「Baskerville FAN-TAIL the 13th.」 VS. Smugglers
「おじちゃん。何してるの?」
何となく自分の家と隣の家の狭い路地に入り込んだセリファ・バンビールは、そこにうずくまっている『人型をしたもの』を見ていた。
頭部を持ち、身体があり、腕が二本に脚が二本。間違いなく「人型生命体」である。
だが、その細部は明らかに彼女と同じ「人間」ではなかった。
かなり細身だが堅い筋肉に覆われた全身。青白い皮膚。上半身は裸でスパッツのみ。足は裸足だ。
その全身はへとへとに疲れて薄汚れているのが一目瞭然だった。
頭髪はなく、卵のようにつるんとした頭部には目が一つあるだけ。本当は人間同様二つなのだが、片方が異様に大きく、もう片方が異常に小さいのだ。
口はともかく鼻にあたる物は見当たらない。
セリファは、何の悪意もない目でじーっと「それ」を見ていた。
「コワく、ナイのカ、オレが?」
かなり激しい訛りのたどたどしい人界の言葉。セリファはニコニコと笑顔を浮かべたまま、
「うん。おじちゃんこわくないもん」
そう言ってすぐ前にちょこんと腰掛けた。
「コわク、ナい……?」
その言葉は驚きに値した。この自分の姿を「恐くない」と笑顔で言う人間がいる事に。
「きミハ、だレダ?」
渾身の勇気を振り絞ってそう尋ねた。すると、さっき以上の笑顔で、
「セリファはセリファだよ。おじちゃんは?」
少しの沈黙の後、静かに口を開いた。
「……スーボ」


世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
だからこそ、ここへ来れば——どんな職種であれ——仕事にあぶれることはない、とまで云われている。


セリファが連れ込んだスーボを見て、姉のグライダ・バンビールは(当然だが)とても怒っていた。
「捨て犬とか捨て猫とか拾ってくるならまだしも。何なの、これは!?」
スーボは本当に申し訳なさそうにセリファの後ろで身をすくめていた。
「グライダ。落ち着きなさい」
同居人にして魔族のコーランが彼女の頭をぽかんと叩く。
魔族といっても、その姿は多種に渡る。
完全に人間と同じスタイルの者から、人型以外の共通点がない者まで様々なのだ。
完全に人間と同じスタイルである彼女は少し考えてからスーボに向き直り、
『あなた、魔族に間違いないんでしょう?』
魔界の言葉でそう尋ねる。スーボもうつむいたまま、
『はい。そう……らしいです』
その声には怯えよりも戸惑いの方が多かった。それを聞いたコーランは、
『「らしい」っていうのは、どういう事?』
『そのままの意味です。俺には、この数日間の記憶しかないんです』
悲しそうに、苦しそうに答えるスーボ。
『自分が魔族なのか、人間なのか、それとも合成生物(キメラ)なのか。生きているのか、死んでいるのか。それもわかりません。わかるのは自分の名前だけです』
それから、つけ加えるように、
『それから、俺が追われている事だけです』
「コーラン。魔界の言葉で話を進めないで、あたし達にも訳してよ」
訳のわからない言語の会話を横で聞いていたグライダが割り込む。コーランは軽く謝罪すると、今までの会話——といっても大した物ではないが——を二人に話して聞かせた。
「追われてる、ねぇ。どんな連中?」
グライダは、ただの好奇心からそう尋ねてみた。スーボは、短くこう答えた。
「……魔界の、治安維持隊(ちあんいじたい)です」


その頃、魔界治安維持隊人界分所所長ナカゴ・シャーレンは、喫茶店のオープンテラスで食事中だった。
いつも付けている金属光沢を放つマントはなく、お気に入りのワンピース姿だ。
そのマントには魔界の住人が唯一苦手な風邪ウィルスの抵抗力を上げる効果があるのだが、さすがにオフの日までそれを着る気はなかった。
「シャドウさんは今お仕事中なんですか」
彼女はもぐもぐと料理をほおばりながら、目の前にいる神父の青年の言葉を聞いていた。
「ええ。今アルバイトをしている建設会社が受け持っている仕事の納期がきついらしくて、休みが取れないそうです」
そう答えたのはオニックス・クーパーブラック神父だ。彼は彼女の気持ちを知っているだけあって、淋しそうな表情を作っている。
シャドウは戦闘用特殊工作兵。ロボットなのだ。でも、ナカゴはそのロボットであるシャドウを心底好いている。まるで恋人のように。
「せっかくのオフなのに……」
別にナカゴはクーパーとデートという訳ではない。たまたまナカゴが店に来た時に、店員の「相席で宜しいですか?」という質問を了承したらこうなっただけである。
「申し訳ない、そこの魔族のお嬢さん」
すぐとなりの道路から、テラスの柵ごしに尋ねてくる声が。
「なんですか?」
「お嬢さん」の言葉に少々気をよくしたようで、一応の笑顔でそちらを向く。
ナカゴに声をかけてきたのは、二人組の魔族の男達だった。両名とも地味でぱっとしないスーツ姿である。こちらもマントはつけていない。
「唐突で申し訳ない。我々は魔界治安維持隊本部に属する者だ」
懐から写真付の身分証明書を取り出した。
「実は、この魔族の人物を探しているのだが、見かけなかったか?」
もう一人の男が差し出した写真に写っていたのは、青白い肌に頭髪のないつるんとした一つ目顔の人物だった。もっともそんな顔だけなので男か女かはわからない。
「知りませんけど?」
せっかくのオフに、仕事に関り合いたくない、と言わんばかりに即答するナカゴ。
「そうか。食事中に済まなかった。では」
男達はそそくさとその場を去った。
「……治安維持隊も大変ですね」
穏やかにクーパーが言った時、そのナカゴはテーブルの下で何やらやっていた。どうやら携帯電話を操作しているようだった。
やがて、ナカゴは電話に耳を当て、
「……私です。今メールに添付した写真の人物を照合して下さい。わかったら、すぐにこちらに連絡を」
それだけ言って、電話を切った。
「メールを送っていたのですか?」
仕事上の機密に触れるだろうと思い、控え目に聞いてみたクーパー。だがナカゴの方は、
「あの二人。治安維持隊の者ではありません。あの身分証明書も偽物でしょうね」
たったあれだけのやりとりしかしていなかったのに、しっかり見抜いていたらしい。
「最初に『魔族のお嬢さん』と断っておいて『魔界治安維持隊本部の者です』なんて言い方は不自然です。まずしません。人界の人に名乗るならともかく」
すまし顔できっぱりと言い切った。
「それに、あの人物の捜索依頼は本部の方から来ていませんし。私も知らない以上、あの二人は偽物です」
魔界の本部から人界に隊員が来る場合、総ての人界の分所とその所長にその旨を連絡しなければならない決まりらしいのだ。
だいぶ認知されているとはいえ、まだまだ魔界の住人は人界にとって「異質な」存在である。その辺りの便宜を考えての事だ。
「なるほど。では、その辺りを調べるように手配した訳ですか?」
「ええ。せっかくのオフが台無しです。シャドウさんには会えないし……」
ナカゴはぶすっとしたまま、皿に残った料理を一気にかき込んだ。


「しかし、どうしたものかしらね?」
グライダがクッキーをぼりぼりとかじっている。
「わかるのは名前だけ。追われる理由もわからない。数日前以前の記憶もない。追われてるのが治安維持隊ってんだから……よっぽどの理由があるんでしょうけど」
セリファも彼女と同じようにかじっていたが、
「おじちゃん、いい人なのに。何でおいかけられてるの?」
すがるような目で見つめられたコーランは、
「そうね。セリファがそこまで言うのなら、少なくとも『悪人』ではなさそうだし」
セリファにはほぼ無限大の魔力が宿っている。その副作用で『自分にとっての』という基準ではあるが「良い人」か「悪い人」かが『視覚で』判断できるのだ。
「こっそりナカゴに聞いてみようか? 彼女今日はオフの筈だから」
そう言って電話をかけた。
それから三十分くらい経ってから、電話で呼んだナカゴと一緒にクーパーまでやってきた。
一緒に来た事に驚くが、知識という面ではクーパーは大いに役に立つ。一緒に話を聞いてもらう事にした。
スーボは自分を追っている魔界治安維持隊の隊員、それも所長が来た事にひどく怯え、「騙したな」とさえ叫んだが、コーランに簡単に取り押さえられた。
今は無言でセリファの影に隠れたままナカゴを睨みつけている。
『あなたの名前はスーボで間違いないのね?』
ナカゴの質問に、スーボはぶっきらぼうな態度で首を縦に倒した。
『追われる理由は、見当がつかないの?』
コーランの問いにも首を縦に振った。
さきほど怯えて逃げようとするスーボを取り押さえる時に気づいたのだが、いくら何でも筋力が弱すぎるのだ。
つるりとした顔で非常にわかり難かったが、外観の年齢はコーランより少し下くらいだ。単純な力比べになったら、コーランはこの年代の男にはまず勝てない。
それに、彼からは一切の魔力を感じない。ほんの基礎的な魔法すら使う事ができないだろう。
何か特別な知識を握る存在といっても、ここ数日の記憶しか持たないのであれば意味がない。
となると、残るは記憶喪失の可能性だろう。
スーボは何か特別な知識を持っており、それを狙っている。しかし彼はその記憶を失ってしまったが、それでも失った記憶を欲しいがために狙われている。
それが妥当な線だろう。
そんな折、ナカゴの携帯電話が鳴り、すかさず出る。早口で二言三言やりとりをした後、
「思った通りです。さっき私にあなたの事を聞いてきた治安維持隊の隊員は、偽物と判明しました。彼らは刀剣の密輸疑惑のあるブローカーだそうです。既に人界と魔界全土に手配手続きを済ませましたから、すぐ捕まるでしょう」
グライダ達はその素早さにぽかんとするばかりだったが、このスピードこそが治安維持隊の真骨頂なのである。
「ご心配なく。あの二人が捕まれば、なぜあなたを狙うのかもわかるでしょう。早速で済まないのですが、あなたの知る限りの情報を、教えてもらえませんか?」
ナカゴはすっかりリラックスした様子でスーボにそう切り出したところで、もう一回ナカゴの電話が鳴った。


「ご主人。このリストの品を戴きたいのだが……」
店の主人は、目の前のロボットを見てぎょっとした顔をしていたが、やがてリストをひったくるようにしてもらうと、せっせと品物をビニール袋に詰め始めた。
建設会社でバイトをしている戦闘用特殊工作兵のシャドウは、上司に頼まれた通り、現場にいる全員分の弁当の買い出しに来ていた。
力が要求される建設現場という事もあり、働く人々も気さくな人物が多いので、ロボットという事で不当な扱いを受ける事もない。
シャドウ自身正社員ではないが、この職場を悪くないと思っていた。
代金を支払い、弁当の入ったビニール袋を持って現場に戻る途中、通りがかったとある店の前に人だかりができているのを見つけた。
店の前に魔界治安維持隊の隊員達が並び、店の中に向かって何やら叫んでいる。
「籠城事件か?」
誰に言うともなく言った言葉だったが、近くにいた野次馬の一人が、
「ああ。何でも魔界の治安維持隊の偽物が出たんだってよ」
その野次馬が気さくに話しかけてくる。
「シャドウさんっ!」
シャドウは後ろからいきなり抱きつかれた。
もっとも、気配は事前に掴んでいたので驚く事はなかったが。
「ナカゴか」
「はいっ。やっとお会いできましたね♪」
ナカゴは極上の笑顔でシャドウに話しかけるが、シャドウの方は全く無関心な様子で、
「仕事で来たのだろう? ちょうど治安維持隊の偽物が出てきたぞ」
シャドウがナカゴの襟首を掴み、思い切り持ち上げる。人垣の向こうにナカゴが見た光景は……。
籠城事件によくある、人質に武器を突きつけて脅迫しているところだった。定番として逃走経路の確保を要求しているようだが、その人質に問題があった。
人質になっていたのは、彼女もよく知っているバーナム・ガラモンドだった。
四霊獣龍の拳の使い手の武闘家である彼が、なぜ人質になっているのだろう? あの程度の人物なら簡単にあしらえるだろうに。
「何をしているのだ、バーナムは」
シャドウがナカゴを持ち上げたまま不思議そうにそう言った。
「さあ?」
ナカゴは自分が先陣きって行かねばならないのを忘れて他人事のように答える。
「所長。オフの日に申し訳ありません」
ナカゴを見つけた隊員が近づいてくる。
「状況はどうなっている?」
シャドウはナカゴを下ろし、下ろされた彼女はその職員に真っ先に尋ねた。隊員はシャドウを気にした様子もなく、
「はい。完全に膠着状態です。結界を張っているので飛び道具や魔法が効きませんし……」
人垣の向こうの犯人をいまいましそうに睨みながら答える。
そんな時だった。いきなり建物の方からものすごい悲鳴が聞こえたのは。


バーナム・ガラモンドは、自分を拘束した『つもりになっている』犯人を見上げながら黙っていた。
確かに対獣魔用に編み出された拳法である「四霊獣龍の拳」を使えば簡単に拘束から逃れられるし、犯人を簡単に倒す事も可能だ。
(それじゃつまんねーしなぁ)
彼の頭にあるのは、その一点につきた。
単に倒すのでは面白くない。どうせなら劇的な逆転劇を演じて、思い切り目立ちたい。
彼の考えはそんなところである。
だから犯人が人質を取った時に「できるだけカッコつけて」身代わりを買って出たというのに。
地味なスーツを着ていたが、犯人がなかなかの美女だった事もその要因かもしれない。
だが、そうこうしている間に建物は魔界の治安維持隊に取り囲まれ、もはや魔法を使っても脱出する術はない。犯人が逮捕されるのは時間の問題だ。
(しょーがねーか)
バーナムは観念すると、外と魔界の言葉で怒鳴りあっている彼女の腹に肘を叩きつけ、その状態から拳を振り上げて、顎に裏拳をおみまいする。
いきなりの攻撃に、彼女の動きが一瞬だけ止まった。その一瞬でバーナムは掌に「気」の塊を浮かび上がらせ、彼女に叩きつけた。
四霊獣龍の拳の技の一つ・龍哮(りゅうこう)である。
威力を加減したとはいえ、その威力は並の物ではない。女性はものすごい悲鳴を上げ、床の上でうめいている。
それを見た治安維持隊はしばらく呆然としていたが、やがて我に返るとこちらに走ってきて犯人を逮捕。人質を全員開放した。
「バーナムさん!」
とっとと帰ろうとしていたバーナムをナカゴが捕まえる。
「なぜ人質になっていたのですか? あんな簡単に倒せるのに?」
「いいじゃねーかよ、そんな事。犯人を逮捕できたんだからよ」
バーナムはぶっきらぼうにそう言うと、大あくびする。そこに治安維持隊の隊員がやってきた。
「犯人の女性は拘束しました」
「女性?」
ナカゴの位置からは遠かったので、犯人の性別まではよくわからなかったのだ。
「私が遭遇したのは男性二人組でしたけど」
「しかし、彼女が治安維持隊の偽物を名乗っていた事は間違いありません」
その隊員は自信満々な態度でそう答える。
この女性が「この人物を知らないか?」とその隊員にやったのだから。
こちらが本物の隊員とわかると、目の前の店に飛び込み、人質を取ったのだ。
「ナカゴが遭遇したと云う男二人組の仲間なのではないか?」
シャドウがそう尋ねると、ナカゴは首をひねって、
「確かに、その可能性はありますね。という事は、こちらは陽動……?」
少しの間考え込んでいたが、
「とにかく、その犯人は分所に護送して下さい。護衛は最小限に。それ以外の者は、先程メールで添付した人物の捜索にあたって下さい。この騒ぎが陽動の可能性もあります」
所長自らの指示とあって、隊員がきびきびと町に散っていく。ナカゴは一通り隊員が散っていったのを見て、
「さ、シャドウさん。私を手伝ってくれますよね?」
にっこりと微笑みかけるナカゴ。しかし、シャドウはしばらく沈黙してから、
「申し訳ないが、これから現場に食料を届けねばならん。手伝う事は不可能だ」
人間ならば困惑の表情を浮かべているだろう、シャドウの返答だった。

<To Be Continued>


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