「Baskerville FAN-TAIL the 6th.」 VS. Sou-Kyo
「次のニュースです。このところ町を騒がせている連続傷害事件ですが……」
食卓に置かれた小さなテレビが、また一つ兇報を届ける。それを無理に無表情な顔を作ってボーッと見ているコーラン。
「どうしたの? ……ああ。連続傷害事件の事ね」
テレビ画面をのぞき込んだグライダ・バンビールが溜め息交じりに言った。
「剣でバッサリ斬られちゃってんでしょう? 町の中で刃物ザタやったら、すぐに調べられちゃうってのに……」
この世界では刀剣類の所持には許可がいる。その時に、剣の使い手の事だけでなく、その剣が作られた工房、作った鍛冶職人の名から、どういった切り口になるのかも登録される。犯罪に使われた際に、それを犯人特定の材料にする為だ。
「少なくとも、朝のさわやかな時間に、こんな話題はゴメンよね〜」
沈んだ雰囲気を少しでも吹き飛ばそうと明るく言い、コーランの方に顔を向けた。
「ところで、朝ごはんは?」
「昨日作り置きしておいた野菜カレー。ゴハンは炊いてあるから、二人で食べてていいわよ。私は、ちょっと出かけてくるから」
そう言いながら席を立つコーラン。その背中にグライダが声をかける。
「こんな朝早くから、どこへ行くのよ」
「デート」
「へ〜」
グライダがフフッと笑い、「相手は誰?」と言わんばかりの目で見ている。
「勘違いしている様だけど、日時と場所を決めて人に会う事も『デート』って言うのよ。覚えておきなさい」
グライダに背を向けたまま手を振り、コーランは部屋を出ていった。
「……しょうがない。あの子を起こしてこ〜ようっと」
つまらなそうに呟くと、自分の妹を起こしに向かった。


世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。
だからこそ、ここへ来れば——どんな職種であれ——仕事にあぶれる事はない、とまで云われている。


「……デートでしたら、もう少し洒落たレストランの方がよろしかったのでは?」
コーランの話を聞いていた神父オニックス・クーパーブラックがいつも通りの優しい笑顔で言った。
「オニックス。それ、冗談のつもり?」
「ご想像にお任せします」
優しい笑顔が照れの交じった苦笑いになる。
ここは、24時間営業のファミリーレストラン。さすがに朝早くでは人影もまばらである。
そんな中でも、この「神父」と「魔族の女性」という妙と言えば妙な組み合わせが、そこだけ結界でも張られている様な、他を寄せつけぬ雰囲気を漂わせていた。
「それで、わかったの?」
運ばれてから一度も口をつけていなかったコーヒーに手を伸ばすコーラン。
「ええ。あの連続傷害事件の犯人は魔族です」
今、躍起になって調べを進めている警察機構が聞いたらびっくりする様な彼の台詞だ。
「魔族といっても、今は姿を変え、普通の人間として生活をしているみたいですね」
そう言いながら、どこからか調べてきた書類をパラパラとめくる。
「名前は創挙(そうきょ)。魔界の古式剣法を修めた、文字通りの達人だそうです」
「魔界の古式剣法か……。これじゃあ、オニックスかグライダでなければダメね」
コーランがコーヒーカップを持ったまま窓の外の海を見下ろした。
魔界に住む者は、通常の人間よりも能力の平均が高い。それに加え、生まれながらにして「魔法」を操る事ができる者も多い。魔界の古式剣法は、剣技と魔法を組み合わせたものが殆ど。魔法を無効にできるグライダか剣技で圧倒できる彼でなければ、互角には闘えまい。そう判断しての事だった。
「でも、コーランさん。まだ『指令』は出ていません。神父としてもこのまま放っておくわけにはいきませんが、バスカーヴィル・ファンテイルとして動く事はできませんよ」
確かに、彼らバスカーヴィル・ファンテイルは依頼、もしくは彼の言う「指令」がなければ「仕事」はできない。
「そんな事はわかっているわ。オニックス。あなたは不思議に思っていないの? そんな魔界の古式剣法を修めた程の達人が、相手を斬り殺していないなんて……」
コーランの言う通りではある。傷害事件ではあっても、殺人事件ではないのだ。斬られた人間が生きていれば情報が増え、それだけ自分の事がばれる確立が上がっていくのは、誰にだってわかる。
「……人を殺す事が目的ではないという事でしょうね。例えば、新しく手に入れた武器。新しく編み出した技の実験台……いや。それならば死人が一人も出ていないのは不自然ですね」
どんなお題目があっても、剣は人を傷つける道具である。剣の技はいかに効率良く人を傷つけるかを追求したもの、という人もいる。
「とにかく、情報が少なすぎるわ。第一、創挙が今、どこにいるのかも分からないし」
コーランがコーヒーを一口だけ飲んだ。
「……それにしても、好きになれないわね。この苦さは」


「おーい、シャドウ。こんな広場で何してんだよ」
その日の午後、シャーケンの町にいくつかある噴水広場の一つで、武闘家バーナム・ガラモンドは、戦闘用特殊工作兵・シャドウの姿を見つけていた。
シャドウは、小柄な彼を見下ろし、
「人を待っている。何でも、『デート』というものだそうだ」
と、淡々とした調子でそう答える。
「でぇとぉ? ロボットのお前がぁ?」
バーナムが淡々と返ってきた答えに涙が出るほど笑っていると、
「あーっ。シャドウさん、早いですねー」
そこへ濃紺と銀のストライプヘアーで水色のワンピースの小柄な女の子が走ってきた。彼女はシャドウの隣で笑っているバーナムに気づくと、
「あれ? バーナムさん、でしたっけ? その節はご苦労様でした」
彼女は親しげに挨拶してくるが、バーナムは誰だか思い出せないでいた。するとシャドウの方が、
「……魔界治安維持隊(まかいちあんいじたい)人界分所所長ナカゴ・シャーレン殿だ」
相変わらず淡々とした調子のままそう説明する。
「……あー、あん時のねーちゃんか。紺と銀の頭だから見覚えはあったんだけど……」
ナカゴは、ようやく思い出したバーナムを無視してシャドウの方に抱きついた。
「ナカゴ・シャーレン『殿』だなんてやめて下さいよ。ナカゴって呼んで下さい」
甘えた声でじゃれながら自分の腕をシャドウの腕に絡ませると、
「それじゃ、バーナムさん。私達はこれで失礼します」
そう言って歩き出そうとした時、
「待て。今、向こうで誰かが襲われた様だ」
ナカゴの腕を振り解いたシャドウが一目散に走り出す。そのシャドウを見て慌てて二人も後を追う。
そのシャドウは一つの路地に入った所で立ち止まっていた。
「何者だ。姿を消していても、自分にはわかるぞ」
シャドウは右腕に収納されている剣の刃を出し、斬られた人しかいない空間に切っ先を向ける。
バーナムとナカゴも追いつくが、シャドウの二メートル近い巨体(小柄な二人からすれば十分巨体である)に遮られ、何も見えない。
「シャドウさん、何なんですか?」
「ゲッ。人が斬られてやがる」
しゃがんだバーナムは、シャドウの脚の間から向こうを見て驚く。うつ伏せに倒れた男が一人。地面にはじわじわと血が広がっているのが見えていた。
「……なかなか勘のいい機械人形だ」
いつの間にか、倒れている人の横にグレーの肌に褌一つの男が、細長い包みを背負い、血に濡れた西洋風の両刃の剣を右手に持った姿で立っていた。
「さて。どうするね? 勇敢で勘の良い機械人形よ」
「バーカ。そいつだけじゃねーよ」
いつの間にかジャンプしていたバーナムが、その男の頭上で飛び蹴りを決める。すぐ前に着地を決めると、バク転の要領で顎に片足ずつ蹴りを入れる。その勢いを利用して離れ、シャドウの前にヒラリと着地を決め、改めて身構えるバーナム。
四霊獣の拳は威力が強すぎる。かといって、バーナムにはまだまだ「威力があるように」加減するのが上手くいかないらしい。そんな連撃を受けても、男の体はゆらぎもしない。
「宣誓なき一撃とは、随分と無粋な輩だな」
その男は何事もなかった様に剣についた血をジロリと見ると、
「お前達も切り刻んでやるとしようか」
剣の柄を両手で握り、先頭のバーナムを細い目で睨みつけた。
「まずい」
シャドウがとっさにバーナムの頭を掴んで真上に放り投げ、そのまま仁王立ちになる。その直後、シャドウの装甲板が斬り裂かれた。切り落とされた装甲が乾いた音を立てて地面に落ちる。
「シャドウさんっ!」
ナカゴの悲痛な叫びが響いた時には、その男の姿は既になかった。


それから数分後、騒ぎを聞きつけた通行人が呼んだ救急車が到着。斬られた人が病院に運ばれる。出血は多そうだが、命に別状ないという事である。
バーナム、ナカゴ、シャドウは、当然だが警察の取り調べを受けていた。
無論、彼らがやったのではないので犯人扱いではないが、それでも取り調べを受けるというのは良い気分はしない。デートが潰れてしまったナカゴの場合は特に。
「せっかく、シャドウさんとの初デートだったのにぃ」
さっきからずっとむくれたままのナカゴが警察官を睨みつける。それを止められるであろうシャドウは、現在修理中のためいない。
「確か、シャドウの体は特殊な金属ってクーパーのやつ言ってたぞ」
「クーパーって、あの神父さんの事ですか?」
ナカゴの問いにバーナムは首を前に倒し、更に続けた。
「そいつがあんなあっさり斬られちまうって事は……ありゃただの人間じゃねーな」
「ええ。あれは、間違いなく魔族です。シャドウさんの仇は、私が必ず討ちます」
「あいつはまだ死んでないって」
グッ、と握りこぶしを作って自分に酔っているナカゴに向かって、ポツリと言うバーナム。そこに残りのメンバーがやってきた。
「ねーねー。シャドウはだいじょーぶなの?」
見た目は10歳くらいにしか見えない、グライダの双子の妹・セリファが、ナカゴにボロボロ泣きながら尋ねる。
「大丈夫。装甲板を斬られただけだから、すぐに直るわよ」
セリファをそっと抱きしめながらそう言い聞かせる。
「サイカ先輩。敵は間違いなく魔族です。それも、相当の剣の達人。もしかしたら、あれは古式剣法の使い手かもしれません」
ナカゴがコーランに向かってそう言った。コーランとクーパーが顔を見合わせる。
「もしかしたら、創挙かもしれない」
「そいつはどんな奴なの?」
「一連の連続傷害事件の犯人かもしれない人物よ」
静かにグライダに説明する。
とりあえず解放された一行は、修理中のシャドウを残し、ナカゴの職場へ向かった。
彼女の勤める治安維持隊は、こちらでいう警察と大使館を交ぜた様な施設。人界(人間界)に来ている魔族の情報を得るには実に都合の良い所だ。
ナカゴが自分のデスクのパソコンのキーを叩き、創挙に関するデータを出している。
「創挙。魔界に代々続く剣士の家系にして、剣の神の子孫。古式剣法ノイエハース流を修める」
写真の横の説明文を読み上げる。
「ノイエハース流か……。スピードと鋭い剣風で離れた相手とでも闘える流派よ、これ」
コーランが昔耳にはさんだ知識を披露する。
「そして、創挙が風に関する魔法を使えるのなら、一瞬でシャドウの装甲板を切り裂いたとしても不思議じゃないわね……」
「どうしてよ、コーラン?」
「シャドウの装甲板には、グライダ程じゃないけれど、魔法を無効にする呪文が刻み込まれているの。でも、その呪文も、魔法じゃない剣風、つまり強力なかまいたちの前では単なる堅い鉄板にすぎないわ。かまいたちで呪文を削り取られ、そこへ間髪入れずに風の魔法でパワーアップした剣風を叩き込んだとしたら、グライダでも無事では済まないかもしれないわ」
その答えを聞いた彼女の顔が青ざめる。魔界の古式剣法には、このように魔法と融合させる技が数多くあるからだ。
「それでも、シャドウの装甲板はそう簡単に傷つく事はありません。シャドウの装甲の強さは、彼が持っている魔力に比例するんです。魔力を強めた分装甲も強くなりますし、その逆にもなります。シャドウは、深追いはしないだろうと読み、なおかつ、バーナムやナカゴさんがこの剣を受けたら無事では済まないと判断して、逃げられる事を覚悟の上で自分が盾になったのだと思います」
クーパーが、彼の性格を考慮に入れてそう分析する。
「それじゃあ、シャドウさんは私達をかばって……」
キーボードを打つ手が止まり、自然にナカゴの目から涙がこぼれる。彼女の後ろで画面を見ていたセリファも貰い泣きする。そんなセリファが、
「ねーねー。これ、何て読むのぉ?」
セリファは、魔界の文字が並ぶ画面の、そこだけ赤い文字になっている部分を指さした。
「えっ。ああ、これは『仇討ち志願中』って書いてあるの」
涙を拭きながらセリファに教える。
「仇討ち?」
「はい、サイカ先輩。彼は父親が昔、人間と決闘した時に殺されているんです。闘った人間の名前は不明ですが……」
「もしかして、そのお父さんは『エスレ』という名前ではないですか?」
突然、クーパーが何かを思い出した様に彼女に尋ねる。慌ててキーを叩くナカゴ。
「えっ。……はい。彼は養子でしたから実の父ではありませんけど、父親の欄に間違いなく『エスレ』と書いてあります」
「そうですか……。それで総てわかりました」
クーパーが総てを悟った様に静かに言った。
「彼、創挙の目的は父の仇討ち。そして、そのターゲットは……このボクです」
全員が驚いて彼の方を見る。
「でっ、でも、エスレさんが殺されたのって、もう何百年も前ですよ? その頃、あなたが生まれているわけないじゃないですか」
ナカゴがそう言い返すが、
「彼は父親を殺した人物だけでなく、その人物の使う流派をも消滅させる気だと思います。実際に、そういう復讐法もあるくらいですから。当然、石井岩蔭流を使うボクは、まさに彼にとっては仇そのものです」
静かにクーパーが答える。
「これは、石井岩蔭流の闘いです。ボクが一人で決着をつけなければ、彼は納得しないでしょう」
「でも、シャドウの鉄板ブッタ斬るような奴相手に、どう闘うってんだよ?」
バーナムが床に座ったまま彼を見上げる。
「そうよ。クーパーが強いのはあたしも認めるけど、向こうだって相当強いのよ!」
「クーパー。だいじょーぶなのぉ?」
グライダも心配そうな表情は隠せない。セリファの方は涙まで浮かべている。
「何もしないで石井岩蔭流を消滅させる事だけはしたくないですね。ですが……会ってみない事には説得も戦いもできませんし」
クーパーでもやはり不安は隠せない様で、少し弱々しく答えた。


「少々物を尋ねたいのだが、よろしいか?」
町の入り口のゲートに立っている門番に話しかける旅人の姿が。その旅人はボロボロに破れた着物に袴。頭髪のない眼光鋭い剣士だった。
その腰に下げている剣は、クーパーの物と同じ日本刀。この地域では珍しい代物だ。
門番は、その日本刀の珍しさもあいまって好奇の目でその旅人を見ている。その旅人から、再び枯れた野太い声が。
「……石井岩蔭流剣術道場は、この町にはないか?」
その門番は、黙って町の略図を指差し、海辺の一点を指すと、
「道場はないが、ここにある小さな教会の神父に聞いてみるといい」
「そこへはどうすればたどり着ける?」
門番は小さく笑いながら、
「たどり着けるってのはオーバーだな。ちょっと待ってな。地図書いてやるから」
彼は詰所でメモ帳に教会までの地図を書いて旅人に差し出す。
「かたじけない」
差し出されたメモ帳をきちんと両手で受け取ったその旅人は深々と頭を下げると、教会に向かってゆっくりと歩き出した。
門番はその姿が十分遠ざかったのを確認すると、電話に手を伸ばした。
「……もしもし、クーパーブラック神父? 言われた通りにしたけど……モメ事は勘弁して下さいよ」
門番からの電話を受けたクーパーは、
「出迎えの準備をしておきますか……」
ポツリと呟くと、部屋を離れた。
それから30分ほど経ち、教会の入り口に立つクーパーの前に、その旅人はやってきた。
「貴殿が、門番の申していた神父殿か?」
「はい。連絡は届いています。お待ちしていました」
そう言って、クーパーはペコリと頭を下げる。
「ボクが、石井岩蔭流剣術免許皆伝オニックス・クーパーブラックです」
免許皆伝。確かに彼はそう言った。
おとなしそうな静かな物腰。しかし、瞳の奥には極みを知った者の輝き、とでも言えばいいのか。不思議な雰囲気が感じられた。
その輝きを見て、その答えを聞いたその旅人は背をピンと伸ばし、
「我は、岩田秀英流(いわたしゅうえいりゅう)剣術師範代で、築野剣二(ちくのけんじ)と申す。恥ずかしながら、我の手に追えず、お願いに参った」
深々と頭を下げる彼に向かって、
「詳しいお話は、中で伺います。どうぞ」
クーパーは彼を部屋へ通し、お茶とお菓子を出した。彼の故郷の物である。
「この辺りでは、あまりいい物はないんですが、どうぞ」
「かたじけない」
いちいち頭を下げる彼。
「それで、ボクにお願いと言うのは……」
クーパーがそう切り出すと、ためらいの色がありありと浮かんでいた目に、何らかの決意が宿る。
「……実は、我の師匠を止めて欲しいのだ」
「どういう事です?」
「師匠は、お養父(ちち)上が石井岩蔭流の者に殺された恨みをお持ちなのだ。しかし、仇討ちは国の許可がいる。その許可が下りなかったのだ。『既に死んでいる仇の仇討ちなど認められぬ』という理由で……」
築野の拳がギュッと堅く握られる。
「それでも、仇討ちに行こうとする師匠を皆で止めようとしたのだが、師匠は聞き入れては下さらなかった。結果、我を除く総ての者は師匠に斬殺されてしまった。こうなったら師匠を連れ戻すか殺さぬ限り、岩田秀英流は……」
「流派の断絶刑、ですか……」
クーパーが悲しげに呟いた。断絶刑を受けた流派は分家末流総ての道場を潰され、且つ、教える事そのものが堅く禁じられてしまうのだ。
「我は何とかこうして生きてはいるが、腕はこの通り」
言いながら着物の袖をめくる。二の腕にはザックリと痛々しい穴が開いている。
「日常生活には何ら支障はないものの、これではもう二度と刀は握れぬ」
そして、自分の腰の日本刀をテーブルの上に置いた。
「これは、岩田秀英流に伝わる霊刀・稲崩(いなくずれ)。せめてこの刀で、我の師匠を……」
築野の目に涙がうっすらと浮かんでいる。
クーパーは黙ったまま彼の目を見つめ、そのまま刀へ視線を落とす。それから、ゆっくりとそれを手に取り、静かに鞘から引き抜いた。
緩やかに湾曲した、一見頼りなさそうな細身の片刃。日本刀独特の美しい刃文(はもん)が浮き出ている。透き通るような鋼の刃が、静かなきらめきを放っているところから、武器というよりも美しい芸術品ととらえる人も多い。
しかし、その美しく繊細な外見からは想像もできないが、「斬る」為に作られた武器の中では世界最高峰の強さを誇るのだ。
同じ「剣」といっても「斬る」事に優れた物。「突く」事に優れた物。「斬る」よりも「叩き潰す」物と、その用途は様々だ。日本刀の場合「斬る」「突く」に特に優れ、剣術も自然とそうした技が多くなる。
「……わかりました。ボクも、できる限りの事を致します」
カチン、と稲崩を鞘に収め、再びテーブルの上に置いた。
「……済まないのだが、神父殿の刀を、お見せ願えまいか?」
築野が単なる好奇心から尋ねてみた。クーパーは二つ返事でそれに応じ、自分の部屋から愛刀を持ってきた。
彼の刀の銘は「彌天(びてん)」。満天の空という意味だ。刀を受け取った築野は、ゆっくりと柄に手をかける。
「……すごい」
鞘から現れた刃を見た築野は、しばしの間言葉を失っていたが、やがて呟くようにそう言った。
彌天の名に相応しい、満天の空を思わせる優しくも控えめな輝き。天の川のように美しく流れる刃文。
「十三代目織田勘亭(おだかんてい)唯一にして最後の作です」
静かにクーパーが呟いた。築野もその名を知っていた。遥か昔に絶えた神の技を蘇らせたという奇跡。そんな伝説がつきまとう、今は亡き幻の刀匠だ。
「さすがに免許皆伝ともなると、持つ刀も一級品ですな」
自分には手にするのも恐れ多い、と言わんばかりに鞘に収め、ていねいにクーパーに差し出した。
「……思いが、こもっていますから」
クーパーは悲しそうにそう呟くと、鞘に収まったままの彌天を見つめた。

<To Be Continued>


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