「Baskerville FAN-TAIL the 26th.」 VS. KASOGO
「はぁ……」
大きな疲れ交じりのため息を吐くと、グライダ・バンビールは持っていた受話器を力なく置いた。
具体的に数えてはいないが、だいたい二十分から三十分おきくらいに知人から電話がかかってくるのだ。
その電話の内容がいずれも、
『あのおじいさん、誰?』
グライダの両親は彼女が幼い時に亡くなっており、祖父母の方は会った事はもちろん、今でも生きているのかどうかすら知らないのだ。
「誰かなんて……こっちが聞きたいわよ」
と、極めて不機嫌そうな仏頂面でブツブツ呟く様子は、周囲から「美少女剣士」と云われている彼女とは思えない。もう二十歳になったので、いい加減「美少女」は厳しいかと冷静に考える。
だが、そんな冷静な考えを邪魔するかのような電話のベル。グライダは「またなのか?」とため息を吐いて受話器を取ると、受話器の向こうから、
『グライダ? 何か知らないおじいさんと歩いてたって聞いたけど、誰?』
彼女のため息の回数がまた増えたのは、言うまでもない。


世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。
だからこそ、ここへ来れば——どんな職種であれ——仕事にあぶれることはない、とまで云われている。


シャーケンの町を行く、一台の電動車椅子があった。
それに乗るのは闇のような黒いローブを纏った老人である。いかがわしい魔術師にも見えたが、彼の発する空気はそれとは縁遠い代物である。
その老人の乗る車椅子に付き従うのは、揃いの黒いローブに身を包んだ若い女性であった。まだ二十歳くらいであろう。
「ミンカ」
不意に老人が車椅子を止め、口を開いた。
同時に女性がそばに寄ってくる。どうやら彼女の名前らしい。
「飯はまだか」
「……一時間程前に食べたばかりですが」
「…………そうだったか」
ボケ老人と家人との会話そのものである。
しかしミンカと呼ばれた女性は気難しい顔のまま、再び動き出した車椅子にピタリと寄り添った。
その応対で周囲の人間は「何だ違うのか」と言いたそうに二人から注意をそらしていた。
「此の先へ行くのか」
周囲の人間達の中から、そんな二人に横から声をかける人物がいた。
人物というのは語弊があるかもしれない。その声は明らかに人間の物ではない。合成された音声だ。
全身をブラック・メタリックの金属で覆ったロボット。戦闘用特殊工作兵のシャドウである。
「はい。そうですけど」
見ず知らずのシャドウを前に笑顔こそ浮かべていないが、素直にそう答えるミンカ。それを聞いたシャドウは、
「此の先で工事が行われて居る。車椅子が通るのは些か大変だ。迂回した方が良い」
シャドウが指差す先には、歩道を大々的に封鎖して工事をしている光景が小さく見えた。確かにそんな道路を車椅子で通るのは大変そうである。
ミンカは気難しい顔のまま丁寧に頭を下げると、
「ご丁寧に、どうも有難うございます」
それに釣られたように、シャドウも無言で頭を下げた。
ミンカは車椅子の方向を器用に変えると、そのまま歩き去って行く。充分に歩き去ったのを確認すると、シャドウはグライダの家に電話をかけた。
「……グライダか。お前に似ている女が、老人を連れて歩いて居たぞ」
無論、受話器の向こうから聞こえてきたのは、疲労感たっぷりの盛大なため息であった。


そのグライダの家にて。
「其れは災難だったと言うしか有るまいな」
グライダ本人から直にため息の理由を聞いたシャドウは、正直に彼女に謝罪する。
「……まぁ、何か変な事やらかしてるとかよりはマシだけどさ」
まだどこか不機嫌そうにコーヒーをすするグライダ。
「けど、そんなに似てるかなぁ?」
目の前のテレビ画面には、シャドウのメモリー内にあった女性・ミンカの顔が写し出されている。
確かに背格好は似ていそうだ。髪の色も長さも似ている。顔の造型も、少し目尻が下がり気味なところを除けば、似ていると言えば似ているかもしれない。
グライダは画面に密着するようにして、その女とにらめっこでもしているかのようだ。
そんな彼女を小さく笑って見ているのは、彼女の親代わりを務めている、魔界の住人コーランだった。
「遠目なら、見間違えても無理はないわよ?」
そんなコーランの言葉に納得が行かないと言いたそうにムスッとしているグライダ。
確かに、世の中には自分にそっくりな人間が三人はいるものだとまことしやかに言われている。そのうちの一人だとでも言うのだろうか。
とりあえず、グライダには既に「自分にそっくりな」人間がいる。双子の妹であるセリファ・バンビールが。
双子とはいっても、諸事情がありセリファの方は心身共にまだ幼い。そのセリファですら、
「おねーサマににてます」
と、悪意のない笑顔を浮かべている。これにはさすがのグライダも呆れるしかない。
「まあ、それはともかくとして……」
グライダはムスッとした顔のまま、リモコンのボタンの上で指をふらふらとさせると、えいっと一つのボタンを押した。
切り替わった映像には、車椅子に座った黒いローブ姿の老人が写し出されていた。ややうつむき加減なので表情は見づらいが、コーランはふんふんとうなづくと、
「この魔術師、もしかしてカソゴ師じゃ?」
「コーラン、知ってるの?」
セリファが画面を覗き込んだまま彼女に尋ねる。コーランはそれを肯定すると、
「純粋な人間の魔術師としては、割と有名な人ね。けど十年くらい前に入院したって聞いたんだけど」
「車椅子に乗ってるのはそれが原因って事なのかな」
グライダも考え事をするような顔でカソゴ師の顔を見ている。するとシャドウが、
「正確には九年前だ。老人性痴呆症で入院した様だな。痴呆症は完治して居ないが、五年前から孫の元に身を寄せて居る。恐らく其の女が孫だろう」
インターネットででも調べたのだろう。澱みないシャドウの説明を聞く一行。
「そして其の孫が、現在唯一の弟子だそうだ。元々他人に物事を教えるのは不得手だったらしい。弟子は片手で数えられる程しか居なかったが」
「確かに。著名な割にどこかの教授になったとか私塾を開いたとか聞いた事ないわね」
コーランも自分の記憶を頼りにしてみるが、そんなようだったと記憶していた。
すると、皆の真ん中にぼうっとした黒い塊が出現する。
警戒してその場からバッと飛び退く一同。シャドウは腿に隠していたビーム銃を突きつけ、グライダは自身の右手に宿る炎の剣・レーヴァテインを出現させ、その切っ先を突きつけた。
‘……見事。儂の勘に狂いはなかったな’
いきなり現れた黒い塊が声を発する。その声は明らかに年老いた男の物だ。
‘儂の名はカソゴ。このシャーケンの町に滞在中のしがない魔法使いじゃ’
言いながら黒い塊は人型に変化していく。フードを被った黒いローブ姿だ。その顔は明らかに先程画面で見たばかりのカソゴに間違いなかった。
‘話だけは聞いておったが、その方等がかのバスカーヴィル・ファンテイルだな’
カソゴ——幻影だろう——の発した言葉に一同が身を固くする。
確かにグライダ達はバスカーヴィル・ファンテイルと呼ばれる、通常を越えた戦闘を行う極秘部隊に属している。
だが「極秘部隊」であるゆえに、部隊の存在はともかくその正体はしっかりと隠されている。いくらカソゴが高名な魔術師でも、それが知っている理由にはならないのだ。
‘大丈夫、口外はせんよ。もっともボケ老人の言う事なぞ誰も信用せんわい’
そこまで言われてコーランは思い出した。魂の分身とも呼べる存在を作り出し、それを幻影のように操る高等魔術の存在を。
という事は……。
‘枯れたボケ老人はフリじゃよ。そうせにゃならん理由があってな’
そこで唐突に部屋に呼び鈴が鳴り響いた。コーランは幻影に向かって「ちょっと待ってて下さい」と言うと、そのまま部屋を出て行く。
カソゴの幻影はその様子が見えているかのごとく(本当に見えているのだが)話を中断させた。
やがてコーランに連れられてやって来たのは、皆とも仲のいい神父のオニックス・クーパーブラックだ。彼は部屋の中の幻影を見るなり、
「ああ。カソゴ師の幻影ですか。じゃあこれは必要なかったでしょうかね」
彼がそう言って取り出したのは、一枚のDVDディスクだった。


起き抜けの武闘家バーナム・ガラモンドが見たのは、おろおろとした落ち着きのない表情で何かを探している、黒いローブ姿の人物だった。
半ば日課となっている、シャーケンの町郊外を流れる川のそばでの昼寝。それから目を覚ましてみると、そんな人物がいきなりいる。
もしこれが普通の人なら「何してるんですか?」くらいは聞くものだが、このバーナムは完全に「我関せず」とばかりに再び寝ようと横になる。
「すっ、すみませんっ!」
そのローブ姿の人物が、声だけで切羽詰まって慌てているのが丸判りな調子で尋ねてきたのは、こんな内容だった。
「このくらいの丸いカプセルっぽい物、見ませんでした!?」
そう言って、両手の細い指が「このくらい」と言いたそうに大きめの輪を作る。
そこで初めてバーナムはその人物が若い女性である事を知った。だが、別に若い女性だからといっていきなり態度を変える訳ではない。彼はそういう人間だ。
「知らねぇ」
そう一言だけ呟くと、彼女を無視して本当に寝転がった。
こうもあっさりと淡白に返答されてポカンと惚けていたが、事情も知らない無関係の人間とはいえその態度にはカチンと来たらしい。彼女は声を荒げると、
「落ち着いている場合じゃないんです! 早くしないとあの町が大変な事になるんです!」
そう言って彼女が指差したのは、もちろんシャーケンの町だ。
ガクガクと激しく揺さぶられながら訴えられるバーナム。最初のうちは無視していたが、余りにも揺さぶり続けるのでその手を叩いて弾く。
「うるせぇ! 眠れねぇだろ!」
脅しどころか完全に殺気立ったバーナムの顔。一瞬ひるんだ彼女だがそれでも屈せず、
「本当に大変なんです! あの町が大津波に飲まれるかどうかの瀬戸際なんですよ!?」
シャーケンの町は港町。確かに津波が来ないとは限らない立地にある。
だがバーナムは水の神である龍の力を発揮する武術を使う。そのため水や氷に関しては、通常の人間よりも敏感なのだ。
相手は津波が来ると切羽詰まっているが、そんな兆候はこれっぽっちも感じていない。
しかし。こうまでパニックに陥っている人間ほど、冷静な人間の言葉は通じない。理路整然とした説得は届かない。今がまさにその状況であった。
不意にバーナムの腕が動き、その手が何かを弾く。その弾かれた物は緩やかな放物線を描いて川の中に落ちた。
「ずいぶん物騒な事してくれんな、オイ」
弾いた物を「飛ばしてきた」人物を横目に見て、バーナムはようやく立ち上がった。
一方、何が起きたのか判らないローブ姿の女性は呆気に取られているだけだ。
「少しはやる気を出しなさいって」
ため息を吐きながらそう言ったのはコーランだった。その少し後ろからグライダ達が走ってくるのが見える。
先程バーナムが弾いたのは、コーランの唱えた火球の呪文である。威力は相当に抑えられていたので、まともに当たっても「痛い」だけで済むレベルだ。
そんなコーランはバーナムのそばで惚けたままの女性に向かって、
「あなたがミンカ・ルーさんですね? カソゴ師に言われ、お手伝いに来ました」
いきなり見ず知らずの人間からフルネームを言われた彼女——ミンカは「はあ」としか答えられなかった。
コーランはミンカの顔を真正面から見つめ、
「実物なら、グライダに似てると言えば似てるわね」
「似てるかぁ?」
それを聞いたバーナムは間髪入れずに言い返した。
そんなやりとりをしている間に、グライダ達が追いついてきた。
グライダとミンカの初顔合わせである。だが、お互い何も言わず互いの顔を見つめてから、
「実物だと、思ってたより似てるわね」とグライダ。
「自分に似た人、初めて見ました」とミンカ。
「お二人とも。気持ちは判りますが、お見合いは後にして下さい」
見つめあったまま動かない二人にクーパーが声をかける。そんな彼にバーナムは、
「一体どうなってんだ、オイ」
「仕事です。内容はカソゴ師が紛失したマジックアイテムの回収です」
クーパーはケースに入ったDVDディスクをバーナムに見せた。それだけでバーナムも事情をすぐに理解する。やる気を出したかは判らないが。
「……で、そのマジックアイテムってのは何なんだ?」
その言葉で我に返ったミンカは、また先程のパニック同然のテンションに逆戻りすると、
「そうなんですよ! このままだといつ町が大津波に飲まれるか!」
「それはいいんだよ! どんなアイテムなんだ、そいつはよ!? 俺はそれを聞いてんだよ!」
逆戻りした話にムッとした顔で、バーナムはミンカに詰め寄った。一応とはいえ聞いている筈なのに。
「パニック起こしている人にそれは逆効果」
グライダはバーナムの頭をごつんと叩くと、
「一見大きめのカプセルみたいな物なんだって。その中にどんな物でも封じ込めておけるらしいんだけど」
「は、はい、そうなんです!」
ミンカが先程のテンションのままそれを肯定する。
「以前師匠はとある町で、大津波をそのカプセルに封じ込めた事があるんです。大津波と言っても幅数キロの大河で起きたもの。海水ではないので飲めずとも生活用水くらいになら使えます。それを乾燥地帯に届けようとして……」
そこにシャドウが割り込んだ。
「成程。水資源の乏しい地区に其れを運ぶ途中で紛失したと云う訳か」
彼の推測をミンカは肯定する。
「確かに、こんな所でそんな津波が起きたら、シャレにならねぇよな」
ようやく事の重大さを理解したバーナムは、困ったように周囲を見回してみる。緊迫感は相変わらずないが。
生き物の気配ならまだしも、無生物であるカプセルの反応はバーナムには読み取れない。
マジックアイテムは大なり小なり魔力を放っている筈。ならばその魔力を感知して探せばいいだろう。
バーナムはそれを提案すると、
「難しいな。魔力を感知する術式は、余り広範囲には及ばぬ。探す物が具体的に判って居ない現状では尚更だ。結局は地道に探すしか無い」
「だいたい魔法で探せるんなら、とっくにミンカさんがやってるんじゃない?」
シャドウとグライダに自分の案をキッパリと否定され、少々やさぐれるバーナム。そしてミンカも、
「一昨日くらいにこの辺りで何かのロケがあったそうです。仕掛けの為の魔法薬などをたくさん使ったそうです」
それはクーパーも知っていた。番組の演出などでそうした薬を使う事は珍しくない。魔法がある世の中といえど、何から何まで魔法を使って行う訳ではないのだ。
「おかげで、今でもその残留物が残っているので、魔法での探索は難しいです」
言うなれば真っ白な雪原の中にある白兎を視力のみで探すようなものだ。その難しさは容易に想像できる。
余計な事をしてくれる。その場の一同は全員そう思っていた。
それに加わらず何か考えていたグライダが、
「でも、車椅子のおじいさんに、よく津波を封じ込めるような真似ができたわね?」
彼女の疑問にコーランが答える。
「……根っからの魔法使いだって事よ」
足腰立たなくなった年期の入った舞台俳優が、舞台の上でだけはすっくとした立ち居振る舞いをするというケースもある。それと同様だろう。
「自分の師匠にこういう言い方はどうかとも思うんですが、すっかりボケてしまいまして。車椅子に乗せているのも、一人でフラフラと出歩いたりしないようにするためなんです」
「では、今はどうしておられるのですか?」
「ホテルの方にお願いして来ました。さすがにこの場に師匠をお連れする訳にもいきませんでしたし」
クーパーのもっともな疑問にすぐさま答えるミンカ。
確かに彼女の言う通り、この辺りは凸凹も多いし下草も生えている。車椅子で来るのは大変だろう。
だが、クーパー達はそのボケがカソゴの演技である事はすでに知っている(バーナムは除くが)。おそらく何らかの思惑があってそれをミンカに話していないであろう事も。
「とにかく探しましょう。それしかできないのなら、それだけをやりましょう」
話は終わりと宣言するようなクーパーの言葉。それから彼は続けて、
「ボクが昔聞いた話が本当であれば、そのカプセルは強い衝撃には脆い筈です。知らずにうっかり踏んでしまうような事があったら、最後だと思って下さい」
「……何でそこでオレを見るんだよ」
ムスッとした顔のバーナムが、クーパーを睨みつけていた。

<To Be Continued>


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