『テッサのスイート・サマー・バケーション 中編』
家に帰ると、袋の中身を手際良く冷蔵庫に詰める。とはいっても、中には脱臭剤しかないのでガラガラだから簡単だ。
(サガラさんは、いつもは何を食べてるのかしら?)
冷蔵庫の中を見て、テッサは不思議に思った。どうも、自炊している形跡はゼロのようだ。テッサは、宗介の報告は色々と聞いていたが、食糧事情までは把握していなかった。
(もしかして、毎日、カナメさんに作ってもらってるのかしら……)
テッサの頭に、楽しそうに台所に立つかなめの姿が浮かぶ。そして、その後ろでは、料理を楽しみに待っている宗介の姿。
(そんなこと、ないですよね。サガラさん……)
不思議と溜め息が出てしまう。昔、誰かが『溜め息を吐いた分だけ、不幸になる』と言っていたのを思い出した。どうも、正解のような気がする。
「大佐殿、どうかしましたか?」
「いえ、何でもありません」
宗介の方を見ると、何だか不思議そうな顔でテッサを見ていた。
冷蔵庫を閉じる。それから、自分のバッグの中から大事にしまってあったエプロンを取り出し、袖を通す。今日のために、わざわざ用意したものだ。
「た、大佐殿、それは?」
宗介はその姿に目を丸くする。
白を基調としたシンプルなデザインに、フリルが豪華さを加えている。その純白のドレスのようなエプロンは、まるで花嫁衣装を思い起こさせる。
「………どうです。似合ってますか?」
テッサはその場所でクルリと一回転する。エプロンの裾がひらひらと風になびく。
(ふ〜む。これは、どうしたものか……)
いつもは、カーキ色の軍服に身を包んでいる分、新鮮な光景だ。宗介にだって、純白のドレスが素晴らしいものだとわかる。だが、何と言っても、それを着ている少女の方が魅力的だ。
「どうしたました?」
少し、ポーッとした表情でテッサの姿を眺めている。
「いっ、いえ。自分にはまぶしすぎて……、その……」
「ふふっ、ありがとうございます」
テッサは、それを宗介なりの誉め言葉だと解釈した。自然と笑みがこぼれる。
「じゃあ、サガラさん。しばらく待ってて下さいね」
「いえ、自分もお手伝いします」
「そうですか。じゃあ、お願いしますね♪」
二人して、台所に立つ。気分は、まるで新婚夫婦のようだ。
(こういうのも、悪くないですね……)
テッサは、宗介のさりげない優しさに感謝していた。それに、結婚したら、こんな感じなのかもしれないと思った。
二人はテキパキと料理を進めていた。宗介は、サバイバルナイフで器用にジャガイモの皮を剥いていた。だが、そのジャガイモはデコボコだ。そして、隣りではテッサは玉葱を刻んでいた。
不意に目頭を押さえるテッサ。その瞳からは、涙がこぼれていた。
「ど、どうしたのでありますか?」
「ええっ、ちょっと玉葱が目に染みて……」
「これをどうぞ」
宗介が手渡したのは、ガスマスクだった。これが、ハンカチとかだったら、ロマンチックな展開もある。だが、如何せん宗介にそういうことを望んではいけない。
「……いえ、遠慮しておきます」
「なかなか、有効な手段と考えますが?」
テッサは宗介の申し出を丁重に断ると、再び玉葱に向っていった。
(もしかして、カナメさんもいつもこんな苦労をしているのかしら?)
などと考えを巡らせていた。


肉、野菜の順に鍋に入れて炒める。テッサが頑張って鍋の中を掻き混ぜる。額には、大粒の汗が光る。それから、具が柔らかくなるまで、しばらくの間煮込む。時間を見て、カレーのルウを溶かし入れる。鍋の中身は、グツグツと美味しそうな音を立てていた。
「本当は、もっと煮込んだほうが美味しいんですけど」
テッサは残念そうに言ったが、目の前のカレーの鍋は美味しそうな匂いと温かい湯気を立てていた。テッサは、お皿に御飯を盛り、その上にカレーをかけた。宗介は、その姿をジッと見つめている。
「はい。どうぞ、サガラさん」
「では、いただきます」
宗介がスプーンを口に運ぶのをジッと見つめている。期待と不安が半分半分の目だ。
「どうですか?」
「美味しいです」
テッサは安堵の表情を浮かべる。
(良かった。上手くいったんですね)
これまで、何度も練習して太鼓判も貰った。でも、実際に目の前で作るとなると、美味しくできたかどうか不安だった。
「よかった。じゃあ、わたしもいただきますね」
テーブルの上に笑顔の花が咲く。自分の皿から、カレーをすくうと口に運ぶ。
「美味しいですね」
「もぐっもぐ……ごっくん……その通りであります」
口の中のカレーを飲み込み、そう答える。そして、再びがつがつと口に運ぶ宗介。見事な食べっぷりである。テッサもそんな宗介の姿を嬉しそうに見ている。
「フフッ、この形の悪いジャガイモは、サガラさんのですね」
スプーンの上には、でこぼこの形をしたジャガイモがあった。
「面目ありません」
「いえ、そんなことありませんよ。最高に、嬉しいです」
テッサは、その塊を愛おしそうに眺めると口に運んだ。
「あの、テッサ……」
宗介が申し訳なさそうに呟く。
「はいっ?」
「……おかわりを……いただいても、よろしいでしょうか?」
宗介の手には、既に空になった皿がある。それを、申し訳なさそうに差し出していた。
「ええ、もちろんです。どんどん食べて下さいね♪」


食事の後は、片付けだ。
宗介は、食事の片付けなどを大佐殿にやらせてよいものか、と懸念した。そして、自分がやりますから、と言った。だが、テッサは頑として、その要望を聞き入れなかった。
「でも、サガラさんが手伝ってくれるなら、助かります」
そう言われると、断ることはできない。
こうして、宗介はカレー鍋を磨くことになった。隣りでは、テッサがスポンジにたっぷりの泡をつけて、カレー皿を洗っていた。余談だが、余ったカレーはタッパーに詰めて、冷凍庫に入れてある。後日の貴重な食糧源だ。
「サガラさん。明日の予定は、どうなっています?」
「はっ、自分は特に予定はありませんが。何か問題でも?」
テッサは、ほっとしたような表情を浮かべる。
「でしたら、どこか連れてってくれません?」
「はっ、お望みでしたら、地球の裏側にでも」
「フフッ。じゃあ、お願いしますね」
その夜は、テッサも疲れているだろうということもあって、早めに寝た。もちろん、テッサは寝室のベッドの上。宗介は、寝室のドアの前で寝袋で待機している。
(このベッドでサガラさんが寝ているんですね……)
そう思うと、何だか少し恥ずかしい気がする。枕に顔を伏せ、大きく息を吸込む。
(サガラさんの匂いがする………)
すごく恥ずかしい。自分がすごく破廉恥な行為をしている気がする。
宗介を好きな気持ち、それは変わらない。それどころか、テッサの心を押し潰しそうなほどどんどん大きくなる。
(大好きです、サガラさん………)
テッサは、宗介への思いを胸に抱き眠りについた。


ベランダから小鳥のさえずりが聞こえてくる。カーテンを開けると、柔らかい光りが部屋の中に溢れた。時間は午前七時である。
(ふむ。今日も、体調に以上はない。武器の点検でもするか……)
今日は、テッサ――大佐殿をご案内しなければならない。プランは昨日のうちに、練っておいた。しかし、もしもの時の事を考えて、武器のチェックだけは怠ってはいけない。グロック19の動作確認をして、マガジンを確認する。
(ふむ、問題なし。予備のマガジンも二、三携帯したほうがよいかもしれんな……)
宗介が予備のマガジンを取りだそうとした時、不意に寝室のドアが開く。眠そうな目を擦りながら、テッサが出てきた。
「ふわぁ〜、あっ、サガラさん。おはよ〜うございます」
「た……たた、た、大佐殿!?」
宗介の慌てたような声に、自分の格好を思い出す。少し大き目のダブダブのYシャツ一枚。それが、テッサの寝間着だった。膝上20cmくらいだろうか、下着が見えそうなくらいだ。白く艶めかしいテッサの足が眩しい。
「キャッ、すみません。後ろを向いててください」
「はっ、申し訳ありません。大佐殿」
すぐに、後ろを向く宗介。二人とも赤い顔をしていた。テッサは、急いで寝室に戻る。中から、ドタバタと急いで着替える音が聞こえる。
しばらくすると、寝室のドアから恥ずかしそうに顔を覗かせる。
「……サガラさん。見えました?」
「いえ、自分は何も見ておりません」
おそらく、下着のことであろう。動体視力に優れる宗介には一瞬見えた気がしたが、その映像を意識的に排除することにした。だが、テッサの魅惑的な姿は記憶の奥底に、しっかりとインプットされていた。
「……良かった」
ほっと安堵の声を漏らす。いくら、好きな人だって寝間着を見せるのは恥ずかしい。まして、それがあのような刺激的な格好なら尚更である。だが、宗介がどう思ったのか、感想を聞いてみたい気もする。だけど、そんなはしたないことは出来ないのであった。
(でも、サガラさん……顔を真赤にして、可愛い)
乙女心は複雑である。
そして、視線の先には、バツの悪そうな真赤な顔の宗介がいた。


二人は支度を済ませると、玄関を後にした。
「今日は、どこに連れて行ってくれるです?」
テッサの灰色の瞳が嬉しそうに宗介の方を見ている。
今日のテッサの格好は、スリムなジーンズのハーフパンツに黒のロングブーツ。スタンドカラーの白いブラウスにピンクのチェックの柄のベストである。
「はっ、それは到着してからのお楽しみです」
「ふふっ、わかりました」
三駅ほど電車に乗り、二人は一つの駅で降りた。そこから、目的の場所まで歩いて向かう。今、二人がいるのは、『よみ○りランド』という遊園地だった。以前、かなめを尾行した時に来たことがあった。
正直言って、宗介は困った。女性をどこに案内したらいいのかわからなかった。それで、以前かなめがデートしていた場所にテッサを案内することにした。
「じゃあ、行きましょうか?」
「はっ、了解しました」
二人は、料金を払うと中に入った。
園内は夏休みだというのに、人の姿はまばらだった。まあ、少し足を伸ばせば、お台場や他にいくらでも若者向けの名所がある。だから、あまり若者はこの遊園地には足を運ばない。そのおかげで、順番待ちをしなくてもよかった。
「サガラさん、もう一回乗りません?」
「はっ、テ、テッサが望むなら何度でも」
ジェットコースターから降りたテッサが、せがむように宗介の腕をとる。その顔には、嬉しそうな表情が浮かんでいた。
(ふむ。どうやら、大佐殿は楽しんでおられるようだ)
宗介は、自分のプランが成功を収めていることを確認した。それから、二人は二回ジェットコースターに乗った。
その後、コーヒーカップやバイキングなどにも乗り、お化け屋敷にも入った。さすがに、疲れたので今は休憩中。オープンカフェで、ジュースを飲んでいた。
(しかし、わからんな。どうして、このような施設が一般に開放されているのだ?)
宗介曰く。
『ジェットコースターは、戦闘機の加速に慣れる施設。コーヒーカップは、遠心力に耐える訓練。お化け屋敷は、あらゆる状況に迅速かつ正確に対処する訓練施設』だそうである。
まさに、テロリストの養成施設である。そのため、お化け屋敷で襲ってきたフランケンシュタインを、危うく射殺しそうになった。
だが、そんな宗介でも楽しめなかったわけではない。それは、テッサと一緒にいたからかもしれないが……。
(ふむ。不思議な施設だな、遊園地とは……)
宗介は目の前のジュースを啜りながら、そんなことを考えていた。
「サガラさん、あれは何ですか?」
テッサが興味津々の顔で指差す。
「いえ、自分もよく知らないのですが……。行ってみますか?」
「はいっ!!」
それは、プリクラの筐体だった。しかも、この遊園地のマスコット・キャラクターの『ボン太くん』バージョンだ。以前は、なかった気がするが、最近導入されたようである。ボン太くんが、愛くるしい顔で微笑んでいる。ちなみに、ボン太くんは、宗介のお気に入りだ。
宗介はボン太くんが微笑む筐体を丹念に確認する。
(もしかしたら、どこかに爆弾が仕掛けてあるかもしれん)
どこぞのテロリストが先回りして、二人を亡き者にしようと画策している可能性があるからだ。
「ふむ。どうやら、記念写真を撮影する機械のようです。危険はないでしょう」
「じゃあ、一緒に撮りませんか?」
「自分とで、ありますか?」
「……わたしとじゃ、嫌ですか?」
テッサが不安そうな顔をする。
「いえ、光栄であります」
宗介とテッサは、並んでプリクラを撮ることにした。筐体の前に立ち、カメラのレンズをジッと見つめる。
「もっと、近寄らないと写りませんよ」
そう言うと、強引に腕を組む。思えば、こんなに接近したことはないような気がする。テッサの体温がほのかに伝わってくる。心拍数が上昇し、体温が上昇している気がする。それにしても、昨日から、テッサの行動には驚かされてばかりだ。
パシャッと音がして、フラッシュが光る。
「あっ、出てきましたよ」
そこには、少し緊張した顔の宗介と嬉しそうなテッサの顔が写っていた。そして、真中では、ボン太くんが愛くるしい瞳で写っていた。
テッサは、そのプリクラの半分を宗介に渡す。
「大事に持っていてくださいね」
そう言った彼女の頬は、桜色に染まっていた。


遊園地を出た後、二人は公園を歩いていた。これまた、以前授業で来たことがある場所だった。すでに、時刻は夕方で、辺りには人の姿はほとんどない。たまに、犬の散歩をしている人とすれ違うくらいだった。二人の邪魔をする人は誰もいない。
「年甲斐もなく、はしゃいじゃいましたね」
「いえ、そんなことは……自分も十分楽しみました」
宗介は、あんなにはしゃいでいるテッサの姿を見たのは初めてだった。いつも艦長という立場上、気丈に振る舞わなくてはならない。その重責から解放されれば、テッサだって一人の女の子だということ再認識した。
(どうやら、大佐殿にも満足してもらえたようだな……)
宗介は、やっと肩の荷が下りた気がした。だが、それは不快なモノではなかった。むしろ、清々しささえ感じた。
それから、二人は無言のまま寄り添うように公園の小道を歩いていた。茜色の夕日が優しく二人を包んでいた。そんな時、テッサが口を開いた。
「サガラさん、こうして好きな人と二人で公園を歩くのがわたしの夢だったんですよ」
(『好き』だと……俺の耳はどうかしたのか。まさか、大佐殿が自分に好意を?)
宗介は自分の耳を疑った。
(いや……まさかな……。自分の聞き間違いだろう)
「聞いてます、サガラさん?」
「……はっ!?」
テッサの声で、我に帰る宗介。
「わたしは、自分の能力も責任も運命も、わかっているつもりです。ですが、時々その重圧に押し潰されそうになることがあるんですよ。知ってました?」
いつも的確な指示を出し、これまで失敗らしい失敗をしたこともない。完璧な艦長を演じていた。その優秀さは、宗介以下誰もが認めていることだった。
「大佐殿がですが?」
宗介は意外な顔をした。
「テッサです」
「はっ、すみません。テッサ……」
「わたしだって、十六歳の女の子です。悩んだり、迷ったりします。特に、あなたのことではね……」
テッサは意味深な笑みを浮かべていた。
「いつも、御迷惑をかけています」
「フフッ、そういうことじゃないんですけど……」
やはり鈍感な宗介であった。
「じゃあ、帰りましょうか」
宗介は、テッサのあどけない笑顔に見とれていた。

<後編につづく>


文頭へ 戻る 進む 毒を喰らわば一蓮托生へ
inserted by FC2 system