「Baskerville FAN-TAIL the 27th.」 VS. Evoda
「ナカミンダ家の執事さん……ですか」
ある日の早朝。家にやって来たパリッとしたスーツ姿の男性を見て、コーランはぽかんとしたままそう答えた。
ナカミンダといえば、魔界の著名な実業家だという事くらいは、長くそこを離れているコーランでも聞き知っていた。
そんな家の執事が何故わざわざ縁もゆかりもないこんな一般庶民の家を訪ねてくる必要があるのだろう。
家とはいっても、ここはコーランの家ではない。自分は保護者代行とはいえここの居候。厳密な家族ではないのだ。
おまけにこの家の本当の持ち主であるグライダ・バンビールとセリファ・バンビールの双子の姉妹は外出中。
グライダの方は泊まりの仕事で町の外。今日の昼この街に帰って来る。それから外で妹セリファと待ち合わせをしている筈である。
待ち合わせは昼過ぎなのだが、待ち切れないセリファは早々に出かけてしまっており、今いるのはコーラン一人だけなのだ。
「左様でございます。実はお話ししなければならない事がございまして」
折り目正しく頭を下げる執事。しかしコーランは何故か逆に慌ててしまい、
「し、しかしこの家の人間はあいにく今いません。今日中には帰ってくると思うんですけど……」
「その件なのでございます」
執事は心の底から申し訳なさそうに唇を噛みしめると、
「実は……このままでは、グライダ様をいつお帰しできるか分からなくなるやもしれないのでございます」
その聞き捨てならない物言いに、コーランの表情が一瞬凍りついた。


世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。
だからこそ、ここへ来れば——どんな職種であれ——仕事にあぶれることはない、とまで云われている。


その頃セリファは、グライダがよく行っている酒場の前にいた。ここが待ち合わせ場所なのだが、まだ開店前である。
酒場といっても日中は大衆食堂であり、セリファも何度も来た事がある。
彼女は入口の階段にちょこんと腰かけ、足元の蟻の行列を興味深そうに眺めていた。
まるで小さな子供のする事だが、彼女は事情があって年は二十歳でも外見はまだ十歳ほど。違和感は皆無だ。
そして、そんなのどかなセリファの様子を遠巻きに見て、和んだ笑顔を浮かべている男達が何人かいた。職業や年齢はバラバラである。
いずれもこの町の「セリファちゃんファンクラブ」の面々だ。
「何してんだろうなぁ、セリファちゃん」
「蟻の行列を見てるんだよ。バカだな」
「何かあれって不思議と飽きないんだよなぁ」
男達がひそひそと話し合っている様は、正直言って不気味以外の何者でもない。だが、
『ホントかわいいよなぁ……』
嬉しそうに目尻の下がり切った笑顔で溜め息をつく一同。だがその目尻が一気に吊り上がる事態が目の前で起きた。
セリファの目の前に見知らぬ魔族の大男が立ちはだかった途端、セリファがいきなり泣き始めたからだ。それも大声でわんわんと。
何が起きたのか分からず一瞬うろたえる大男だが、その間にセリファを見守っていた男達がずらりと取り囲む。
「おうおうおう。てめぇなにセリファちゃんを泣かしてやがんだゴラァ!」
口々にそう言って突っかかっていく男達。
しかし大男の方こそいったいどういう事なのか聞き出したかった。
目の前に立った途端子供は泣き出すし、いきなり血相を変えた男達に取り囲まれて因縁をつけられるし。
魔族という事もあり、決して人界ウケする色男ではない御面相だという事は自覚している。だが、会って数秒で泣き出される程ではあるまい、と。
取り囲んでいた男達の中でも、細身の優男がセリファの頭を撫でてなだめている。
「どうしたんだいセリファちゃん? このおじさんが何かしたのかい?」
大男は「まだそんな年じゃない」と言おうとしたが、鋭く睨みつける男達の雰囲気に飲まれ言葉を呑み込んだ。
なだめられて少しは落ち着いたセリファは、無言で大男の足元を指差した。
そこには、たった今まで自分が眺めていた蟻の行列が。大男の足はその行列を踏みつけてしまっていたのだ。
それに気づいた大男は、オーバー気味に足を持ち上げるようにしてその場から離れると、
「そうか。こりゃ済まない事をしたな」
低く枯れた声でそう言うと、自分が踏み潰してしまった蟻達をそっと指で摘み、階段の脇の死角になる部分を少し掘り返した土の上にそっと置き、土を被せた。
それから自分がくわえていた串をそこに突き刺す。蟻の墓の完成である。
「ありがとおじちゃん」
途端に笑顔になったセリファが、しゃがんだままの大男の頭を撫でている。
男も「言ってる事とやってる事が違うな」と思いはしたが、泣き止んでくれた事には心底安堵していた。


酒場の中ではセリファを取り囲んで宴会が始まっていた。
休日とはいえ昼間からだらだらしている大人達である。飲む口実は何でもいい。
二十歳を過ぎているとはいえ、酒が飲めないセリファはミックスフルーツジュース。あとの面々はほとんどビールである。
酒に弱い者がそろそろ出来上がりつつある頃になって、先程の大男が口を開いた。
「そうか。この子の姉があの魔剣使いか」
セリファの姉グライダが炎の魔剣・レーヴァテインと光の聖剣エクスカリバーという二振りの魔法剣を持っている事は、この町の事情通なら誰でも知っている。
優れた剣ほど使い手を選ぶという通説のためか、彼女の剣を奪い取ろうと企む者は数少ない。他人の剣を奪い取ろうとする者が、優れた名剣に選ばれる筈もないからだ。
「おねーサマ、カッコイイんだよ」
まるで自分の事のように、胸を張って自慢げに話すセリファ。その態度が偉そうではなくどこか微笑ましく写るのは、彼女の美徳か外見が十歳前後にしか見えないからか。
「今日おねーサマとここでまち合わせなんだよ」
セリファのその言葉に、大男は不思議そうに口を引き結ぶと、
「それならば、もう来ていてもおかしくはないがな」
それを聞いた誰かが、大男にからむ。
「おい。それってどういう事だよ?」
セリファの話から、姉グライダが泊まりの仕事で町から出ており、今日の昼に到着してセリファと会う手筈なのはここにいる皆が知っている。
「昨夜彼女と一緒の仕事だったんだが、終わってから彼女は誰かに呼ばれていた。それで俺達より一足先に町に帰って来ている筈だ」
周りで無責任に騒いでいた男達が、一斉に静まり返って大男の話を聞いている。
「オイ、それ嘘じゃねぇだろうな?」
「俺はこれでも正直な人間で通っている」
来ていてもおかしくないのに、彼女の姿が未だにない。何かあったのだろうかと誰しもが思った時だった。
セリファは厳しい表情で自分のポケットから紙のケースを取り出した。それは占いに使うトラッドカードと呼ばれる物だ。
彼女はカードを扇形に広げ、その中から「盗賊(シーフ)」のカードを取り出すと、テーブルの上に乗せ、その上に自分の手をそっと重ねる。
「神秘のトラッドの力、我が前に見せよ!」
急に大人びた口調で短く呪文を唱えると、セリファの傍らに見た事もない人影が姿を現わした。
その人物はカードに描かれている盗賊そのものなのだが、それはセリファ以外には分からない。
「おねーサマをさがして」
元に戻ったセリファのその声に、盗賊風の男は風のように姿を消してしまった。
「な、何なんだ、これは?」
魔族の大男が呆然とその光景を見ていたが、今度はファンクラブの面々が胸を張って自慢げに、
「セリファちゃんはなぁ。この町でも指折りの魔法使いなんだよ」
「そうそう。魔界の有名な魔法大学から声がかかってたくらいのな」
その話に魔族の大男は素直に感心する。先天的な素養的に人界の住人は魔法を扱うのに向いていないケースが多い。そのため魔界の大学からわざわざ声がかかるというのはよほどの事なのである。
それから一分も経たぬうちに再び姿を現わす盗賊風の男。その報告を受けているかのようにしばし目を閉じていたセリファは目を開けると、
「ありがと、おじちゃん」
その声と同時に男の姿が再びかき消える。
彼女は乱暴にカードをケースに戻すと、いきなり椅子から飛び降りるように床に着地し、そのまま弾丸のようなスピードで酒場を飛び出したのだ。
彼女は入口で人を突き飛ばしそうになったが、それすら目に入っていないらしく全速力で道路を駆けていく。
「……何だありゃ」
「ボク達が目に入っていない感じでしたけど……」
セリファのよく知る武闘家のバーナム・ガラモンドと神父のオニックス・クーパーブラックの二人だ。
酒場に入って来たクーパーは、事の成り行きを手近の男から聞き出す。
帰って来ている筈のグライダがまだ帰って来ていない。それを聞いた途端カード魔術を使い、終わったと思ったらさっきのように飛び出していった。
そこまで聞いたところでクーパーは、
「まさか、グライダさんに何かあったと思って捜しに行ったのでしょうか?」
「かもな。シスコンもいいところだしな、あのガキ」
バーナムもクーパーの考えに同意する。セリファの性格から考えると、それしか考えられないからだ。
だがクーパーの顔が少しばかり青ざめている。それを尋ねられると、
「セリファちゃんの身体には、ほぼ無尽蔵と言ってもいいくらいの魔力があります。もし彼女がグライダさんを心配し過ぎるあまり精神的に極端に不安定になってしまったら、その魔力が暴走してとんでもない事になりかねません」
たかが魔力の暴走だと舐めてかかってはいけない。魔法や魔力の暴走で山や町が丸々消し飛んだ話など、この世界では過去にいくらでもあるからだ。
想像力豊かな男達がその光景を想像してみるまでもなく、最低最悪の光景である事は間違いない。
「じゃあセリファちゃんを止めないと!」
「でも今どこにいるんだよぉ!?」
慌てておろおろした声が酒場に轟く。
このシャーケンの町には、セリファのファンクラブのメンバーがたくさんいる。そのファンクラブの情報網を以てしても、今すぐ分かるという訳ではない。
だがそれでも彼等は知る限りのツテを頼ってセリファの状況を伝え、情報提供を募っていた。
「とにかくボク達は彼女を追います。情報の方は……」
そこでクーパーは迷ってしまった。あいにく無線機や携帯電話のたぐいは、彼は持っていないからだ。機械オンチのバーナムも同様である。
「セリファはいる!?」
そこで店に飛び込んで来たのはコーランだった。彼女の後ろには見知らぬスーツ姿の男が一人。
「どうしたんですか、コーランさん」
「セリファちゃんなら、さっきものすごい勢いで飛び出して行っちゃいましたけど……」
その場の誰かの答えに、コーランは天を仰いで悪態をついた。


コーラン・バーナム・クーパーそしてスーツの男——ナカミンダ家の執事の四人は、タクシーを拾って走り出した。
向かっているのはこの町の郊外に建つナカミンダ家の屋敷。
屋敷といってもそれほど大きな物ではない。仕事でこの町を訪れた時に寝泊まりする家、というだけの事である。
それでも一般家屋に比べれば充分「お屋敷」なのであるが。
「実は昨日、グライダ様を一目見たブンムド坊ちゃんが強引に屋敷に連れて来てしまいまして……」
タクシーの中で、事の詳細を皆に語る執事。
「誘拐、そして軟禁という訳ですか」
非常に穏やかではない会話である。それからクーパーは、
「しかし、それなら保護者の立場であるコーランさんではなく、直接警察や治安維持隊(ちあんいじたい)の方へ行くべきだったのでは?」
治安維持隊とは、魔界や魔族に関係した事件を専門に扱う警察官のようなものだ。人界の警察よりも身軽な分行動が早い。
「ど〜せ世間体とか何だかだろ? 騒ぎになったら家名に傷がつく、とか何とか」
話に興味なさそうにバーナムが口を挟む。
「お恥ずかしい話です。はい」
執事は力なくうなだれてしまっていた。そこへコーランの携帯電話が鳴った。
彼女は二言三言話すとすぐ電話を切り、
「シャドウから連絡。あの子、その屋敷に向かってるっぽいわ」
ロボットであるシャドウに頼み、セリファの膨大な魔力から位置を割り出してもらったのだ。それによるとシャーケンの町郊外にあるその屋敷の辺りに向かっているそうだ。
ただし、文字の通り「一直線に」。
「……空でも飛んでいるんでしょうか?」
そう言ったクーパーは、その考えが間違っている事にすぐ気がつく事になった。
なぜなら。ある町の一区画が破壊されていたからであり、おまけに壊れ方が屋敷のある方向に一直線に向かっていたのだ。何かで建物を壊しながら向かっているのは明白である。
その場の一同は脱力した様子でがっくりとうなだれていた。


「ご機嫌はいかがですかな?」
規模は小さいがとても豪華な部屋にグライダ・バンビールはいた。
カーテンや絨毯、家具などの調度品はいずれも高級品。自分が寝ていたベッドも天蓋のついたクイーンサイズ。無論マットはふかふかである。
「お考え直して戴けましたか?」
「却下」
グライダはひらひらのネグリジェ姿のまま、露骨に不機嫌な顔で、目の前の小男を睨みつけていた。
魔族なので具体的な年齢は不明だが、人間の年齢に直せば自分よりも一回りくらい上だろうか。皮膚と髪が土色なのを除けば人間と大差ない。
必要以上に礼儀正しい態度口調ではあるのだが、何故かそこがやけに気味悪い。
「別に無理難題をふっかけている訳ではないと、思っているんですがね。むしろ給金を出してもいいと思っている」
「分かりたくもないしやりたくもないわよ」
彼はグライダが不機嫌なのにも構わず、部屋のインターホンでメイドを呼び、彼女の食事を運んでくるよう命じる。
同時に調度品が微かにガタガタと揺れ出した。それを見たグライダは顔を青くして、
「そんなチンタラやってる暇なんてないわよ。早くしないと……」
ズドゴガンッ!!
外からものすごい轟音と衝撃が響いた。あまりの衝撃にグライダも小男もその場で転んでしまう。
「遅かったか……」
頭を抱えて「どうしよう」と呟くグライダだった。

<To Be Continued>


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