「Baskerville FAN-TAIL the 28th.」 VS. Mannequin
「あ〜あ。つっかれた〜〜」
ある日の朝。グライダ・バンビールは家に帰るなりリビングのソファにぼふっと身を投げた。
もしかしたらそのまま眠りについてしまうのではないか。そう思えるくらい、全身から疲労感を漂わせていた。
「今回は一晩中だったから仕方ないか。セリファは寝ちゃってるし」
同い年に見えぬグライダの妹・セリファを軽々と背負っているのは、彼女らと同居している魔族の女性・コーランである。
彼女らの正体は、通常の人間では対処し切れない事態に対抗する力を持った極秘の特殊部隊——バスカーヴィル・ファンテイルの一員だ。
その任務で一晩中戦っていたのである。
相手はグライダの持つ魔法剣でも歯が立たぬ、固い装甲を纏った騎士である。
触れた物総てを焼き尽くす筈の魔剣でも燃やせぬ、対魔法の防御力が桁外れに高い代物であった。
外部からの侵入が困難な筈の兵装研究所から盗み出された試作品であり、その対魔法防御能力の高さゆえに彼女らにお呼びがかかった訳である。
だがその彼女らでも、その対魔法防御能力の高さには手を焼いた。一晩中戦った挙げ句、結局強引な力技でねじ伏せてその装甲を破壊したのである。
ただし。肝心の「装甲を纏っていた者」は発見する事はできなかったが。
そこでコーランの持つ携帯が着信音を奏でる。彼女は目で「どきなさい」とグライダに合図し、空いたソファに素早くセリファを寝かせると、急いで電話に出た。
相手はコーランがしゃべる間もなく一方的に用件を言って、切れた。
しばし寝転がる姉妹を見下ろしていたコーランだが、
「出かけるわよ。セリファ背負って着いてきなさい」
その言葉にグライダがごねたのは言うまでもない。


世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。
だからこそ、ここへ来れば——どんな職種であれ——仕事にあぶれることはない、とまで云われている。


グライダ達の電話から少々遡る。
「結局なんだったのかねぇ」
大あくびをしながら町の大通りを歩いているのは、武闘家のバーナム・ガラモンド。彼もバスカーヴィル・ファンテイルの一員だ。
力技でねじ伏せたのは彼の技・四霊獣(しれいじゅう)の拳である。一晩中戦った末に放った大技、名付けて「四霊獣龍の拳・龍纏(りゅうてん)」。それで強引に装甲を粉砕して決着が着いたのだ。
「だが装着者を逃したのでは意味が無いな」
バーナムの頭上から淡々とした機械的な合成音声が。話したのは二メートルを越える巨体を持った戦闘用特殊工作兵のロボット・シャドウである。
冷静なその物言いに、渋いバーナムの顔が更に渋くなる。
「生身の人間が一晩中全力で戦う事はできませんよ。隙ができてもやむを得ませんね」
シャドウの隣をゆったりと歩いていた神父のオニックス・クーパーブラックがシャドウにやんわりと諭す。
そんな彼に向かってバーナムが言う。
「まさかグライダやお前の刀まで通じないとはな」
そう。神父という職業に不釣り合いに思える武器・日本刀をクーパーは持っていた。さすがに今は町中なので、専用の布の袋に入れてある。
クーパーも自身の剣技——開祖が神から授かったという伝説を持つ、古くからある流派・石井岩蔭流(いしいいわかげりゅう)剣術にはそれなりの自信を持っていたが、少々表面に傷をつけられた程度であり、とても「通じた」とは言えないものだった。
「さすがに時代が進めばあらゆる技術が進歩しますからね。昔から連綿と伝わっている物だけでは対処できない、という事でしょうか」
「剣術は進化して居ないのか」
「進化はしていると思いますよ。ですがボクが進化させている訳ではないですし」
バーナムは二人の会話に嫌気が差したように二人の背中を叩く。
「まぁ俺達にできる事はやったんだ。どっかでメシにしようぜ。さすがに腹が減った」
クーパーとシャドウは会話を中断し、彼の提案に乗る事にした。
本当はすぐにでもゆっくりと横になりたいところだが、その休息の為にも空腹を満たし、栄養分を補給しなければならない。眠る必要がないシャドウだけは別だが。
そんな三人は手近にあった食堂に飛び込んだ。そこは交代制で一日中やっている安食堂だ。こんな明け方にもかかわらず、それなりに客が入っている。
シャドウが入口で控えている間、バーナムとクーパーの二人が空いている席はないかとキョロキョロしていると、唐突に話しかけてくる人物がいた。
「あなたがオニックス・クーパーブラック神父ですね?」
短い髪の男がそう声をかけてきたのだ。
その服装は明らかに人界東方独特のもの。現地では職人が好んで着る「どんぶり」と呼ばれる腹にポケットが付いた前掛けが特徴的だ。
クーパーが彼の発言を肯定すると、
「あなたの持つ刀・彌天太刀(びてんのたち)を返して戴きたい。私は十五代目織田勘亭(おだかんてい)です」
その男は低い声で確かにそう名乗った。
織田勘亭という名には、バーナムはともかくクーパーにはもちろん覚えがあった。
彼が持つ刀——織田勘亭流・彌天太刀を作ったのは、十三代目織田勘亭なのだ。


クーパーは注文をバーナムに任せて席につき、十五代目と対峙していた。
年齢はだいたい三十代半ば。その表情には厳しい修行生活で培われたであろう、頑固だが不器用な意志の強さを感じる。
「それで、ボクにどんな御用でしょうか」
クーパーは静かにそう問い、相手の言葉を待った。
「それは先程も言いましたが、十三代目の作った刀『彌天太刀』を返して戴きたいのです」
十五代目が再び静かにそう言うと、まっすぐクーパーを見据えた。
その目と意志に迷いはない。クーパーはそう感じた。しかし、
「何故なのかをお答え下さい。それに失礼ですが、貴方が本当に十五代目だという証もない以上、二つ返事でお返しする訳にはいきません」
そう答えるクーパーの目を真剣に見つめ返す十五代目も、確かにその通りだと思い直す。
自分の国ならともかく、遥か遠い異国で名前だけでは本物とは分かってもらえまい。
十五代目は荷物の中から身分証明書を取り出し、クーパーに手渡す。
そこには彼の顔写真と共に、名前の欄にしっかりと「織田宋朝(おだくにとも)」とある。
身分証を見つめるクーパーは東方の文字はあまり詳しくないが、注文を済ませて戻ってきたバーナムは自分の国の文字なのでよく分かる。
流派を継いだ者が開祖と同じ名前も受け継ぐのが、こうした職人のシステムだ。織田勘亭を継ぐのが織田家の人間であるならば、特に不自然な点はない。
「目標が、欲しいのですよ」
身分証を受け取った十五代目・宋朝は、感情を押し殺したような声で、そう言った。
「なるほどな。爺さんが残した刀を見て『俺もこれを越える刀を作りたい』って、ハッパかけたいってか」
バーナムも生まれは人界東方だけあり、同郷の人間の考え方はすぐ察する事ができるし、その気持ちもよく分かった。
「はい。私が生まれる前に亡くなったので面識はありませんが、祖父——十三代目は国でも五本の指に数えられる名匠だったと聞いています」
祖父、十三代目を妙に強調するように、力を込める宋朝。
「こうしてその名を継いだ以上、それを越えるべく精進するのが職人の道だと、私は考えています」
バーナムは「なるほど」とうなづいている。
だが、その様子を何となく聞いていた周囲の客の反応は様々だった。
「そういう事情なら、孫に返してやれよ」
「いや。金を出して引き取るべきだろう」
「別に返さなくたって刀作りに問題はない」
自分の考えに賛同してくれる人ばかりではない。それは土地が変われば物の考え方もガラリと変わるから。宋朝はそれを肌で実感していた。
「もちろんタダで返してくれとは言いません。私が打ったこの刀を代わりに進呈致します」
彼は更に荷物の中から、細長い包みを取り出す。それはクーパーの持っている布の袋に酷似していた。
その袋から取り出したのは、もちろん日本刀だ。
刃を見なければ日本刀の真の価値や良さは分からないものだが、さすがに店の中だけあって刀を抜く事はしなかった。
だが宋朝を見るクーパーの表情は非常に固いものだった。
疑いが晴れていないというものではない。完全に信用していないという顔つきだ。
「生憎ですが、何があっても貴方にお渡しする訳にはいきません。偽者の織田勘亭殿にはね」
クーパーは「偽者」の部分を強調してキッパリとそう告げた。当然ざわつく一同。
そのざわつきの中、一瞬惚けていた宋朝がバンとテーブルを叩き、
「きちんと身分は証明した筈です。それに、確かに劣る品ではありますが、代わりの品と交換しようと提案もした。それとも引き換えの代金も欲しいというのですか、聖職者のくせに!」
それを言ったら本来の聖職者は基本的に刃物を使わないのだが、その辺にツッコミを入れる無粋者はいなかった。
クーパーは自分の袋の中から刀・彌天太刀を取り出しながら、静かな声でそう訊ねた。
「貴方は十三代目の本名、伝え聞いてはいませんか?」
織田勘亭という名前は、いわば芸名。当然その人本来の名前・本名というものがある。
彼の手は刀の柄にある「目釘(めくぎ)」という小さな部品を外し、柄を分離する作業をしながら、
「織田勘亭流第十三代目の本名は、如月弥生(きさらぎやよい)殿。男性ではなくれっきとした『女性』です」
そして柄の部分をするりと取り外し、茎(なかご)と呼ばれる今まで柄で隠れていた刃の根元部分を宋朝に見せる。
「……にもかかわらず十三代目を『祖父』と言った貴方を、本物と信じる事はできません」
そこには確かに「十三代目織田勘亭 如月弥生」という文字が彫られていたのだ。


その昔。東方のある小さな山の中に、第十三代目織田勘亭・如月弥生の住む工房があった。
本来は女性である弥生ではなく、一人娘たる彼女が婿をとりその婿が十三代目となる筈であった。
ところがそうなる前に十二代目が病で急逝。万一を考えて技術を受け継いでいた弥生が十三代目を名乗らざるを得なくなったのである。
しかし世はまだまだ男女差別が激しかった頃。東方はその考えが特に顕著だった土地柄。
その為、腕は立つものの「女性である」という理由だけで刀鍛冶の仕事は激減してしまった。
織田勘亭流には「古代の術で作られる伝説の刀」「神の技で鍛えた名刀」という二つ名があった。
言い伝えに過ぎない事だが、刀にはそれぞれ魂が宿るとされている。
刀を打つ行程で使い手が立ち合えば刀に使い手の魂をも宿り、文字通り一心同体になると云われてきた。
そんな魂宿る刀を使い手本人が振るえば、刃は決して折れず曲がらず、切れ味もひときわ鋭く、重さも疲れも感じないと伝えられている。
無論これらは迷信に過ぎないが、そうした古代のこだわりを余す事なく今に伝えるのが「織田勘亭流」なのである。
同時にそう言われるだけの銘刀であったという事でもあるのだが、それでも依頼が無くなるほど女性に対する蔑視の気持ちが強かったのだ。特にこうした職人の世界では。
それでも優れた刀を作り続ければきっと認めてもらえる。弥生はその一心を糧に刀を作る腕を磨いていた。
そんな弥生には、一人の思い人がいた。
同じ国に住む剣士で、名を燕 天空(つばくろ てんくう)。
役職や家柄はそれほど高いものではなかったが、剣士としての肩書が似合わぬほど人のいい人間であった。そして彼も弥生を思っていた。
その天空が、国の剣術大会で見事優勝したのである。
戦がなくなり、剣士がその剣腕を振るう機会がほどんどなくなった「太平の世」と呼ばれていたこの時代、こうした剣術大会での優勝など大した名誉ではなくなっている。
しかし優勝者は自分の刀を一振り作ってもらう事ができる。当然天空は思い人の弥生に作ってもらうつもりであった。
だが国のお偉方がそれに待ったをかけたのだ。
「剣士の魂たる刀を女などに作ってもらうなど言語道断」と難癖をつけて。
しかし天空はその名に背き、弥生に自分の刀作りを依頼した。弥生も今ある数少ない刀以外の仕事の総てを断わって、それに打ち込むほどの熱の入れようだった。
それ以前に弥生は元々あまり身体が丈夫ではなかったので、一度にいくつもの仕事がこなせなかっただけなのだが。
それから二人は工房に籠った。
刀を作るには、何十にも渡る行程を経なければならない。そのどれもが職人の経験と勘を——そして何より体力を必要とするものだった。
それでも弥生は丈夫でない身体に鞭打ち、思い人の為に、職人として認めてもらう為に懸命にその腕を振るっていた。
天空の方もそんな弥生の心の支えとなり、自分に手伝える部分は不器用ながらも手伝い続けた。
材料の玉鋼(たまはがね)を選別する事三日三晩。
熱した玉鋼を叩いて鍛える事三日三晩。
鍛え上げた玉鋼を伸ばし、形を整える事三日三晩。
……そして、工房からの音が静かに止んだ。
刀が完成したのである。正確には刀全体ではなく、その中核をなす「刀身」と呼ばれる金属の部分のみだ。
後は刀の刃をきちんと研ぎ澄まし、柄や鞘などを作って組み合わせて初めて刀の完成となる。
休む間も惜しいと鎚を振るい続けた弥生の顔は、本来の身体の弱さと相まって今にも命を落としてしまいそうなほどに痩せ衰えていた。
一方の天空も慣れない鍛冶仕事を手伝い続けた為か頬がゲッソリと痩せこけ、目はほおずきのように真っ赤に充血してしまっていた。
だがそれでも完成した刀身を目の前にした二人の表情は、そんな途方もない疲労感を一気に吹き飛ばすような明るい笑みに満ち溢れていた。
二人が見つめる刀身は日本刀独特の金属光沢を放つものであり、武器とは思えぬ美しさすら持っていた。
まるで星がまたたく満天の空を思わせる、静かで控えめだが確かな明るさ。それが確かにこの刀にはあった。
それを見た弥生は「まるで剣士なのに人がいい天空殿自身のよう」と語ったとされるが定かではない。
弥生もこれまでに練習とはいえいくつか刀を拵えているものの、その中でも間違いなく会心の一振り。最高傑作と言い切っても過言ではない。そのくらいの出来であった事は間違いない。
だがそこに工房の戸を開けて雪崩れ込んできた集団があった。
先頭に立っていたのは、先の剣術大会の決勝で天空に負けた剣士である。後ろに控えているのは彼の取り巻きであろう。
理由は明快であった。たとえ戦と縁遠い世となっても、名のある刀は剣士としてのステイタス・シンボル。
今は女鍛冶と蔑まれているが、腕は確かなのだから将来きっと価値ある物となる。そうした欲まみれの理由である。
彼等はこの瞬間の為にずっと工房の前で張り込んでいたのだ。
先頭の剣士は無言で刀を抜き、まっすぐ天空めがけて斬りかかった。
これが普通の試合であったならば簡単に対処できたであろう。
しかし今の天空は長きにわたる慣れぬ作業を終えた直後で疲労困憊。おまけに武器を持たぬ丸腰だ。
そして何より、自分が避けた後ろには弥生がいる。彼女を傷つけさせる訳にはいかない。
その事情と思いがない交ぜとなり、天空は無防備のまま太刀の前にその身をさらす。
天空はその一太刀で命を落とした。
だが。その勢いそのままに弥生をも斬り捨てようと刀を振り上げた剣士の動きが止まる。いや、止められる。
いきなり止まった事に驚いた彼の取り巻き達も同様だった。むしろ彼以上に動けずにいる。
彼等の視線の先では、弥生が刀身制作最後の仕上げとも言うべき茎に己の名前を刻む作業をしていた。
思い人が目の前で斬られ絶命したというのに、それを全く気にした様子がない彼女。
思い人に無関心だった訳でもなかろう。間近の惨劇に気づいていない訳でもなかろう。
だがそれすらも意識の中から追い出すほどに作業に集中していたのだ。
その「鬼気迫る」という形容しかできぬ「職人魂」を目の当たりにし、そのあまりの信じ難いほどの気迫に圧倒され誰もがその場を一歩も動けずにいたのだ。
だが先頭の剣士は、弥生の様子が奇妙な事に気がついた。
当然茎も金属でできているので、そこに名を刻むには、鏨という短く尖った金属棒を鎚を使って打ちつけて刻み込む必要がある。業界では刻むではなく「彫る」と言うが。
その鎚が小さく振るわれる度に、彼女の頬が、手足の肉が、まるでこそげ落ちていくかのように痩せ細っているのだ。
それだけではない。若く艶のある長い黒髪も次第に色が薄く、白くなっていく。
それはまるで何かに命を吸い取られているかのようであり、同時に鎚の一振り一振りに自分の魂を注ぎ込んでいるようでもあった。
「十三代目織田勘亭 如月弥生」
そう文字が彫られた瞬間、彼女の身体は前のめりに崩れ落ちた。その顔には総てをやり遂げた職人の、喜びに満ちた笑みを浮かべ。
しかしその肉体は若い女性とは思えぬほど骨と皮のみに痩せ衰え、髪などまさしく総白髪。
直前まで力強く鎚を振るっていたとは、目の前で見ていた筈の剣士達ですら信じ難いほどだった。
物作りに命を賭ける。それこそ誇張なしに。文字の通りに。
そうすると人間はこんなになってしまうのか。こうまでしなければ人間の身で物を作る事はできないのか。そこまで人間とは無力な存在なのか。
そして何より。自分達はこんな思いで作られた物を横からかっさらう事しか考えていなかったのか。
そんな思いが彼等を打ちのめした。
その現場を目の当たりにした先陣切って斬り込んだ剣士は、己の欲まみれの気持ちを恥じるあまりその場で己の刀をへし折り、剣士の肩書を捨て、二人を弔うが為に聖職の道に進んだと云う。
そして打たれた刀は後にこの地を訪れた旅の聖職者の指示によりきちんとした拵えを施され、亡くなった二人の名をとって「彌天」と名付けられた。
その言葉は奇しくも、刃が見せた静かで明るい輝き——満天の空を意味する言葉だった。
そしてその刀は、二人が揃って眠る寺院に奉納されたのである。

<To Be Continued>


文頭へ 進む メニューへ
inserted by FC2 system