「Baskerville FAN-TAIL the 7th.」 VS. Brash
「……あ〜あ」
セリファ・バンビールは自分の家のドアに寄りかかってポツンと座り込んでいた。
自分が出かけた後に、姉のグライダ・バンビールと同居人(?)のコーランが出かけてしまったらしく、鍵を持って出なかった彼女は家に入れなくなってしまったからである。
よくこっそりと鍵を隠しておくパターンがあるが、彼女の家にはそのように隠せる場所はない。
すでに太陽も傾き始め、あと何時間かで日が暮れてしまうだろう。
「……おねーサマも、コーランも、ドコ行っちゃったのかなぁ?」
肌身離さず持っているグライダのぬいぐるみに話しかける。が、もちろん返事をしてくれる筈もない。
それがさらに彼女の悲しさをあおってしまう。
突然、寂しそうにうつむいていた顔を不意に上げて通りの先に目を向けた。
「おねーサマ!」
ひょこっと立ち上がり、とたとたと通りをかけていくと、向こうからグライダとコーランが歩いてくるのが見える。
「セリファ。帰ってたの?」
彼女の姿を見たグライダが声をかけると、セリファの方は一直線にグライダの元へかけこんで勢いよく抱きついた。
「おねーサマ。コーラン。ドコ行ってたの?」
抱きついたまま無邪気な笑顔でグライダの顔を見上げる。そんな光景を見て、コーランも呆れ気味の笑顔を浮かべている。
「相変わらずね、セリファ」
「この子が、例の……?」
コーランの後ろから聞き覚えのない男の声が聞こえた。セリファは抱きついたまま、首だけ出してその男の方を見る。
その男も、コーランと同じ金属光沢を放つマントを着込んでいる。魔界の住人だ。
パッと見は弱そうな優男。しかし、見た目で判断できないのが魔界の住人である。
薄い唇に塗った赤黒い口紅が少々気持ち悪く見えるが、魔界では男の人が口紅をつける事は別に珍しくないそうだ。
「この人を迎えに行っていたのよ」
コーランは彼の胸を拳で軽く叩いて、
「この人は、私の魔界の知人で……」
「やだ」
コーランの自己紹介が終わるより早く、セリファがその男をムッとした顔で睨みつけている。
「『やだ』って……まだ何も言ってないじゃない、セリファ?」
グライダも抱きついたままのセリファの頭を軽く撫でるが、
「その人……やだっ!」
パッとグライダから離れると、一目散に駆け出していく。
「あ。ちょっと待ちなさい。セリファ!」
だいたい十メートル程走ってこてんと転んでしまう。グライダは呆れつつも、
「大丈夫!?」
そう言って駆け寄ろうとするが、
「やだっ!!」
グライダの声にも耳を貸さずに起き上がると、そのまま走り去ってしまった。
「……嫌われちゃったみたいですね」
自己紹介を中断されたにもかかわらず、バツの悪そうな顔で二人に謝るその男。
グライダは「すみません」としきりに謝っているが、コーランの方は少々首を傾げるのみだった。


世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。
だからこそ、ここへ来れば——どんな職種であれ——仕事にあぶれる事はない、とまで云われている。


セリファは脇目もふらずに大通りをひた走る。しかし、ちょっとした大通りの段差に足をとられてまた転びそうになる。
が、前に立っていた戦闘用特殊工作兵・シャドウが、転びそうになった彼女をそっと抱きとめた。
ゆっくりと立たせてやると、シャドウは彼女を見下ろしたまま、
「何かあったのか?」
背の低いセリファを高い位置から見下ろしているシャドウ。セリファは顔を伏せたまま何も言わない。
ロボットであるために、人間の「感情」というものが「知識」としてしか存在しない。その「知識」を総動員し、できるだけ「優しく」声をかけてみた。
「……言いたくない事なのか?」
「…………」
それでも反応はない。しかし、このまま放っておく事もできずに立ち尽くしていると、
「ちょっとあんた」
いきなり後ろから声をかけられた。シャドウのメモリーが瞬時に誰かを判別する。
「確か、お嬢ちゃんがよく行く菓子店の主人だな。何か用なのか?」
振り向いたシャドウの前には、細みの中年女性が立っていた。セリファに連れられてその菓子店には何度も行っているので面識はある。彼女はセリファの前にしゃがみ込むと、
「どうしたんだい、セリファちゃん。何かあったのかい?」
セリファは少しだけ顔を上げると、ようやく悲しそうに拗ねた表情を浮かべた。
「こういう時は、相手と同じ目線になるもんだよ。そんな風にしてたら怖くてしょうがないよ」
彼女はしゃがみ込んだままシャドウの方を見て諭した。シャドウの方は、
「自分は、お嬢ちゃんに危害を加えるつもりはないが?」
「そうじゃないよ。わかってないね、あんたも」
セリファをぎゅっと抱き締めたまま立ち上がると、
「子供っていうのはね。自分より大きい大人を怖がるもんなんだよ。あんたみたいにでかい図体のやつが見下ろしてたら、それだけでびびっちまうよ」
「……そういうものなのか?」
シャドウの無機質なマスクのような顔に、困惑の表情が浮かんでいるようにも見える。
「そういうもんなんだよ。さ。セリファちゃん。これから神父さまの所に行くんだろ? こいつに連れてってもらいな」
そう言って抱き締めたセリファをシャドウに渡す。まだセリファは何も言っていないのに主人はそう見抜いた。
「……そうなのか、お嬢ちゃん?」
セリファはまだ沈んだ表情ではあったが、ようやくこくんとうなづいた。


「……それで、ボクの所まで来たというわけですか、セリファちゃん?」
オニックス・クーパーブラックはシャドウに肩車をしてもらって自分の教会までやってきた彼女を、いつも通りの笑顔で出迎えた。
セリファの方も、出されたジュースをストローで吸いながら、彼に向かって、
「やだったんだもん」
と、ポツリと言うばかり。
「ただ単に『嫌』というだけでは……」
事情は理解した。きっと、コーランが迎えに行ったという人物から、何か良からぬ気配でも感じたのだろう。
「……シャドウは、どう思いますか?」
彼の隣にじっと立っていたシャドウは、クーパーの問いに少し間を置いてから、
「人間は幼い頃に、遙かな昔に持っていたとされる、通常を超越した感覚や能力を発揮する事があると云われている。お嬢ちゃんの場合、生活年齢は十九歳でも、肉体的な年齢はまだ十歳くらいだ。そういった感覚や能力を発揮したとしても、あながち荒唐無稽とは言い切れまい」
「……確かに、そういった研究結果もあるにはありますけど」
クーパーは黙々とジュースを飲んで、クッキーを頬張っているセリファを見て尋ねてみる。
「セリファちゃん。その人の、どんな所が嫌だったんですか? 例えば、身なりとか、言葉遣いとか……」
「……わかんない。でも、やだったの」
少し言葉に詰まってから、ぶすっとした顔で短く言い切る。
すっかりジュースを飲み干してしまったセリファは、名残惜しそうにストローの先をしゃぶっていた。
「……弱りましたね。それでは何もわかりませんよ」
さすがの彼も「お手上げ」といった感じだ。
「とにかく、もう日が暮れます。ボクも一緒に謝ってあげますから、今日は家に帰りましょう」
クーパーの申し出に、しばらくうつむいていたセリファだったが、
「……うん」
と、ぽつりと小さくうなづいた。
その時、部屋の窓ガラスが勢いよく開いた。
「お〜い、クーパー。いるか?」
窓を開けた人物は返事を待たずにそこからひょいと部屋に入ってきた。クーパーは「またか」といった感じで、
「バーナム。いい加減、窓から入って来るのはやめて下さい」
小柄の少年、バーナム・ガラモンドは彼の言う事など完全に無視して、セリファのついているテーブルの空き椅子に座ると、持っていた大きな包みをドスンと置いた。
「いやはや。人助けってのは、やってみるもんだね。お礼だってこいつをもらったよ」
そう言いながら包みを広げると、それはダンボールの箱で、その中には様々な干した果物が一杯に詰まっていた。
「珍しいな。最近では、こんな物まで干しているのか」
「こんな物って……果物を干すと云うのは、昔からありますけど……?」
箱の中をのぞき込むシャドウにクーパーが説明する。が、シャドウはかまわずに箱を持ち上げ、そのままくるりとひっくり返した。
ドサドサドサッ。
テーブルの上に干した果物が散乱し、その山の中に異質な黒い塊が。
「……あ、ビデオテープ」
セリファがそれを手にとった。その途端、彼らは理解した。
仕事だ、と。


「それじゃあ、今日はこれで失礼します」
玄関でペコリと頭を下げる男。その男は、セリファに開口一番「やだ」と言われた彼である。
「済まなかったわね。あの子があんな事言っちゃって」
彼に向かって一応の笑顔を浮かべて応対するコーラン。男は苦笑いをして、
「無理矢理訪ねてきたこっちにも非はありますよ。……セリファちゃん、でしたっけ? あの子によろしくお伝え下さい」
そう言って家を出ていった。その姿を見送って戻ってきたグライダが、
「あの人……ブラッシュさんだっけ? どうしてセリファのトラッドカードを見たい、なんて言ってきたんだろう」
「仕方ないわよ。あの子の使う魔法を編み出したの、彼の遠い先祖なんだから。普通は五枚くらいしか持たないけど、あの子の場合は二十六枚全部持ってるから、珍しいのよ」
トラッドカードとは、こちらでいう占い用カード。タロットカードの様なものだ。
占いに使う物と魔法で使う物は見た目は同じだが、魔法で使う物は魔術的な処理が施してあるのが普通だ。
その魔術的処理を施したカードを触媒に様々な術を使う者が、世間一般でいう「カード魔術師」なのである。
一口にカード魔術といっても様々だが、その殆どはカードに描かれたものを実体化させるか、カードの意味そのものを具現化させるものだ。
セリファの使う魔法も例外ではなく、カードに描かれている物を実体化する魔法だ。
慣れた者ならば精神集中だけで行えるので呪文を唱える必要すらないし、使い方によっては下手な術よりも効果的で威力も高い。
他の神や精霊等の力を借りない分制御も難しく、魔界の住人はもとより、人間の中にもそれほど多くの使い手はいない。
もっとも術者によって得意不得意があるし、使いやすいカード・使いにくいカードと使用頻度に差が出るので、一人の術者がたくさんのカードを持つ事はまずない。
「でも、それならどうして彼に見せなかったの? あの子、確か机の引き出しにしまってる筈よ。知ってるでしょ?」
「……ちょっと、引っかかる事があったの。単なるカンだけど」
夕食の準備の手を休めずコーランが言った。
「……そろそろセリファがオニックスと一緒に戻ってくるわ。お皿を『四つ』出しておいて」
セリファはグライダやコーランと些細な事で喧嘩した時、いつもクーパーの所に行く。
そして、彼にたしなめられて戻ってくる。毎回そうだった。
今回もそうだった。ただし、二つばかり違う所があったが。
「バーナム。あんたの分なんてないわよ」
一緒に来た彼を見るなりグライダはそう言って席に座った。セリファとクーパーも席についている。
「わーってるよ。オレはこいつをかじってるから」
バーナムはダンボールに入った干した果物を適当に掴み、かじりついた。
その途端、いかにも不味そうに顔をしかめると、
「……なんじゃ、こりゃ。酸っぱくて食えたもんじゃねーや」
慌てて吐き出し、蛇口に吸い付いて水をガブガブ飲んでいる。
「バーナム。それは煮込み料理の調味料に使うのよ。そのまま食べたら大変よ」
コーランは、彼の抱えているダンボールの中から何種類かの果物を取り出し、
「これならそのまま食べられるわ。その代わり、これ、家で使うからもらうわよ」
そう言ってしわしわの紫の粒だけをいくつか彼の手に落とす。仕方なくその粒をぽいと口に放り込んだ。
「それにしても、バーナムやシャドウまで来るなんて、何かあったの?」
グライダは、パスタが絡まりすぎて団子になったフォークを見つめたまま二人に問う。
「そのダンボールの中からビデオテープが出てきた。間違いなく『仕事』だろう」
シャドウがその問題のビデオテープを取り出した。
食事が終わり、皆がグライダの部屋のテレビの前に集まる。それほど広くない彼女の部屋が一杯になる。セリファはシャドウに肩車をしてもらっている有様だ。
クーパーがビデオデッキにテープを入れ、再生ボタンを押す。画面に浮かび上がったのは、綺麗に並べられた何冊もの本だった。
『……これは「運命の本」と呼ばれている魔道書だ』
ドキュメント番組のような雰囲気のナレーションが入る。凝らなくてもいい所に妙に凝ってくる所に呆れつつも、皆口を挟まなかった。
『無論、これは本物ではなく、皆ごく一部のみを記した写本だ。いや、本物は、本来ならもう今の時代には「殆ど残っていない」筈なのだ』
そこで一端ナレーションが途切れ、間を置くと再び語り出した。
『運命の本は、神が使う言葉で書かれていた。人はそれを読む事で神の知識を知る事になる。しかし、人の身では知識そのものですら身体が耐えられず、精神崩壊が元で発狂してしまう者もいた。それほどの力を持った本なのだ』
画面が切り換わり、今度はトラッドカードのセットが写る。
『その為、人はその本の内容を一枚の絵にする事で威力を弱め、そこに書かれた知識のみを活かす事を思いついた。それこそが「トラッドカード」の原点なのだ』
画面は再び本の山になる。
『しかし、ここ近年になり、魔術用のトラッドカードに術をかけ、この運命の本へと変えてしまう術者の存在が確認されている』
画面には一人の男の写真が写っている。
「あっ!」
グライダとコーランが驚きの声を上げる。
『その男の名はブラッシュ・エクストラ。魔族ではあるがその魔力は決して高いものではなく、これだけの術が使えるとは思えない。何かある筈だ。充分注意してほしい』
画面はそのままで、ナレーションは続く。
『今回の任務は、この術の行使を永遠に止める事。この運命の本は、人界にあってはならないのだ』
ブン、と音を立てて画面が真っ暗になる。
…………。
静まった部屋の中、ゆっくりとクーパーが動いてテープを取り出した。その後もしばらくの間、誰も口を開こうとはしなかった。
人間を精神崩壊にまで追い込んでしまう書物の存在は、確かに放っておけるものではない。
本の流出ならば、是が非でも防がねばならない。
しかし、術者を捕まえるくらいならば、別に自分達でなければならない理由などない。そこいらの普通の腕利きで充分だろう。
確かにその辺りが引っかかるが、それでも仕事は仕事。やらなければならない。が……。
「なんっか、気がのらねーな」
バーナムが大きく溜め息をつく。
「そうねー。これくらいなら、別にあたし達でなきゃってわけでもないし……」
グライダも、今回はあまり乗り気ではないようだ。
「ですが、運命の本を広めてしまうわけにはいきませんよ」
クーパーがそう言うものの、彼にも「よし、やるぞ」といういつもの雰囲気がみんなにない事はわかっている。
「セリファ、もうねるー」
場違いに眠そうな声でトコトコと自分の部屋へ帰るセリファ。グライダは多少呆れつつも「しょうがない」と思ったのか、何も言わなかった。
「ああ——————————————っ!!」
突然のセリファの叫び声に、皆が彼女の部屋へと向かう。部屋をのぞき込んだ一行も、叫んだ理由を理解した。
部屋の引き出しという引き出しが出されたままで、中はグチャグチャに荒らされている。
ベッドマットをひっくり返したり貼っているポスターを剥がした形跡まである。
どう見ても誰かが何かを探した後だ。それも、徹底的に。
「……やったのは、ブラッシュという男に間違いなさそうだな」
部屋の中をグルリと見回したシャドウが、床に落ちていた紙切れに書かれたメッセージを見て、そう言った。
グライダ達にその紙切れを見せる。

「トラッドカードは私が戴く。
              ブラッシュ」

とだけ書かれた物だ。
セリファは大急ぎで机の引き出しの中を見てみる。
「あれ? ちゃんとあるよ?」
そこには確かにケースから出されたままのトラッドカードが。セリファはそれらを手にとって枚数を数えている。
二枚足りなかった。詳しく調べてみると、
「『誕生(バース)』のカードと『死亡(デス)』のカードだけない……」
セリファの目から涙がこぼれる。
「おじちゃんと『だいじにする』ってやくそくしたのにー」
ついにペタンと床に座り込んでワーワー泣き始めた。
「おじちゃんって?」
「お隣のメインナール王国の国王陛下。元々はそこの宝物庫にあったんだけど、色々あってね。十歳の時セリファがもらったのよ」
バーナムの問いに、グライダが答える。
「……なんか、こみいった事情があるみてーだな」
ペタンと床に座り込んだままのセリファを見下ろして、
「ギャーギャー泣いてんじゃねぇよ。泣きゃいいって思ってんじゃねぇだろうな?」
バーナムはそう言いながらしゃがむと、セリファの頭をコツンと叩き、
「……おい。盗られたモン、大事なモンなんだろ? 取り返しに行かねぇのか?」
しかし、肝心のセリファは、泣く声が小さくなっただけで、まだ泣き続けている。
「大事にするって約束したんでしょ? あたしも手伝うから、行こ」
グライダが彼女の涙を拭いてやる。セリファは、残ったトラッドカードを揃えて持つと、
「……うん」
小さいが、泣くのをこらえてしっかりとうなづいた。
「よしっ。……行くか」
バーナムがすっくと立ち上がり、部屋を出た。他のメンバーもそれに続く。
「コーラン。あいつの居場所はわかってんだろうな?」
「……一応ね。この町のメインストリートのビジネスホテルに泊まるって言ってたわ」
コーランが彼に向かって答える。
「……おねーサマ。クーパー。セリファ、やくそくやぶっちゃったよぉ」
クーパーは、彼女の頭を優しく撫で、
「大丈夫ですよ、セリファちゃん。大事にするという約束を守るために、取り返しに行くんですから」
「そうそう。ついでにふんじばって警察に突き出してやればいいのよ」
出来るだけ明るくグライダが言う。
「それにしても、バーナム。あなたが他人を励ましてあげるなんて、珍しいですね」
クーパーが、一番後ろを歩くバーナムに向かって尋ねる。
「……別に理由なんてねぇよ。ギャーギャー泣かれたんじゃ、うるせーからな」
吐き捨てるようにそう言うと「関係ない」と言いたげに大あくびをした。

<To Be Continued>


文頭へ 進む メニューへ
inserted by FC2 system