「Baskerville FAN-TAIL the 30th.」 VS. Royal Personage
「ごめんくださーい」
早朝。港町シャーケンにある一軒の民家の呼び鈴が鳴った。
それからたっぷり一分は経ったろうか。民家のドアが静かに少しだけ開く。
「……何よナカゴ。こんな朝早くから」
ドアの隙間から目だけ覗く住人の眠たそうな声。その声は二十代半ばの女性のものだ。
そしてナカゴと呼ばれた二十歳前後の女性の方は、声の主に対してぴしりと略式の敬礼をする。
「不肖ナカゴ・シャーレン。サイカ先輩にお願いがあって参りました」
「いまるすにしてますでなおしてください」
住人は露骨な棒読みで間髪入れずに返答すると、素早くドアを閉めてしまう。
その早業に一瞬ポカンとしたナカゴは、ドアにへばりつくように詰め寄ると、今度は激しくノブを回しながらドアをドンドンドンと叩く。
「お願いしますサイカ先輩! 本当にお願いがあるんですよ。一大事なんですよ!!」


世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。
だからこそ、ここへ来れば——どんな職種であれ——仕事にあぶれることはない、とまで云われている。


さすがに自宅の前で大声で騒がれては近所迷惑。本当に心底渋々という感じで家の中に招き入れたサイカ先輩。
サイカ先輩こと住人の女性・コーラン(本名サイカ・S(ショウン)・コーラン)は、露骨に嫌な顔のまま、
「毎回毎回治安維持隊のもめ事を、辞めた人間に持ってくるなって言ってるでしょう?」
「そこを何とかお願いします。本当の本当に一大事なんですよ!」
と、ナカゴは平身低頭土下座までしている始末だ。
ナカゴが今纏っているのは金属のような光沢を放つマント。そこには『治安維持隊』と呼ばれる組織の紋章が描かれていた。
治安維持隊とは、この世界とは異なる異世界、それも魔界と呼ばれる警察機構のものである。ナカゴは若くしてこの町にある分所の所長の地位にある。
かつては人間が「悪魔」と呼んだ異形の者達の世界であったが、現在は力の減退や混血なども進んで、人間と大差なくなってきている。
それでも「人間離れした」能力・特徴を持つ種族も数多いが。
「サイカ先輩。マモンに住んでいる械人(かいじん)ってご存知ですよね?」
現在の魔界は大きく七つのエリアに分けられており、かつて七つの大罪と呼ばれた悪魔と同じ名で呼ばれている。
そのうちの一つが、魔界きっての工業地帯である「マモン」。似つかわしくないかもしれないが、魔界とて機械工業が皆無な訳ではない。
「械人って、確か機械の身体を持った一族よね。私はよく知らないけど」
コーランが過去の記憶を懸命に引っぱり出してそう答える。
「ええ。実は、そこの王子様が……」
「王子に何かあったの?」
沈んだ表情のナカゴの言葉に、コーランもさすがに心配になって訊ね返す。
王子といっても、正確には械人の部族の王の息子である。
魔界では都市部を除くと部族ごとに一塊になって暮らしているケースが多いので「国」と便宜上呼び、その王を「国王」その子供を「王子」と呼んでいるだけだ。偉い人物である事は事実だが。
「……今、うちの分所にお見えなんです」
それは確かに一大事だった。


コーランとナカゴはいつもの仲間を緊急召集し、治安維持隊の分所へ急行した。
「……たかだか偉いヤツが来るってだけで、何で俺達まで」
と不平を漏らすのは武闘家のバーナム・ガラモンド。
「械人とは、実に珍しいお客様ですね」
神父のオニックス・クーパーブラックが珍しく興味津々な態度である。
「そうだよ。別にコーランとナカゴさんの二人でいいじゃん」
全く興味を持っていないのがグライダ・バンビール。聖剣と魔剣の二刀流をこなす、自称美少女剣士である。
そして、彼女とは双子に見えない程幼い妹のセリファ・バンビールも、姉と同じように興味なさげに眠そうな顔をしている。
「魔界にも機械の文明が在った事は知って居るが、其の械人に会った事は無い。同じ機械体としては、会わぬ訳には行かぬな」
戦闘用特殊工作兵の肩書を持つロボット・シャドウが合成音で淡々と呟く。
「でさ。その械人ってどんなのなの?」
コーランと共に暮らしているとはいえ、魔界に行った事のないグライダの質問に、ナカゴは、
「械人というのは……機械でできた生物、生物みたいな機械と説明するべきですかね」
説明の筈が説明になってない。その場の一同の胸中は一つになっていた。彼女もその空気を感じたようで、
「そうとしか説明できないんですよぉ。外見も能力も各自でバラバラですし。明らかにメカではないんですが、機械みたいにパーツ交換による身体の修復が可能。けど成長も老いも死にもするんですから」
パーツ交換できるがゆえに、寿命以外では死ににくいですけどね。と小声でつけ加える。
そんなやりとりをしながら分所の中を歩いて応接室の前で立ち止まったナカゴ。おそらくそこに械人の王がいるのだろう。
案の定、ナカゴは緊張に震える手でノックをすると、
「で、殿下。ナカゴ・シャーレンです」
「入れ」
彼女の震える声を全く気にした様子もない男の声が聞こえてきた。ナカゴは大きく深呼吸をし、まさしく「意を決して」という表情でドアを開けた。
『うおおぉぉぉぉ』
途端、一同の動きが止まってしまった。
部屋の中には青い全身鎧を纏った男が一人静かに立って、部屋に飾られた写真を眺めているところだった。背中には自分の身の丈ほどもある大剣を背負っている。
首から上はむき出しで、人間と変わった様子は全くない。むしろ人間の尺度ならかなりの美青年である。
だが彼らの動きが止まったのはそれが理由ではない。大剣を背負う男の発する「気」のようなもの。何も気負っていないのに気押されそうになる「オーラ」とでも言おうか。
それはまさしく本物の「王家」だけが持つカリスマ性からくるものだった。
「ナカゴ・シャーレン。どこへ行っていた」
言葉を一言発しただけでその場にくず折れてしまいそうなプレッシャーを浴びせかけられた気分になったナカゴ。
そのプレッシャーは当然他の面々も感じており、眠そうにしていたセリファは一気に背を伸ばし、不平を漏らしてだらけていたバーナムすら直立不動にさせている。
(こりゃ助けを求めるわ)
こんなプレッシャーに長時間耐えられる人間の方が珍しい。コーランは素直に思った。
「後ろにいるのは、ナカゴ・シャーレンの友人達か」
「……ハ、ハイ。殿下」
「今は忍びの旅。昔通りイダサインでよい」
甲冑の男・イダサインの言葉に一同がぽかんとしている。代表してコーランがナカゴに向かって小声で、
「昔通りにって、どういう事?」
「ウチの家系は代々械人とは縁が深いんですよ。身分違いじゃなかったら、幼馴染みの弟分って感じでしたから」
そこそこ付き合いは長いものの、初めて知ったナカゴの過去に正直驚いている。
「ナカゴ・シャーレンの友人達よ。先程も言ったが今は忍びの旅。身分などというものは忘れ、仲良くしてほしい」
イダサインの言い方こそは尊大で実に偉そうな感じだが、言っている内容は至って普通である。
だが、そう言われても身分が高い人物である事は事実。そうたやすく切り替えができる訳ではない。
バーナムを除けば、皆ある程度「育ちのイイ」人間なのだから。
「ナカゴ・シャーレン」
「ハ、ハヰッ!」
いきなり名前を呼ばれたナカゴは、反射的に直立不動の姿勢を取る。イダサインは裏返った彼女の声に苦笑すると、
「さすがに空腹である。この辺りの名物を食べたい。案内を頼む」
手近のソファにかけてあった金属光沢を放つマントを取り、バサリと羽織った。


そんな王子のワガママで一同がやって来たのは、本当に港町の一角にある安食堂。一同には馴染みの「ヘルベチカ・ユニバース」である。
当然町にはもっと高級な店がたくさんあるが、イダサインの「港町に来たのだから、港町らしい店がいい」と言ったので、内心ドキドキしながらここへやって来た。
事情が全く判らない店の女主人も、
「いや。どんな人が来たって、キチッと食べてお金を払ってくれればいいけどさぁ」
まさかこんなうす汚れた安食堂に、王家のカリスマをまき散らすようなVIPが来るとは思っていないだろう。
だがこのシャーケンの町は治安維持隊の分所があるおかげで、魔界の住人の持つ人間世界とは異なる常識にはだいぶ寛容だ。
そんな周囲の心境などどこ吹く風。イダサイン王子は終始ご機嫌で、薄汚れた店内や、窓から見える海、港で働く男達を眺めながら、
「これが平和な市民の営みというものなのだな」
一人で勝手にうなづいて悦に入っている。
「はい。白身魚の香葉包み焼きだよ」
イダサインの前に一枚の皿を置かれる。そこには大きな葉で包まった魚が乗っているのだが、
「ほう、これが魚か。初めて見る」 
「あの。魚を葉っぱで包んでるんですけど」
隣にいるナカゴが、小声で訂正する。
「そうか。香葉で包んでいるのか」 
屈託なく笑うと、イダサインは葉を取らずにそのまま鷲掴みにし、そのまま一口で食べてしまった。
香葉は香りは良いが味は相当苦い。普通の人間はまず食べられないのだ。だがイダサインは全く平気な顔をしている。
「……うむ。この葉の苦味が何とも言えん。それにこの魚というものの淡白だがしっかりとした甘味。それがペプペルの辛味を程よく中和している」
ペプペルとは魔界原産の香辛料だ。店によってだいぶ味付けは変わるが、ペプペルだけはほとんどの店で使っている。
初めて味わってこれだけの分析。相当舌は肥えているようだ。
「どうした。お前達は食べぬのか」
それぞれの前に皿が置かれているが、皆手をつけていない。
まさか苦い香葉を食べるとは思わず、ぽかんとしていただけだ。
「じゃ、食うか」
元々身分など全く気にしない性分のバーナムが、包んでいた葉を取って頬張る。
それを見ていた他の面々も、周りを伺うように葉を取って食べ始めた。
ところが、それを見たイダサインは、
「お前達は葉を食べないのか。そうか。苦いからか。だがその苦味がよいのだぞ」
「人界の人間には、その苦味が耐えられません」
またもナカゴが耳元でそう告げる。魔界の住人はこちらの世界の事を「人界」と呼んでいる。
「そうか。所変われば品変わる。それを失念するとは。まだまだ精進が足りんな」
これまた快活に笑っているイダサイン。その笑いが店中に響いているので、一同は少々困り顔になっていた。
いくら魔界の人間に寛容なこの町でも、住民全員がそうとは限らないのだから。
現に襲いかかったり難癖をつけてくる度胸はないものの「場違いだから早く出て行ってくれ」という雰囲気は店内に満ちていた。
当然イダサインのみそれに気づいていないが。


店内の空気のせいで、イダサイン以外食べた気がしないまま店を出た(食べられないシャドウは例外として)。
港に出た一同は、そこを眺めながらのんびりと歩いている。
「他所の土地といえども、民が平和に暮らしている様を見るのは、とても気分がいい」
イダサインの心底嬉しそうな言葉は上から目線ではあったものの、同時に彼の為政者としての心構えも見た気がした。
今は日中なので港には人影が少ない。この町の港が忙しいのは夜中から午前中にかけてだからだ。
そのためだろう。ふと気づくと一同はがらの悪い連中に取り囲まれていた。
すかさずナカゴとコーランがイダサインをかばうように前後に立つ。セリファを除く他の面々も、いつ襲いかかられてもいいよう身構えている。
「その方達、物盗りか」
こちらの話を聞く様子もなく、手にナイフを構えている態度から、イダサインはそう見当をつけた。
「人数が少ないからって、ナメない方がいいぜ? こいつがかすったら死にはしなくても一発でオネンネだからな」
チラチラとナイフの刃先を動かす物盗りのリーダー格らしい人物が凄んでくる。
そしてその凄みは決してハッタリなどではなく、実力に裏打ちされたもの。
だが相手が悪かった。あらゆる意味で。
「ボクとセリファちゃんで殿下を。あとはご自由に」 
クーパーが神父とは思えぬ冷淡な態度をとる。さすがに物盗りに同情も説得も効かないと判断したようだ。
「運がなかったな、お前ら」
バーナムが指をわざとらしくコキコキと鳴らしながら間合いをとる。武闘家らしくいつでも飛びかかれるように。
「そうね。襲う相手はよく選ばなきゃね」
グライダが右手に意識を集中させる。すると一瞬光の魂が現れ、それはすぐさま一振りの剣と化した。
コーランもシャドウも特に構えらしいものはとっていないが、隙なく相手を観察しており、ナカゴはすぐ腰の銃を抜けるよう手をかけている。
ここまでされて初めて、物盗り達は自分達が獲物を間違えた事に気づいた。だがもう時すでに遅し。
『くったばれーーーーっ!』
一同は一斉に物盗り達に飛びかかった。
飛びかかった面々は、イダサインのオーラのプレッシャーで受けたストレスの腹いせをするのだとばかりに、容赦なく全力で相手を叩きのめした。
その様子は、むしろ物盗り達に同情したくなるような、一方的な勝負だった。


「皆強いのだな。感服したぞ」
先程の戦いを終え、その場を離れる一同。イダサインの感心した口ぶりである。 
「だが気遣いは無用だ。自分の身は自分で守れるよう訓練を積んでいる」
彼はそう言うと背中に背負っている剣を外し、両手で持ってみせる。
その特徴的な刀身は随分と幅が広く、また必要以上に分厚かった。そして切っ先部分を中心に刃先は金属のカバーで被われているので、このままでは武器としての用を為さないのは明白だ。
「この剣はこう使うのだ」
グッと力強く柄を握り締めると、分厚い刃を包むように赤いビームがほとばしり、それがまるで刃のような形で固定された。
「成る程。其のビームで物を斬る訳か」
「いかにも。この様になっ!」 
イダサインは振り向きざま剣を縦一文字に振り下ろした。何もない空間にである。
だがイダサインとシャドウだけは「見えていた」のだ。 
後ろから姿を消した「何者か」が近づいて来ていたのを。
その攻撃で「何者か」は姿を現した。きっと驚いて集中力が解け、魔法が解除されたのだろう。
「無闇に殺めるつもりはないから、加減はした。斬られぬうちに立ち去るがいい」
切っ先が届くギリギリの距離にいた「何者か」は、ジリジリと後ろに下がり、やがて猛スピードで走り去って行った。
「ふむ。この町はあまり治安がいいとは言えんようだな」
「あの。今の魔界から指名手配を受けてる殺し屋だったんですけど」 
あまりの出来事に自分の職務を忘れ、ナカゴがそう説明する。もっとも完全に忘れた訳ではなく、部下に連絡して追跡の手筈は整えたが。
械人達の王子がこの場にいるのだ。弱肉強食の考えが強い魔界からすれば、これをチャンスと見て暗殺しようとする者がいても不思議はない。むしろいて当たり前である。
(だから嫌だったんですよぉ!) 
ナカゴは胸中で叫ぶがイダサインに聞こえる訳はなし。
ナカゴがこのメンバーを集めたのは、心細かっただけではなく、こうした意味がちゃんとあったのである。

<To Be Continued>


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