『ポーカーフェイスの賭博師(ギャンブラー) 前編』
いつもの風景。
いつもの時間。
変わらない顔触れ。
しかし、今日はあの人の姿がない。
「じゃあ、今日の定例会は、これで終了します。お疲れ様です」
(ふーっ、やれやれ終わったか)
千鳥かなめは、分厚い書類の束を持ち上げるとコンコンと揃える。慣れないことは、するものじゃない。肩が凝った。
定例会――それは、陣代高校生徒会が週に一回開いている会議のことである。学校生活における、あらゆる案件を取り扱う。生徒の要望を学校に伝え、実現に向けて動く。時には、学校の横暴を阻止する武闘団体へと変貌する。
そのため、定例会には、各クラスの委員長の参加が義務づけられていた。
「お疲れ様です。千鳥さん」
「あっ、お蓮さん」
生徒会書記、お蓮さんこと――美樹原蓮が声をかけてくれた。
「それにしても、林水先輩は、いっつも、こんなことやってんの?」
「ええ。でも今日は少ない方ですよ」
かなめは、その言葉に舌を巻く。かなめの手にある二センチの厚さの書類。それが、今回の議題内容だった。全部終わるの二時間くらいかかった。参加していた委員からも、疲れた声が聞こえていた。
林水先輩は、これ以上の量の案件を一時間くらいで終わらせる。さすがに、かなめも先輩の政治力(?)を認めざるを得ない。だが、その先輩が今日はいない。
「ねえ、お蓮さん。何か聞いてる?」
「いいえ、わたくしも何も聞いておりません」
(そっかー、お蓮さんも知らないんだ?)
そうなのだ。本日、林水敦信は朝から欠席していた。どうやら、前日の内に欠席する旨を、教師の方へ連絡しておいたらしい。しかも、今日の定例会の書類を作成してだ。実に、手回しがよい。
「う〜む。閣下の身が心配だ……」
むっつり顔の宗介が呟く。
「どうしてよ?」
かなめも心配じゃないわけではない。でも、たぶん宗介は勘違いしていると思う。
「閣下は、もしかしたら、拉致されたのかもしれん……」
「まさか……。昨日のうちに、連絡があったみたいだし」
「だからだ。千鳥」
「へっ!?」
「おそらく、閣下のことだ。拉致された後、学校に身代金の要求があったはずだ。だが、学校側は、あまりの巨額の身代金のため、その事実を隠しているにちがいない……」
「いえ、電話はわたくしが受けました。別段、お変りありませんでした」
あっ、そうか。だから、書類が出来ているんだ。書類の作成は、主に書記の仕事だ。
おそらく、林水先輩が指示したのだろう。
「閣下は銃を突き付けられていたのだろう。しかも、生徒会の人間を巻き込むわけにはいかない。おそらく、閣下は恐ろしく高度な暗号を会話の中に紛れ込ませたに違いない。おそらく、職員室に会話の内容を録音したテープがあるはずだ。これから、テープを奪取し、解析を行なう」
パコッとハリセンで殴る。一応、宗介も先輩のことを心配していたから、随分と弱目だ。
「明日、学校に来てから聞きましょ」
「そうですね。それが、一番よろしいかと存じます」
「ふ〜む、仕方ない」
納得してない顔だった。だが、勝手に暴走されても困るので、今日は宗介を連れて帰ることにした。生徒会室を出る時、お蓮さんに、
「仲がおよろしいのですね……」
なんて、冷やかされたりした。


校門の所に、ドデカイバイクが二台止まっている。猛獣のよう唸り声で、こちらを威嚇している。その上に、黒いヘルメットを被った学生服が二人。生徒は、その姿を不安げな表情で見つめていた。
そして、ここにも緊張した面持ちの人間が一人……。
「千鳥、気を付けろ。やはり、閣下はテロリストに拉致されたようだ……。ここまで、早く刺客を送り込んでくるとは……」
言うが早いか、黒いコンバット・ナイフをずらりと引き抜く。
「だぁーー。いい加減、その考えを捨てろぉー!!!」
宗介の後頭部をはたく。
その姿に、メット男が笑い声をあげる。そして、被っていたメットを脱いだ。
「相変わらずだな。てめ〜らは」
「あっ、あんた。日下部侠也?」
メットの下から現れた顔は、林水先輩の中学の時の悪友だった。彼とは、以前の事件で出会って以来だった。
「話がある」
素っ気無くそう言うと、二人にヘルメットを手渡した。


背中で髪がバタバタ揺れている。かなめの髪は長いので、当然メットの中には、おさまらなかった。かなりのスピードが出ているのか、景色がビュンビュン後ろに飛んでいく。
しばらく走ると、くすんだ色の雑居ビルの前でバイクが止まった。
「着いたぜ」
そこは、以前二人も来たことがある店だった。店の名前は、『688(i)』である。二人は、林水先輩の黒い噂の真偽を確かめるべく、この店に潜入し、大暴れしたことがある。
今思えば、懐かしい記憶だ。
「まあ、入れよ」
日下部が店へと続く階段を降りていく。
「千鳥。気を付けろ。以前のことを根に持ち、復讐を企てているのかもしれん」
「う……うんっ」
かなめも気を引き締める。なにしろ、これから突入するのは、不良どもの魔窟『688(i)』。
何が起きるかわからない。階段を下ると扉があった。前回は、ここに二人の少年が見張っていたのだが、今はいない。
代わりに、『いらっしゃいませ』と書かれた人形が一体。扉を開ける。ギッという重い感触に緊張が走る。
そして、かなめの目は驚愕に見開かれる。ピンク一色――店の雰囲気はガラリと変わっていた。
明るい店内、可愛らしい装飾、それに客層まで、何から何まで変わっていた。
客の大半は、若い女性。以前の魔窟の雰囲気は微塵も感じられない。
さすがに、あの宗介もこの変化に圧倒されている。
「てめ〜らのせいだよ」
話によると、あの事件の後、オーナーが麻薬で逮捕されたらしい。店が潰れたあと、新しくこの店が入ったそうな。
しかも、どっかの雑誌で紹介されたらしく、今では客の大半が女性である。デザートが美味しいらしい。
「話って、これのこと?」
「それもある。まあ、座れや」
三人は、一番奥の席に座った。そして、それぞれ注文する。もちろん、日下部のオゴリである。
かなめの前に、この店一番のお薦めのデザートが運ばれてくる。
「で、話って何なのよ?」
かなめは、デザートをパクつきながら、質問する。
「最近、林水の野郎はどうしてる?」
「先輩? 今日は、休んでたわね」
「……やっぱりな」
どこか、予感していたというような表情を浮かべる。
「どういうことだ。返答によっては、貴様は明日の太陽を拝むこともできなくなる……」
ジロリと殺気のこもった視線を送る。だが、ほっぺにクリームが付いてるので、ちょっと情けない。
「どういうこと?」
かなめのデザートを食べる手が止まった。
「どうも、林水の野郎がヤバイことに巻き込まれているらしい……」
「ヤバイことって?」
「おい、アキミツ。話してやれっ」
侠也が声をかけると、別の席に座っていた少年が来て、侠也の隣りに座った。宗介を乗せてきた少年だった。
「実は、一週間くらい前です。林水さんを見かけました」
「どこで?」
「雀荘です。ですが、そこはヤバイです。ヤクザが経営してるんすから……。ちなみに、レートも半端じゃないです。一晩の負けが、軽く数十万を越します。場合によっては、何百万も借金を背負わされることになります……」
かなめは、ゴクッと息を呑んだ。
「続けて」
「どうも、林水さんは、ここ毎日その雀荘に出入りしているようです。しかも、今日は揉めていました。相手は、明らかにヤクザでした。どうも、脅されている感じで……金は明日まで待ってやるとか、権利書がどうのこうの言ってたみたいです」
「という訳だ」
「マジなの……それ?」
かなめは、ジーッと見つめる。
「信じるか、信じないかは、てめ〜ら次第だよ。俺は、林水の野郎がどうなっても知らね〜けどな」
「でも、あんたも素直じゃないわね。正直に心配だって言えないの?」
「チッ。これだから、あんたらには、会いたくなかったんだよ」
ポケットから煙草を取り出すと、火を付けた。どうも照れてるらしい。
宗介とかなめは、その話の後、店を出た。どうも、面倒なことになってきた。
話が本当なら、相手はヤクザだ。前回みたいな、不良とはわけが違う。
場合によっては、鉄砲だって持ってる可能性もある。
「千鳥。どうする?」
「そうね。明日は、先輩を尾行して、あの話が真実か突き止めるしかないわね」
「ふむ。妥当な作戦だな」


次の日、林水先輩は何事もなかったような顔で登校してきた。まるで、昨日の話がまるっきり嘘のようである。真偽の判断がつかない。
取り敢えず放課後、お蓮さんを含めた三人で、昨日欠席した理由を聞きに行った。
「実家の方で、用事があってね」
そう言った。アキミツっていう少年の話と違う。お蓮さんは、
「良かったです。お体の具合でも悪いのかと、心配しておりました」
「それは、すまないことをした」
と、林水先輩。
う〜ん。やっぱり、お蓮さんには、あの話はしないで正解だったかもしれない。
先輩がヤクザとトラブルになっているなんて知ったら、心労で倒れかねない。この件は、宗介とかなめの二人で解決することにした。
かなめはこれまで、林水先輩のことを信じていた。前回の黒い噂も、実は誤解だったってことがわかった。
その時は、宗介もかなめもホッと胸を撫で下ろしていた。しかし、ここに来て再び黒い噂が持ち上る。
しかも、ギャンブル……。侠也の話では、以前賭けポーカーで三万円の元手を、一夜にして三〇万円に変えた実績があるそうだ。だから、余計に心配になってくる。
もしかして、ギャンブルにはまって、借金でもしているんじゃないかと。
「千鳥。わかっているな」
「うん。準備OKよ」
この後、二人は彼を尾行することにしていた。昨日の話によれば、金が渡るのが明日。つまり今日のことである。
アキミツっていう少年の話が正しければ、今日も間違いなく、問題の雀荘に行くのだろう。
かなめは、スポーツバッグの中に、帽子やサングラスや私服を用意してきていた。できるだけ、目立たない格好で尾行するつもりだった。
「では、これで失礼するよ。用事があるものでね」
用事――一体何の用事なのだろう。願わくは、問題の雀荘に足を運んで欲しくない。
林水先輩が下駄箱に向ったのを確認すると、更衣室で素早く私服に着替える。もちろん、サングラス着用だ。かなめが校庭を見ると、林水先輩の後ろ姿があった。
「ソースケ、準備いい?」
「うむ」
だが、振り返ったかなめは宗介の姿に唖然とする。
緑と茶色の迷彩服にペイント。頭には、葉っぱのついたヘルメット……。ジャングルに偵察に行くわけじゃない。これで、目立つなって言うほうがおかしい。
「この、馬っ鹿も―――ん。とっとと、制服に着替えてこ―――い!!!」
かなめのハリセンが、宗介の頭部に直撃していた。
それからしばらくして、宗介がどうにかマシな格好で戻ってきた。二人は、急いで林水先輩のあとを追うことにした。
「見失ったら、ソースケの所為だからね。たくっ」
「すまん。千鳥」
二人は、林水先輩の姿を見失っていた。辺りをキョロキョロと見回す。今日は、土曜の午後なので人通りも多い。
「千鳥。あそこだ……」
宗介が指差した先には、白い詰め襟の少年が駅の方向に向って歩いていた。
「つけるわよ……」
「了解だ」
それから、二人の尾行が始まった。駅に着くと、林水先輩は切符を買った。その行き先は、宗介が双眼鏡で確認してる。行き先は、新宿方面だった。しかも、問題の雀荘があるのも同じ方向だった。
「先輩の家とは逆方向ね」
「うむ。まさか、とは思いたいが……気になる」
電車の中でも、林水先輩の様子に変化はない。文庫本を取り出すと、目を通す。題名は、『最新詳説 AS技術の全て!!』なんて本だ。もしかして、先輩も宗介の影響を受けたのだろうかと考えていると、先輩が降りた。すかさず、後を追う。
「やっぱり、雀荘に行くのかな?」
ここは、問題の雀荘がある場所。なんだが、疑惑が確信へと変わっていく。あの林水先輩が、非合法のギャンブルに溺れ、ヤクザとトラブルになっている。信じたくない事実だ。
そうしている内に、林水先輩が足を止めた。彼の前には、銀行がある。そして、そのまま、銀行の中へと入っていく。
どうやら、お金を下ろすようだ。麻雀をする資金なのか、それともヤクザに支払う金なのか。どっちにしろ、まっとうに扱われそうにない。
「林水様。お待たせしました」
先輩を呼ぶ声が聞こえる。
その姿を双眼鏡で確認するかなめと宗介。周囲の人間が、二人を怪しい目つきで見ているが、この際気にしない。
(なっ!?)
一〇〇万円の札束が、合計四。分厚い……。
はっきり言って、一介の高校生が持っているような額じゃない。窓口のお姉さんも、驚いたような顔をしている。
先輩は、四〇〇万円を持ってきた茶色の袋に詰めると、そのまま銀行を後にした。
向ったのは、歓楽街。怪しげなビルが立ち並び、胡散臭い店が軒を連ねていた。
そして、その先の雑居ビルに先輩は入っていった。そのビルには、問題の雀荘の看板が……。
もう、これはほとんど間違いない。かなめは、自分の中で、林水先輩のイメージが崩れていくのを止めることができなかった。
「ねえ、もう帰ろうよ」
かなめは、宗介の制服の裾を引っ張った。なんだか、これ以上は見てはいけない気がする。
それは、宗介も同じだった。人には、自由というものがある。
まっとうに生きるか、そうでないかは個人の自由だ。だが、
「俺は、閣下を信じている。千鳥は、信じてないのか?」
「いや、あたしだって信じてるわよ。でも……」
「なら問題ない。あのビルに突入し、閣下を救い出す」
もうこうなった仕方ない。最後まで行って、事実を突き止めるしかない。そして、もし先輩が悪の道に手を染めているなら、止めさせるしかない。
「行くわよ!!」
「うむ」
かなめの中で、正義の炎がメラメラと燃え出していた。

<中編につづく>


文頭へ 進む 毒を喰らわば一蓮托生へ
inserted by FC2 system