「Baskerville FAN-TAIL the 33rd.」 VS. The Angels
「…………」
グライダ・バンビールは、無言で一枚の写真を見ていた。それには彼女が生まれたばかりの頃亡くなった自分の両親が写っている。
その両親の忘れ形見と言える自分。そして、もう一人の忘れ形見。双子の妹セリファ・バンビール。
妹の姿はこの場にない。ほぼ無尽蔵の魔力がその身に宿る事を利用するためなのか、何者かに誘拐されてしまったからだ。
この国で一番高いカツォオス・ウサ山から、セリファの持つ携帯電話のGPSの反応があった。
だからそこに向かう。これから。たとえ何が待っていても。何があろうとも。
写真の下には鞘に収まったままの短剣と、表面がすっかり曇ってしまった小ぶりの水晶玉が。
短剣は父ドムの。水晶玉は母ノリールの。それぞれの形見と聞いている。
グライダはその二つを手に取った。
これまでどんな戦いに赴く際も、祈るだけで触れようともしなかった。だが今回は明らかに違う。戦いに挑む気持ちも。心構えも。
今回の敵は神なのだ。
本物の神か、それとも神を名乗る何者かは判らない。自分にそんな複雑怪奇な事を調べる力も見抜く力もない。
セリファを取り戻すために邪魔になるなら戦って、打ち倒す。何があろうとも。誰であろうとも。
自分にできるのは、そんなシンプルな事だけなのだから。


世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。
だからこそ、ここへ来れば——どんな職種であれ——仕事にあぶれることはない、とまで云われている。


「グライダ。もう行くわよ」
後ろから声をかけてきたのは魔族の女性サイカ・S(ショウン)・コーラン。両親と旧知の仲にして自分達の育ての親でもある。
彼女は魔族特有の金属光沢を放つマントで全身をすっぽりと覆ったいつもの姿のまま、亡き旧友の写真を見つめ、
(セリファは必ず助け出すから)
グライダが滅多に触れようともしない短剣と水晶玉を持っているのに気づいたが、何も言わなかった。
たとえ思い出が全くなかろうとも、紛れもなく本当の両親の形見。何らかの思いや繋がりといった物を感じ、少しでも不安を和らげたいのだろう。
——今回ばかりは、これが今生の別れとならない保証はないのだ。
不安や緊張を隠す事も拭う事もできていないままだが、時間の方は待ってはくれない。
出発の時間となった二人は家を出た。周囲はしんと静まり返っている。確かに朝早い時間だが、港町であるこのシャーケンの町はその朝こそ賑わいを見せる町である。
だが今朝は違う。いつもある声が、賑わいがない。たったそれだけなのに違う町に越してきたのではないかと思ってしまう。
その原因は現在大流行中のスマートフォンである。それで各種サービスを楽しんでいた人全員が意識不明の状態に陥っているのだ。
残っているのは幸か不幸かスマートフォンを「持っていなかった」自分達だけという有様。
人々が意識を失った時、神を名乗る「オクヰ・イシ」という人物が「天罰を下し人類を滅ぼすと決めた。自分を崇める者はカツォオス・ウサ山に来い」というメッセージを発したのである。
自分を崇める者は救われる。怪しい新興宗教にありがちな文句である。
しかしそのオクヰ・イシというのは正真正銘の神らしい。現在信仰されている神々よりもずっと古い神に仕えていた神で、現在は堕とされた神であるとされているという。
そんな情報を教えてくれた神父オニックス・クーパーブラックが入口に立っていた。その隣には全身を黒い鎧で覆ったような姿のロボット、戦闘用特殊工作兵のシャドウもいる。
「クーパー、シャドウ。待たせてごめん」
グライダが二人に声をかける。一応笑顔のつもりだったが二人にはそう見えなかったようで、
「グライダさん。不安なのはよく判ります。ですが……」
クーパーはいつもの神父の服で、首には幾つものお守りが下げられている。
その上から厚手の旅用のフード付きマントを羽織っており、そのフードを取りながら彼女の目をしっかりと見つめて、
「不安なままでは戦いになりません。置いて行きたいところですが、あなたの力はこの戦いには不可欠。来てもらわなければ困ります」
冷たいな、と判っていても、クーパーはあえてそう言い切った。
なぜならグライダはほとんどの魔法が効かない体質。そして彼女の右手には全てを焼き尽くす魔剣レーヴァテインが。左手には聖剣と謳われたエクスカリバーが。それぞれ宿っているのだ。
もちろんオリジナルそのものではないが、同等の力を持った剣である。敵が神であれその力は確実に通用するだろう。
「どうやってカツォオス・ウサ山まで行くつもり? 歩いて行ける距離じゃないわよ?」
コーランがクーパーに問いかける。
カツォオス・ウサ山はここから北に二百キロほど行った場所にそびえる、神々が住むという伝説が残る山でもある。発音しづらいので普段は単に「カツ山」と呼ばれている。
「無論二百粁(きろめーとる)の距離を歩けとは言わんよ」
今まで黙っていたシャドウの合成音声。感情らしいものが乏しい音声だが不思議となだめるような雰囲気がある。
「夜の間に車を手配しました。この場で落ち合う事になっています」
クーパーが続けてそう説明する。そしてそれが合図だったかのように、遠くから車のエンジンの音が響いてきた。
グライダ達の目の前に止まったのは黒いピックアップトラック。その荷台には武闘家のバーナム・ガラモンドが乗っていた。
「よく判らねぇから適当にデカイのを持ってきたぜ」
銀行のATMすらうまく使えないほどの機械オンチの彼らしい言葉だが、その彼が荷台に乗っているという事は、この車を運転してきたのは一体誰なのか。
「早ク乗レ。時間ガナインダロウ?」
たどたどしい言葉使いの、全身真っ赤な肌をした針金のように細い体の魔族の魔術師・ガナテンセンの姿が運転席にあった。
彼にはこの意識を失った人々のいる町の守りを頼んだ筈だったのだが。
「オ前ラ車ノ運転出来ナイダロ。乗セテッテヤル」
「車の操縦ならば自分に可能だが」
シャドウがガナテンセンに向かってそう言うが、ガナテンセンはその言葉を遮るように、
「オ前ノ図体ジャ運転席ニ入ラナイダロ」
トラックの荷台を指差して「そっちに乗れ」と無言で言ってくる。
シャドウはもちろんコーランもグライダも器用に荷台に乗り込むと、クーパーだけ助手席に乗り込んだ。
「道案内はボクがやります。発進させて下さい」
有無を言わせないような圧力をクーパーから感じ取ったガナテンセンは、無言のままトラックを急発進させた。


ピックアップトラックは時折事故で止まってしまっている車を横目に、法定速度以上の速さで走っている。
少しでも危険がないように、シャドウ以外の三人は、荷台の前方に背を預けるようにして座っているので、後方しか見えていない。
それでも判る、伝わってくる現状の異常さ。
「この道路で、こんなスピードで走れるなんて信じられないわね」
時々車に乗って町の外へ仕事に出るグライダは、一日中交通量が多く渋滞が日常茶飯事のこの道路でここまでのスピードで走っていられる事に、軽く恐怖すら感じていた。
「これがオクヰ・イシとかいうヤツの『天罰』ってヤツなのかしらね」
何げなく空を見上げながらコーランが呟く。
もちろんその問いに答えられる者がこの場にいる訳もなかったが、
「然し、崇める者はカツォオス・ウサ山へ来いと云う内容は奇妙に感じる」
シャドウの呟くような問いにはバーナムが意外な事に、
「自分を崇めるヤツは助けるけど、そうじゃないヤツは知ったこっちゃねぇって事なんじゃねぇの?」
言い方自体は適当そのものだが、案外そうなのだろうと思える答えを出してきた。
「まぁ崇めたくてもほとんどの人間がああなっちまっちゃ意味はねぇだろうがな」
まるで魂の抜け殻のようになってしまった町の人々を思い出したバーナムは、明らかにバカにした様子でそう言った。
「カツォオス・ウサ山には、神のみが使える大砲が有り、地上の総てを一撃で吹き飛ばせると云う伝説が有るな」
シャドウの言う通りの物が本当に存在するのなら、バーナムが言った事も現実味を帯びてくる。
「ちょっと急いでよガナテンセン。こんな状態なら法律なんて知ったこっちゃないから」
グライダが運転席の仕切りをガンガン叩きながら怒鳴るような大声で言う。
「判ッテルカラ怒鳴ルナ。舌噛ムゾ」
ガナテンセンがそう言ったのと同時に何かに乗り上げたらしく、ガクンガクンと激しくトラックが揺れる。
危うく舌を噛むかと思ったグライダは、文句の代わりにもう一度仕切りをガツンと叩く。
「あと十二時間足らずで着けますかね?」
クーパーは助手席に座ったまま、運転席の向こうの空を見つめていた。
まだまだウサ山が見える距離ではないのだが、まるで目の前にそびえ立っているかのように真剣な目を向けている。
「二百きろ先ナラ余裕ダヨ。十二時間ドコロカ二時間で着ケル」
ガナテンセンが少しバカにした口調でクーパーにそう言った時だった。
ガナテンセンの優れた視力が、遥か前方にトンデモない物を確認したのだ。
背中に大きな翼を持つ人間である。それもたくさん。パッと見ても百や二百では利かない数である。
「何ダ、アノ大群ハ!?」
「天使……ですね。それもかなりの数です」
ガナテンセンとクーパーの目が驚きで見開かれる。
天使。一般には神に仕える存在であり、人々の守護から敵対する悪魔討伐の尖兵まで幅広い役目を負っている。
それだけに天使が独断で姿を現わす事は稀である。
しかも大群という数であり、これから向かうカツォオス・ウサ山を守るようであり、トラックの行方を阻むようでもある。そんな風にしか見えない。
天使達は手にした剣や槍の先を明らかにこちらに向けている。それだけでも友好的・好意的にはとても思えない。
オクヰ・イシという神の『天罰』はこれなのだろうか。皆がそう考えても不自然な点は何もない。
「来るぞ。身構えろ」
シャドウの一言の直後、トラックの周囲の土が一瞬で跳ね上がった。それも何ヶ所も。
これは魔力の塊を弾のように打ち出す、人外の者の攻撃法である。
少なく見ても数十キロは離れた距離からの攻撃で、この精度。黙っていたらそのうちこのトラックに直撃するのは間違いがない。
「反撃為(す)るのか?」
シャドウは既に愛用のライフルを構えている。周囲の精霊を取り込んで射出するエレメントライフルである。その銃身をトラックの屋根に乗せ、遥か先に照準を合わせている。
「反撃はしません。耐えて下さい」
助手席からクーパーが口を出してくる。
何故なら、数十キロも先にいる敵に攻撃ができる者がこの中にはシャドウしかいないからだ。これでは多勢に無勢である。
その間にもトラックの周囲——時には荷台スレスレに弾が飛んできている。
「『当たら無い』では無く『当てて無い』だな」
発砲こそしていないが、ライフルの照準を天使達に向けたままのシャドウが呟いた。
その照準の先にいる天使達は皆仮面の様な無表情顏だが、その内側には加虐的な笑みが浮かんでいる様に見えた。
確かに天使と人間の実力差を考えると舐めてかかって当然だ。あちらは人間など文字通り歯牙にもかけまい。
だが、ここにいる人間達は(ガナテンセンを除けば)普通の人間にはない能力を持つ者ばかりだ。それでも天使達から見ればただの人間以外の何者でもない。
「そうみたいだな。けど、さすがに舐められっぱなしってのも癪だぜ」
バーナムが荷台の上に立ち上がって構えようとした時、クーパーが助手席からわざわざ頭を出して振り向いた。
「バーナム、止めなさい。今は力を少しでも温存する時です!」
「うるせぇ! 相手が誰だろうと、舐められっぱなしでたまるかってんだ!」
「それでもです。今回の目的はセリファちゃんの救出。そのためにはカツ山での戦いは避けられません。こんな所で力を消耗してどうするんですか!」
「そうよ。前菜だけでお腹一杯になったら、メインディッシュが食べられなくなるわよ」
クーパーに続き、すました調子でコーランが諭す。無学なバーナムにも判りやすい例えに彼は荷台をガツンと蹴ると不満を露わにした調子で座り込んだ。
もちろんその間にも天使達の舐めきって加減をした攻撃は続いている。時折本当に当たりそうになるものもあり、その度に荷台から振り落とされそうになったり、押し殺した悲鳴が上がる。
「おいクーパー! これでも無抵抗でいろってのかよ!」
天使達の攻撃が跳ね上げた土の塊を手で弾き飛ばしながら、バーナムが怒鳴る。そこへシャドウが、
「新手が来たぞ。黙って居ろ」
シャドウの目には天使達のさらに遠くから、こちらに向かってくる鳥の姿が見えていた。
しかしその鳥が普通の鳥でない事は、大きな翼が二対ある事を見れば一目瞭然だ。
さらに言えば大きさも人間より大きく、何より口ばしに大きな剣をくわえている。
「二対の翼を持つ鳥が来る。気を付けろ」
「二対の翼!?」
珍しくクーパーが驚きの声を上げる。明らかにこの世界にいるとは思えないくらい珍しいものだが、その驚きようは妙に見えた。
だがその疑問を吹き飛ばしたのは、その鳥が天使達に襲いかかった事だった。
くわえた大きな剣ですれ違いざまに天使を斬りつけ、空を飛ぶ事に特化したそのスピードは天使を文字通りキリキリ舞いさせている。
そうなるとその鳥への対処に追われ出し、こちらを攻撃するどころではなくなった。
「ヨシ。今ノウチニ距離ヲ稼ゴウ」
ガナテンセンがさらにアクセルを踏みしめ、トラックを加速させる。そこへクーパーから横槍が入った。
「済みません。この先の曲がり角を曲がって、山道に入って下さい」
その指示は明らかにカツォオス・ウサ山への近道ではない。むしろ隣の山へ入る道だ。
遠回りになるという程ではないが、急ぐために行く道ではなかった。
「策があります。今は黙って従って下さい」
この中で一番の智恵者のクーパーの、威圧感を含んだその言葉に逆らえる度胸はガナテンセンにはなく、黙ってそれに従った。

<To Be Continued>


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