えます」
「ほぅ……それで?」
「ならば、これを機に隊員の再訓練を施し、現有戦力の底上げを図りたいと思います」
二十歳になったばかりで、対降魔の主戦力となる帝國華撃団・花組の隊長を務める大神一郎。
海軍士官学校を首席で卒業し、少尉任官後すぐに帝撃に配属された。
にもかかわらず、日露戦争の名将・米田一基の下で、秘密裏ながらも一級の軍功を立てたエリートである。
「再訓練ねぇ……ま、やりたいようにやんな。花組は、おめぇの部隊なんだからよ」
「はッ。ありがとうございます」
エリートにありがちな厭味さもなく、常に正直で素直である。
女性ばかりで構成された花組をまとめ上げ、モギリという下働きでさえも厭わない。
人格者という言葉がよく似合いながら、一方では熱い心の持ち主でもある。
「再訓練の期間は、各自で決めさせてもらってもよろしいでしょうか」
「……一ヶ月だ。それまでに帰って来い」
「わかりました」
頭を下げた大神を片手で追い払い、米田は静かに杯を傾けた。
酔いはしないが、これからのことを思えば頭が痛い。
ただでさえ降魔の脅威にさらされている今、実戦部隊を訓練に出すのである。
無論、その間、降魔に対する防衛力はない。
「……紅蘭の奴に、また無理をさせなきゃならねぇ」
帝都を魔の力から防衛するための力は、霊子甲冑・光武をはじめとする霊子兵器である。
その全てを生産している帝國華撃団花やしき支部は、今もフル活動を続けている。
そして、兵器開発の主任を未だに兼ねている花組隊員・紅蘭も、必死になって新兵器の核となる機関を開発している最中だった。
「霊子機関の再構築か。まさか、降魔まで力が上がっているとは……」
米田自身、八年前の降魔戦争にて、前線で戦った兵士でもあった。
たった四人の精鋭部隊を率い、一時とは言え、降魔を退けた人間である。
その米田の予想をもってしても、復活した降魔の実力を予測することは出来なかったのだ。
予測を出来なかった事が、光武の再開発を余儀なくさせた原因でもある。
「霊力さえ、引き換えにしてなけりゃよ」
そう呟いて、米田は一升瓶を握る手を見つめた。
かつて愛剣と共に死地を潜り抜けた身体は、前線での戦闘に耐えられるものではなくなっている。
霊力の充填度が不足しているのである。
「だが、できねぇことは、できねぇんだ」
自分自身に言い聞かせるように呟くと、米田は一升瓶を置いた。
普段は袖を通すことのない軍服へ袖を通し、鏡の前で身嗜みを点検する。
政府高官のところへ出向くためであった。
着替えを終えたところにタイミングよく、米田の副官である藤枝あやめが姿を見せる。
彼女の手には、花やしき支部の決算報告書が抱えられていた。
「司令、お時間よろしいでしょうか」
「何だ?」
「開発資金が底を尽きかけています。このまま企業からの献金がなくなると、一ヵ月後にはラインがストップします」
報告書を見ることなく、あやめがそう言って報告書を手渡した。
米田は無造作に机の引き出しへ報告書を放り込むと、小さくため息をついた。
「株価に歯止めがかからねぇってよ。財閥も、手を引き始めている」
「神武の開発は最終段階にきています。ですが、補給のことを考えると……」
「わかっている。紅蘭には?」
「報告書はいっているでしょう。多分、大神君の耳に入るかと」
「めんどくせぇな。とりあえず、そっちも動いておくしかねぇな」
被っていた軍帽に手をやり、米田はもう一度深く被りなおした。
あやめが道を開け、米田は支配人室の扉に手をかけた。
そして、背後を振り返らずにあやめに向かって指示を出す。
「鳥組の隊長を呼び戻せ。月組の加山も銀座に詰めさせろ」
帝國華撃団は、大きく分けて五つの組に分けられている。
光武を軸に、主戦力として前線に立つ花組。
情報収集を主な活動とする月組。
花組の移動を支え、戦艦や飛行船、海外との連絡役となる輸送部隊、風組。
特殊な能力を駆使し、予知などを担当する夢組。
そして、スカウトを主な活動とし、霊的な拠点としては帝都に並ぶ千年王城の京都に本拠を置く鳥組。
各部署の上には米田一基のみが立つ。
副司令である藤枝あやめは、各組とは別団体である花やしき支部の兵器開発部を担当する。
日本各地に支部を置き、それぞれの支部がそれぞれの隠れ蓑を被りながら活動を続けている。
そして現在、月組隊長には花組隊長と同期の加山雄一が、鳥組隊長には公家の出である三條公彦(さんじょうきみひこ)が、それぞれ就任していた。
「加山少尉はともかく、三條君もですか?」
普段は京都にいる三條を呼び出すことに、あやめがその真意を尋ねた。
米田は扉にかけた手を戻し、あやめを振り返った。
「大神の奴が、花組を再訓練するんだとよ。この一ヶ月、三條を呼び戻せ」
「……三條君に、身体を張らせるおつもりですね」
「仕方ねぇだろ。いくら月組の工作で奴らを抑えても、抑えきれねぇものもある」
「……わかりました。風組に、そのように伝えます」
あやめがそう答え、米田が再び扉に手をかけた時、三度、米田の外出を阻む者が現れた。
米田が迎え入れたのは、花組隊員のマリア・タチバナだった。
「外出されるところでしたか」
「ちょっとな」
「それでしたら、その前に許可をいただきたいのですが」
そう言って見下ろしてくるマリアに向かって、米田はじっと視線を返した。
あやめが二人を見守る中、米田が口端を上げた。
「……下田の、風組の施設だな?」
「鈍った勘を取り戻してきます」
「好きにしな。俺は、お前にしか“死ね”と言わねぇ。大神にも、な」
米田の言葉に、あやめは顔をうつむかせ、マリアは口の右端をわずかに上げて笑った。
「私は、私が花組に呼ばれた理由を、そう考えております」
「だがな、死ぬんじゃねぇぞ。お前が死ねば、次に死なす人材を探さなきゃならねぇ」
「承知しています。では、これで」
そう言って立ち去ろうとしたマリアを、米田は呼びとめた。
マリアが米田を振り返るのを待って、米田は再び口端を上げる。
「寸暇が惜しいか?」
「……はい」
「出発は明後日だ。今晩、カンナとさくらが来る。あいつらの後に出て行ってくれ。連中が、自分の意志で修行に打ちこめるようにな」
「……わかりました。では、今日はこのまま服でも買いに行きます。出かけるところを、アイリスに見られてしまいましたので」
「頼まぁ」
マリアが玄関の方へ歩いていくのを見届けて、米田はあやめを連れて来賓用玄関へと向かった。
来賓用玄関の受付は、風組の榊原由里の領域である。
今日も、由里が頬杖をつきながら、来ない来賓を待っていた。
「ご苦労さん」
受付の中にいる由里に声をかけ、米田が来賓用玄関から、劇場の裏へと姿を消した。
玄関に残ったあやめは、顔付きを変えて由里に指示を出す。
「京都の風組へ連絡に行ってくれる? 秘密裏に、鳥組隊長・三條公彦を銀座に呼んで頂戴」
「三條隊長を、ですか?」
「えぇ。急いでね。明後日までにここへ詰させたいの」
「うわ。じゃ、すぐに行かないと……」
「全ての任務に最優先します。由里、お願い」
「わかりました。じゃあ、行って来ます」
由里が受付を飛び越え、来賓用玄関から飛び出していく。
今日の日付のうちに京都へ辿り着かなければ、明後日の着任は不可能である。
昼頃を過ぎてしまった今からでは、急いで汽車に乗る必要があった。
由里が走り去った来賓用玄関の鍵をかけ、あやめはゆっくりとした足取りで玄関を出る。
今の彼女にできることは、支配人室へ来るであろうカンナとさくらに米田の不在を伝えることだけだった。



帝國歌劇団が開店休業に陥って一週間。
さすがに、売店の売り上げも伸び悩んでいた。
「すまない。その扇子を一つもらえないか」
そのせいか、久しぶりのお客の声に、売店の売り子を務める椿の反応は鈍っていた。
それ以前に、目の前にいる人物がいつ入ってきたかですら、わからなかったような状態である。
「いらっしゃいませ!」
数人分のお客への元気をかき集め、椿が声をかける。
その勢いを嬉しそうに受け止めて、男性がアイリスの描かれた扇子を手にした。
「これをもらおうかな」
「はい。三十五銭になります」
「そうか。では、これで」
男性から一円札を受け取り、椿は小銭の入った篭を鳴らした。
しかし、男性は笑顔でそれを断った。
「え、でも……」
戸惑う椿に、男性はさらに目を細めて微笑んだ。
「いえいえ。君たち、風組三人娘のブロマイドを出してもらえませんか」
「へ? そ、それは試供品で、販売していないんですけど……」
「残念だなぁ。加山の奴に聞いて、楽しみにしてたんだが」
ここまできて、ようやく椿は本来の任務を思い出していた。
表向きは売店の売り子である椿のことを、男性は風組三人娘と呼んでいた。
つまり、ただの一般客ではありえない言動である。
更には、ごく一部にしか流れていない試供品のことまで知っている。
椿の眼が厳しさを帯びた。
「貴方、一体……」
「かすみの婚約者と言えば、わかるかな」
男性の言葉を聞いて、椿は男性の姿を隅々まで観察した。
細い眼に、さらさらとしたやや長めの髪。スーツを着ているが、どこか柔らかい感じだ。
大神のような軍人特有の硬さもなく、どちらかと言えば文人タイプ。
しかし、ちらりと盗み見た足の開き具合は、男性がそれなりの体術を持っていることを示している。
「かすみさんの、婚約者ですか?」
「君は帝國華撃団風組、ミカサ砲術仕官の高村椿君だね?」
男性の言葉に、椿の顔色が変わった。
しかし、緊張と殺気を表に出す椿にも、男性は笑顔を崩さない。
「とりあえず、事務室に案内してくれないか。銀座本部は初めてなんでね」
「……わかりました」
半分疑いの眼差しを向けている椿が、男性を半身の体勢のまま案内していく。
男性は苦笑しながら事務室の扉をくぐると、奥に座っている女性へと声をかけた。
「かすみ、元気そうで何より」
「まぁ、三條さん」
風組の副長、藤井かすみは、帝劇きっての和装美人と呼ばれている。
アレンジが加えられた和服を着こなし、誰にもはしたないと言わせない立ち振る舞い。
銀座本部詰の年長者ということもあり、どちらかと言えば行かず後家の雰囲気を漂わせている。
そのかすみが、男性に向かって普段は見せない表情で微笑んでいた。
「一ヶ月、世話になるよ」
「大神さんの穴埋めですか」
「体張れってさ。君も臨時で、僕の下についてもらうことになる」
話の見えてこない展開に、椿は慌ててかすみに男性の紹介を求めた。
すると、かすみは意外そうな表情を見せてから、男性の紹介を始めた。
「こちら、帝國華撃団鳥組隊長、三條公彦さんよ。由里をスカウトしたのは、この人なのよ」
「えっ……鳥組の、隊長さん?」
恐る恐ると言った感じで男性を振り返った椿は、三條に微笑を返された。
慌てた椿を手で押さえて、かすみが着任届けの書類を手渡す。
慣れた手付で書類に必須事項を書きこんだ三條は、細い目をかすみへと向けた。
「米田司令は、三回ほどだと言ってる」
「つまり、最低三回は前線に立つんですね」
「三回だ。それ以上は、僕が許さない」
「三條さんが許さなくても、降魔は許します」
そう言いながら書類を受け取ったかすみが、書類に判を捺して引き出しの中へと入れる。
三條はかすみがきびきびと動くところを見つめて、小さく笑った。
その笑い声に椿が反応すると、三條は頬を緩めていた。
「こんなことでも、かすみと一緒に働けるのは嬉しいよ」
「三條さんがしっかり私の後釜を見つけてくだされば、すぐにでも帝都を離れられるのですけどね」
「そうだったかな……」
鋭く返されたかすみの言葉に、三條は頭を掻いた。
かすみがやってられないと言ったように事務机の前に座り直し、これ見よがしにペンを走らせる。
椿がやや遅れて口を開いた時には、既に三條とかすみの間にあった、割り込めない空間がなかった。
「あの……」
「何かな?」
先程までとは笑顔が幾分変わったように感じながら、椿は聞きたかったことを口にした。
「本当にかすみさんの婚約者なんですか?」
椿の言葉に、派手な音を立てて書類の破れる音がした。
椿はちらりと音のした方向へ視線を送っただけで、隣にいる三條の顔を見上げている。
三條はと言うと、書類を破ったかすみの方へ笑いかけていた。
「婚約者だよね」
「……違います!」
大きな声で否定したかすみに、三條が寂しそうに呟く。
「親御さんには認めてもらったのになぁ……」
そしてもちろん、椿がその呟きを拾う。
「えっ? 御両親は了承されてるんですか?」
そこまで言って、椿がかすみの方を見る。
破れた書類もそのままに二人の方を睨んでいるかすみを見て、椿は小さく呟いた。
「これ逃したら、一生独身なのに」
「椿ッ、聞こえてるわよッ」
かすみの手から、ペンシルミサイルが発射される。
悲鳴を上げてしゃがんだ椿のわずか上を通り抜け、ミサイルは通路の向こうで乾いた音を立てた。
「あ、危ないじゃないですかッ」
「黙りなさい。三條さんも、妙なことを言わないで下さい」
滅多に見ることの出来ない鬼の形相にも、三條は怯むことなく笑い続けている。
「ははっ、まぁ、僕はいつでも待ってるから」
「一生待ち続けてくださいッ」
かすみが書類をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り投げ、椿が逃げるようにして事務室を出て行く。
二人きりになった事務室で、三條は何事もなかったようにかすみの向かいの事務机の前に座った。
「……地下の演算室には入れてもらえるのか?」
先程までとは打って変わった真面目な声に、かすみもようやく事務的な口調を取り戻す。
「副司令の許可は下りていません」
「やっぱりか。あの人、鳥組嫌ってるからな」
「と、言うよりも、貴方を避けているみたいですよ。前降魔大戦であっさりと神器を貸し出した貴方を」
「神器以外に彼らの力になれるものがあったか? 現実的な選択をしたまでだよ」
三條の眉間にしわが寄った。
見かけ上は二人とも事務をこなしているようで、その実、書いているものは意味のない落書きだ。
かすみは三條の眉間のしわに気付くと、少し表情を和らげた。
「わかってますよ。貴方の選択が正しかったことは」
「二人の命は失った。だが、それ以上のものを守ったんだ」
「でも、一人は副司令の恋人でした。私情を挟むなと言うほうが無理ですよ」
かすみの言葉に、三條はため息をついた。
しかし、すぐに立ち直って確認を始める。
「どこまでの閲覧権が与えられるんだ?」
「少なくとも、私と同様程度の閲覧権です。降魔の情報については、私よりも上でしょう」
「光武の開発を見ることは難しいか?」
「難しいかと。再開発の情報は、完全に閉鎖してありますから。最近は明細に黒い文字が増えました」
「そうか……帝都ばかりに力を注がれても困るんだがな」
かすみの目が、すっと細められた。
その視線の意味に気付いた三條は、小さく首を振る。
「……私は、帝都側の人間ですから」
「無茶は言わない。だけどな、下の連中には不満を持つ奴もいる」
「それを抑えるのも、隊長の仕事でしょう」
「問題はな、術士の連中がやる気をなくすことだ。帝都の連中は派手すぎる」
「確かに、京都には合いませんね」
「……」
三條が、口許に人差し指を当てた。
かすみがすぐに口を閉じ、机の上に広げてある書類を変える。
あまり気持ちのいい数字が並ばなくなった、帝劇の収支決算である。
「話は、今夜ね」
そう言って笑った三條に合わせて、かすみが微笑む。
机越しに微笑みあった二人の耳に入ってきたのは、由里の不満そうな声だった。
「あ、いた!」
由里に指を突きつけられて、三條は苦笑しながら立ち上がった。
その三條へつかつかと歩み寄り、由里は二の腕を突きつけた。
「あれだけの荷物、女性に持たせるなんて最低よ! 見なさい、跡付いちゃったじゃない!」
「悪かったよ。一刻も早くかすみに会いたくてさ……」
「かすみさん!」
由里に名前を叫ばれて、かすみが思わず立ち上がる。
「あ、何?」
「折檻していいですかッ、この人ッ」
「……どうぞ、存分に」
そう答えて、かすみは何事もなかったかのように仕事に戻る。
三條が慌てて助けを求めても、聞こえないふりだ。
「ちょっと、酷くない?」
「いーえ。これからかすみさん式の折檻を受けてもらいますからね」
一向に引く構えのない由里に、三條はかすみのほうへ手を伸ばす。
その手をむんずと捕まえて、由里が三條を劇場の方へと引っ張って行く。
「かすみー、助けて」
「……」
「かすみさーん」
「まずは劇場の客席の掃除からです! 全部終わるまで休みはないんだからねッ」
「僕は頭脳労働派なんですけど……」
「鳥組隊長が、何言ってんですか。大神さんは一週間に三回もこれをするんですよ」
「いや、僕は軍人出じゃないから……」
「ほら、これ雑巾! 十分以内に“子”区画。見に来ますからねッ」
雑巾を持たされ、三條は劇場に隔離された。
花組隊長も情けないが、月組隊長も似たようなものだ。
風組隊長は風のように姿を見せず、鳥組隊長は風組隊員にこき使われる。
帝國華撃団の主力部隊隊長の人選は、米田最大の失敗かもしれない。

<中編に続く>


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