「Baskerville FAN-TAIL the 31st.」 VS. Harbinger
「はぁ。すっごいわねぇ」
テレビから派手に流れてくるCMを見たグライダ・バンビールは、その派手さに辟易するような溜め息をついた。
流れているのは最近急激に普及してきたスマートフォンのCMである。それもレグナというメーカーが出している「サプルス」という機種だ。
これまでと異なり製作コストの低下と製品の高性能化を果たした事もあって、その功績と信用からこのレグナというメーカーに人気が集まり、サプルスにも人気が集まっているという具合だ。
実際グライダの周囲の人間の大半はこのサプルスを購入、もしくは他機種から変更しているのを聞いている。
だからグライダも「ぜひ買いなさい」と周囲から圧力同然のお誘いを幾度となく受けているのだ。
グライダは個人では携帯電話は持っていないが、仕事先から支給されている旧来型の携帯電話ならば持っている。
これももうスマートフォンになっても良いのだろうが、仕事先が荒事主体の傭兵ギルドなので、壊れやすそうな薄型のスマートフォンを支給されてもなぁ、というのが彼女の意見であるし、ギルドのメンバーの大半も同じ意見だ。
とはいえこの人気と高性能化を考えれば、支給も時間の問題と言えそうだが。
グライダは自分の手をしみじみと見つめると、
「それはそれで困るのよねぇ」
という彼女の呟きを聞く者は、幸いにして誰もいなかった。


世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。
だからこそ、ここへ来れば——どんな職種であれ——仕事にあぶれることはない、とまで云われている。


グライダの双子の妹セリファ・バンビールと二人の同居人であるコーランの二人は、町の中心部にある携帯電話の店にやって来ていた。
コーランは元々従来型の携帯電話を持っているのだが、長く使っているために調子が悪くなってきたので、修理を頼みに来たのだ。
そのついでにセリファも携帯電話を欲しがるようになったので物色する為でもある。
店員はコーランから事情を聞き、携帯電話を簡単に調べてみる。するとやはり餅は餅屋。すぐに原因を察知した。
「ああ。やっぱりバッテリーそのものが経年劣化を起こしていますね」
極端な言い方をするなら、携帯電話は電池で動く。その電池が劣化してしまってはいくら充電しても中に電気が貯まらない。
結果、いくら充電してもすぐにバッテリー切れを起こすし、電池残量=燃料が少ない事による動作不良も起きやすい。
「せっかくですし、今話題のサプルスに交換しませんか? 今ならお安くできますよ?」
「私には向きませんから、バッテリーの交換でお願いします」
営業スマイルの店員に、あえて淡々とした、そして毅然とした態度を取るコーラン。
だがそんな態度でも営業スマイルが崩れない店員。相当鍛えられているようだ。
「お客様、もしかして魔族の方ですか?」
コーランは別に隠す事でもないと素直に肯定する。
魔族。魔界と呼ばれる異なる世界の住人。
かつては悪魔と同等の存在と思われて忌み嫌われていたが、混血と世代交代が進んだ今では単に他の国の人という感覚だ。特に魔族の住人が多いこのシャーケンの町では。
「理由は良く判らないのですが、スマートフォンを嫌う魔族や魔術師の方は多いですよ」
店員は単に魔法との相性が悪いんでしょうかね、と専門家らしい事を適当な態度で言っている。
そこへ開いたままのパンフレットを持ってセリファがやって来た。
「コーラン。セリファこれがいい」
パンフレットの一画を小さな指で差すその姿は非常に可愛らしく、また微笑ましいものだ。
とはいえその可愛らしいセリファはとっくに成人している。だがその外見は年齢の半分程でしかないし、言動はさらにそれより下にしか見えない。
そのセリファが指を差しているのは、これまた従来型の携帯電話。スマートフォンではないし最新型ですらない。さすがの店員も営業スマイルが少し崩れる。
「こ、これでいいの、お嬢ちゃん? 今はこういうスマートフォンの方が流行りだよ?」
手近にあったスマートフォンを手に取ってセリファに見せる。
しかしセリファは店員の言葉にニッコリ微笑んだまま、
「これ、おねーサマとおそろい!」
……ある意味では最強の決定理由である。店員も他の製品に誘導を諦める程の。


シャーケンの町のスラムに建つボロアパート。
そこに武闘家を名乗るバーナム・ガラモンドの部屋がある。
その部屋の中には家主の他に一人、いや一体のロボットがいた。戦闘用特殊工作兵を自称するロボット・シャドウである。
シャドウは部屋の中を隅々まで、高性能のカメラで観察をしながら、
「建設されてから随分と年数が経って要るからな。雨漏りもすれば隙間風も吹き込もう。早急な修復を推奨する」
人間の眼には判らずとも機械の眼にはよく見える、雨と風の侵入口。そして、そこから傷みの進んでいる古い建物。
シャドウは持っていたチョークでその侵入口に印を付けていく。それは結構な数になった。
「けどこちとら直す金なんぞねぇぞ?」
そもそもこのアパートは、大家の許可なく個人で勝手に部屋を改造・修復できない決まりなので、バーナムに金があっても勝手には直せない。
実際大家がケチっているので未だに修復はされないし、もし強く訴えようものなら「嫌なら出て行け」と言われるのがオチである。
だがここ以上に家賃のかからないアパートはおそらくないので、出るに出て行けないのが現状なのである。
「それに、このところの……薄っぺらい電話か。アレが大流行りのせいで『雨漏りより電話が繋がるようにしろ』って声が増えてな」
「薄い電話。スマートフォンの事か。其れが何故雨漏りに関係が有る」
バーナムはつまらなそうに天井を見ながら、
「その工事をやったら、工事代の元を取りたいから家賃を上げるって言ったんだよ、大家の野郎が。だから工事は勘弁して欲しい」
シャドウはなるほどと思った。大家としては確かに正しい選択である。
とはいえわざわざボロアパートに住むのは訳ありか貧乏人と相場が決まっている。
リクエストが通って便利にはなるかもしれないが、家賃が上がるのはそんな住民達には賛成しかねるだろう。
ふとシャドウのセンサーが、この部屋の外に二人の人間の気配を察知した。武器の携帯はなさそうである。
だがバーナムも武闘家だけに気配を感じるくらいはお手の物らしく、シャドウと同じタイミングで入口に目をやった。
こんこんこん。
「バーナム・ガラモンドさんはいらっしゃいますか?」
呼び鈴などないボロアパートでは声に出す方が遥かに早くて確実だ。どこの誰かは知らないが「分かっている」と見える。
バーナムが無意味に偉そうにうなづきながら入口を開けると、そこに立っていたのはスーツ姿の二人組であった。背が高いのと低いの。
そのうちの背の高い方が、小柄なバーナムを見下ろしながら笑顔を浮かべ、
「バーナム・ガラモンドさんですか? 我々は『債権回収弁護団』と申す者です」
そう言って小さな紙片——名刺を差し出した。
確かにそこには「債権回収弁護団」とあり、本人の名前であろう「カナミン・ユーゴ・シック」とある。
そのカナミンは、バーナムが口を開くより早く笑顔のまま話を始めた。
「バーナム・ガラモンドさん。あなたは以前『ユーロスタイル・エキスパンド』という遊園地でアルバイトをされていましたね?」
確かに彼の言う通り、バーナムはその遊園地でバイトをした経験がある。
しかしバーナムが働き始めて少ししてから、利用客を誘拐してゾンビ警備兵にして兵器として売り飛ばすという計画に、この遊園地が利用されていた事が発覚。
遊園地側は関与していなかったが、首謀者が遊園地の有力スポンサーだったためすごい勢いで悪評がたち、それが原因で一気に閉園にまで追い込まれている。
そのためバーナムの給料は未払いのままとなっていたのだ。
もっとも働いていた期間が短かったので、受け取れていたとしても大した額ではないと思い、ほとんど諦めていた。
「当社の方で調査した所、この件で給金が未払いになってしまっている方々が大勢いる事が発覚しまして。未払いの給料を支払うよう当社が代理交渉をしようという事です」
随分手慣れた営業トークを淀みなく語ってくるカナミン。
確かにこうした各種手続きは、知識のない素人がやっても面倒だし時間もかかる。こうした代理業者にやって貰うのも一つの手である。
常に金に困っているバーナムとしては、まさしく願ったり叶ったりである。
だがバーナムは冷めた目で、
「さすがにタダじゃねぇだろ」
代理交渉が仕事なのだから当たり前である。面倒さとそれに注ぎ込む時間を買う、という解釈なのだから。
遠慮のないバーナムの言葉に、カナミンの営業スマイルがかすかに堅くなる。
「ま、まぁ、それは、必要経費、という事で、一つ」
そこにぬっと姿を現わしたのはシャドウである。彼はカナミン達ではなくバーナムに、
「御前が其の遊園地で働いて居た期間は?」
いきなり訊ねられてバーナムもさすがに少し考え込む。
以前と言われても昨日一昨日の話ではないし、もうダメだろうと諦めた事だから記憶の隅に追いやってしまっている。それでも時間をかけて思い出すと、
「一ヶ月は働いてなかったな。けど間違いなく二週間は働いてた」
「仕事の内容は園内の清掃だったな」
「ああ。最低限の道案内もしてたけどな」
そこまで聞いたシャドウは、ロボットらしく素早く計算を終えると、
「そうなると、時給は最低でも一千EM(えむ)。一日辺りの労働時間から算出すると日給は八千から十千EM。其れが二週間だから百十二千から百四十千EMが支払われなければならない事に成るな」
分かり辛いが、要は最低でも十一万から十四万EMの給料が発生していた計算になる。
あまり頭を使うのが得意ではないバーナムの暗算とは裏腹に「大した額」と斬り捨てる額ではない。
カナミンとその連れも、いそいそと鞄から取り出していた資料——最近増えてきたレグナ製の小型タブレットを器用に操作して、
「ああ、そうですね。あなたの計算通りです」
そう言いながらタブレットの画面を二人に見せる。
「問題は其の費用だな。十一万EMの給金を回収するのに二十万EMや三十万EMの費用が懸るのでは意味が有るまい」
シャドウの物言いは淡々とした合成音声だが、それ以上の迫力や威圧感、そして説得力がある。そのためカナミン達は圧され気味だ。
「え、ええ。ですから当社では回収金額に応じた格安の料金で各種手続きの代行を、ですね?」
再びタブレットをススッと操作し、変わった画面をバーナムに見せる。
「こちらのタブレットに必要事項を記載して頂ければ書類の郵送代が節約できる上に、すぐにでも手続きに取りかかれて時間の節約にもなりますが」
タブレットの画面には必要事項を記入する専用フォームが表示されていた。
だがバーナムはそれをろくろく見ずに、
「ああ。オレこういうのダメなんだ。パス」
相手に押しつけるようにタブレットを突き返す。
タブレットもこのところ急速に普及して来たアイテム。苦手な人もまだまだ多い。
相手もそのリアクションは予想していたらしく、今度はいそいそと鞄から紙の束を取り出し、バーナムに差し出す。
「この書類に必要事項を記入して、郵送して下さい」
これがどうやら必要書類らしい。
バーナムは渡された書類を流し読みしていた。
が、とある一点で視線が止まる。
「……オレ、銀行口座なんて持ってねぇんだけど」
バーナムは書類の方も相手に突き返す。
すると債権回収弁護団の二人は、聞き取れない言葉をごにょごにょと言った後、返事も聞かずにそそくさと帰って行った。扉も閉めずに。
なので、バーナムは扉を閉めながら、
「ないとダメなのか?」
「……そう言えば、御前は銀行口座を持って居なかったな」
バーナムは生来の機械音痴の為、銀行のATMの操作すらおぼつかない。その為収入の全部を現金に変え、部屋以外の場所に隠していると聞く。
周囲の人間が危険だ、盗まれると忠告するが「自分の好きに取り出す事もできない貯金箱なぞ要らん」という、分かるような分からないような理屈を未だにゴネている。
一方渡された書類には「指定の銀行口座に未払金を振り込むので銀行名・口座番号を忘れずに記入の事」とある。それ以外での未払金の受け取り方については一切書かれていない。
「電話を掛けて聞く可(べ)きだろうが……」
シャドウは受け取った名刺を見ながらしばし黙った。どうやらこの場でインターネットにアクセスして調べているようだ。
「此処に有る電話番号は存在しない物だ。些か怪しいな」
「何でそんな番号を名刺に書くんだよ」
名刺をひったくるようにして奪ったバーナムがシャドウに訊ねる。
「此の状況で断言は出来んな」
シャドウに出来たのは、その書類に記入するのは待つべきだと忠告する事くらいである。


シャーケンの町にある、オニックス・クーパーブラック神父の預かる教会の礼拝堂にて。正確にはその入口前。
そこにやたらと人が集まっていたのである。
集まった人達の年齢性別身なりから見当がつく職業はバラバラである。
礼拝堂に祈りを捧げに来たり、悩みの相談に来るのであれば神父としても嬉しいが、別にこの礼拝堂に用がある訳ではない。彼ら彼女らの目的は「電波」である。
理由は分からないが、特に何かした訳でもないのに、この礼拝堂はスマートフォンの電波受信状況がとても良く、その恩恵に預かろうとしている人達で賑わうようになってしまったのである。
今話題のレグナ製のスマートフォン「サプルス」やタブレット「サプトロン」を使っている人が特に多い。
使用者が「まるで神が与えた品だ」と絶賛する高性能っぷりという評判は聞き知っている。
彼の宗教の宗派では「礼拝堂は神と人間を繋ぐ場所である」とされているが、礼拝堂の前で神が与えた品を人間が使うのは正解というか皮肉というか。
そうであろうとなかろうと、何十人もの人達が、皆揃って黙々と小さな画面を凝視し続けている様子は、端から見ていると不気味にしか見えないのである。
その様子を礼拝堂の裏手にある自宅の窓から見ている。
(何だか、中に入って来そうな勢いですね)
黙々とスマートフォンを操作しながら、皆が皆少しずつ「少しでも電波状態のいい場所」を求めて移動し続けているからだ。
それがだんだん礼拝堂の扉に近づいているので、彼の心配通り本当に中に入って来かねない。
先述の通り祈ったり悩み相談ならともかく、単に電波を使いたいがために礼拝堂に入られるのはさすがに困るのだ。
始めのうちは彼もそれを訴えていたが、多勢に無勢という言葉の意味をこの年齢になって初めて実感した思いだ。
つけっぱなしになっていたテレビから流れているのは、件のタブレット「サプトロン」のCMである。
それが終わると今度は「サプルス」のCMが。
(いくら何でも多すぎませんかね)
人気があるとはいえCMがあまりにも多い気がする。
それに、目の前の人々のような使用者を見ていると、一抹の不安を感じずにはおれない。
人が道具を使って生活するのではなく、人が道具に振り回される。しかも人はそれに気づかない。
まるで占いにのめり込み過ぎて、少し考えれば簡単に答えが出るような事ですら、すぐさま占いを聞き、その通りにしないと落ち着かなくなるかのように。
一個人が心配しても始まらない事だが、まがりなりにも人々を支え導く役目の聖職者。
何ができる訳でもないのだが、放っておきたくもないという矛盾した思いを抱え、礼拝堂の入口を見つめていた。

<To Be Continued>


文頭へ 進む メニューへ
inserted by FC2 system