「Baskerville FAN-TAIL the 25th.」 VS. Ignis Fatuus
コーランは電話を切ると、倒れた皆の様子を見る。
ルリールはさっきから懸命に携帯電話の画面とにらめっこしたままだ。ハッキングすると言っていたが、進んでいるのかはさっぱり分からない。
他のメンバーも先程の魔法の効果か、症状そのものはさほど進行していないようだ。
魔法が効かない特殊体質のグライダも、体力が低下しているためか魔法が効いているらしく、それについては安堵する。
だがこの中ではセリファが一番危ない。年齢的には二十歳になっているとはいえ、その身体は事情があって十歳程の子供でしかない。その分抵抗力が低いのだ。
シャドウはああ言っていたが、イグニス・ファッツァスの掃討に一番向いているのは自分なのだ。弱点の炎が使えるし、何より抗体があるので感染の危険がない。
だがこの場を離れてしまっては、グライダ達の治療ができなくなる。ソウランが実体化していられるのはほんの短い間のみ。しかもそう離れる事はできない。
治す事はできなくとも、症状を抑える事ができるのだから。自分がやらなければならない。
コーランはもう一度左腕を振り上げ、ソウランを実体化させた。


警察を振り切って地下墳墓に突入したバーナム。周囲には撒き散らしてしまったイグニス・ファッツァスのカビが舞い踊っている。
だが、そのカビも内包された病原菌も、彼の身体を蝕んでいる様子はない。
それは、彼の全身をくまなく覆う、水のような薄いベールのようなもののおかげだ。
武闘家である彼の流派「四霊獣(しれいじゅう)の拳」。
人外の者と戦うため編み出された無数の技の一つ、龍の拳「龍膜(りゅうまく)」だ。
本来は熱や炎から身を守るための技だが、こうして微細な外敵からの防御にも使う事ができる。それに病原菌とてこの水を通過してバーナムを害する事はない。
その代わり物理的な攻撃に関しては脆いと言わざるを得ない。これよりワンランク上の「龍鱗(りゅうりん)」という技もあるのだが、まだ彼の実力では使えない。
だがそれでも行動に不自由はない。今度はカビの塊を刺激しないよう、注意深く複雑な迷宮のような地下墳墓を駆けて行く。
さすがに今の位置に人の気配は全くない。同時に明かりなども全くなく、完全に真っ暗闇だ。バーナムも懐中電灯一つ持っていない。
そんな中でもバーナムは壁にぶつかる事なく地下を進んで行っているのだ。これも武闘家としての実力が為せる技なのか単なる慣れなのか。
少し先の分岐路に何かいる事を察知したバーナムは、一見気づいていない振りをしてそのまま間合いをつめる。
その「何か」から二メートル程離れた位置で立ち止まると、
「……シャドウかよ。何の用だ」
真っ暗にもかかわらず、保護色のような黒いボディのシャドウの存在をはっきり見抜いたバーナム。
「バーナムこそ何の用だ。失われた地下墳墓で墓荒らしの真似事でもして居るのか」
暗闇の中から聞き慣れた合成音が聞こえる。その声に彼を非難する雰囲気はなかった。もっとも平坦な合成音なのでそこまでの雰囲気は元々ないが。
「警察の包囲を抜けて入ったろう。皆が心配して居る」
「余計なお世話だっての」
心配されているのは有難いものだが、何から何までとなるとさすがに鬱陶しく感じる。
バーナムは闇に慣れた目でシャドウを観察すると、その小柄な身体を活かしてシャドウの脚の間をすり抜けた。
「心配するなって言っときな」
そう言って走り去るつもりだったバーナムの足が、少し離れただけでピタリと止まった。シャドウもその異変に気づく。
暗視カメラでその様子を見つめたシャドウは「成程」と思い彼の後ろに立つ。同時にジャキッと鋭い金属音がしてシャドウの右手が引っ込み、代わりにごつい電極が伸び出てきた。
なぜなら。二人の目の前には件のイグニス・ファッツァスとおぼしき光るカビの塊の大軍がふわふわと漂っていたのだから。
暗視カメラではもちろんの事、闇に慣れた目には眩しい、ぼんやりとした淡い光達。
しかしその中には、人間を軽く殺す事ができる病原菌が無数に詰まっている。
シャドウは知識で、バーナムは「何となく」という勘でそれに気づいている。
病原菌は種類によって異なるが、基本的にカビは適温環境で水分と栄養分さえあればいくらでも生き延びられる。
この忘れられた地下墳墓の湿った空気にはそのどちらもが豊富に存在しており、イグニス・ファッツァスにとってはここはまさしく理想郷。
「何を為(す)る積もりかは知らんが、避けて通る事は出来ないのか?」
「無理」
バーナムがシャドウの言葉に即答すると、闇の中漂うカビの群れを観察する。
バーナムが使う「四霊獣龍の拳」はその名の通り龍の加護を持つ強力な技を使うものだ。だが龍は水を司る霊獣。別に直接水を出す訳ではないが、水ではカビは倒せない。
一方のシャドウは高熱を出すビームガンを所持しているが、射程距離は長くとも有効範囲がとても狭く、大量のカビと対峙するにはいささか頼りない。
シャドウはバーナムより数歩前に出ると、右手の電極を最大電圧でスパークさせた。
バチバチバチチッ!!
明るい場所でも目を眩まさんばかりの火花が墳墓内に激しく散る。その瞬間だけ辺りが明るくなる。そしてその五十万ボルトの電圧が生み出した火花が、カビに次々と引火して燃えていく。
ビームガンよりはマシだが、それでもイイ効率とは言えない。奥にいるカビは無傷である。
「如何(どう)したもの哉(かな)」
大して期待していなかったのだろう。シャドウは事態の割に軽い口調でバーナムに問う。当然そんな事バーナムに分かる訳もなく、
「んなもん俺が知るか。大体カビはどうすりゃ死ぬんだよ」
「黴は適度な温度と湿度と酸素、其れから栄養と成(な)る有機物を必要と為(す)る。其の何かでも欠ければ存在が難しく成る」
「ったく、相変らず小面倒な言い方だな」
「燃やす事が出来れば簡単だが、其れは黴内部の病原菌を空中に撒く結果に成るだろうな。此の病原菌の方は少々の火では死滅しない」
意志なきカビがふよふよ漂うのを見ながら、バーナムとシャドウの会話は続く。
「黴を一カ所に隔離して、其の黴のみを一千度以上の火力で消却させれば或いは……」
あいにく今のシャドウにはそれを行うだけの装備がないし、バーナムもそれができる程の技はあいにく持っていない。
つまり。大の男が二人もいながら手をこまねくしかなかったのだ。


かたわらに立つソウランの両手から溢れる光の粒子。だが心なしか、その量も勢いもさっきより弱々しく見えた。
いくら魔法を使う事に長けた魔族とはいえ、何度も連続して魔法をかける事ができる訳ではない。
だがそれでも、短い時間しか実体化させられないソウランの魔法で、どうにか病原菌に蝕まれるスピードを遅らせている。
こうも連続して実体化させ続けるのはあまりやらないので、コーラン自身の体力もだいぶ落ちていた。
そんな彼女の足元で、横になったまま携帯電話でハッキングを続けているルリール。その顔には疲労の色が濃く出ており、普通ならとっくの昔に倒れているだろう程だ。
そんな時、店の外から小さく悲鳴が聞こえてきた。
その悲鳴を盗み聞くと、どうやら近所の酒場から入った警察にも、このカビの被害者が出たらしい事が分かった。
だが空気感染とはいえ、大急ぎで逃げれば感染する事はおそらくあるまい。
先程クーパーからその対策に呼ばれた旨は聞いている。つまり、グライダ達を助けるのに彼の助力は得られないという事だ。
だが彼が来たところで、今は時間を稼ぐくらいしかできない。治療法がないのだから。
疲れているソウランには悪いが、もう一回同じ魔法を使ってもらおうと決めた時、
「コ、コーランさん。見つけたっす……」
げっそりとやつれ焦点の合わない目。そんな顔で嬉しそうに携帯電話の画面を見せるルリール。コーランはそれを奪うようにして画面を見た。
それはルリールがハッキングして見つけた、とある新薬研究所の実験データだった。

『イグニス・ファッツァスはカビなのだがら、カビを退治する方法がそのまま使える。問題の病原菌も、ナトリウムには弱い事が判明した。』

画面に出ている文章をスクロールさせながら無言で読み続ける。読み進めるうちに、コーランは新薬研究所が「大量生産に踏み切っていない理由」をおぼろげながら察した。
一つは、イグニス・ファッツァスの出現率が極めて低い事。
もう一つは仰々しい薬を作る必要が全くなかった事。それはつまり、一般家庭にある物でも充分以上に代用が利く事が判明し、わざわざ新薬を開発する意味がなくなったから。
さんざん時間と費用を注ぎ込んで研究した成果がそれでは、研究員達もさぞぽかんとした事だろう。うやむやにしてごまかしたくもなろうというものだ。

『ナトリウム単品でも効果は望めるが、ナトリウム1・炭素1・水素1・酸素3の割合で結びつけばより効果がある。』

コーランに化学的知識はあまりないが、そこまで読んで「だったらその割合じゃなくて、それでできている物質の名前でも早く挙げろ」と思うコーラン。
理数系の人間の話は、どうしてこう回りくどい上に酷くもったいぶるのが多いと嘆きながら。
一応その後にそれらしき物質の名前が書かれてあるようなのだが、
「炭酸水ソソディウム……?」
炭酸水は分かる。だが「ソソディウム」などという物質は、化学にうといコーランの知識にはなかった。
「ソソディウムって何!?」


「湿気に強いって事は、凍らせてもムダって事か」
シャドウの詳しい解説(バーナムには鬱陶しくしか感じなかったが)を聞き流しつつ、カビを睨むバーナム。
「凍らせても死滅する種類は居るが、在の黴は活動が鈍るだけで死滅はしない」
シャドウは嫌な顔一つせず律儀に解説を入れる。
「強行突破はしないのか?」
いつものバーナムならそうしているだろうと、シャドウは尋ねてみた。すると、
「あいにくもう時間切れだよ。しばらくはダメだ」
バーナムは全身から水の膜が消えている事を忌々しく思っていた。元々長時間持つ技ではないがここまで持続時間が短いとは思わなかったのだ。
もう一度やるには疲労した気の回復を待たねばならない。だがそんな時間を取る余裕もなさそうだ。
自分達の後ろから、何者かが近づいてきているのに。懐中電灯らしき明かりが近づいてくるのに!
「……やっと見つけた」
いきなり聞こえた声は、コーランのものだった。バーナムは「何の用だ」とチラッと見ただけだが、事情を知っているシャドウは、
「二人は大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。運が良かったもんでね」
コーランはずかずかとカビに向かって歩いていく。片手に懐中電灯。もう片手には大きな袋を持って。
「炎で焼き尽くす積もりか」
確かにコーランの炎ならカビを総て焼失させる事も可能だろう。だが彼女は懐中電灯をバーナムに渡してから大きな袋の口を開けると、
「こっちの方がいいわ。魔力使わなくて済むし」
無造作に袋の中に手を入れ、中の物を強く叩きつけるようにカビめがけて撒き散らした。
するとどうだろう。その粉状の物がカビに触れるとその衝撃ででもカビは破裂していく。
だが肝心の病原菌が撒き散らされている様子は全くない。むしろ病原菌の活動がみるみるうちに弱くなって死滅しているのが、シャドウには分かった。
「新薬研究所のデータでね。この病原菌の弱点が分かったのよ」
コーランは力なく持っている袋を掲げて二人に見せる。バーナムが向けた懐中電灯の明かりに照らされたその袋には「重曹」と書かれてあった。
重曹。重炭酸曹達(ソーダ)ともいう。化学的には「炭酸水素ナトリウム」。
お菓子作りにも使われるベーキングパウダーの主成分であり、堅い肉を柔らかくする下ごしらえにも使われる。毒性はないし大量摂取しない限り人体に危険が及ぶ事もない。
また茶渋や手垢、油汚れを落とすのにも使えるなかなかに便利な物質で、気の利いた雑貨屋や薬局で簡単に購入できる。
理由や原理までは調べる事ができなかったものの、この病原菌の意外な弱点がこの重曹だったのだ。
ルリールが調べたデータにあった「炭酸水ソソディウム」とは、単に炭酸水素ナトリウムの誤変換であり、ソディウムとはナトリウムの別名らしかった。
「そうと分かった時は、さすがに脱力したわよ、実際」
勢いよく重曹をばら撒きながら、コーランはため息をつく。自分が死にかけた病原菌の弱点が、簡単に手に入る重曹では無理もないが。
試しに重曹を少量飲ませてみたところ、ものの十分と経たぬうちに黒い発疹は薄くなった。もう少し経てば病原菌の寿命が尽きて死ぬ事はないだろうというのが、駆けつけた医者の見立てだ。
そうしてばら撒いているうちに、イグニス・ファッツァスは病原菌ごと全滅した。いともあっさりと。シャドウのレーダーで見てもカビも病原菌も総て死滅している。
それに致命的な弱点が分かっているのだ。万一感染してしまったとしても、もう怯える事はない。
「それにしてもバーナム。あなたこんな地下墳墓に何しに来たのよ」
警察の包囲をも振り切って真っ先に飛び込んだその様子は尋常ではない。聞きたくもなろうというものだ。コーランの気持ちは良く分かる。
バーナムは言いたくなさそうに、また言いにくそうに口をヘの字にしてそっぽを向いていたが、やがて「他言無用」と念を押して口を開いた。
「この地下墳墓に、オレの全財産を隠してあるんだよ」
この地下墳墓は人が入らなくなって随分経つ。おまけに存在は知られていない。まさしく「隠し場所」には絶好の場所だ。
だがアクシデントで地下墳墓の存在がバレてしまった以上、見つかる可能性は高い。どのくらいの額かは知らないが、見つけた人間が持って行く確率はかなり高いだろう。
二人は「成程」と思った。全財産の危機であれば慌てるのも当然か。
だが、それを聞いても疑問は残る。
「ならば銀行等に預ければ良いだろう」
シャドウがその当然の疑問を口にした。コーランもそうそうと言いたげにうなづいている。
確かに銀行に預けておけばこうした意味の盗難は心配ないし、わずかでも利息がついてお金も増える。
バーナムは「やっぱりそう来たか」と呟くと、バツの悪そうに頭をかきながら、 
「銀行はダメなんだよ」
「信用できない?」
意地悪そうに即返答したコーランの言葉に、バーナムは「分かってんだろ」と言わんばかりに腹を立てて言った。
「オレにキャッシュカードとかATM……だっけか。そんなの使える訳ねーだろ」
バーナムの極度の機械オンチを二人とも忘れていたのだ。それは電卓すら満足に使えないレベルなのだから。
かといってキャッシュカードの暗証番号入力はもちろん、こまごまとした金の引き出しを他人に頼む訳にもいくまい。
二人は「そうだったな」という顏をすると、シャドウが代表するようにこう言った。
「一人暮らしなら、其の位覚える可(べ)きで有ろう」

<FIN>


あとがき

今回は武器はもちろん魔法すら効かない相手との戦いです。しかもその相手はカビ。というか病原体。
空気感染しておまけに治療法がない。味方はどんどん冒されて行く……というのを最初は考えていたのですが、このメンバー対抗手段持ってる人が多くてね。そこまで緊迫した物語にはなりませんでした。

それでも怪獣映画を始めとする「謎の生命体」関連の物語のパターンは踏んだつもりです。
怪獣が現れ、猛威を振るい、もうダメかと思った時に意外な弱点が見つかり、これを倒す。この話ではそれが重曹でしたが。
本編にも書きましたが、重曹ってのは手軽に入手できる上に様々な物に使える便利なアイテムです。是非ご家庭に一つ常備する事をオススメ致します。

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