「Baskerville FAN-TAIL the 34th.」 VS. Hardships
『朝デス。起キマショウ。朝デス……』
解除を忘れていた目覚まし時計のアラームが誰もいない部屋に鳴り響く。
しばらく経ってアラームは自動的に止まった。
しかし解除しなければ、また二十四時間後再び鳴るだろう。
だが、それを止める人間はいない。
「まだ」いないか。「もう」いないか。
それは誰にも判っていない……。


世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。
だからこそ、ここへ来れば——どんな職種であれ——仕事にあぶれることはない、とまで云われている。


そんなシャーケンの町にある民家の前に、風変わりな男が立っていた。
青い全身鎧を纏い、背中には赤い鞘に収まった身の丈ほどの大剣を背負っている。
頭部は兜などを被っていないむき出しだが、その美青年の顔——いや全身から発せられる「オーラ」のような物は、まさしく選ばれた高貴な者を容易に彷彿とさせた。
彼の名はイダサイン。ここ人間の世界とは異なる魔界から来た者だ。
魔界といえば悪魔が棲む異界というイメージが未だ拭えないのだが、現在となっては力の減退や混血がかなり進んで、人間界の人類とあまり差がなくなっている。
それでも魔法や特殊な能力。異形異様な外見の者も数多い。
そんな魔界から来た男が大事そうに抱えているのは、布で包まった何かだった。
赤ん坊のようにも見えるが、そこに覗いている顔はもっと年上の——初老と言ってもいい男の顔だった。
「マルシウィ殿。留守のようだぞ」
呼び鈴を押しても反応がない。イダサインは自分が抱えている布で包まれた男にそう話しかけた。
「行ってしまった後のようだな。仕方ないのかもしれんが……」
マルシウィと呼ばれたその男は、かろうじて動く首を小さく巡らせて、
「すぐに行動するところは、さすがはドムとルリールの子供、かな」
ドム。ルリール。それはこの家の住人グライダ・バンビールとその双子の妹セリファの両親の名前である。
その表情は明らかに過去を思い出し懐かしんでいる様子だ。このマルシウィという謎の人物は、すでに故人であるこの二人を知っているのだ。
いないと分かった以上ここにいても仕方ない。そう考えたマルシウィは、
「イダサイン殿下。魔界治安維持隊の分所へ急ごう」
殿下と呼ばれた全身鎧の男は無言でうなづき、この町にある魔界治安維持隊という組織の分所へ向かう事に決めた。
治安維持隊というのは、魔界における警察機構に相当する組織である。
魔界の住人がこの人界で揉め事や犯罪を起こした際には彼らの出番となる。
同時に「魔界といえば悪魔が棲む異界」というイメージ・偏見と戦うのも治安維持隊の役目の一つである。
町に着いてからはもちろん、治安維持隊分所へ向かう道すがらでも、彼は町のあちこちで瞳孔が開ききった状態でブツブツ何かを呟き続ける人々を見かけた。
正直に言って最初は死んでいるのかと思った程である。
「スマートフォンの新しい特殊な電波が原因らしい。堕ちた神のオクヰ・イシの力が元凶なのだがな」
マルシウィの言葉にイダサインは悲しげに何かを嘆くかのように頭を振ると、
「実に惨澹。実に嘆かわしい。道具に支配され振り回されるなど、それでも万物の霊長か」
「人界の住民はこうした力への抵抗力を持っていない。仕方ない」
そんな彼の嘆きにマルシウィが淡々と続けた。
堕ちた者とされているとはいえ、相手は正真正銘の「神」なのだ。いかに優れていても人間である以上その「神」の力には抗えまい。
「だが、彼らが今戦いを挑んでいるのは、その『神』だ」
「命運を託すにはかなり不安を感じる者達だがな」
マルシウィとイダサインは、彼らが向かったとされる山——カツォオス・ウサ山の方を見ながら心配を隠せぬ顔で呟いた。


単に人が通れる程度に土を掘っただけのトンネルを進んで行く一行。
時折休み休み進み、先ほど仮眠をとった一同。
それでも緊張感のせいかあまり休んだ気がしないし、疲れもほとんど感じていない。
徹夜仕事には慣れているとはいえ、そういう時が一番危ない。
一行の先頭を行くのは戦闘用特殊工作兵のロボット・シャドウである。彼は自身に備わった総ての探査能力を駆使し、他の面々を目的地まで案内するのが役目だ。
今のところ一本道で探査能力など必要ないように思える。しかしシャドウは自分が止まると同時に他の面々にも止まるよう指示を出した。
それに異を唱えたのは、全身を金属光沢を放つマントで覆った魔族の女性・コーランである。
彼女もシャドウよりは劣るが自分でも魔法で周囲の様子を探っていたので、何もない場所で立ち止まった事を妙に感じたのだ。
「此処より一〇二糎(センチメートル)の間の地面に仕掛けが在る。行けども行けども後ろに戻されて前に進まぬ仕掛けだ」
さすがのシャドウも原理までは見抜けなかったが、歩いているうちに気づけたのはロボットゆえだ。
単に土を掘っただけの上、周囲が微妙に薄暗いときては細かな違いを見抜くのは、人間ではまず無理だろう。
「故に其処を踏まねば先に進めるだろう」
天井が低いので高く飛ぶのは困難だが、それでも一メートルほどなら。それぞれは目分量とはいえ一メートル以上の幅跳びをこなし、先に進み出した。


多勢に無勢という言葉がある。
今のオニックス・クーパーブラック達の置かれた状況がまさしくそれであった。
自我を塗り潰されて傀儡と化した天使達。
恐怖も躊躇もなく武器を振るってくる様は、正直に言ってこれ以上恐ろしいものはない。
それらがないという事は、どんな事があっても攻め手を止めないという事だ。
自分がどれだけ傷つけられても攻撃の手を緩める事はないし、本来なら疲れている状態でも手足は動き続けるし、さらには平気で仲間ごとこちらを斬り倒そうとする。そんな敵がどれほど恐ろしいものか。
そんな戦いを一昼夜続け——続く事自体がすごいのだが——先ほどとうとうクーパーの張った結界が破られ、シャドウ達が入った洞窟に一人の天使の侵入を許してしまったのである。
天使や現在の神々は「分霊」と言って、自分の寸分たがわぬ分身をいくつも作り出す能力がある。
その力を駆使して追いかけられたらどんな迷宮も突破、そして追いつかれるのは時間の問題だ。
クーパーは疲れた心身を奮い起こして心の中で謝罪し、目の前の天使達を叩き斬っていく。
自分にも「分霊」の能力があったらと悔やみつつも、これ以上は中に入れるまいと奮闘を続けている。
クーパーは大太刀と打刀の二振りの刀で、同志である二対の翼を持つ巨鳥・スズエドは縦横に空を舞って撹乱を続けている。
そのためさすがのクーパー達も無傷では済まず、服にも手足にも幾つかの切れ目が走っている。
そして何より疲労感が次第に体に蓄積されているのを自覚する。ほとんど気力で動いている有様だ。
『さすがに鬱陶しいな。自我無き者はかくも恐ろしい、か』
スズエドがクーパーの傍に着地し、涼しい顔で周囲に睨みを利かせている。
ところが、もう一人の同志・宋朝(そうちょう)はコントラバスのケースを背負ったまま相手の攻撃を避けるのみで、ほとんど攻撃をしていない。女性ではあるが大柄な体とそれに見合った筋肉だけでも充分戦力になるのに。
だがその事には、クーパーもスズエドも文句一つ言わない。実際スズエドは宋朝に向かって、
『言われた通りに結界を張ってきたぞ』
その言い方は決して非難ではない。待ちに待っていた、という雰囲気のものだ。
宋朝はまさに満を持(じ)してという雰囲気で、背負っていたコントラバスのケースのロックを外し、蓋を開けた。中には子供でも片手で持てそうな小さい草刈り鎌が一つだけ入っていた。
中で動かぬように埋め込まれるように入っていたそれを鷲掴みにして取り出した。もちろんそれがただの鎌でない事は、発している不可思議な魔力が物語っていた。
コントラバスほどの大きさのケースでなければ「抑えられない」その威力を発揮する時が来たのだ。
宋朝は草刈り鎌を大きく振りかぶると、
「稲飛牙流(いなひげりゅう)神無地鎌(かんなちのかま)。荒れ狂え!!」
そう叫ぶと天使達めがけて鎌を力一杯投げつけたのだ。巨体に見合った筋力で放たれた鎌は高速で回転しながら宙を斬り裂く。
がいん!
何もない空中で何かにぶつかるような音がしたと思いきや、不意に鎌が二つに増えた。それらは全く違う方向に角度を変えて飛んで行く。
がいん! がいん! がいんがいん! がいんがいんがいん!
だんだんと音が連続して切れ目なく鳴り響き、それに比例して鎌の数はねずみ算式に増えていく。その増えた鎌が数を増し速度を増し角度を変えながら宙空を舞い飛ぶ。荒れ狂う。
その途中にいた天使達の身体のあちこちを鎌の刃が斬りつけていく。その数はもはや万とも億とも見てとれる。
そんな鋭い鎌がスズエドの張った結界内を縦横無尽に「荒れ狂」い天使達の全身を容赦なく斬り刻んでいく。
あれだけいた天使達のほとんどが刻まれて消滅していく。もう数えるほどしか残っていない。
いくら「分霊」で自分の分身をいくらでも増やせるとしても、こんな威力の鎌が無数に飛び交っていては「分霊」している暇がないし、そんな暇もなく彼ら自身の総てが喪われる。
あれだけいた天使軍団が、それこそ草刈り鎌の大活躍でほとんど全滅である。
役目を終えて戻ってきた鎌を鷲掴みにした宋朝は、淡々とケースにしまった。
「……まだ戦いますか、と問うだけ無駄でしょうね」
クーパーは数えるほどしか残っていない彼ら天使達の自我が無理やり封じられた事を思い出し、悲しげに呟いた。


「なぁ。さっきから一本道しかねぇぞ。道案内なんていらねぇんじゃねぇのか?」
着いていくだけで何もする事がないバーナムがさすがに飽きてきたようで文句をたれてきた。
だがシャドウは慣れたもの。
「未だ分かれ道は無いが、其の内嫌でも増えて来る」
「あんたね。さっき床に変なトラップあったの忘れてるでしょ?」
行けども行けども後ろに戻される、いわゆるテレポート・トラップの事だ。
グライダが少しイライラした様子でバーナムの背中を軽く叩く。
ほとんど変化のない洞窟を一日以上歩き続けているのだ。退屈もするし精神的にも平常ではいられまい。
ただでさえ妹のセリファの安否がどうなっているか分からないのだ。色々と不機嫌にも不安定にもなろう。
「シャドウ。信用してはいるつもりだけど、本当に大丈夫なの?」
グライダがシャドウに対してこういう態度なのは本当に珍しい。平静にしようと努めてはいるようだが、言葉の端々にピリピリとした不機嫌さが露骨に出てしまっている。
人であるバーナムやコーランならともかく、感情の機微を理解しきれないロボットのシャドウは、
「大丈夫だ。此れでも最短距離を探して居る」
とはいうものの、ほぼ一本道しかない状況では説得力に欠けてしまう。
やがて急にその言葉に説得力が生まれてしまった。
一本道が急に開けるとそこはちょっとしたホールのような空間になっていた。
このホールからは、今来た道を除けば五つの道が伸びている。もちろん先は薄暗く見通す事はできない。
一日振りに見る一本道でない状況に、全員は何となくホッとした空気すら感じていた。
そんな安堵した雰囲気の中、シャドウは総ての道を見回している。
自身に備わった全センサーを総動員してこの先の道を見通しているのだ。
特に理由はないものの、シャドウの邪魔を少しでもしないかのように皆その場を動かずに黙り込んでいる。
「……右から二番目の道だ。行くぞ」
シャドウは相変わらずの調子でそう言うと、まっすぐその穴に入っていた。一行はもちろん黙って彼の後に続いた。


イダサインとマルシウィが到着した治安維持隊の分所はまるで無人であるかのごとく静まり返っていた。
それもその筈。隊員のほとんどが町の人々と同様に瞳孔が開ききった状態でブツブツ何かを呟き続けているのだ。こちらの声や動作に反応する様子はもちろんない。
二人は構わず中に入る。通路や部屋のあちこちにいる無反応な隊員達を避けながら歩くうちに、こちらに注目する視線——気配のような物を感じ取った。
出て行きたいが出て行きたくない。そんな雰囲気すらある。
だからイダサインは静かに声をかけた。
「そこの角に隠れている女。我らは賊ではない。安心して出てくるがよい」
しかし反応は全くない。だが気配はまだまだ感じている。
「もう一度言おう。出てくるがよい」
今度は少し威圧感を増した、脅しを含めた声で再度声をかけた。
その威圧感に負けを認めたかのように、隠れていた人物がゆっくりと姿を現した。
それは古風なデザインの黒いドレス姿の小柄な金髪の少女だった。
手には手袋、首にはチョーカー、つばの大きな黒い帽子を深く被って顔を隠している。
「魔界の械人(かいじん)の王子様か」
イダサインを見た少女は、表情を一切変えぬ顔で淡々とそう言った。
械人とは魔界に住む種族の一つで、機械の体を持つ一族の事だ。その部族の長の息子ゆえに便宜上「王子」と呼ばれている。
「その方、我を知っておるのか。その方の名は何と言う」
「……ソラーナ・ミンチャオ」
不承不承といった空気を隠さずに少女は答える。
「ではソラーナ・ミンチャオ殿。この町の状況を話せ」
イダサインの無遠慮とも言える問いに、マルシウィまで、
「我々は異変を知ってこの町にやって来た。僅かでも助けとなるために」
帽子のつばをほんの少し上げて二人を観察していたソラーナは、
「確かに動ける者が少ない。手を借りる他ないようだな。械人の王子と衰えた神ならば、悪いようにはなるまい」
衰えた神。その言葉を聞いたマルシウィは目を見開いて驚くと、
「……まさか自分の存在を知る者が他にいようとは。もしやノスフェラトゥの少女とは貴女の事か」
マルシウィの言うノスフェラトゥとは、吸血鬼と呼ばれる怪物の一派である。
狂気を与えるほど醜悪とされる姿のため、地下に潜り隠れ住んでいると言われている。
ソラーナの場合はその姿を人工皮膚とこうしたドレスで隠している。
その理由は、自分達を恐れる他の種族や天敵から逃れるため。
あらゆる生物・自然現象を「目」とも「耳」とも使役してあらゆる情報を集めているので、この町で知る事のできない物の方が少ない。
事実その能力を買われて、治安維持隊で情報収集の仕事をこなしていたのが彼女である。
一方のマルシウィは確かに正真正銘の神である。もちろん長い年月を経てその力はかなり衰えている。
両腕両脚を失った神であり、その知識を頼られる存在である。
特に何かを司っている訳ではないが、彼の元には不思議と金や宝石といった物が集まる習性があった。衰えた今でも小さな村の住人全員が遊んで暮らせるくらいの財が集まってくる。
それを悪用されんがために。醜い争いが起きて欲しくないがために。械人の一族にずっと保護されていたのである。
そんなマルシウィがこうしてこの場に出てきた理由は、実は単純であった。
彼こそがバーナム達「バスカーヴィル・ファンテイル」のスポンサーであり、今回の事件の首謀者オクヰ・イシの血縁者だからである。
仕事の依頼と情報提供をしようとやって来たはいいが、彼らはその前に出発してしまっていた、という訳だ。
「自身では何もできない分、可能な限りの情報を提供したかったのだがな」
後半に関してはソラーナも同じ事を考えていた。彼女もバーナム達とは見知った仲なのだ。
だからこの町の状況を珍しく素直に語って聞かせた。その見返りに他種族、それ以上に天敵からの保護を願って。
二人はそれを了承したが、イダサインが疑問に思った事を訊ねた。
「その方はなぜ、他の隊員達のようになっておらぬのだ?」
するとソラーナはほんの僅かに表情を崩すと、
「これは新規格のインターネット用無線電波を最新のレグナ社製スマートフォンやタブレットで受信した事で、オクヰ・イシに意識を奪われたのが原因。どちらか一方だけなら何の問題もない」
基本的に外に出かけられないソラーナにとって無線接続はあまりメリットがないし、逐一最新型を買い揃えるような趣味も持っていない。
それが逆に難を逃れる事になったのである。
「……その両方を満たした人間があまりに多くなりすぎたのが原因だな」
ソラーナのその言葉には、人間に対する嘆きのような物が含まれていたのは気のせいか。

<To Be Continued>


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