「Baskerville FAN-TAIL the 23rd.」 VS. Fish boat
「おねーサマ、でんわー」
電話の子機を持ったまま部屋をぱたぱた歩いているセリファ・バンビール。
ようやく起きてリビングに来た姉であるグライダ・バンビールに「ハイ」とそれを渡した。グライダはそれを耳に当てると同時に、
「はい、どちら様で……」
『ああ姐さん、しばらくでした』
電話をかけてきたのは、グライダがよく知る漁師のイナだった。まだ若いが周りの人間に舐められないよう髭を生やしているので、皆彼の事を「イナ髭」と呼ぶ。
『ところで今日、時間ありますか?』
そんな彼の唐突な誘い。何だろうと聞いてみると、
『実は、ゴナの兄貴の婚約者が来るらしいんですよ。これから』
グライダは一瞬何を言われたのか理解できなかった。
一秒。二秒。三秒。
だいたいたっぷり十秒は経ってから、思い切り大きな声で叫んでしまった。


世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。
だからこそ、ここへ来れば——どんな職種であれ——仕事にあぶれる事はない、とまで云われている。


「最近大声出し過ぎよ、グライダ」
のんびりお茶を飲んでいた同居人で魔族のコーランがぼそっと注意する。
「セリファもお耳がへんになる〜」
いつもは敬愛している姉に対して珍しくむくれているセリファ。グライダは「しょうがないじゃん」と前置きすると、
「だって。あのゴナさんの婚約者が来るとか言うんだよ?」
ゴナはこの町に住む漁師で、グライダの一つ年下にも関わらず親父臭い、もとい大人びている青年だ。
腕の方は確かなようで、組合で決めた漁獲量を越えない程度にたくさんの獲物を捕まえてくるのでも有名だ。
性格は典型的な「親父」で、時折その単細胞な荒っぽさには泣かされるものの、それでも頼まれれば嫌とは言えない鉄火肌なところと、それが口だけでないところに皆惹かれるのだろう。
そんな彼だが女性に関しては浮いた話一つなく、女遊びをしている様子もない。
強いて挙げればセリファのファンクラブ会長を自称しており、何かにつけて色々と便宜を図ってくれている事くらいか。
そんな彼に「婚約者」がいたなど、グライダも全く聞いた事がなかった。
確かに見知った人に婚約者がいると知っては、気にならない訳がない。
グライダはまだ切っていない電話に向かって、野次馬根性丸出しで尋ねた。
「あたし達も見たいんだけど、どこに行けばいいの?」


そんな話を広めた結果、駅にはゴナの婚約者とやらを一目見ようと彼を知る人間の大半がやって来ていた。
「兄貴。婚約者ってどんな人なんです?」
弟分のイナ髭の疑問も当然である。だがゴナは困ったように頭を掻くと、
「小さい時の写真しか持ってねーんだけど」
その質問を予想して持って来ていたのだろう。写真屋でよくくれる簡素なアルバムをパラパラとめくり、目的のページを「おら」と見せる。
「へええー驚いた。メッチャメチャカワイイじゃないっすか」
そのイナ髭の驚く声に「こっちにも見せろ」と人が押し寄せ、皆同じように驚く。
その写真に写っていたのは、鮮やかな黒髪を持つ、ちょっと気が強そうな十歳くらいの、ややぽっちゃりとした体型の女の子だった。
少しだぶだぶの武術の道着姿で心底おいしそうにアイスを頬張っている様子は、やはりかわいく写る。
「この写真は、あいつがスカウトされて旅に出る直前だから十年前……八歳の頃だな」
「じゃあ同い年なんだ」
写真を見たグライダが尋ねた。
「旅に出るって、武術の武者修行?」
「ああ。確か魔闘士(まとうし)だったかな」
魔闘士とは武闘家のように素手で戦う者だ。ただし使うのは「気」ではなく「魔法」。
魔法の威力を極度に一点に集中させ、弱い魔法効果を爆発的に高める戦法を取る。そのためには相手に接近する必要があるので、体術も磨くのが普通。武闘家と混同されやすいのだ。
その特徴のためか生まれながらに魔法を操る力を持つ魔族に多いのだが、ゴナの婚約者は純粋な人間だという。魔族であるコーランも「それは珍しい」と感心している。スカウトしたくなる気持ちも分かる。
人間にしては珍しい魔闘士。しかも浮いた話一つなかったゴナの婚約者というおまけ付。彼を知る者なら興味を持たない筈はなかった。
「会うの十年ぶりで、相手の顔とか分かんのかよ?」
特に興味もないと退屈そうにしているバーナム・ガラモンドがゴナに尋ねた。
彼は魔闘士ではなく武闘家。自らの流派を極めたとは言えないし、修行らしいものは何一つしてないが、それでもそれなりの強さを持っている。同じ武術を嗜む者同士気になったのかもしれない。
「さすがに顔は分からねーけど、たまに電話では話してるからな。ただ直接会うのが十年振りってだけで」
ゴナは珍しく照れくさそうにそう言うと、
「あいつが来る電車の時間はもうすぐだ。それに……」
ゴナは足元に置いていたボードを掲げた。そこには、
『ミッチ・ボウル様』
と書かれてあった。それが彼女の名前だ。
それなら確かに無事に会えそうである。その電車に間違いなく乗り込んでいれば、だが。
「昔からずいぶん食い意地張った奴だったからなー。多分、物食いながら来るんじゃねーかな」
十年前を思い出しているのだろう。苦笑しながらボードを掲げている。
やがて、ホームの方が騒がしくなってきた。きっと列車が到着したのだろう。少しずつ乗客が出口に向かってやって来る。
大きな荷物を抱えてヨロヨロする者。
コンパクトなザックを背負った旅慣れた者。
疲れた顔を浮かべつつも足取りが軽い者。
実に色々な人種が通って行く。
しかし。肝心のゴナの婚約者らしき人物の接触はまだなかった。
しっかりと彼女の名前が書かれたボードを掲げているのだから目に止まらない訳はないと思うのだが……。
ところが。そのボードに反応した人物が一人いた。
上下ジャージ姿の、長身で若い女性だ。長いブロンドの髪をポニーテールにし、ゴナの掲げるボードを見上げている。
その口に干し肉をくわえて。
彼女はボードを掲げるゴナの顔を穴が開くほどまじまじと見つめると、
「……ひょっとしてゴナちゃん? おっきくなったなー。見違えたねー」
親父臭い男を「ちゃん」づけで呼ぶ異性。
明らかに彼、それも昔の彼を知る者の反応だ。
「ミッチよ。出迎えありがと」
その可愛らしい声の自己紹介に、ゴナはもちろん周囲のギャラリー——特に幼少の頃の写真を見ていたメンバーは落胆と衝撃の色を隠せなかった。
なぜなら。彼女ことミッチ・ボウルは確かに細身の顔で背が高く大きいが……。
横幅の方も見事なまでに大きかったのだ。
有り体に言えば見事な肥満体型だったのである。


このシャーケンの町に、地上を走る列車の駅は一つしかない。地上を走る列車は町と町を結ぶためのものだからだ。町の中の公共交通機関はバスかタクシーか地下鉄になる。
そんな彼らがバスに乗っているのはミッチが原因である。
「やっぱりこの町に来たら『白身魚の香葉(こうば)包み焼き』食べなきゃ」
早速買ったスポーツドリンクをがぶがぶ飲みながら、笑顔でそう言ったのである。
この一言で、一同は通い慣れた安食堂「ヘルベチカ・ユニバース」に向かう事になったのだ。
もっとも。十年前とのギャップがあまりに大きかったためか、ギャラリーの大半は呆れて帰ってしまっていたが。
バスからの車窓を懐かしそうに眺めるミッチを見ながら、ゴナは残ったメンバーを紹介していく。
ミッチの方も物怖じしない性格ですぐ皆と打ち解けた。特にセリファがミッチに懐いたのを見て、
「セリファちゃんが好く奴に悪い奴はいない」
と、ゴナは何度もうなづいていた。ミッチの方も、
「ゴナちゃんがよく話してくれるセリファちゃんだよね? 話に聞いてた通り、ホンット可愛いなあ」
まるで仔猫をあやすように、やさしくセリファの頭を撫でている。それがセリファも嬉しいらしくミッチに抱きつくように甘えている。
「でさ。今のゴナちゃんってどんな感じ?」
セリファの頭を撫でる手を止め、ミッチは手近にいたグライダにストレートに尋ねた。
「どんな感じって言われても……」
十年振りに会った婚約者の手前、多少は誉めておこうか。いやいや。たとえ見限られても正直に言うべきか。
グライダの頭の中は激しい葛藤に見舞われていた。
そんな様子がおかしかったのだろう。ミッチは小さく吹出すと、
「ま、昔からガキ大将っていうか、みんなのリーダーって感じだったけどね。今は漁師なんでしょ、ゴナちゃん?」
「ああ。けどゴナ『ちゃん』はもう止めろよ」
その言葉にミッチは視線で「ごめん」と謝ると、
「じゃあお父さん達と網元(あみもと)として頑張ってるんだ。いーねー」
網元とは、いわばその町の漁師達のリーダーである。網や船を所有し、漁師を雇い、漁場の仕切りや管轄などの最終決定権・管理権も持っている。
港町であるシャーケンでは、やはり海に関する職業の人間は一目置かれる。それなりの地位を持つのがゴナの実家なのだ。
「漁師は新規参入の少ない職業だ。自然世襲制に成り易い。将来は町の名士と云う訳だな」
話を聞いていたロボットのシャドウが静かに言う。
「将来の網元夫人という訳ですね」
話を黙って聞いていた神父のオニックス・クーパーブラックが笑顔でそう言うと、
「そうなるの……かな。将来的には」
ミッチは冗談ぽく笑顔でそう言うと、ポケットから干し肉を出して口に放り込む。それを見たゴナは、
「よく食うなぁ、お前。そこは全然変わってねーな」
「ゴナちゃんだって、小さい時から全然変わってないじゃん。さっきも一目で分かったし」
「ちゃん」をつけてしまった事に気づき「しまった」という顔をしたミッチは、
「それに、しっかり食べて栄養と体力つけなきゃ、魔闘士なんて勤まらないもん」
ミッチは堂々と胸を張って(太っているので胸より腹の方が出ているが)元気に言うと、
「こう見えても、己を磨く努力は怠ってないんだから」
「何言ってんだよ。こんな丸々とした武闘家なんて聞いた事ねーよ」
「武闘家じゃありません。魔闘士ですぅ」
違いに容赦ない言葉を浴びせ合う。だがそれも直接会うのは十年振りとはいえ、つきあいの深い二人だからこそ。
「でも、一体何しに帰ってきたの?」
コーランが不思議そうに尋ねた。
「別にケガで現役引退した訳でもなさそうだし、人間の魔闘士は珍しいから、向こうから破門されたとも思えないし」
人間でわざわざ弟子にして武者修行の旅をさせたのだから、才能はあった筈である。見込み違いだったという可能性もない訳ではないが、それならもっと早い時期に破門される筈だ。
彼女がどんな魔法で戦うかは分からないが、そんな珍しい存在を十年も経ってから手放すのはやはり不自然な気がする。
武闘家なら太ったからという理由が成り立つかもしれないが、魔法で戦う魔闘士に、あまり体型は関係ない。実際ガリガリに痩せた魔闘士や球のように太った魔闘士も存在する。
一人前と認められて故郷に帰って来たのだろうか。コーランはそんな風にも考えたが、
「師匠とケンカ別れでもしたのか?」
そこにバーナムの無遠慮な言葉が飛ぶ。これにはさすがに他のメンバーに白い目で睨まれるが、彼自身は「柳に風」と涼しい顔だ。
しかしミッチの方はそれには答えず、ゴナの隣でこの十年の間に変わった町の様子をつぶさに聞いている。
その様子はそんなネガティブな雰囲気を全く感じない。本当に心から観光を楽しんでいる少女にしか見えなかった。


バスはやがて港そばの魚市場に。そのそばに立つ手書きの看板には、
「ヘルベチカ・ユニバース」
あまり綺麗ではない手書きの文字でそう書かれてあった。
「うわー。全然変わってないなー」
ミッチは薄汚れたその看板を懐かしそうにそっと撫でる。それから開きっぱなしの引き戸から店の中に顔だけ突っ込んで、
「おばさーん。いるんでしょー?」
「今準備中だよ……?」
ミッチに負けず劣らずでっぷり太った、人の良さそうなおばさんと目が合う。おばさんは準備の手を止め、一体誰だろうとぽかんとミッチを見つめている。
「十年振りです、おばさん。ミッチ・ボウルです。覚えてませんか?」
ミッチは戸の陰からひょこっと姿を現して、その堂々たる全身を露にし、礼儀正しく頭を下げた。
その名前と声でおばさんの十年前の記憶が蘇ったのだろう。しばらく間が開くとポンと手を打ち、
「ミッチって、あの武者修行に行ったミッチちゃんかい?」
彼女は目を丸くして驚くと親しげにミッチの元に歩み寄り、
「……あらあらすっかり大きくなって。顔が細い割にずいぶん立派なお腹になったじゃないのさ。強さじゃなくてお腹に脂肪つけてどうすんだい?」
人懐っこい笑顔を浮かべ、ミッチのお腹を遠慮なくパンパンと叩く。かなり荒っぽいが歓迎している証だ。
「それでおばさん。今準備中って言ってたけど、おばさんの『白身魚の香葉包み焼き』。何とかならないかな?」
両手をぱちんと合わせてお願いするミッチ。
「いいだろ? 十年振りにこいつに食わせてやってくれよ」
いつもは荒っぽく怒鳴るゴナも、今回ばかりはおとなしく神妙に頼んでいる。
さすがに婚約者の前では荒っぽい面は見せられないという事なのだろうか。それとも単にカッコつけたいだけなのか。
普段の彼を知っている一同は、普段とのギャップに笑いを堪えるのに必死だった。
しかしおばさんは、
「ん。いいだろ。十年振りの料理とあっちゃ、断わる訳にはいかないよ」
おばさんはニコニコ笑うと厨房に引っ込んでいく。それから、
「ほらほら。そこに立ってるあんた達も席に着きな。同じモンでよかったら食ってきなよ」
入口付近に立つグライダ達に笑いかけた。
ロボットのシャドウ以外のメンバーは、もちろんその申し出を快く受けた。


白身魚の香葉包み焼きというのは、このシャーケンの町の名物料理だ。
白身の魚——特にこの町の沖合いでよく捕れるマスカという小さな白身魚の腸を取り、身の内側にブレンドしたスパイスを擦り込んでから、香葉と呼ばれる強烈な香りの植物の葉で身を厳重に包んでオーブンでじっくり焼くという割と単純な料理だ。
このスパイスの配合が店の個性と味を決めるのだが、魔界原産のペプペルという柔らかい芳香と辛味を持つ香辛料をベースに数種類のスパイスを混ぜるのがシャーケンの町流だ。
それに香葉も元々は魔界原産の植物である。この町には魔界出身者が他の町と比べて多いので、人間だけでなく魔界の住人にも好評な料理である。
身の外側と内側から異なる香りで味つけられた淡白なマスカの身はあとを引くうまさとなる。そこが人間にも魔界の住人にも受けている名物料理たる所以だ。
一つ一つにスパイスを擦り込むので準備に少し時間はかかるが、焼く時はオーブンで一気に大量に焼けてしまう。
火が通って強さを増した香葉の強い香りが店内に溢れていく。ずっとシャーケンの町にいたゴナ達はともかく、十年振りに「味わう」この香りに、ミッチはたまらず鼻をひくつかせ、
「うんうん。これこれ。懐かしいなぁ。よくゴナちゃんと半分コして食べたっけなー」
いくらマスカが小柄な魚といっても、八歳の子供が一人で食べるには少々大きい。
普段の様子からは信じられない「紳士」振りに、周囲は冷やかし半分でゴナを見つめている。
やがてミッチの前に香葉で包まれたマスカが並べられた。本当に十年前と同じ見た目にまずは感動を覚える。
添えられたフォークで器用に外側の葉を取ると、今まで封じられていた香葉の香り、熱が通った魚の香り、内側に擦り込まれていたスパイスの香りの三重奏がミッチの鼻をくすぐる。
「はぁ……。ホンット昔のまんまだなぁ」
フォークの縁で器用に魚を切り取り、口に運ぶ。
香葉の香り、魚の甘味、スパイスの辛味と酸味が口の中から飛び出さんばかりに溢れ出す。
ミッチは無言で次々に魚を口に運び、空いた手でおばさんに「グー!」と親指を突き出す。それを見たおばさんも、
「そこまでひたむきに食べてくれるとこっちも嬉しいよ。ほら、あんた達も冷めないうちに食べな」
それが合図だったように、他のメンバーも外側の葉を剥がしにかかり、昔ながらの味に舌鼓を打った。

<To Be Continued>


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